ひなたのこと

 

 1月12日の午後4時半ごろ、私たちの会の馬であるひなたが亡くなりました。

11日の午後2時半ごろ、職場にいる自分に阿蘇グリーンファームの百瀬さんから携帯メールで、いつものように馬場で遊んでいたひなたが突然座り込んでしまい、立てなくなったとの知らせを受けました。

新年早々、同ファームのジョー(1月26日死亡)が倒れてから馬房に泊り込みで手伝って下さっている山内さんによると、朝ひなたは馬場に出て仲良しの風馬くん(重種)と遊んでから、砂浴びをして立ち上がろうとしたところ突然座り込んでしまったそうです。

 四肢に全く力が入らない状態で、重機の使用などで立たせるよう色々試みて下さいましたが上手く行かなかったとのことです。

地元の獣医、山部先生に診察して頂きましたが、先生の見解は「重症です。寄生虫が普通なら脊髄に入るところを、この馬(ひなた)の場合は首の方から入ったようですね。運が良ければ4日後くらいに抗生物質が効いて治る可能性はありますが、かなり厳しい状況だと言っておきます」とのことでした。ただ、食欲と排泄は問題なくあり、脚が痺れると自力で(座り姿勢の)向きを変えることは出来たそうです。

その日の晩は、近隣で牛の畜産をされている方たちが大量の藁を持って来て下さり、その藁に囲まれ冷気除けのブルーシートの中で(その藁を食べながら!)、苦しむ様子もなく朝まで現状維持したとのことでした。

 翌朝(私はこの日も出勤していたのです)9時ごろ百瀬さんから電話があり、急に熱が下がり出して血色が悪くなり動くことも出来なくなって、かなり状況が良くないので早く来てほしいと言われました。

仕事の早退後、熊本に着いたのが4時頃(到着直後、少し具合が悪くなり手洗いに行ったため迎えに来てくださっていた山内さんをお待たせする羽目になりました。こんなつまらないことで時間のロスが大変悔やまれてなりません)、車を飛ばしてもらいファームに着いて車を降りると、外側の馬場にひなたを囲んで百瀬さん、恵子さん、山部先生が座っていました。たった今、息を引き取ったんだよ、と言われました。間に合いませんでした。

 ひなたは少しだけ口を開いて、目も完全には閉じておらず、とても死んでしまったように見えませんでした。頬も頸もあたたかく、息をしそうに見えました。表情は苦しそうではありませんでしたが、周囲の人々も苦しむことはなかったと言いました。

安楽死処置はありませんでした。

 脚が痺れているだろうから、向きを変えてあげようと三人でそれぞれ前と後ろの脚を持って身体の向きを変えたところ、細動(心臓の心室が小刻みにふるえた状態になり、ポンプとしての役割が果たせず、酸素を含んだ血液を体内に送ることが出来ない状態)が起きたため、山部先生が除細動機で心肺蘇生を試みましたが、ひなたは一度目を開けただけだったそうです。

 恵子さんがお線香をひなたの頭の傍に立ててくれ、身体に毛布をかけました。

目を完全につぶらせて、汲んで来て下さった水を、言われて口元に持って行きました。

百瀬さんは、ひなたのたてがみのひとつかみを黒っぽい玉のついたゴムで縛って「魔物が来ないまじないだよ」と言いました。私も遺髪として栗毛のたてがみを少し切らせてもらいました。

 座り込んだ際に、褥瘡(床ずれ)になりにくいように、カンパで送ってもらった布団を敷いてもらっていたので顔面に少しの傷がある以外は身体はとてもきれいでした。運ぶときに身体を持ち上げたら湯気が立ち上るのが見えました。

お借りして持ち込まれたトラックの荷台に、誰かしら藁を敷いて下さっているのが印象的でした。

 近所の人々のご協力で、ひなたはその日のうちに埋葬されました。

島根の事件から5年と少しの間でしたが、ひなたはみなさまやファームのかたがたに可愛がって頂き、個性的で表情豊かな性格を見せるようになっていました。彼はまだ明けて12歳だったので、あまりにも早すぎる死で残念でなりません。

みなさま、ひなたをアラシと共に、短い間でしたが可愛がって頂き、ご支援誠に有り難うございました。今後は最初に戻ってアラシ一人を見守る会となりますが、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

                                                 2006年1月28日

                   

    <ひなた>  競走名:サントリーフ 栗毛 1994年生まれ 牡 アラブ

             父:ミスタージョージ、母:ヒッタータイム   

                                            補: ひなたの死因について