御同朋の社会を目指して!


「tomo」のつぶやきU


                  ===

12年3月17日(土) 「医療と差別A」
 死には@生物学的死A社会的死B関係性の死の三つがあるという。@はいわ ゆる「死の三徴候」によって認定される死。Aは、例えば長期の行方不明者など 社会が死んだものと見なしたことで生じる死。Bは家族や親友の死を遺された者 が受け入れた時に生じる死である。この中でも特にAの社会的死を社会(世間) から宣告されることによって生じる差別がある。まず高齢者差別である。高齢者 差別は、「高齢者は社会にとって不必要なもの」と社会から宣告されることによっ て生じる差別である。そしてハンセン病差別である。かつてハンセン病患者は、 「国辱」などと言われ隔離や断種などあらゆる人権侵害を強いられた。いずれも 生物学的死よりも先に社会的死を宣告されることで生じた差別である。
12年3月15日(木) 「医療と差別@」
 先日、差別の視点から医学・医療を考えるという研究発表を聞いた。
 江戸時代、医者はどちらかというと被差別者であったという。確証はないが、病 気というのは「業病」という言葉があったように罪の穢れ(罪穢)から生じると考え られいて、それに関わる医者も同じようにケガレた存在と見なされていたのでは ないかと推測される。ちなみに医者以上に差別されていたのが、今でいう看護師 (婦)であった。医者と同じように不浄なものを扱う者ということに加えて、女性と いうことで一層差別されたと考えられる。そのような差別の中で「医者坊主」という 言葉が生まれてくる。よく時代劇などに出てくる医者というのは剃髪している。つ まり僧侶の形を模した医者が登場する。僧侶といえば、封建社会の中で大きな 権威を持つ存在であった。その僧侶の権威を借りることで、被差別者でありなが らかろうじて医者という存在が認められていたのではないかという提起であった。
 ところが明治維新後、医者のステータスはぐんと上がる。その理由として戸籍 制度をあげることが出来る。富国強兵・近代国家の樹立をめざす明治政府は徴 税や徴兵の必要性から戸籍管理を強化する。その過程で、それまで僧侶がして いた人の生死の判定を医者が担うこととなり、医者のステータスはぐんと高くな る。つまり国家権力の介入により医者は被差別の立場から解放されたのであ る。そして逆に戦前・戦中にかけては差別者になっていく。例えば、戦争中、細菌 兵器の開発などを目的に中国大陸で人体実験や生体解剖を繰り返した731部 隊などがその典型である。それは優勢思想に基づき障がい者やユダヤ人を迫 害したナチスドイツの医者にも当てはまる。ちなみに戦後のドイツは医学界含め 社会全体で徹底的自らの戦争責任を追及した。その結果として、「患者の尊厳を 何よりも大切にする」といった医療倫理が生まれてくるが、日本の場合、医学界 を含めてそれがほとんどなされなかった。例えば731部隊のケースでは、米軍と の取引によって関わった医師(研究者)の罪が不問にされ、彼らは戦後も病院や 大学、製薬会社などで重要なポストを占め続けたという。それらが戦後の薬害エ イズなどの深刻な問題の背景にもなったという。
12年3月1日(木) 「御同朋の社会をめざす運動とは?A」
 「宗教教団の公益性」という言葉を最近よく聞く。法律のこは詳しくないので間 違っているかも知れないが、宗法法人は原則無課税である。そこには「宗教法人 には公益性がある」という前提があるんだと思う。しかし昨今、消費税増税議論 に見られるように国家財政は思わしくない。そこで宗教法人にも課税をすればい いという議論があるという。「公益性がある」と言いつつ、社会の諸問題に積極的 に関わらないどころか、「葬式仏教」と揶揄されたその「葬式仏教」すらしない宗 教界、特に伝統仏教界に対する批判も含まれているんだろう。
 そこで仏教界ももっと積極的に社会の諸問題に関わっていこう!とする動きが 最近見られるようになった。特に、文化人類学者の上田紀行さんなどが「がんば れ仏教!」といった本を書いてエールを送ってくれている。全国にはコンビニの倍 以上のあたる7万のお寺がある。それらが人々の悩みを受け止めることができ れば、自死などの問題にも貢献できるはずであると、以前研修会でおっしゃって いた。また、今回の東日本大震災では、たくさんの宗教家や寺院がいち早く被災 地の支援に入り、犠牲者の供養や悩み相談等を行い、改めて世間からその役 割が見直されているという。人々の苦悩に寄り添う、それがお寺やお坊さんの本 来の役割であるんだろう。
 おそらく今回、私たちの教団において「御同朋の社会をめざす運動」が提起さ れた背景にはこのような事情もあるんだろう。そのことに関しては異論は全くな い。しかし忘れてならないのは、「社会のために」とか「教団の公益性」と言いなが ら、教えを捻じ曲げてまでも国家が推進める戦争に協力したり、被差別部落の 人々を差別してきたのも私たちの教団だったということである。そのことを私たち はこれまでの基幹運動の中で「真俗二諦」として学んできた。その学びをどこまで 継承した上での新たな運動の提唱なのかが全く見えてこないところに、一抹の不 安や「基幹運動潰しのための方針転換」といった穿った見方が生じてくるのだろ う。
12年2月29日(水) 「御同朋の社会をめざす運動とは?@」
 先日、中央基推委で提起された新運動計画(案)や4月以降の宗派の組織図な どを見た。よくここまでこれまでの基幹運動(門信徒会運動・同朋運動)を教団内 から消し去ったものだなと逆に感心した。
 特に同朋運動については、差別事件や差別制度が依然として教団内に根強く 残る中、何の総括も現場の声も聞くことなく60年以上の運動をきれいさっぱり消 し去っている。例えば、社会部の中に人権問題を担当する部署が新たに作ら れ、更にそのもとに弁護士などを加えた第三者委員会を設置するという。おそら く差別事件などが起きたらそこで対応するんだろうが、そんなものは同朋運動で もなんでもない。単なる犯人探しや運動団体対策を念頭に置いた事件対応主義 でしかない。差別事件を通して背景にある教団の差別体質や制度を見直してい こうという同朋運動とは全く異質なものである。その他にも、これまで運動の重点 項目であった「御同朋の教学の構築」や「門信徒との課題の共有」は一体どこに 行ってしまったんだろうか?重点プロジェクト推進本部という部署が出来て、そこ から全教団人が取り組むべき特に重要だと思われる課題が今後提示されるらし いが、そこで「御同朋の教学の構築」が掲げられるのだろうか?まさかとは思う が・・・。
 これまでの運動の成果と課題を引き継ぎ更なる運動の発展を目指すために 「御同朋の社会をめざす運動」を新たに始めるとのことであるが、「もう教団には 差別はありません。だから運動はしません」とはっきり言ってくれた方がよっぽど スッキリしたんだと思う。「新たなはじまり」を言うのであれば、中途半端にではな く、そこまで徹底して欲しかった・・・。
12年2月25日(土) 「宗法改定後の運動」
 先日、宗法改定後の運動をテーマにした研修会に参加した。
 今回の改定の根底には1980年代に教団内で提起された「ポストモダン論」とい う思想がある、と数年前に中央基推委で報告された池田総務(当時)の講演録を 例に講師から説明があった。「ポストモダン論」とは、近代社会の理念でもある自 由や平等など戦後の日本社会が築き上げてきた価値観を超え、許しや感謝、お 蔭様、ありまのままの違いを認めるといった価値観に重きを置く考え方だという。 確かに「それぞれの違いを認めていく」と言えば、聞こえはいい。例えば、障がい 者差別などそれぞれの違いを認めずに自分と異なる者を排除していく差別問題 などには有効である。金子みすずさんの「みんな違ってみんないい」という風に。 しかし、例えば、部落差別に対してはかえって差別を肯定し助長する役割を果た す危険性があるという。つまり、被差別部落に生まれたのも、貧乏な家庭に生ま れたのも、みんなそれぞれの違い。それぞれの違いを認め、互いが互いを許し あいながら、みんな仲良くなっていこう!というとんでもない考え方に陥る危険性 があるということである。
 このポストモダン論的な考え方は、何も戦後の話だけではない。明治・大正期、 全国水平社が本願寺教団に対し差別撤廃の協力を求めたとき、当時の西本願 寺の管長代理であった大谷尊由が同じような論理で平等な社会の実現をめざす 水平運動を「悪平等論」であると非難している。つまり90年以上も前からこのよう な考え方が教団内にあったということである。
 戦後の同朋運動や基幹運動はそのような考え方を批判し続けてきた。それに より、80年代のゆり戻しはあったものの、表面的にはそのような考え方は教団内 から駆逐されたかに見えた。しかし今回の改定で再び前面に出てきたことにな る。運動に勢いがある時はひっそりと影を潜め、運動が弱体化してきた頃を見計 らって、一気に表舞台に出てきたのだろう。私たちの教団の深淵においてずっと 昔から受け継がれてきた地下水脈から。そして、その絶ち難い水脈とは言うまで もなく現在の「教学」である。そのような差別を肯定し生み出す教学から差別を許 さない教学を打ち立てていこうとするのが「御同朋の教学の構築」である。
 今や運動の目的(同朋教団の実現)もその目的地に辿り着くまでの手段(御同 朋の教学の構築)も明らかになった。これが同朋運動の最大の成果だろう。
12年2月23日(木) 「被差別者としての親鸞」
 先日、「親鸞は被差別者だった」という主張を「罪穢」という視点から考える研究 発表を聞いた。
 差別を生み出すケガレ意識には、死にかかわるケガレ(死穢・黒不浄)や女性 の生理や出産にともなう血にかかわるケガレ(赤不浄・血穢、白不浄・産穢)が有 名であるが、罪を犯した者を「ケガレた存在」とする「罪穢」という考え方もある。 そこから流罪(流人)となった親鸞聖人も「罪穢」の中にあったのではないか。
 例えば、「後深草院崩御記」という史料には、各地の悲田院や清水坂にいた非 人と並列するかたちで検非違使が管轄した牢屋である「獄舎」や六波羅探題が 管轄した牢屋である「大籠」にいた非人に対し泉涌寺の覚一上人が非人施行を 行ったという記述がある。つまり、当時の社会では罪人は非人であり、ケガレた 存在であり、被差別者であったということではないか・・。
 また、「御絵伝」には輿に乗せられて流刑地に向かう親鸞聖人の姿が描かれて いるが、なぜ罪人が輿みたいな立派なものに乗れるのかという疑問から、あれ は籐丸籠、つまり罪人が乗せられる籠ではないかという。そしてその籐丸籠は棺 桶にも通じる。当時の流罪は死罪と同等で、罪人は流刑地に向か際、後ろ手に 縛られ検非違使(?)から首を刎ねられる擬似処刑の儀式が行われたとも。つま り流罪に処せられるとは処刑されるのと同じで、そこにはもちろん「死穢」なり「血 穢」が生じたはずである(決して親鸞聖人が貴族の出身だったから流人でありな がら立派な輿に乗せられたということではないのだろう)。
 その他にも、法然教団があった東山吉水という土地柄や、彼等が当時の貴族 達が「死穢」として忌み嫌った葬送儀礼も平気で行っていたとすると、専修念仏者 自体が当時の貴族社会から「ケガレた存在」と見なされていたのではないかと も・・・。
 「親鸞は被差別者だった」かどうかは、今後歴史研究が進むにつれて徐々に明 らかになってくるんだろうけど、なぜ運動の立場から「親鸞は被差別者であった」 と問題提起されるようになったのか?それは、親鸞聖人を殊更貴族化・神聖化 することで、その権威を利用しながら自らの特権を享受・維持しようとする人々が 今でもいるからだろう。権威の相対化・同朋教団の実現、それが同朋運動の目 的である。
12年2月8日(水) 「全国集会in広島 報告H」
【報告V 福島から 佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワー ク世話人)】
 佐藤さんより原発事故からこれまでの福島の状況について以下のような報告 があった。
◆放射能の恐ろしさは、目に見えないし匂いもせずいつどこで被曝したかも分か らないため、何十年か後に癌や白血病になって初めて被曝したことを知るところ にある。福島の人々は、たとえ原発が停止したとしても、この恐怖に生涯怯え続 けなければならない。また、今回の震災や事故で一番被害を受けたのは障がい 者など一番立場の弱い人たちである。
◆福島では「避難した住民」や「避難を呼びかける住民」が経済界や地元自治体 (自主避難者に対して助成金を支給しないなど人口流出を食い止めることに躍 起)のみならず、故郷から離れたくないと思う同じ住民からも非難される状況があ る。原発事故以降の政府が発表する「放射能安全神話」と情報隠蔽は、家庭や 職場、地域住民の絆すら断ち切ろうとしている。
◆4月19日、文科省は子どもの被爆許容量をそれまでの20倍である年間20ミリ シーベルトとすることを決定した。その撤回を求める保護者らの運動により、現 在では「1ミリシーベルトを目指す」となり、ようやく学校除染のための予算が計上 された。
◆「自分の身は自分で守るしかない」という気持ちで、子供への被爆に不安を抱 く同じ親たちが集まって「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」を結成し た。主な活動は、放射能測定や除染活動、啓発のための講演会の開催などであ る。しかし除染などは市民の力だけでするのには限界があり、本来は国が責任 を持ってすることである。それを国は僅かな助成金とボランティアでしろと言う。
◆11月27日、「もう、黙っていられない」と立ち上がった福島の女性100人が経産 省前で座り込みを始め、その願いは「全国の女たち」へと広がり、12月1日からは 「とつきとおか(十月十日)の座り込み」が行われている。
12年2月2日(木) 「全国集会in広島 報告G」
【パネルディスカッションU 田中利幸さん、佐藤幸子さん、氏本長一さん】
 3名の講師(報告者)と会場の参加者の間でパネルディスカッションが行われ、 原発の問題性やこの国の在り方、今後の可能性等について以下のような意見が 交わされた。
◆広島の場合、原爆投下の8〜10年後に白血病などの病気を発症する人が多 かった。福島の場合も、それぐらいの期間で今回の被爆の結果が出てくる可能 性がある。そのとき、日本の経済状況によっては被爆者が国から見捨てられる こともあり得る。広島の場合、戦後の混乱期、原爆症に苦しむ多くの人々が貧困 や差別、孤独を強いられた。
◆日本の原子力産業界は原発をまだ諦めていない。日本では無理でも海外へ の売り込みを加速している。原発と核兵器開発は表裏一体。それすら無視し「金 さえ儲かればどの国であろうと売る」という傾向が見られる。今後、核の拡散、核 の軍事利用が増えてくるだろう。
◆故高木仁三郎さんは「核(原発)は人間が生きる原理と相容れないからこそ反 対」と言った。
◆自分の生活の場から「脱原発」に向けた運動は出来る。使わないコンセントを 昨日より一つ多く抜くなど様々なかたちがある。
◆祝島には真宗の寺が三ヶ寺ある。その門徒が原発に反対している。一方、最 新の原発に「もんじゅ」や「ふげん」の名前が冠せられたとき、仏教界の一部は諸 手を挙げて歓迎した。権力は宗教を常に利用しようとすることを忘れずに。
◆ドイツは福島の事故をきっかけに大きく脱原発に舵を切った。一方の日本はこ れだけの大惨事を目の当たりにしながら、中々その方向性が示されない。そこに は両国の歴史教育が影響している。ドイツは戦後、ナチスの犯罪を徹底的に学 校で教えてきた。そこから学んだことは「国家も間違いを犯す」ということだった。 その教訓が国民の「脱原発」への選択につながった。残念ながら日本は過去の 歴史を曖昧にしてきた。過去を直視できる人は将来をも見通すことが出来る。
◆日本は政治家も国民もみんな「タテマエ」だけで生きてきた。今回のように本当 に命の危険に晒されたときに「ホンネ」がやっと出る。しかし、その時にはもう遅 いことが多い。学校教育然り、いつも「ホンネ」で話す訓練が必要である。
◆福島の事故の後、福島原発でも使用されているウラン鉱石を採掘するオース トラリアの先住民女性が国連の事務総長に手紙を出し、「申し訳ないことをした。 ウランの採掘をすぐに止めるよう働きかけてほしい」と訴えたという事実がある。
◆放射能による被害者(核兵器、核実験、原発、ウラン鉱山など)が連帯するこ とで世界に訴えかける「世界被爆者大会(仮)」を構想したい。
◆被爆者の痛みを共有するところに連帯が生まれる。そしてその連帯はよろこ びの共有へとつながっていくはずである。
12年2月1日(水) 「全国集会in広島 報告F」
 その他にも、戦争中に原爆の開発に関わった湯川秀樹などの科学者の存在 (核の軍事利用には反対であっても平和利用については推進・黙認)や戦後保 守政治勢力の改憲・核武装への野心が日本における原発の推進の動因になっ た。特に、1953年の夏に米国政府のお膳立てでハーバード大学のセミナーに参 加した中曽根康弘はこの時、日本の核兵器保有に強い関心を持ったと言われて おり、翌年3月には原子炉建造のための予算が国会で可決される。まだまだ石 油が安かった時代。核兵器技術保有の為の原発開発だったと言える。そしてそ の思想は、福島の事故をきっかけに「脱原発」が叫ばれた時、「原発を止めたら 核技術がなくなる。抑止力にならない」と言った現在の保守政治家に受け継がれ ている。
 もとからして「軍事利用」のための原子力であった。その「軍事利用」を隠すカモ フラージュとしての「平和利用」でしかない。「石油(石炭)の平和利用」という言葉 がないのがそれを物語っている。
12年1月31日(火) 「全国集会in広島 報告E」
【報告U 広島から 田中利幸さん(広島市立大学平和研究所教授)】
 田中利幸さんより「原子力平和利用」と日本の核兵器製造能力維持政策」と題 して以下のような報告があった。以下、要旨。
第二次世界大戦後のソ連との冷戦を受け、米国は核技術の応用として燃料交 換なしで長距離を航行できる原子力潜水艦の建造を進める。この時に開発され た原子炉(沸騰水型「マークT原型」)と同型のものが福島第一原発の原子炉と なる。
米ソ間の緊張が高まる中、1953年12月8日、アイゼンハワー米国大統領が国連 で「Atoms for peace(原子力の平和利用)」の演説をする。その背景には、@「核 保有国による核の独占」と「非保有国への平和利用に限った限定使用容認」とい う現在のNPT(核不拡散条約)体制につながる戦略と Aアメリカ軍需産業によ る西側同盟諸国資本の支配という二つの戦略があった。
 それに基づき米国は日本にも原発の導入をはたらきかけるが、当時はまだま だ広島・長崎への原爆投下の記憶やビキニ環礁水爆実験(1953年3月)による第 五福竜丸の被爆問題などがあり日本人の核に対するアレルギーは強く、容易で はなかった。そこで米国政府並びに関連企業は原発導入に向け様々なキャンペ ーンを日本国内で行うが、そのターゲットとなったのが世界初の被爆地である広 島であった。例えば、1954年9月21日、米国原子力委員会のトーマス・マレーは 「広島と長崎の記憶が鮮明である間に、日本のような国に原子力発電所を建設 することは、われわれのすべてを両都市に加えた殺傷の記憶から遠ざからせる ことのできる劇的でかつキリスト教徒的精神に沿うものである」と述べ、米国の援 助による原発の日本国内建設を提唱している。また、1955年1月27日には米国 下院で、広島市に日米合同で原発を建設する決議案も提出されている。この時 の広島の被曝者の大半の反応は「原爆症の治療を優先するなら」という条件付 きであったが、「原子力の平和利用」に概ね賛成であったという。
 また米国は「Atoms for peace」政策の心理(=洗脳)作戦の一部として全世界 で「原子力平和利用博覧会」を開催するが、日本でも読売新聞社主であった正 力松太郎の支援を得ながら全国の主要都市で開いている。特に広島では1956 年5月27日から約3週間にわたり、前年8月に開館したばかりの平和祈念資料館 を会場に開催(入場者数約11万人)し、閉会後、必要な展示物を同資料館に寄 贈するという徹底ぶりであった(1958年の「広島復興大博覧会」においても同様 の展示を同資料館行っている:入場者数約92万人)。核兵器の悲惨さを訴える 同資料館で開催することで「核兵器=死滅/原子力=生命」という鮮烈なイメー ジを被曝地に植え付けるねらいがあった。この効果は絶大であった。地獄を味 わった被曝者だからこそ「原子力の平和利用」の中に一種の「救い」を求めたの かも知れない。いずれにせよ「毒をもって毒を制す」ごとく、以後、この被曝地の 「お墨付き」を最大限に利用しながら「原子力の平和利用」が推進されていくこと となる。
12年1月30日(月) 「全国集会in広島 報告D」
【パネルディスカッションT 安斎育郎さん、氏本長一さん、佐藤幸子さん】
 3名の講師(報告者)と会場の参加者との間でパネルディスカッションが行わ れ、原発の問題性や今後の課題、展望について以下のような意見が交わされ た。
◆原発事故は、一定の放射能を瞬時のうちの拡散する核爆弾と違って、毎日の 運転によって生じた半減期の非常に長い放射能性物質が、ある日、突然、大量 に拡散されるところにその恐ろしさがある。
◆今回の事故が地震によるものか、それとも津波によるものかという議論がある が、日本は地震列島であるということ、また、大量の冷却水を必要とする原発を 日本に建てようと思えば海岸沿いになるのが必然で、いずれにせよ問題である。
◆何の価値もない放射性廃棄物を、何の関係もない子や孫に押し付けることの 倫理上の問題はないのか?原発推進に費やしてきた莫大な金を、自然エネルギ ーの開発などに振り向けるべきである。
◆電気は大量に蓄積出来ず、電力会社は夏期や冬期のピーク時に合わせて電 源開発をしてきたため、春や秋には大量の電気が余る。この電力消費を平均化 できれば、原発がなくても経済は十分に動いていくはずである。例えば、昨年の 夏、高校野球の決勝戦を午前中に変更したような節電を社会全体で進めるなど 方法はある。
◆国や企業による情報の隠ぺい(操作)に対しては強く情報公開を求めるととも に、これからは「知識詰込型」ではなく、情報を元に自分で考え、判断できる「主 体型」の教育が必要である。
◆今回の事故でも明らかになったように放射能の問題は国境を越えていく。そう いう意味では、原発を推進する韓国や中国の動きも無視できない。東アジア全 体で考えていかなければならないが、残念ながらこの地域には「歴史問題」という ネックが常にある。福島の事故の教訓をいかに世界の国々と共有できるかが課 題である。
◆多数決ではなく、それぞれの違いを認め時間をかけ徹底的に議論することで 結論を導き出していくことが本当の民主主義である。
◆電力にどっぷり依存してきた国民一人ひとりの意識を変えていけば、国も企業 も変わっていくはずである。「私」がどう生きるかが問題であって、そこに僧侶の 役割があるのではないか。
12年1月29日(日) 「全国集会in広島 報告C」
【報告T 祝島から 氏本長一(祝島未来航海プロジェクト代表)】
 祝島では中国電力の上関原発建設反対運動が30年にわたり続けられてい る。
 上関原発建設を巡っては、「人並みの生活をするにはカネが要るから、やはり 原発は必要だ」と賛成する人々がいる一方で、「毎日、海からこんな恵みをもらっ て暮らせる生活自体がそもそも人並み以上の生活です。その海をカネで売って 原発を建てさせるのは自殺行為で、ご先祖さまや孫子に顔向けができません」と 11億円もの補償金の受け取りを拒否し反対を貫く人々がいる。
元々、祝島の人々の生活の中には「小規模分散、自立型、持続性、循環性」を 重視する発想があり、原発はそれと全く相反する「大規模・集中、依存型、非持 続性、非循環性」の象徴であって、この二つの価値観の衝突現場が「上関原発」 であると氏本さんは言う。
 また氏本さんは、単に原発反対を主張するだけではなく、原発がなくても豊に 暮せることを実証するため「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」を立ち上 げ、いのちのつながりを大切に自立した地域社会の実現をめざす取り組みを行 っており、これからの日本社会のモデルになればと抱負を語っていた。
12年1月28日(土) 「全国集会in広島 報告B」
 今後、百年単位で深刻な影響を及ぼすであろう原発事故を防ぐことが出来な かったことに原子力の専門家として申し訳ない気持で一杯だと安斎さんは話す。
 安斎さん自身は東京大学工学部原子力工学科の第1期生として入学し、当初 は原子力の未来に希望を抱いていたというが、次第に原発の安全性に疑問を抱 き始め、これまで約40年間に渡り反原発運動に携わってきた。その間、教授や 同僚からの無視は言うに及ばず研究費や昇進に関する差別、排除、懐柔などあ りとあらゆるアカデミックハラスメントを受けた。しかしそんな嫌がらせの中でも、 安斎さんを支え鍛えていったのが反原発を訴える地元の人々だった。そんな 人々に応えるためにも、安斎さんは原子力のスペシャリストから、原発(事故)や 放射能が経済や人体に及ぼす影響などあらゆる分野に精通する原子力のジェ ネラリストになっていったと自身を振り返る。
 そして安斎さんは最後に、「米国の戦略・日本政府・電力会社・官僚・学者・マス コミ・地方自治体・地元の推進派」からなる「原子力ムラ」が一切の批判を許さ ず、「安全神話」をばら撒き続けた結果が今回の事故を招いたとし、放射能の問 題だけでなく、このように原発を推進してきたこの国の在り方そのものを問うてい く必要があると訴えた。
12年1月27日(金) 「全国集会in広島 報告A」
【基調講演】
 安斎さんから今回の原発事故に対して以下のような指摘がなされた。
 @原発事故を招いた当事者には @隠さない A嘘をつかない B故意に過 小評価しない という三つの遵守すべき原則があり、マグニチュード8規模の余 震が起きる可能性が否定できない現時点においてはこの原則は今も生きてい る。
 A今回の事故では、JOCの事故のような瞬時の大量被曝による放射能障害 (確定的影響)は報告されていないが、低レベル放射能線を長期間被曝し続ける ことで起きる癌や白血病などの障害(確率的影響)が懸念される。それはあたか もいつ「当選日」が来るかも分からない「癌が当たる宝くじ」を強制的に買わされ たようなもので、被曝者は生涯に渡ってその恐怖と不安を背負わされたことにな る。
 B福島原発を最終的に廃炉にするまでには50年以上の年月が必要であり、溶 融した核燃料の処分技術の開発やそれに携わる技術者の育成など前途は多難 である。
 C内部被曝の問題や福島産農作物への風評被害を防ぐためには簡易測定器 の普及や専門家の活用のみならず、今回の事故で明らかになった政府・東電の 隠ぺい体質に対する国民の批判と監視が不可欠である。
12年1月26日(木) 「全国集会in広島 報告@」
 1月24日〜25日、本願寺広島別院にて「フクシマから私への問い フクシマから 国への問い−フクシマ・ヒロシマ・祝島を視点に−」というテーマのもと「「念仏者 九条の会」「安芸門徒九条の会」合同研修会in広島」が開催され、地元広島を含 め全国各地から約70名が学びを深めた。
 最初に安斎育郎さん(安斎科学・平和事務所所長)より「なぜフクシマがもたら れたのか?」との講題で基調講演が行われた。続いて氏本長一さん(祝島未来 航海プロジェクト代表)より「いのちのつながりにささえられて生きる」と題して報 告T【祝島から】が行われた後、佐藤幸子さん(子ども達を放射能から守る福島 ネットワーク世話人)を交えてパネルディスカッションTが行われた。翌日はDVD 「子どもたちを放射能から守れ」を鑑賞後、「原子力の平和利用の真相」と題する 田中利幸さん(広島市立大学平和研究所教授)からの報告U【広島から】と「福 島から国を問う」として佐藤幸子さんが報告V【福島から】があり、最後に田中さ ん・佐藤さん・氏本さんと会場の参加者を交えてパネルディスカッションUを行っ て二日間の全日程を終了した。
 基調講演、各報告、パネルディスカッションの詳細について以下に報告する。 (つづく)
12年1月18日(水) 「女人往生」
 先日、「女人往生」というテーマの研修会があった。もしろん「大経」の「35願(変 成男子の願)」の問題点や親鸞聖人がそれをどのように受け止めていたのか? 親鸞聖人も女性差別者だったのか?ということが主要なテーマとなってくるが、 今回はその前の段階。法然教団はもちろん中世の時代において女性がどのよう に仏教を受け止めていたのかを「承元の法難」を通して考えるという視点から講 義が進められた。印象に残った点を以下に。
@当時の女性は、「推参(すいさん)」といって、当時の顕密仏教が設けていた 「女人結界」などを越えて積極的に仏縁を結ぼうとしていた。
A「承元の法難」の口実となる宮中の女官が出家するという話からも分かるよう に、法然教団の元にも沢山の女性信者がいた。
B宮中の女性が出家したことがなぜあれ程までの後鳥羽の怒りを誘発したの か?それは彼の個人的な感情よりも、もっと重大で深刻な意味があった。今もそ うであるが当時の天皇の主な仕事は国家祭祀であった。清浄なる神聖な空間を 保った上で様々な祭祀が1年を通して行われていた。天皇家がケガレを極度に 避ける理由もそこにあった。一方、宮中の女官はその祭祀の補助的な仕事をし ていたという。例えば、三種の神器などの保管も女性が担っていたと。そのような 立場の女官が専修念仏教団に出入りしている。専修念仏教団内では、平気で葬 送儀礼や肉食妻帯が日常に行われていた。そこから生じる「ケガレ」を女官たち が宮中に持ち込むことを恐れて、あのような厳しい弾圧をした。
Cそもそも当時の女性は「変成男子説」など信じていなかった。恵信尼さんをは じめ多くの女性は「女性」のまま往生を遂げるのだと考えていた。聖教と現場との 乖離があった。
 Bの「ケガレ」の視点から承元の法難を見る点とCの「聖教と現場の乖離」の 話は非常にユニークで興味深かった。
11年11月4日(金) 「こんなの必要ない?話し合い法座(連研)&門徒推進 員」
 先日、「基幹運動(門信徒会運動・同朋運動」をテーマにした話し合い法座があ った。話し合い法座に慣れている門徒さんも多かったので、色々と本音が聞け良 かった面もあったが、一方で本当にこのまま「話し合い法座」を続けていったもい いのだろうかという一抹の不安も覚えた。
 同朋運動に関する話の中で、特によく聴聞を重ねているだろうと思われる門徒 さんや門徒推進員さんから、ちょうど10年、20年ぐらい前に教団内の僧侶や布教 使によってなされ、大問題になったような差別発言が結構多く聞かれた。例え ば、「お願い事はしていけない。阿弥陀さんに全てを任せ、感謝の生活を遅らせ てもらうのが浄土真宗である」と発言する方から「差別の問題など些細な問題。 それよりも後生の一大事が大切である」といった発言が飛び出したり、差別法 名・戒名について「あれは差別ではないのではないか?それぞれが担っていた 仕事の役割として、その(問題とされる)文字を法名や戒名に入れただけではな いか?」と発言する門徒推進員さんまでいた。もちろんそれに反論する人もいた し、最後のまとめの法話で講師から十分にフォローはしてもらったが、何とも後味 の悪い研修会となった。
 中央で開催される中央教習の「話し合い法座」においてもこの手の差別発言が 出ることがあり、その都度、講師やスタッフが訂正していると聞くが、このような 「話し合い法座」ならもう続ける必要もないのではないだろうか?いくら「本音で話 す・聞く」ことが「話しい合い法座=連研」の醍醐味であっても、それによって誰か が傷つのならさっさと止めた方がいい。実際に「この場(連研)なら、本当のことを 話しても真剣に受け止めてくれるはず。みんな同じ御同朋・御同行なんだから」と 信じてカミングアウトされた方が、上記のような心無い発言により「もう二度とこん な所には来ない!」と深い傷を負って帰っていかれたと聞いたことがある。
 もちろんスタッフ一同ちゃんと真剣に、覚悟を持って同朋運動の課題等をテー マとして「話し合い法座=連研」をとことんまでするならまだしも、今みたいに中途 半端に、教団全体が同朋運動に後ろ向きな時に、敢えてする必要があるのだろ うか?私的には今の状態ならもう話し合い法座・連研も門徒推進員も必要ないと 思う。百歩譲ってやるならやるで当たり障りのないテーマでやるなり、もう一度連 研のあり方や門徒推進制度というものを見直していく必要があるのではないだろ うか?
11年10月26日(水) 「自死問題への取り組み」
 先日、自死問題に関する研修会があった。講師から、自死問題に取り組む前 提として「自死(当事者・遺族)に対する差別」という視点と「差別が生み出す自 死」という二つの視点が必要であるとの指摘があった。
 「自死する人は弱い人間」「自死は悪いこと」といった偏見が当事者を更に追い 詰め、遺族の悲しみや苦しみに追い打ちをかけているということを認識した上 で、いかに寄り添っていくという視点と、経済のグローバル化が進む国際社会の 中を勝ち残っていく為に行われている徹底したコストカット・非正規雇用の増加に よる格差の拡大や、それによる新たな貧困層の出現とその固定化など日本社会 に内包する構造的要因が、12年連続年間3万人以上という自死問題の背景にあ るという視点。どちらも欠かすことの出来ない大事な視点であるが、特に後者の 視点を欠いたまま進められている本願寺教団の取り組みは、自死を生み出す社 会矛盾を覆い隠し、結果としてそれを温存・助長する危険性があるとの話であっ た。
11年9月16日(金) 「不敬罪」
 くだらんな〜と思うようなのニュースが二つあった。一つは、天皇が国会に到着 した時に、民主党会派所属議員が携帯電話でシャメを撮ったことが問題となり、 本人が名乗り出て謝罪したというニュース。二つ目は、天皇がモーニングを着て いるのに、国会議員の一部がノーネクタイだったことを問題視し、今後はクール ヴィズ期間中でもあってもネクタイの着用を国会で申し合わせたというニュース。 そのうち不敬罪も復活するのかも知れないな・・・。
 そういえばある民放のディレクターが話していたことがある。西本願寺の法要 の取材許可を取ろうとした時、いくつかの条件がついたという。まず親鸞さんの 木像のアップは撮らないこと。もう一つは御門主様≠真正面から撮影しない ことだったという。生き神様、生き仏様ってところだろうか・・・
11年9月14日(水) 「野田総理の所信表明演説に思うこと」
 昨日の野田新総理による所信表明演説の中で気になる表現があった。以下抜 粋。
 「この国難のただ中を生きる私たちが、決して、忘れてはならないものがありま す。それは、大震災の絶望の中で示された日本人の気高き精神です。南三陸町 の防災職員として、住民に高台への避難を呼び掛け続けた遠藤未希さん。防災 庁舎の無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くあり ました。恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめなかった彼女は、 津波に飲まれ、帰らぬ人となりました。生きておられれば、今月、結婚式を迎え るはずでした。被災地の至るところで、自らの命さえ顧みず、使命感を貫き、他 者をいたわる人間同士の深い絆がありました。彼女たちが身をもって示した、危 機の中で「公」に尽くす覚悟。(略)日本人として生きていく「誇り」と明日への「希 望」が、ここに見出せるのではないでしょうか。忘れてはならないものがありま す。それは、原発事故や被災者支援の最前線で格闘する人々の姿です。(略) 千人を超える方々が、マスクと防護服に身を包み、被曝(ひばく)と熱中症の危険 にさらされながら、事故収束のために黙々と作業を続けています。(略)今この瞬 間にも、原発事故や災害との戦いは、続いています。様々な現場での献身的な 作業の積み重ねによって、日本の「今」と「未来」は支えられています。私たち は、激励と感謝の念とともに、こうした人々にもっと思いを致す必要があるのでは ないでしょうか。」
 命を「公」のために犠牲にすることを「美談」し「奨励」する演説に非常に違和感 を覚える。「(公のために)命を捧げる人」と「捧げられる人」に分けた上での後者 の立場からの上から目線の発想を感じる。そこには「命を奪われた人」に対する 「痛み」や「謝罪」は微塵も感じられない。
11年9月6日(火) 「御同朋の教学とは?〜第三者的立場〜」
 「同朋運動」の「同朋」とは何を指すのか?「全ての者は同じ阿弥陀如来から願 われた仲間であり、互いに助け合い、支え合って生きていきましょう!」といった ものではないと思う。少なくても「同朋運動」の「同朋」とは、「差別」・「被差別」の 立場にある者それぞれが、共に「反差別」の立場に立ち、「差別・被差別」のそれ ぞれの立場からの解放を目指して連帯していく名のりだと思う。
 よく差別問題には「第三者的(中立的)」立場はないと言う。全くその通りだと思 う。そこにあるのは@「差別者」であり、なおかつ「差別」の立場に立つ者。 A 「差別者」であるが「反差別」の立場に立つ者 B「被差別者」であるが「差別」の 立場に立つ者 C「被差別者」であり、「反差別」の立場に立つ者 という四つの 立場のみだと思う。「同朋運動」の「同朋」とはAとCの連帯の名のりであり、@と Bに向けた連帯への呼びかけであったと思う。
 ところが教団内には、この四つの立場のどれにも立とうとしない者がいた。「差 別者」でありながら、それを認めることなく、「第三者的」立場に立って、同情・融 和から差別問題に関わろうとする者である。同朋運動が闘ってきたのは彼らであ る。
11年9月5日(月) 「御同朋の教学とは?〜差別の現実からの出発〜」
 口では十方衆生の平等の救いを説きながら、現実には被差別部落の同朋を 差別し、その矛盾にすら気づかない信心(教学)の在りようを厳しく問う言葉として 「信心の社会性」が被差別者の側から提起されることとなる。以後、この「信心の 社会性」を運動を進める上でのキーワードの一つとして「教団と僧侶のあり方を 問う」ための研修会が教区や組において開催されることとなる。
 ところがこの「信心の社会性」、教団内で猛反発を受けることとなる。その言い 分はこうだ。「信心の社会性≠フ出拠はどこだ?お聖教の何ページに出てくる んだ?」といったものから「そもそも信心に社会性などあるのか?念仏者の社会 性ではないのか?」といったものまで様々。自分達が差別してきた門信徒からの 悲痛なる問いかけを真摯に受け止めようともせず、逆に開き直るかのような、お よそ僧侶(宗教者)とは思えないような態度に出る僧侶が多数いたという。しか し、そのような自らの非を認めたくない教団人からの誹謗中傷があろうとも、差別 の現実から問われてきた「信心の社会性」は、教団と僧侶、信心、教学の在りよ うを厳しく問いかける言葉として微動だにもするはずはなかった。
 ところがである、6年前の現期間運動計画からこの「信心の社会性」という言葉 が姿を消してしまう。当時の中央相談員の説明は「これまでは信心の社会性 ≠ニいう言葉の定義付けだけにとらわれて、不毛な論争ばかり続き、本来その言 葉が問いかける中身の議論まで至らなかった。しかし信心の社会性≠ナ問わ れたことは御同朋の教学の構築≠ノよって問われ続けることとなる」というも のだった。確かに「信心の社会性」によって問われた課題は「御同朋の教学の構 築」によって具体的に実践されていく面はあるだろう。しかし運動の原点でもある 「信心の社会性」を運動計画から削除したところには、もっと他に理由があったこ とが後に判明する。
 現在、教団中枢部で運動を推進しているかに見える人々は「御同朋の教学」を 次のように説明する。「苦難の人生を歩んでいるお互いが阿弥陀様の智慧と慈 悲とに照らされて包まれている御同朋だと気づくことで憎しみ争い傷つけている 現実を乗り越え、許し愛し合うお互いになれるのではないでしょうか」と、まさに 「信心さえあれば差別はなくなる」といった信心至上主義を懲りもせず主張してい る。信心に目覚めたはずの僧侶が差別をしてきた、御同朋と気づいたはずの僧 侶が差別をしてきた、そんな「差別の現実からの出発」というこれまでの運動の 成果、大前提を全く無視するものである。「信心の社会性」という「差別の現実」 から問われた言葉をあの時、抹殺した理由がここにあったのだろう。つまり、こ れまでの運動の積み重ねの中でつむぎ出されて来た「御同朋の教学の構築」 と、今の教団の中枢部が叫ぶ「御同朋の教学の構築」とは全く異なる異質のもの だということが分かる。
11年9月4日(日) 「御同朋の教学とは?〜教団の差別を支えるもの〜」
 点検糾弾会や差別法名・過去帳調査などを経験していない私のような若手 (?)が同朋運動に取り組む時、同朋運動の本当の敵≠ヘ何かと考えること がある。本当の敵≠ヘ類聚制度(僧班・寺班)や院号問題、門主制など教団 内に残る差別制度だろうか、それとも私たち僧侶が無意識の内に持っている差 別意識・体質だろうかと。そしてそれらを教団内から一掃すれば、教団も真の意 味で同朋教団になることが出来るのだろうかと考えることがある。
 しかし最近やっと分かった気がする。本当の敵≠ヘ教学だと。差別を肯定す る業・宿業や戦争を肯定した真俗二諦論は言うまでもなく、「念仏さえ称えておけ ば死んだらお浄土だ!有難い!もったいない」とさえ言っていれば事足りるような 教学、浄土が世間の批判原理となりえない教学、教えが今を生きる指針とならな い教学、つまり「信心の社会性」という言葉で被差別部落の門徒から問われたき た教学のあり方が本当の敵≠ネんだろう。言うなれば、先ほどの類聚制度や 院号、門主制、僧侶一人ひとりの差別意識・体質を根底で支え、成り立たせてい るのも教学である。教学が変われば、他も変わってくるはずである。
 しかし類聚制度や院号、門主制などを一掃する以上に、教学を問い直すことは 大変な作業だと思う。教学を見直すということは、教団の全て(教化活動、布教 伝道活動・・)を見直すということである。これから報恩講シーズンであるが、各寺 で布教使によって説かれる何百、何千座という法座の見直しはもちろん、龍大の 真宗学科などで教えられ、研究されている教学の見直しも不可欠である。一人ひ とりの僧侶が普段門徒さんの前で話しているちっとした話もそうであるし、門徒さ んがこれまでの聴聞の中で身に染込ませてきた教学もその対象になってくるは ずである。「僧侶と門信徒の課題」は言うまでもなく、それこそ全教団的な取り組 みとならざるを得ない。並大抵の労力や熱意、頭脳、人材では追っつかないだろ う。批判があるのも当然と言えば当然である。果たしてそんなこと可能なんだろう かとも思う。
 でも凄いと思うのは、その見直しを提起した「御同朋の教学の構築」が基幹運 動計画の基本方針として掲げられている。もう10年以上も前からである。まさに これまでの同朋運動の最大の成果であり、その運動が間違っていないという証 拠でもあるのだろう。凄い運動に出会えたことを誇りに思う。 
11年9月3日(土) 「御同朋の教学とは?〜既存の価値観の相対化」
 先日、「御同朋の教学とは?」のテーマでシンポジウムが開催された。
 「御同朋の教学」に似た言葉に「御同朋の願いに応える教学」というのがある。 この「御同朋の願い・・・」の「御同朋」とは被差別部落の門徒を指す。十方衆生 の平等の救いを口では説きながら、実際には差別を肯定してきた教団や僧侶に 対して、被差別部落の門徒たちが「それが本当の親鸞聖人の教えなのか?」と いう問いに、教団として僧侶としていかに応えていくかを問う言葉である。よって 「御同朋の願い・・・」という言葉は教団や僧侶に向けられた言葉である。
 一方の「御同朋の教学」とは、僧侶と門徒が共に考えていく教学である。これま での教学は、一部の教学者や布教使の占有物であった。一般の僧侶でも教学を 論じることは希で、ましてや門徒は彼らによって説かれる教学を黙って有難く聞く だけであった。そこに「僧侶」と門徒」、「教化者」と「被教化者」、「説く人間」と「聞 く人間」という上下関係、支配・被支配関係が生じることとなった。門徒は長年、 たとえそれが差別を温存・助長する教学であっても、僧侶が説く教えを黙って耐 え忍び有難く聞くしかなかった。それに対して水平社をはじめとする被差別部落 の門徒が「それが本当に親鸞の教えなのか?」と初めて声を上げた。「御同朋の 教学」とは、教学を一部の教学者や布教使から取り戻し、僧侶・門徒の枠を取っ 払い、親鸞聖人の教えに問い聞きながら一人ひとりが「差別をしない・させない・ ゆるさない」教学を構築していく営みでもある。まさに「差別の現実」=運動の中 から生まれた言葉である。これなくして同朋教団の再生などあり得ないと言って いい。
 ところが昨今の「御同朋の教学」に対する批判は並大抵のものではない。特に 教学者や布教使、教団の要職に就く者からの批判は凄まじい。まあ、それも一 理あるのかも知れない。なぜなら彼らはこれまでの「伝統教学」と呼ばれるものを 若い頃から一生懸命勉強し、現在の地位を築き、教団における地位を築いてい った(その研鑽の努力は認めるが)。その地位や特権を脅かす存在として「御同 朋の教学」が映っているのだろう。しかし、教学を私物化し、既存の権威を守るた めに、これまでの教え・自らを絶対化し、被差別者の声を無視し、恫喝まがいの 批判(例えば、「信心の社会性」という門徒から問いに対して、「その出拠はどこ だ?」などと反論する態度はその典型である)をすることが、果たして親鸞聖人を 宗祖と仰ぐ念仏者と言えるのだろうか?その態度自体が彼等が守ろうとする教 学の限界を如実に物語っていると思うが・・。
 いずれにせよ「御同朋の教学」とはまさにそんな既存の権威や価値観を相対化 していくものでなければならない。
11年8月29日(月) 「根拠なき期待(幻想)A」
 今朝、ラジオの番組で「シェアー」ということについて話題になっていた。所々し か聞いていなかったが、最近流行の車のシェアーから、情報のシェアーなどな ど。そして今回の原発事故。政府は、住民のパニックを恐れたのか、必要な事故 の情報を出来るだけ隠そうとした。しかし、いくら隠そうが、この時代、すぐにバレ ル。そんな不信感が現政権の致命傷(不信感・支持率低下の要因)となった。こ れからは情報のシェアーが大切だという。都合の悪い情報も含めてどんどんど公 開していく。国民はそういう人(政権)についていく。情報をシェアーしない人(政 権)には誰も見向きもしなくなるだろうと。久々に全うな意見を聞いた気がする。こ れが本当のリーダが備えるべき資質なんだろうと思う。「特定の少数の人間が情 報を独占し、残りの他の者は黙ってついていけばいい。そうすればこの閉塞感も 打破できる」といった言動を最近よく耳にするが、そんなのは民主主義でもなけ れば、リーダシップでもない。ただの独裁であり、幻想以外の何ものでもないんだ と思う。
 まあ、私たちの宗門も同じような状況だけど・・・
11年8月27日(土) 「根拠なき期待(幻想)@」
 菅首相が退陣する。あらゆる分野で閉塞感が漂う今のこの国で、救世主が現 れて、いっきに何とかしてくれる、そういう根拠なき期待と、それが裏切られた 時、そもそもそれが幻想であったことさえ気づかずにまた新しい救世主の登場を 期待する懲りなさ。それが毎年首相がコロコロ変わる原因だと誰かが書いてい た。
 まあ、それはうちの宗門でも同じである。「御門主様≠ェ何とかしてくれる」 「上が何とかしてくれる」そんな言動を最近よく耳にする。それが幻想であったと 気づいた時、どうするのだろうか?
