玉川由来記   

この文は、紀伊丹生川ダム建設を考える会の会報に掲載された、森下 健先生の調査、監修によるものです。

八十八坂をやすやすと 越えて白寿や 百路歩まん

満き流す 丹生の杣川 秋ふけて いく山のはを めぐりこぬらん

我もまた いそげばここに 紀伊国や かねては遠き 里と聞けども

忘れても くみやしつらん 旅人の高野の奥の 玉川の水

 

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   涼倉付近
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   宿り温泉河原
 大将軍ケ峯  玉川四十八石   駒ケ嶽之事   銅ケ嶽之事

          四十八石の地図読み込み270Kバイト)

大将軍ケ峯  亀山の峯共云う 周り五町 高さ丹生川告の岩より○○七町久保田和より高さ二町 銅ケ嶽より少し離れ獨り山の如し 古老の日く 昔高市皇子と云う人ここに遠見の笠を忘れ置き給う 相続きて藤原蔵下麿という人来り 天慶の頃小野々好古巡見してその地理を賞して大将軍ケ峯たるべしと云ひ是が為にて今大将軍ケ峯と云う 古名を亀山と呼ぶ 正平の頃楠木正成の命を受け恩地太郎以下六十五人陣を敷く

此の峯より六町東繰り出し東武○と戦い 賊方五人討取り時に正平十三年(1358)

二月是を北又村犬の墓と云う所に埋葬す 児玉O村北畠葛原赤橋等也 又戦刀を洗いし水ありて是を勝負の井戸と云う 此の処を操柄とも戦場た畝とも云う也

昔住天皇御製 まき流す 丹生の曾摩川 秋ふけて 幾山のはを めぐり来ぬらん

古老日く筒香村の流れより九度山に至る迄七里の間流れしたたるを田摩川云う

此の眼目たる処は丹生川村に田摩山と云う山三ケ所有り 此の山より上に丹生明神の社有り是故に丹生の川上の社とも云う 此の田摩川の流れ六七里の間に神遊ばせ給ひし鎮座の怪厳石四十八ケ所有り各石ごとに名有り左に記す

 

塩竃     河根村字塩の瀬と云う炭酸泉の涌き出る洞富である入り一つで奥で二つに分かれる柿二間有

赤石(丹石) 当村の領族に赤石と呼ぶ川中に有 長さ三軒巾一間半 高さ一丈川中に生えたる如し
            根元不明生石也と云う

朝日石    大日石共云う 二間四方高さ一間 地獄渕に有

滝     高さ十二間 巾銚子口半間 大水の時は二つになりて落る其の時の広○六間

幸神石    多摩八幡の前に有 祭神中西茂右ュ門 高さ二間四尺 周り三間半

女夫石     多摩山前に有 高さ一間長さ 二間巾一間 女夫石二つ  山伏石 螺石各二つ有 

山伏石     同所に有長さ四間半巾三間半高さ1間半同所に有  隔たる事一丈二尺 表三間 巾二間 
                             高さ一間 右に石共根は一つにて根元広さ不明

螺石(ほらがいいし) 同所に有 長さ四間半 巾三間半 高さ一間半

聖人の竃   田摩岩井谷に有  高さ六十五間 中央に二間四方の洞窟有 巾三十間 大磐石之其傍に
           四尺四方岩つぼの井戸有 深さ一丈 希代の井戸是を呼んで岩井谷と云う

馬背山   氏神の祠有 下田摩山と云う 高さ川底より九十間 長さ一三五間是は東西なり 
                     南北七十五間 川の廻り六町四十間

静窟石    下川筋に有 高さ一丈 長さ三間 石上に三尺に二尺の岩つぼ有

烏帽子石   舟迫尻に有 高さ一丈四尺 巾一丈 厚さ四尺

祝詞の石   川中に有 高さ七尺 巾一丈三尺 長さ二丈 昔丹生明神玉出嶋え流され行給ひし時を
            奉りたる石と云うなり

矢頃石    小西の下に有 長さ二間 巾三尺 深さ不明

若子石    産子石とも云 高さ二間 巾一間 周り二丈八尺

三つ滝    上の滝二丈 滝つぼ渡り一間半 広さ二間 深さ一間の岩つぼ有 古来由緒あれ共不明

茶壷石    中越に有 長さ二尺 横一尺 深さ不明 蛇住

亀石      井本氏の庭前 南朝の頃玉川官と云いしを今亀石南北六間 高さ二間   深さ不明
          下の井戸六尺四方 子亀石の長さ一間 周り一間半   寛攻玉の御魂を察りし祠有

