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出産育児記録次男編で〜す。
随時更新していきます!!

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1    第二子妊娠出産記 NO1
次男のために自分で縫ったベビードレス
第二子はなかなか出来なかった。
いわゆる二人目不妊と言うやつ・・・。
基礎体温を付けて排卵チェッカーなどを使ってやっと妊娠したのは長男を出産して4年近くたってからだった。この間、私の排卵日と主人とのタイミングが合わず喧嘩になったこともしばしば・・・。やっと妊娠が判明した時の喜びは例えようがなかった。が再びつわりと出血が・・・。体質的に切迫流産になり易いようでまたもや1ヶ月の絶対安静。しかも今度はかなり激しいつわりが・・・。焼き魚の匂いどころか冷蔵庫も開けられないほど・・・。食べられない上に激しい嘔吐・・・。毎日毎日スポーツドリンクを飲んでは嘔吐する。(ほとんど胃洗浄状態)何回かは点滴をしに病院へ行ったことも・・・。妊娠5ヶ月ごろまでに体重が5sも減っていた。そんな私に長男はとても優しかった。「ママしんどい?大丈夫?何か飲む?」と言って冷蔵庫まで台を持って行きお茶やスポーツドリンクを取ってくれた。なんて優しい息子だろうと思いました。(今は私の事を時々クソババーと言うようになったが・・・。)主人も優しかった。長男のときにはしなかった洗濯や掃除もやってくれたし休みの日は食事もすべて用意してくれるようになった。つわりは辛かったけど快適な妊娠ライフを過ごしました。
更新日時:
H16年11月24日(水)

2    第二子妊娠出産記 NO2
安定期に入り仕事に復帰。今回は初めから帝王切開と決まっていたので今回は出産2日前まで仕事をする気でいたが、私はもともと子宮が小さいらしくその上、胎児が予想外に大きく臨月に入った頃には子宮の壁の厚みが1oになり陣痛が起きれば子宮が破裂する恐れがあったし、胎児の重みで恥骨乖離(骨盤が歪む状態)を起こし3週間前にDr.ストップ・・・。自宅安静となった。
いよいよ出産!!ルンバ−ル(腰椎麻酔)がかけられ出刀・・・。「ん・・・?ますいの効きが悪い?ちょっと痛いけど・・・。」と思った途端
激痛に変わった・・・。「先生 痛いんですけど・・・。」と訴えると「胎児の影響を考えて麻酔は最小限だから・・・。もう直ぐ胎児が出るから出たらよく効く鎮痛剤を使ってあげるし。」と・・・。もう少しだけなら頑張ろう!!無事次男出産!!「子宮収縮剤と鎮痛剤を入れて」とDr.の指示・・・。「あ〜これでやっとこの痛みから解放される〜」と思った矢先にものすごい激痛が・・・。例えるならそう!!火箸で子宮を焼かれているような感じ!!子宮収縮の痛みだった。これは鎮痛剤では治まらない。「陣痛だと思って我慢しなさい。」と言われたが「嫌だ〜!!我慢できない〜」と言ったら部屋に帰ってから鎮痛剤の坐薬をくれた。これが非常に良く効いてやっと痛みから解放されたのでした。手術中に次男の顔を助産婦さんが見せに来てくれたがあまりの痛さにその時の次男の顔は良く覚えていない。「ごめんね〜よっちい〜!!」
 
 
更新日時:
H16年7月23日(金)

3    第二子育児記録 NO1
予定日より2週間も早く帝王切開で出産した二人目のよっちいは、とにかく元気!!
夜も3時間はしっかり寝てくれるし母乳も多少出たので一晩に一度くらいはミルクを足さずに母乳だけで済む事もあったし、とにかくゆうきよりも楽だった。(もっとも二人目でこちらも育児に多少なれて余裕が出来ていたのかもしれないが・・・。)すくすく元気に育って行った。生後4ヶ月で職場復帰!!これが以外に大変だった・・・。保育所には直ぐに入所出来なかったので病院の託児所に預けることになった。(妊娠前に近所の診療所を辞め以前務めていた病院に変わっていました。)朝ゆうきを保育所に送って行きよっちいを抱っこして電車に乗り出勤する毎日・・・。電車では案外、席を譲ってくれる人が少なくむしろ「何でこんな時間に(通勤ラッシュ時)赤ちゃんを抱いて電車なんかに乗ってるんだ!!」と言う様な目で見られることのほうが多かった。きっと私も独身時代や子供が居なかった時はそうだったに違いない・・・。悪気はないのだが目に留まらなかったのだろう・・・。
離乳食が始まった頃は更にきつかった・・・。毎朝5時起きで離乳食を作り5時半には子供を起こして離乳食を食べさせて6時半には家を出ると言う生活が半年くらい続いた・・・。子供たちも私ももう限界だった・・・。よっちいがゆうきと同じ保育所に入所出来たのを機に以前とは違う近くの診療所へ変わった。このころからよっちいの軽いアトピーが出始めた。
 