11年8月4日(木) 「宗教が持つ特性」
 今朝の朝日新聞に、米軍が宗教を利用して核兵器の使用を正当化しようとして いたという記事があった。旧約・新約聖書の記述を都合よく引用することで、宗教 的に「正しい戦争」があり、核兵器の使用も正当化されるという内容の講義を、特 に核ミサイル発射を担当する将校向けに行っていたという。
 先日開催された「平和の集い」で、武田さんが「宗教には本来嫌なものを喜び に変える機能が本来的に備わっている」と仰っていた。誰でも人を殺す(戦争を する)のは嫌である。ましてや核兵器のボタンを押すことは誰だって躊躇うはずで ある。それが上からの例え命令であろうとも。どんなに訓練を積んでいようとも。 しかしそれでは戦争は出来ない。かつての日本軍もそうだったが、米軍などでは 新兵に対して徹底的にその人間性を喪失させるような訓練をしていると聞くが、 最後の最後に出てくるのが宗教(的境地)なんだろう。
 浄土真宗本願寺派は、「一人でも多くの敵を殺してこい。それが仏恩報謝(仏 の恩に報いること)である」と説くことで出兵する門信徒を戦意を鼓舞した。靖国 神社は「国の為に戦って死んだ者は、靖国の神と成る」と言って、兵士やその遺 族の躊躇いや怒り・悲しみを誇りや喜びに変えた。
 確かに宗教によって精神的に救われる人は多い。しかし一つ間違えると、我欲 にまみれた人間に利用されると、まさに戦争という本来嫌なものを喜びに変え て、戦争を肯定する論理になってしまう危険性がある。両刃の刃である。
 浄土真宗本願寺派では、法要や行事の最後に決まってと言っていいぐらい「恩 徳讃」という親鸞作の和讃を唱和する。「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報 ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても 謝すべし」という歌詞である。それに 対して武田さんが「これも最近ちょっと危ないな・・という気がする」と話しておられ た。普段私たち僧侶は何気なく(特に戦争を肯定しようという意図もなく)布教や 伝道活動を熱心に行っている。しかしそのうちのどれだけの人が、自らの宗教が 本来的に持っている危険性を自覚しながら布教・伝道を行っているだろうか?宗 教というのは「両刃の刃」である、一つ間違えれば「アヘン」にもなるということを 常に意識しながら布教・伝道活動をしたいと思う。
11年8月3日(水) 「自らの痛みをともなう運動=同朋運動」
 先日、奈良教区で平和の集いが開催された。内容は「戦争と仏教」。同名のド キュメンタリー番組を視聴した後、番組ディレクターの豊島学恵さんと番組に出演 していた武田達城さんを招いて記念対談を行った。
 一番印象に残ったのは、番組取材を通じて感じた武田さんの本音だった。番組 は、武田さんが住職をつとめるお寺の軒下から寺報が見つかるところから始ま る。その寺報は、戦争中、武田さんのお爺さんが発刊したもので、内容は仏教の 教えに反して戦争を賛美する内容だった。その戦争協力の負の歴史と向き合い ながら、何が間違っていたのか?これからどうすれば何をすればいいか?を孫 の武田さんが仲間の僧侶たちと考えていくという構成だった。こうして他人が文字 にしていくのは容易いかも知れないが、やっぱり武田さん自身はしんどかったと いう。なぜなら自分の身内・自分のお爺さんの過ちを明らかにしていく作業だから である。しんどくて取材から逃げたくなる時期もあったと言う。そしてもう一つ印象 に残ったのは、そんな武田さんのしんどさを知ってか、製作者側の豊島さんも僧 侶である自分の父親を番組に出演させていることだった。自分のお爺さんのマイ ナスの面をテレビを通じて多くの人に知らしめる結果となる番組制作に協力してく れる武田さんを見ていると、自分の身内も出演させなければこれは絶対にいけ ないと思ったと豊島さんは語っていた。
 そんな二人の対談を聞きながら、これがまさに同朋運動であり、基幹運動とし ての非戦・平和への取り組みなんだと思った。私自身も含めてだけど、これまで の私たちの取り組みはどこかで他人事だったような気がする。自分をどこか一段 高い所に置いて、戦争はいけない!とか戦争を肯定する奴はとんでもない!と 言ってきた。まさに自分自身が問われない運動、自分の身を削るような痛みを感 じない取り組みだったような気がする。
 同朋運動とは本来、自分自身の身を切る運動だったはず。部落問題への取り 組みを通じて、教団の体質、私自身の差別体質を明らかにしていく運動である。 しんどいし、孤独だし、正直、金にもならない運動である。だからこそ同朋運動を 毛嫌いする教団人も多いのだと思う。しかし自らの痛みをともなう運動こそ、「愚 禿親鸞」と名のった人を宗祖と仰ぐ教団の運動にもっともふさわしいんだと思う。
 自らを問わない運動、自らの痛みをともなわない取り組みなど同朋運動でもな ければ基幹運動でもない。そこがちょっとボランティア活動とは少し違うところな んだろう。いずれにせよ、そんな当たり前のことを改めて確認させてもらった集い だった。
11年7月29日(金) 「怒りに寄り添う」
 「本願寺新報」のお盆特集号に、以前(6・23)も少し書いたが、原発被害により 生活を滅茶苦茶にされ怒りを持っていた福島県のある門徒さんが、大遠忌に参 拝し、門主の法話を聞き、「人間誰だって間違いをおこす。怒っていてはいけない と思った・・」という感想を述べたという記事が紹介されていた。「本願寺新報」が この言葉を紹介するのはたぶんこれで2回目だと思う。教団としてはこの発言が よっぽど嬉しかったのだろう。天下の本願寺の御門主様が、門徒さんの怒りを沈 め、救いをもたらした。どうや!これが浄土真宗の教えだ!御門主様は素晴らし いやろう!とでも言いたいのだろう。
 しかし前回も書いたが、こんな教えなら広まらない方がよっぽどいい。あの福島 第一原発で作られた電力の1ワットすら福島の人は使っていない。危険なものは 過疎地に押付けて、東電や国の安全神話を口実に思考停止し、欲望を無限に 膨らませてきたのは都会の人間である。なぜ福島の人が反省しなければならな いの?人間の欲望を反省するのは福島の人ではなく、東京など都会の人間だろ う。こんな教えを聞いて喜ぶのは、東電ぐらいだろう。あまりにも福島の人を愚弄 した記事である。
 教団は現在「被災者の悲しみに寄り添う」などと綺麗ごとを言って法要を勤めて いるが、いかにその言葉が口先だけのもの、虚しいものであるかを証明する記 事である。「悲しみに寄り添う」ということは「怒りにも寄り添う」ことではないの か?都合の良い時だけ寄り添っても意味がない。かつて差別に苦しむ被差別部 落の門徒さんに向かって「差別されるのは前生の業である」「死んだら平等な浄 土に往生できる」「腹を立てずに自己を内省しながら、念仏しなさい」と説いてき たのと何も変わっていない。私たちの教団は同朋運動から何を一体学んできた のかと言いたい。
11年7月26日(火) 「教団の立ち位置」
 ある原発問題に関する研修会で、「教団として原発反対の意思表明をしないの か?」という門徒さんからの問いかけに、講師が次のように答えた。
 原発というのは巨大な利権構造の中で動いている。電力会社は潤沢な資金を 元手に政治家には献金を、学者には研究費、マスコミには広告費、自治体には 寄付金や雇用、ゼネコンなどの関連企業には仕事と利益を還元すことで、原発 に対する批判をこれまで封じ込めてきた。そう考えるなら、もし私たちの教団が お金持ち≠大切にする教団なら表明は期待できないし、私たちの教団が お金のない人≠大切にする教団であるなら十分に期待できるだろう。
 久々に核心を突いた発言を聞いた気がする。「お金持ちを大切にする」か「お 金のない人を大切にする」か。「差別だ」と批判されても院号や類聚制度を廃止し ない理由も、今回の宗法改定の本当の狙いも、ここから考えるとよく分かる。お そらく大遠忌後、私たちの教団の形は大きく変わっていくだろう。その時、この教 団が何を拠り所として維持されているかが明らかになるはずである。親鸞の教え か、それとも・・・
11年7月22日(金) 「御同朋の法話:親鸞は弟子一人ももたず候ふB」
 親鸞聖人は『歎異抄』の中で「親鸞は弟子一人も持たず候ふ」と仰っています。 親鸞聖人が関東から京都へ戻った後、関東の弟子たちの間で弟子の取り合い が起きます。中には、離れていく弟子に「お前みたいなヤツは往生など出来ない (地獄に堕ちる)」と脅す者まで現れます。それに対して親鸞聖人は「私には一人 の弟子もいない」と仰います。なぜなら、そもそもお念仏は阿弥陀様から頂いた ものだからです。またそれに関連して「後序」には次のような話が紹介されていま す。まだ親鸞聖人が法然聖人の元にいた頃、聖人が兄弟子たちに向かって「私 の信心も、師匠である法然聖人の信心も同じである」と言います。それに兄弟子 たちは「とんでもない。お前みたいな新入りと師匠の信心が同じはずはない」と反 論します。しかし聖人は「もし智慧や学識なら、師匠は私よりはるかに上である が、信心は同じである」と譲らなかったというお話です。
 どうでしょうか?もし往生というものがテストの点数や知識の量で決まるなら、 当然、そこには上や下、師匠や弟子といった関係も生まれます。「支配・被支配 の関係」と言ってもいい。中には「俺の命令に背いたら地獄に堕ちるぞ」と脅す人 もいるでしょう。しかしお念仏は阿弥陀様からいただいたものです。他力回向の お念仏です。ですから二十年、三十年と称えている人の念仏も、今日初めて称え た人の念仏も同じです。念仏を称える人の間には上下の関係はありません。み んな平等です。対等・水平です。「地獄に堕ちるぞ」といった脅しは効きません。 誰かに命令されて誰かを殺すことはありません。念仏者の主は念仏者自身で す。
 どうでしょうか?他力のお念仏こそ「自己こそ自分の主である」、「殺させてはな らない」というお釈迦さまの言葉を実践する教えだと言えるのではないでしょう か?チビチリガマの悲劇を二度と起こさせないためにも、もっとお念仏の教えが 広まれと思います。(了)
11年7月21日(木) 「御同朋の法話:親鸞は弟子一人ももたず候ふA」
 先日、沖縄で開催された「念仏者九条の会」の全国集会に参加しました。特に 印象に残ったのは、沖縄・読谷村で起きた集団自決です。読谷村にはチビチリ ガマとシムクガマという二つのガマがあります。このうち、住民百四十名が避難し ていた前者では八十三名が集団自決するという悲劇が起きています。一方、後 者では避難していた住民約千人が全員助かっています。この二つのガマの運命 を分けたのは何か?それは当時の教育だったと言います。
 一九四五(昭和二十)年四月一日、米軍は読谷村周辺の海岸から沖縄に上陸 します。そして上陸後すぐにチビチリガマにやって来て、投降を呼びかけます。ガ マの中では賛否が分かれたといいます。翌日、再び米兵がやって来る。そんな 極度の緊張状態の中、かつて従軍看護婦(師)として中国大陸にいた「ゆきこ」と いう女性が、日本軍が中国で行った虐殺の様子を話します。「女性は強姦され、 最後は腹を切り裂かれた。子供は並べられ戦車で轢き殺された」などと。それを 聞いた人々は、日本軍ですらそうなんだから、米軍ならもっと酷いことをするはず と恐怖に怯えます。また、明治に入り強制的に日本国家に組み込まれた沖縄で は「天皇陛下のために死ね」とか「生きて虜囚の恥ずかしめを受けるな」といった 皇民化・軍国教育が本土以上に徹底されていました。それらが次第に住民たち を集団自決へと追い込んでいきます。
 最初にガマで亡くなったのは、満で十七歳の「ハル」という女性でした。ハルは 母親に「お母さん、生んでくれて有難う。このままお母さんの手で、綺麗な体のま ま私を殺して下さい」と懇願します。ためらう母親に「お母さん、早やく。アメリカが 来るよ・・」と言って剃刀を握らせ、首元に・・。彼女がガマで最初に亡くなった人で す。たまたま上手く切れたのか、彼女は静かに息を引き取ります。それを見た人 たちはそれぞれにカマや包丁、剃刀を握りしめ、親は子どもを、夫は妻を、若者 は年寄りを・・。その結果、八十三名がこのガマで亡くなりました。
 一方、近くにあるシムクガマでは一人の犠牲者も出ませんでした。そこにはハ ワイ移民からの帰還者がたまたま二人いたからだと言います。彼らは知ってい た。アメリカ人も同じ人間であることを。また長くハワイにいたため当時の教育を 受けていなかったためと言われています。二つのガマを案内して下さった会沢芽 美さんは「チビチリガマの悲劇は、当時の教育によって住民たちが強制的に殺し 合いをさせられたものであった」と話してくれました。
 どうでしょうか?当時の教育とはまさに「自己こそ自分の主である」ということを 否定する教育ではなかったでしょうか?「自己の主は国家である」「天皇陛下であ る」と教える教育だったのではないか?だからこそ皆、「お国の命令」、「天皇陛 下の命令」と自分で自分を、自分で自分の愛する家族を手にかけていったので はないでしょうか?二度と同じ悲劇を繰り返さないためにも、「自己こそ自分の主 である」という教えを実現しなければなりません。そしてそのためにはやっぱりお 念仏だと思います。(つづく)
11年7月19日(火) 「御同朋の法話:親鸞は弟子一人ももたず候ふ@」
 『ダンマパダ』という経典があります。その中に「すべての者は暴力におびえ す べての者は死をおそれる 己が身にひきくらべて 殺してはならぬ 殺させてはな らぬ」と「自己こそ自分の主である 他人がどうして主であろうか 自己をよくとと のえたならば 得がたき主を得る」という言葉が出てきます。「殺してはならぬ」と は「殺すな」「殺されるな」ということ。「殺させてはならぬ」とは、誰かが誰かに命 令して誰かを殺すということです。「殺すな」・「殺されるな」・「殺させるな」が仏様 の教えです。そしてこの教えを守るためには「自己こそ自分の主である」というこ とが実現していなければなりません。
 例えば、私が貴方にある人(Aさん)を殺して下さいと頼んだとします。躊躇なく 貴方は断るでしょう。ではなぜ貴方は断ることが出来るのか?それは貴方と私の 関係が対等だからです。貴方の主は貴方自身だからです。ところが「殺せ」と命 令されて、断れない場合があります。例えばオウム真理教の事件。地下鉄でサリ ンをまき沢山の人の命を奪いました。逮捕された人たちは裁判で「教祖に命令さ れた」と証言しています。そして中には「今は後悔している」と述べる人もいます。 「後悔先に立たず」と言いますが、なぜ彼らは断ることが出来なかったのか?そ れは教祖と弟子の関係が対等ではなかったからです。教祖が上で、弟子が下。 弟子の主は弟子自身ではなく、教祖だったからです。
 このように「殺すな」・「殺されるな」・「殺させるな」という教えを守るためには「自 己こそ自分の主」ということが前提としてなければなりません。しかしその前提が 崩れてしまっている状況があります。それが戦争中です。(つづく)
11年6月23日(木) 「社会に害を撒き散らす教え・広まらない方がよっぽど いい教え」
 6月14日の「中外日報」に次のような記事が紹介されていた。
 震災と原発被害によって避難所生活を強いられている門徒さんが大遠忌法要 に参拝して、法要中に話される門主や新門の法話を聞いてこう思ったという。「私 も農業をやっているので自然界にはお世話になっています。だから自然界には 怒りは感じていませんが、今回の原発事故は人間が引き起こしたこと。以前のち ゃんとした生活ができなくなくなったことに、みんな怒りを感じています」と。ところ がその門徒さん、大遠忌に参拝し、「原発は経済的豊かさを優先してきたわれわ れの生き方に関わる問題とし、知恵に限りがある人間が無限の欲望にとらわれ ている」とする門主や新門の法話を聞いて、「今日、ここに来て、いろんな話を聞 き、そういう思い(怒り)ではよくないのじゃないかと思った。やっぱり人間のやる ことには間違いもあるのだろう。何と言ったらいいか・・・・」と感想を述べている。
 かつて「社会に害を撒き散らす浄土真宗の教え」「そんな教えなら広まらない方 がよっぽどいい」と言った人がいる。そこには「前世の業」だの「死んだら平等な お浄土に往生できる」などと説くことで、被差別者から差別に対する怒りを奪い、 結果として差別を温存・助長してきた浄土真宗の教えというものがあった。
 それらの抗議からこれまで僧侶によって説かれる浄土真宗の教えとされるもの は一体何が変わったのだろうか?罪深い教えである。こんな教えなら広まらない 方がよっぽどいい。
 最後の「何と言ったらいいか・・・・」という「・・・」を中外の記者は「その想いを一 言で表現するのは難しいが、大遠忌参拝が、(その方の)「怒り」を和らげる機縁 となったのは間違いない」と締めくくっているが、私は「・・・・」の中に込められたこ の門徒さんの気持ちを、被差別者の気持ちを生涯かけて考え続ける僧侶になり たい。
11年6月20日(月) 「直葬」
  先日、「親鸞聖人と同朋教団」というテーマで同朋運動研修会が開催された。そ の中で講師から、昨今の直葬の問題について話があった。直葬とは、仏教など の宗教儀礼(葬儀式)を執行しないまま火葬してしまうことで、東京などの大都会 では既に半分近くがこの形だという。そしてその理由として「宗教離れ」や「核家 族化」などが指摘されているが、意外と経済的な理由によるものも多いという。全 直葬のうち約3〜4割がそれだとも。つまり家族の死を通して仏縁に遇いたくても 遇うことが出来ない人が多いということである。「葬式仏教」と揶揄されて久しい が、それでも「核家族化」が進むなか葬儀を通じて仏縁を結ぶ人は増えてきてい る。しかしその「葬式仏教」すら出来ない。経済的理由によって仏教から排除され ている人がいると言ってもいいのだろう。
 かつて法然上人や親鸞聖人は、「屠沽の下類」に代表される当時の仏教の救 いから排除されていた人々を念頭に、念仏一つで救われる他力念仏の教えを明 らかにされた。そこには「誰一人漏らさない」という阿弥陀仏の本願があったは。 そう考えるなら、経済的な理由から仏縁すら結べないという現実は、親鸞の弟子 を自認する我々の教団にとっても無視できない問題である。
 今回、宗会で宗法が改定された。その目的の一つとして、宗派とは別に本山本 願寺が築地本願寺を拠点にしながら東京首都圏で伝道活動を強力に推進する ことが掲げられている。「これまで本願寺を支えてきた地方寺院の切捨てになる のではないか」といった地方寺院の懸念を「親鸞聖人のみ教えをこれまでご縁の ない人にももっと伝えたい」と言って説得し、可決させた経緯がある。であるなら ばまさにこの経済的な理由で仏縁すら結べない直葬の問題に関わって当然だろ う。幸い本願寺には財力があるし、築地本願寺には知名度もある。何かと有名 人の葬式で有名な築地本願寺であるが、お金がなくても葬儀が出来ることを 大々的にアピールしていけばいい。間違いなく「宗教砂漠」と言われる首都圏に 親鸞聖人の教えが根付いていくだろう。「本願寺は地方を切り捨て首都圏で金儲 けをしたいんだろう」という陰口を叩く人々も納得させることが出来るだろう。
11年6月18日(土) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)H」
 今回の全国集会は、私にとって初めての沖縄であった。初めての沖縄は怒り に満ちていた。悲しみに満ちていた。そしてユーモアと笑いに満ちていた。
 空港から読谷村へ移動するタクシーの中で、運転手さんが教えてくれた。「少し 前、この辺りで米兵によるひき逃げ事故があったのに、犯人は基地の中に逃げ 込み、未だに出てこない!」と。また、「昔(1970年)、ここでコザ事件があった。米 兵の横柄な振る舞いに堪忍袋の緒が切れた沖縄の人々が米軍車両を何十台と 焼き打ちにした。私も参加した。車というのは意外と簡単に燃えるんだよ」と語っ てくれた。一方、修学旅行生の話題になると、「沖縄の地名には本土では下ネ タ≠フ意味になる言葉がたくさんある。その地名の書かれたバス停に連れて行 ってやり、その下で記念写真を撮ってあげると、男子生徒たちは大喜びするん だ」と本当に楽しそうに話してくれた。同じように山内徳信さんの話も基地問題や 沖縄差別に対する怒りに満ちる一方、ときより見せる茶目っ気や、おおらかさ、 人間としてのスケールの大きさに思わず魅せられた。フィールドワークでチビチリ ガマを案内してくれた会沢芽美の言葉には悲しみが満ちていた。辺野古で座り 込みをしていた人は、初対面の私たちに時間を忘れてまで現状を熱く語ってくれ た。佐喜眞美術館の館長さんは「沖縄戦の図」の前で、修学旅行で美術館を訪 れる最近の子どもたちの反応の変化に「(本土の)大人たちは何をしているん だ!」と苛立ちを隠さなかった。一方、夜の二次会では北村昌也さんが紹介して くれた「沖縄民謡スナック」に行き、泡盛を飲みながらマスターが弾く三線の音色 に合わせ「ハイサイおじさん」を皆で歌い、踊り、笑った。
 この怒りと悲しみ、そしてユーモアと笑いが沖縄の運動を支えてきたのだろう。 怒りと悲しみがあるからこそ決して諦めない。ユーモアと笑いがあるからこそ希 望が持てるのだろう。数日前に通過した台風の爪痕を残したまま連日梅雨の雨 が降り続く沖縄であったが、最後の普天間基地に着く頃には、それまでがウソの ように晴れ渡り、よく写真で見る沖縄の真っ青な空とエメラルドの青い海が顔を 覗かせた。もうすぐ沖縄は梅雨明けである・・(おわり)
11年6月17日(金) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)G」
 最後に宜野湾市にある普天間基地を見学するために佐喜眞美術館を訪れ た。同美術館は、普天間基地の一部であった土地が返還されたのを機に、1994 年に開館した美術館で、屋上からは普天間基地を望むことが出来る。滑走路の ほんの先に学校や民家が建ち並ぶ様子が見え、改めて「世界一危険な基地」と いう実感を持った。また、同美術館には「原爆の図」で有名な丸木位里・俊さん夫 婦が描いた「沖縄戦の図」が常設展示されている。丸木夫妻は沖縄戦から生き 残った体験者から一つ一つ丁寧に話を聞き、それを形にしていかれたという。集 団自決によって死んでいく人々の姿や火炎放射気によって殺されていく人々の 姿、まさに沖縄戦の「地獄」が描かれていた。館長の佐喜眞道夫さんは「心が落 ち着いて静かに「もの想う場」を作りたかった」と開館の願いを語っている。また 同美術は沖縄戦を忘れないためにと、6段と23段からになる階段を屋上に設置し ている。6月23日とは沖縄の「慰霊の日」である。そして階段の一番上の壁には 小さな窓があり、6月23日の夕暮れに日没の太陽がちょうどその窓を通るように 設計してある。(つづく)
11年6月16日(木) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)F」
 3日目のフィールドワークは、真常寺の門徒である池上彰さんが案内してくれ た。
 まず「流弾に注意」と書かれた標識がある高速道路を走り抜け名護市辺野古 に向かった。普天間基地の移設先として日米が合意し、それ以来住民たちが移 設反対の座り込み(2602日目)などの命を守る闘いを8年以上に渡り続けている 地である。辺野古と言えば、平和や基地反対を願う色とりどりのリボンなどが括 り付けられている鉄条網が砂浜に張り巡らされている光景を思い浮かべていた が(今回の全国集会の案内チラシに写真を掲載)、現在はコンクリートを土台とし た頑丈なフェンスが基地と人々の生活を隔てていた。私たちが見慣れた鉄条網 にリボンを括りつけ基地に抗議するという運動は、沖縄でもこの辺野古でしかな かったという。当初、米軍は鉄条網にくくり付けられたリボンを切り取ったり、焼き 捨てたり、ときには恫喝することもあったという。しかしそれらに屈することなく抗 議のリボンは無くならなかった。そのような粘り強い闘いがいつしか外国メディア を通じて海外にまで配信されようになったことから、米軍が「思いやり予算」では なくわざわざ軍の予算から約6千万円を投じてフェンスを設置したのだという。と ころがそのフェンスにも沖縄はもちろん全国から駆け付けた人々による抗議の 横断幕が無数に貼りつけてあった。まさに反基地闘争の最前線であり、平和運 動の象徴のような地であった。
 また印象に残ったのは、座り込みを続ける地元の方が「基地は普天間にも辺 野古にも要らない。そして本土にも。基地は国外へ!」という言葉であった。以 前、鳩山政権の時に、一時、普天間の代替地として鹿児島県の徳之島が候補地 に挙がったことがある。それを受け、徳之島の人々は島をあげて反対の声を上 げた。そして住民たちが口々に「こんな危険な基地は徳之島には要らない」とイ ンタビューに答えていた。それを聞いたある沖縄の人が「基地は危険で、必要な い!と言うなら、なぜ沖縄にも必要ない!と言ってくれないんだ?沖縄になら危 険な基地を押付けてもいいのか?沖縄差別である」と悔しそうに語っていたのを 思い出した。(つづく)
11年6月13日(月) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)E」
 次に読谷村役場を訪れ憲法9条の碑を見学した後、近くにある野球場を訪れ た。かつて沖縄国体が開催された際(1987年)、知花昌一さんによってソフトボー ル会場に掲げられていた日の丸が引きずり降ろされ、焼き捨てられるという事件 があったが、その舞台となった球場である。私も高校生の時にあの映像をテレビ で見て非常に大きな衝撃を受けたが、あの事件が起きるまでには、読谷村で起 きたチビチリガマの集団自決の記憶や日の丸・君が代の強制、地元の反対運 動、保守勢力による嫌がらせなど様々な経緯があったという。また球場の横には 村民が建てた「不戦宣言」の碑があり、見学した。そして最後は、今回の全国集 会の開催に協力して下さった北村昌也さんが住職を務める真常寺に参拝して1 日目のフィールドワークを終えた。
 夜は交流会Aとして、大谷派の僧侶でありシンガーソングライターでもある鈴木 君代さんから非戦・平和の願いを込めて作詞作曲した歌が披露された。(つづく)
11年6月12日(日) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)D」
 全国集会終了後のフィールドワークでは、チビチリガマとシムクガマ、読谷村役 場、名護市辺野古、普天間基地に隣接する佐喜眞美術館を訪れた。
 読谷村内にあるチビチリガマは、米軍上陸後、83名の住民が集団自決した悲 劇の地である。一方のシムクガマは千人以上いた避難者全員が生き残ってい る。1945年4月1日、約54万8千人の米兵が読谷村周辺の海岸から上陸した。連 合艦隊は上陸に向けて艦砲射撃を開始し、3時間で約7万発の砲弾を撃ち込ん だという。例えば、先のイラク戦争で米軍が3週間の戦闘でイラクに投下した爆弾 は約1万8千発だったと言われているが、その3倍以上の爆弾をたった3時間で放 ったという。「鉄の暴風」と呼ばれる所以である。それにより住民は錯乱状態に陥 った。
 ちなみに上陸に際して日本軍がそれを阻止しようとした形跡はない。米軍は「ま るでピクニックに行くかのように」沖縄に上陸したとも言われている。ここに当時 の日本が沖縄をどのように位置づけていたかが分かる。その頃、日本本土では 敗戦が確実視される中、「国体の護持」を念頭に、米軍に「最後の一撃」を加ええ うことで終戦後の和平交渉を有利に進めようと、天皇をはじめとする大本営の中 枢を長野県(松代大本営)に移転する計画が建設が進められていた。そのため の「時間稼ぎ」として沖縄が「捨石」とされた。当時、沖縄に配置された日本の守 備隊は10万人足らず。1日でも長く米軍を引きとめるために島の奥に陣取ってい たという。
 読谷村には当時、東洋一の飛行場と呼ばれた北飛行場を守るため約700名の 守備隊が配置されていたが、米軍の上陸とともに逃げてしまい、村内には女性 や子ども、年寄りばかりが取り残された。その内の140名がちょうど学校の教室 の大きさ位のチビチリガマに避難した。上陸後すぐに米兵がガマにやって来て 「出て来なさい。殺さなない。食べ物を与える」と投降を呼びかけたが、ガマの中 では「投降しよう」と言う人々と「出て行ったら殺される」と主張するグループとに 分かれたという。翌日、再び米兵がやって来ると、二人の御爺さんが竹槍を持っ て襲いかかり、死んでしまう。そのような状況の中で、かつて中国で日本軍の従 軍看護婦として働いたことのある知花ユキコという女性が、日本軍が中国の住民 に行った虐殺の様子を皆に話聞かせたという。女性は強姦され、最後は腹を切 り裂かれて殺されていった。子供は並べられ戦車で轢き殺された。それを兵隊た ちは皆笑って見ていたなどと。それを聞いた住民たちは日本の皇軍でさえそんな 酷いことをするのだから、米兵ならもっと酷いことをするはずだと恐怖に怯えたと いう。また、当時の沖縄では「天皇陛下のために死ね」とか「捕虜になることは恥 ずかしいこと」といった皇民化教育・軍国教育が徹底されていた。それらが住民 たちを集団自決へと追い込んでいったという。
 最初、住民たちはどうして死んだらいいかが分からなかった。そこで布団に火 をつけ窒息死しようと試みるが、苦しいだけで死ねない。その時、満で17歳にな るハルという女性が母親に「お母さん、生んでくれて有難う。生み育ててくれたお 母さんの手で、綺麗な体のまま私を殺して下さい」「お母さん、アメリカがやってく るよ。早く殺して」と言って母親に剃刀を手渡し自分の首元に押し当てたという。 ガマで最初に亡くなった人である。たまたま上手く切れたこともあり、ハルさんは 静かに死んでいった。それを見た母親たちは「ああやったら死ねるのか」と思い、 カマや包丁、剃刀を握りしめ、自分の子どもを引きよせたという。その結果、83名 がこのガマで集団自決したという。
 その後、生き残った人々はガマであった悲劇を誰にも語ろうとしなかった。しか し38年後、初めて当時の様子が語られた。一人の母親は「あの時はああするほ かなかった」と答えたという。なぜ子供だけ殺して自分は生き残ったのかという質 問には「死のうと思った。でも段々怖くなってきた。お腹を痛めて生み、育ててき た自分の命よりも大事な子どもを殺す母親たちの姿を見ていると、怖くなってき た。中は地獄。外も地獄。同じ地獄なら外に出ていけば米兵が殺してくれる。だ から出て行った。ところが殺されなかった。生き続けてしまった。あの時、軍隊は 住民を殺さないと知っていたら、知らされていたら誰も死ななかったのに・・」と語 ったという。一方、近くのシムクガマに避難していた住民は全員が投降して助か っている。シムクガマにはハワイ移民からの帰省者がたまたま二人いた。彼等が 投降を促した。彼らは単に英語を話せたからではなく、ハワイにいたために軍国 主義教育を受けていなかったこと、アメリカ人も同じ人間であることを知っていた からだと言われている。3日目に訪れた佐喜眞美術館にある「沖縄戦の図」(丸 木位里・俊作)には「恥かしめを受けぬ前に死ね 手りゅうだんを下さい 鎌で鍬 でカミソリでやれ 親は子を夫は妻を 若ものはとしよりを エメラルドの海は紅 に 集団自決とは 手を下さない虐殺である」と書かれている。当日、案内をして 下さった会沢芽美さんは「チビチリガマの悲劇は、当時の教育によって住民たち が強制的に殺し合いをさせられたものであった」と話す。
 ちなみに今でも多数の遺骨が埋まるガマに他人が近づくことを快く思わない遺 族がたくさんいるという。しかし集団自決の様子を、戦争の現実を子供に伝える 義務が大人にはあるという思いから、遺族の人々は辛い思いをしながらもガマの 見学を許可しているという。会沢さんの説明の後、全員で『重誓偈』をお勤めし た。嗚咽と涙で何度も声を詰まらせながら・・。そして「南無阿弥陀仏」と念仏を称 えながら、「二度と戦争は起こさせない」と決意せずにはおれなかった。(つづく)
11年6月11日(土) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)C」
 続いて全体協議会が行れ、小武正教事務局長より @ここ数年賛同者数が伸 び悩んでいる。これまでの反靖国運動や同朋運動に携わってきた人々の枠を越 えた運動の広がりが必要である。 A国民投票が実施されるということは、政府 が勝てる見込みを持ったからである。そういう意味からも「絶対に国民投票はさ せない」という運動をしなければならない。 B原発は経済的な理由だけではな く、「いつか核を保有したい」という国家の意志を受けて推進されてきた政策であ り、9条と切り離せない課題である。次回の全国集会では、核・原発をキーワード に広島周辺での開催を計画している。 C辛さんからも指摘があったように、沖 縄の基地問題や天皇制(第1条)などの差別問題を抜きにしたまま9条を語り続 けることは出来ない。差別構造の上に成り立っている原発問題と含めて課題とし ていきたい。 D宗法が改定されたことで、教団に「9条改悪反対」の声明を出さ せることは以前に増してハードルが高くなったが、今後も運動方針として教団に 声明を出すよう求めていく。また、今後教団内での運動が非常に厳しくなるくこと が予想されるので、この会をはじめとする在野の運動をより一層強化していかな ければならない。 E大谷派九条の会と連携しながら、各自治体への請願活動 を継続していく。 などの提案がなされ、参加者で意見交換を行った。(つづく)
11年6月10日(金) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)B」
 翌日(二日目)は朝から「憲法九条を堅持していくために」をテーマに辛さんから 様々な提言をいただいた。
 まず人間は常に自分よりも弱い人間に暴力を振るうとして、例えば、アメリカは 9.11の首謀者であるオサマ・ビンラディンを囲まっているとしてアフガニスタンやイ ラクを軍隊送り、徹底的に破壊したが、もし彼が日本や中国、ロシア、ヨーロッパ にいたらどうか?同じことはしなかったはずである。アフガンやイラクは弱いか ら、反撃しないことを知っていたから攻撃した。そこには「殺していい命」と「殺して はいけない命」という命の格差がある。まさにそれと同じ考え方が、日本の国土 のたった3%の沖縄に在日米軍基地の75%を押し付けている現状の根底にある のだと言う。
 また今回の震災や原発事故で東京から避難した二組の「在日」家族がいたこと を紹介。それは「放射能が怖い」という理由ではなく、彼等の中に関東大震災に 起きた忘れられない記憶があるからだという。関東大震災の際、朝鮮人に対す る虐殺事件が起きた。震災によって日本が弱っているこの時、今まで抑圧し差別 してきた朝鮮人から逆に仕返しされるのではないかという恐怖心が日本人を朝 鮮人虐殺という狂気に走らせた。その90年前の記憶が蘇ったのだと。このまま原 発事故が終息せずに、もし日本中がパニックになったら、もしかしたら・・・という 恐怖心から東京を離れたのである。日本人からすれば単なる「被害妄想」と思わ れるかも知れないが、と。ちなみに、この「アジアの国々からいつか仕返しをされ るのではないか」という日本人の中にある恐怖心が、「強い軍隊を持ちたい」とか 「核兵器を保有すべきである」といった主張の根底にあるとも言う。
 その他にも連日報道される犠牲者数や行方不明者数には日本国移籍を持た ない「在日」の数はカウントされてはいないことや、民族名(本名)を隠しながら避 難所でひっそり暮らす「在日」がたくさんいることなどを紹介して下さった。そして 辛さんは言う。日本国憲法は「在日」を守ってくれない。日本国籍を持たないこと で参政権すら付与されない「在日」にとっては、いくら憲法に「基本的人権のを保 障」や「戦争の放棄」が謳われていようとも、正直、何のメリットもない。しかしそ れでも9条を堅持したいと願うのは、もし日本と韓国や北朝鮮との間で戦争にな れば、真っ先に両者から差別され殺されるのは「在日」であるからだと。日本から は敵国人として、韓国・北朝鮮からは敵のスパイとして。「戦争に巻き込まれたく ない」とか自分が殺されることなど全く想像せずに「9条は素晴らしい」などと言っ ている人とは全く違うと。
 そして辛さんは「9条を守るとは「私は殺されても、私は絶対に相手を殺さない」 と宣言することである」と言う。何があろうとも武力ではなく、和解のための努力 や外交などで問題を解決していく。その宣言(覚悟)がない限りアジアの国々は 日本を信用しないだろうし、「もしかしたら仕返しされるのでは・・」とどこかで思っ ている日本は米軍をいつまでも必要とするだろうし、アジアの国々も米軍がいる から日本は暴走しないだろうと考えるだろうし、アメリカはそれを利用し日本に軍 隊を駐留し続けるだろう。そしてそのツケは常に沖縄が払わされ続けると。
 また最後に、沖縄の人々を「合意文化をゆすりの手段に使う」「ゴマカシ・ユスリ の名人」などと語ったメア発言について一言。「けしからん!差別だ!」という反 論は当然としつつも、更にそれを越えた視点から、弱者は常に「美しい弱者」でな いといけないのか?という問題提起がなされた。例えば、右翼や暴力団などの構 成員には沖縄や在日、被差別部落の出身者が多いという現実が確かにある。し かしそうせざるを得ないようにしたのは一体誰なのか?そのようにしてしか生き ていけなくしたのは何なのか?この日本で食べるために、生きるために必死で生 きてきたのであり、「美しい弱者」にならなければ助けてくれないのか?本質はど こにあるのか?日本人として考えていくべきであるとして全体を締め括られた。 (つづく)
11年6月9日(木) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)A」
 続いて、辛淑玉さんを交えてパネルディスカッションが行われた。辛さんからは 「差別が戦争を生む」という前提に立つならば、戦争放棄を謳った憲法第9条と象 徴天皇制を規定した第1条を両立させていることは矛盾するのではないかという 提起や、戦後の日本は日米安保体制のもと沖縄に米軍基地を置くことを許し、 ベトナム戦争やイラク戦争などアメリカの戦争に一貫して協力し続けてきたの に、その現実から目を背け「9条は素晴らしい」「日本は戦争をしない」などとする 護憲派の主張にはリアリティがないなどの指摘があった。
 夜の懇親・交流会では、会沢芽美さんによる辺野古へのヘリポート基地移設反 対闘争を描いた一人芝居が上演された。(つづく)
11年6月8日(水) 「念仏者九条の会 全国集会in沖縄(報告)@」
 2001年6月1日〜3日、沖縄県読谷村を中心に「念仏者九条の会」第12回全国 集会が開催された(協賛:本願寺派沖縄別院・大谷派沖縄別院)。地元沖縄や真 宗大谷派・九条の会からの参加者を含め約60名が「平和憲法を基にした、沖縄 の闘いに学ぶ」のテーマで学びを深めた。
 まず最初に「基地の村・読谷村にあって人間の尊厳を守り抜く村づくり」と題して 元読谷村村長(現参議院議員)山内徳信さんによる基調講演が行われ、憲法の 3本柱である「平和主義」「国民主権」「基本的人権の尊重」を根底にした村づくり の実践について報告があった。現在、読谷村役場がある一帯は、元々米軍基地 の真ん中であった。旧日本軍の飛行場であった場所を戦後米軍が接収し、主に パラシュートの降下訓練基地として使用していた。ベトナム戦争当時は、ジャング ルに展開する部隊に弾薬や食料をパラシュートで降下させる訓練をしていたとい う。しかし訓練による周辺住民を巻き込んだ事故や事件が後を絶たず、村の発 展にも支障をきたすことから、当時の山内村長が基地返還を求めて日米両政府 と粘り強く交渉した。その結果、「一時使用」という約束で基地内に役場を建てる ことに合意する。そして「一時使用」とは言いつつも鉄筋コンクリート3階建ての立 派な役場を建ててしまう。その後も文化センターなどの公共施設を建て続け、し まいに米軍は「こんな使い勝手の悪い基地はもう要らない」となって、ついに基地 の全面返還を勝ち取った経緯がある。現在、読谷村役場の敷地内には憲法第9 条の条文を刻んだ石碑が建っている。まさに暴力ではなく、9条の精神に基づく 村づくりを実践しているのが読谷村である。(つづく)
11年6月7日(火) 「「君が代」起立判決」
 また最高裁で「君が代」を巡る職務命令に対して「合憲」判決が出た。これで2 例目である。2例とも「(職務命令が個人の思想・良心の自由を)間接的に制約す る面は否定しがたい」と認める一方、「(教育上の行事にふさわしい秩序を確保 し、式典の円滑な進行を図るという命令の目的などを踏まえれば)制約には必要 性、合理性がある」と結論付けている。
 この判決を具体的な形にしていく唯一の方法は、もう入学式や卒業式で「君が 代」を斉唱しないようにするだけである。斉唱さえしなければ、起立を拒む教職員 も出ないだろうし、それを力ずくで強制する「職務命令」も出さなくて済む。これで 教育上の行事にふさわしい秩序ある式典が円滑に進行するだろうし、「君が代」 を国家として認める人も認めない人も、誰も傷つかないはずである。卒業式は 「校歌」と尾崎豊の「卒業」を皆で歌えばいい。
11年5月28日(土) 「理念なきバラバラの運動」
 現在、私たちの教団は基幹運動(同朋運動・門信徒会運動)を推進している。 基幹運動とは、教団に所属する全ての人が取り組むべき運動だと私自身は理解 している。少なくても同朋運動は「運動の教団化」ということを目標に取り組みを 進めてきたし、門信徒会運動もそうなんだろう。
 しかし現行の『基幹運動総合基本計画』を見ると、あまりにも私たちが取り組む べき課題が多岐に渡っている。例えば、部落差別はもちろん、ハンセン病差別 や性差別、民族差別、障害者差別、非戦・平和、沖縄問題、ヤスクニ問題、環境 破壊、貧困問題、途上国問題、災害支援、自死問題、青少年問題、虐待、ビハ ーラ、キッズサンガ、連研、開かれた寺、全員伝道・聞法など挙げたらキリがな い。これだけ沢山の課題を一人ひとりが担うことなど出来るのだろうか?体は一 つしかないのだから、物理的に無理である。ということはこの計画書は、この中 から好きなものを選んで、それぞれ取り組みなさいと言っているのと同じである。 例えば、私は部落問題には取り組みたくないが、自死問題には取り組むという人 もいれば、環境問題で手が一杯だから私は非戦・平和問題にまでは手が回らな いという人も出てくるだろう。「それはけしからん」と言っても仕方がない。全ての 課題に取り組むことなどどだい最初から無理なんだから。
 しかしこれだけは言える。それはもう基幹運動ではないと。全ての教団人が自 らの課題とすることが基幹運動なんだから。また、これだけ計画書に沢山の課題 を列挙したことが、今の基幹運動を広がりのない、連帯の生まれない、元気のな い運動にしてしまった元凶だと思う。人それぞれによって基幹運動への認識が異 なる。みんな、バラバラ。互いが互いの足の引っ張り合いである。もちろん現在 社会には、一刻も早く解決しなければならない社会問題は沢山或る。各自がそ れぞれ思う取り組みをしていくべきだとも思う。しかしそれらの取り組みの拠り所 となるもの、理念となるものを誰かが示していくべきである。幹がしっかりしてい れば、枝葉もブレずにしっかりするだろう。その幹の役目を果たすのが本来、中 央(「総合計画」)であったはず。今やその幹自体が腐ってしまい、枝葉はバラバ ラである。
11年5月27日(金) 「ビハーラ活動と同朋運動」
 先日、ビハーラ会員を対象に「親鸞聖人と同朋教団」というテーマで同朋運動 研修会が開催され、参加してきた。講師の話の内容はまあ置いといて、ビハーラ は親鸞聖人の教えや生き方、そして同朋運動から何を学ぶことが出来るだろう か?
 親鸞聖人や法然上人が専修念仏の教えを明らかにし、広めたところには、そ れまでの仏教の救いから排除されたきた人々の存在があったのだと思う。法然 上人は『選択集』の中で、なぜ阿弥陀仏は数多くある諸行の中から称名念仏の みを往生行として選び取ったのか、その理由を持戒や造像起塔が不可能な人々 がいるからだと述べている。また親鸞聖人も、「屠沽の下類」と蔑まれ、仏教の救 いからも排除されてきた人々を「われら」と呼び、彼らと共に阿弥陀仏によって救 われていく念仏を喜ばれた。
 そういった法然上人の教えや親鸞聖人の生き方にビハーラが学ぶべきこと は、今の福祉や医療のネットからもれ落ちた・排除された人々に対する眼差しで はないだろうか?例えば、日本の福祉や医療は多くの場合「自己申告主義」だと 聞く。利用者が自ら申告して初めてサービスを受けることができる。本人が黙っ ていては、必要なサービスを受けることが出来ない。しかし、しんどい人ほど、本 当にサービスを必要としている人ほど、それらのサービスが行き届いていない現 状があるという。情報の格差であったり、それこそ人間関係の格差などから、サ ービスの存在自体を知らない人も多いという。まさに福祉や医療のセーフティー ネットからもれ落ちた・排除された人々がいる。そういうところにもっとビハーラは 立っていくべきではないだろうか?それが親鸞の教団がするビハーラ活動であ り、同朋運動からビハーラが学ぶべきことではないだろうか?
11年5月25日(木) 「非当事者による非当事者の運動」
 先日、沖縄の教団人の話を聞く機会があった。彼は「今まで教団として沖縄問 題を語る時、それは「兵戈無用」に代表される仏教思想を根拠として非戦・平和 を語るものであって、沖縄県民への差別問題、人権問題として語られることはな かった」と言う。つまり、「(教団は)沖縄問題が世界平和を語るうえの重要な課題 で、今、沖縄の現実に学ぶことが求められている」と口では言いながら、「平和」 の一言で沖縄に押付けられている差別の現実から目を背けてきたのではないか という問題提起であった。そして具体的な事例を挙げながら教団による沖縄差別 の現実を紹介してくれた。
 例えば、先般、教団から即如門主組巡回の記録集「勝縁」が発刊された。しか しそこには沖縄の記録はなかった。教団に問い合わせると、担当者は「沖縄の 記録は、後日発刊される海外開教地の記録に掲載する」との返答だったという。 彼は「沖縄は(本願寺にとっても)やっぱり海外なのか?」と強く抗議したという。 その他にも、6月23日は沖縄にとっては「慰霊の日」である。歴史的な経緯もあり 沖縄ではその日は休日と法的に定められているという。ところが教団はよりによ ってそのような日に、中央基推委などの全国会議を平気で入れるという。沖縄に とっての6月23日は、広島にとっての8月6日であり、長崎にとっての8月9日、そし て日本全体にとっての8月15日みたいなものである。そんな日に、平気で会議を 入れるところに教団における沖縄の位置づけが見え隠れするという。
 現在の「基幹運動総合基本計画」の中には「沖縄問題への取り組み」が明記さ れている。しかしそれはどんな取り組みを想定してのことだろうか?基地問題を 含む非戦・平和問題だろうか?それとも沖縄差別の問題だろうか?どちらも大切 な問題ではあるが、教団の基幹運動として取り組むというのならば、まず「教団 による沖縄差別の現実」から出発すべきであろう。それを無視したところで推進 される運動など「非当事者による非当事者の運動」でしかない。同朋運動がこの 60年間をかけて批判し続けてきた教団による融和運動でしかないだろう。
 それにしても最近、この「非当事者による非当事者の運動」が殊に教団内で目 立つようになってきたような気がする。部落問題も今や社会問題の一つに矮小 化れててしまったし、今流行の自死問題しかりである。そのような社会運動は、 「やりたい」と思う有志がすればいいのであって、何もわざわざ基幹運動として教 団全体の課題にする必要などないと思うが・・・
11年5月24日(火) 「御同朋法話:厭離穢土・欣求浄土A」
 (つづき)こういうことではないでしょうか?私たちは苦しみや悲しみの原因をす ぐに自分の外側に求めていきます。例えば「怨憎会苦」という苦しみがあります。 嫌いな人に会わなければならない苦しみです。あれって不思議です。会いたい人 には中々会えないのに、会いたくない人に限ってよく会う。逆ならどんなにいいか と思います。しかしそうはいきません。怨憎会苦、まさに私たちが抱える苦しみの 代表です。そこで私たちはどう考えるかというと、「アイツさえいなくなればいいの に・・」とか「あの人のいない所へ行きたい・・」と考えます。つまり苦しみの原因は 相手の側にあると考えます。しかし仏教は違います。仏教は苦しみの原因は、自 分の外ではなく、自分の内にあると教えてくれます(もちろん全てではないが・・)。 例えば、先ほどの御爺さんの場合。御爺さんの心配の種は、お浄土で酒が飲め るのか飲めないかでした。それが気になって、悩んでいました。でもどうでしょう か?お酒を飲まない人にとっては、そんなのどうでもいいことです。お浄土に酒が あろうが、なかろうが、どっちでもいい。苦しみは生じません。このように「あれが 欲しい、これが欲しい」とか「あの人に会いたい、アイツに会いたくない」とか、そう いう私の欲望が苦しみを生むのであって、欲望がなければ苦しみも生じません。 苦しみの原因は外にあるのではなく、自分の内にある。それを教えてくれるのが 仏教であり、浄土という世界です。

 よくお浄土と聞くと、何か死んでから後の話と思っている人が結います。例えば 最初に紹介した徳川家康がそうです。ご存知のようにお浄土には喧嘩や争いは ありません。『仏説無量寿経』の四十八願の一番最初に法蔵菩薩(阿弥陀如来) は「私の国には地獄(戦争)・餓鬼(貧困)・畜生(差別)はいない」と誓っていま す。また、ちょっと浄土の「浄」という字を思い浮かべてください。「浄」は「サンズイ 篇に争う」と書きます。つまり「水で争いが流された所=戦争のない世界」が浄土 です。争いがないからこそ、他人から殺さ(傷つけら)れる心配もないし、他人を 殺す(傷つける)苦しみも生じません。ところが家康はそんな苦しみのない浄土を 願いながら、苦しみを生み出す戦を続けます。確かに戦国時代というのは、今と 違って苦しいこと、辛いことが一杯ありました。もう早く死んでお浄土に往きたいと 思う人も多かったと思います。しかし考えてみてください。そもそもその苦しみの 原因の一つは、戦ばかりしているからではないでしょうか?戦になると働き盛り の男はかり出されるは、田畑は荒れる。百姓にとっていいことなどありません。戦 がなければ、もっと楽になるはずです。ところが家康はこの娑婆を厭い、苦しみ のない浄土を願いながら、戦を続けました。矛盾しています。お浄土を死んでか ら後の話だと考えていた証拠です。親鸞聖人は、お浄土のはたらきによってこの 世の愚かさや苦しみの原因が知らされたなら、「この身をもいとひ」「世をいとふし るし」が現れるとお示し下さいました。「恥ずかしい」とか「もう嫌や」と思ったら、心 の中で思うだけでなく、「しるし」となって外に現れてくるということです。戦をしない ように努力したり、欲望を自制するなど行動となって現れるいうことです。それが 「厭離穢土・欣求浄土」の本当の意味であり、親鸞聖人が明らかにして下さった 浄土真宗の教えです。

 ちなみに徳川家康という人は、偉いというか、ずる賢いというか、親鸞聖人の教 えを十分知った上で、わざとお浄土を死んでからの話にすり替えてしまったので はないでしょうか?苦しみをなくす為に戦争を止めるのではなく、この世は苦しい こと悲しいこと一杯ある。しかし、お浄土に往けば苦しみや悲しみはなくなる。だ から思いっきり戦え!死んだら浄土が待っている!と人々を戦に駆り立てようと したのかも知れません。それは先の戦争で門信徒を戦場に追いやった本願寺教 団や、戦死者を「英霊」として祀る靖国神社に通ずるものがあります。(おわり)
11年5月23日(月) 「御同朋法話:厭離穢土・欣求浄土@」
 「厭離穢土・欣求浄土」という言葉があります。今、NHKの大河ドラマで「江―姫 たちの戦国」をやっていますが、あの中に徳川家康が登場します。あの家康の軍 旗・のぼりにもこの「厭離穢土・欣求浄土」という言葉が書かれていました。どうい う意味かというと、「穢土」とはこの娑婆の世界のことです。この娑婆の世界は、 もちろん嬉しいこと、楽しいこともあるが、それ以上に苦しいことや悲しいこと、辛 いことが一杯ある。そんな娑婆の世界を厭い離れて、苦しみのない浄土の世界 を願い求めるという意味です。もともとこれは、親鸞聖人が尊敬した源信和尚と いうお坊さんが書いた『往生要集』という書物に出てくる言葉だそうです。ですか ら本来は仏教の言葉なんですが、なぜか家康はこの言葉を戦場に掲げて戦をし ました。なぜか?そのことも含めて、お浄土とは一体どういうところか考えてみた いと思います。

 お浄土とはどんなところでしょうか?よくお浄土のことを「極楽」とも言います。 「楽が極まった所」と書きます。よく温泉に浸かりながら「ああ、極楽、極楽」と言う 人がいますが、そこからお浄土とは何か非常に楽しい所、何でも自分の思い通り になる所というイメージを抱いている方も多いと思います。昔、「帰って来たヨッパ ライ」という歌が流行りました。どんな唄かというと「おらは死んじまっただ・・・」と いう歌詞で始まって「天国よいとこ一度はおいでよ 酒は美味しい ネエチャンは きれいし・・・」と続く唄です。あれは天国の話ですが、まあ、お浄土もあんな感じ の所と思っている方も多いのではないか?しかし考えてみてください。確かに「酒 が美味しくて、美人が多い」というのは酒飲みで、男性にとっては「極楽」かも知 れません。しかし女性はどうですか?どうでもいい話です。それどころか、亭主が 飲んだくれて、他の女性にうつつを抜かす。奥さんにとっては極楽どころか地獄 です。そう考えると、何でもかんでも自分の思い通りになることが必ずしも皆の幸 せになるとは限りません。自分一人だけ幸せになって、その他の人は不幸、それ はお浄土ではありません。
 では本当のお浄土とは一体どういう世界でしょうか?こんな話を聞いたことがあ ります。昔、あるお寺に熱心にお説教を聞く一人の御爺さんがいた。このお爺さ ん、お説教を聞きながらいつも気になることがあった。それは、お浄土に往っても お酒を飲めるのか?飲めないのか?ということでした。このお爺さんは、毎日の 晩酌が何よりも楽しみで、浄土でも酒が飲めるのかどうなのか、それが気になっ て仕方がなかったといいます。ある時、住職さんに思い切って訊ねてみたそうで す。すると住職さん「御爺さん、心配せんでもいいよ。お浄土に往ったら、毎日、 好きな酒を好きなだけ飲めるぞ」と言ってくれた。それを聞いた御爺さん、大喜 び。「これでもういつ死んでもいい」と安心して帰ろうとした時、それを呼び止め て、住職さんがこう付け加えたそうです。「御爺さん、お浄土には好きな酒が好き なだけある。しかし、あっても飲みたいと思わない。それがまたお浄土という世界 だよ」と言ったというお話です。どうですか?お浄土には、私たちが欲しいもの何 でも、好きなだけある。しかしそれを欲しいと思わない。それがお浄土だと言いま す。どうでしょうか?皆さんは、意味が分かりますか?(つづく)
11年5月10日(火) 「震災の政治利用」
 今回の東日本大震災を受け、宗会内では「宗派として迅速な対応をするために も、機動力のある組織改変が必要」として宗法改定の正当性を主張する人々が いると聞くが、国会内でも「憲法を改定し非常事態(緊急事態)規定を盛り込むべ きだ」と主張する人々がいるという。どちらも震災を政治的に利用しようとする魂 胆が透けて見えるが、今なすべきことは憲法の改定ではなく、憲法の遵守であ る。
 避難所生活の報道によると、もちろん被災された全ての人が困難な生活を強 いられているが、その中でも特に老人や病人、障害者、女性といった弱者により 負担がかかっている現状があると聞く。例えば、持病のために特別なケアが必 要なのに、避難所では周囲に気を遣い中々口に出せないとか、施設で暮らす障 害者が非常に劣悪な環境の下で避難生活を強いられているとか、女性などは女 性用の下着が不足しているなど・・・。「皆、大変な時期なんだから自分だけ我儘 を言ってはいけない」という思いから、人間として当たり前の権利の主張さえ我慢 している人が多いと聞く。
 日本国憲法・第25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営 む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及 び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と定めている。憲法改 定云々というよりも今すべきことは憲法の遵守であると思う。
11年5月4日(水) 「フクシマ50」
 海外のマスコミなどでは福島第一原発で復旧作業に従事している人々を「フク シマ50」と呼びその活動を讃えているという。それは日本でも同じである。例え ば、今回の震災を「天罰」などと発言した石原東京都知事は、原発に出動した東 京都の消防隊員に涙を流しながらその勇気と活動を讃えていた。それ他にもネ ットの世界などでも、原発で働く東電社員(下請けを含む)や自衛隊員を「危険も 顧みず日本のために頑張っているヒーロー(英雄)」として賞賛する声があがって いる。
 確かに一度原発が暴走すると日本はおろか世界中にまで放射能の危険が及 ぶ。そうなる前に何とかして止めなければならない。それはよく分かる。でもであ る・・・。政府は緊急事態だからこという理由で、原発で働く作業員が1年間に浴び てもいい放射能の許容数値を緩和したという。原発で今働く作業員は劣悪な環 境の下、使命感だけでギリギリの作業をしていると聞く。女性社員が許容量を超 える被爆をするなど東電の安全管理が問われている。それら報道を聞くと、私た ちは彼らを「ヒーロー」と口では褒め称えつつも本音では「日本(俺)のために死 ね!」と言っているような気がしてならない。それはちょうど「靖国(ヤスクニ)問 題」と同じである。
 「靖国(ヤスクニ)」とは、日本のために戦った戦死者を「英霊」として褒め称え、 家族の怒りや悲しみを名誉や喜びに昇華させ、また後に続く者の士気を鼓舞す る戦争動員装置である。そのためにも日本のトップである天皇や総理大臣をは じめとする国民の参拝が不可欠となってくるが、まさに同じことが「フクシマ」で起 こっているような気がしてならない。
 残酷な話である。エゴむき出しの人間の闇≠ェそこにある・・・
11年5月3日(火) 「オサマ・ビンラディンとは・・・」
 「9.11」の首謀者とされるオサマ・ビンラディン容疑者が米軍によって殺害され た。オバマ大統領をはじめとする米国民は言うに及ばず、多くの先進国が「歓 迎」の談話を発表している。非常に異様な光景である。
 アメリカや日本をはじめとする国々は彼を捕まえる(殺す)ためにイラクやアフ ガニスタンで何人の人を殺したんだろうか?オサマ・ビンラディンはあくまでも容 疑者であり、裁判にもかけずに特定の国家が彼を「私刑」にすることなど許され るのだろうか?そして何よりも、たとえ「悪い奴」であれ、一人の人間を殺して歓 声を上げる人間とはなんだろうか?
