最後の一着 

  名古屋競馬場へは何度か応援に行ったりもしました。
**はここでもかなり健
闘して勝ちもありましたが、それでもついに「その日」はやってきました。
時期は年の瀬で、競馬場から出される馬も少なくなかったのでしょうか。

 **は12月中に第一週に1走、第二週目を置いて残りの二週は連闘と、最後の三戦目は特に悪天候で厳しいローテーションを強いられました。案の定、成績は惨憺たるものでした。
そして、毎週次走の登録の有無を競馬場に問い合わせていた私が最後に聞いた
のは「**号は高知に移籍になった」という知らせでした。即座に調教師に電話をし「最近のローテーションがきついのはどうしてですか」と聞くと「もう関係ない。あの馬は馬主の意向で高知へ行く。詳しいことは高知のほうに聞いてくれ」と言うので、さらにこちらから質問しようとすると、一方的に電話を切られてしまいました。
  そこでさっそく高知競馬場に連絡を取ると、まだその馬は登録されていないので、また問い合わせてくださいということでした。
次に電話したら今度はきち
んと登録済みでしたから、所属厩舎にも容易に連絡を取ることができました。厩務員さんのお話では、高知へ来た当初、**はとてもカリカリしていて、尻尾の毛は抜け脚は怪我で血だらけ身体はガレて泥まみれという様子で、一体何があったのかと思ったよ、とのことでした。
  年が明け、またファンレターを書く日々が始まりました。高知競馬は実況のテレフォンサービスが当時なく、結果がわかりにくかったりと勝手が違いました。
 2月になって、「20日に出走する。勝ち目は充分だ。ぜひ来てください」と言う旨の電話を担当厩務員さんから頂き、なけなしのお金をかき集めて当日飛行機で高知へ飛びました。自分自身、仕事で上手く行っていなくしんどい日々でしたが「あの子も気張ってるやろ。私も頑張らな」と何時の間にか「彼」は心の支えとして存在するようになっていました。

  その日の高知競馬場は冷たい雨がしとしと降っていて、馬場コンディションは最悪でした。
横断幕を張らせてもらい、単勝馬券を買ってパドックへ行きました。
ついに**が現れました。いつもどこのパドックでも、のんびり歩きながら物見ばかりしていたはずなのに、この日はすごい入れ込みようで目が充血しチャカチャカ落ち着きない歩様でした。雨に濡れた身体からは白い湯気が立っていました。予想でも◎がたくさんつけられていました。

  レースはいつものようにジリっぽく後ろからの競馬となりましたが、4コーナーあたりから本領発揮の末脚を見せ、前にいた馬たちをごぼう抜きにして目の前に立っていた私たちの前を駆け抜けました。
夢でも見ているようでした。
その後、観客席に座っていると放送で呼び出しを受け、隣接する厩舎に案内されました。
厩務員さん
夫婦が迎えてくれ、レースから戻った**に会わせてくださいました。 まだ気が立っていて、以前会ったときとは全く様子が違っていました。「ようやった。水飲むか? ・・いらんのか。ほんなら、これ(青草を取って)やろ」とねぎらいを受けていました。優しそうなご夫婦に面倒を見てもらえているようで、今度こそ運が良くなってほしいな、と願いながら帰阪しました。


 お別れ


  次に厩務員さんに連絡を取ると、**は脚元に不安が出て、腰も調子が良くなく、元気がないとのことでした。あの勝ちの日以来、急激に状態が悪化したと言うことで、不安な毎日が続いていましたが、4月のある日、とうとう電話が鳴りました。
「よう聞いてほしいんですわ」厩務員さんの最
初の一言で全てがわかりました。
「もう、馬も脚を痛がりよるし、大井から獣医さ
んが来よったんで診てもらったりしたんやけど、どうも・・・。治る見込みはないちゅうけ、かわいそうやったが処分してくれるとこに・・・もう一頭(元中央競馬出身で名古屋に転厩後、高知に来た。阪神大賞典でメジロマックイーンと走ったこともあった)と一緒に頼みに行ってきましたんや。よう応援して下さったが・・・仕方ないです」。それを聞いて、思わず「それはどこですか? 連絡取れませんか?まだいますよね?? お願いします、連絡先を教えてください」と無茶苦茶な事を言っていました。聞いてどうなるのか? いったい何が出来るというのでしょう。行ってどうするのか? 何も考えていませんでした。とにかく**の消息を知りたいばかりでした。


 競走馬の行く先

  無理やり聞き出した「春野」というところにあるという、教えてもらった連絡先に電話を入れました。
電話の声はつっけんどんに「どちら様? ああ、××さん
とこのか。馬だろう。昼に二頭来た奴か。もう、みんな肉だよ。肉。・・・・」もう相手が何を言っているのかわからなくなり、何時の間にか電話を切っていました。
ただ無念さと情けなさだけが涙となって流れるばかりでした。こんなものだ。ファンなんて何の役にも立たない。つまらない自己満足だけだ。その馬のために何一つ力になれないのだ。自分なんてお金も知識もコネさえもないやんか。馬鹿な話やん・・・。
 諦めがつかないまま、そのころ会員だったサークル(ある馬を会で引き取って、みんなの会費で余生を見ていた)の知り合いに一部始終を話すと、ある地方競馬場のT先生という人に相談してみたらどうか、という助言をもらい、一縷の望みを持ってその先生に連絡を取りました。
先生はまだ若く、親身に話を聞いてくれ「そこにおれが連絡してみて聞いちゃるけん。たぶん何かわかると思うけど、希望は持たないほうがいいかも知れんよ」。2日ほど待ってくれということでした。3日してT先生から電話がありました。「最初、九州行きの馬運車に乗せた、とかいうとったけど、突っ込んで聞いたら、やっぱり残念やけど、あんたの探してる馬ともう一頭の両方とも怪我しとったけん、その日のうちに処分したって言いよったね。かわいそうやけど、そういうことでした」との答えでした。
どうやらそこはやはり「肥育場」だったようです。他にもよそから連れてこられた馬がいたのでしょう。



→ その3へ
  
直前のページへ