 
 
更新日時:
H16年7月29日(木)

4    第二子育児記録 NO2
よっちいのアトピーは極々軽いものだったが
皮膚の柔らかい所に赤い発疹が出来たりしてそれが痒いらしく爪でよく掻き毟っていた。
その傷から雑菌が入りとびひになる事が多々あった。夏場は何度もシャワーをしたりして皮膚を清潔に保つように心掛けた。熱が出ても入浴は行った。一日でもお風呂に入れないと発疹がひどくなったから・・・。(熱がある時に入浴させない習慣があるのは日本人だけだそうです。)その甲斐あってか最近は大分よくなりました。(時々耳たぶの辺りが切れるくらいで顔や体はきれいになりました。)が、喘息っぽいんです。風邪を引くと必ず{ゼーゼー」言うんです。先生は「軽い喘息だろうが大きくなれば治るから心配は要らない」と言いますが心配です。私も子供の頃軽い喘息があり大きくなって治っていたのに最近、疲れると時々軽く出るのでそうならないかと心配しています。
どうしてアレルギー疾患なんてあるんだろう・・・。発展途上国には無い病気なのに・・・。でもこれも自分の子供がならなかったら他人事だったのかも知れません・・・。何事も経験しなければその立場になって考えることは出来ないのかもしれませんね。
更新日時:
H16年7月29日(木)

5    第二子育児記録 NO3
よしきのはじめてのお友達のまなと君の事・・・。まなと君はよしきより2ヶ月早く誕生しました。生まれつき心臓に疾患があり生後1ヶ月の時に手術を受け、やっと落ち着いた頃によしきが誕生しました。まなと君のお母さんは友達で産休に入った頃から良く遊んでいました。だからよしきとまなと君は生まれる前からのお友達でした。お互いのうちを行き来してほとんど毎日遊びました。って言っても赤ちゃんなので隣同士で寝ているだけで時々寝返りを打って相手の上に乗っかったりして下になった方が泣いたりしていましたが・・・。母親はご飯を食べながらぺちゃくちゃおしゃべり毎日本当に楽しかった・・・。保育所の夏祭りが終わった頃、まなと君は風邪を引いてしまいしばらく遊べなくなりました。「よくなったら一緒に又遊ぼうね」と言っていましたがまなと君は風邪をこじらせて入院してしましました。
しばらくして元気になり退院したのですが心臓の方をもう一度手術するので自宅で安静にしているとの事でした。私は二度目の手術が終わって元気になったまなと君とよしきが又遊べるものと思って信じて疑いませんでした。もちろん、まなと君のご両親も周りの皆もそうだったに違いありません・・・。その日は突然やってきました。前日のメールでは元気にしていると聞いていたし前から一緒に皆と食事に行く約束をしていたのも出席すると返事をもらっていたのに・・・。その日の明け方まなと君の様態が急変し亡くなってしまいました。享年7ヶ月・・・。その事を知ったときは信じられませんでした。電話でまなと君のお母さんと泣きながら話しをしました。お通夜の晩よしきを連れて行くべきか迷いましたが、まなと君のお母さんが「連れてきて貰った方がまなとが喜ぶと思うから・・・。」と言ってくれたので連れて伺いました。私もよしきにまなと君とちゃんとお別れをさせたかったし・・・。小さな小さな棺に入れられたまなと君はとても安らかなお顔で眠っていました。揺すったらめを覚ましそうな安らかなお顔で・・・。
私は精一杯棺によしきの顔を近づけ最後のお別れをさせました。よしきはまなと君と過ごした日々を覚えてはいないだろうけど解るようになったら沢山まなと君の話しをしてやろうと思っています。だってよしきにとってはじめて友達になった子だから・・・。そしてまなと君はよしきの思い出の中で共に成長し生きて行くと信じているから・・・。
更新日時:
H16年9月8日(水)


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