 「オサマ・ビンラディン」を生み出したのは一体誰だろうか・・・
11年5月2日(月) 「悲しみに寄り添うとはE−アクセサリー」
 今朝の「朝日新聞」に「少数者の思い 共有を」と題して人材コンサルタントの 辛淑玉の話が紹介されていた。
 その中で辛さんは、以前、東京都の石原知事が永住外国人への参政権付与 を反多する集会で「与党を形成する政党の幹部に帰化した子孫が多い」などと発 言した際、社民党の福島党首が「私も両親も(在日ではなく)帰化していません」 と会見で反論したことをあげ、「一緒に闘ってきたはずの仲間から「あなたたちと 私はちがう」と言われたように感じ。自分達マイノリティーには、隣人にいざという 時、ぽんと手を切られるのではないかという恐怖がある」と語っている。
 これは差別され続けてきた辛さんだからこその発言なんだと思う。差別者なら 言うだろう。「だから被差別者は僻みが強い」と。福島党首なら「そんなつもり(意 図)はなかった」と弁護するかも知れない。しかし辛さんはその福島党首の発言 に石原知事の差別発言以上の「恐怖」を感じた。
 今、私たちの西本願寺教団は「人の苦しみに寄り添う」をスローガンにしながら 自死問題や震災支援に取り組もうとしている。しかし、部落問題への取り組み (同朋運動)すら途中で投げ出してしまった教団に「人の苦しみに寄り添う」ことが などできるのだろうか?かつて同朋運動に取り組む人々から「教団は部落問題 への取り組みを単なるアクセサリー≠ニしている」という批判が繰り返された。 そこには、「時代の流行」として社会問題に取り組み、流行が過ぎれは忘れると いう教団のご都合主義に対する批判があった。
 「人の苦しみに寄り添う」ことが出来れば素晴らしいことであるが、でもそれはそ んなに生半可なことではないことを辛さんと同朋運動から改めて学んだ。
11年4月30日(土) 「悲しみに寄り添うとはD−震災と沖縄基地問題」
 今回の震災のドサクサに紛れてと言うか、政府は沖縄・普天間基地の移設先と して辺野古に建設を予定している滑走路の形態を自公政権が決めた「V字型」に することを米国政府と合意する方針を決めたという。
 今回の震災では在日米軍、特に沖縄の海兵隊が仙台空港の復旧作業に積極 的に加わるなどしたことから、「やはり日米安保は必要だ!沖縄の海兵隊は役 立っている!」といった意見が声高に叫ばれるようになった。
 まったくもって問題の摩り替えである。沖縄の人々を馬鹿にするだけでなく、震 災を政治に利用する不謹慎極まりない暴論である。
11年4月29日(金) 「悲しみに寄り添うとはC−お寺から排除される人々」
 門徒推進員を対象としたある研修会で、一人の参加者が「参加費が高い(負担 になる)」とふと友人に愚痴をこぼしたという。研修会への参加はあくまでも本人 の意思によるもので、強制されるものではない。負担に感じるなら参加しなけれ ばいいという声が聞こえてくる。確かに一般の社会においてもそのようにして経 済から何もかもが動いている。でも何か引っ掛かるものがある。
 法然上人は諸行往生を否定して念仏一つの救いを説いた。そこには戒律を守 りたくても守ることが出来ない人々や寺や僧侶に布施をしたくても出来ない人々 の存在があった。善悪・貴賎・賢愚・貧富を問わないのが浄土真宗である。
 私たち僧侶はあまり実感はないが、寺参りするだけでも結構お金がかかるもの である。法要があれば手ぶらでは行けないし、寺を修理するとなればそれだけ門 信徒への負担は増える。確かにそのようにして寺というものは維持されているん だけど、その結果としてお金のない人や生活に困っている人にプレッシャーを与 えたり、お寺から排除してしまっていることはないだろうか?
 宗教とは、お寺とは、浄土真宗とは、本当は一番困っている人の立場に立たな ければならないはずである。今回の震災を受け、賛否両論はあったものの西本 願寺では予定通り大遠忌が行われた。教団幹部は、大遠忌に参拝した被災者 が「参拝してよかった」と言ったことを例示しながら教団の判断が間違っていなか ったことを強調してみせた。確かに震災しても参拝したいという人はいる。それを とやかく言うつもりはない。個人の意志を尊重すべきである。でも参拝したくても、 参拝できなかった人も一杯いるはずである。しかし今の教団にはそういう人々に 対する眼差し≠ニいうものが欠けているような気がする。
 「被災者の苦しみに寄り添う法要」取って付けたようなスローガンはやっぱり好 きになれない。
11年4月26日(火) 「悲しみに寄り添うとはB−自分で考え続けることの大 切さ」
 今朝の朝日新聞の「声」の欄に、滋賀県のある僧侶から「(震災を受けての)自 粛」ということについての投稿があった。内容は以下の通り。
 今回の震災を受け全国各地で花見や各種のイベント等が延期又は中止となっ ている。そしてそれを擁護する立場と否定する立場がある。擁護派は、これだけ 沢山の人が亡くなり、今でも大変な生活をしているのに、酒など飲んでいられな いと言う。一方の否定派は、自粛はかえって日本経済を停滞させ、被災地の復 興の足かせにもなると言う。どっちが正しいのだろうか?と私も考えていたが、投 稿者はどちらも立場も尊重しても良いと言う。「自粛したい」と思うのも「元気にい こう」と思うのも、どちらも被災者のことを真剣に考えた中で出てきたものであり、 素晴らしいことだと。ただ否定すべきは、何も考えずにただ世間が「自粛」と言う から私も自粛するとかいう態度であると言う。それは煩わしいこと(悩むこと)から 逃げていることであり、被災者のことを真剣に考えていないことでもあると書いて あった。
 「被災者の悲しみに寄り添う」(個人的にはあまり好きな言葉ではないが・・)こと がどういうことなのかを改めて考えるきっかけとなった。
11年4月14日(木) 「宗教と政治」
 東京都の石原知事が今回の震災を「津波を利用して我欲を一回洗い落とす必 要がある。やっぱり天罰だと思う」と発言したことがあった。それに関して今朝の 「朝日新聞」の「社説余滴」に非常に興味深い指摘があった。筆者は石原発言を 「己の気分を天や神に仮託」しただけであると断じている。まさに指摘の通りだと 思った。
 石原知事をはじめとした保守系の政治家などは度々「神」や「天」を利用する。 万世一系の「天皇制」しかり、靖国信仰しかりである。「この国のために命を捧げ た英霊に見習え!英霊の意志を継げ!」だとか言うが、本当に「神」や戦死者が そう思っているんだろうか?はっきり言って誰にも分からないはず。ただ自分の 思想や信条を国民に納得させるために「神」や戦死者の権威を利用しているだ けである。
 親鸞聖人が生きた中世社会においても宗教の権威を利用した民衆支配が横 行していたという。「税金を納めなければ地獄に落ちる」や「納税は善行である」 などと。そんな時代に専修念仏は「神祇不拝」を説いた。ここで言う「神祇」とは 「神」一般ではなく、為政者によって利用されるところの「神」なんだろう。
11年4月12日(火) 「悲しみにより沿うとは?A」
 西本願寺の住職が今回の震災に対してメッセージを発信した。
 「宗門では、すべての被災された方々の悲しみに寄り添い思いを分かち合いた いとの願いを持って、4月9日より親鸞聖人750回大遠忌法要をお勤めいたしま す。阿弥陀如来のお慈悲のなかに、ともに支え合う宗門であることを心にとめて いただき、心身ともにお大切にお過ごしになられますよう念じます。」
 奈良の東大寺が「少しでも被災者と労苦をともにして震災を記憶し続けたい」と し、金融機関から1億円を借り入れ義援金として送ったという。北河原住職は「で きることをしたいと思う。借り入れたのは被災者と痛みを分かち合うため」と話し ているという(朝日新聞より)。
 宗教者が最近よく使う「悲しみに寄り添う」という言葉ほど胡散臭いものはない と思っていた。しかし今回ばかりは頭が下がった。
11年3月29日(火) 「悲しみに寄り添うとは?」
 お参りに行くと必ず出るのが震災の話題。多くの門徒さんが「かわいそうやな」 とか「大変やな」と口々に。そして最後にみんなが言う。「この辺は何もなくてよか った」とか「有難いと思わんならアカンな・・」と。そしてそれに違和感を感じつつも 頷いている私。
 80年代、教団で「ハンセン病差別法話事件」が起きた。問題の布教使は、まず ハンセン病の恐ろしさや療養所の悲惨さを殊更強調した上で、そんな中でもお念 仏を喜んでいる入所者の姿を紹介しながら、「あなたたちも彼らに見習え!」と言 わんばかりの法話をした。2000年代に入り、「本願寺新報による瓦懇志問題」が 起きた。御影堂の修理のために「瓦懇志」を全国の門信徒に募っていた当時、 本願寺新報の一面にハンセン病の元患者さんが多額の懇志を本山に納めたこ とが大々的に報じられた。1902(明治35)年、教団が前年に設立した大日本仏教 慈善会財団の募金宣伝のために和歌山県のあるお寺に出講していた某布教使 が差別法話をした。募金に応じた被差別部落の門徒を引き合いに出しながら、 あのような人たちですら募金をするのだから、あなたたちがするのは当然だ!と いった趣旨の発言をした。
 4月9日から宗祖750回大遠忌法要が本山で予定通り行われる。震災に配慮し 法要の延期や趣旨の変更を求める声に対して、教団は「人々の悲しみに寄り添 いながら法要を勤める」と答えている。「悲しみに寄り添う」が最近の教団の流行 文句であるが、一体どんな法要になるんだろうか?少なくても震災や被災者を何 かに利用するようなことだけはして欲しくない。
11年3月22日(火) 「もう一つの壁=v
 原子力発電所には「国民」を危険から守るために幾つもの「壁」があると言われ てきた。今、問題になっている格納容器や圧力容器、原子炉建屋などである。し かしそれ以外にももう一つ「壁」があるんじゃないかと思った。
 今、問題になっている東京電力の福島第一原発は福島県にある。しかし聞くと ころによるとあそこで作られた電力を福島県民が使うことはない。東京を中心と した関東圏の電力を賄うための発電所だという。以前、中越沖で起きた地震に の時にも、火災などが起きた柏崎原発も同様である。これまで政府や電力会社 は、原発は安全であると強調してきた。しかしそれは誰にとっての「安全」だった のだろうか?
 同じことは関西圏に暮らす私たちにも言える。関西圏に電力を供給する関西電 力は、日本の電力会社の中でも一番原子力への依存度が高いという。そしてそ の原発のほとんどは、最大の消費地から遠く離れた日本海側の福井県にある。
 福島原発の周辺に暮らす人々は地震被害意外にも放射能の恐怖とも戦ってい る。中には長年住みなれた故郷を捨て移住を検討している人もいると聞く。それ に対して原発のお陰で地元も潤ってきたではないかと言う人もいるかも知れな い。沖縄の在日米軍基地問題も同じであるが、私たちはいつまで自らの「安全」 のために誰かを犠牲にするのだろうか・・・・
11年3月18日(金) 「今、念仏者として私に出来ること」
  阪神・淡路大震災を経験した仲間の僧侶から今回の大震災に関して下記の内 容の趣旨を草の根で広めて欲しいというメールをもらった。その趣旨に賛同した いと思う。
 記
お願いのこと 
 宗門をあげて準備を進めてまいりました親鸞聖人750回大遠忌法要も、いよい よ目睫にせまり総局に置かれましては、日々ご法要円成にむけてのお取り組み をいただいておりますこと誠に有難うございます。 
 しかし、3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生し、その被害は未曾有のも のであり、未だ、被害の実態も把握できない状況です。また3月12日には長野 県北部を震源とする地震、3月15日には静岡県東部を震源とする地震が頻発し ております。 
 また、東北地方太平洋地震の津波に起因する原子力発電所の事故は、日々 刻々と深刻な状態となり、地域住民に対し国によって避難指示がだされるなど、 予断を許さない状況となっております。現在、国を挙げて対策に奔走し国民全体 がこの状況に心を傷めております。 
 被災地での困難な救援活動、そして被災者の悲しみ、不安、苦悩に思いを馳 せたとき、被災者の困窮を視野に入れずに目睫に迫っている750回大遠忌法 要をこのまま修行することがはたして親鸞聖人のお心にかない、如来の大悲に 報いることになるのか念仏者として問わずにはおれません。 
 すでに、宗門では、緊急現地災害対策本部を設置し緊急支援物資・復旧支援 隊等の対応の他、見舞金・たすけあい運動募金災害義援金募金など必要な措 置をとられていることとは存じますが、それでは、門信徒や対社会的な対応とし て、宗門の意向や願いを表明したことにはならないのではないでしょうか。 
  浄土宗では門主から「元祖法然上人800年大遠忌法要の延期について」と いう形で、この度の被災者や門信徒への対社会的な対応として自らの思いを表 明されました。また、浄土真宗大谷派では、被災者追悼法要として一部の法要を 修行するとのことであります。 
 そこで、総局にお願いいたします。早急にこの災害について宗門の意向や願い を門信徒並びに対社会的に表明し、この度のご法要の趣旨を被災者追悼法要 として修行するなどの変更を含む内容の再検討をした上で、大遠忌団参の参拝 懇志を災害義援金に充当するなど表明し団体参拝で大遠忌に参集することが、 災害支援につながるものとすることで僧侶・門信徒が一丸となって参画できるよ うご決断いただき、宗門の総力を、如来が「十方衆生」と呼びかけられた御同朋 の支援に向けてくださいますようお願い申しあげます。 
合 掌 
11年3月1日(火) 「差別者としての親鸞」
  NHKの「クローズアップ現在」でお寺の特集をしていた。連れ合いと一緒に番 組を視ながらこんな話をした。
 連れ合いは結婚する前、福祉の仕事をしていて、その時の話をしてくれた。福 祉の業界では「患者さんや介護の対象となる人をお客さん≠ニして接するん だ」と教えてくれた。それを聞いて少し違和感があった。お互い様≠ネら分かる が、お客さん≠ニは何か商業的な発想であり、仏教的ではないと思った。しか し、連れ合いと議論する中ではっと気づいたことがある。
 同朋運動とは部落問題への取り組み(解決)を通して私たちの教団が真の同 朋教団(親鸞の教団)に戻る運動だと言える。なぜ同朋運動は部落問題なの か?それは私たちの教団が部落問題の当事者であるからである。私たちの教 団や僧侶は親鸞の教えの名の下に部落差別を肯定し、温存・助長してきた。部 落問題においては、私たちの教団は差別者(加害者)である。そのことに異論は ない。そのことを真摯に受け止め、差別者としての自らの立場からの解放を目指 す運動が同朋運動である。差別教団であった教団が差別から解放されること、 それが一番の同朋教団への近道である。だからこそ他の社会問題ではダメなの である。部落問題だからこそ当事者になれるのであって、他の問題ではどうして も第三者的な立場から関わってしまう。己を問うことが薄れてしまう。親鸞への道 が遠のく。しかし残念ながら私たちの教団や僧侶は部落問題を社会問題の一つ に矮小化し、自らの問題(当事者・差別者)としてではなく第三者的な立場から常 に関わろうとしてきた。同朋運動はそんな教団や僧侶の体質を批判し続けてきた 運動でもあった。
 親鸞聖人はとことんまで己の罪悪性を凝視された人であった。自らを「愚禿」と 名のり、罪悪人中の凡夫という自覚の上に生きられた人であった。それが他の 宗派の宗祖と違うところであり、浄土真宗が浄土真宗である所以でもある。親鸞 聖人の伝記の中に、ある時、親鸞聖人が飢饉に苦しむ人々を見かねて三部経 の読誦を思い立った。しかし途中で、それは「自力」であると気づき、それを中断 した話が残っている。そのことは『歎異抄』の「聖道の慈悲・浄土の慈悲」としても 語り継がれている。「聖道の慈悲」とは何か?どこかで自分を一段高い所に置い て、上から可愛そうな人を助けてあげているという発想ではないだろうか?一 方、「浄土の慈悲」とは、「苦しんでいる人を憐れんでいる」そんな第三者的な自 らの立場(=差別者)からの解放を目指して、「それまで憐れんでいた人(=被差 別者)」と連帯して、共に差別・被差別からの解放を目指して歩むことではないだ ろうか?
 連れ合いが福祉の仕事に就いた当初、先輩からこう助言されたという。福祉は もちろんお互い様≠ニいう考え方に基づいているが、福祉に携わるあなたは決 してボランティアではない。仕事として患者さんや高齢者に接しなければならな い。だからどんな認知症の患者さんにもちゃんと○○さん≠ニ呼びなければな らない。どんなに親しくても○○ちゃん≠ニ呼んではいけないと教えてもらった という。「患者さんはお客さん(利用者さん)=v、私のように僧侶の立場からす れば何か冷たい感じがするが、でもそれが本当なんだろう。ボランティアで関わ れる人などそうはいない。多くの人がお金を貰って、それに見合ったサービスを 提供する。だからこそ患者さんもちゃんと自分の権利や要求を主張できるし、福 祉で働く人も相手を大切に出来る。逆に、全くのボランティアや「私は宗教家だか らこんなにもやってあげている」という人ほど、どっかで信用ならないのかも知れ ない。全ての存在が凡夫であることを説く、真宗の教えにも相容れない。
 親鸞聖人は当時の被差別民を「われら(御同朋)」と呼び、お念仏の共に人生 を歩まれたと聞く。しかしそれは親鸞聖人が聖人≠セから彼らに寄り添ったの ではない。「私は差別者である」という自覚に基づき、差別者としての立場から自 らを解放することを願って、そのために被差別者と連帯し共に「差別・被差別から の解放」を目指して人生を歩まれたのだと思う。
 明日は教堂の大遠忌法要である。差別者としての親鸞、そしてそんな差別者 からの解放を願って被差別者と連帯しながら人生を歩んだ親鸞、その徳を讃え る一日にしたい。
11年2月23日(水) 「基幹運動後の運動(新たな運動の始まり)」
 あるお寺から戦時中、本山−教務所を通じて送られた組長(事務所)宛の文章 が発見されたという。国家の政策(戦争の正当性から戦意高揚や慰問活動や勤 労奉仕の推奨など)が本山(教務所)を通じて組長事務所におろされ、それが各 寺院へと伝えられ、各門徒の隅々にまで届けられるというリアルな実態が発見さ れた資料から容易く想像できた。逆に組長事務所からは、戦死した門徒の情報 や地域で開かれた講演会の内容、他宗派の動きまで様々な情報が教務所を通 じて本山に報告されたいたという。かつてある人が「地域の末端で戦争を支えて いた人が3人いった。まず学校の校長先生。次が地域の巡査。そして最後が寺 の住職だ」と話していたが、現在の私たちが想像する以上に戦争遂行に果たし た寺院の役割は大きかったんだと思う。
 もう一つ興味深かったのは、「本山−教務所ー組長事務所−寺院−門徒」とい う見事なまでの指揮命令系統である。本山で決められたことがそう時間をおかず 末端の門徒まで伝わる(実態は分からないが少なくても形式上は)。現在のよう にテレビやインターネットなどの情報網が整備されていなかった時代には、色ん な意味で貴重なものだっただろう。そしてその命令系統は現在にまで続いてい る。伝えられる内容は変わっても(昔は戦争遂行、現在は基幹運動の推進)、そ の流れは全く一緒である。
 上位下達。確かにこれまで運動を推進する(運動の教団化)上で大きな役割を 果たしたのは間違いない。しかし運動の内容云々よりもそういう押付け体質に対 する反感も多かったと思う。そういう意味では限界は見えていた。しかし幸いと言 うのか、これまでの運動は教団内(中央)から一掃されようとしている。運動推進 者は教団権力の外に出て運動をすることを決意した。「草の根運動」の始まりで ある。上位下達ではなく、下から上を突き上げていく運動の始まりである。運動 の理念が間違っていなければ、きっと今まで以上に自立した教団人が連帯した 新たな運動が始まるに違いない。これからの運動が楽しみである。
11年2月18日(金) 「法名など要らない?」
 教区主催の同朋研修にうちのお寺からも仏婦の会員さんが出席した。研修の 中で、院号の問題が取り上げられ、差別的制度であることは多くの僧侶が認識し ているが、廃止までには至っていないといった説明が講師からなされたという。
 帰りの車の中で、門徒さんらがこうんな話をしていたという(連れ合い談)。「そ ら、院号を廃止するわけがないやろう。それで本願寺が潤っているねんから」と チクリ。また法名の話題にもなり、「生きている間に法名を貰いなさいと言うが、 帰敬式を受けるには1万円かかる(内願だと更に1万円)。死んだら手次の住職 がタダで法名をつけてくれるんだから、わざわざ1万円払ってつけてもらう必要が どこにあるんだろうか?」とチクリ。
 確かに一理ある。法名には「私は仏教徒としてこれから生きていく」という名の りがある。だから死後ではなく生前につけるほうがベターである。しかし仏教徒と して生きていく自覚があれば、法名などあろうがなかろうが、どっちでもいいと言 えばどっちでもいい。ましてや自分の財布から1万円払ったのに、開けてみるまで どんな法名が授けられたのかも分からない。どうしても気にいらない法名だって あるはず。だけど本願寺さんから戴いたものであるから拒否も許されない。それ が嫌で内願をしたらしたで更に1万円が加算される。そしてそこにも「遠慮文字」 なるものがある。そんな法名なら要らないという門徒さんがいてもおかしくはない はず。
 親鸞聖人は、承元の法難により「藤井善信」という俗名を天皇から無理矢理与 えられ、流罪に処せられた。しかしその時、親鸞聖人は「非僧非俗」の宣言によ ってその俗名を拒否し、自らの姓を「禿」と名のって、以後「愚禿(釈)親鸞」として 生きていかれた。
 法名とは本来、誰かから与えられるものではなく、「私は仏教徒(念仏者)として 生きていく」と決心した人が自ら名のっていく名前なんだと思う。私たちの教団を 含めて日本の仏教教団はかつて被差別部落の門徒さんに対して「差別法名・戒 名」をつけていた。何も知らない門徒さんは自分のご先祖様につけられたその 「差別法名」を、お寺さんがつけてくれた有難い名前とずっと手を合わせてきた現 実がある。まさに人の心を弄ぶ犯罪である。そんな僧侶の差別体質を反省し克 服しようとするのが本来の「法名の本来化」の意味であった。それが今や「帰敬 式推奨運動」へとすり替えられ、本当の意味での自らの名のりさえ許されないま ま、財源の一部となってしまった。そんな法名なら要らないのかも知れない。
11年2月15日(火) 「御同朋とは?〜兵庫教区同朋講座差別事件からの 学び〜」
 兵庫教区の同朋講座で起きた講師による差別発言事件。これまでの事件と違 う点は、講師の発言以外に、研修に参加していた僧侶・寺族のあり方が問われ たことだという。講師の発言を差別であると見抜けなかったのはなぜか?参加者 の中には講師の発言に疑問を持ったのその場で指摘できなかったのはなぜ か?等々。
 今回の講師の発言もそうだが、研修や法座において「ちょっとその発言はおか しいのでは?」と思うことはある。でもその時に、講師にそれをいつも指摘できる かというとそうでもない。特に年上の講師であったり、自分が招待した布教使など であると、遠慮してそのまま聞かなかった振りをしてしまうことがある。
 今回の件に関しても講師に対する同情の声が教団内の一部にある。その後の 連続差別投書事件の中にも「講師がかわいそう」といった表現が見受けられる。 しかしである。かわいそうなのは講師ではなく、差別された寺院や住職である。他 人からすれば何ともない一言かも知れないが、当事者にっては「あの事件以来 時間が止まっているような感じがする」ぐらい大きな心の傷が残ったと聞く。それ にもし今回の発言が問題とされていなかったら、講師本人が「当初、あの発言に 対して何が悪いのか分からなかった」と証言しているように、その講師はこれか らもどこかで同じ発言を繰り返していたかも知れない。他人を傷つけて何も思わ ない、まさに如来の本願に反する行為である。僧侶であり熱心な布教使でもあっ たと聞くその講師にとっては、糾弾されるよりに辛いはず。
 「講師がかわいそう」と言う人は本当にその講師のことを心配しているのだろう か?本当の「御同朋」と思うなら、間違いは間違いであると指摘してあげるべきで ある。そして指摘した後も決して孤立させない。その講師が差別者としての立場 から解放されるまで常に支え、共に歩んでいく。それ位の覚悟を持ってこそ本当 の「御同朋・御同行」なのではないのか?
 最近よく「御同朋」というと何か単なる「仲良しサークル」みないなものをイメージ する教団人が多い。しかし「御同朋」とは仲良しグループではない。その人にとっ て都合の悪いこともちゃんと指摘できる関係。しんどくても最後までちゃんと支え あえる関係。それが親鸞聖人が言う「御同朋・御同行」なんだと思う。
11年2月9日(木) 「運動は報謝行か?〜信心至上主義」
 教団幹部でもある某教学者がある研修会でこんな風に話していた。ご信心を得 たらその「報謝行」として例えば部落問題などの社会問題にも自然に喜んで関わ るようになる。それが浄土真宗の教えだと。立派なことを仰る方だと思いながら 聞いていたが、なぜかその学者さんが同朋運動に熱心に関わっているという話 はこれまで一度も聞いたことがない。聞いたことがないだけかも知れないが、不 思議である。
11年2月7日(月) 「基幹運動の形骸化」
 大手流通企業のイオンが葬祭業に進出し、その中でお布施の額を明示したこ とにより仏教界から反発が出ているという。私も経験したことがあるがよく門徒さ んから「幾ら位包ませてもらえばいいか?」とお布施の額を聞かれることがある。 おそらくほとんどの寺院や僧侶がそうだと思うが「お布施とはお気持ち≠ナあ り、決まった額はない」と答えてきた。ときには「三輪清浄(布施をする側も、され る側も、またその内容にもこだわってはいけない)」など教義的な話もしてきた。し かしそれでも多くの人がお布施の相場を知りたがる。そんな人たちを私たち僧侶 は「仏教の何たるかも知らない奴等・・」とどこかで見下していたのではないだろう か・・
 しかしある僧侶仲間からこんな話を聞いた。その人が地元主催の「人権講座」 に出講した時のこと。シンポジウムが開かれ、地元の病院の外科部長と僧侶で あるその人が壇上に立った。すると会場から外科部長にこんな質問がなされた。 「よく大きな手術の前に患者さんから執刀医に心づけ≠ェ渡されることがあ る。そのことをあなたはどう思うか?」と。するとその医師は「私は自分からは要 求しないが、患者が持ってくれば有難く受け取る」と答えた。すると質問者がこう 言った。「あなたはなぜ患者が心づけ≠手術前に持って来るか分かるか? (心づけ≠フ是非は別にして、)本当に患者が貴方に感謝しているなら、退院 する時に渡せばいい。それなのになぜ手術前なのか?それは私たち患者があな た方医師を信頼していない証拠です。心づけ≠フ有無によって手術結果が左 右されるのではないか?そういう不信感があるからです」と医師全体を批判した という。次、僧侶であるその方の番。質問者が「あなたは檀家さんからお布施の 額を尋ねられたことはないですか?」と尋ねた。「よくある」と答えると、「それはな ぜか分かりますか・・?私たち檀家があなた達僧侶を信頼していないからです。 ちゃんとした額を包まないとご先祖様に何をされるか分からない。僧侶の機嫌を 損ねたら大変という思いがあるからです。このお坊さんだったら幾ら包もうがちゃ んとしてくれるという信頼があれば、檀家は布施の額など尋ねない」と僧侶の体 質を批判したという。
 目が覚めた。これが基幹運動なんだろう。「三輪清浄」をしっかり伝道し聴聞す ることが基幹運動ではない(もちろん伝道教化としては否定はしないが・・)。僧侶 や寺院の差別体質を直視し克服していく中で、これまで損なわれた僧侶(寺院) と門信徒との信頼関係を回復していく営み。それが基幹運動の願いなんだろう。
11年2月4日(金) 「宗法改定に思うことF」
 昨日、総局が宗法改定に関する議案を撤回し総辞職したという。議案自体が 否決されたのではなく、あくまでも採択しないまま撤回・総辞職したところがミソな んだろう。いみじくも退任会見で総長が言っているように、今日にも指名される新 しい総長のもとで改めて仕切り直す。改定は諦めていないということだろう。
 ところで教団の総長選挙はまず門主自身が教団内から2〜3名の候補者を指 名し、それを宗会が選挙で選ぶという一種独特のシステムがあるが、今回門主 が選ぶ候補の中に前総長の名前はあるのだろうか?もしあるとするなら「宗法改 定は本願寺住職の意志である。何があろうと必ず実現してみせる」という門主か らの強いメッセージとなるはず。これまで反対していた教団人や議員の中にも 「あのご門主がそこまで言うなら・・」と賛成にまわる人も出てくる可能性がある。 今まで小出しにしてきた伝家の宝刀≠一気に抜くのだろうか?
 確かにそうすれば情勢が一気に逆転するかも知れない。しかし間違いなく教団 内に大きな歪を残すだろう。いわば国家レベルでいうところの象徴天皇のような 存在が、一気に政治の表舞台に出てくる。そうなればこれまで「御門主様」と一種 独特の眼差しで見ていた教団人の中にも、反対に一歩引く人が出てくるだろう。 親鸞の末裔という象徴門主制≠ノよってこれまで統合されてきた教団秩序(体 制)が大きく揺らぐ可能性がある。「総局vs反対派」の構図から「門主派vs反門 主派」という構図に変わることも・・・
 そういう意味では、今日総長に誰が選出されるのか?門主がどこまで踏み込 むのか?教団の将来にとっても私たち一人ひとりにとっても非常に興味深い一 日になるに違いない。
11年2月3日(木) 「宗法改定に思うことE」
 ある人がこんな風に言っていた。「権力を持たない「貴族」は使いようだけど、権 力を握った「貴族」は暴走する」と・・・
11年1月30日(土) 「宗法改定に思うことD」
 宗法改定がいよいよ大詰めを迎えているという。詳しくは→http://www. geocities.jp/shuhonbunnri/
 今回の問題、要するに私たちがどんな教団を望むかだろう。善智識まします本 願寺を永世護持することがこの教団の目的なのか?それとも親鸞聖人のお念仏 の教えを自ら喜び他人に伝えることがこの教団の目的なのか?要するにどっち を選ぶんだ!?というのが今回の宗法改定なんだろう。
11年1月29日(土) 「「君が代」裁判に思うこと」
 東京都教育委員会による「君が代・日の丸」押付けを巡る問題で、東京高裁は 一審を破棄し教職員側の全面敗訴を言い渡した。その理由の一つとして「皆が 認めている)から」というのがあった。えらい乱暴な理由だと思う。「皆」では決して ない。訴えた教職員はもちろんだし私も起立したくないし斉唱もしたくない。
 これまでの自分自身の反省も込めて書くが、色々な意見があっていいんだと思 う。絶対的な善も悪もないんだから。他人が「歌いたくない」と言ったらたとえ自分 が「歌いたい」と思っても、その意見に同調しろとは言わないが、最低限尊重す べきなんだと思う。自分で学び考えて導き出された意見であるなら、反対意見は 述べてもいいが最終的にそれを否定する権利は誰にもないんだと思う。
 歌いたい人は歌えばいいし、歌いたくない人は歌わなくてもいい。どちらの意見 も尊重されるような式典を両者の間で作っていければいいと思う。それが教育だ と思うが・・・
11年1月26日(火) 「門信徒会運動の形骸化」
 以前、ある門徒推進員さんが「基幹運動というといつも部落問題や平和問題に なる。正直そのような問題に関わるのはしんどい。そういう門徒の気持ちも分か って欲しい。私たちはただもっと有難いみ教えを聴かせてもらい、掲示伝道など の活動をしたいだけなんだ」と仰ったことがある。
 確かに部落問題に関わることはこの方なくてもしんどい。喜んで関わっている 人など一人もいないはず。しかしどんなにしんどくてもそれから逃げることが出来 ない人もいる。逃げても逃げても追いかけてきて、嫌でも一生背負っていかなけ ればならない人々が私たちの教団の中にはたくさんいる。そういう人たちからす れば「しんどい」からと逃げることの出来る人が羨ましいはずである。
 それは置いといて、おそらくこの方は門徒推進員として日ごろから聴聞や伝道 活動を一生懸命されているのだろう。「全員伝道・全員聞法」の実践者である。で も普段この方を含め門徒さんらが聞いている有難いみ教え≠ニはどんな教え なんだろうか?普段僧侶が中心となって伝道される有難いみ教え≠ニはどん な教えなのだろうか?その中身を問うていこうというのが門信徒会運動の願いだ ったはず。
 「教団の中に同朋運動はもはやない」と言われて久しいが、もしかすると門信徒 会運動ももは風前の灯なのかも知れない。
11年1月20日(木) 「宗法改定に思うことC」
 今朝の朝日新聞の「オピニオン」欄に上野千鶴子さんの「男よ率直に弱さを認 めよう」という文章があった。先日まで同紙が「孤族の国」という連載していた特 集への意見である。
 その中で、上野さんは「老後の世話をして欲しい。最後を看取って欲しい」と嘆く 独身中年男性の言葉を「虫が良すぎる」とバッサリ。日本の男性はこれまで競争 社会の中の「弱肉強食」「自己責任」といった価値観の中で生き、家庭の中は中 で「メシ、フロ、ネル」という3語だけで足りるような生活をしてきた結果、「困ってい る」とか「しんどい」といった弱音が吐けなくなってしまった。そのことが自分から他 人とつながろうという努力を放棄させ、どんどんと孤独になっていくのだと分析す る。そこで男性ももっと自分の弱さを認めろとアドバイスする。そして、北海道に ある精神障害者施設の「べてるの家」を引き合いに出しながら、「弱さの情報公 開」と「弱さの絆」を結んでいくことを提言する。
 「俺は強い(善人)」という錯覚が人間を孤独にしていく。一方、「俺は弱い(悪 人)」という自覚が人と人との連帯を生み出していくのだろう。
 現在の本願寺教団では「悪人」とは「煩悩具足の凡夫」という非常に抽象的な 概念であるらしいが、私たちは運動の中では「悪人」とは当時の「被差別民衆(い し・かわら・つぶて)」であると学んできた。少なくても親鸞聖人は法然聖人から言 葉で聞いてきた「悪人正機=如来の目当て」の救いというものを被差別民衆の生 き方の中に実際に見たのだと思う。頼るもの(自力)など何もない。人々から差別 され、排除され、社会のどん底に生きる人々。そんな弱い存在だからこそ他人と つながらないと生きていけない。連帯しなければならない。親鸞聖人は、そんな 被差別民の生き方の中に「御同朋」や「現生正聚」といった「念仏の救い」というも のをリアルに見て取ったに違いない。
 そう考えるならば「強いリーダーシップ」云々と言っているところに念仏などない は明白である。
11年1月8日(土) 「宗法改定に思うことB」
 仮に宗本分離が実現した場合、将来的に本願寺が宗派から離脱するというこ とはないのだろうか?現在、宗派の予算全体に占める本願寺からの回金の割合 は相当程度ある。その状況の中で本願寺が宗派から離脱するとなると、宗派は 立ち行かなくなるはず。
 業界紙の報道によると、現在、本願寺が宗派から離脱することがないよう「最 大限の縛り」をかけるための条文が改定案の中にも明記されていると聞く。離脱 には新設される「本願寺評議会」での「全会一致」が必要であり、評議会には宗 派から総長や代議員なども多数参加するため、事実上、離脱は不可能とも聞く。 しかし、宗派から参加する総長や代議員が必ずしも「反対」するとは限らないの ではないか。本願寺と一緒に「賛成」して、自分達もさっさと宗派を離脱し、新た に本願寺を中心とする新宗派に属することだって考えられる。ますます現在の宗 派はジリ貧である。そうなれば多くの寺院が勝ち馬≠ノ乗るべく、新たな宗派 に転派することだって考えられる。
 結局、現在の宗本分離は、本願寺に異議を唱える寺院や僧侶を教団から排除 するためのものではないのか?考え過ぎかもしれないが、そもそも今回の改定 に関しては一般寺院や僧侶には全く情報が公開されていないことが問題で、色 んな情報や憶測が飛び交っても仕方ないんだと思う。
11年1月7日(金) 「宗法改定に思うことA」
 親鸞聖人は承元の法難によって流罪になった時、「非僧非俗」を宣言される。
 当時の僧侶は、国家公認の僧侶であった。国家によって認められた者だけが 得度でき、誰でも勝手に僧侶になることは出来なかった。しかし一度僧籍を得る と、免税などの様々な特典が国家から与えられた。「もう私はそんな僧侶ではな い」と親鸞聖人は仰った。
 親鸞聖人は、承元の法難で僧籍を剥奪され、「藤井善信」という俗名を国家か 無理矢理与えられ流罪に処せられた。当時は僧侶を流罪に処することは出来な かった。もし流罪にするなら一度俗人に戻す必要があった。しかし親鸞聖人はそ の俗名を拒否し、「非僧非俗」を宣言された。
 「非僧非俗」とは、国家権威におもねり権威を利用する「僧」からの決別であり、 権威の前にひれ伏す「俗」からの決別の宣言であったのだと思う。つまり親鸞聖 人が宣言された「非僧非俗」とは「権威の否定」である。
 「御門主様のご意向だぞ!・・(頭が高い)」とか「御門主様のご意向なら・・(仕 方ない)」とは一番ほど遠いのが親鸞聖人だったと思う。
11年1月6日(木) 「宗法改定に思うこと@」
 宗法改定。昨年末の臨時宗会では結局採択までには至らず、審議未了のまま 継続審議となった。しかし御正忌明けに再び臨宗を開き、そこでの採択を目指す と総局側は意気込んでいるという。
 宗本分離や代議員制への移行などを目指す宗法改正、その個々の内容はと もかく、これまでの議論の中で一番ガッカリしたことがある。これが本当に親鸞の 教団(同朋教団)、念仏者と言えるのかと心底ガッカリしたことがある。
 それは、総局巡回が行われた際、当初、多くの僧侶が宗法改定に不安や疑問 を抱いていた。ところが最後の最後に、ある僧侶が「それは御門主様の御意向 ですか?」と尋ねると、総局側が「もちろん御門主様にも一連の事は逐一ご報告 してある」と返答した。すると尋ねた僧侶は「御門主様の御意向なら仕方ない」と 言い、他の僧侶もそれ以上何も言わなくなった。まるで水戸黄門の印籠である。 案の定、それ以降、改定推進派は「御門主様の御意向」という印籠を暗にほの めかし始める。先の臨宗においても、会期中に御門主の「宗会開催に当っての 挨拶文」を各教務所・各組長事務所を通じて全寺院へ徹底させようとしたのはそ の典型である。
 宗法改定。何も頭から否定するつもりはない。徹底的に議論を尽くし、その結 果として宗派全体が活性化され、み教えが広まることに全く異論はない。しかし 「御門主様がこうおっしゃっているから」と聞いて、そこで思考停止してしまう水 戸黄門的印籠体質=Bこんな教団に未来などあろうはずがない。全身の力が一 気に抜け落ちてしまった。
10年12月23日(木) 「自死問題と教団の融和主義」
 今、教団が力を入れている取り組みの一つに自死問題がある。現在日本では 12年連続して年間に3万人以上の人が自ら命を絶っている。それを受け、主に自 死遺族への寄り添いを中心に宗教者(念仏者)としての使命を果たそうとしてい る。
 かつて私たちの教団は、同和問題の解決に寄与するため「一如会」という組織 を立ち上げた(1924年)。しかし、その活動は差別を生み出す教団の制度や体質 を問うことなく、差別を個人の問題へと矮小化し、同情融和の立場から同和問題 に関わろうとするものであった。「差別はダメ」と言いながら、実はその原因が自 らの内にあり、またそれに気づかないという「悲劇」というよりも、むしろ「喜劇」の 状況に近かったと言ってもいいのかも知れない。
 ややもすると私たちは(特に宗教者)は、自らを一段高い所に置き、第三者的 な立場から社会問題に関わろうとする傾向がある。しかしそれは問題の解決に 寄与するどころか、かえって差別などの社会矛盾を温存・助長させるということを 運動の中で学んできた。
 例えば、今、在日米軍基地問題に関連して沖縄から「沖縄差別」という声が上 がっている。今朝の朝日新聞にも「本土へ黄色の怒り」という記事が紹介されて いた。まだ数ヶ月前、鳩山首相(当時)が基地問題で迷走する中、沖縄はもちろ ん全国から批判の嵐が巻き起こった。結局、そよれにより鳩山政権は退陣に追 い込まれた。しかし、当時も今も沖縄の怒りは「鳩山首相」にだけ向けれてていた のではないという。「沖縄にだけに押付けるのはおかしいと、一時的にせよ鳩山 さんは本気で考えたはず。問題はそれに耳を貸さなかった日本国民。私たちに 向き合おうともしない本土にがっかりしているんです」という沖縄の声が紹介され てあった。果たしてあの時のマスコミや多くの国民の批判は一体何に向いていた のだろうか?本当に沖縄のことを考えての批判だったのかか?基地問題を本当 に自分の事として考えていたのか?自分を危害の及ばない安全な所に置いて、 上からの同情で沖縄を見ていたのではないか?沖縄の「黄色い怒り」がまさに私 たちに向けられていることにも気づかずに・・
 自死遺族の悲しみに寄り添うことはもちろん大切である。しかし、それだけでは 不十分である。自死は決して個人の問題ではない。社会全体の問題である。年 間3万人という異常な数の自死を生み出すこの国(社会)の一員=当事者とし て、自死を生み出す背景(原因)にまでメスを入れ、その解決に向けて努力して いくことが大事なんだろう。
10年12月22日(水) 「誰のためのキッズサンガ?」
 現在、教団では次世代の人の育成を目的に「キッズサンガ」運動を推進してい る。「キッズサンガ」とは、これまでの日曜学校など少年連盟が中心となって行っ てきた青少年教化とは異なり、住職(寺族)のみならず仏婦や仏壮など門信徒の 知恵や協力を得ながら、時代を担う子どもへの教化(「阿弥陀様とのご縁づくり」) を行っていくものである。そのメリットとして、@子どもへの教化 A既存の門信 徒への教化(寺院への帰属意識を高める効果もある) B子育て世代(若い親) への教化 などがある。少子高齢化や宗教離れ、既存の檀家制度の崩壊等に よって経済基盤が脆弱化し続ける寺院や教団の浮揚を狙った秘策といったとこ ろだろうか。
 しかしある人が言っていた。「私はキッズサンガなどするつもりはない。もし子ど もをお寺で預かっている間、毎日子育てに悪戦苦闘する若い親に「この時間を貴 方の好きに使って下さい」と言うならまだしも、子どもを出汁に新たに若い親を寺 に呼び込もうとするようなことはしたくない」と。
 寺や僧侶の立場に立ったキッズサンガなのか?それとも子どもや子育てに悩 む親(門信徒)の立場に立ったキッズサンガなのか?門徒さんらはそれを敏感に 感じ取ることだろう。
10年12月10日(金) 「御同朋、続けていくから明日がある」
 今年は同朋運動が出発して60年という節目の年であった。
 同朋運動の成果は置いといて、なぜ60年もの間運動を展開しながら運動が十 分に教団全体のものとならなかったのか?確かに、点検糾弾会や法名調査の 頃など行け行けドンドンの時代もあった。しかし、今や教団内の運動は風前の灯 と言ってもいい。大遠忌後、同朋運動が残るかどうかさえ危惧される。
 もちろん同朋運動を快く思わない勢力による同朋運動潰しなど色々外的な要 因もあるんだろうが、今はそれは置いといて、運動内の要因としては、これまで の同朋運動が「同朋教団の実現」という目標を掲げながらも、目指すべき「同朋 教団」の形・ビジョンを十分に教団内に提示しきれなかったことが一因として考え られる。というか「出来なかった」「あえてしなかった」といった方が正しいかも知れ ない。
 教団内には、どう見ても「同朋教団」とは言えないような制度や体質が依然とし て残っている。例えば毎年各教区から出される「建議」に見られる「院号」や「類 聚制度」はその典型である。しかし、それよりももっと「同朋教団」には似つかわし くないものが教団内にはある。それが何かは多くの教団人が知っている。しか し、これまでの同朋運動はそれを批判してこなかった。それどころか「運動の教 団化」という目標のためにそれを利用してきた。「差別はダメ」と言うために一種 の「差別」を利用したとも言える。それが同朋運動に対する誤解と不信へと繋が っていったのではないか?もちろんその運動方針が間違っていたとは言うつもり はない。「一部の人の運動」と見なされてきた同朋運動を何もないところから「教 団全体の課題」としていくためには仕方がなかった。苦渋の選択であったのだろ う。しかしそれが現在においては、同朋運動の最大の「足かせ」となって、運動の 前に立ちはだかるようになった。もうこれまでと同じ運動では立ち行かなくなっ た。
 しかし幸いと言おうか、今、同朋運動は教団内から完全に排除されようとしてい る。そして、運動推進者たちは、教団を出て、教団の外から再び運動をしようと 決意した。また、これまで教団内において最大の権威であり、タブーであったもの が、自ら表舞台に出てこようとしている。これからは余計な遠慮は要らないだろ う。これから同朋運動はこれまでの運動を乗り越え、新たな段階に入ろうとしてい るのかも知れない。
10年12月9日(木) 「改憲を巡る動きA〜大連立構想」
 読売新聞の渡邉恒雄氏が自民党の谷垣総裁に再び民主党との大連立を呼び かけているという。渡邉氏の狙いは一つ「憲法改定」だと言われているそうだ。
10年12月6日(火) 「改憲を巡る動き@〜民主党政権」
 先日、あるテレビ番組で、民主党の中堅議員がこう話していた。政治評論家た ちが、現在の民主党政権の閉塞感を打破するためには「憲法改正しかない」と 水を向けると、彼は「その通りかもしれない。自民党のタカ派≠ェ改憲を言うよ りも、民主党が改憲を提案したほうが安心して国民も耳を傾けるかもしれない」 と。
 教育基本法や国民投票法を無理矢理改悪した自民党政権に私を含め多くの 護憲派が危機感を抱いた。その後、先の二法にも反対していた民主党が政権に ついたことで、「これで当分、改憲はない」とどこかで安堵した人も多いだろう。
 ところがである、意外と自民党政権でよりも民主党政権での方が改憲への現 実味が増したのかも知れない。自民党が政権にいる限り、民主党は政局から改 憲にも反対するだろうが、民主党が改憲をぶち上げたとき、憲法改定を党是とす る自民党がそれに反対する理由はない。
 今後、中国の海洋進出や朝鮮半島情勢の緊迫化にともない、一気に改憲論が 盛り上がってくる可能性があるだろう。
10年12月6日(月) 「卵子ビジネス」
 今朝の朝日新聞にこんな記事があった。野田聖子議員によって日本でも広く知 られるようになったが、今、米国では不妊に悩む夫婦の願いを叶えるため、他人 から卵子を提供してもらう「卵子ビジネス」が盛況だという。例えば、「他の女性が 妊娠できるよう助けてあげてください」といったポスターが大学の構内に掲げられ ていたり、ある医療機関のHPには「749番、白人、両親はルーマニア人、肌の色 は(白人と黒人の)中間、瞳の色は緑・・」などといった提供者のプロフィールも掲 載されているという。提供者への謝礼の相場は一般的には5千ドル〜1万ドルだ そうだが、中には有名大学の学生相手に3万5千ドル(約290万円)といった値が つくこともあるという。現在、日本国内では卵子提供が認められていないため、野 田氏のように米国に渡る日本人も多いという。
 はっきり言う。もし日本でも同じことが行われるようになれば、間違いなく70年代 に西本願寺教団内で惹起した「『大乗』別冊差別事件」のような差別がまかり通 ることになるだろう。
10年12月5日(日) 「死のリアリズムB−臓器移植−」
 臓器移植法が改定され、本人の明確な意思表明がなくても家族の同意だけで 脳死患者からの臓器移植が可能となった。臓器の提供を決意した家族から「大 切な人の臓器だけでも、他人の中で生き続けて欲しかった」などと、その場に直 面した家族でしか発せられないような深い思いを聞くことがある。そしてそんな家 族の究極の決断を少しでも和らげるためか、臓器移植を「命のリレー」と表現す る人もいる。しかし他方で、臓器移植に反対の立場からは、それは「命のリレー」 ではなく「臓器のリレー」に過ぎないといった批判の声も聞く。
 どっちが正しいかは分からない。でも、他人よりも少しばかり多くの通夜や葬儀 に立ち会ってきた僧侶として思うのは、何も移植だけが「命のリレー」とは限らな いと思う。何もせずにただ心臓が止まる瞬間まで大切な家族を見守る中にも、ち ゃんと「命のリレー」は行われるんだと思う。「死」を怖いもの、敗北、無意味なも のとして日常生活から遠ざけるよりも、しっかりとそれを直視する中に何か大切 なものを見つけ出すことも出来るんだと思う。
10年12月4日(土) 「死のリアリズムA−切腹シーン−」
 今朝の朝日新聞の文化欄に、面白い内容の記事があった。今、日本映画は時 代劇がブームだという。特にその中で注目されるのが「切腹シーン」だという。こ れまでの時代劇では、チャンバラや切腹のシーンには全くと言っていいほどリア ル感がなかったという。ところが最近の映画では、その切腹のシーンが非常にリ アルに描かれている。グロテスクな鮮血はもちろん、「人の死」というものを前面 に押し出したものとなっているという。『桜田門外の変』を撮った佐藤監督は、「浪 士らの行為はテロ。彼らを美化することだけはしたくなかった」とコメントしてい る。
 この時期になるとお決まりと言っていいほど「忠臣蔵」がテレビなどで放映され る。亡き君主に忠義を尽くすために家臣たちが仇討ちをして、最後は切腹してい く。切腹というのは非常に残酷な「刑」だと思う。自らが自らの腹を切るのである。 痛いのはもちろん、血や内臓も飛び出してくるだろうし、ヨダレや泡を吹いて失神 してしまう者もいるはず。ところがこれまでのドラマや映画で見る切腹シーンには そういったものがなかった。悲惨というよりも、「美しさ」さえ感じられる。
 それは多くの戦争映画でもそうである。今、「SPACE BATLLESHIP ヤマト」が 上映されている。キムタクの下手な演技などあまり見たくなかったが、「ヤマト世 代」の一人としては観ないわけにもいかず、さっそく鑑賞した。でもやっぱりアニメ とは違って「違和感」が残った。アニメではなかった主役の古代進(キムタク)が 最後、地球を救うために格好良く・・・・(これから見る人の為に省略)。
 いずれにせよ日本ではなぜか「死」というものが美しく描かれる。非常に違和感 がぬぐえない。最後に、戦中派ではもある佐藤監督が「『なぜ人を殺してはいけ ないのか』と問う子どもがいることに危機を覚える。いかに死が軽んじられている か」とコメントしているのが印象深い。
10年12月3日(金) 「死のリアリズム@−裁判員裁判と死刑判決−」
 最近、裁判員裁判での死刑判決が続いている。判決を下した裁判員からは、 決断までの心の葛藤や、これからも生涯に渡って背負い続けなければならない 苦悩というものが伝わってくる。それを受け、「裁判員に量刑まで判断させない」 「死刑の可能性がある裁判には参加させない」など裁判員制度の見直しも議論さ れ始めている。私自身も、出来ることならそうして欲しいと思うこともある。でもや っぱり私たち日本国民が「死刑制度」というものを認めている限り、その決断も私 たち国民がすべきなのかも知れない。「悪い奴は死刑にしろ!」と言いながら、そ の判断は裁判官に全て任せて、「死刑」という人間の命を強制的に奪う刑につい て思考停止させてきた私たち。裁判員制度を通して、「死刑」について、他人の命 を奪うことについてもう一度真剣に考えてみる必要があるのかも知れない。決断 を下した裁判員の顔を見ながら、ふとそう思った。
10年11月9日(火) 「愛国無罪」
 尖閣諸島沖での漁船衝突事件のビデオがインターネットに漏洩した問題で、海 上保安庁には「犯人を処分しないで」といった意見が多数寄せられているという。 また、テレビでも保守系の識者たちが「国を思ってやったこと」と言って英雄扱い している。所謂「愛国無罪」である。そういえば中国でも反日デモを「愛国無罪」と 言ったり、漁船の船長を「国家の英雄」として讃えていると聞く。どっちもどっちと いう気がしなくもない・・・
10年11月8日(月) 「糾弾と浄土真宗」
 浄土真宗の信心を「聞即信」という。「信心」とは「聞くこと」である。では何を聞く のかというと「名号のいわれ」を聞くのだそうだ。「名号の言われ」とは、私たち人 間というのは救われようのないどうしようもない存在(凡夫)である(=機の深 信)。阿弥陀仏はそんな凡夫を憐れみ、全ての人を救うため、苦労して仏と成り、 名号を完成して下さった(=法の深信)。この二つ(二種深信)を聞くことが真宗 のご信心であり、「浄土真宗は聴聞に尽きる」と言われる所以である。
 でもどうだろうか?私たちはお説教を聞いて本当に心底「私はお粗末な存在で ある。恥ずかしい存在である」と思うことがあるだろうか?中にはそんな素晴らし い人もいるのかも知れないが、私も含めて多くの人が、お寺の本堂では「恥ずか しい」と言いながら、お寺を出た途端、すっかりそんなこと忘れてしまい、相変わ らず「恥ずかしい」ままではないだろうか?また、自分にとって都合の良いことに は「恥ずかしい」と言って聞くが、都合の悪いことには全く聞く耳を持たないのが 私たちではないだろうか?
