**という馬が教えてくれたこと 

  厩務員さんは**の蹄鉄とたてがみを形見に取っておいてくれていました。
手元に残った分を馬頭さんに持っていくのだと言いました。
私はというと、子供じみた悲しさで泣いてばかりの情けない毎日でした。
ある日、家族の提案で、生まれ故郷の牧場にこの遺髪を持って行って供養してもらったらどうか、ということになり、8月に北海道の静内へ向かいました。
  **の生まれ故郷、F牧場の奥様は私たちの話を聞いてくださり「少し前に、全く同じようなことを頼みに来た若い夫婦がいましてね」といって、紙に包んでおいてあった誰かの遺髪を指差しました。
牧場には少し離れたところに小さなパドックがあり、そこに三頭の牝馬が放されていました。「あの馬たちは売れ残ってしまって、ここにいるんです」(と言ったように記憶している)。可哀そうだからここにおいてはいるのですが、と言うお話でした。別の方向にはポプラのような高木が固めて植わっている場所があって「あそこにみんなを供養しています」と教えてもらいました。
Fさんにお礼を言って別れ、有名な桜並木を歩いていると右も左も牧場だらけで、よくこんなに牧場があって馬が次々生産されているな。一方ではどんどん殺されているのに、と皮肉な気持ちで見ていました。

 **が私に教えてくれたことは、競馬の世界には裏の面があり、また、きれいごとや体裁で片付くような世界ではないこと。そして、それぞれの段階でそれぞれの役割を果たす人間たちがおり、個々の人々には罪は無い(人間として生きていくうえで)ということ。でも、どうしても納得できない何かがある。それは私たち普通の競馬ファンにとって手の届かない大きな化け物のようなものなのだろうか?ということでした。
  このとき、後々、自分の無知と見解の甘さが馬にが災いした結果、取り返しのつかない失敗をし、また一部の人々との葛藤を引き起こしてしまうことは予測できませんでした。
生き物が相手の場合はどんなごまかしも利かないという、厳しい現実を知らされることになりました。今はただ懺悔の気持ちが残るだけです。

 **は実にたくさんの人に会わせてくれ、いろいろなものを見せてくれました。
最初はとにかく闇雲に人を恨むばかりでしたが、今となっては、いろいろな人にお世話になったり、迷惑を掛けました。また親切な人もたくさんいたし、馬も語らずして教えてくれたことがたくさんあったことを実感しています。そして可能な限り、どの馬にも「誰だけが」ではなく、目を向けることが大切で、これを忘れないで、少しでも馬のために何か出来ないかと思っています。


          
                                                          
弥富トレセン(名古屋競馬場のトレーニングセンター)の厩舎での**。


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