ある競走馬を追いかけて


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 この日がなかったら 

 今の家に移り住んですぐの頃、アンテナを設置してもらったときにテストでTVをつけてみたら、画面に競馬中継が現れました。
京阪沿線に引っ越してきたため「京都放送」が映り、それがたまたま競馬中継だったのです。
「そういえば京都競馬場って、淀(駅)で降りたら行けるね
んな。いっぺん行けへん?」と言うことになり、生まれて初めて競馬というものを生で見に行くことになったのが競馬との出会いでした。


 一頭の馬との出会い

  はじめの頃、何の知識もなくただ気楽に競馬場に足を運び、TV中継を見ては目に付く馬たちに、好き勝手なコメントをしていました。
  ある日、**というおかしな名前の馬に出会いました。成績もパッとせず、最終12レースのダート1800mの条件900万以下でよく走っていた彼は、地方競馬の南関東の出身でした。あまりにも妙な名前とそのふがいない成績がおかしく、しょっちゅう笑いものにしていました。
  そんな時、京都のパドックで実際に彼に出会いました。
ピンク色のメンコで口
元はなぜか笑っているようにも見え、毛色もこれといって特徴のない黒鹿毛の馬でした。ところが、実際に「本人」に会い、メンコから覗くきれいな目を見て初めて「変な名前やけど、何もこの馬が自分でつけたわけじゃない。自分が何て呼ばれてるかなんて、この馬は知らないだろう。成績が良くないのも何か訳があるかもしれない。いつも一生懸命走っているだろうに、失礼だったなあ」と思うようになりました。


 ファンとして

 すっかり彼のファンとして目覚めてからは、毎回レース出走があるたびに、たとえ成績が良くない結果でも、欠かさず「**様」宛てに所属厩舎にファンレターを出す日々が続きました。自己満足は承知の上です。もちろん返事は来ませんでしたが、これを繰り返しているうちに、次第に競馬の馬たちの身に日常的に何が起きているのかを知ることとなるのでした。
  少しずつ着順も上がりはじめ、予想の印も無印から▲に、とゆっくりではありましたが希望の光が見え始めた矢先、ある日職場で見ていたスポーツ新聞の競馬欄の片隅に「お疲れさん:地方競馬」の囲みがあり、そこに彼の名前を見つけたのでした。その日はショックで何をどうしたのか全く記憶がありません。
頭も冷えて、とにかく手紙を書こうと気を取り直したとき、ポストに一通の手紙が届いていました。
差出人はその馬の所属する厩舎の奥様からでした。 


「 前略                                                

  先日は当厩舎の**号に心温まるお手紙を頂きありがとうございます。
  あ
なたの様なファンの方がいらっしゃることはきっと**号も心強く思っていることでしょう。
  よろしければ、遠いところですが会いに来てやって下さい。

  これからも応
援よろしくお願いします。
  お返事遅くなって申し訳ありません。   

                                  かしこ 」


・・・これが最初で最後の返事でした。


 再び地方へ

  すぐさま、彼がどこへ連れて行かれるのか教えて欲しいという手紙を出しましたが、もう返事はありませんでした。結局、栗東トレーニングセンターに電話をして、彼の次の登録先(行き先)が公営名古屋競馬場であることを知りました。名古屋競馬場にも問い合わせると、親切に教えて頂く事ができ、馬主も変わったということで、引き続きそこで競馬を続けることになったことを確認できました。
  変わらず手紙を書き(この頃になると、たった一人かもしれないけどファンがいるんだぞ、馬を大事にしてあげて!というつたない望みを持ってこれを書くようになっていた)テレフォンサービスを聞き、電話投票をする日々となりました。厩舎に電話をするということも覚えました。ついに調教師から「会わせてあげる」と連絡をもらい、喜び勇んで飛んでいきました。
弥富トレーニングセンターの厩舎に、果たして**はいました。調教師が厩の扉を開けると、だるそうに寝そべっていて「何だよ」というふうにこちらに一瞥をくれました。初めて間近で見る大きさには驚かされました。調教師がパン!と手を叩き名前を呼ぶと、すくっと立ち上がりました。初めて会えた(そばで見ることができた)感激で、馬のことも考えずに思わず首に抱きついていました。
手持ちの人参を隣の馬と一緒に食べてくれ、もうないのかとすごい催促でした。
時間は過ぎて、名残惜しい気持ちでその場を後にしました。
帰り、ずっと一つの考えが頭から離
れず目の前がぼやけてきました。
「これからも勝てなかったらどうなるんだろう、
この先どうなってしまうんだろう・・・」道中連れて行ってもらった「博石館」でぼんやり石を見ていたら、涙が出てきました。


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