 事実、私たちの教団は、その教えに反してずっと部落差別を肯定し温存・助長 してきた。阿弥陀仏の教えを聞けば、「差別はダメだ」ってこと位誰だってわかる はずなのに、教学を極めた勧学であろうが、聴聞を重ねてきた法主であれ、差 別を認めてきた。結局、聞きながら実は聞いていなかったということだろう。
 ところが今なら「差別はダメ」ってことぐらい多くの教団人が知っている。なぜ か?今の私たちが昔の人たち以上に真面目に聴聞を重ねてきたからだろうか? 違うと思う。昔と今、何が違うのか?それは「糾弾」を受けたか、受けなかったか だと思う。私たち僧侶や教団は、水平社による教団批判にはじまり、同朋運動か らの批判、最近では部落解放同盟と宗派や各教区の間で開催された「点検糾弾 会」を通して、私たち僧侶や教団は初めて「差別はダメ」だと気づけたんだと思 う。「糾弾」がなければ今も差別していたかも知れない。
 そして糾弾した側も同じ門徒であり僧侶であった。彼らは親鸞の教えを聴く中 で、自分達が差別されるのは間違っていると確信した。法主であろうが、勧学で あろうが、有名な布教使であろうが、絶対ではない。どうしようもない差別する凡 夫であると聞いた。だからそこ糾弾した。そして糾弾されて初めて私たちは自分 がどうしようもない凡夫であることに気づけた。
 聴聞さえしていたら差別はなくなる!というのは嘘である。逆に聴聞しなくても差 別はなくなるとも言うつもりはない。教えを聞いて、互いが互いに同じ凡夫だと自 覚し(同朋)、互いが互いにその間違いを指摘し合える関係を築いていく(同行)。 それが親鸞聖人が言う「正定聚の位(仏と成ることが定まった仲間)」であり、浄 土真宗の教えなんだと思う。聴聞だけして、「お恥ずかしい」「有難い」「もったいな い」といった自己完結型の宗教ではないんだと思う。真宗は、御同朋・御同行の 宗教であるんだと思う。
10年11月4日(木) 「日本人の生死観」
 今朝の朝日新聞に「日本人の生死観」に関するアンケート調査の結果が報告さ れていた。特に僧侶として関心を持ったのは、葬式やお墓などの簡素化や無用 論を唱える人や、脳死からの臓器移植を支持する人が意外と多かったことであ る。
 同じ僧侶である玄侑宗久さんのコメントにもあったが、その背景には「他人に迷 惑をかけなたくない」という思いが多くの人にあるのだろう。確かに「他人様に迷 惑をかけたくない」という気持ちは分かる。でもそれが「だからお前も私に迷惑を かけるな!」となってしまうとしたら、何かちょっと怖い気がする。また、「命のリレ ー」と言えば聞こえはいいが、「どうせ死ぬんだから、他の人に役に立ってばい い」という発想も、何か違和感が残る。
 確かに葬儀費用の高額化など、私たち僧侶にも責任はある。それなら葬儀に 僧侶を呼ばなければいい。法名や戒名も付けなくてもいい。せめて家族や縁の あった人だけでも集まって、故人偲んで欲しい。たとえ助からないと分かっていて も、息きを引き取るまでの数時間を大切にして欲しいと思う。きっとこそに何か得 がたい大切なものがあるんだと思う。
 迷惑をかけるのはお互い様である。役立つ・役立たないで「命」を見るべきでは ないと思う。
10年10月28日(木) 「真宗説教の危険性」
 よくお説教で使われる喩えにこんなのがある。農作業などをしている人に僧侶 (お釈迦様であったり、一休さんであったり、熱心な真宗門徒など)が「なんのた めに働く?」と訊ねる。その人は「金を稼ぐため」と答える。すると僧侶は「何のた めに稼ぐ?」と訊ねる。その人は呆れながら「食べるために決まっているやろ!」 と答える。すると僧侶は「何のために食べる?」と訊ねる。その人は少し怒って 「食べないと死ぬからだ!」と答える。すると僧侶は「じゃ、食べたら死なないの か?」と得意げに言って、一同が唖然とするという話。つまり働くことや、お金を稼 ぐことよりも、もっと大事なことがある。人間誰しもがいつか死ぬ。だからこそ何よ りも「後生の一大事」が大切なのだということを伝えるための喩え話である。確か に上手い喩え話である。
 しかし一方で、このような説教が、真宗の教えを「死んでからだけの話」にしてし まい、社会問題に無関心な、「今」をみ教えに問えない僧侶や門徒を生み出した のではないか?と仰る人がいる。確かにそうである。それによく聞けば、先ほど の喩え話には何か僧侶の驕りみたいなものが感じられる。労働する人を小バカ にしたような、自分達僧侶はもっとレベルの高い精神的な領域の仕事をしている んだ!といった驕りが・・。
10年10月15日(月) 「宗教者の驕り(差別心)」
 先日、ある部落解放運動に携わっている方の講演を聞いた。その方は、ここ数 十年岡山県にあるハンセン病療養所に通っているという。初めて訪れた時、事 前にハンセン病について勉強したにもかかわらず、自分の内にあった差別心に 気づかされたという。その後も、何度も訪れるが、ふとした時にその差別心が頭 を持ち上げるという。だからその方は「私は自分の為に療養所に通っているん だ」と仰っていた。その「自分の為・・」という言葉が印象に残った。私たち宗教者 もハンセン病問題や部落問題などの差別問題に関わる。しかしその時の関わり 方は、どこかで「あの人たちの為・・」といった同情的な、上から目線の関わりにな っているような気がする。「宗教者である私は差別はしないけど、一部に差別す るとんでもない人がいる。差別されている人が可哀相だから、私は宗教者として 差別問題に関わる」といった意識がどこかにあるような気がする・・・
10年10月12日(火) 「ハンセン病差別の現実」
 昨日、関西テレビで「望郷の島から−ハンセン病と家族の絆−」というドキュメ ンタリー番組が放映されていた。その中で、家族ぐるみで入所者と交流を続けて くれる人達がいることについて、一人の入所者が「他人だから出来るのかもしれ ない。もし血のつながっている身内なら出来ないかも・・」と話していたのが印象に 残った。まさにこれが今も根強く残るハンセン病差別の現実なんだろう。非常に 重い言葉だったような気がする。
10年10月9日(土) 「ノーベル平和賞」
 今年のノーベル平和賞に中国の人権活動家劉暁波さんが選ばれた。劉さんは 天安門事件以来、一貫して非暴力による民主化運動を進めてきたという。まさに それが評価されたのだろう。今回の受賞は国際世論を喚起し、中国政府にとっ ても大きなプレッシャーになるに違いない。非暴力による劉さん不屈の精神が、 中国のみならず暴力による争いが絶えない世界全体を変えていくことを信じた い。
10年10月4日(月) 「禁煙ファシズム」
 私はタバコは吸わないが、最近の禁煙キャンペーンに異常さを感じる。もちろ ん受動喫煙など、吸いたくない人の権利は守られるべきではあるが、今朝の朝 日新聞の社説のように「健康のため」とは「節約のため」といって禁煙をしろという のは大きなお世話だと思う。「タバコは百害あって一利なし」と言う人もいるが、そ れはその人の価値観であり、全ての人がそうだとは限らない。それに「自分の健 康」や「自分の金の使い道」について他人からとやかく言われたくはない。「タバコ の害による医療費が・・」という奴もいるが、それなら酒だってそうだし、車の排気 ガスだってそうだ。「禁煙」を言うなら酒造会社や自動車メーカに嫌われようとも 「禁酒」も「車も乗るな」と言えよと言いたくなる。非常にプライベートな事柄に、新 聞社やましてや国家が介入してくるようなことがあってはならないんだと思う。そ れこそファシズムである。
10年9月28日(火) 「尖閣諸島問題A」
 尖閣諸島沖での衝突事件をきっかけに日中間の関係がギクシャクしている。特 に、逮捕した漁船の船長を釈放したことを受け、国内からは「弱腰外交」といった 批判や、「日米同盟の深化」とともに「自主防衛体制の強化(=南西諸島への自 衛隊の配備)」を求める声が日増しに大きくなってきている(9/28)。
 案の定、アメリカは今回の対立に対して中国に一定の配慮は見せつつも、国 連総会に出席していた前原外相や菅首相に「尖閣諸島も日米安保条約の適用 範囲である」と明言してみせた。名護市議選での移設反対派の勝利を受け、 益々県内への移設が難しくなる状況の中で、今回の件で不安を抱いた世論を味 方に、移設賛成へと情勢が一変することも考えられる。
 また、先般、冷戦時代から続くこれまでの「基盤的防衛力構想」から脱却し、多 様な事態に対応できる運用能力を重視した「動的抑止力」の構築を提言した「安 保懇報告」をも後押しするだろう。同報告は、対中国を念頭に沖縄・南西諸島を 中心に自衛隊を重点配備すること、またそれに関連して、集団的自衛権行使の 容認や非核三原則の緩和などを提言している。
 今後もしばらく、ガス田問題など同海域での両国間の緊張関係が続くことが予 想されるだけに、経済成長の勢いの差などとも相まって、国内において偏狭なナ ショナリズムが一気に高揚した場合、日本人の自尊心を縛る最大の足かせ として憲法9条が標的とされる可能性は十分にあるだろう。
10年9月24日(金) 「尖閣問題@」
 尖閣諸島問題で中国と日本の間でえらく揉めている。これを「だから沖縄に海 兵隊(新基地)が必要なんだ」という理由にされたくはない。
10年9月21日(火) 「無縁社会無縁死3万2千人の衝撃〜」
 先日、NHKスペシャルで放映された「無縁社会無縁死3万2千人の衝撃〜」 の番組ディレクターである板垣淑子さんの話を聞いた。
 まず「無縁死」とは誰でもがなる可能性があるということ。例えば、子どもがいな い夫婦の場合、親戚づきあいがなければ、連れ合いのうち、どちらかが先に亡く なったら、残された方は無縁死になってしまう可能性がある。
 次に、私たちは「個人の自由」というものを求めて、親子のつながりや地域のつ ながり、親戚づきあいを「煩わしい」と言って断ち切ってきた(それ以外にも、非正 規雇用の増加等により、会社というつながり≠ェなくなってしまったこともある が・・)。その結果として「無縁社会」である。しかしだからと言って、復古主義的に 昔に戻ればいいという訳ではない。戻りたくても戻れない。ならば、新たなつな がり(縁)≠作っていくしかない。行政や地域が協力しながら、つながり≠ 断ち切られた人を再びつなげていくシステムを作るしかないと。例えば、今の福 祉は「申請主義」が基本である。いくら立派なセーフティーネットが整っていても、 本人がそれを申請しなければ、社会は助けてくれない。しかし、社会のつなが り(縁)≠失った人は、そのような制度があること自体知らない。その結果、 益々つながり≠ェなくなっていく。そんなつながり(縁)≠再びつないでいけ るような地域力や人の育成が必要であると仰っていた。
10年9月15日(水) 「民主党代表戦と宗法改定」
 民主党の代表戦は菅首相の続投で終わった。一連の代表選挙は次のような 構図だったと思う。今の日本の閉塞感をどう打破するか?菅首相や彼に投票し た人々は、これまでの古い密室政治から脱却し開かれた議論を通して「全員野 球」で頑張るという考え方。一方の、小沢氏やその支持者たちは、小沢一郎とい うカリスマによってこの難局を突破することに期待したのだろう。私は民主党員で はないのでこれ以上云々しても無意味だが、この構図、どっかで聞いたことがあ る。
 現在、教団内では宗法の改定が大きな問題となっている。改定派の言い分は こうだ。現在、宗門は長期低落傾向にある。このままでは宗門の将来は暗い。そ こで全国的に知名度の高い本山本願寺と宗派を分離して(宗本分離)、本願寺 の門主の権限を強化した上で、そのリーダーシップによって宗門全体を立て直し たいと言う。まあ、実際には、宗門の建て直しというよりも、地方の弱小寺院の切 捨てと、本願寺という大寺院さえ生き残ればいいという本音が透けて見える が・・・。要するに本願寺中興の祖と言われる蓮如を想定しているのだろう。親鸞 の血を引き継いだやんごとなき家系から出る「善知識」によって教団は復活する という幻想である。いずれにせよ年末までには宗議会にて議決される。
 話は民主党の代表戦に戻るが、民主党員や世論の多くは「小沢(という政治)」 ではなく「菅(という政治)」を選んだ。この先、日本はどうなるのだろうか?私たち の教団の選択とともに、いずれ歴史がはっきり示すだろう。
10年9月10日(金) 「糾弾の否定」
 人権擁護委員をしているある僧侶から聞いた。ある市役所に被差別部落の地 域を問い合わせる電話があった。市の職員が「そのような問い合わせには答え らない。それは差別である」と答え、本人の名前を訊ねた。普通ならここで「ガチャ ン」である。ところが電話の主はぬけぬけと自分の名前と会社名を名のった。お そらく本人にとってはそのような問い合わせをすること自体に何の罪悪感もなか ったのだろう。もちろん直ぐに対応が始まり、本人や会社の了承も得、糾弾会の 開催が決まった。ところが直前になって参加できないとの連絡が。理由を訊ねる と、どこから情報を得たのかは知らないが、「糾弾会に出席する必要はない」とわ ざわざ法務局から連絡があったという。法律的な詳しいことは知らないが、以前 から法務局が、糾弾には違法性がり、そのような席上に被差別者から出席の要 請があっても参加しなくても良いといった通達を出しているという。それによってこ れまでにも被差別者が泣き寝入りを強いられているという話を聞いたことがあ る。今回もまさにそれである。
 水平社以来、糾弾闘争は部落解放運動の原点とも言える。「人権救済法」など 人権擁護の法律が未整備な現在、糾弾は被差別者が自らの怒りを訴え、人権 を回復する唯一の場である。またそれだけでなく加害者にとっても失われた人間 性を回復する貴重な場である。今回のケースもそうだが、多くの差別者は無意識 の内に他人の人権を侵害し、それに対して何の罪の意識も持っていない。他人 の足を踏んで平気でいる。まさに人間として悲しむべき姿である。しかし差別者 は糾弾という場を通して初めて、差別される者の怒りや悲しみを知り、自らの差 別性に目覚め、差別からの解放を目指して新たな歩みを踏み出すことになる。ま さに糾弾とは被差別者、差別者がそれぞれの立場から解放されていく新たなスタ ートとなる場である。
 私たちの本願寺教団もこれまでに糾弾を受けた歴史がある。全国水平社によ る教団批判にに始まり、90年代の本山における糾弾会や各教区における点検 糾弾会がそれである。それら被差別者からの問いかけ(糾弾)があったからこ そ、教団や私たち僧侶は自らの差別体質を自覚し、念仏者としての本来の姿に 戻ろうと歩み出すことが出来た。もし糾弾がなければ、相変わらず口では「平等」 を説きながら、実際には差別をするといった滑稽な姿を今でもさらし続けていた に違いない。糾弾があったからこそ、まだ十分でないにせよ、「親鸞に戻る」スタ ートが切れたのだと思う。
 一般社会は言うまでもなく、教団内においても「もう部落差別は過去の問題」と いった風潮が蔓延し始めている。また、糾弾会や点検糾弾会を知らない世代も 増えてきた。「糾弾」と聞くだけで拒否反応を示す若い人も多いはず。彼らに対し ていかにこれまでの歴史や糾弾の意義を伝えていけるか、これからの運動の課 題と言える。
10年9月7日(火) 「戦争の被害と加害」
 先日、奈良教区で平和の集いが開催された。テーマは「(戦争の)被害と加 害」。大阪大空襲を体験された女性と京都の丹波にある「丹波マンガン記念館」 の元館長さんのお話を聞いた。「マンガン記念館」とは、戦時中、主に武器の材 料となるマンガンの採掘に強制連行された韓国・朝鮮人が過酷な労働条件の下 で働かされていた事実を後世に伝えるために建てられた民間の博物館。そこの 元館長さんより、戦争の加害についてお話いただいた。
 集いに対するアンケートの中で少し意外だったことがある。それは「これまで戦 争の被害についてはよく聞いていたが、加害については初めて聞いた」と言う人 が意外と多かったこと。世間では「自虐史観」だとか「戦後の教育は日本を悪く言 いすぎ」、「一体何度謝ったらいいんだ」といった声をよく耳にする。だから今回も 「またか・・」という反応が多数返ってくるもんだと予想していた。ところが意外や意 外。多くの人が初めて聞いたと言う。いかに保守派の人たちが「今の日本人から 愛国心を奪ったのは、戦後の平和教育(自虐史観)だ!」と言っているのが嘘だ ということがよく分かった。
10年8月23日(月) 「善意の差別主義者」
 今月14日に放映されたのNHKの討論番組(「日韓の未来を語る」が趣旨)で、 参加者の一人が「当時は列強植民地時代。韓国併合はやむを得なかった」とい った趣旨の発言をしたという。それに対して映画監督の崔洋一さんが、「それに よって植民地支配を肯定するような者に歴史を語る資格はない」と強く反論した ことが物議を呼んでいるという。ゲストとして参加した大学教授は「歴史というの は、どんな考え方もあり得る。どんな考え方を持ってもいい。それが間違った事 実にもとづいて、自分の歴史観を構築したら、それは正していかなければならな いけれども『歴史を語る資格はない』という言い方は、間違っていると思う」「歴史 問題というのは、権力者があなたの考えは完全に間違い、と言詮封鎖してはい けない」と崔監督の発言を正す場面があったり、NHKには崔監督を批判するメー ルが多数寄せられたという。
 でも私は思う。崔監督が怒るのは当然だと。皇民化教育を受けていた当時の 国民ならまだしも、戦後、65年も経った今日の日本人が「やむを得なかった」と植 民地支配を肯定するような発言をすることは、被害者にとっては絶対に許せない ことだと思う。「民主主義」か何かは知らないが、もっともらしい理由をつけて被被 差別者の怒りを批判するのは差別主義者の常套手段である。
10年8月15日(日) 「帰國」
 昨夜、「帰國」というドラマが放映されていた。30分ほどしか視ていないが、「え らい恩きせがましい英霊だな・・」というのが率直な感想。製作者に対しても、「今 の日本の社会に不満があるなら、英霊の言葉など借りずに、自分の言葉で語れ よ」と思った。今朝の「天声人語」の筆者はえらい褒めていたが、「戦死者を利用 する」ところは「ヤスクニ」と変わらないような気がした。
10年8月14日(土) 「仏教と戦争」
 昨日、関西テレビで「仏教と戦争」というドキュメンタリー番組が放映されてい た。主に、浄土真宗本願寺派の戦争協力と、それを自らの課題として生きる現 在の僧侶たちの姿を描いた番組だった。
 番組の中で、本願寺の前門主や若い僧侶が「反対すれば教団が潰された。素 晴らしいみ教えがなくなる危険性があった」などという理由から、教団の戦争協力 を肯定するかのような発言が紹介されたいた。それを聞いて思った。人を殺さな いと守れない・伝わらないような教えなら、伝わらないほうがいい、なくなったほう がいいと。確かに僧侶として生計を立てている私などは、教団やみ教えがなくな ることは、非常に困るし、死活問題である。でも戦争を肯定しないと守れないよう な教えによって生きている私って一体なんだろうと思った。果たして自分の子ども に「お父さんの仕事は浄土真宗のお坊さんだ」と胸を張って語ることが出来るだ ろうか?
 もう一つ、印象に残った言葉が、一応、西本願寺教団は先の戦争協力への反 省の声明を出しているという。しかし、そこで述べられているのは、「戦争に協力 したことを仏祖(仏や宗祖等)に慚愧する」という内容だという。しかし、私たち教 団や僧侶が謝る相手は、仏祖ではなく、まず仏法の名のもとに戦場に送り出した 門徒たちにであり、教団が協力した戦争によって殺された人々に対して謝るべき だと語る一人の僧侶の意見が印象に残った。
 そしてもう一つは、「信仰と世俗の事柄(戦争等)を別々のものとしてきっぱりと 分けて生きていく」か、それとも「信仰と世俗の事柄とのギャップに矛盾(疑問)を 持ち続けながら、それを自らの課題として生きていく」か、私たち僧侶一人ひとり が問われているんだという言葉も印象的だった。確かに前者で生きていくならこ れほど楽なものはない。一方、後者に生きることは、これほどしんどいものはな い。どちらを選ぶか?今、私自身が問われている。
10年8月12日(木) 「パキスタンの洪水被害に陸自ヘリ派遣」
 パキスタンで起きた大洪水の被災者救援のため、政府は陸上自衛隊のヘリ派 遣を検討するという(8/12)。以前、ハイチで起きた大地震の時も、日本から自衛 隊の救援部隊が派遣されている。「自衛隊はこんなにも役立っている」と普段か らアピールすることで、将来的に米軍支援を目的にした紛争地域への自衛隊派 兵をスムーズにしたいという地ならし的な狙いがあるんだろう。しかしその一方 で、自衛隊でも何でもいいが災害で苦しんでいる人々を一刻でも早く救出してあ げたいという気持ちもある。当面は、是々非々で臨み、自衛隊による災害救助活 動を積み重ねることで、「日本の国際貢献は武力を伴わない災害救助」・民生支 援で!」という世論を形成していくのが現実的なのかも知れない。
10年8月11日(水) 「在特会」
 京都にある朝鮮学校に対して嫌がらせをしていた「在特会」の幹部らが逮捕さ れた。容疑者の一人は容疑を認め「日本の国のために愛国心からやった」と供 述しているという。小学校の前で「スパイだの!」「日本から出て行け」など大音量 で誹謗中傷。彼等のどこに「愛国心」があるのだろか?かえって日本人のイメー ジを貶めているとしか思えない。
10年8月6日(金) 「武器を携えた民生支援」
 今朝の朝日新聞の「記者有論」に現在米軍がアフガニスタンで行っている民生 支援に関するコラムがあった。
 現在米軍は「ハーツ・アンド・マインズ(人心をつかむ)」という戦略のもと、アフ ガニスタンの人々に養鶏などの技術指導を行っているという。民生支援を通して 人々の信頼を取り戻すと同時に、貧困を理由とした若者のタリバンへの参加を 阻止する狙いがあるという。「何度も足を運べば、地元の人たちに信頼してもらえ るようになる」「魚を与えるより、釣り方を教える方が役に立つ」と口々に語る若い 兵士たちは言葉に嘘はないが、防弾チョッキと小銃を携え完全武装の装甲車に 乗って農場に駆けつける米兵の姿に、果たしてアフガンの人々は本当に心を開く ことが出来るのだろうか?兵士個人の思いとは別に、軍事上の別の目的がある のではないか?と記者は疑問を投げかけていた。
 おそらく今後の自衛隊の海外派兵もこのような形で行われていくのだろう。その 時に、はっきりと、しかも世論が納得できる言葉で、私たちは反対を貫くことが出 来るだろうか?力量が問われてくるのだと思う。
10年7月23日(金) 「筋違いの感謝 やりきれない」
 今年の6月23日に開かれた沖縄全戦没者追悼式で菅首相が、沖縄の基地負 担に対して「全国民を代表しておわびする」と謝罪した上で、それと同時に「アジ ア太平洋地域の平和につながった」として「率直にお礼の気持ちも表したい」と述 べた。そのことに対して、東京外国語大学の山田文比古教授は、今朝の朝日新 聞のオピニオン欄で表記の題で異論を唱えられていた。
 山田さんは、本土では大手マスコミをはじめ国民のほとんどが、このことを問題 にしないことに問題を感じると言う。ちょうど10年前、九州・沖縄サミットが開催さ れた際、アメリカのクリントン大統領が沖縄平和祈念公園で行う県民向け演説の 中で、基地負担受け入れに対する謝意を表明するという情報が沖縄県側に伝わ ってきたという。それに対して沖縄の世論は猛反発したという。なぜなら、沖縄の 基地負担はそもそも「銃剣とブルドーザー」によって一方的に強制的に押付けら れたものである、県民がアメリカや日本、極東地域のために自の意志で受け入 れたものではなく、感謝される筋合いはない。それを大統領の口から謝辞を述べ ることで、沖縄の怒りをなだめることが出来る、これからも基地の負担を認めて もらうことが出来る、そういう軽い発想が県民の反感を買ったという。結局、沖縄 の反発に折れ、大統領の演説から不用意な「感謝」の言葉は削除されたという。 ところが今回、そういった経緯や県民感情もすっかり忘れ去られ、日本の総理大 臣の口から「感謝」の言葉が述べられたこと、そして本土ではそのことがほとんど 問題にされないことに、沖縄とヤマトとの間のギャップ(温度差)のあまりにもの大 きさにやり切れない思いだと。最後に山田さんはこう言っている。「沖縄に感謝は 無用である。無頓着な言葉だけの感謝であるならば」と。
10年7月18日(日) 「自己責任論」
 今朝の朝日新聞に、授業で生徒達にホームレスについて考えさせる学校があ ると紹介されたいた。その中で面白いデーターが紹介されていた。ホームレスに ついて生徒達の意見は大体二つに分かれるという。A:「ホームレスって働く気を 失って頑張って努力をしない人。手助けするのは甘やかしている」「中学・高校・ 大学と努力しなかった人がなっているとい思う。自業自得」 B:「不況などでだれ でもホームレスになる時代」「死にそうなのに、何で助けることがいけないの」 そ して「A」派には、家が豊かでなく親が苦労しているのを見ている子や、「頑張って よい成績をとっている自分が野宿者になるようなことはない」と思っている子が目 立ったという。
 非常に面白いデーターだと思う。「親が苦労してるのを見ている子」、普通ならB 派となりそうなのにA派が多いという。また、一生懸命頑張っている子に限って 「助ける必要はない」と答えている。子どもが「自業自得」という仏教用語を使って いるのも面白い。
 最後に担任の先生が子ども達に話した自身の意見が紹介されていた。「テスト で点が低く、頑張らなかった人は生きる権利がないのか」「炊き出しは食べ物を 渡すだけでなく、困ったときは助けるよという気持ちを伝えることに意味がある」
 法然上人や親鸞聖人、専修念仏が克服しようとしたもの、また目指そうとしたも のはこういうことだったのではないだろうか?
10年7月16日(金) 「恥ずべきことA」
 戦時中、勤労挺身隊として日本国内で働かされていた韓国の女性らが、三菱 重工に求めていた補償や謝罪について、会社側が話し合いに応じる意向を示し たという(7/15)。最高裁が既に三菱重工側の違法性は認めつつも、日韓請求権 協定を根拠に原告の訴えを退けている問題についてである。
10年7月15日(木) 「恥ずべきこと」
 政権交代以降、従軍慰安婦問題に対する真摯な対応を政府に求める意見書 等が地方議会で相次いで採択されているという(7/15)。
 記事を伝えていた産経新聞は「歴史に汚点を残す」と暴挙だと言いたげだ が・・・。自らの過ちを認め、謝罪することは恥ずかしいことではないはずである。 勇気あることだし、それによって新たな一歩が始まるんだと思う。隠すほうがよっ ぽど恥ずかしいことだと思う。
10年7月14日(水) 「顔の見えない援助」
 「西部ダルフール地方の人道危機から、米国でもスーダン問題への関心は高 い。外務省は「米国との関係で他に出せる前向きなタマはない」(外務省幹部)と して、対米貢献策とも位置づけて派遣を推進・・・ところが、北沢俊美防衛相が、 輸送や安全面での懸念の割に自衛隊の存在感を示す効果が薄いことから、派 遣に強く反対」(7/13
 以上が外務省がスーダンへの陸自ヘリコプター派兵を推進した理由であり、防 衛省が反対した理由だという。米国の顔色を伺い、自国の体面だけを気にする。 そこにはスーダンの人々はいない。
10年7月11日(月) 「黒人初の大統領?」
 辛さんは言う。
 「オバマ大統領」と聞いて何をイメージするか?大概の人は「黒人初のアメリカ 大統領」と言う。実際に、オバマが当選したとき、マスコミをはじめて多くの国民、 そして私自身も「黒人初の大統領」と喝采を送った。でも辛さんは、それが凄くき もち悪かったと言う。なぜなら、オバマの父親は確かにアフリカ系の黒人である。 しかし母親は白人である。所謂「ダブル(今はハーフとは言わないらしい)」であ る。もちろん「黒人大統領」と言うことも出来るが、「白人大統領」と言っても構わ ないはず。でもオバマのことを「白人大統領」と言う人はいない。そこに差別があ るという。白人至上主義という差別が。「白人」と呼べるのは所謂純粋な白人だ け。少しでも別の血が混じっていれば「白人」ではなくなる。「黒人」になるという考 え方である。
 それは日本における部落問題や在日韓国・朝鮮人問題についても当てはまる という。両親のどちらかが被差別部落の出身なら、その子は「部落の人間」として 差別される。お爺ちゃんが、曾お婆ちゃんが韓国・朝鮮人なら、そのひ孫は「在 日」と言って差別される。混ざりっ気のない純粋な日本人だけが「日本人」であ り、それ以外は排除されるんだと。
10年7月10日(土) 「バリアフリー」
 先日、辛淑玉さんの講演を聞いた。
 ある時、辛さんは障害を持った人にこっぴどく叱られたという。その人との対談 を終え、駅まで見送りに行った時、辛さんが、車椅子に乗っていた彼女がエレベ ーターを使用できるよう大声で駅員さんを呼んだ。するとその人は「そんなこと止 めて」と凄く怒ったという。なぜか?
 ちょうどその時、ボランティアの若い男性がエスコートしてくれていた。階段の下 まで来ると、彼は「ちょっと手伝って下さい」と周りにいた人達に声をかけた。する と皆「なぜ俺が?」という顔を一瞬するものの、文句も言わずに手を貸してくれ た。車椅子をホームの上まで担いでくれた。ほんの数十秒であった。しかし、もし エレベーターを使えば、その何倍もの時間がかかる。わざわざ駅員さんを呼ん で、ドアを開けたり、閉めたり、乗ったり、降りたり、たまたまそこの駅は、ホーム に上がるまでにエレベーターを一度乗り換える必要があった。たった数十メート ル上のホームに上がるのに5分も10分もかかる。その時間がもったいない。限ら れた人生の中で、健常者が数十秒で行くところを、障害者だからといってその何 倍もの時間をかけなければならないのか。それは当然なのか?それで皆疲れて いく。外に出るのをやめていく。世間から殺されていく。でも、こうやって周りの人 がちょっとサポートしてくれれば、皆と同じように出来るんだとその人は言ったと いう。
 それ以来、辛さんの考えが変わったという。それまではコンサルタントとして、企 業や行政にエレベーターの設置などバリアフリーを提言し続けてきた。それはそ れで大切なことである。しかし、やっぱりお金がかかる。景気が良い時はいい が、悪くなると難しい。もちろんハード面でのバリアフリーは必要ではあるが、そ れと同時に心のバリアフリーが必要だと実感したと。
 すごく考えさせられる話であった。バリアフリーでエレベーターが設置された。こ れで障害者も街へ出れるだろう。さあ、頑張って生きていけ!みたいな考えかた を私自身もしていたような気がする。どこか上から目線で「かわいそうな人たち に、これだけやってやった」みたいな驕りが・・・。でもそれは本当の意味でのバリ アフリーではない。本当の「御同朋」ではないのだろう。
10年7月9日(金) 「新融和主義(差別主義)」
 ある差別事件への対応をしている教区での出来事だという。一人の委員が「私 たち対応委員が『糾明の方途』にそって差別行為者を糾弾していくことは、善 人≠ェ悪人≠批判するということになるのではないか?真宗の教えは、「さ るべき業縁のもよほさばいかなるふるまいもすべし」というように、全て人が悪 人≠ナある。それを自分を善人≠ノして差別者を悪人≠ニして糾弾するの は間違っているのではないか?」というような趣旨の発言をしたという。
 真宗らしい考え方である。一瞬、納得してしまいそうな意見である。しかし差別 事件への対応(糾弾)というのは、被差別者が善人≠ナあり、差別行為者が 悪人≠ニいう構図では決してない。あくまでも被害者≠ニ加害者≠フ関係で ある。例えば、自分の子どもが万引きをしたとする。大抵の親は我が子を叱るだ ろう。しかし真宗寺院の家庭では、「子どもも私も皆凡夫。悪を犯さずには一日た りとも生きていけない。そんな凡夫を阿弥陀さんは救って下さる。有難い。もった いない。」と言うだろうか?言うはずはない。それと同じである。嫌なことは「嫌!」 とはっきり主張し、悪いことは「悪い!」とはっきりと言うのが当然である。宗教的 な「善人・悪人」とは次元の異なる話である。
 ところが最近は、現実を無視したところで、まるで愚かな者を教え上から教え諭 すかのように「憎しみを超えて・・・」云々と宗教的常套句を振りかざしながら、加 害者の責任の覆い隠し、被害者の悲痛な叫びをかき消そうとする宗教家が増え てきたような気がする。
10年7月8日(木) 「男女の役割」
 ある教区の「男女共同参画」に関する研修会の席上で出た意見である。「男女 平等と言うが、男性には男性の役割があり、女性には女性の役割がある。それ ぞれがそれぞれの役割を果たしながらこれまで上手くやってきた。それを差別 だ!と言って、何でもかんでも同じにするのはいかがなものか?」と。このテーマ の研修会をすれば必ずと言っていいほど出てくる定番の意見である。
 1922年3月、全国水平社が設立された翌日、主要メンバーが水平運動への理 解と強力を求めて東西両本願寺に訪れる。西本願寺はそれに対する見解とし て、さっそく21日には大谷尊由管長代行名で「御垂示」を発布し、同日、花田凌 雲執行が総会所にて「御垂示趣意演達」を行っている。その中で花田氏は「御垂 示」の内容をこんな喩えをもって説明している。
 「仏法の道理より世相のすべてを見渡すと恰も水の上に波の立つやうなもので ある。大なる小さなる、花の如き波、山の如き波、千波萬波風に随うて起こるの である。しかしながら水という上よりいへば更に變りはないのである。世の成立ち も其通り、貴賎上下賢愚貧富ちさまざまに別れてあるけれど、みな因縁所生に 由るので種々の差別はあるが真如法性の道理より見れば斉しく平等の理は具 はいてある。(中略)水の性は等しけれども波の姿は違ふてある如く、人間にも平 等の道理は具はつてあるが世の成り立ちとしては種々様々に違ふた姿に現は れてある。(中略)恰度音楽の如きもので高低強弱の音律がある調子を揃へて ゆかねばならぬのが音楽である。われ等の生活に於ても此調子の揃ふて行くべ きことが国民諧和なので、それが調子が合はなくなり、互に相排斥するやうでは 国家の前途も案ぜらるゝちいふお趣意である。」
10年7月7日(水) 「支配・差別・管理」
 差別とは「支配」・「差別」・「管理」という三つの要素から成り立つという。「支配」 とは、自らは何も生産せずに、暴力等の実力行使によって他者から過酷な税等 を取り立てることである。この時、被支配者は、自らが他者から支配されていると いう自覚を持つことはあまりない。しかし、あまりにも過酷な支配にたまりかね、と きにその怒りが爆発することがある。それが一揆などによる反乱である。その 時、支配者はもちろん武力を持って鎮圧するが、一方で支配者は彼等の怒りの 矛先をより弱い者へ向かわせようともする。その対象が被差別者である。支配に 対するストレスを差別によって解消させる。一方、被差別者に対しては一般の民 衆に対する「管理」の末端を担わせる。治安を維持する警察業務や処刑など刑 の執行である。そしてそれが被差別者に対する人々の憎悪をさらにかきたてるこ ととなる。この「支配」・「差別」・「管理」の三つによって差別社会が作られ、維持 されてきた。
 これらから分かることは、差別制度におけるターゲットは被差別者ではないとい うことである。差別者を作り出すことが差別社会の最大の目的であるということ。 被差別者は、差別者を作り出すための支配の道具に過ぎない。メインはいかに 差別者を作りだすかである。だからこそ部落差別をはじめとした差別の問題は、 全国民の課題なのである。被差別者が解放されば解決する問題ではない。差別 者自身が自らを解放しないことには、また別の被差別者が作られていくだけであ る。「差別・被差別からの解放をめざして」が同朋運動のスローガンとなる所以で ある。
10年6月29日(火) 「靖国神社見学」
 先日、靖国神社に行ってきた。参拝ではなく見学に。遊就館などを見学して気 づいたのは、あそこには「かわいそう」とか「申し訳ない」、「二度としません」とい った言葉が全くないということだった。あれだけ沢山の人が犠牲になり、20歳そこ そこの若者も多く戦死しているのに、普通、口をつきそうな言葉や感想が一切な い。また、戦闘機や戦車、鉄兜、刀剣、日の丸、遺書などはあったが、敵味方を 問わず犠牲者・被害者の遺体の写真は一枚も展示されていなかった。「有難う」 とか「偉い」といった言葉が出るのもその所為だろう。
 平日だったので参拝者は少なかったが、意外と男女を問わず若者が多かった のには驚いた。もちろん私みたいに「参拝」ではなく「見学」している人もいるんだ ろうが、みんな一体あそこで何を感じるのだろうか?