澤滝      明神滝とも云 植木谷に有 直下三丈 巾一間 其滝つぼ二間四方

八丈石    八葉石共云 神前の川中に有 高さ二間余 周り四丈 希代の名石

玉山       朝塚山とも云 中井平に有 右は貴き方故有りて此処に奉葬して朝塚と申し伝え
           朝廷の墓山故に女人を禁ぜられる 澤の高さ一町余 周り三町
 余其他に川の周り六七町
           長慶天皇の墓山とも云

枡石       玉渕の尻に有 一丈四方

キツネ渕   是は四十八石の外 菊谷と云所に有

比良石     藤渕の尻に有 長さ三間 高さ八丈 巾三間

猿飛石     市平に有 男石長さ五間 横四間 高さ四間 女石0六間 高さ二間

甲石     市平領に有 長さ二間半 巾一間二尺 高さ十一間半

筋石       長さ五間 高さ四間 横三間の大石なり  中石小石今三つ有 大明神の00に有

上玉山

座石     平見東の尾尻 川中に有三間四方

丹生の滝   丹生川村彦谷との域に有 高さ十三間半 銚子口二尺 大水の時は滝の巾十間 
                               青袋の滝共云  
 彦谷村領に有 高さ三間に周り十二間

括石(かちいし)   彦谷村領に有 高さ三間に周り十二間

戸立石      彦谷領に有 三間半 四方中に岩坪有

弓張石    橋立の中央に有 高さ四間 広さ三間半 周り十三間 石上の広さ三間  四方のヒラダン有

橋立        彦谷領に有 高さ十五間 周り六十間 是は北より 南方高さ一二間周り二十二間

休石        彦谷尻の渕の所に有 男石周り十立間 高さ二間半 女石周り十三間  高さ二間

鏡石       彦谷領戸立渕の上に有 周り十三間 高さ三間半 石頭に鏡立ちたる如し 
            水溜りの石つぼ三尺に二尺深さ八寸のつぼ有

烏帽子岩   川口村に有 長さ一丈 立五尺続根元十間 横三間 立三間

編滝     此の滝三つ続きて有 中の坪広さ十間四方 下の坪五間四方 上の滝一間四方 高さ各二間 

赤子鳴石   柿平村に有 高さ十六丈 周り三十間 

涼倉(すずみくら) 宿り領に有 高さ八間 周り十二間

宿り滝      宿り領に有 滝谷尻に有 高さ七丈五尺五寸 坪二間に三間

水神石     同村領に有

明神石     筒香川に有 風土記に詳細有

喚ヶ滝     筒香村明神石の上

獨狗石     下筒香村に有

座頭石     筒香社前の下に有

大原石     同地川向に有 俗に禊石と云

滝の本     東富貴に有

石の本石   中筒香村に有

神子石    丹生川村滝の又に有

容護石     高野山領域に有 亦雪生山共云 尚銅ヶ嵩共云 此の銅ケ嵩へ田摩川の川底より
                             高さ七十町にして水は田摩川に落る

白駒ケ嶽   俗に嶽山と云 彦谷村に有 高さ川底より○縄四町 古老の云人
           皇四十七代淡路廃帝亦四十九代光仁天皇の御宇当村社 雨を祈り給うに付
           又照る日を祈り給うに付 黒馬と自駒とを献じ給う
           其の后 白馬を此の山に埋めしより白駒ケ嶽と云 東南西の方
           田摩川にして北の方紀ノ川に至る短山踏張りたる山あり 北の方尾尻
           に黒馬と云所有 此処え黒駒を埋めし由なり

 

    裏吉元年(1441)辛酉正月一日     刀祢左近四郎源家近

    享徳元年(1452)壬酉正月吉日     刀祢左衛四郎写し 右古書虫食破損し故に今写し替

    嘉永五年〈1852)二月三日        小松孫右工門

 ほしあえぬ  袖ざに露を よろずよ乃 亀井の元に うつし来て見む

この「玉川由来記」は九度山町河根の西 保太郎氏(故人)が上記の写本を写し替えたものです。
はじめに、「誤字、難解の字などあり、虫食いの為に書き写しに少々の不都合の点もあり、600年近い昔の事でありますから其の点御判読下さいませ。特に筆者は目が悪く、小さき文字は書き難いのでお許しを乞」と断り書きをつけてあります。そのコピーをもとに、原文になるだけ忠実に写しました。