10年6月25日(金) 「念仏者九条の会・第10回全国集会」
 岐阜で開催された「念仏者九条の会」の全国集会に参加してきた。1日目は、 一水会最高顧問の鈴木邦夫さんが「戦争放棄と戦争箒」と題して講演、二日目 は、真宗大谷派の僧侶で先の戦争で「戦争は最大の罪悪である」と発言し、国家 並びに大谷派から処分を受けた竹中彰元氏のお寺を訪れ、現住職と「竹中彰元 に学ぶ会」のメンバーからお話を聞いた。
 印象に残ったのは、「学ぶ会」のメンバーが語った「私たちは竹中彰元を学ぶ のではない。彰元に学ぶのである」という言葉だった。「を」と「に」の違いである。 「「彰元を学ぶ」なら、昔、そんな凄い人が我が教団にもいた。素晴らしい」と英雄 視するだけで終わってしまう。確かにそれはそれで楽である。心地よい。しかし自 分達は「彰元に学ぶ」という立場である。本願に生きた彰元の生き方を通して、 今の自分自身の生き方を問い返すのである」と仰っていた。鈴木氏も同じような ことを言っていた。「国家や天皇にだけ責任を押付けるだけでいいのか?宗教者 でありながら戦争に協力した自らを問わないのか?」と。
 「念仏者九条の会」の出発点は、ただ「宗教家だから戦争に反対する」というの ではなく、私たちの教団が戦争に積極的に加担してきたという事実を直視し、そ の責任を現在に生きる私たち一人ひとりが担っていくというところから始まった運 動であると改めて確認した集会であった。
10年6月18日(金) 「アフガニスタンの鉱物資源」
 混乱が続くアフガニスタンに、約270兆円にも上る未開発の鉱物資源が眠って いるという記事があった(6/18)。寝耳に水とはまさにこのことである。少し前まで は、アフガニスタンと言えば、資源もなく、外国からの投資も期待できない、アジ アの最貧国だと言われてきた。それがここにきてである。米国政府もかなり以前 からこの情報を把握しており、アフガン政府と調査をしてきたという。
イラクの原油に続いてアフガニスタンのレアメタルを含む鉱物資源、そして戦争。 考えただけでゾッとする。
10年6月13日(日) 「1960・70年代の同朋運動」
 同朋運動には二つの潮流があるという。一つには、差別の問題を構造・制度の 問題と捉える人々のグループ。二つには、差別の問題を個人の意識の問題と捉 える人々のグループ。この差別の本質をどこに置くかによって、運動の方向性も 変わってくる。前者の運動は、差別事件への対応に重点を置く。なぜなら差別が 一番具体的に現れるのが差別事件だからである。そして事件に対応するという ことは、個人の意識の問題は言うまでもなく、必然的にその差別意識を生み出し た制度や構造(土壌)を問うこととになる。一方の後者は、差別の本質を意識の 問題と捉えるため啓発がその活動の中心となる。また、差別事件が起きたとして も、制度や構造の究明よりも、犯人探しがその取り組みの中心となる。例えば、 今の教団の運動がそうである。差別ハガキ(投書)事件に対して、筆跡鑑定など 犯人探しに暇がない。
 この二つの立場の人々が、それぞれの持論を展開しながら、分裂することなく 微妙なバランスを保ちながら進められてきたのが、戦後の同朋運動の特徴だっ たという。確かに運動の統一的な理念や定義づけはなかったものの、@差別を なくそうA同朋運動とは部落差別に取り組む運動であるBこの運動は全教団人 が担うべき運動である(運動の教団化)、という共通認識のもと共に運動を推進 していった。
 そして70年代に入りやっと、「大乗別冊問題」を契機として教団内に同朋運動本 部・同朋部が設置され、また「同朋運動の理論と実践」が作成されることによっ て、運動の教団化と運動理念の統一が達成されることとなる。それは戦後の同 朋運動の大きな成果であった。
 しかしその反動とも言うべきものが80年代の同朋運動と門信徒会運動との「一 本化問題」によってで噴出する。
10年6月4日(金) 「一如会運動C」
 一如会運動の特徴として、一如会は「糾弾」をしなかった、「糾弾」を否定したこ とがあげられる。
 例えば大谷尊由氏は次のように発言している。「家庭で各自が我儘を申したら 家庭が治まらないが、御恩御恩という暖か心から相互が相愛して円満にゆくので あります。(略)之はまた各種の階級に就いても考えることが出来ます。(略)闘争 はさらに闘争を生んで何時止むということはないのであります。」(「社会問題の 根本としての共存共栄」より)。
 「御恩御恩」「闘争はさらに闘争を生む」、今でもお説教などでよく聞くフレーズ であるが、これは何も親鸞聖人の教えから導き出されたものではない。例えば当 時の小山検事総長は訓示の中で次のように発言している。「これ(徹底糾弾)彼 等が一般民の同情を得る所以に非ず、ただに彼等の要求を貫徹する障碍となる おそれあるのみならず、これ実に社会の秩序を紊乱するものにして断じて許容 すべからざる行為というべし」(1925年5月)。つまり大谷氏の発言の根底には「こ の世では世間の価値観(王法)に従う」とした「真俗二諦」的発想であることが分 かる。
 また、小山検事総長の訓示にある「糾弾闘争が一般民の同情を得る所以に非 ず」云々の発言は、典型的な融和運動の発想である。「差別されるのは被差別 者の側に責任がある。汚い。暴力的である。自己責任である。もし差別されたく なければ、まず被差別者自身が変わる努力をしないさい。そうすれば、私たちも 差別解消のために手を貸してあげよう!」という発想である。そしてこの同情的 発想が牙を剥くのは、被差別者が自らの権利を求めて声を上げた時である。大 人しくしている間は憐れんで同情してくれるが、一端権利を主張すると攻撃的に なる。例えば、熊本県の黒川温泉で起きたハンセン病の元患者に対する宿泊拒 否事件がその典型である。当初、世論は元患者に同情的だった。しかし、元患 者がホテル側の形式的な謝罪を拒否した途端、風は一変した。元患者の元には これでもかと言うぐらいの批判の手紙やFAXが送られてきたことは、同情運動の 本質を見事に顕現したものであった。おそらく当時の一如会運動にもこのような 発想がどこかにあったに違いない。
 しかしそんな「糾弾」を否定した融和運動に対して全国水平社の創立メンバー の一人である西光万吉さんは次のように反論する。「世間の人々が、なんでもな いようにいうその侮辱的なことばは、実はわれわれにとっては最も恐るべき脅迫 ではないか。そのことばは、われらをいかに残酷に脅迫するだろう。(略)まったく われらは、そのために妻を奪われ、子を失い、町を追われ、家を捨て、名を汚さ れ、また自らの死を願うた。これが脅迫ではないのか。今の世に、われらに対す る差別的な言辞ほど残酷な、深刻な脅迫が他にあろうか」(『水平社新聞』四号よ り)。つまり西光さんは「「糾弾」など差別されることに比べればカワイイものであ る」「差別は時に被差別者の命までも奪う蛮行である」と反論する。
 いずれにせよ当時の本願寺の一如会の思想の根底には、為政者の論理・強 者の論理があり、同情や憐れみからの活動であって、そこには親鸞聖人の「御 同朋・御同行」といった精神はなかったと言える(勿論全てが全てそうだとは限ら ないだろうが・・)。
10年6月2日(水) 「一如会運動B」
 教団の融和運動に「悪平等論」というのがある。例えば、全国水平社からの水 平運動に対する協力要請を受けた西本願寺は、3月21日、大谷尊由管長事務取 扱が次のような「垂示」を発表している。
 「或ハ悪平等ノ僻見ニ住シテ社会自然ノ差別ヲ撥無セントシ、或ハ悪差別の邪 執ニ拘ハリテ自他互ニ排せいシ憎嫉ヲ重ネントス。殊ニ同一民族ノ間ニ尊卑ノ差 別ヲ為シ国民諧和ノ美風ヲ損スルモノアリ。」
 この「垂示」を当時の花田凌雲執行は「御垂示趣意演達」として次のように分か り易く解説してういる。
 「世界二十億の人類はひとしく平等である。貧富貴賎と差別はありても、人道の 上からしては人類平等の一面に注意しなければならぬ特に同一国民の間で種 族の尊卑を認むるようなことは、国民諧和の情誼を破るものである。恰度音楽の 如きもので高低強弱の音律がある調子を揃えてゆかねばならぬのが音楽であ る。われ等の生活に於ても此調子の揃ふて行くべきことが国民諧和なので、そ れが調子が合はなくなり、互に相排斥するやうでは国家の前途も案ぜらるゝとい ふお趣意である。」(『教海一瀾』670号)
 つまりみんな同じ人間(如来の子=天皇の赤子)なんだから、仲良くしないさい ということである。例えば、高い音、低い音、色んな音律が揃って初めて一つの 音楽になるように、貧富貴賎の違いはあっても、それはそれみんな国民である。 それによって一つの国家が成り立っている。今の言葉で言えば「みんな違ってみ んないい」である。それを「みんな平等だ!」と言って、みんな同じにすることは却 って国家の調和を乱すことになる。悪平等だ!という論法である。
10年5月30日(日) 「一如会運動A」
 1924年10月29日、教団の社会課内に融和運動団体として一如会が設立され る。しかしそれは「親鸞聖人の平等精神に拠って差別をなくそう!」といった主体 的なものではなく、その2年前に設立された水平社対策といった性格を帯びた団 体であったという。
 1992(大正11)年3月3日に設立された全国水平社は、創立大会において「部落 民の絶対多数を門徒とする東西両本願寺が此際、吾々の運動に対して抱蔵す る赤裸々なる意見を聴取しい、その回答により、機宜の行動をとること」を決議 し、翌日、東西両本願寺を訪れ、水平運動に対する協力を要請している。また同 年4月10日には両本願寺に対して募財拒否の通告を行った。その理由の一つと して「同じ開山上人の御門徒仲間からさへ人間らしい付合がして貰へませんでし た」「苦しみの中から今日迄本願寺に御取持して莫大な懇志を運ぶことも結構か もしれませぬが吾々が早く此の忌わしい差別を取り除いて真実御同行御同朋を 仰せられたやうに如何なる人達とも交際出来るようにする方が何の位御開山の 思召に叶ふ事か知れません」と、教団のこれまでの反親鸞的・反同朋主義的体 質をあげている。またその他にも、奈良県に結成された黒衣同盟など教団内有 志革新団体などからの突き上げもあり、その対策の一環として設立された団体 だったという。
 つまりその設立は、被差別部落の門徒や僧侶の怒りを緩和することであり、そ してそれは何よりも被差別部落から教団に上がる募財を確保するという経済的 な事情からであった。当然、その活動は教団全体のものとはなりえず、教団や僧 侶の差別体質を問うといった視点も出てこようはずもなかった。
 しかしマイナスばかりではなく、評価すべき点もあったという。例えば、その活動 内容として奨学金の支給や識字学校の設立などその後の解放運動につながる 先駆的な取り組みもあったという。また、梅原真隆氏など戦後の同朋運動の推 進に貢献した活動かも多数輩出したと言われている。
10年5月29日(土) 「一如会運動@」
 先日、「西本願寺教団の融和運動・一如会運動」について学ぶ機会があった。
 教団における一如会運動は、1902(明治35)年に和歌山県でおきたR布教使に よる差別事件をきっかけに始まった。
 大日本仏教慈善会財団の募金宣伝の説教中に、R布教使が、先日訪れた別 の寺院で、被差別部落の者二名が10円ずつの寄付を申し出たことを紹介しなが ら、「けれども彼らはそも何ものなるぞ、社交上人間外にひん斥される蟻同様の ものではないか、満堂の皆の衆は知らぬが、○○(賎称語)は御同様一般社会 から疎外されて居るもので御座るぞよ」と発言したという。つまり、「あのような者 (被差別者)たちでさえこんなにも寄付をしたんだから、マトモな貴方達ならもっと 出来るでしょう」と言いながら聴衆に寄付を促す手法である。ちなみに同じ手法 は、数年前に『本願寺新報』に掲載された「瓦懇志問題」においても見られた。
 被差別部落の人々からの強い抗議を受けた西本願寺教団は、同年11月、「乙 達37号」を出し、差別的呼称を用いて同朋を蔑むことをしないよう門末に通達し た。しかし、その根拠となったのは、親鸞聖人の同朋精神ではなく、1871(明治4) 年に出された「解放令」であった。恐れ多くも明治天皇様が「四民平等」を宣言し て下さったのに、差別するとは何事だ!けしからん!という論法である。
 仏法ではなく世法。差別の責任を個人に帰し、自らの差別体質を一切問わな い。これが教団における一如会運動の一貫した思想であったという。
10年5月28日(金) 「普天移設問題C」
 普天間基地の移設先を「辺野古沖」と明記した日米の合意文書が発表された。 それに先立ち米国大統領と電話会談した鳩山首相は「オバマ大統領も喜んでい た」と語ったという。確かにオバマ大統領は喜ぶだろう。「トラスト・ミ」も嘘ではな かったのだから。
 昨日開催された全国知事会で、訓練の一部負担を求めた鳩山首相に全国の 知事から異論が噴出したという。みんな総論では賛成、各論では反対らしい。
 結局、また沖縄だけが「捨石」にさせられるのだろうか・・・
10年5月27日(木) 「普天間移設問題B」
 アメリカのワシントンポスト誌にこんな論評が載っていたという。先日、中国のヘ リコプターが自衛隊の艦船に異常接近した事件や、今回の北朝鮮による韓国哨 戒船の爆破事件が普天間基地の移設先を辺野古に求める米軍の意向に有利 に働いたと。実際、「辺野古にお願いする」と鳩山首相が明言した際にも、「哨戒 船爆破事件」や「朝鮮半島事情」「抑止力」という言葉が飛び交っていた。まさか 偶然だとは思うが、国際政治の舞台裏では何があっても不思議ではない。また 政治家はそれらを巧みに利用しながら世論を誘導することにも長けているのだ ろう。
10年5月26日(水) 「憲法9条は日本人にはもったいない」
 鳩山首相の普天間移設を巡る迷走劇。唯一評価できる点を挙げるなら、沖縄 の基地問題や日米安保、抑止力など普段考えることのなかったテーマについて 多くの日本人が考えるきっかけになったことだ!とテレビや新聞のコメンテーター が話していたのを記憶する。ところが今やマスコミの話題は社民党の連立離脱 や福島党首の我がままにすり替えられてしまった。いかに今回の問題に対してマ スコミを含めて私たち日本人がはじめから無関心だったかがよく分かる。
 このまま沖縄を踏みつけにしながら自らの平和と繁栄を享受するぐらいなら、 一層のこと憲法9条を改定し独自の「抑止力」を持つことで米軍に出て行ってもら ったほうがいいのではないか?沖縄の苦悩に寄り添うことなく、どの口が「護憲」 を叫ぶのだろうか・・・
 「戦争の犠牲者を 踏み台にして ひたすら自らの 幸福(しあわせ)を 求めて いないか」「私は 本当に平和を 願っているのだろうか?」「憲法9条は 日本人 には もったいない」
10年5月24日(月) 「普天間移設問題A」
 迷走の末、結局、普天間基地の移設先が現行案通り辺野古沖に戻ってきた。 期待を裏切られた沖縄の人々の怒りはいかばかりだろうか?日本の安全・平和 のためには日米安保は必要。だけど基地は受け入れたくない。だからこれまでも これからも沖縄に犠牲になってもらいたい。鳩山首相だけでなく私たち大多数の 日本人の本音なんだろう・・・
10年5月18日(火) 「友愛ボート」
 鳩山首相が掲げる「友愛ボート」とは何だろうか?今のところ、米軍の世界戦 略の一環として上手いこと利用されているようだけど(5/17)、もし日本が憲法9条 の精神に則り主体的に取り組むことができれば、ひょっとすると良いものに化け るかも知れない。
10年5月7日(金) 「スケールの小さい話」
 『布教団通信』(32号)に、安方哲爾という前勧学寮部長の講演録が収録されて いた。その中で安方氏は次のように言う。
 「ご法義にふれる喜びとは「脳の中に新しいしわができる」ということ、いわば 「まったく違う、考える回路ができる」ということではないでしょうか。ということは、 今まであった回路の上の話では本当の語法義にふれたとはいえないこととなりま す。ですから単純な意味での「わかりやすい話」というのは考え物です。それでは 本当の阿弥陀様のお慈悲にふれたとはいえないでしょう。一例を挙げますと、 「阿弥陀さまは十方の衆生をもれなく救う」ということを聞くと「阿弥陀さまは平等 なお方、だから、われわれも平等に生きなければならない」というような理屈はわ かりやすいです。なぜなら、もともと「不平等より平等が正しい」という価値をわれ られが持っているからです。・・・思うのですが、道徳的な方向にご法義を持って いくと分かりやすいのです。分かりやすいのですが、それは脳のしわが増えたの ではないのだと思います。もともと言いたいことを阿弥陀様の言葉を使って説明 しているだけであって、まったく違う話を聞いているのではないのだと思うのです」 などと言いながら、最近の布教使はスケールの小さい話ばかり、阿弥陀様を小さ くし、ご法義を矮小化していると非難している。ちなみに安方氏の考える布教と は、相手(門徒)が理解しようがしまいが、伝統的な「後生の一大事」を話すことで ある。それによって救われるかどうかは本人と阿弥陀仏との話であり、布教使 (僧侶)が介在する話ではないとのだという。
 なるほど。確かに安方氏が言うように、「平等」などスケールの小さい、どうでも いい話なのかも知れない。特に差別者(抑圧者)にとっては。しかし被差別者(被 抑圧者)にとっては違う。「全ての命の平等」を説く阿弥陀仏の本願は、まさに光 明であり、希望である。親鸞聖人が「われら」と呼んだ「屠沽の下類」と呼ばれた 人々や「水平社」の人々にとっては生きる力であった。崇高な宗教者からすれば 「平等」などスケールの小さい話かも知れないが、少なくても被差別者は「平等」 を希求し、「平等の阿弥陀仏の本願=親鸞聖人の平等精神」に帰依し、それに 救われてきたのである。私はこれからも「スケールの小さい話」をしていこうと思 う。
10年4月30日(金) 「同朋運動60周年から学ぶことH〜今日の差別事件に 対する教団の姿勢〜」
 今日でも教団内では多くの差別事件が惹起している。これだけ差別事件が多 い宗教教団も珍しいが、最近、事件への対応に大きな変化が生じているという。 それは被害者(被差別者)が誰なのかが分からなくなってきている点にあるとい う。事件が起きると、あたかも教団自身が被害者であるかのような対応が目立つ という。例えば、匿名の差別はがきに筆跡鑑定をするなどはその典型である。差 別をするのは教団内の一部の不心得者であり、彼(彼女)によって教団全体が 迷惑を蒙っているという考え方である。
 これは何も今に始まったことではない。1902(明治35)年、和歌山県で起きた某 布教使による差別発言に対して、被差別部落の門徒さんたちが本願寺教団の 差別体質を厳しく追求した際、教団は「乙達三七号」を出して、全国の門末に「差 別的呼称」を用いることのないよう各教区において厳重に取り締まるよう告示し た。しかしその内容は、親鸞聖人の平等精神から自ら(教団)の差別体質を慚愧 したものではなく、「差別する者は、1871年に出された『解放令』に反するもので あり、明治天皇の御心に逆らう不届き者≠ナあって、けしからん!」という趣旨 のものであったという。あくまでも教団は被害者、差別するのは一部の不届き 者≠ナあり、差別を生み出す教団の体質(土壌)を問うものではなかったという。
 今の教団の対応はまさにその100年前と同じであるという。どこまでも教団は被 害者であり、犯人探しをすることに精を出して教団の差別体質や構造を問えなく なっているのだと。
10年4月29日(木) 「同朋運動60周年から学ぶことG〜歴史の歪曲〜」
 2004年6月に行われた前門主の三回忌法要に関する次のような一文が掲載さ れていたという。
 「御成婚まもなくの昭和十三(一九三八)年から、勝如上人は各教区への巡教 を始められました。当時日本は戦争に突き進み激動の時代を迎えていきます が、勝如上人は断固たる決意をもって数々の改革を行われ、今日の宗門の礎を 確立されました。敗戦後の昭和二十二(一九四七)年からは全国五百余りの組 巡教を開始されました。困難な時代にありながら、ご門徒の一人ひとりと親しく接 するご巡教を生涯にわたって続けられたご功績は、まことに大きなものです」
 2004年5月に出された「宗令第二号」「宗告第八号」には次のように述べられて いる。
 「(先の十五年戦争時の消息・直諭・親示・教示・教諭・垂示等を教団の戦争責 任として)戦時下に発布した消息≠ネどの取り扱いについては国策として戦争 に協力するものであったことを認め、これらの文書を慚愧の対象とし、全てのい のちを尊ぶ宗門としてこれを依用しない」
 はたして前門主が戦時中に行った改革は、「今日の宗門の礎を確立」したもの なのか?それとも「慚愧の対象」なのか?どちらなんだろうか?(『念仏と解放』第 6号参照)
10年4月27日(月) 「同朋運動60周年から学ぶことF〜血統主義〜」
 2005年の「総御堂不審者乱入事件」の後、宗派の機関紙に次のような意見が 掲載された。「今回の事件は、人を指すことなく自らに猛省を促すものであって、 それぞれが痛みを痛みと感じ、御真影さまが傷つかれたことを心の内で悲泣し、 率直に御真影様への熱き想いを展開するための契機としなければならない。同 時に最もご心労されておられるご門主さま、そして大谷家ご家族のお気持ちを忘 れてはならない」
 また、2005年に、ある業界雑誌に次のような意見が投稿されていたという。「そ れにましても、さすがはご門主、来られるかではなにやらぶつぶつ言っていた寺 族たちも、いざ目の前にいたしますと、たちまちヘナヘナ・・。やっぱりどこか違 うわェ≠ニいった感じで迎えられます。シルクロード探検隊で有名なあの大谷光 瑞師はその長身に加えた堂々の品格でこんな日本人がいたのか≠ニロンドン っ子の目をまるくさせたと伝えられていますが、当代さまも同じ。たとえごく普通に しておられましても、誰もがどこか違う≠ニ感じるものをお持ちなのでしょう。こ ういうと目くじら立てる人がいるかもしれませんが、やはり、血はあらそえないと言 わざるをえません。(略)文字通り人品卑しからざる人≠折角、指導者に仰ぐ ことのできるわが宗派・・」(『念仏と解放』第6号参照)
 「こういうと目くじら立てる人」とは誰だろうか?
10年4月25日(日) 「同朋運動60周年から学ぶことE〜募財教団〜」
 現在、教団では首都圏への新たな教線拡大のため莫大な予算が投じられ 種々の施策がとられているが、その一方でこれまで教団を支えてきた地方、特に 過疎地域の寺院や門徒を切り捨てるかのような動きが見受けられる。その典型 が護持口数の見直しであるという。 
 護持口数とは「法義繁盛と宗門の護持発展のため、当該寺院の門徒の負担す る懇念を口数で表示したもの」である。「法義繁盛と宗門の護持発展」を願う門徒 の自主的懇念であり、だからこそ護持口数は「寺院の申告」と明示されている。と こが先の見直しでは、宗派において一方的に口数が決められ、それを各教区に 丸投げするということが行われた。特に奈良教区などは2倍以上に増えた。そし て「目標数」に達しないからと、不足分を教区内の全寺院に均等に振り分けると いう強硬措置を講じた。奈良教区の場合、不足分9765口を全寺院で割り、各寺 院に23口づつ上乗せしていった。100口申告の寺院にも10口申告寺院も一律23 口の上乗せである。これはもはや「懇念」ではなく、まさにぼったくりバー≠フ 請求書である。
 一連の護持口数問題から窺えるのは、本願寺を中心とした「組織」の維持・強 化と一般寺院、特に過疎寺院の切捨てである。現在の教団は、同朋教団とは名 ばかりの募財教団と言われても反論は出来ない。(奈良教区基推委「護持口数 に関する抗議」参照)
10年4月24日(土) 「同朋運動60周年から学ぶことD〜今日の教団の運動 の特徴〜」
 2003年からの職制変更によって教団の運動から「同朋運動」が消えてしまった という。例えば、2002年に総局が提出し宗会で可決された「総局部門宗務組織規 定宗則案」には、第四条に基幹運動の基本方針として「総局部門は、宗門の全 員聞法、全員伝道の運動体である基幹運動(門信徒会運動・同朋運動)を総合 基本計画に基づき、強力に推進しなければならない」と明記されている。しかしこ こに出てくる「全員聞法、全員伝道」とは門信徒会運動の課題であり、スローガン であって、ここからは「もう同朋運動はしない」「宗門の運動は門信徒会運動だけ である」という姿勢を読み取ることが出来るという。
 また、2002年度までは単独で年度内に複数回発行されていた人権情報誌「サ ットヴァ」が、2003年度より「宗報」内に収められ、発行回数も年に1回となってし まったという。現在の運動計画では「僧侶と門信徒との課題の共有」が掲げられ ているが、正確な情報を公表せずしていかに課題を共有するというのだろうか? 教団や僧侶の差別体質を明らかにし同朋教団の実現をめざす。そのためにも情 報をオープンにし、門信徒と課題を共有することによって、僧侶と門信徒が力を 合わせて共に運動を推進する。それが本来の運動の願いであったはず。ところ がその「共有すべき課題」がいつのまにか「教団の本来化」から「教線の拡大・組 織維持」へと巧妙に摩り替えられてしまった・・・
10年4月23日(金) 「同朋運動60周年から学ぶことC〜同朋運動の成果と 弱点〜」
 これまでの同朋運動の成果として二点挙げることが出来る。一つは「同朋運動 の三要素」を提示できたこと、もう一つは「差別事件への対応」を運動の中心に おいてきたことだという。
 「三要素」とは「信心」・「部落(差別)」・「同朋教団」である。この一つでも欠けた 運動はもはや同朋運動ではない。「信心」がなければ、それは浄土真宗(念仏 者)の運動とは言えない。また「信心」にもとづき「部落差別」に取り組むだけな ら、それは「融和運動」(教団と自らの差別性を問わない。同情運動。上から目線 の憐れみ運動)に陥ってしまう。そして、「部落(差別)」の問題に取り組まない運 動は、それこそ何でもありの運動となる。この三者が揃ってはじめて「同朋教団 の実現(教団の本来化)」をめざした同朋運動となる。「今の教団は親鸞聖人の 教団ではない」という認識のもと、おかしな所を一つ一つ批判することで本来の姿 に近づこうとしたのが同朋運動である。だから教団批判は必然である。「批判精 神」のない運動は同朋運動ではない。
 また、「差別事件への対応」は、ややもすれば現実を無視した観念的な運動 (信心第一主義等)に陥りがちな運動を、「差別の現実から出発する」という運動 を展開することを可能にした。
 一方、これまでの運動の弱点としては、運動を広めるために「運動の教団化」 をめざした結果、教区や組、個人が自ら率先して運動に取り組むという主体性を 十分に育てることが出来なかった点にある。上からの「指示待ち運動」になってし まった。確かに中央の運動が上手く≠「っている時はそれでもよかった。しか し今のように中央の運動が崩壊(消滅)してしまうと、教区や組の運動までもが自 滅しかね得ない。これからは「教団の運動」から「一人ひとりの運動」へ転換して いく必要があるという。組織が担う運動から個人が担う運動へ。同朋運動が私 の生き方≠ノなる運動への転換が必要である。そしてそんな自立した個人が連 帯することで、運動が大きなうねり(力)となり教団自体も動かしていけるのだと。
10年4月22日(木) 「同朋運動60周年から学ぶことB〜運動は継続〜」
 1979年の全日本仏教会理事長の差別事件を契機として問われた宗教界にお ける差別責任。それを受け本願寺派においても、1983年から法名・過去帳調査 が行われる。しかし「免責事項」など不誠実な対応が明らかになり、その後、安 芸・備後両教区と部落解放同盟広島県連合会との間で糾弾会などを経て同朋三 者懇話会が開催されることとなる。そのなかで、僧侶や教団の差別体質が厳しく 問われることとなり、それらを全僧侶の課題とすべく僧侶研修会が全教区で開催 されることとなった。第1期の僧研では「真俗二諦」「業・宿業」「信心の社会性」が テーマとなったが、研修の中で参加者の僧侶があまりにも部落問題に関する基 礎知識を欠いていることが明らかになり、第2期からは前者の3つに加えて「部落 差別の基礎的学習」が課題となった。そして、2001年から始まった第3期では、 1997年に再度行われた法名・過去帳調査の結果を踏まえ、「法名の本来化」及 び「僧侶と門信徒との課題の共有」が課題となった。
 ここで提示された「法名の本来化」とは、まさに僧侶の差別体質を問う言葉であ った。「十方衆生の平等」を口では説きながら、法名にまで「差別」を持ち込み、 長年それを課題と出来なかった僧侶の体質を門徒さんから問われた言葉であっ た。また、調査の過程で規定外法名の存在も明らかになり、院号問題と含めて 僧侶と教団の「長い法名という社会的風潮への迎合と募財主義」を批判した言葉 でもあった。
 以上が第3期までの僧研の経緯である。ところが第4期に入るとそれまでの運 動が断絶することとなる。「門信徒との運動の共有から実践へ」が課題となるが、 いつのまにか「法名の本来化」とは帰敬式推奨運動に摩り替えられてしまう。「生 前にご門主様≠ゥらお剃刀を受けましょう!」とか「内願が可能となりました」 などといった謳い文句で、門信徒に帰敬式を推奨する運動となってしまった。「僧 侶の差別体質を問う」といった当初の願いは何処へやら、「法名の本来化」とは 門信徒の課題に摩り替えられてしまった。まさに運動の断絶である。
 その結果、第5期からは課題そのもを見出すことが出来なくなり、「同一テーマ・ 同一テキスト・同一カリキュラム」というこれまでの方針を180度転換し、各教区に おいて独自に課題を設定することとなり、もはや僧研とは呼べないものとなってし まった。それまでの運動が第4期を境に完全に教団内から消滅してしまったと言 える。
10年4月21日(水) 「同朋運動60周年から学ぶことA〜差別の本質は変わ らない〜」
 差別の実態は変化する。しかし差別の本質は変わらないという。
 差別の本質は三つある。@差別は人権の抑圧である。「差別」と「区別」の違い は何か?それは人権を侵害したか否かだという。例えば、「男性」と「女性」とを 分けること自体は区別である。しかし、分けることによって女性の人権を侵害す るとそれは女性差別になる。つまり差別とは意識の問題ではなく、もっと具体的 に人権を侵害したり抑圧したりする行為を指す。だから差別をなくそうと思えば、 具体的に人権が侵害されている差別事件にもっと目を向けなければならない。と ころが今の行政や教団は差別意識の解消ばかりに光を当てて啓発活動ばかり し、事件を見ようとしない。
 A差別者は差別を隠す。差別は被差別者が声を上げないと明らかにならな い。それは承元の法難を『教行信証』で糾弾した親鸞聖人や水平社運動の歴史 からもよくわかる。
 B支配者は支配のために差別を利用する。例えば現在の差別は、「下」を貶め るのではなく、逆に「上」を殊更持ち上げることでどんどんと格差を広げていく特 徴があるが、現在、教団内においても「ある特定の人」を持ち上げ、その権威を 高めることで教線の拡大や組織の維持を諮ろうとしているのはその典型である。
10年4月20日(火) 「同朋運動60周年から学ぶこと@〜差別の実態は変化 する〜」
 先日、「同朋運動60周年から学ぶこと」と題した講演を聞いた。
 差別とは何か?まず「差別の実態は変化する」という。確かにこれまでの運動 により被差別部落の環境を大きく改善された。しかしそれは差別がなくなったと いうことではない。これまでの固定観念で考えていると、差別は見えなくなってく る。例えば、今日の差別の特徴は、被差別者(被差別部落、障がい者、元ハン セン病患者など)を偏見等で抑圧するということ以外に、特定の人間を殊更に持 ち上げ、その特権を強化していくという特徴があるという。特定の血筋を引いた 人々を殊更礼賛したり、格差社会における「勝ち組」であるとか「セレブ」などはそ の典型だろう。これからの運動はそれらの変化を冷静に分析し、何が差別であ るかを見抜く力をつけていかなければならないという。
10年4月19日(月) 「普天間移設問題@」
 普天間基地の移設問題で支持率はがた落ち、マスコミからも連日批判を受け ている鳩山政権。総理の優柔不断さやリーダーシップの無さは誰もが認めるとこ ろだけど、では一体、国民やマスコミはこの問題をどうすればいいと思っている のだろうか?まだ自民党や産経新聞などは、環境や住民への多少の犠牲はあ っても、現行案通り辺野古沖に移設するべきだと分かり易い。でもその他の国民 や例えば朝日新聞などはどう考えているのだろうか?自民党などが主張するよう に現行案の履行なのか?徳之島など沖縄県外への移設なのか?普天間の継 続使用なのか?それとも社民党が主張するようにグアムなど国外に出て行って もらうのか?そのへんが全く聞こえてこない。「日本の安全を守るためには誰か が犠牲になるのは仕方がない」と言うのか、「誰も犠牲にしたくない。だから米軍 には出て行ってもらう。もしそれで日本の安全が脅かされると言うなら、それはそ れで9条を持つ国民が背負うリスクとして受け止める」と言うのかどっちなんやと 問いたい(ちなみに私は後者である)。自分の態度は示さずに全ての責任を首相 に負わすのは楽ではあるが、本当にそれでいいのだろうか?少なくても自分の 態度ぐらいは示せよ!卑怯である。
10年4月17日(土) 「改憲を巡る動き−国益−B」
 一昨年だったか、「日本は朝鮮半島や中国大陸に一方的に軍を進めたことは ない。日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得 て、これを守るために軍を配置した」などと論文に書き、「あの戦争は侵略戦争で はなかった」と主張した自衛隊の幹部がいた。大きな批判を浴び更迭されたが、 あの発言は半分正しく、半分間違っている。なぜなら当時、戦争指導者を含め多 くの国民が「この戦争は日本の国益を守るため。自衛戦争である」と真剣に思っ ていたはずである。しかしいくら日本が「正義の戦争」と主張しようとも、他国から すれば「侵略戦争」の何ものでもなかった。まさに「全ての戦争は自衛の名のもと に始まる」である。
今後、経済のグローバル化の進展に伴い、「国家間競争を生き残るためには背 に腹は代えられない」という雰囲気がますます強くなってくるはずである。「国益の ために自衛隊を出せ」という議論が改憲論の中心になってくる可能性が高いとい う(09.3.8「朝日新聞」浦田一郎明治大学教授)。その時に反対を貫けるのか?護 憲・活憲を叫ぶ私たち一人ひとりの真価が問われる。
10年4月16日(金) 「改憲を巡る動き−国益−A」
  昨年、社団法人日本船主協会が全国紙に掲載した「意見広告」には次のように 書かれている。「海賊から船舶を守ること。それは、日本の暮らしを守ることでも あります」という見出しに続き、「日本は、資源・エネルギーの大部分を海外から 輸入する一方、自動車や電気製品などさまざまな製品を輸出しています。・・それ らの輸入や輸出の運動を担っているのが、外航海運です。その輸送量は、わが 国貿易全体の99.7%を占めています。このように日本の豊かな暮らしと産業を支 える外航海運が、脅かされたり途絶えたりすれば、日本は大きな打撃を被ること となります。しかしそれが今や、現実の問題となっています。・・・私たちは、日本 商船隊を含めた、あらゆる国の船舶の安全を祈っています。そのためには護衛 活動を積極的に充実させ、他の国々と協力していくことが大切であると考えてい ます。それが結果的には、日本の暮らしと産業を守っていくことになると信じるか らです」(09.5.13「朝日新聞」)。
  このような「国益」を前面に出した自衛隊の海外派遣に対して、東京外国国大 学教授の伊勢崎賢治さんは次のように警鐘を鳴らしている。「これまで日本政府 は国連の平和維持活動(PKO)への参加もイラクへの陸上自衛隊の派遣も、 (実質的には戦争への協力であるが)名目上は「国際貢献」や「イラクの復興支 援」という「世界益」を掲げて行ってきた。しかしソマリア沖への派遣は「国益」を 掲げて自衛隊を海外に出した初めてのケースとなった。戦後、日本人は『強大な 軍隊を持たない、軍隊を外に出さないと守れないような国益は求めない』と誓っ たはず。これは憲法9条の根幹であり、明らかに今回の派遣は憲法違反である。 それなのに「国益」と聞くと護憲派も含めて多くの日本人が口を閉ざしてしまう。ソ マリア沖が危険なら遠回りのケープタウン沖を迂回すればいい。それで輸送費 用が増えたとしても、9条を持つ日本人が払わなければならないコストとして受け 止めるべきだ(要旨)」(09.5.2「朝日新聞」)と。
10年4月15日(木) 「改憲を巡る動き−国益−@」
 「そろそろ基本的な考え方を見直すこともあってしかるべきだ」。今年の1月12 日に防衛産業で組織する日本防衛工業会の会合に出席した北沢防衛相はこの ように挨拶し、政府として「武器輸出3原則」の見直し議論を始めることを示唆し たという(1/12「朝日新聞」)。
 この発言の背景には、防衛産業界からの強い働きかけがあるという。約1.9兆 円規模と言われる日本の防衛産業界であるが、ここ数年防衛予算は削減続きで 装備品の受注も減少傾向にある。また、冷戦後、欧米では巨額の開発費を要す る大型武器は多国間による共同開発が主流となっているが、日本企業は3原則 が足かせとなり参加できず、技術基盤の維持が困難となっている。既に防衛産 業から撤退する企業もあり、このままでは日本だけが国際競争から取り残される という危機感があると言われている。そこで3原則を緩和し、民生支援などに限 った装備品の輸出や共同開発を可能にすることで国際競争力を維持したいとい う思惑が産業界にはあるのだという(10.2.15「朝日新聞」)。
 しかし言うまでもなく、一旦それを許せばこれまでの箍が一気に外れ、解釈次 第で武器の輸出が際限なくエスカレートしていく危険性があり、到底容認など出 来はずもない。
 ところが最近よく、このような経済的権益や国益を守ることを理由に、戦後、私 たち日本人が9条のもとに築き上げ守り続けてきた平和主義を骨抜きにしようと する動きが見受けられ、また、世論もそれを支持するという傾向がある。その典 型がアフリカ・ソマリア沖への海上自衛隊の派遣であった。日本船主協会などか ら要請を受けた前政権が決定し、政権交代後の現在も継続されている。
10年4月14日(水) 「御同朋の法話:「ぶっとばせ自己責任論!」E」
 昔、小学校の時に『ザルどじょう』という話を聞いたことがある。大きなザルの中 にたくさんのどじょうが入れられている。どじょうたちは何とかして脱け出そうとし て必死。互いが互いに押し合い、へし合い、踏みつけ合いながらもがいている。 そして小さなどじょうや力の弱いどじょうはザルの下で押しつぶされて苦しんでい るという話だった。
 どうか?親鸞聖人や法然聖人の時代と似ているような気がする。そして今の私 たちの時代にも。自分さえよければいい。困っている人を見ても、「それは個人 の責任!」と言って見て見ぬふり。みんなバラバラに生きている時代。そんな時 代だからこそ、「みんな同じ仲間である」と教えてくれるお念仏の教え、その教え に生きる人々のサンガが必要だと思う。
10年4月13日(火) 「御同朋の法話:「ぶっとばせ自己責任論!」D」
 なぜお念仏は称えるだけで全ての人が平等に救われるのか?お念仏とは一体 何かというと、阿弥陀様からの贈物(プレゼント)と言ってもいいと思う。
 人間の能力や努力は人それぞれ違う。テストをしたら100点取る子もいれば、 50点、10点しか取れない人もいる。もしそれを救いの条件にすると、必ず救わ れる人と救われない人が出てくる。そこで阿弥陀仏は五劫という長い時間をかけ て考えた。「どうしたら功徳を積みたくても積めない人も仏になることが出来る か?」と。そして考えたのが、代わりに阿弥陀仏自身が修行をするという方法で あった。そこで阿弥陀仏は兆載永劫というこれまた長い時間をかけて修行する。 そしてその功徳の全てを「南無阿弥陀仏」の名号の中に詰めて、全ての人の元 に届けてくれている。届いた人は「有難う」と受け取るだけ。「有難う」それが「ナマ ンダブツ」のお念仏。そしてその「有難う」の一声によって仏になることができる。 それがお念仏の教えである。
 ちょうど母親の母乳みたいのものか?赤ちゃんは自分でご飯を作って食べるこ とができない。放っておいたら死んでしまう。そこで母親が代わりにご飯を食べ、 その栄養を母乳に替えて赤ちゃんに与える。それによって赤ちゃんは成長する。 阿弥陀仏もそんな感じである。私たちの代わりに一生懸命修行をして下さった。 だから人間の能力や努力は一切必要ない。阿弥陀仏の一人働き。だからこそ 皆、平等に仏になることが出来る。
 よくこのような阿弥陀仏の救いをよく「医者」に譬えることがある。例えば、銀行 強盗と警察官が撃ちあいになり、二人とも大怪我をして病院に運ばれてきたとす る。医者はどっちを先に助けるか?銀行強盗は悪いことをした。怪我をして死ん だとしても自業自得。しかし警察官は犯人を捕まえようとして、怪我をした。まず 警官から治療をしたくなる。しかし医者にとっては、患者がどういう人かは関係な い。悪人であろうと善人であろうと、同じ患者として診る。敢えて順番をつけるな ら、より重傷の人から治療するだけである。
 これを親鸞聖人は七つ子の喩えをもって説明している。七人の子供がいれば、 親は七人それぞれに平等に愛情を注ぐ。しかし、もしその中の一人が病気にな ったら、やっぱり親はその子が一番気になる。それと同じで阿弥陀仏も全ての人 を平等に救うと誓うが、その中でもやっぱり一番救われがたい者を一番心配す る。つまり「善を修めたくても修めることが出来ない者」こそ阿弥陀様の救いの正 機・目当てである。それが親鸞聖人の教えである。(つづく)
10年4月12日(月) 「御同朋の法話:「ぶっとばせ自己責任論!」C」
 私たちは、成功すれば成功するほど天狗になっていく。偉くなれば偉くなるほど ふんぞり返っていく。もちろん勉強すること、勉強ができることは素晴らしいことで ある。しかしそれがいつの間にか他人を傷つける刃となってしまうことがある。善 いことをしているつもりでも、他方で悪を犯してしまう。親鸞聖人が言いたかった のはこのことではないか?それまでの仏教は「やったら出来る。だから頑張って やれ」という考え方。一方、親鸞聖人は「ナンボやっても出来ん者が、格好つけて 「出来る!」って言うな」という立場です。「出来んのに出来ると錯覚するから、他 人の痛みにも鈍感になる」という考え方である。
 こんな喩え話を聞いたことがある。或る所に、善人ばかりが住んでいる家と悪 人ばかりが住んでいる家があった。ある時、一人の旅人が通りかかり、二つの家 を覗いてみた。すると「善人ばかりの家」は家族のものがいつも喧嘩ばかりして いた。一方の「悪人ばかりの家」は、喧嘩もなく家族みんな平和に暮らしていた。 なぜか?「善人ばかりの家」は、何か問題が起こると、皆、「お前が悪い。俺は正 しい」とそれぞれに言う。だからいつも喧嘩が絶えない。一方の「悪人ばかりの 家」は、何か問題があっても、皆それぞれに「俺が悪い。お前は悪くない」と言う から喧嘩にならない。平和だったという話。つまり、「俺は善人である」「俺が正義 である」という驕りが、他人を傷つける。これが親鸞聖人が言いたかったのでは ないか。
 そこで親鸞聖人や法然上人は、それまでの仏教を捨ててしまう。そして新たに 「ナマンダブツ」一つで全ての人が平等に仏になることが出来るお念仏の教えを 明らかにし、それを広めていく。(つづく)
10年4月11日(日) 「ドラマ:大仏開眼」
  昨夜、NHKで「大仏開眼」というドラマを視た。どこまで史実にかは分からないが ドラマとしては面白かったし、色々考えさせられた。
 天平時代、飢饉などにより国全体が疲弊する。そんな中で聖武天皇が大仏の 建立を命じる。それに対して側近である吉備真備が「民が苦しんでいるこの時期 に作るべきではない」と反対する。しかし聖武天皇は「自分はこれまで国を豊か にするために頑張ってきた。でも自分一人の力では限界があった。だからこそ仏 の大きな慈悲が必要なのだ。それで全ての人々が救われるのだ」と譲らない。一 方の真備も「大仏など作っても何も変わらない。筋の取らないことには賛成しか ねる」という態度である。ここまでは私自身も真備の意見に賛成であった。大仏を 建立したところで気休めにこそなれ、人々の生活はますます悪化するだけである と思った。
 しかし、もう一人注目すべき人物が登場する。それは行基である。その頃、行 基は国家から一歩離れて、各地をまわり人々と共に橋やため池、用水路などを 作るなどして、信仰を集めていた。そんな行基の人望と業績に目をつけた聖武天 皇が大仏建立の協力を依頼する。当然断ると思っていたら、行基はそれを受け 入れた。最初、合点がいかなかった。でもしばらくして「こういうことではない か!?」と思った。
 『歎異抄』に「聖道の慈悲・浄土の慈悲」というのが出てくる。親鸞聖人は「聖道 の慈悲」を「始終なし(終始一貫しない)」と否定する一方、「浄土の慈悲」は「すえ とほりたる大慈悲心」として、「念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもっ て、おもふがごとく衆生を利益」せよと言う。最初、聞いたとき納得できなかった。 念仏を称えて何になるんだ?死んで仏に成ってからでは遅いではないか?今、 目の前で苦しんでいる人を見捨てて、何を悠長なことを言っているんだと思って いた。でも最近、そうではないんだと思うようになってきた。「聖道の慈悲」にはや っぱり限界がある。ドラマの聖武天皇が言うように。また、ちょっとでも上手くいけ ば「俺がやってやったのだ!」と直ぐに驕りに変わり、最後は「俺はこれだけやっ た」と自己満足で終わってしまうのが関の山である。一方の「浄土の慈悲」は無 限に広がるのだと思う。なぜなら浄土教とは連帯の教えだからである。お念仏は 私たちに、みなな同じ凡夫であると同時に、同じ仲間であることを教えてくれる。 一人の力は微力でも、百人、千人、万人と連帯できれば、大きな山だって動かせ るように、その力は無限に広がっていくはずである。親鸞聖人は越後から関東に 向かう道中、飢饉に苦しむ人々を見て『三部経』の千回繰り読みを思い立つが、 それは自力だと気づき途中で止め、念仏を称えたというエピソードが残ってい る。おそらく一人で幾ら頑張っても「すえとほらない(限界がある)」と気づいたの だろう。でも仲間と共に皆で頑張れば何とかなるはずだと思っに違いない。だか らこそ念仏を称えたのだろう。
 なぜ行基が真備の反対を押し切り大仏建立に協力したのか?それは仏法を通 して連帯の大切さを人々に伝えたかったからではないだろうか?そんなことを考 えなら視ていた。
10年4月9日(金) 「自立と連帯」
 今朝の朝日新聞のオピニオン欄に辛淑玉さんの「ニッポンの女性たちへ」とい う提言があった。
 男女機会均等法の成功から20数年経ち、多くの女性が社会進出を果たした。 しかしその一方で働く女性の間にバリバリ働くエリートと低賃金の労働者の二極 化が起きてきているという。また、エリートの女性たちの間にも旧態依然とした男 性中心の企業風土の中でストレスを抱え、一人孤立してしまうケースも見受けら れるという。そこで辛さんはこう提言する。「もっと行きやすい社会にするために は、同じ問題を抱えた人たち同士で、手をつなぐことです」と。例えば、「DV防止 法」が成立できたのは、思想信条や世代、キャリアを超えて女性たちが連帯し政 治を動かした結果であると。私たち人間はそれぞれが「私が頑張らなければ」 「私が・・」と思っているから、みんなバラバラになり、結局孤立し、問題の解決も 遅らせてしまう。でももし「助けて」と言い合えることができれば、そこにネットワー クが出来る。助けを求める力をつける。それを「自立」と呼ぶ。そうすればこの社 会はもっと豊かになれると辛さんは言う。
10年4月8日(木) 「見真大師号と勅額C」
 ちなみに、鶴見晃氏の「見真大師号と勅額」(『教化研究』第133号)によると、 「宣旨」と呼ばれる天皇の詔を書いた文章は、その後、東西本願寺で交互に保 管するよう命じられ、保管交換にあたっては、勅使門から「宣旨」を送迎する「宣 旨の奉送迎の儀」が1983年まで両本願寺の間で行われていたという。1984年に 東本願寺が「もうそんなの要らない」と言ったため、現在、「宣旨」は西本願寺に 保管されているらしい。まさに本願寺教団の貴族化=非親鸞化の象徴が見真大 師号であったと言える。
 しかし戦後の同朋会運動(東本願寺)や同朋運動(西本願寺)の展開によって、 大谷派では、1981年、宗憲の改定によって「見真大師」の名称を使用しないこと を決断し、本願寺派においても2008年に宗制が改正され宗祖名から「見真大師」 という諡号が削除された。しかし、それにも拘わらず「勅額」だけは未だに東西両 本願寺の御影堂に参拝者を威圧するかのように掲げられている。なぜ今回の御 影堂の修復や750回忌を機に下ろさないのか?「文化財保護の観点から」といっ た全く主体性のない理由から、「下ろすと右翼が来る」といった馬鹿げた理由、 「下ろすと寺が食えなくなる(懇志が減る)」といった理由など様々である。私たち の教団はこれで本当に親鸞聖人の教え=浄土を拠り所として生きている教団と 言えるのだろうか?世俗権力=天皇制に軸足を置いて生きる教団としか思えな い。来年から、非僧非俗を宣言し自らを「愚禿」と名のった親鸞聖人の750回の 大遠忌を迎える。親鸞聖人はどんな思いであの「勅額」を見ていることだろう か・・・
10年4月7日(水) 「見真大師号と勅額B」
 本願寺教団が諡号を朝廷から受け取ったのは、どうやら強制でもなければ「苦 渋の選択」でもなかったという。
 井上鋭夫氏の『本願寺』(講談社学術文庫)の中に「親鸞大師号と収賄事件」と いう記述がある。それによると、宝暦4(1754)年、東西両本願寺が、7年後(宝暦 11年)に行われる宗祖500回大遠忌に向けて、宗祖親鸞に大師号を宣下してもら えないか武家伝奏に内談したということが書かれている。しかしこの時は、「東・ 西本願寺に格別に大師号勅書を一通ずつ下すことはできず」として願いが叶わ なかったされている。ちなみに「収賄事件」というのは、西本願寺の勝手向(会 計)であった加納権大夫が、京都の書家葛烏石と共謀して公家関係者数人に賄 賂を贈り、大師号宣下に便宜をはかることを依頼したという事件を指す。結局、 バレて関係者が内々に処分されるとともに、西本願寺が用意した金の一部は烏 石に持ち逃げされるなど詐欺事件にまでなったという。
 その後も、宝暦8(1758)年にも、両本願寺が合同で大師号願いを出したが、 「御所表」のさしつかえを理由に所司代によって却下されている。ついで文化5 (1808)年、3年後に控えた宗祖550回大遠忌に向けて再び大師号運動を起こし たが、その時は比叡山から「親鸞に大師号を勅免すれば他の大師の威光が薄く なる」と反対され、再度却下されている。そして明治9(1876)年に、念願叶ってや っと「見真」という大師号が宣下されることとなる。実に122年越しの念願が叶った という訳である。
 このように大師号は強制でもなければ「苦渋の選択」でもなかった。本願寺が 「渇望」したものであった。そんな本願寺の姿を井上氏はこう喝破している。「本 願寺は証如のときに九条家の猶子になったが、これ以降経済的に恵まれた本願 寺は身分的栄進を渇仰してくる。中世では「在家下劣」の門末を抱え、「一向宗」 と賎視された劣等感から、他宗にまさる名誉を求める気持ちはさらに強かったと 思われる。南都北嶺の仏法者が「高位をもてなす名と」することを「末法悪世の かなしみ」としたのは親鸞であったが、「高位」という名聞を得ようとして東西相争 う本願寺の愚かさは、この親鸞五百回忌にあたって露呈されたのであった」
10年4月5日(月) 「見真大師号と勅額A」
 そもそも「見真大師」とは、1876(明治9)年11月28日に、天皇より親鸞聖人に (「本願寺教団に」と言ったほうが正確かも知れないが・・)贈られた諡号(死後、 生前の功績をたたえてつける称号)のことであり、「見真」は『仏説無量寿経』下 巻に出てくる「慧眼真を見て能く彼岸に度す」が出拠とも言われているという。ち なみに蓮如上人に対しても、1881(明治14)年に「慧燈大師」という諡号が贈られ ている。
 ではこれらの諡号がどのような経緯によって朝廷から本願寺教団に宣下され たのか?例えば、真宗大谷派では、江戸時代に焼失した両堂(阿弥陀堂・御影 堂)再建のための資金を集めるため、親鸞の威光を高める(教団の格を上げる) ことを目的に天皇から諡号を受け取ったのだ。「(諡号など欲しくはなかったが) 両堂再建のための苦渋の選択だった」と語られることがあるという。その他にも、 明治政府による宗教統制の一環として、仏教教団を取り込むために半強制的に 諡号を受け取らせたと言われることもあるらしい。つまり「苦渋の選択」「強制」で あり、決して教団が望んだものではなかったというのが私たち教団人のこれまで の思い込みである。
10年4月2日(金) 「見真大師号と勅額@」
 一昨年、「浄土真宗の教章」が約四十年ぶりに改定された。その中で、「宗祖」 の箇所が「見真大師親鸞聖人」から「親鸞聖人」へと変更になった。「見真大師」 という大師号が外された。改定後、色々な場所で「新教章」についての研修が行 われたが、なぜ「大師号」がなくなったのかという明確な理由を誰からも聞いたこ とがない。しかし先日、ある勉強会で、この「見真大師号」と本願寺の御影堂(ご えいどう)に掲げられている「勅額」について学ぶ機会があった。
 現在、本願寺に行くと、東西両本願寺とも御影堂の外陣の一番奥の高い所に 「見真」という勅額が掲げられている。ちなみに大谷派(東本願寺)では、1889(明 治22)年から1981(昭和56)年までこの「御影堂」のことを「大師堂」と呼んでいた という。しかし、1981年、宗憲が改定され、その中で「見師大師」並びに「大師 堂」、「大師堂門」という名称の使用が取りやめになったという。
10年4月1日(木) 「御同朋の法話:「ぶっとばせ自己責任論!」B」
 また親鸞聖人はこうも仰った。「そもそも凡夫が、悪を廃し善を修めて仏に成る ことなどできない」と。
 昔、高校生の頃にこんな出来事があった。私が通っていた高校は所謂、進学 校と呼ばれる学校だった。しかし勉強だけでなく部活動も盛んで、野球部などは 何度も甲子園に出場したことがある「文武両道」がモットーの学校だった。そんな 学校に、ある時、教育実習生がやってきた。20名ぐらいいたと思う。朝礼で、教 頭先生が一人ひとり紹介してくれた。まずAさんから。「Aさんは現在○○大学○ ○学部の3年生に在籍しておられます」と。すると在校生の間から「オー」というざ わめきが起った。そして次Bさん。「Bさんは△△大学△△学部の4年生です」と。 するとさっきよりももっと大きなざわめきが起こった。次、Cさん。「Cさんは、□□ 大学□□学部の3年生です」と。すると今度は皆「シーン」となった。そしてDさん。 今度はまた大きなざわめきが起きました。そういうのが最後まで続いた。何が起 きていたのかというと、みんな、実習生の出身大学によって、反応を変えていた のである。所謂、偏差値が高い大学には大きなざわめき。それなりの大学には それなりの。どうでもいいのはどうでも・・・。朝礼後、教室で担任の先生が私たち にこう言った。「私は、君らがあれ程馬鹿やっとは思わなかった・・」と。あの時の 担任の悲しそうな顔が今でも忘れられない。あの時、先輩らは、どんな気持ちで あそこに立っていたのだろうか?申し訳ない気持ちで一杯である。(つづく)
10年3月30日(火) 「御同朋の法話:「ぶっとばせ自己責任論!」A」
 ところがそのような教えに対して「それはおかしい」と異議を唱えた人たちがい る。それが親鸞聖人であり、師匠である法然聖人である。
 法然聖人はこのよう言った。例えば、最近「自己責任」という言葉よく聞く。「格 差社会」を肯定する論調に「お金を持っているのは、それだけその人が努力をし たから。頑張ったからである。一方、貧乏な人は、その人が努力しなかったか ら。怠けたから。本人の責任だ」と言うのがその典型である。しかし果たして何で もかんでも全てが本人の責任と言えるのだろうか?
 例えば、国会に行くと2世・3世議員と呼ばれる人がいる。今の総理大臣である 鳩山さんしかり、その前の麻生さんもしかり。そしてその前も、その前も、そして その前もそうである。所謂、世襲議員のことである。あの世襲議員というのは、選 挙にすごく強い。なぜかというと、彼らには「三つのバン」と書いて「3バン」という ものがあるからだ。「3バン」とは、「カバン」「地盤」「看板」の三つ。「カバン」とい うのは「お金」。「地盤」とは「後援会」。そして「看板」とは「知名度」である。この「3 バン」があるとないとでは全然違う。よっぽどのことがない限り、何もない人が世 襲議員に勝つことはない。でもそれで負けた人に「それは自業自得だ!」と言え るだろうか?例えば、100メートル競走で言えば、「よーい、ドン」の時にはもう相 手は遥か先、ゴール手前にいるようなものである。初めから勝負は決まってい る。
 このようにどんなに頑張ってもどうにもならないこと、本人の努力だけではどうし ようもないことは世のなかには沢山ある。法然聖人が言いたかったのはまさにこ れである。確かに、修行できる人はいい。勉強できる人はいい。戒律を守った り、多額のお布施を出来る人は素晴らしい。でもしたくておも出来ない人はどうす ればいいか?いくら修行したくても病気や年をとった人は出来ない。いくら勉強し たくても字が読めない人は出来ない。いくら布施をしたくても貧乏な人は出来な い。じゃあ、そういう人は救われないのか?「自己責任」と言って切り捨てるの か?果たしてそれが仏様の教えなのか?と法然上人は仰った。(つづく)
10年3月26日(金) 「御同朋の法話:「ぶっとばせ自己責任論!」@」
 浄土真宗の教えとは、お念仏一つの救いである。「ナマンダブツ」とわずか1回 でもお念仏を称えたら、命終えたあと必ず阿弥陀のお浄土に生まれて、そこで仏 様とならせていただく教えである。
 ところが、このお念仏の教え、仏教全体の中では決して主流派とは言えない。 元々仏教とは、一言で言うと「廃悪修善」の教えと云うことが出来る。悪いことを 止めて、善いことをする。それによって仏の悟りを目指すという教え。だから、 皆、一生懸命修行をしたり、戒律を守ったり、学問をしたり、お寺やお坊さんに布 施をしたりする。これを「自業自得の道理」とも言う。一生懸命頑張ったら良い所 にいけるけど、それなりの人はそれなりの所。怠けたりサボったりした人はどこ へ行くか分からん。という考え方である。
 これはこれで非常に分かり易い。なぜなら普段の私たちも、そのような考え方 の中で生きているから。「一生懸命勉強したらいい大学に行ける」とか「真面目に 働いたらお金持ちになれる」とか。良いことをしたら良い報いを受け、悪いことを したらそれだけの報いを受ける。そういう考えの中で暮らしている。だから「お念 仏以外他に何もいらない」と言われるよりも、よっぽど分かり易い。
 私たち人間は、あまり難しいことを言われても困るが、逆にあまり簡単なことを 言われると今度は疑ってしまう。例えば、スーパーに行って、普段、200円の卵 が100円と書いてあったら喜んで買う。ところがもし「無料」と書いてあったらどう か?喜ぶ前に疑しまう。「この卵、大丈夫かな・・」とか「タダより高いものはない」 と疑ってしまう。それと同じで「お念仏一つでいい」と言われるよりも、「修行しなさ い」とか「戒律を守りなさい」と言われる方がまだ分かり易いのである。(つづく)
10年3月19日(金) 「非僧非俗の宣言E」
 『伝道』の73号で「現代における非僧非俗」という特集が掲載されている。その 中で辛淑玉さんが親鸞聖人の「非僧非俗」の宣言を次のように分かり易く説明し てくれている。
 「(親鸞当時の)僧侶というのは、国家公務員上級試験に通ったキャリア官僚と か、あるいは裁判官みたいなもの。僧籍を剥奪されるというのは、言ってみれば キャリア官僚が政府の方針に逆らって行政改革を叫んだために、「国家公務員 の政治活動を禁じた国家公務員法に違反した」とか言われて公務員を罷免され たケース・・に似ている。非僧非俗というのは、改革派だったために職を追われ た官僚、あるいは、自分で辞職した官僚が、それでも改革のために闘おうと決心 して、政策提言したりメディアで発言したりし続けるのとどこか似ている。・・私にと って非僧非俗とは、国家から排除された時に、それとどう向き合うかという話なの だ。戦前、朝鮮人は皇国臣民(今でいう国民)であると言っていたのに、戦争に負 けると突然、これからは外国人だと言って排除した。つまり、国民としての地位の 剥奪。・・しかし、国籍を剥奪されたからといって、この社会の部外者になったわ けではない。国民ではないけれど部外者ではない。つまり、マージナルな存在に なったわけだ。親鸞もそのような立ち位置を強いられたとき、本当は途方に暮れ たのではないだろうか。しかし、そのような状況自体を自分のアイデンティティの 核として、捉えなおしていったのだろうと思う。」(同書12〜11頁)
 親鸞聖人は、それまでの国家や一部の人の為の仏教を否定し、全ての人が平 等に救われる専修念仏の教えを説いた。しかしそれは守旧派(旧仏教や朝廷) の怒りを買うこととなり、僧籍を剥奪され、藤井善信という俗名を押付けられ、越 後に流罪になった(非僧)。しかし親鸞聖人はその権力の横暴(処分)を大人しく 受け入れたのではない。念仏を捨てたのではない。押付けられた俗名を拒否し (非俗)、自らを「愚禿」と名のり、法然上人から引き継いだ専修念仏の正当な継 承者として、当時の被差別者と共に差別・被差別からの解放をめざしてお念仏の 人生を歩み続けた。「私は弾圧に屈しない。専修念仏者としてこれからも差別・ 被差別から解放をめざして闘い続ける!」その宣言が親鸞聖人の「非僧非俗」な のだろう。
 「在家仏教」の宣言であるとか、「単なる在俗の生き方、つまり煩悩に振り回さ れ迷いを深めるだけの生き方でなかった。身は在俗にありながら、二度と迷いの 苦悩を受けることのない、必ず往生成仏することに定まった正定聚として、大安 慰なる仏道を歩まれた」(同21頁)といった宗教的態度を表明したものでないと 思う。
10年3月18日(木) 「『竜馬伝』」
 今、NHKの大河ドラマで「竜馬伝」が放映されている。ハマってしまい毎回視て いる。特に竜馬の旧友として描かれたいる武市半平太が興味深い。武市半平太 は、幕府の開国政策を批判し、外国人を追い出して天皇を中心とした神聖日本 国の建設をめざす攘夷派の一人として幕末に活躍した人物である。ドラマの中で は、攘夷という理想を掲げ、悩みつつもそれを実現するためには手段を選ばな い非情さを持ち合わせた人物として描かれている。仲間に腹を切らせようとした り、竜馬と恋人の仲を裂いたり、純粋な若者の不満や闘争心を煽ったりなど。そ んな武市に対して竜馬が「武市さん、本当にそれでいいのか?」と訴える姿が非 情に印象的である。今の閉塞感に満ちた日本社会に何か暗に訴えかけていか のようなドラマである・・。
10年3月17日(水) 「違いを認め合う」
 けさの朝日新聞の国際面に、米スタンフォード日本センター所長のアンドリュー ホルバート氏が過去の悲しい歴史を巡る日本と中国や韓国との和解の方途につ いて次のように提言していた。
 「重要なのは草の根交流の促進だ。・・・互いを知ること。日本人は互いを好き になるのが和解だと考えがちだが、幻想だ。人間として理解するだけでいい。悪 いことはできなくなる。・・歴史認識を一致させる必要はない。大切なのは歴史の 共有、つまり相手の見方に理解を示すことだ」と。
 人間の本質をよく見抜いた上で、そこから何が出来るかを共に考えていくこと の大切さを学んだ気がする。
10年3月12日(金) 「同朋運動60周年D」
 今年は同朋運動60周年であるが、何か60年前の運動の状況と現在の状況が 非常によく似ているような気がする。
 09年12月25日発行の『振興会通信』に岩本孝樹先生の以下のような文章が掲 載されている。それによると、同朋運動の「三要素」というものがあるという。それ は1976年に中尾俊博先生が提起したものであるが、@信心A部落問題と協力 に取り組むB同朋教団の確立の三つからなる。この三つがそろって初めて同朋 運動と言える。逆に言えば、一つでも欠ければそれはもう同朋運動ではない。例 えば、もし信心(信仰)がなく同和問題に取り組み同朋教団を目指すだけなら、そ れは何も真宗教団の運動でなくてもいい。他の宗教教団でも出来ると。また、も し信心(信仰)に基づき同和問題に取り組むだけなら、それは融和運動になって しまうという。「差別反対!」と対外的に叫びながら、実はその教団自体が差別 (制度)によって支えれている差別教団であるという滑稽な状況がそれである。そ して、もし信心(信仰)に基づき同朋教団を目指すだけなら、何をやっても同朋運 動になる。「ブ・サ」抜きの運動になってしまうという。
 それからすると、ちょうど今、中央で進められている「運動」なるものは、二つ目 と三つ目にあたるのだろう。自らの差別体質を問うことなく、外に向かって一生懸 命「差別はダメだ!」「人々の苦しみの寄り添おう!」と言ってるだけの融和運動 に陥ってしまっているということだろう。
 正直、教団の中央においてはもう同朋運動は消え去ってしまったと言っても過 言ではない。ちょうど60年前に逆戻りである。しかしそうであるからこそ、今一度 60年前を振り返ることが出きれば、今の現状を打破するヒントが見つかるに違い ない。(因みにと言うか、やっぱりと言うか、来年度(10年度)、宗派では60周年に 関する行事の開催は現在のところ全く予定していないという・・)
10年3月11日(木) 「同朋運動60周年C」
 『大乗』臨時増刊号差別事件とは、1970年に、教団が発行する『大乗』という雑 誌に岐阜県の某布教使が、以下のようなある老夫婦の差別的名言動を紙面で 無批判に紹介しながら、浄土真宗のご信心の内容を説こうとしたことに始まる。 以下原文。
 「私はもと東京麻布の生まれで華族の出身でございます。女子学習院を卒える と同時に関西の財閥に嫁いで参りました。それから十五年間、何一つ不足のな い生活でございましたが、子供が出来ないのが悩みでございました。今の若い方 と違い、戦前の「女大学」を倫理道徳の規範として育って参りました私共にとって は、子供のない事はつらいことでした。その間いろいろな事がありましたが、人に すすめられて、或る大学病院へ夫婦で検査を受けに参りました。その結果、主人 は子供を生ませることの出来ない身体であることがわかりました。『これだけ医 学が発達していながら何ともならぬのか』という主人の言葉に反発を感ぜられた のでしょう。『出来ないことはない』と申され「人工授精」による方法を教えてくれま した。しかし、他人の子供を受胎するなどと、釈然とせず帰りました。或る日、主 人はふと『伝統あるお前の血統なりとも、のこうそうとは思わぬか』ともらしまし た。思案の挙句、思い切って「人工授精」を受けることに致しました。医学的には できると高言した医師は何故か、それを拒否し続けましたので、当時、医師が開 業できるほどの多額の「袖の下」をつかい、ようやく「実験」という名目で「人工授 精」を受けました。受胎してみると、女の気持ちはまことに複雑なもので、「赤ちゃ ん」の父親は誰だろうと知りたくなりました。勿論、表立って調べることはできませ んので、「興信所を通して調査してもらいました。」半年後にようやく調査書類が 届きました。おそるおそる開いてみると、飛び上る程びっくりしました。「人からい やがられる血筋の人なのです。」自分の胸の中で処理しきれず、主人に打ち明 けました処、私の調査した事を叱りましたが、『知った以上は・・・』と主人は、その 医師に?爬を迫りました。それは犯罪行為だからと拒否する医師に、以前の「袖 の下」を種に堕胎を強要し続けました。結果、その方は自殺し、止むなく生んだ のが現在の子供です。女中の手で育ち、現在は主人の会社の総務部長をしてお ります・・・が」
 投稿した布教使も布教使なら、発行責任者である教団も教団である。もちろん 雑誌は回収されるが、この事件を契機として教団内に同朋運動本部や同朋会が 設置されることとなる。(『差別・被差別からの解放』同和教育振興会 参照)
10年3月8日(月) 「同朋運動60周年B」
 これら一連の教団の対応に対して、和歌山に続いて滋賀(52年)、四州(52 年)、奈良(52年)、兵庫(53年)、山陰(53年)、福岡(54年)などで相次いで設立 された教区同朋会が批判の声を上げ、特に、近畿では各教区同朋会が集まって 1954年6月に「同朋会近畿連絡協議会(のちの「近同推」)が結成され、独自の運 動を展開するなかで本部同朋会を突き上げていくこととなる。
 まさに戦後の同朋運動は、各教区に出来た教区同朋会が本部同朋会を突き 上げる形で進められてきたといえる。しかしその設立は1970年までに17教区にと どまり、教団全体からすれば同朋運動とは一部の教区・人々の運動といった印 象がまだまだ拭えなかった。しかし、その後も「同朋運動の教団化」を目指した粘 り強い取り組みは、1957年の「同朋運動のご消息」の発布や1960年の財団法人 同和教育振興会の設立、1963年の同和教育センターの開館など確実に成果を 得、1970年の大乗臨時増刊号差別事件を契機として、翌年、ついに教団組織の 中に同朋運動本部が設置されることとなる。これにより同朋運動が全教団人の 課題と位置付けられ、「同朋運動の教団化」の願いが実現することになる。(『差 別・被差別からの解放』同和教育振興会 参照)
10年3月6日(土) 「同朋運動60周年A」
 亀川村事件とは、1954年、和歌山県において「生長の家」布教師が「不幸な運 命に生まれるものは、不幸な種をまいている。幸福な運命に生まれるものは、幸 福な種をまいている。部落やハンセン病に生まれるものは、そのような種をまい ている」といった内容の差別布教を行ったことに始まる。当然、糾弾会がもたれ、 その事実確認の中で当該布教師が「あれは仏法でいう因果応報の教えを話した のです」といった発言をしたことから、和歌山教区同朋会(1949年設立)が本部同 朋会に対して「仏教の業論と部落差別」について問題提起を行うこととなる。とこ ろが本部同朋会が開催した研修会でとんでもない意見が続出したという。講師の 勧学が「人間の現在的境遇は自己の行為により招かれたもので、あらゆる人々 の間にみられる差別は自己の業として認めなければならない」と言ったり、教師 教習の場で大学教授が「そんな部落に生まれるのは自分の業であるから、自分 の業で生まれてたのであるということをはっきり教えてやり、そこから問題をなく すことに努力しなければならない・・・部落の人は非衛生である。また部落のもの はひがみが強い」(1954年8月)と、また、宗会で宗会議員が「差別されるのはそ れだけの種まきをしていたのだ。立腹せずに自分の業を内観してお念仏しなさ い」(1954年10月)と発言するなどそのお粗末さを曝け出す結果となった。(『差 別・被差別からの解放』同和教育振興会 参照)
10年3月5日(金) 「同朋運動60周年@」
 今年は同朋運動60周年の年である。1950年に浄土真宗本願寺派同朋会が設 立されたのがその始まりとなる。
 敗戦後、社会の民主化とともに教団内においても民主化に向けた諸改革が行 われた。そのなかで、田中松月氏など部落解放運動や行政に関わる教団関係 者から教団においても部落問題を課題とするよう提起がなされる。またその一方 で、戦前から続く教団内の融和団体であった一如会の関係者からも一如会再建 の声が上がり、それらを受けた教団が教団の外郭団体として設立したのが同朋 会であった。
 しかし、当時の本部同朋会は、その設立の動機として、教団が自らの差別性を 自ら批判するというものではなく、社会の民主化や外部からの声に促されるとい う非常に非主体的なものであったこと、また、一如会の理念(融和主義)を継承 する人々が同時に参加していたこともあり、決して十分なものとは言えなかったと いう。それを端的に示したのが、1954年に和歌山県で起きた亀川村差別事件に 対する対応であった。
10年3月4日(水) 「非僧非俗の宣言D」
 D積極的に朝廷・国家仏教を批判するもの
 「かくて南都北嶺の訴訟次第にとどまり、専修念仏の興行無為にすぐるところ に、翌年建永元年十二月九日、後鳥羽院、熊野山の臨幸ありき。そのころ上人 の門徒、住蓮安楽等のともがら、東山鹿の谷にして別時念仏をはじめ、六時礼 讃をつとむ。さだまれるふし拍子なく、をのをの哀歎悲喜の音曲をなすさま、めず らしくたうとかりければ、聴衆おほくあつまりて、発心する人もあまたきこえし中 に、御所の御留守の女房出家の事ありける程に、還幸ののち、あしさまにざんし 申人やありけん。おほきに逆鱗ありて、翌年建永二年二月九日、住蓮安楽を庭 上にめされて、罪科せらるるとき、安楽「見有修行起瞋毒、方便破壊競生怨、如 此生盲闡提輩、毀滅頓教永沈持淪、超過大地微塵劫、未可得離三途身」の文 を誦しけるに、逆鱗いよいよさかりにして、官人秀能におほせて、六条川原にし て安楽を死罪におこなはるゝ時、奉行の官人にいとまをこひ、ひとり日没の礼讃 を行ずるに、紫雲そらにみちければ、諸人あやしみをなすところに、安楽申ける は、念佛数百遍びゝち、十念を唱へんをまちてきるべし。合掌みだれずして右に ふさは、本意をとげぬと知べしといひて、高声念佛数百遍のゝち、十念みちける 時、きられけるに、いひつるにたがはず、合掌みだれずして右にふしにけり。見 聞の諸人、随喜の涙をながし、念佛に帰する人おほかりけり」(『法然上人行状 絵図』巻三十三)
 『教行信証』後序
 以上、同じ弾圧事件に対しても、その人が立つ立場によってこれだけ見方が変 わってくる。弾圧する側に立つ者は事件の本質を男女間のスキャンダルにすり 替えることで本質を誤魔化そうとする。法然・親鸞亡き後、権力にすり寄り自らの 保身を図ろうとする者たちは、『御伝抄』などにみられるように事件の本質を忘却 することに余念がない。しかし、弾圧された側の当事者の声は違う。そこには弾 圧に対する怒りがはっきろと表明されている。
 「承元の法難」は、弾圧(差別)に対する怒りを持ち続けること、弾圧(差別)は 被弾圧者(被差別者)の声を聞くことによって初めて明らかになるということを私 たち同朋運動に取り組む者に教えてくれているのだろう。
10年3月1日(月) 「非僧非俗の宣言C」
 『教行信証』の後序からは、承元の法難に対する親鸞聖人の強い怒りがひしひ しと伝わってくる。ところが同じ法難に対しても、その人の立場が違えば評価の仕 方も変わってくる。
 @弟子の非行動(男女間のスキャンダル等)が原因となって、処断が師の法然 にまで及ぼされたとするもの
 「又、建永の年。法然と云う上人ありき。−中略−院の小御所の女房。仁和寺 の御むろの御母まじりにこれを信じて。みそかに安楽など云ものをよびよせて。 このやうとかせてきかんとしければ。又ぐして行向どうれいたち出きなんどして。 夜さえとどめ などする事出きたりけり。とかく云ばかりなくて。終に安楽。住蓮き られにけり」(『愚菅抄』・慈円 親鸞47,48歳頃成立)
 「承元元年二月二十八日、源空上人(法然房と号す)土佐国に配流。専修念仏 に依る事なり。近日件の門弟等世間に充満す。念仏に事寄せて、密通貴賎並び に人の妻、然るべき人々 の女と密に通ず。制法に拘わらず、日に之れ新たな る間、上人等溺め取る。或は羅切らる。 切られ、或いはその身を禁ぜられ、女 人等また沙汰ある。しばらく専修念仏の子細、諸宗殊 に之れを鬱申す故なり。」 (『皇帝紀抄』 親鸞60歳頃)
 「安楽死刑にをよひてのちも逆鱗なをやまずしてかさねて弟子のとかを師匠に およほされ度縁をめし俗名をくたされて遠流の科にさためらる」(『四十八巻伝』)
 A法然自身に「邪義の弟子のために私は流罪にされるのだ」と語らせているも の。
 「凡往生極楽のみちまちまちなるあいだ、名号の一門を開て、代わりにしたがう てひろめ、機にかぶらしめてさづくる中に、みずから邪義をかまえて、偽りにて師 説と号する刻、予一身につみながれて、遥かに萬里のなみにながれにけらし」 (『四巻伝』)
 B弾圧者が「無実」の事に口実をかまえて専修念仏弾圧を行ったとするもの。
 「流罪記録 後鳥羽院の御宇、法然聖人、他力本願念仏宗を興行す。ときに、 興福寺の僧侶、敵奏のうえ、御弟子のうち、狼藉子細あるよし、無実の風聞によ りて罪科に処せらるる人数のこと」(『歎異抄』)
 C逆縁を転じて積極的に生きる力強さを強調する。
 「そもそも大師聖人 源空 もし流刑に処せられたまはずは、われまた配所に おもむかんや。もしわれ配所におもむかずんば、なにによりてか辺鄙の群類を化 せん」(『御伝鈔』)
10年2月26日(金) 「人権侵害」
 民主党が公約に掲げる高校授業料無償化に関連して、政府内で朝鮮学校は 例外にすべきだとの意見が出ているという(2/26)。最初聞いたとき耳を疑った。 「友愛だ」とか「教育の機会均等」云々を言っていたが、所詮はこれかと本当にガ ッカリした。それと同時に、私たち日本人は本当に拉致被害者やその家族の苦 しみや悲しみを理解しようとしてきたのか疑問に思い始めてきた。私たちは拉致 問題を通して人権の大切さや、それを侵害することがいかなるものであるかを身 をもって学んできたはずである。それなのにもしこんな馬鹿げたことを政府に許 すなら、これまでの何もかもが嘘だったということを世界中に宣言することになる だろう。
10年2月25日(木) 「非僧非俗の宣言B」
  1257年、親鸞聖人が85歳の時に作られた和讃に次のようなものがある。「弥陀 の本願信じずべ 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばは とるなり」(『正像末和讃』)。「康元二歳〔丁巳〕二月九日夜 寅時夢に告げていは く」で始まる、所謂「夢告讃」と呼ばれるものである。
 この「夢告讃」から数えてちょうど50年前、1207年2月9日(建永二年=承元元 年)、「専修念仏禁制」によって法然聖人の弟子であった安楽が京都六条河原に て首を刎ねられるという事件があった。所謂「承元の法難」である。4名の弟子が 死罪となり、法然上人は僧籍を剥奪され藤井元彦という罪名にて土佐に、親鸞 聖人は藤井善信という罪名にて越後に流罪となっている。まさにその弾圧事件 から50年後、85歳にになった親鸞聖人が上記のような和讃を残された。これを単 なる偶然と言うことができるだろうか?
 親鸞聖人は『教行信証』の後序にもこの「承元の法難」について書き残してい る。「ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道 いま盛んなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の 儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁ふることなし。ここをもつて、興福寺の学徒、 太上天皇 [後鳥羽院と号す、諱尊成] 今上[土御門院と号す、諱為仁] 聖 暦、承元丁卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿 りを成し怨みを結ぶ」と。
 ここに出てくる「太上天皇」とは、退位した天皇にたいする一般的な尊称であ り、「今上」とは今の天皇という意味がある。つまり、「承元の法難」が起きた時、 天皇は「土御門院」と呼ばれる人であり、上皇は「後鳥羽院」と呼ばれる人であっ たということである。ところがここで注目すべきは、「後鳥羽」という諡号である。 「諡号」とは亡くなった人につけられる称号である。今の法名や戒名みたいなもの だろうか?「後鳥羽院」という人が亡くなったのは1239年。親鸞聖人が67歳の時 だという。亡くなって直後は「顕徳院」という諡号であったが、諸事情により、1242 年、親鸞聖人70歳の時に「後鳥羽院」に改められている。何が言いたいかという と、親鸞聖人がこの後序を書いたのは少なくても70歳の時だったということであ る。確かに親鸞聖人が『教行信証』の草稿を書き始めたのは50歳前後だとされ ているが、その後も何度も何度も追加や手直しをされ、弟子の尊蓮に書写を許し た75歳ごろが一応の完成時期だとされている。だから70歳の時に、「後鳥羽院」 という人が亡くなって「後鳥羽院」という諡号を書き加えたということである。
 また、その後に来る「諱尊成」、「諱為仁」というのは天皇の本名である。今もそ うであるが、私たちは普通、天皇を名前で呼ぶことはない。呼んだところで誰にも 分からないし、呼ぶ必要もない。「明治天皇」「昭和天皇」と「天皇」と呼べばそれ で事足りる。昔は特にそうで、自分よりも位の高い人を本名で呼ぶ習慣は一般 的にもなかったという。今でも会社の上司を名前で呼ばずに「社長」や「部長」と 役職で呼ぶのはその名残だという。しかし親鸞聖人は「後鳥羽院の本名は尊成 と言い、土御門院の本名は為仁と言う」と名指ししているのである。
 「承元の法難」から50年後(宗祖85歳)のまさにその日に上記の「和讃」を作り、 35年後(宗祖70歳)に「後鳥羽院」と書き加え、天皇の本名を「尊成」「為仁」と名 指ししてまで法難について書き残している。よっぽど腹が立ったということだろう。 「私は絶対に忘れない!許さない!」という親鸞聖人の怒りがひしひしと伝わって くる文章である。(『親鸞の仏教と宗教弾圧』藤場俊基著・明石書店を参照)
10年2月23日(火) 「非僧非俗の宣言A」
 親鸞聖人の「非僧非俗」とは「権力・権威に屈しない」という宣言であった。だか ら親鸞聖人は、流罪に際して朝廷が与えた「藤井善信」という俗名を拒否した。 そして自らを「愚禿」と名のることで、当時の支配権力から抑圧(差別)されてきた 人々と同じ地平に立ち、共に「差別・被差別からの解放」を目指してお念仏の人 生を歩まれたに違いない。ところが今、私たちの教団はどうか?本当に親鸞の 教団と言えるのか?
 今、「法名の本来化」が課題となっている。「仏弟子としての自らの名のりを挙 げる」ということで、帰敬式が推奨され、これまでは僧侶だけの特権であった内願 法名が門信徒にも許可されるようになった。ところが「自らの名のり」とは名ばか りで、法規上は「法名とは本願寺の門主から戴くもの」となっている。だから一 度、戴いたものはたとえ気に入らなくても変更できない。また、「内願」とは言って も、自分の好きな法名を名のることも出来ない。数年前に回収された『あなたの 名前は何ですか』という手引き書には、「遠慮文字」なるものが記載されている。 例えば、歴代門主、裏方の法名並びに諱と同一のもの、「如」や「光」や「即」や 「淳」などの漢字もその文字の位置によっては不可だという。
 権威に屈しないと「非僧非俗」の宣言をし、自らを「愚禿」と名のっていかれた親 鸞聖人。その親鸞を宗祖と仰ぐ教団のがこれなの・・・
10年2月22日(月) 「非僧非俗の宣言@」
 先日、「承元の法難と同朋運動」というテーマの話を聞いた。その中で講師の 先生が親鸞聖人の「非僧非俗」の宣言を次のように説明してくれていた。「非僧」 というのは「国家公認の僧侶(官僧=国家の安泰や天皇家の繁栄を祈願する僧 侶)ではない」というのは理解していたが、「非俗」の説明が分かり易く的を得てい た。これまでの真宗学の先生や布教使さんの説明では「俗とは、煩悩の赴くま ま、欲望のままに生きることである。親鸞聖人はそのような生き方を拒否し、お 念仏を拠り所とした生き方を選ばれた。それが非俗である」といったものばかり だった。ところが今回の講師の先生はこう説明した。「水戸黄門」というテレビ番 組がある。あの番組はいつも決まったパターンで終わる。最後の悪あがきをする 悪党たちに、黄門様が「助さん、角さんもうそのへんでいいでしょう」と言う。すると 助さん・角さんが「静まれ!」と言って葵の紋所が入った印籠を見せる。するとど んな悪党も「ハ、ハー」と言って黄門さまの前にひれ伏す。ちょっと無理があるよう な展開でも、必ずひれ伏す。まさにあれが「俗」だという。既成の権威の前に無条 件でひれ伏す。それが「俗」だと。親鸞聖人はそんな生き方から決別された。私 がひれ伏すのは如来様の前だけであり、権力には絶対に屈しない。それが「非 俗」の宣言だと。非常にわかり易かった。
 でもどうだろうか?今の私たちはその親鸞の弟子と言えるだろうか?「御○○ 様」と、本来日本語にはないはずの二重敬語を身内に使い、書かれたものを「有 難い、有難い」と言ってはひれ伏して受け取る。もし親鸞聖人が生きていたら、嘆 くに違いない。
10年2月19日(金) 「一向一揆起源説が投げかけたものB」
 石尾説によると、宗教的民衆自治運動であった一向一揆を弾圧した信長や秀 吉、家康は、かつての運動(一揆)の担い手であった人々を被差別身分に落とす と同時に、彼らを権力を維持するための警察組織の末端に組み込むことで、逆 に自治を目指す民衆を取り締まらせる側に立たせた。それは支配・弾圧される 側の民衆の怒りや不満を被差別者に向けさせ、彼らに対する差別意識へとつな がっていった。その支配構想は、民衆を差別的身分支配の中で分断していくもの であったという。つまり、「被差別部落の起源を、被差別部落だけの起源に限定 するのではなく、被差別部落の成立そのものが、日本文化や歴史を規定するも のであった」というのが石尾説の核心と言えるのだろう。
 この石尾説は歴史的実証性に乏しいとして批判され、現在では穢れ思想や中 世賎民からの流れを汲む中世起源説が主流となりつつあるが、この「一向一揆 とは宗教的民衆自治運動であった」という石尾説は、同朋運動に取り組む私たち 念仏者に非常に大切な視点を与えてくれているのではないか?親鸞聖人の教え のエネルギーというもの、御同朋の社会の具体的なイメージというものを私たち に示してくれているような気がする。「御同朋の社会」とは少なくても本願寺の 偉いさん≠ェ言うような「自他共に心豊かに生きることのできる社会」といった観 念的なものではないことだけは明らかである。
10年2月18日(木) 「一向一揆起源説が投げかけたものA」
 石尾説によると、一向一揆とは宗教的自治都市建設運動であり、宗教的平等 性を前提とする民衆自治による共同体を作る運動であったという。
 中世社会には「惣」という民衆自治による共同体があった。その運営には構成 員による合議制がひかれ、また「惣掟」と呼ばれる独自の法令によって裁判など も行われていたという。その「惣」という民衆自治による共同体に宗教的要素(宗 教的平等性)が加わったのが「寺内町」と呼ばれるものであった。宗教的な確信 を持った同じ信仰によって結ばれた人々の集まりである。また「寺内町」は、堺や 博多などの点としての都市ではなく、線あるいは面へのネットワークを形成してい く都市でもあったという。その民衆自治との対立軸が信長に始まる幕藩権力であ り、石尾さんは、信長と石山本願寺(寺内町)の対立を、民衆自治とそれを粛清 する権力との闘争と考えた。
 専修念仏の教えとは阿弥陀仏によって全ての人が平等に救われる教えであ る。天皇であろうと信長であろうと一人の凡夫である。阿弥陀仏の教えを唯一の 拠り所として生きるのが念仏者である。もしその教えに反するようなものであれ ば、たとえ信長の命令であろうとも断固として拒否するような強固な宗教的信念 を持った人々である。信長(秀吉や家康も)は自らを神と宣言した。己を神格化 することにより、自らの命令を絶対的なものとしようとした。それに対抗するもの が寺内町(一向一揆)である。弾圧は必然であった。
10年2月17日(水) 「一向一揆起源説が投げかけたもの@」
 被差別部落起源論が盛んである。私が子どもの頃などは、江戸幕府が「士農 工商」の身分の下に更に被差別身分を作り、「上見て暮らすな下見て暮らせ」と 言うことで民衆を分断支配するために作られたなどと学校で習った記憶がある。 しかし、現在は、歴史研究が進み「士農工商」という分類自体なかったとされ、部 落の起源も中世まで遡る中世起源説が主流だという。関西大学の上杉聰さんな どが主張する説がそうである。
 しかし先日、ある研修会で「一向一揆起源説が投げかけたもの〜中世起源説 を批判する〜」というテーマで話を聞く機会があった。被差別部落の起源は一向 一揆にあるという説で、石尾芳久さんが提起した説だという。
 織田信長との石山合戦に敗れた(勅命講和)後、顕如ら本願寺勢力は和歌山 の鷺森別院に拠点を移し、根来衆や雑賀衆と呼ばれる門徒集団と共に抵抗を 続けることとなる。天正13(1585)年、信長の跡を継いだ豊臣秀吉によって根来・ 雑賀攻めが敢行される。太田城の水攻めなどにより豊臣勢が勝利し、いち早く 鷺森を脱出した顕如を除く首謀者53名が打ち首となる。そして残りの門徒衆は 「帰農した」とだけ短く史料に記されている。それに注目した石尾氏は一連の出 来事を調べる中で、敗戦後、顕如が太田城から退いた門徒衆に宛てたとされる 「太田退衆中」という書状が紀ノ川沿いにあるある寺に保存されていることを知 り、太田城から退出した人々は実は周辺の寺に預けられ秀吉の厳しい監視下に 置かれていたのではないかと推測する。それが一向一揆起源説につながったの だという。
10年2月15日(月) 「男女共同参画を考えるI」
 浄土真宗のお寺の内陣(仏様を安置している空間。一般の参詣者が座る場所 を外陣と言う)に、あって然るべきなのにないものがあるという。それは何か?
 現在、浄土真宗の一般のお寺の内陣には、真ん中に阿弥陀如来像が安置さ れ、その両隣に開祖である親鸞聖人の絵像(向かって右側)と中興の祖と呼ば れる蓮如上人の絵像(向かって左側)が掛けられている。そして、その内陣の両 脇にある空間を余間と言うが、向かって右側の余間には親鸞聖人が「和国の教 主」と慕った聖徳太子の絵像が、左側にはお念仏の教えを明らかにして下さった 七高僧の絵像が掛けられている。これがだいたい本願寺派における一般寺院の 内陣(余間を含む)であり、これを五尊安置様式と言う。
 ところがこの中に、同朋教団としてあって然るべきなのにないものがあるとい う。それは何か?私たちの教団は、主に仏様と凡夫、僧侶(寺族)と門信徒、男 性と女性という構成からなる。仏様はもちろん阿弥陀如来である。凡夫は阿弥陀 仏以外、親鸞聖人を含めてその他全ての人間である。僧侶は親鸞聖人や蓮如 上人、七高僧などがいる。門徒の代表としては聖徳太子がいる。男性も大勢い る。女性は・・?そう浄土真宗の内陣には女性だけいない。同朋教団としていて 然るべきなのに女性だけいない。大谷本廟や一部の寺院に行くと、内陣に女性 の代表として親鸞聖人の連れ合いである恵信尼さんが安置されていると聞くが、 本山本願寺をはじめ別院やその他の一般寺院の内陣には女性は安置されてい ない。なぜだろうか?
10年2月13日(土) 「男女共同参画を考えるH」
 私たち浄土真宗の(男性)僧侶は「お恥ずかしい」とは口では言うが、中々自ら の差別性には気づかない。例えば、私たちの教団は「同朋教団」を標榜しながら 一方で長らく部落差別を肯定し温存・助長してきた。「お恥ずかしい」「もったいな い」「十方衆生」と言いながら他人を差別する矛盾には気づかなかった。その矛 盾を指摘したのは被差別者であった。「水平社」をはじめ被差別部落の人々であ った。また、S布教使によるハンセン病差別法話の際も、療養所の入所者からの 抗議を待つまで誰もその差別性に気づかなかった。話している本人も、彼をお座 に呼んだ住職も、そして彼の話を聞いていた門徒さんも差別だとは気づかなかっ た。みんな「有難い」と口々に聞いていた。このように私たちは被差別者から指摘 されはじめて己の差別性に気づくことが出来る。だからこそ被差別者の声を真摯 に聞く必要がある。無言も「声なき声」として聞く。それが「男女共同参画」のスタ ートである。
10年2月12日(金) 「男女共同参画を考えるG」
 差別をなくすためには、差別者である男性の慚愧だけでも不十分だし、被差別 者である女性の怒りだけでも不十分である。男性と女性が共に「差別・被差別か らの解放」を求めて連帯することによってはじめて道が開かれてくるのではない か?
 親鸞聖人は著書である『唯信抄文意』の中で、「ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の 下類、無礙光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具 足しながら無上大涅槃にいたるなり。・・・屠はよろづのいきたるものをころし、ほ ふるものなり、これはれふしといふものなり。沽はよろづのものをうりかふものな り、これはあき人なり。これらを下類といふなり。 ・・・れふし・あき人、さまざまの ものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり」と述べておられる。ここ に出てくる「屠沽の下類」とは当時の被差別民を指す。そんな彼らを親鸞聖人は 「われら」=「仲間」と呼んだ。しかし親鸞聖人は何も、自らを一段高い所におい て、宗教者(聖職者)としての崇高な立場から(第三者的立場から)、被差別者を 哀れんで(同情して)「われら」と呼んだのではない。親鸞聖人は差別者としての 自らの姿に気づかれたのだろう。貴族出身という政治権力として、また、比叡山 の僧侶という宗教的権威として人々を差別し抑圧てきた自らの姿に気づき(慚愧 し)、「差別から解放」を願って「被差別からの解放」を願う被差別者と連帯し「差 別・被差別からの解放」を目指そうとされた。その連帯の名のりが「われら」なん だろう。
 「御同朋の社会」とは「自他共に心豊かに生きることのできる社会」といった抽 象的なものでは決してない。自らの尊厳に目覚めた被差別者と自らの差別性を 慚愧した差別者が連帯し、「差別・被差別から解放」を目指して共に歩むことの 出来る社会。それが親鸞聖人が言う「御同朋の社会」だと思う。「男女共同参画」 の取り組みにおいて私たちが目指すべきものは、まさにここにある。
10年2月11日(木) 「男女共同参画を考えるF」
 これまで私たちは同朋運動の中で、差別は被差別者が声を上げて初めて明ら かになると学んできた。足を踏まれたら足を踏まれた人が声を上げなければ分 からない。また、差別者はそんな被差別者の怒りを何とかして押さえ込もうとす る。「悪しき業論」がその典型である。「差別されるのは前世の業である」「差別さ れるのは過去世の報い」と言っては差別される責任を被差別者に負わせ、諦め と現状肯定を強いてきた。
 しかし「それはおかしい!」と声を上げた人たちがいた。親鸞聖人の平等の教 えを拠り所として、奪われていた自らの尊厳(誇り)を取り戻し、被差別からの解 放を目指して立ち上がった人たちがいた。それが水平社の人たちである。
 「水平社宣言」
 「全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。 長い間虐められて來た兄弟 よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによってなされた吾等の爲め の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが吾々に よって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そして これ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想 へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集 團運動を起せるは、寧ろ必然である。 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇 迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的 殉教者であったのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取ら れ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らな い嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人 間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が~に かわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たの だ。殉教者が、その荊冠を祝bウれる時が來たのだ。 吾々がエタである事を誇 り得る時が來たのだ。 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によっ て、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何ん なに冷たいか、人間を勦る事が何んであるかをよく知ってゐる吾々は、心から人 生の熱と光を願求禮讃するものである。 水平社は、かくして生れた。 人の世 に熱あれ、人間に光りあれ。」
10年2月10日(水) 「男女共同参画を考えるE」
 男性だけが自らの差別性に気づくだけでは不十分なんだと思う。被差別者であ る女性自身が自らの尊厳を取り戻し差別に対する怒りを持つことも大切なんだと 思う。
 確かに、「難しいことは男性に任せておけばいい」「私は差別されているとは思 わない」「このままでいい」という声も女性の中にはある。それを盾に「差別ではな い。女性自身がそれを望んでいる」と言う男性もいるが、そのような女性の声も 差別の結果として、また沈黙すらも「声なき声」として真摯に耳を傾ける必要があ るのだと思う。
 これまで私たち日本人は男尊女卑≠ニいう価値観の中で生きてきた。また、 仏教においても、「女性は穢れ多き存在である」(『血盆経』(偽経という説も))と か「女性はそのままでは浄土に往生できない。一度、男性に変身してから浄土に 生まれる(変成男子説)」(『法華経』や『仏説無量寿経』・・)などと説かれた経典 なども存在する。真宗も例外ではない。親鸞聖人の和讃の中にも「変成男子説」 を肯定するようなものがあるし、蓮如上人の『御文章』にも「五障三従説」(女性 は障りが多いため梵天、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏に成ることは出来ない。ま た、女性は劣っているため幼きときには父親に、嫁いでは夫に、老いては息子に 従うべきであるという考え方)などが堂々と説かれている。お説教を聞けば、「嫁 と姑との確執」を喩えに女性を煩悩具足の代表格であるかのように説き、そのよ うな業深き女性を救うのが阿弥陀仏であるなどといった信心話がその辺に幾ら でも転がっている。
 そんな社会の中で生きてきたら、「私は男性よりも劣った存在である」と劣等感 や罪悪感を抱く女性がいたとしても不思議ではない。それを女性の責任だと言う ことなど出来ない。全て差別の結果である。差別者である男性の責任である。し かしそんな差別にがんじがらめに縛られたままでは差別をなくすことが出来ない のも事実である。女性自身が「おかしい!」と声を上げ、その呪縛を自らの手で 解き放たなければ差別はなくならない。
10年2月9日(火) 「男女共同参画を考えるD」
 男性の側から「最近は女性の方が強い」「うちの大蔵大臣は家内である」といっ た発言をよく聞く。「俺は差別はしない」「もう差別はなくなった」と言いたいのだ う。しかし、それはまさに「木を見て森を見ない」というものであり、差別を解消す るどころかそれに逆行する悪質な差別発言だと思う。また、このような第三者的 立場の人に限って、実際に女性が声をあげ始めると「女のくせに」と本音が出てく るのだろう。
 例えば、以前、ハンセン病療養所の入所者たちが社会復帰のための一環とし て熊本にある黒川温泉への宿泊旅行を計画した。しかし旅館側が元ハンセン病 患者であることを理由に宿泊を拒否した事件があった。マスコミなどがそれを 大々的に取り上げ、旅館側に対する非難が全国から起きた。ところがすぐに様 相が一変する。旅館側からの謝罪の受け入れを入所者が拒否したことが報道さ えると、今度は入所者に対するバッシングの嵐が吹荒れた。言葉に出すのも憚 れるような内容の手紙やFAXが連日療養所に届いたという。つまりこうである。 大人しくしておれば多少の同情もしてやるが、一旦、被差別者が権利を主張して 声をあげると「生意気だ!」と言って牙をむく。それが自分を第三者的な立場に おいている人たちである。差別者よりも悪質と言えるのかも知れない。
 女性差別の場合でも同じである。女性が大人しくしている間は、同情もするが、 一たび男性の特権が侵された感じると、徹底的に攻撃する。例えば、私たち僧 侶の中にもそのようなタイプの人が多い。真宗大谷派の元宗務総長であった訓 覇信雄氏の発言もそうである。「このごろ、女の人いばってるな。あれ、昔は、 奥さん≠ト、奥におったもんだ。出てこなんだ。なんでも亭主関白で、おやじの言 う通りにしとったもんだ。しゃしゃり出てくるのは、まあこれも少し精神病ですな」。 普段口では「平等だ!」とか「有難い」と言いながら、本音はこれである。
 「男女共同参画」に取り組むとは、まず私たち男性(僧侶)が自らの差別性に気 づくことが大切なんだと思う。「俺は差別はしない」「浄土真宗に差別などない」と 第三者的な立場を捨て、「俺は女性差別者であったのだ」と自覚すること、「恥ず かしい」と慚愧することが出発点なんだろう。
10年2月8日(月) 「男女共同参画を考えるC」
 「男女共同参画」を進める一つの方法として「アファーマティブ・アクション(積極 的改善策)」というものがあるという。例えば、女性役職者が圧倒的に少ない状況 を鑑み、参画が実現するまで一時的に定員の何割かを女性に割り当て、それに より女性の声を組織運営に反映させようとする考え方である。
 しかし、ここで大切なのはただ単に定員の半分を女性にすればいいというもの ではないということであり。「男女共同参画」を推進するとは「女性差別」の問題に 取り組むということである。そしてこの場合、女性が被差別者であり、男性は差別 者、第三者的な立場はないということ。そのことを男性と女性双方がまず認識す ることが大切なんだと思う。でなければ「逆差別である」といった的外れな批判も 後を絶たないだろうし、女性は女性で、これまで女性であるが故に押付けられて いた家事等の仕事以外に、さらに役職まで押付けられたとしたら肉体的にも精 神的にもたまったものではないだろう。
10年2月6日(土) 「男女共同参画を考えるB」
 一般の社会でも「男女共同参画」の取り組みが行われている。1999年に「改正 男女雇用均等法」、並びに「男女共同参画社会基本法」が施行されて以来、少し ずつではあるが女性の社会進出が進んでいる。それはもちろんそれまでの女性 解放運動の成果であることは間違いないが、一方でそれだけが理由でないとも 言われている。
 「男女共同参画」の推進の背景には、今後、日本社会が直面するであろう「少 子高齢化」という大きな問題にどう対処していくかという課題があったという。つま り、少子高齢化により、どんどんと働き盛り、税金などを納めてくれる人が減って いく。するとそれは当然経済の停滞や将来の国力の衰退へと繋がっていく。それ では困る。そこで何とかして男性に代わる優秀な人材(労働力)を確保する必要 がある。その穴埋めを女性に求めたという見方である。つまり必ずしも「男女平 等」という理念から始まったのではないということ。もし「少子高齢化」という問題 がなければ、どうなっていたか分からないということである。
 それは私たちの教団にも言える。私たちの教団には、比較的女性僧侶が多い が、その背景にも「少子高齢化」の問題があると言われている。つまり、少子高 齢化や過疎化により、お寺の収入だけでは食べていけない寺院が増えている。 そのためお寺でも男性(住職)が外に働きに出ざるをえない。するとそれまで男 性(住職)がやっていた法務は女性(坊守)がすることとなる。それが女性の得度 に繋がっているのではないかと言われている。例えば、私たちの教団において女 性が初めて得度をしたのは1931(昭和6)年だという。ちょうど戦争により寺の男 性(住職)も出兵しなければならない時期である。つまり男性(住職)の代わりに 女性(坊守)が法事や葬式をしなければならず、それが女性の得度に繋がった のではないかという。このように他教団に比べて女性僧侶が多いのは、決して親 鸞聖人の平等というのが根底にあるのではなく、その時々の都合によるものであ ったということ。あくまでも女性は男性の代役、補助的な立場でしかないということ である。
 でも「やっぱりそれはおかしい」ということで、親鸞聖人の平等の理念に基づい て、男性と女性が、もっと言えば性別に関係なく全ての人が共にみ教えを聴き、 共にみ教えを伝えていく。そんな教団にしよう。それが今回の「男女共同参画」へ の取組みの出発点である。決して教団の護持が目的ではないということを確認 することが大切である。
10年2月5日(金) 「男女共同参画を考えるA」
 女性は男性の教化を受ける側であり、教団全体の運営においてもあくまでも男 性を補助する立場でしかない。はたしてこの状況が親鸞聖人が目指された同朋 教団と言えるのだろうか?
 お念仏の教えとは、言うまでもなく平等の教えである。老若・男女・貴賎をえら ばずである。また、親鸞聖人は、日本の仏教史の中で初めて結婚を公にし、夫 婦共々にお念仏を喜び、また周りの人にも伝えられていかれた方でもある。師匠 である法然聖人の「全てはお念仏が出来るようにしなさい。もし一人でお念仏が 出来ないと思うなら結婚して二人でお念仏をしないさい。二人で出来ないなら、結 婚せずに一人でしなさい」という言葉を受け、恵信尼さまとの結婚を選ばれた。ま た、恵信尼さまは決して夫である親鸞聖人の活動を裏方として慎ましく支えてい ただけの女性ではなかったという。『親鸞門侶交名帖』によると、「尼恵信御房」と して名前が記載されてあり、しかも直接の弟子が3人もいたと記されているとい う。つまり親鸞聖人がおられた初期の真宗教団では、男女が共に対等の立場で み教えを聴き、また伝道していたということである。少なくても伝道教化においえ ては「オレは男だから」とか「お前は女だから」とかいった性差による役割分担は なかったと思われる。
 そんな親鸞聖人の教えや生き方と照らし合わせて、現在の私たちの教団はど うだろうか?本当に「親鸞の教団」と言えるだろうか?今の私たちの教団の現状 が、親鸞聖人の平等の精神から見て「ちょっとおかしいで!」「何とかせんとアカ ンで!」というのが私たちの「男女共同参画」への取り組みの出発点である。
10年2月3日(水) 「男女共同参画を考える@」
 私たちの教団は、どちらかと言うと男性よりも女性の方が元気に見える。お寺 の本堂を見渡せば男性よりも女性の参拝者(聴聞者)が圧倒的に多いし、教化 団体一つとっても「仏教婦人会」や「寺族婦人会」などの女性対象の団体の方が 活気がある。また、本願寺派には約3万人の僧侶がいると言われているがその3 分の1が女性僧侶であり、他の教団と比べても圧倒的に多いと聞く。また、本山 にある宗務所の職員を見ても、約3分の1が女性職員だと言われている。このよ うに見ると、私たちの教団は女性によって支えられ、その活動によって担われて いると言っても過言ではない。
 しかし、これが教団を主導するリーダー的な立場になると話が変わってくる。例 えば、僧侶の3分の1が女性だと言ったが、布教使の数から言えば女性は全体 の僅か5%(1998年時点)でしかないし、宗務所内における女性管理職の割合は 約4%(2000年時点)でしかないという(現在ではもう少し上がっているだろう が・・)。総長(これまで一度でも玉手箱≠フ中に女性候補の名前があったか どうかは知らないが・・)や総務、宗会議員も確か今は全て男性だったような気が する。また、教区や組、各寺院に目を移しても、教区会議員や組長、組相談員、 住職、門徒総代など役職者はほとんど男性で占められている。研修会一つとっ ても、大概、講師は男性である。
 このように私たちの教団は多くの女性の参加や協力によって支えられているに も関わらず、それはあくまでも従属的(補助的)な立場であり(門主の連れ合いを 「裏方」と呼ぶのはその典型である)、伝道・教化の面においても、運営の面にお いても実際には男性によって主導されているのが現状である。
10年2月2日(火) 「原爆と部落とキリシタンB」
 江戸時代の長崎は唯一、外国との貿易が許されていた国際港でもあった。有 名な出島を介して様々な物品が外国からもたらされたが、そのなかには動物な どの皮などもあったという。その輸入皮を加工したり全国に流通させていたのが 当時長崎にあった被差別部落であった。その取引額は現在の価値に換算すると 年間数億年にも上り、経済の発展に大いに貢献していたという。
 そんな彼らも元々はキリスト教を信仰していたという。しかし、幕府による厳しい 取り締まりにより次第に仏教などに改宗していき、改宗後は、隠れキリシタンを 摘発する側の最前線に立たされることとになる。逮捕や連行、牢番、処刑の立会 いなどである。そんな中で被差別部落の人々に対する反感や憎悪がキリスト教 徒の中に生まれ、つい最近まで残っていたという。現在でも、解放同盟やクリス チャン団体の間で、そのようなわだかまりを解きほぐすための努力がなされてい るという。
 また、原爆による被害も大きかった。家屋等が全壊し、借家住まいがほとんど であったため元の場所に戻ることも出来ず、また戦後復興のドタバタの中で、他 の九州の都市や大阪などに移住せざるをえなくなり、かつてのコミュニティはほと んど崩壊してしまったという。
10年2月1日(月) 「原爆と部落とキリシタンA」
 長崎の原爆は、当初、別の地方都市に投下される予定だったという。ところが 悪天候のため長崎市に変更される。ところが長崎市上空に来ると、またしても厚 い雲に覆われ目標地点が確認出来ない。米軍機が諦めて帰ろうとしたとき、たま たま雲が切れ間から街並を確認できたためそこに投下した。それが浦上上空だ ったという。浦上を中心に街全体が大きな被害を受けるが、風向きや地形の関 係上、当初の目標であった市内中心部はそれでも比較的物的被害は少なかっ たという。そのような経緯のなかで、一部の人々の間で「原爆は天罰である」と語 られることがあるのだという。
 豊臣秀吉の「禁教令」に始まり江戸時代から明治に至るまでキリスト教は「邪 宗」とされ常に弾圧と差別の対象であった。幕府による厳しい取締りや拷問など により多くの人が仏教などに改宗していくが、それでもなお監視の目をかいくぐり 信仰を守り続けた人々もいた。特に、浦上は「崩れ」と呼ばれる大きな発覚事件 が何度も起きるなど、多くの隠れキリシタンが住む地でもあったという。その浦上 に原爆が落とされる。すると同じ被爆者でありながら一部の人々の間で「あれは 邪宗の者≠ヨの天罰である」と囁かれることもあったのだという。その話を聞 きながらなんとも言えない気持ちになった。同じ被害者でありながら・・・。弱い人 がさらに弱い人を・・・。
10年1月30日(土) 「原爆と部落とキリシタン@」
 先日、長崎へ研修旅行に行ってきた。テーマは「原爆と部落とキリシタン」であ った。長崎と言えば「原爆」である。広島に次いで世界で2番目に原爆が投下され た地である。しかし、同じ被爆地である広島と比べて若干ニュアンスが異なるよう な印象を受けた。それを象徴するのが「原爆は天罰である」という言葉である。
 「原爆は長崎に落とされた」が私たちの常識であるが、一方で原爆は長崎では なく、浦上に落とされた」と言われることもあるという。長崎市浦上、かつてそこは 隠れキリシタンの中心地でもあった。また浦上天主堂などに代表されるように、 明治以降現在に至るまで多くのキリスト教徒が住む地でもある。その浦上の上 空で原爆が爆発した。浦上を中心とした半径数キロは一瞬の間に廃墟となり、現 在の市の中心部などでも火災や放射能によって大きな被害を受けた。ところが 浦上の人々と市内中心部の人々、同じ被爆者でありながらの原爆に対する認識 に、それこそ現地で学ばなければ気づかない微妙な違いがあるという。それを象 徴するのが最初の「原爆は天罰である」という言葉と「原爆は長崎ではなく、浦上 に落とされた」という言葉である。
10年1月25日(月) 「小説『親鸞』を読むA(女人往生)」
 小説の中に「女人往生」について語られる場面がある。一人の女性が「お念仏 の教えは、これまで救いから排除されてきた女性も救われる教えであると聞かせ てもらった。しかし、その教えの根拠になった『仏説無量寿経』の「四十八願」に は、「女性が往生する際には、一度、男性に変えてから救われる」と書かれてい る。なぜ女のまま救われないのか?」と法然聖人に尋ねる場面がある。それに 対して、法然聖人から意見を求められた親鸞聖人は次のように答える。「経典を 軽んじるつもりはないが、男は男のまま、女は女のまま往生して仏になると思う」 と。それを補足するかたちで法然聖人も「私は浄土で男になった母親になど会い たくない」と言っている。
 まったくその通りだと思う。古代インドには「五障三従説」という考え方があった という。「五障」とは、女性は穢れているため「梵天、帝釈天、魔王、転輪聖王、 仏」には成ることが出来ないとされ、「三従」とは、女性は劣っているため「幼きと きには父親に、嫁いでは夫に、老いては息子に従うべきであって、決して独立す ることなく、従属的な地位にあるべきだ」という考え方である。その「五障三従説」 を克服すべく、苦心の末に仏教が考え出したのが「変成男子」という考え方であ る。女性はそのままでは仏になることは出来ないが、一度、男性に変身してから 仏に成るというものである。『仏説無量寿経』をはじめ『法華経』などにも書かれて いる。
 しかし、いくら歴史的な制限があったにしろ、現在からみれば明らかに「女性差 別」の思想である。男は男のまま、女は女のまま、もっと言えば性別に関係なく平 等に救われるのが仏教のはず。そのことを五木さんは親鸞聖人や法然聖人の 言葉を借りて訴えかけたのだと思う。小説ならではである。
 でも、実際のところ、親鸞聖人は「女人往生」についてどう考えていたのだろう か?「和讃」の中に「弥陀の大悲ふかければ 仏智の不思議をあらはして 変成 る男子の願をたて 女人成仏ちかひたり」(『浄土和讃』)とか「弥陀の名願によら ざれば 百千万劫すぐれども いつつのさはりはなれねば 女身をいかでか転ず べき」(『高僧和讃』)などの、あたかも「変成女人説」を肯定するかのようなもの が出てくる。本願寺教団が出す解説書などには、「宗祖の真意はそうではない。 歴史的な制約があった。言葉を真に受けずに、その行間を読むべきである」など と必死に弁している。でも本当にそうだろうか?もっと深い意味があるのではない だろうか・・?
10年1月23日(土) 「人生他力本願」
 今朝の新聞の広告欄に、お笑い芸人・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの『人生 他力本願』という本を出版されるとあった。内容を見ると「誰かに頼りながら生き る49の方法」とある。「なんじゃ、これ!」とビックリしている教団関係者もさぞや 多いことだろう。
 確かに親鸞聖人が言う「他力本願」とは「他人任せ」という意味ではない。しか し、これまで本願寺教団(僧侶・布教等)が説いてきた「他力本願」とは、まさに 「他人任せ」という意味でしかなったのではないか?「この世の苦しみは我慢。た だ念仏して命終えた後必ずお浄土に参ろう」というお説教が日本中で行われてき た。「阿弥陀任せ」と「他人任せ」の違いだけである。門徒(国民)は素直である。 僧侶や布教使から聞いたことをそのまま信じ、「広辞苑」にまで書いたまでの話 である。
 以前、同じような広告が出た際、本願寺の教学者がわざわざ東京まで抗議に 行ったと聞いたことがあるが、門徒(国民)に文句を言う前に、これまでの自らの 言動を振り返る方が先ではないのだろうか?でないと何時まで経っても誤解は解 けない。
10年1月22日(金) 「湯浅誠さんの講演を聞くE」
 湯浅さんは最後に、人間とはそんなに強くない。それを「自己責任」と言って切 り捨てるのが豊かな社会といえるだろうか?完璧な人などいない。そのことをしっ かりと踏まえた上で、人間同士が互いに助け合い支えあうような社会を皆でつく っていく。それこそ豊かな社会と言えるのではないかと仰っていた。まさにここに 親鸞聖人の教え、親鸞聖人が目指された御同朋の社会というものがあるのだと 思った。
10年1月21日(木) 「排他的宗教」
 北海道砂川市が市有地を神社に無償で提供していることは「違憲」であるとい う判決が最高裁で出された(1/20)。
 14人いる最高裁判事のうち唯一人「合憲」の意見を述べた堀籠幸男裁判官の 理由が面白い。「神道は、日本列島に住む人々が集団生活を営む中で生まれ た、生活に密着した信仰ともいうべきもので、その生活の一部になっている。こ れと、創始者が存在し、確固たる教義や経典を持つ排他的宗教とを、政教分離 原則の適用上、抽象的に宗教一般として同列に論ずるのは相当ではない」
 そう言えば確か「中外日報」に、神社庁系のある団体が今話題になっている外 国人地方参政権について反対の署名活動を行っているという記事が紹介されて いた。
10年1月19日(火) 「湯浅誠さんの講演を聞くD」
 専修念仏の教えとは、お念仏一つで全ての人が平等に救われる教えである。 阿弥陀仏という仏様は、五劫思惟・兆載永劫の修行を経て、その功徳の全ての 「南無阿弥陀仏」の名号に込めて、私たち衆生の元に届けて下さっている。その 名号を一たび称えればその不可思議な功徳によって間違いなく浄土に往生し仏 となることが出来るという教えである。そこには救われる側のはからいは一切必 要ない。往生のためには衆生側の能力や努力は一切必要ないということであ る。まさに専修念仏とは、自業自得(自己責任)という「公平の原理」を超えた「平 等の原理」というものを私たちに示してくれているのだろう。
 しかし、親鸞以後、本願寺教団は「被差別部落に生まれるのは前世の業によ る(前世に悪業を重ねた結果として、現世において差別されるのだ。諦めよ)」と いった業論を展開し、親鸞が葬ったはずの「自己責任論」を再びよみがえられた ことは周知のとおりである。
10年1月18日(月) 「湯浅誠さんの講演を聞くC」
 この「自己責任論」、何も目新しい言葉でもない。ずっと昔からある。特に仏教 にある「因果応報」や「自業自得」という考え方もそうである。「善いことをすれば 善い報いを受ける(善い所に生まれることが出来る)。悪いことをすればそれだ けの報いを受ける(悪いところに生まれる)」という考え方である。
 法然聖人や親鸞聖人が専修念仏の教えを明らかにするまでの日本の仏教 は、出家して修行をしたり、何万巻とある経典を勉強したり、厳しい戒律を守った り、寺院や僧侶の多額のお布施をするなど善根功徳を積んだ人は仏に救われ、 浄土に生まれることが出来ることが出来るが、出来ない人は「仏に救われない」 「地獄に落ちる」と説かれてきた。自業自得・因果応報の教えである。でも果たし て修行や勉強、布施が出来ない人は地獄に落ちても仕方ないと言えるのだろう か?自業自得・因果応報、現在風に言えば「自己責任」と言って切り捨ててもい いのだろうか?修行したくてもできない人、戒律を守りたくても守れない人はどう すればいいのだろうか?それが仏教なのだろうか?そんな疑問が法然聖人や親 鸞聖人にはあったに違いない。
10年1月17日(日) 「湯浅誠さんの講演を聞くB」
 「自己責任論」、ちょうどイラク戦争の折、現地でボランティア活動などをしてい た若者が武装勢力に拉致される事件があった。最初は多くの人が「彼らを助け てあげて」と口々に言っていた。ところが途中から「自己責任」という言葉が使わ れ出した。「なぜあんな危険な所に言ったのだ?こうなることは予想できたはず。 本人の責任である」という声が上がりはじめ、本人やその家族が日本中からバッ シングを受けるということがあった。その後、同じようにイラクを旅行していた青年 が拉致され際には、家族ですら「助けてあげて!」と言えないぐらいにまで「自己 責任論」が日本中を覆っていた。結局彼は物言わぬ人となって家族の元に帰っ た。最近では、不況の影響で仕事もなければ住む所もなく困っている人々に対し て「頑張れ!頑張ればなんとかなる。仕事がないのは本人の責任である。怠け 者である」という「自己責任論」が一部の人々から声高に叫ばれている。
 でも本当にそれらは「自己責任」と言えるのだろうか?例えば、政治家の2世議 員。彼らは自分の能力や努力だけで政治家になったと言えるのだろうか?親か らの「カバン」「ジバン」「カンバン」という3バンがあったからこそ、他の候補者と 比べて圧倒的に有利に選挙戦を戦うことができたのである。同じことは現在の格 差社会も当てはまる。格差社会の進行とともに教育格差というのが問題になって いる。親の収入に応じて、子どもの学歴(学力)が比例する。そしてその学力格 差が将来の子どもの収入にまで影響していく。格差の世代間連鎖が起きている と言われて久しい。つまり、人生のスタートの時点で、どの親の元に生まれたか で、その子どもの能力や努力に全く関係ないところで、既に人生が決まってしまう ということである。少なくてもスタートが同じで、そこから「よーいドン」で競争が始 まるなら「自己責任」も納得できるが、そもそもスタートの時点から勝負は見えて いる。子どもは親を選べない。まさにその現実を覆い隠すものそれが「自己責任 論」だと言えるだろう。
 「自己責任論」とは、湯浅さん流に言えば「溜め」のない人の不平や不満を黙ら せ、「溜め」のある人の特権を温存していく役割がある。また、多くの人に現在の 貧困の問題を「他人事(当事者の問題)」であるとヘンに納得させ、他者に対する 無関心を助長していくものと言える。
10年1月16日(土) 「湯浅誠さんの講演を聞くA」
 湯浅さんは「人間が頑張るためには、頑張るためのサポートが必要である。一 人でも如何ともし難いことがある」と言う。例えば、日照りで枯れかけている稲穂 に幾ら「頑張れ!気合だ!」と言っても無駄である。水をあげないと稲穂は枯れ てしまう。それは人間も同じ。いくらホームレスや派遣切りにあった人に、「頑張 れ!やれば出来る!」といっても一人の力では如何ともし難いのが現実である。 住宅の提供や雇用保険、生活保護などの具体的な支援をしないとまず立ち直り は無理だという。
 湯浅さんの知る限り、自分の力でホームス状態から脱け出した人は2人いると いう。そのうちの一人は、他人に頼ることなく懸命に仕事をし、貯金を貯め、やっ とこさアパートを借りることが出来た。しかしそれでもう限界。それまでの無理が たたって肝臓を悪くし、以後、入退院を繰り返すのが精一杯。もう仕事すらできな いという。彼を追い詰めたもの、それは「やれば出来る。頑張れば報われる。貧 乏なのは、その人が努力を怠ったからだ」という自己責任論だったという。
 湯浅さん曰く、この世のなかに完璧な人などいない。あのイチローだって、色々 な人の周囲のサポートがあるからこそ、あれだけの大記録を打ち立てることがで きるのである。
 「自己責任論」、一体それで誰が得をし、誰が救われるというのだろうか・・・?
10年1月15日(金) 「湯浅誠さんの講演を聞く@」
 先日、元年越し派遣村村長の湯浅誠さんの話を聞いた。
 湯浅さんによると「貧乏」と「貧困」は違うという。「貧乏」ではあるが幸福な人は 幾らでもいる。例えば、僅かなお金しか持たないが田舎で自給自足の生活を 悠々と送っている人がいる。彼らは決して不幸だとは言えない。しかし「貧困」は 違う。同じように生活するために十分なお金を持たないが、決して幸福ではな い。その違いは何かというと、「溜め」があるか否かだという。「溜め」とは、いざと いう時に自分を守ってくれるものである。日照り続きの時に田圃に水を供給する ため池のようなものである。私たち人間が先の見えないこの社会を生きていくた めにもそんな「溜め」が必要だという。例えば、「貯蓄」など金銭的な「溜め」ももち ろん必要であるが、それ以外にも「家族の絆」や「地域の絆」、「職場の絆」、「交 友関係」なども必要である。その「溜め」がどれだけあるかで「貧困」に陥るかどう かの分かれ目になるという。先ほどの「田舎暮らし」の人は、お金はなくても、家 族との固い絆や地域の人々との交流などがあるから豊かな生活を送ることが出 来る。しかし、お金はもちろん、そういった「溜め」がない人がホームレスになって しまう確立が高いという。
 ちなみに「溜め」と言えば、二世議員などもその「溜め」の大きな恩恵を受けた 人たちだという。本人の能力とは別に、親から引き継いだ「地盤」「看板」「カバ ン」という「溜め」があるために、ない人とは比べようもないほど選挙戦を有利に 戦うことが出来るのだと・・・
10年1月14日(木) 「小説『親鸞』を読む@」
 小説『親鸞』(講談社)を読んでいる。今はちょうど親鸞聖人が六角堂に100日 の参篭を行っているところである。さすが小説、これまで真宗史で習ってきた参 篭とは少し違う。授業などでは親鸞聖人がただひたすら「生死出づべき道」を求 めて静かに瞑想しているかのようなイメージで語られるが、小説では、当時の六 角堂には住む所がない人や病者、その他最下層の人々が昼夜を問わず集まっ ており、現在の炊き出しのように彼らを世話する人々などもいたと描かれてい る。そして親鸞聖人も参篭1日目から病気の子どもを戸惑いつつも手当てをする というシーンが描かれていた。また、彼らの施しを受けて親鸞聖人がホルモンを 食べる場面なども出てくる。
 今、ご本山では御正忌報恩講が勤まっている。そして今年も『御伝抄』が真新し い御堂内で高らかに読み上げられていることだろう。「それ聖人(親鸞)の俗姓は 藤原氏、天児屋根尊二十一世の苗裔、大織冠 [鎌子内大臣] の玄孫、近衛 大将右大臣 [贈左大臣] 従一位内麿公 [後長岡大臣と号し、あるいは閑院 大臣と号す。贈正一位太政大臣房前公孫、大納言式部卿真楯息なり] 六代の 後胤、弼宰相有国卿五代の孫、皇太后宮大進有範の子なり・・・」などと。
 貴族出身で自己の内側(煩悩)を省みるためひたすら思索にふける親鸞像と最 下層の人々とのふれ合いの中から弥陀の本願を確かめられていかれた親鸞 像。どちらが本当の親鸞聖人なんだろうか?
10年1月12日(火) 「外国人参政権」
 政府は永住外国人にも地方参政権を付与するための法律を今国会に提出す るという。歴史的な背景を考慮し議員立法でなく政府提出の法案とするという(1/ 12)。当然である。歴史的な背景もさることながが、これまで納税等の義務だけ 課せられ権利を付与されなかったことはどう考えてもおかしい。「保守」回帰を目 指す自民党などからは早くも反対の声が上がっているが、この21世紀の国際化 の時代に「内向き志向」が国民に受け入れられるとは思わない。大歓迎である。 しかしなぜ「韓国籍」の人がよくて「朝鮮籍」の人はダメなのかよく分からない。法 律の知識がないのでよく分からないが、そんな差別的な法律が許されるのだろう か?
10年1月11日(月) 「温情から権利へ」
 政府が「障害者」の定義にについて抜本的に見直しを図るという記事があっ た。
 これまでの法律(障害者基本法)では、「障害者」とは「身体障害、知的障害、 精神障害があるため、日常生活または社会生活に制限を受ける者」と定義し、 福祉法令などによって障害者自立支援法や障害者雇用促進法などが運用され てきたという。
 それを今回、国連障害者権利条約に基づき、「障害者」とは「障害のある人で あって、さまざまな障壁との相互作用で、平等に完全に参加するのを妨げられ る」状態と定義することで、「障害を個人の問題でなく、移動や就労など参加を難 しくしている社会の制約の面から」捉え、法律によって社会参加に必要な支援を 促していくという。
 勉強不足でよくは分からないが、画期的な方針転換なんだろう。障害を個人の 問題に矮小化し、「可哀そうだから手を差し伸べてやる」といった旧来の考え方 から、障害によって生じる様々な社会的不利益は、その人が人間として生きるた めに保障されたの基本的人権が侵害された状況と捉え、行政が責任を持ってそ の状況を改善していく義務を負うという考え方への転換なんだろう。
10年1月7日(木) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜P」
 五木寛之さんの小説『親鸞』(講談社)を読んだ。ちょうど昨年の8月まで約1年 間、奈良新聞を含めた地方新聞27紙に連載されていたものであるが、当時は、 どうせ『御伝鈔』や真宗史の教科書に書かれているような「親鸞伝」が描かれて いるものだと思い込み関心もなかったが、読んでみると意外と面白かった。
 まだ導入の部分しか読んでいないが、『唯信抄文意』に出てくる「いし・かはら・ つぶてのごとくなるわれらなり」を手がかりに、幼き親鸞が当時の被差別民との ふれ合いの中から仏道を目指すというストーリーになっていた。また、「悪人」とい うものも「乞食の聖、遊芸人、印地打ち、牛や馬をあつかう童、車借、馬借とよば れる輸送交易の民、神人、僧兵、漁師、狩人、博賭、そして盗賊や遊び女・・・」な ど当時の被差別民のこととして具体的に描いてあった。これから比叡山に上る場 面に移るが、先が楽しみである。
 一方、教団としてはあまり面白くない小説なのかも知れない。750回大遠忌を間 近に控え、ここで一気に気運を盛り上げるべく、有名作家五木寛之による「栄光 の親鸞伝(本願寺伝)」を期待していたのに、少しアテが外れたというところだろう か・・・
 いずれにせよ、「御同朋の教学」とは教学者や一部の布教使が構築するもので はなく、僧侶も門徒も一人ひとりが現実の課題を出発に、お念仏の教えや親鸞 聖人の生き方に問い聞き学んでいく営みの中で生まれてくるものなんだろう。
10年1月6日(水) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜O」
  誰しもが「差別」「被差別」という両方の側面を持って生きている。それは親鸞聖 人も例外ではなかったはずである。親鸞聖人は日野家という貴族の家に生まれ とされる(本当かどうかは分からないが・・)。いくら当時落ちぶれた家系とは言え 紛れもない支配階層である。おそらく荘園を所有し、民・百姓を支配することによ って、貴族という地位を維持していたのだろう。そこに生を受けたのが親鸞聖人 であった(『御伝抄』にちゃんとそう書いてある)。そして9歳で出家した後は、当時 の宗教的権威のトップにあった比叡山・延暦寺の僧侶となった。世俗権力とは縁 がなかったとは言え、宗教的ヒエラルキーの上層部に身を置いていたことに間違 いない。
 しかし親鸞聖人の凄いところは、それで終わらなかったところにあるんだと思 う。法然聖人に出遇い、お念仏の教えに出遇うことによって、そんな差別者として の姿に気づき、自らを恥じ(慚愧し)、これまで支配し抑圧してきた人々(被差別 者)と共に「差別・被差別」からの解放を目指して人生を歩まれとたころにあるん だろう。それが『唯信抄文意』に出てくる「われら」の名のりだったのち違いない。
09年12月31日(木) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜N」
 つまり、親鸞聖人が言うところの「悪人正機」の「悪人」とは「被差別者(民)」の ことであり、一方「善人」とは「差別者(抑圧者)」のことであると言える。
 ちなみに「被差別者」とは何も特定の一部の人だけを指すのではない。全ての 人が「被差別者」にもなり「差別者」にもなるんだと思う。例えば、被差別部落の 人々は部落差別に関して言えば「被差別者」である。しかし「差別者」にだってな りうる。例えば、女性差別の視点から見れば被差別部落の男性は往々にして 「差別者」になりうる。部落差別に関して「差別者」である人も、女性差別や学歴 差別、民族差別等々の「被差別者」になることもある。全ての人が「差別・被差 別」の側面を持ちながら生きていえるのだと思う。そんな「差別者=善人」である 自らの姿を慚愧し、心を翻して「被差別者=悪人」の立場に立って共に「差別・被 差別」からの解放を目指して歩むことが、親鸞聖人の「悪人正機」の教えであり、 お念仏の教えに生きるということではないだろうか・・・
09年12月29日(火) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜M」
 アフリカ南部の国々の公用語にスワヒリ語というのがあるという。このスワヒリ 語には、日本語でいうところの「持つ」という語が、英語なら「have」という単語が ないという。では「私は○○を持っている」と表現するときはどうするかというと、 「私とともに○○が在る」と言うのだそうだ。
 普段、私たちは「持つ」という考え方の中で生きている。「お金を持つ」、「地位を 持つ」、「名誉を持つ」など。しかしこの「持つ」という考え方が、様々な苦しみの原 因となり、時には差別や抑圧を生むのだろう。「私が○○持つ」と考えるからこ そ、それを失った時に苦しみが生じる。また、なければなかったで「欲しい」と思う し、あったらあってでもっと欲しくなる。時には、その持っているものを何とかして 守ろうと、他人を力で支配したり抑圧したり、差別したり、排除したりするのだろ う。まさに承元の法難はそんな中で起きたと言えるだろう。
 ところが親鸞聖人は、越後や関東で、「持つ」ということと縁のない人々と出偶っ たのではないだろうか?「持つ」べきものが何もない。財産もなければ、地位も名 誉もない。仏の救いすらない。支配され、差別され、排除されるだけの人々がい た。「持つ」ものは何もなく、ただ「在る」だけ。その日、その日を精一杯暮らすだ けしかなかった。しかし親鸞聖人は彼らの中に何か光るもの、阿弥陀仏の本願 に生きる人間の本当の姿を垣間見たのかも知れない。
 貧困と差別の中で彼らは一人では生きていけない。互いに助け合い、支え合 い、分け合いながらしか生きていけない。そんな彼らの中に「自力」とは対極にあ る「他力」であるとか、「御同朋」というものを垣間見たのではないだろうか?法然 聖人から聞いた如来の本願に生きる「悪人」という存在に、「善人(差別者)」とは 対極にある「悪人(被差別者)」に出遇ったのではないだろうか?
09年12月28日(月) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜L」
 親鸞聖人は「悪人」というものを、「具縛の凡愚」という観念的なものではなく、も っと具体的な「屠沽の下類」と呼ばれ当時の社会の中で差別され排除されたいた 人々のことを指して呼んでいたに違いない。梯実圓さんは著書の中でこう書いて いる。
 「親鸞聖人の悪人正機説を考えるうえで忘れてはならないことがある。それは 悪人ということを、自己を含めた具体的な社会の現実のなかで見据えられていた ということである。すでも述べたように法然聖人は、当時の社会常識として富貴と みなされていたものと、貧賤とみなされたいたものとを対照して、富貴にまかせて 寺塔を建てたり、僧尼に莫大な布施をして功徳を積むことのできるものよりも、 功徳も積めず、その日の生活のためにさまざまな罪を造らずには生きて往けな いものを絶望させまいとする大悲が念仏を選択したといい、貧賤なるもの、愚悪 なるものに、如来の救済の焦点があわされているといわれていた。その教説を、 実際に生きることによって確かめられたのが親鸞聖人の悪人正機であったとい うことである。・・悪人正機説は、すでに述べたように法然聖人から出てきた教説 であったから、決して親鸞聖人だけのものではなくて、広く浄土宗の諸流のなか にも伝えられていた。・・それがいつしか消えて、真宗のなかでのみ語り継がれて きたのは、悪人正機説を単なる教説としてではなく、自らの生き方とした親鸞聖 人や唯円房の伝統のなかでのみ行き続けるという性格の教説だったからであ る。」(『教行信証の宗教構造』より)
 親鸞聖人は、29歳で比叡山を降りられ法然聖人のもとでお念仏の教えに出遇 う。そして、35歳の時に流罪にあうが、配所である越後やその後移られた関東の 地で「屠沽の下類」と呼ばれる人々に出遇ったに違いない。そして彼らとともに生 きる中で、師匠から聞いたみ教えをより具体的に発展させていかれたのだろう。 決してお聖経の中や頭の中で「悪人正機」の教えを理解さたのではない。教えに 聴き、教えに生きられた。そこに生きた教えがあったということだろう。
09年12月26日(土) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜K」
 親鸞聖人は「教行信証」の後序で「ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証 久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くし て真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁ふることなし。 ここをもつて、興福寺の学徒、太上天皇 [後鳥羽院と号す、諱尊成] 今上  [土御門院と号す、諱為仁] 聖暦、承元丁卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主 上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の 大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。ある いは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。しかれば、すで に僧にあらず俗にあらず。このゆゑに禿の字をもつて姓とす」と記し、承元の法 難の弾圧者である旧仏教勢力や天皇を厳しく批判している。そこには「差別者 (弾圧者)も被差別者(被弾圧者)もともに救われる」といったものは微塵も感じら れない。
 ところが一方で、最後の最後に、親鸞聖人は『華厳経』(入法界品・唐訳)から、 「もし菩薩、種々の行を修行するを見て、善・不善の心を起すことありとも、菩薩 みな摂取せん」と。」という偈文を引用し「教行信証」を締めくくっておられる。「如 来(菩薩)は弾圧者であろうと、差別者であろうと最後は全てのものを必ず救うの だ」と。これをどう理解すればいいのだろうか?
 『悪人正機』(同和教育振興会)の著者である武田達城さんは、オウム真理教 サリン事件の冤罪被害者である河野義行さんを引き合いに次のように説明して いる。マスコミ報道等によって犯人扱いされた河野さんの家には連日嫌がらせの 匿名電話が鳴り響いたという。息子さんが「電話番号を変えよう」と言う。ところが 河野さんはそれに反対する。「変えることは逃げることだ」と。そして河野さんは 息子さんに「嫌がらせする人たちの心よりも、少し自分の心を高い位置に置け」 「その人たちを許してやれ」と仰ったという。その河野さんの言葉を引き合いに出 して武田さんはこういう。「ここで「許す」という意味は、単なる寛容でもなければ泣 き寝入りでもありません。疑惑が晴れた後も、河野氏は警察に対して謝罪を求 め、報道機関に対しては、提訴も行っています。また、嫌がらせや無言電話とい った行為に対しても、卑劣であると断じています。しかし、恨みを恨みで返すので はなく、間違った報道を鵜呑みにしている人々に対して、早く事実を知って、自ら の過ちに気づいてほしいという願いを持ち続けておられたのです。差別事件にお ける糾弾会も、差別者に怒りをぶつけるだけではなく、差別をしていることに気づ き、差別をする側ではなく差別をなくす側に立って生きることを求めていくことに 共通する願いです」
 つまり、親鸞聖人もただたんに「許す」のではなく、自らの心を彼らよりも一歩上 に置きながら、弾圧者(差別者)も「心を翻して」自らの過ちを恥、弾圧や差別を なくす側に立っていくなら、必ず仲間(御同朋)になれる!なっていきたい!という 願いを最後に込められたのではないだろうか?
09年12月25日(金) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜J」
 河田光夫さんが次のように書いているのが興味深い。
 「宗教というものは、一つの差別思想だということを言いたい。その場合の差別 は、社会的な差別とは違いますから、何も社会的名価値に直ちに結びつくもので はない・・・宗教というのは必ず救われる者と救われざるものというものを設定す ると思いますね。・・私はこれを一応「宗教的差別」と呼びます。・・その宗教的差 別の中でも仏教では、悪人という言葉が使われてきた。悪人正因思想のとらえ 方の大事な一つの柱になるんですけども、その宗教的差別が、時に、社会的な 差別を全く転倒させてしまう展開をとげる例があります。一つは、イエスキリスト の有名な言葉ですが、「幸いなるかな貧しき者よ、神の国は汝らのものなり」で、 一方では、「富める者の神の国に入るよりは、ラクダの針の穴を通はかえって易 し」と、こう言っていますね。つまり、キリストにとっては神の国というのは貧しき者 のためのものであると。金持ちが天国へ入るのは、ラクダが針の穴を通るよりも もっとむずかしいと。つまり不可能だと。これははっきりした宗教的差別思想で す。つまり、ここでは富める者を差別しているわけですね。救われる者と救われ ざる者という宗教的差別を、社会的差別を転倒した形で展開しているわけです。 これは、宗教的差別が歴史的に持つことのできた最も輝かしい成果だと私は思 うわけです。そして日本には、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人を や」があります。これは私、平等思想とはやはり呼びたくない。これは善人を差別 した思想なんです。つまり宗教的に差別しているんですね。・・・親鸞は、田舎の 人びとはあさましき、愚痴極まりないと言っています。そして、女は「五つのさわり ありければ」と『和讃』でも言っています。つまり、差別があるという事実を否定し ないわけです。で、田舎の人びとは、愚痴極まりない者だと、女は五つのさわりあ ると認めた上で、そこで親鸞は、だから彼らが救われるんだという、そういう展開 をとげている。つまり差別に目をつむるんじゃなくて、差別を転倒させているわけ ですね。宗教的差別によって社会的差別を転倒させていっている。そいう理論と して、私は見ていきたいと思います。」(『親鸞と被差別民衆』より)
 差別に目をつむるのではなく、差別を転倒させる。宗教的差別によって社会的 差別を転倒させる。浄土という存在をどのように受け止めるかにも関連してくる 論である。
 「無碍光の利益より 威徳広大の信をえて かならず煩悩のこほりとけ すなわ ち菩提のみづとなる」(『高僧和讃』39)「罪障功徳の体となる こほりとみづのご とくにて こほりおほきにきづおほし さはりおほきに徳おほし」(同40)「一切功 徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなふれば 三世の重障みなながら かならず 転じて軽微なり」(「現世利益和讃」98)・・・
09年12月24日(木) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜I」
 「宗祖に於ける悪人・善人の語は、前者を宗教的優越者、後者を宗教的劣者と 位置づけることを表現する語でないことに注意をはらっておきたい」という安居の 判決は本当に正しいのだろうか?
 確かに浄土真宗の救いは「十方衆生」、「老少・善悪のひとをえらばれず」と平 等の救いを説いた教えであると聞いてきた。もちろんその「平等の教え」は被差 別者の大きな差別解放への大きな希望や生きていくエネルギーになったことは 間違いない。仏教的にもそれでいいのかも知れない。でも親鸞聖人の教えは本 当にそうだろうか?もしそうであるならば『歎異抄』の第三条をどのように理解す ればいいのか?「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世の ひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この条、一旦 そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力 作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあら ず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真 実報土の往生をとぐるなり」。第三条では、あくまでも「善人」よりも「悪人」が先で あると言っている。そして「善人」も心を入れ替えて「悪人」になれば往生出来ると まで言っている。「悪人」と「善人」との間には明らかな「差別」が存在するように読 める。
 安居判決が言うように、もし全ての人が平等に救われるならば差別者も救われ るということのなのか?それでは「味噌も糞も一緒」ではないのか?それが親鸞 聖人の教えなのか?「お恥ずかしい」とか「もったいない」とか口では言っていて も、結局は、差別や支配・抑圧を肯定・正当化する論理でしかないのではないの か・・・?
09年12月23日(水) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜H」
 親鸞聖人が言う「悪人」とは、単に「罪悪重深の凡夫」という仏教的(観念的)な 意味だけでなく、もっと具体的な、当時の被差別民を指していたということを教団 が認めたことは大きな運動の成果でもあった。ところが、糾弾会が終わるとすぐ にそれに逆行する動きが現れることとなる。論題に「悪人正機」が設けられた 2000年の安居では、題意に「浄土真宗の教義に於いて、悪人の語の意味すると ころと、悪人の位置づけを明らかにする」と述べられ、次のような判決が下された という
 「・・・なお、「信文類」引用の『聞持記』に、「屠はいはく、殺を宰る。沽はすなわ ちウン売。かくのごとき悪人、ただ十念によりてすなはち超往を得」といわれるの は、一部の社会的階層を悪人と位置づけているようであるが、「化身土文類」で 悪人と示される『心想ルイ劣の凡夫』とは、『観経』におけるイダイケという王妃を 指し、・・・『涅槃経』では、国王であるアジャセが難化の三機すなわち悪人と位置 づけられるのであり、宗祖において、社会的階層による善人・悪人の位置づけを 見ることは困難である。・・・悪人正機の悪人とは、一の善人・悪人相対に於ける 悪人であり、成仏道を歩む能力を持つ善人よりも能力を持たない悪人こそ弥陀 のまさしきめあてであることを悪人正機というのである。・・・宗祖に於ける悪人・ 善人の語は、前者を宗教的優越者、後者を宗教的劣者と位置づけることを表現 する語でないことに注意をはらっておきたい」
 大きな後退であり、そこからは「御同朋の願いに応える教学」など出てくるはず もない。
09年12月21日(月) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜G」
 資料:浄土真宗本願寺派連続差別事件第五回糾弾会の席上、「親鸞聖人は 『悪人』ということをどのように受けとめておられたのか?」という質問への梯実圓 教学研究所所長(当時)の答弁。
 「悪人というのは、経論の一般的な解釈の場合、いわゆる『十悪五逆具諸不 善』と、こうお経に書いてある十悪とは五逆罪を作ったものとか、正法を誹謗する もhのということでございます。ところが親鸞聖人の場合、もちろんそれは踏まえ ていらっしゃるのですが、もっと具体的に悪人を指摘される場合があります。・・・ 『唯信抄文意』の中で語解釈されるのですが、そこに「具縛の凡愚・屠沽の下類、 無礙光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しな がら無上大涅槃にいたるなり」といわれています。その「屠沽の下類」という言葉 の釈の中で、屠というのはものの命を葬る者だ、沽というのは商いをする者だと いわれています。殺生を職業としているものや、商人は、その頃の仏教の常識と しては下類とみられていたわけです。不殺生戒を犯し、不妄語戒を犯す悪人とみ なされたからです。とkろおが親鸞聖人は、そのようなものこそ阿弥陀佛の慈悲 の本願の正機だとみられたわけです。当時商いをするということは、うそをいって 人をたぶらかすものとみられ、社会的にも下層とみなされていた、そんな状態が ございます。そういう屠沽の下類、これを「瓦礫」といわれたのだとして、「れふし・ あき人、さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり」とい い、これを黄金のごとく尊厳なものにかえなしてくださるのが、阿弥陀仏の本願な のだといわれています。ここで親鸞聖人は確かに悪人というものの具体的な視 点を、そういうところに置いていらっしゃったということがわかると思うのでござい ます。親鸞聖人自身が承元の法難で、僧籍を剥奪されて流罪となり、流罪が赦 免になっても、後々まで「流人善信」と呼ばれたような、そういう方でした。そして 生涯、一介の「念仏ひじり」として民衆とともに生き、むしろこういう屠沽の下類と いわれた人たちに、連帯していらっしゃる。それが「いし・かわら・つぶてのことく なるわれらなり」という言葉で、そういうところに悪人というものの具体的な姿をみ ていらっしゃったのではないか、そういうふうに思うのでございます」
09年12月20日(日) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜F」
 親鸞聖人の書かれた『唯信抄文意』には次のような文言がある。
 「ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無礙光仏の不可思議の本願、広大智 慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。・・・屠は よろづのいきたるものをころし、ほふるものなり、これはれふしといふものなり。 沽はよろづのものをうりかふものなり、これはあき人なり。これらを下類といふな り。 ・・・れふし・あき人、さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなる われらなり。如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなか にをさめとられまゐらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すな はちれふし・あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめん がごとしとたとへたまへるなり」
 「屠沽の下類」とは、殺生を生業とする漁師や猟師であったり、物を売り買いし て利益を得る商人のことである。いずれも当時の社会においては、仏教的にも (不殺生戒や不妄語戒すら守れない下類)、また社会的にも忌み嫌われ、差別さ れていた人々である。世間では「悪人」と呼ばれていた人々である。そのような 「いし・かわら・つぶて」の人々を黄金に輝かしめるのが阿弥陀仏の本願であると 言っておられる。
09年12月18日(金) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜E」
 親鸞聖人は「悪人」とはどのような存在だと考えていたのだろうか?(ちなみに 親鸞聖人が書かれた書物の中には「悪人」という語が10回出てくるという。「浄土 三部経」の中には「悪人」という語は3回出てくる)。親鸞研究家である河田光夫さ んは、史料を読み解くことで、ちょうど親鸞聖人が生きられた時代に社会一般の 認識としてどのような人々を「悪人」と呼んでいたかを明らかにされている。
 例えば、1264〜88年頃に編纂されたとされる『塵袋』という当時の辞書に「天竺 ニ「旃陀羅」ト云フハ、「屠者」也。イキ物ヲ殺シテウルエタ体ノ悪人也」という記述 があるという。「旃陀羅(チャンダーラ)」とは古代インドの被差別民を指す。そして それは中国では「屠者」と呼ばれる人々を指した。「屠者」とは、生き物を殺して、 その肉などを売って生計を立てていた人々のことである。そしてその「旃陀羅」= 「屠者」は、日本では「エタ」と呼ばれる人々と同じような「悪人」であるとここでは 説明されている。では、当時日本で「エタ」と呼ばれたのはどのような人々だった かというと、同じ文脈に「「非人」・「カタイ」・「エタ」ナド、人マジロヒモセヌ、オナジ サマノモノナレバ・・」と出てくるように、一般の人と交わらない(交際しない・忌み 嫌われたいた)当時の被差別民だったことが分かる。つまり、ちょうど親鸞聖人 が亡くなられた頃、世間一般では「悪人」とは被差別者のことを指していたという ことである。
 その他にも、5世紀頃に書かれた中国の『法顕伝』という書物には「旃陀羅は、 名づけて悪人となす」とか、12世紀作とされる『阿弥陀経聞持記』には「屠という は、殺をつかさどる。沽はウン売。かくのごとき悪人・・」などという記述が多数出 てくることからも、少なくても世間一般では被差別者を指して「悪人」と呼んでいた ことは間違いないと思われる。
09年12月17日(木) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜D」
 これまでの真宗教団における悪人観では、「悪人」とは「罪悪深重の凡夫」であ ると説いてきた。阿弥陀仏の教え(光明)を受けて初めて知らされる自己のあり のままの姿、それを疑いなく信知する者が「悪人」であると(機の深信)。そしてそ れと同時に、そんなお恥ずかしい私≠救済の目当てとして下さった有難い ∴「弥陀仏への帰依(法の深信)を説いてきた。そしてそれによって妙好人と呼 ばれる篤信な念仏者を多数輩出したと語られてきた。
 しかし一方でそのような信心理解は、信心というものを極めて個人的なレベル に押し込め、彼らが生きている(影響を受けている)社会というものを問わない、 没社会的なものとならざるを得なかった。個人の救い(自らの死後の往生)と、私 を目当てとした阿弥陀仏の救済の有難さ≠ホかりが強調される余り、他者の 苦悩に対する共感やそれを生み出す社会構造というものを問うことの出来ない 信心となってしまった。
 例えば、妙好人新蔵の話がその典型である。ある時、神社の境内で相撲が奉 納されていた。ところが運悪く取り組みの中で力士の一人が大怪我を負ってしま う。それを見た観客達は、きっとこの見物客の中に賎しき身分のものが混じって いるのだ。それで土俵が穢れ、怪我をしたのだ」と騒ぎ立てる。そしてたまたまそ こにいた新蔵が目をつけられ、観客から袋叩きにあってしまう。命からがら家に 辿り着いた新蔵は今日の出来事を妻にこう説明した。「今日、ワシは賎しき身分 の者に間違えられた。しかしそんな賎しき身分の者に間違えられるようなお粗末 なワシのようなものでも、阿弥陀仏は救って下さると仰る。何と有難いことじゃ。 ナマンダブツ」と。
 また、元真宗大谷派の宗務総長であった訓覇信雄氏の「自己とは何かを問うこ とに忙しく、同和や靖国などやっているひまがない」といった差別発言もその一つ である。
09年12月15日(火) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜C」
 仏教が支配のための道具となっていた時代に、法然上人の専修念仏の教えが 広められた。
 法然上人は『選択本願念仏集』の中で「もしそれ造像起塔をもつて本願となさ ば、貧窮困乏の類はさだめて往生の望みを絶たん。しかも富貴のものは少なく、 貧賤のものははなはだ多し。もし智慧高才をもつて本願となさば、愚鈍下智のも のはさだめて往生の望みを絶たん。しかも智慧のものは少なく、愚痴のものはは なはだ多し。もし多聞多見をもつて本願となさば、少聞少見の輩はさだめて往生 の望みを絶たん。しかも多聞のものは少なく、少聞のものははなはだ多し。もし 持戒持律をもつて本願となさば、破戒無戒の人はさだめて往生の望みを絶た ん。しかも持戒のものは少なく、破戒のものははなはだ多し。自余の諸行これに 准じて知るべし。まさに知るべし、上の諸行等をもつて本願となさば、往生を得る ものは少なく、往生せざるものは多からん。しかればすなはち弥陀如来、法蔵比 丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の 諸行をもつて往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもつてその本願 となしたまへり」と示され、これまでの諸行往生の教え(難行道)を廃し、念仏往生 の教え(易行道)を明らかにされた。
 この法然上人の教えが「これまで絶対に浄土になど往生できない。地獄は一定 住すみかぞかし」と思っていた人々にどれだけの喜びと希望を与えたかは想像 に難くない。逆に、これまでの仏教の教えを自らの地位や権力維持のために利 用していた人たち、「俺は仏になることの出来る優れた人間である」と優越感に 浸っていた人たちにとっては甚だ面白くなかっただろう。弾圧は必然であった。
09年12月14日(月) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜B」
 「善因善果・悪因悪果」の仏教の教えは、一歩間違えると、権力者の支配の正 当化を補完する論理となり得る。
 例えば、「十善の天子(君・帝王)」という考え方がある。本来インドでは、帝王 は世のなかに十善を実現すべきであると考えられていた。ところがその思想が 日本に入ってくると、帝王は前世に十善を守った功徳によりこの世の王位を得る に至ったと考えるようになったという(『岩波仏教辞典』参照)。つまり、平安時代 や鎌倉時代の初期頃なら、「天皇や貴族に生まれたのは、その人が前世でそれ だけ善根を積んだからである。逆に、賎しい身分に生まれた者は、前世において 悪い行いをしたからである。諦めよ」と説き、又、「富める者は、現世においても 様々な善を積むことのできる善人であり、来世も必ずええ所≠ノ生まれること ができる優れた人間である。一方、貧しき者は、何一つ功徳を積むこともできな い悪人であり、来世も地獄しか往きようのない劣った人間である」と説いたのだろ う。
 仏教の教えによって社会的矛盾を覆い隠すとともに、来世への希望まで奪い 取ることにより、人々を絶望の中で支配していたということだろう。現代人なら「何 を戯言を」と笑い飛ばすかも知れないが、当時の人々は地獄の存在を真剣に信 じていた。だからこそ絶大な支配の道具となり得た。ちなみに、親鸞聖人以降の 真宗の教えは、来世に希望を与えることで現世を諦めさせるという構造だったの だろう。
09年12月13日(日) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜A」
 通仏教における悪人観は「廃悪修善」と「自己責任」が基本となるという。
 梯実圓和上が「善と悪・善人と悪人」を次のように解説している。「自他に安ら かな幸せをもたらすような行為(安穏の業)を善といい、自他ともに不幸におとし めていくような行為(非安穏の業)を悪とするのが一般的な定義でした。要するに 楽果をもたらす行為を善といい、苦果を招く行為を悪というのです。・・・仏典には 何が善であり、何が悪であるかを詳細に解説されており、とくに人々を悪から守 るために生活の規範として説かれたものが戒律だったのです」「善人とは、仏陀 のいましめを守って悪をつつしみ、善をつかむことによって、自分も周囲の人びと も、安らかな幸せに向かって行くような生活をしている人のことであり、悪人とは、 仏陀のいましめに背いて、自他を傷つけ、不幸におとしめるような悪行を日々送 っているものということになりましょう。・・行いの善、悪によって、楽と苦が招来さ れ、悟りと迷いの別が出てくると説くのが仏教の一般的な考え方の枠組みでし た。」(『聖典セミナー歎異抄』より)
 悪いことをすれば悪い結果を招き、善いことをすれば善い結果を招く。だから 善いことをしよう。非常にわかり易い教えである。しかし一歩間違うと、この善因 楽果・悪因苦果という自業自得の考え方は、「俺が成功したのは、我がそれだけ 努力したからだ。貧しいのは、その人が怠けたからだ。自業自得だ」という現在 の自己責任論まで正当化しかね得ない。一つの原因だけでなく、様々な縁が重 なり合ってはじめて一つの結果が生じるのだという「縁起(因縁果)」として考えて いくべきなんだろう。でないと支配者・抑圧者の論理となってしまう。
09年12月11日(金) 「御同朋の教学〜悪人とは誰か〜@」
  先日、「御同朋の教学を親鸞聖人に学ぶ〜悪人とは誰か」という講義を聞い た。
 「御同朋の教学の構築」は「基幹運動総合計画」の「基本方針」にも明記されて いる。では「御同朋の教学」とはどのように構築していくのか?これまで「教学」と 言えば一部の布教使や学階を持った学者など一部の者の独占物であった。しか し、「御同朋の教学」とは一僧侶も門徒も、それぞれが実生活の中で抱える問題 を親鸞聖人の生き方やみ教えに問い聞く営みのなかで生まれていくものであると いう。「権威や他人任せにしない!」というのが構築の基本であると言える。
 例えば、「他力本願」という言葉が世間では「他人任せ」と誤解されて使用され ているということが度々問題になる。数年前、某カメラ会社が某アイドルを起用し て自社の製品のCM広告に「他力本願から脱け出そう」というキャッチコピーをつ けていたことが問題となり、教団が強く抗議したことがあった。しかし、いくら「そ れが本来の意味ではない!」と強調しようとも実際に世間ではそのように理解さ れている。既に、辞書にまでそのように解説されている。そして何よりもお聴聞を 重ねている門徒さんの中にもそのように理解している人が多い。北陸地方のあ る門徒さんがこんな相談をしたという。「うちの子どもは学校でイジメにあってい る。何とかしてやりたい。でも真宗のお説教では「全て阿弥陀さんにお任せ」と言 われる。やっぱり何もせずに任せておればいいのでしょうかね・・」と。いくら「そう いう意味ではない」「そんなことは言った覚えはない」と僧侶や学者が言おうとも、 現実に多くの門徒さんや世間の人々はそのように聞いてきた(逆に言えば語られ てきた)。真宗の教えをそのように受け止めてきた。最初の定義からすればそれ も一つの「教学」である。
 では、これからどのようにして私たちは「御同朋の教学」を構築していけばいい のか?「そんなこと言っていない!」と自己弁護するのではなく、まずその現実を 受け止め、そこから出発する(検証していく)ことが、「御同朋の教学の構築」の第 一歩になるのではないかという。
09年12月10日(木) 「宗門の長期凋落の原因は同朋運動にあり!=v
 面白い話を聞いた。
 現在の教団の長期凋落を招いたのは戦後の基幹運動、特に同朋運動であっ た。戦後の基幹運動はマルクス主義などの政治イデオロギーに支配され、日本 独自の宗教的伝統や習俗、呪術などを一刀両断してきた。しかし、現在の日本 人の多くは宗教にそういった伝統や習俗、呪術的なものを依然として求めてお り、そのような宗教的欲求に応えることができなかったがために、真宗教団は衰 退してしまった。これまでの運動やそれを支えてきた教学を一刻も早く見直し、一 人でも多くの門徒を獲得すべく新たな運動を展開していかなければならない。
 どのような思想を持っていようともそれは個人の自由である。しかし、自らの職 権を利用しこのような自論を公の場で堂々と吐くことに、その人物のリーダーとし ての資質と、またそれを許してしまう組織というものの質を疑わざるを得ない。
09年12月8日(火) 「法名(戒名)は本当に必要なのか?」
 先日、「法名について」のある研修会で、参加していた門徒推進員さんが「実は 妻が帰敬式を受けて法名を貰ってきた。しかし、受式の際になされた自分の法 名の説明(由来)を聞いて、どうも自分には合わない法名だと思った。ご本山に 何度か変更できないかと問い合わせたが、無理という答えが返ってくるのみ。ど うすればいいか?」と質問された。すると講師の先生が「本山には内緒で、手次 の住職さんに新たにつけてもらえばいい。親鸞聖人だって、何度も自らの名前を 変えておられる(綽空→善信・親鸞等)。自分が名のりたい名前(法名)を名のれ ばいい。なぜ本山が許可しないのか?その理由は一つ。「ご門主様≠ゥら頂 いたものである」という理由だけである。それ以外の合理的な説明などない。あな たの方が正しいのだから胸を張って声を上げていけばいい」とアドバイスされて いた。
 法名調査以来、「法名の本来化」が課題となり、二字法名(釈○○)への統一 や、門徒さんへの内願法名の許可、院号規定の制定などが実施されたきた。 「仏教徒(念仏者)としての名のり」が法名であると。しかし、昨今の「法名の本来 化」が「帰敬式推奨運動」になってしまっている現状を見るにつけ、果たして「法 名を名のる」ことにどれだけの意味があるのか?本当に法名を名のる必要があ るのか?という声も少しずつではあるが上がってきている。ある大阪の住職さん は、自分のお葬式は法名ではなく、俗名でしたいと仰っているという。
 今は、「なんて非常識な」と思うことが、一人の行動をきっかけに、10年後、20 年後にはそれが常識になっていることもあるのだろう。
09年12月7日(月) 「同朋運動としての儀礼を作るG」
 同朋運動としての儀礼とは具体的にどんな形になるのだろうか?今回の先生 は徹底していて、お葬式や報恩講などの法要では色衣や七条袈裟は一切着け ずに、黒衣・五条で通しておられるという。また、内陣への出勤も控え、自らも門 徒さんと一緒に外陣でお勤めをされているという。
 また、ある大阪の組では、組主催の集いで勤行をする際、『正信偈』の巡讃に 門徒さんも一緒に入ってもらったという。集いを企画する際、当時の組長さんが 門徒さんに「どんなお勤めをしたいですか?何でも言って下さい」と訊ねた。する と門徒さんから「本当ですか?どうせ言っても却下するんでしょ」と言われたという (門徒さんが私たち僧侶をどう見ているかがよく分かるエピソードである)。それに 対して「必ず実行します」と組長さんが約束して実現したそうだ。しかし、その組長 さんが退任し、次の次の組長さんの時代になると、また元通り僧侶だけのお勤め に戻ったという。
 来年から親鸞聖人の750回大遠忌が本山でも始まるが、各寺院や組、教区、ブ ロック、本山で行われる法要に、企画段階からどれだけの門徒さんが参画し、ま た、その意向が反映されているのだろうか?大谷本廟の法要で門徒推進員さん が法要参拝者を案内したことが大々的に報道されていたが、本当にあれが「僧 侶と門信徒との課題の共有」、「僧侶と共に門信徒も法要に積極的に参画する」 ということなんだろうか・・・・?
09年12月5日(土) 「普天間移設報道」
 最近の普天間基地移設問題のテレビや新聞の報道を見ていて腸が煮えくり返 ってくる。一体彼らはどこの国のマスコミなのかと思う。首相の優柔不断さに矛先 を向けながら、「沖縄の怒り」とは前置きしつつも、結局最後は「アメリカとの約 束」「アメリカが怒っている」などと、まるでアメリカの新聞やテレビかと勘違いしそ うになる論調ばかりである。でなければ「沖縄は日本ではない」と言わんばかりの 言い草である。エゴと差別心剥き出しの本当に許しがたい報道ばかりである。
09年12月4日(金) 「同朋運動としての儀礼を作るF」
 現在の真宗寺院の建築様式としては、外陣があってその奥に一段高くなって阿 弥陀如来や宗祖、七高僧、歴代住職などの絵像を安置した内陣が一般的であ る。しかし中には、親鸞聖人から数えて第8代目の門主であった蓮如が建てたと される京都の山科本願寺(現在の山科別院)の様式は少し違う。外陣と内陣の 段差がないという。これを「平座」という。もちろんお勤めをする時は、住職である 蓮如が内陣に座り、他の僧侶や門徒は外陣に座って参拝したと推測さ、不徹底 と言えばそれまでだが、一応、僧侶(門主)と門徒(一般僧侶)との間に存在する 差≠ニいうものを取り払おうとした努力の跡が覗える。これを「蓮如の平座精 神」と言うらしい。(一方で蓮如は、一門・一家衆と呼ばれる、法主の血筋を引く 家柄を特別扱いし、後の教団内身分制度の基礎を築いた人物であることも忘れ てはいけない)
 これまで私が真宗の教えを学んだ学校の授業などでは、「真宗寺院の特徴は、 他の宗派に比べて内陣よりも外陣が広い。それは、浄土真宗の寺院が聞法の 道場であり、真宗が一部の人(僧侶)のための寺院(教え)ではなく、全ての人に 平等に開かれた寺院(教え)であるからだ」と非常に肯定的に教えてもらった記 憶がある。私自身、少し誇らしげに聞いていた。しかし実際には、その建築様式 を見ただけでも、僧侶と門徒、また僧侶と僧侶、門徒と門徒(男と女)との間に大 きな差≠ェ存在していることに改めて気づかされた。
 今、教団の運動方針である「開かれたお寺」とは、山門の門を常に開けておくこ とでないのは言うまでもなく、一人でも多くの人に(懇志を持って)寺に来てもらう 努力をすることでもないのだと思う。そういう真宗寺院の中に歴然と存在する 差≠取り除くことなのかも知れない・・・
09年12月3日(木) 「同朋運動としての儀礼を作るE」
 ある勤式(お経や法要・儀式の先生)は「内陣は僧侶にとっての舞台である」と 生徒達に教えているらしい。外陣にいる門徒が観客であるなら、内陣でお勤めを する僧侶は諸仏を演じる役者、若しくはステージに立つ歌手ってところだろうか?
 そもそも一般の門徒さんたちは、内陣で色衣を着、時には葬儀などで金襴の袈 裟を着けてお経を唱える僧侶を外陣からどのように見ているのだろうか?「なぜ 坊さんだけ内陣やねん」というのはおそらく少なく、「立派やな」とか「華やかや な」、「すごいな」と思っている人が多いのかも知れない。中には「死者を成仏させ てくれる力を持った人」とか「自分達よりも仏(浄土)に近い人」、「やっぱり自分達 (門徒)とあの人達(僧侶)は違う」とか思っている人もいるかも知れない。僧侶の 側がいくら「そんなんじゃない」「ただ演じているだけ」と声を大にして言おうとも、 受け取る側がどう感じているかは聞いてみないと分からない。
 年間を通じて営まれる法要を通して今の形の儀礼(僧侶が内陣・門徒は外陣) を視覚を通して脳裏に焼き付けることで、知らず知らずの間に門徒さんの中に 「僧侶の権威」というものが内面化されていくのかも知れない。
09年12月2日(水) 「同朋運動としての儀礼を作るD」
 現在、本願寺派の法要では僧侶が内陣に出勤してお経を唱え、門徒は外陣か ら参拝するのが一般的であるが、類聚でその席次を決めることは論外として、は たして僧侶が内陣で経を読むことまでもが差別と言えるのかどうか?「差別でな い!」という主張に次のようなものがある。
 ある学者(宗教学の専門)は、48願の中の第17願を根拠に次のように擁護して いる。「浄土真宗の場合、聖なる儀礼空間は、阿弥陀仏の第17願のはたらきを 表現していると見ることが真宗儀礼の一つの基準になるのではないかと私は思 っています。第17願には衆生という言葉は出てこないのですが、阿弥陀仏が、十 方の諸仏に、「南無阿弥陀仏」にこめた広大無辺な徳を讃嘆させ、それを十方の 衆生に聞かしめることによって、人々の疑いの心を破り、信心を与えていこうとい うことが表現されています。これを本堂での儀礼空間に見立てると、内陣がお浄 土、結衆が諸仏で、お浄土の世界で阿弥陀仏を荘厳している。そして外陣の参 拝者は、そのはたらきのまま称名念仏する十方衆生となるわけです。要するに 阿弥陀仏の大行の世界、阿弥陀仏のはたらきはが儀礼空間全体で表現されて いるわけです」(『季刊聖典』NO.67)
 非常にわかり易い説明であるが、要するに、「浄土=諸仏=結集=僧侶」& 「娑婆=衆生=門徒」という構図である。そして、そこに諸仏を演じる僧侶とその 教化に預かる門徒という構図が見え隠れするような、しないような・・・
09年12月1日(火) 「同朋運動としての儀礼を作るC」
 本願寺教団が同朋教団ではなく差別教団であったことを証明してきた堂班制 度(僧階制)。敗戦後、社会の民主化の流れの中で一旦は廃止され、衣が黒衣 に統一され時期もあったが(1949〜55年)、直ぐに教団の財政確保を理由に類 聚制度となって復活することとなったという。そして現在においても教団は、各教 区からの建議や中央基推などでの議論を横目に、未だに同制度を廃止するに は至っていない。教団の言い分は、「廃止してやってもいいが、その代わりに類 聚によってこれまで教団が得ていた金を、護持口数などの賦課金に上乗せして もいいのか?その覚悟があるなら廃止も考えてもいいが、その覚悟もないくせい に、差別制度だと言って批判するな!」(某教団幹部発言参照)といったところだ ろうか?まさに「金の為に差別制度を作った。差別が嫌なら金を出せ!」という論 理である。
09年11月27日(金) 「同朋運動としての儀礼を作るB」
 黒衣同盟とは、全国水平社の運動に呼応する運動として奈良教区内に所属す る僧侶・広岡智教らを中心に設立された団体で、「僧侶の水平運動」とも位置づ けられている。その宣言文の要約が当時の『大阪時事新報』(1922年11月23日 付)に掲載さたという。
 「水平社の主張は我等同族の檀徒が水平運動より発する痛酷な叫びである。 吾人はこれと呼応して黒衣同盟を起こして反省を促す。両本願寺が堂班の売り つけに席心する何たる非宗教的な行為か。我等檀徒は本願寺の圧迫から解放 される時が来た、色衣をすて、黒衣にうつる時が来た。そして我々は親鸞に帰る 時が来たのだ、・・・我等は白衣と金襴の袈裟や堂班的階級を捨てて非僧の愚 禿親鸞になるのだ、嗚我が尊い親鸞聖人に果たして階級的差別があったか、諸 師よ、心濫觴委任は黒衣のまま、田夫野奥の姿で同族の手を握って熱い泪をそ そがれたのである、我等は同族の募財拒絶と共に同族寺院の黒衣同盟を○○ するのだ、そして親鸞を冒涜する反逆者たる本願寺の当局と戦うのだ、最後に 云う、我々は断然黒衣同盟の連合力を培養し、以て水平運動の急先鋒たるので ある、而もこれは単なる水平運動の共鳴にあらずして、やがて親鸞の真心に帰 るのである、起て同族寺院の住職諸師−吾人の目的とこの宣言とが本願寺の 意向と相違しても我等は段々乎として自由に且つ積極的に我等の趣旨を貫徹実 現する事に努力せねばならぬ、黒衣こそ我等同族が聖親鸞に帰った象徴であら ねばならぬ」
 当時の黒衣同盟は、水平社が掲げた募財拒否の運動に連帯すると同時に、 教団内の身分差別である堂班制を批判し、色衣や金襴の袈裟を廃止して黒衣を 着用することが、本願寺教団が親鸞に帰る象徴になるのだと主張し、同朋教団 としてのあるべき姿を目指す運動でもあったことが分かる。
 ちなみに、当時、西本願寺の管長代理であった大谷尊由氏は「色衣を嫌って黒 衣で通していた」(『中外日報』1923.1.13)という。しかし、それに対して広岡智教 氏は「尊由師の黒衣も不徹底です。黒衣をつけるならば宜しく平僧と同様下座に 着くべきです」と喝破したという。(『同朋運動資料T』より)
09年11月26日(木) 「同朋運動としての儀礼を作るA」
 先日、大谷本廟で行われた「親鸞聖人750回大遠忌法要」では、結衆(明著堂 の内に着座)は結衆衣体を来て七条袈裟が着けて出勤したという。一方、列衆 (明著堂の縁側に着座)は、僧班衣体を着て、五条袈裟を着けて出勤したとい う。ちなみに、導師(調声)は門主が勤め、紫色の色衣に七条袈裟を着けたてい たとされる。
 「結衆衣体」とは、衣の色によって一般僧侶の本山への経済的貢献度を目に 見える形で表現しようとする類聚制度やその前身である衣の色によって僧侶の 身分(上下関係)を目に見える形で表現しようとする堂班制度に対する教団内か らの批判に応えて、本山や別院など直属寺院において勤修される法要で、主に 内陣に出勤する僧侶が着る衣として作られたという。衣の色を一色に統一するこ とで、僧班の違いが分からないようにしているのが特徴である。歴史は古く、 1961年に行われた宗祖700回大遠忌法要で既に着用されていたという。また、 1923年に行われた立教開宗700年の法要では、当時、全国水平社の運動に呼 応する形で奈良県内の一部の被差別部落寺院の僧侶が中心となって結成され た「黒衣同盟」から堂班制度に対する批判を受けた本願寺が、苦肉の策として 「参列者には白の素絹を揃いで着せることに決定した」と「中外日報」(3月21日 号)が報じているという。
09年11月25日(水) 「同朋運動としての儀礼を作る@」
 先日、「同朋運動としての儀礼を作る」というテーマである先生から話を聞い た。
 宗教といえば「儀礼」が付きものである。「儀礼」には「見えないもの」を「見える もの」にする機能があるという。例えば、教えの内容というものは目には見えな い。その目には見えないものを少しでも伝えようと僧侶や布教使は苦心しながら お説教(言葉による伝道)をする訳であるが、やはり目に見える形で視覚に訴え かける「儀礼」には敵わないという。「儀礼」を通して繰り返し見せることで、伝えよ うとする内容を人々の中に意識付けていくことが出来るという。
 また、宗教教団は、その「儀礼」を通して、その組織の秩序が何によって存立し ているかを表現するという。例えば、仏教の場合、「出自を問わない」という出家 の儀礼を通して平等というものを表現していく(横の儀礼)。また、宗教によって は、「まつらふ(服従)」という行為を通して「上下の秩序」を形成していくのだと(縦 の儀礼)。
 さて私たちの浄土真宗の場合、私たちの「信心」が「儀礼」となって現れてくるこ とになる。そして、それは逆に言えば、現在行われている「儀礼」を通して私たち の「信心」の内容も見えてくるということでもある。現在、教団や各寺院で行われ ている「儀礼」を一つ一つ検証していくことで、私たちの「信心」の内容、教団や寺 院がどのような「秩序」によって維持されているのかが明らかになってくる。
09年11月21日(土) 「高齢者差別」
 先日ある福祉研修会に参加した。社会福祉士さんから介護の現場について話 を聞いた。その中で、ご講師から「85歳になった自分を想像しながら考えてみてく ださい」と言われ「(その時)どこで、誰と、どんな風に暮らしていますか?(施設か 在宅か)」「どこで、どんな風に死にたいですか?」「自分の葬儀に希望することは ありますか?」等について参加者で話し合って下さいと言われた。大概の意見は 「出来れば畳の上で死にたい。でも家族のことを考えたら施設でもいい」とか「延 命治療をせずにポックリと死にたい」、「葬式は家族葬で。お墓も要らない。散骨 でもいい」というものだった。そして必ず付け加えていたのが「家族や子どもに迷 惑をかけたくない」「近所の世話になりたくない」というものだった。
 皆、聞き分けのいいお利口さん≠ネお爺ちゃんやお婆ちゃんになるつもりな んだなと感心しながら聞いていたが、捻くれた私のこと、更に設問になかった余 計なことまで想像してみた。もし85歳の私がこの場の皆の意見発表を聞いていた としたら、一体どう感じるだろうかと。「家族に迷惑をかけるな」「早く施設に入れ」 「ポックリと死んでくれ」「死んだ後の面倒まで見ないぞ」と若い人たちから言われ ているような気がしてきた・・。
 「他人に迷惑をかけたくない」とは、逆に言えば「俺(私)に迷惑をかけるな!」と いうことかも知れない。私たちはこれまでそうやってお年寄りを差別し、社会から 排除しようとしてきたのではないのか?そう考えると、何もお利口な≠ィ爺ちゃ んにならなくてもいい!偏屈で、頑固な年寄りでもいいじゃないか!人間が生き るとは誰かに迷惑をかけることだ!と開き直ることも大事かなと思った。
09年11月20日(金) 「『念仏法難八百年を考える』を読むA」
 『念仏法難八百年を考える』の中に阿満利麿さんの基調講演が収録されてい る。その中で阿満さんは、権力者はその体制(秩序)を維持するための手段とし て、その集団の中において必ず誰かを排除し差別すると言う。例えば、部落差別 というものは、「体制側、すなわち一部の人間が造った秩序に賛成するか反対す るのか、体制側の人間であるのかないのかということを明らかにするために必要 だった」と。「秩序から疎外された集団というものを造って、それを踏み絵にさせ る。お前たちは、被差別部落の味方なのかどうかという形で、体制側の人間かそ うでないかを試したきた」と。そして、日本という国のは、「天皇」という特定の血筋 の人を頂点に秩序を形作ってきた歴史があり、その血筋から排除された人をつく って、そこからどれぐらいの距離があるかということで秩序を保ってきたと説明さ れていた。そしてそれに関連して、参加者に対して、それぞれが所属する教団の 秩序がどのように維持されているのかを考える必要があるのではないかと問題 提起だれていた。
 なるほどと思った。私たちの教団もまさにそれに当てはまる。同朋教団である はずの教団が、世俗の差別を肯定し、被差別部落の寺院や僧侶を「穢寺・穢僧」 と呼び、教団内から排除並びに差別してきた歴史がある。おそらくそうすることに よって「本願寺教団は体制側の人間ですよ!」と言ってきたのだろう。
 更に、教団は世俗の差別構造自体を自らの内に取り入れることによって、自ら の秩序までも維持しようとしてきたのではないか?大谷家という特定の血筋を頂 点にした組織を形作る一方で、その対極にある「穢れた寺」「穢れた僧」を作り出 し、一般の寺院や僧侶、門徒がどれだけ彼らを差別するかによって、教団に対 する忠誠度を見定めて来たのかも知れない。
 確かに、今はもう「穢寺」や「穢僧」というものは存在しない。一見、民主化され たようにも思う。でも本当にそうだろうか?「下」を排除・差別し貶める代わりに、 「上」を殊更持ち上げ、賛美する風潮が最近教団内にあるような気がする。例え ば、「上」の人が書いた本をどれだけ買ったか、何冊売ったかが、その人の忠誠 度をはかるバロメータになるとするならば、まさにそれこそ「愚かなる力」と言わざ るを得ないだろう。
09年11月19日(木) 「『念仏法難八百年を考える』を読む@」
 『念仏法難八百年を考える』(探求社)を読んだ。この本は、真宗大谷派・本願 寺派・浄土宗・西山派など念仏の教えを拠り所とする宗派の有志が、07年〜08 年にかけて開催した「集い」と「シンポジウム」の講演録をまとめたものである。
 その中で浄土宗の安達俊英さんが「承元の法難」について非常に分かり易く説 明されていた。まず安達さんは、大阪大学の平雅行さんの論文を引用しながら 「承元の法難」とは思想弾圧であったと押さえた上で、そのカラクリを次のように 説明される。専修念仏とは「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えるだけで全ての人が 阿弥陀仏によって平等に救われるという画期的な教えであった。しかし、その教 えはそれまでの宗教的ヒエラルキー(権威)を崩壊させる危険性があった。
 例えば、安達さんのお寺では毎月命日には檀家さん家を訪れ月参りをする習 慣がある。その時に、安達さんは主に『仏説阿弥陀経』を約20分かけてお勤めす るという。でも、よくよく考えてみると、専修念仏の教えからすればそれは余行で あるはず。法然上人の教えに従うなら、約20分間お念仏を称える方が正しい。で もそうしない。なぜか?難しいお経を称えることによって僧侶としての宗教的権威 を保つことが出来るという一面があるからだという。あの難しいお経をスラスラと 唱える。出来ることなら経本を見ずに諳んじてみせたらもっと檀家さんは僧侶とし ての自分を尊敬するかも知れないと・・・。そう言えば、以前、仲間内の僧侶で、 法事の時にどんなお経を唱えるかという話になったことがある。私のお寺では、 門徒さんも一緒に唱えられるようにと、出来るだけ「正信偈」や「礼拝のうた」、 「阿弥陀経」を唱えると言った。するとある人が、「あまり優しいお経ばかり唱える のも考えものである。一つぐらい門徒さんが唱えられないような難しいお経を唱え ておいたほうがいい。そうでないともう坊さんには来てもらわなくてもいい!となっ てしまう」と仰っていた。やはりああいうのも無意識に僧侶としての自らの地位(権 威)を守ろうとする現われなのかも知れない・・
 まあ、それと同じような構造で、当時の仏教では、称名念仏はもっとも劣った者 が行う最低の行であった。戒律を守ったり難行を行うことが最高の仏道であり、 また、同じ念仏でも、理観の念仏が最高とされ、称名念仏はそれらを修めること の出来ない劣った人間がする最低の行と信じられていた。南都や比叡山の僧侶 達は、「自分達こそ難行を修めることの出来る優れた人間であり、仏にもっとも 近い尊い存在である」と思っていたに違いない。ところが法然上人の専修念仏の 教えは、全ての人が念仏一つで同じように往生出来る。そこに人間の上下優劣 はないと説いた。その教えは当然これまでの宗教的ヒエラルキー(権威)を否定 するもので、反発を招くこととなったと。ちなみに、専修念仏教団を直接弾圧した のは政治権力である朝廷であった。その理由は、当時の政治的権力と宗教的権 力はかなりの部分一致していたからだという。比叡山の座主(トップ)などは貴族 出身者しか就けず、又、寺社は寺社で大きな荘園などを持つなど政治的権力で もあったからだという。
09年11月18日(水)  「釈尊とアウトカーストE」
 大乗仏教は、出家できない在家の人々を対象に「社会的不条理」の解決をめ ざした仏教であったという。出家者は、釈尊の教団に入ることで少なくても「社会 的不条理」を克服した。あとは「煩悩が見せる不条理」の解決を目指すだけでよ かった。しかし、在家者は「社会的不条理」と「煩悩が見せる不条理」の二つの不 条理を抱えながら生きるしかなかった。出家者と在家者のそのギャップを埋めよ うとしたのが大乗仏教だったという。差別は当然であるとする社会に対して、仏教 の教えはその世間的価値観を相対化していった。その大乗仏教の精神が日本 に伝わり親鸞聖人の浄土真宗の教えにつながっていき、差別は当然であるとす る社会に対して、お念仏の教えはその世間的価値観を相対化していったのだろ う。
 ところがそれを「よし!」としない権力の側から弾圧を受けることとなる。それが 承元の法難だったに違いない。ところが親鸞の滅後、教団が大きくなるにつれ て、本願寺教団は組織防衛に専念することとなる。世間の差別構造を教団内に 取り込むことによって自己保身をはかることとなる。その教学的根拠とされてき たのが「真俗二諦論」であったという。仏法は心の問題、若しくは死後の話であっ て、この世のことは王法(世俗の価値観)に従うという考え方である。しかし「世間 の問題と仏教の問題は関係ない」という信心理解は、まさに大乗仏教の理念に 対峙する閉じた信心論であり、出家主義への逆戻りを意味することとなる。 
09年11月17日(火) 「法名・戒名・院号とは?」
 今朝の朝日新聞の「声の欄」に、母親が亡くなった時に菩提寺から戒名と葬儀 を合わせて110万円を要求され(後に80万円に減額すると説明)、それを断ると 住職から「戒名を授けて本葬儀をしないと、お母さんはお浄土に往けない」と脅さ れたあげく、「出て行け!」と言われ、なくなく祖先代々の遺骨と共に菩提寺を出 たという方の投稿が載っていた。寺は「生前仏の道に功徳を積んだ人間に、位の 高い戒名を与える」と説明するが、実際はお布施を払った後に授かることになっ ている。それなら販売と言ってくれた方がわかりやすいとも言っていた。菩提寺側 の言い分が分からないので何とも言えないが、こんなケースもるんだと驚いた。
 少し前の「中外日報」に、本願寺派の宗会の議事が載っており、その中で門徒 の宗会議員さんが総局に、院号の問題について質問していた。その議員さん は、本山に納める懇志の多寡によって院号を授けることはおかしい。廃止すべき だではないかと糺していた。それに対して答弁に立った総務さんは「数年前に宗 派の院号についての規定を定めた。本願寺派にとって院号とはどういうものであ るかを今後も周知徹底していく」と答えるのみであったという。
 本願寺派では数年前に、教団の法律(宗法)の中に院号に関する規定を明記 した。それまでは、場合によっては一般の寺院がその境内地の整備等に貢献し た門徒に独自に院号(寺院号)を授けるケース等があったが、以後、それを許可 せず、院号を授けることが出来るのは本山だけであると明記した。そして授与の 要件として、「住職や坊守、総代などを数期以上勤めた門徒など宗門に貢献した 人」や「一定以上の懇志を本山に納めた人(主に門徒さん)」に授けるとし、あくま でも院号は世俗の権威や金品によって与えられるものではなく、宗派に貢献した 人に与えら得る褒章であると規定した経緯がある。
 説明する総務さん本人もその矛盾におそらく気づいているんだろうが、要する に本山の財政を安定させたいという意図が見え見えである。門徒さんからすれば 「販売と言ってくれた方が分かりやすい」と言いたかったのだろう。
09年11月16日(月) 「釈尊とアウトカーストD」
 この世には二つの不条理があるという。「煩悩が見せる不条理」と「煩悩がつく る不条理」がある。「煩悩が見せる不条理」とは「生老病死」に代表される苦悩で ある。年を取り、病気になって死んでいくのは避けることの出来ないものである。 しかし、私たちの煩悩はそれを「よし!」とさせない。そこに苦しみが生じる。一 方、「煩悩がつくる不条理」とは、人間の怒りや自己中心性などの煩悩によって 引き起こされう戦争や差別などの社気的不条理を指す。仏教は、前者のみでな く、この二つの不条理からの解放(救済)の道を明らかにする教えだと言える。
 例えば、お釈迦様在世の当時、社会にはカーストという厳しい身分差別=不条 理が存在した。しかし、一たび出家して仏教教団に入ると、もうそこには差別はな い。教団に入ることにより「煩悩がつくる不条理」を克服することが出来た。あと は、教えに従って「煩悩がみせる不条理」の克服を目指すだけでよかった。しか しそれが可能なのは一部の者に限られる。出家できない者は誰がどのようにし て社会的不条理から救ってくれるのかが大きな課題として残った。その課題に応 えるものとして起こったのが大乗仏教だったという。
09年11月15日(日) 「友愛ボート」
 鳩山首相が「友愛ボート」なる構想を発表した。災害や紛争が起きた際に、自 衛隊の艦船にNGOや民間ボランティアなどを乗せて駆けつけ、迅速に救助や医 療行為を行うのだという。
 まだ内容がよく分からないが、各紙の反応が面白かった。朝日新聞などは事 実を淡々と伝えるだけ(11/15)。特に面白かったのが産経新聞で、今回の構想 は、自衛隊の海外派遣に加えて、その活動に民間人をも巻き込むとして今後、 議論が起きるだろうとコメントしてあった(記事)。
09年11月14日(土) 「普天間基地の移設先」
 昨日からオバマ大統領が日本に来ている。今回の首脳会談では、日米の最大 の懸案である普天間基地の移設問題は棚上げにしたままで、日米同盟の重要 性を確認するという。
 今朝の情報系の番組であるコメンテーターが普天間の移設先についてこんな 提案をしていた。関西には、関空と伊丹空港、神戸空港の三つの空港がある。 どの空港も客の取り合いで赤字経営が続いているという。それに対して大阪の 橋下知事が伊丹空港の廃止を打ち出し、様々な議論を呼んでいる。それについ て彼は、「私は普天間の移設先として関空が良いと思う。橋下知事が提案すれ ば私は諸手を挙げて賛成する」と言っていた。
 なるほど。日本国土の僅か数パーセントの沖縄に、在日米軍基地の75%が押 付けられている。騒音や犯罪など戦後ずっと沖縄だけに負担が押付けられてき た。もはや「抑止力」だとか「基地によって沖縄経済が潤っている」と言った物言 いは通用しない。もしそれでも日本国民が日米安保が必要だと言うのなら、「関 空に!(神戸空港でもいいが・・)」という議論だってあってしかるべきである。あそ こなら海上だし騒音の影響も少ない。米軍基地が来ることで、橋下知事が言うよ うに大阪のベイエリアも活性化するかも知れない。それにもう埋め立ててしまって いるんだから、資金などその他諸々の問題もクリアー済みである。もちろん犯罪 や事故等のリスクも高まるだろうが・・・。
 必要だけど自分の近くは嫌!誰かに負担だけ押付けて、後は見てみぬふり。 まさにゴミ焼却場や火葬場などと同じ問題である。
09年11月13日(金) 「釈尊とアウトカーストC」
 見てきたように、お釈迦様のお弟子にはあらゆる身分の者がおり、なおかつ平 等に扱われていたことが分かる。
 例えば、『増一阿含経』というお経にも「たとえば、もろもろの大河あり。いわく、 ガンガー、ヤムナー、アチラヴァテー、サラブー、ミヒーなり。これらは大海にいた らば前の名姓をすてて、ただ大海とのみ号す。かくごとく、バハーラーダよ、クシ ャトリア、バラモン、バイシャ、シュードラの四姓あり、彼ら、如来の説くところの法 と律とにおいて家を出でて出家せば、前の名姓を棄て、ただ沙門釈子とのみ号 す」(ブックレット基幹運動『法名・過去帳』より)という文言が出てくる。
 さらに注目すべきは、同じよう文言がが『摩訶僧祇律』という戒律の聖典の中に も出てくることだという。「比丘よ、たとえば、恒河も、遥扶も、那薩も、羅摩醯も大 海に流入すれば、皆本の名を失い合わせて一味と為し、名を大海というようなも のである。汝等もこのようなものである。各おの本の姓を捨てて皆同に一姓沙門 釈子となす」と。経典というのは主に教えの根本(理念)を説いたものである。一 方、戒律は、仏弟子(仏教徒)としての行動の規範を示したものである。仏弟子 にとっては戒律は絶対的なものである。
 ややもすると、私たち僧侶は、教えと実際の行動とを上手に使い分けて暮らし ていることがある。お寺の本堂では神妙な顔で有難い教えを説くが、いったん庫 裏(くり)に戻ると俗世間の価値観にどっぷり浸かって生活していることがある。 「食事を頂く前には仏様に感謝して手を合わせましょう!」と信徒の前では言いな がら、自分は合掌したことがないといったケースなどである。本音と建前を上手 に使い分けている(おそらく、これが私たち僧侶に対する世間の人々の不信とな っているのだろう)。
 しかし上の場合、経典という理念の部分はさることながら、戒律という実践の部 分でも同じことが書かれている。つまり、理念が行動へ結びついているということ である。「宗教は心の問題であり、現実の問題とは関係ない」という声がいかに 欺瞞であるかが分かる。
09年11月12日(木) 「釈尊とアウトカーストB」
 お釈迦様のお弟子に尼提という人がいたという。この尼提、もともとは場内の バラモンやクシャトリヤが排泄した糞尿を壷に入れて場外に捨てる仕事をしてお り、経典によっては「旃陀羅児」と訳されていることからも、所謂当時のアウトカー ストに所属する人だったと思われる。ちなみに彼が出家するエピソードを描いた ものに芥川龍之介の『尼提』という小説があるらしい。
 ある時、お釈迦様がこの尼提ら弟子を連れて、コーサラ国のプラセーナジット 王の王宮を訪れた時のこと。いくら一国の王であろうとも悟りを開いた仏陀の前 では「五体投地」といって額を床につける最高の敬意を表す礼拝をする必要があ った。王は礼拝自体に異論はなかったが、アウトカースト出身の尼提が歩いた地 面に平伏すことだけは出来ないと主張した。するとお釈迦様は、逆に尼提に神通 力をあらわさしめて、王が彼に礼拝をするように仕向けたという話が経典(『賢愚 経』巻六)に出てくるという。
 ちなみにこの物語の中で、王がお釈迦様に「なぜ尼提は、あのような「下賎の 身」に落ちたのか」と理由を尋ねる場面がある。それに対してお釈迦様は「過去 世の因縁である」と説明する場面があるという。まさに「悪しき業論」である。本当 にお釈迦様がそう言ったかは別にして、少なくても経典編纂の段階ではそのよう な考え方があったということを証明している。
09年11月11日(水) 「釈尊とアウトカーストA」
 カースト制度による厳しい差別の時代に、お釈迦様は全ての人間の平等を説 いた。そして、実際に当時の仏教教団内には人間の優劣や貴賎はなかったと言 われている(女性差別が克服されていたかどうかには諸説あるが・・)。そのこと を証明する幾つかのエピソードが経典に残されている。
 『賢愚経』(巻四)には、福増という長者さんが、100歳になった時に出家を思い 立ち、教団の門を叩くが、あいにくお釈迦様は不在で、対応した舎利佛をはじめ お弟子方に悉く出家を断られてしまう。それに対して長者さんは次のように嘆く場 面が出てくるという。「優波離(ウパーリ)は理髪を生業とした賎人ではないか。泥 提は下穢の除糞を行うものであったではないか。アングリマーラは数え切れない 人を殺してではないか。それに陀塞羈は大賊の悪人ではないか。こんな者達で すら出家しているというのに、私にどのような罪があって出家することができない のだ」と恨み節を吐いたという。
 この長者さんの言葉には、当時のインド社会の差別意識が読み取れると同時 に、少なくても仏教教団内にはそのような差別はなかった。どのような人でも分け 隔てなく仏弟子となることが可能であったことが分かるという。
09年11月10日(火) 「釈尊とアウトカースト@」
 先日、中国仏教史を専門とする先生から「釈尊とアウトカースト」という講義を聞 いた。
 インドのカースト制度、その前身となる「四姓(バルナ)制度」は、紀元前1500〜 1400年頃にインドに侵入し先住民族を征服していったアーリア人が、自らの血統 と支配者としての地位を守るためにつくった制度だという。例えば、バラモン教の 宇宙観・宗教論・慣習法の集大成である『マヌ法典』(紀元前200〜紀元後200年) には、「チャンドーラ(旃陀羅)」(=アウトカースト)とは「シュードラ(隷民)を父、バ ラモン(司祭者)を母として生まれた子」という定義が出てくる。つまり、シュードラ (奴隷階級)に属する男性とバラモン(支配者階級)に属する女性との間に子ども が生まれた場合、シュードラである父親はその場で死罪にされ、生まれた子はシ ュードラでもなくバラモンでもない身分外の身分=アウトカーストとしてカースト(身 分秩序)の外へ排除されるのだという。それによってバラモン(支配階級)として の血統と地位を守るのだという。
09年11月6日(金) 「ダライラマ14世〜宗教家と政治家〜」
 ニュースソースが日米同盟の更なる強化を主張する産経新聞なので、どこまで 真意がを伝えているかどうかは分からないが、もし本当なら非常にガッカリだ。
 沖縄を訪問しているダライ・ラマ14世が、沖縄の在日米軍基地問題について記 者の質問に答え、「アジアを見ると、北朝鮮では核開発が進み、中国も超大国 で、世界のために建設的な貢献ができるはずだが、先が見えない」「米国は民主 国家であり、自由をうたい、正義をスローガンにしている」「沖縄の地域だけを考 えるのではなく、世界的な視野に立った考え方をしていかないといけない」「米軍 の基地がまだ必要とされる時期が続いていると思う」と強調したという(記事)。
 まさに沖縄の現状を容認するかの発言である。被抑圧者・被差別者の苦悩に 寄り添う宗教家としての発言と言うよりも、利害関係・損得勘定を優先する政治 家の発言である。
09年11月4日(水) 「親鸞聖人の生き方に学ぶ〜度牒(どちょう)〜」
 僧籍を得ることを得度(とくど)と言う。そして得度すると度牒(どちょう)と呼ばれ る黄色の袈裟が与えられる。そして本人が死亡若しくは還俗すると度牒は返却し なければならない(本願寺派の場合)。先日、この度牒の歴史について学んだ。
 現在では得度は各宗派の裁量によって行われるが、昔は出家・得度には国家 の許可が必要であった。もともと日本では僧侶とは国家の安泰を祈願する官僧 であった。今の公務員・官僚だろうか。また、昔は僧侶といえば一種の特権階級 でもあった。托鉢や勧進と称すれば全国何処へでも往来は原則自由であり、何 よりも税金が免除されていた。そのため中には、国家非公認のモグリの僧侶も 多数いたという。それを取り締まるために、官僧の身分証明書として得度の際、 国家から度牒が交付され、死亡または還俗の際には返却しなければならなかっ たという。国家による僧侶の管理、それが度牒であった。
 おそらく親鸞聖人も流罪の際には度牒を返却させられたのだろう。否、本心と しては自ら度牒を突き返したと言ってもいいのかも知れない。「もはや国家公認 の僧侶ではない。国家のための仏教ではない」と自ら宣言したのが、「非僧非 俗」の名のりであり、「禿」の名のりだったのだろう。
 ちなみに現在本願寺派では、僧侶が死亡若しくは還俗した際、度牒が見当たら なければ「紛失届け」なるものを本山に提出しなければならないという・・・
09年11月3日(火) 「沖縄と本土=v
 沖縄の琉球新報が実施した世論調査によると、沖縄県民の9割近くが現在の 日米安保条約を破棄若しくは「平和友好条約」「多国間安保条約」に改めるべき だという考えを持っているという(11/3)。正直その多さに驚いた。ちなみに2年前 に読売新聞が行った全国調査によると、現在の日米安保条約が「役立っている」 と答えた割合は66%だった。この開きが意味するところは・・・?無関心?他人 事?差別?
09年11月2日(月) 「北原泰作B」
 ボリス・ゴルバトフというソ連人(当時)が、その著書の中で北原泰作氏が水平 運動(部落解放運動)に生涯を捧げるようになった経緯を次のように書いてい る。
 「(もしかしたら宗教が自分を救ってくれるのではなかろうか?)彼はそう考え た。彼の祖先の宗旨は「真宗」だった。浄土真宗の開祖親らんは職業のための 殺生は差支えないといふことを教えた・・・真宗は彼らの職業を罪業と看做さなか ったばかりでなく、死んだ後も極楽に行かせることさえ約束した。若い泰作は宗 教にこった。仏様の前だけでは他の全ての人々と平等であった。彼は熱心にお 寺参りをするようになった。・・・(ある時)泰作は坊さんに過去帳を見せてくれるや うに頼んだ。そして彼は過去帳の中に自分の祖先について書かれた箇所を見出 した。 しかし・・・彼はブンガイせずには居られなかった。何と云うことだ。 彼の 祖先の名前の横には「(賎称語)」という字が黒々と書き足してあるではないか。 「なぜあなたは・・・・何のためにあなたは死んだ人にまで烙印を押すのです か?」泰作は怒りに声を震わせながら詰問した。坊主は何と答えていゝか分から なかった。泰作がこの世でみじめな暮らしを続けている「(賎称語)」達のために も、そして又あの世に行ってまで烙印を押されている死んだ「(賎称語)」達のた めにも、闘争を始めようと決心したのはその時だった。」
 私たちの本願寺派が、寺院の過去帳に「差別法名(添え書き)」があることを公 に認めたのは1983年の過去帳・法名調査の後である。しかしその存在は既に 遥か以前から指摘されていたということだろう・・・
09年11月1日(日) 「北原泰作A」
 北原泰作氏は岐阜の真宗門徒の家に生まれている。そんな北原氏の著書に 次のような一節がある。
 「部落の住民はすべて浄土真宗の門徒であるが、老人は特に熱心な信者であ った。現世の苦悩は前世からの宿業だと信じている彼等は、ひたすら死後の世 界に救いを求めて極楽往生にあこがれた。・・・西本願寺の布教師という肩書き を持つ僧侶がその法要に招かれて、説教の高座にのぼった。−鶴の脚は長い 脚、亀の脚は短い脚、その身そのまんまのお助けじゃぞよ−高座の説教師が抑 揚のある節をつけて法話を語ると、満員の信者達は一斉に合掌して、「おありが とうございます。」といい、「なまんだぶ、まなんだぶ」とお念仏をとなえた。いわゆ る節談説教というやつである。差別と貧乏に苦しむ彼等にとって、無差別平等の 救いを約束する仏の教えこそ唯一の解放の光明であったのだ。 部落のひとび とは貧乏に喘ぎながら、檀那寺を通じて本山から割り当てられる御開山聖人遠 忌法要の寄付や、檀那寺の庫裏の改築費の負担などを、ひとことの苦情もいわ ずに醵出(きょしゅつ)した。わが子を長期欠席させて家事を手伝わせ、学用品 の金をねだるわが子を怒鳴りつけ、小学校六年の義務教育を満足に受けさせな い親たちが、檀那寺の住職の息子が仏教大学に入学して勉強する学費の割り 当てはよろこんで分担するのである。・・・」(北原泰作著『賎民の末裔』)
09年10月29日(木) 「北原泰作@」
 先日、岐阜出身で水平運動(戦後の部落解放運動)の運動家であった北原泰 作氏について少し学ぶ機会があった。私自身、その名前を聞くのも初めてだった が、戦争中、軍隊内における部落差別に抗議して、その改善を求めて天皇に直 訴したことでも有名な運動家だという。
 後年、北原氏は当時のことを「直訴を決意したとき、私は思想的矛盾を感じな いではいられなかった。私は私自身を無政府主義者だとおもっていた。無政府 主義者は天皇の権威だけでなく存在そのものを否定する。ところが私は、天皇に 直訴しようと考えている。それは天皇の存在と権威を肯定する行為ではないか。 天皇と被差別部落民とは身分階層構造の両極を形づくっている。一方の存在が 他方の存在を規定しているのだ。そのような天皇に請願することによって差別が なくなるという幻想を与えたとしたら、大衆の中に恐るべき害毒を流すことになる のではないか」と述懐しているのが印象に残った。
 同じ言葉を聞いたことがある。教団の同朋運動に取り組んでいる先生の言葉 である(私が直接聞いたわけではない。又聞きである)。「私は、権威から距離を とるため、どんなに内容が優れていても門主の消息を自分の文章には引かな い」
09年10月28日(水) 「さらに下を掘れ≠b剞エ原和博」
 西本願寺の大谷光真門主の『愚の力』(文春新書)を読んだ。少し内容が観念 的かなとも思ったが、難しい浄土真宗の教義を平易な言葉で説明してあったよう に思う。
 その中に、「(現代人の多くが)ひとたびどん底に落ちると、そのどん底に何が あるかを考えません。助けてくれる釣瓶が下りて来ないかと考えてばかりいる。ど ん底だと思ったら、どん底の底を掘ればいい・・」という箇所があった。同じ言葉 を、昨年プロ野球を引退した清原和博も言っていた。人気タレント・オードリーと 共演するCMで、春日が「どん底のときはどうすればいいですか?」と真面目に尋 ねる。すると番長清原が「更にもっと掘れ!」と言う場面がある。当時は、大阪人 らしい洒落かなと思っていたが、今になって深い意味があったんだと思った。
 清原と言えば、1年生からPL学園の4番に座り、夏の甲子園で優勝。3年間で2 度の優勝・2度の準優勝を果たすなど輝かしい経歴を持ったままプロ野球の世界 に。ところが当初希望していた巨人への入団が叶わず涙ながらに西部入り。そ の後、FAで巨人に入団するものの怪我などで成績を残せず追われるように退 団。その後、仰木監督によってオリックスに入団するものの、結局最後まで怪我 との闘いで思うような成績を残せないまま昨年プロ野球を引退した。
 今にして思えば、表には出さないが、スーパースターであるが故に、私たち凡 人以上にどん底の辛さを何度も味わっていたのかも知れない。そんなどん底で の経験が「さらに下を掘れ!」という至極の言葉を生み出したのだろう。
 仏教の教えは、苦悩を抱える人間の所に届いて初めて、その人の血となり肉と なるのだろう(清原が仏教徒であろうとなかろうと関係なく)。
09年10月27日(火) 「門徒推進員とは?」
 10月20日号の「本願寺新報」の一面に、先日厳修された大谷本廟での宗祖大 遠忌法要で、会場の誘導・整理などの活動に奉仕する門徒推進員の様子が紹 介されていた。全国の教務所を通して協力を要請し、定員を上回る申し込みが あったという。その活躍ぶりは本山職員や参拝者にも好評で、参加した門徒推 進員さんたちも喜びを口々に語っておられた。よい勝縁に出偶えてたなと思う。し かしその一方、果たしてそれが門徒推進員さんの活動かなとも思った。
 「門徒推進員要綱」には、門徒推進員とは「教団の基幹運動を僧侶と共に実践 する門徒」とあり、また同じく、基幹運動とは「私と教団の体質を改め、差別をは じめとする社会の問題に積極的に取り組み、御同朋の社会をめざす運動であ り、僧侶・門徒のたゆみない本来化の営みであります」と明記されている。
 「僧侶とともに基幹運動を推進する門徒」であるはずの門徒推進員が、「教団 や僧侶にとって都合のいい門徒」になってしまわないことを願うばかりである・・・
09年10月26日(月) 「恩恵と権利A」
 最近、障害児教育現場では特別支援学級や養護学校で学ぶ児童・生徒が増 えているという。これまで障害児教育に携わる教職員を中心に、障害を持つ子ど もも持たない子どもも出来る限り同じ教室・学校で共に学ぶという方針のもと運 動が続けられ、その成果として、学校や教育委員会ではなく保護者の意向を最 大限尊重するという流れを勝ち取ってきたという。ところが皮肉にも最近はその 保護者自身が我が子を特別支援学級や養護学校で学ばせたいと希望するよう になってきているという。
 その一つの原因として親の「関係性の貧困」を挙げることが出来るという。最 近、「障害」の認定基準が低くなってきているという。以前なら「もう少し大きくなる まで様子を見ましょう」と言われていた幼児に対しても、比較的簡単に「障害」の 認定が下りるようになった。そのことが親自身の人間関係を狭まくしているとい う。親は我が子どもを通して色々な人とコミュニケーションをとりながら人間関係 を築いていく。ところが早い段階で「障害」の認定を受けると、付き合う範囲が身 内や同じように障害のある子どもを持つ親などに限られていく。すると当然、入っ てくる情報も限られいく。結果として、「障害を持っている子は養護学校へ!」とい う考え方が既定路線化してしまうのだという。最近は、昔なら「こんな子クラスに 一人や二人いたで」というよう子でさえ養護学校へ通うようになり、そのことが本 当に支援を必要とする子どもの居場所を奪うことも考えられるという。
 いずれにせよ、「だれ一人として排除されない。共に生きる社会の創造」という これまでの運動の願いに反して、早い段階から障害を持つ人に「役に立たない 存在」というレッテルを貼り付け社会から排除しようとする動きが強まってきてい るという。
09年10月23日(金) 「恩恵と権利@」
 昨日、障害者福祉の話を聞いた。福祉というのは「恩恵」ではなく「権利」である とご講師が話されていたのが印象に残った。
 一昨年、奈良県で、知的障害のある従業員を住み込みで雇っていた会社の社 長が、本人に支払われるはずの障害者年金を横領していたとして逮捕された。 また、元従業員などの証言によると、会社では日常的に暴言や暴力があり、住 環境も非常に劣悪だったという。一方で、この会社は中小企業でありながら障害 を持った従業員を11名も雇うなど、先代の時代から障害者雇用に積極的な会社 として評価されることもあったという。しかし、そこにあったのは「障害者を雇用す る(働く権利を保障する)」というよりも「障害者の面倒を見てあげている」という発 想があったのではないかという。障害者に対する「厄介者で世話をしなければな らない人」という認識が「恩恵的」な福祉を生み出していたと。
 同じく今年奈良県では、障害を持つ児童が地元の町立中学校への入学を拒否 されたことに対して、本人と両親が裁判所に提訴するという出来事があった。幸 い教育委員会が折れ、夏休みを前に生徒は地元の中学校に通うことが出来るよ うになった。ここにも障害者の学ぶ「権利」を保障するというよりも、障害者を「保 護」の対象としてしか見ない姿勢が窺われるという。
 昔、よく福祉募金の標語に「恵まれないこの子たちに・・」というのがあった。「恵 まれない子に恵んでやる」という発想である。私たちがめざすべき社会は「同情」 社会ではなく、全ての人の人権が保障され、一人ひとりが「自立」して生きていけ る社会なんだろう。
09年10月20日(火) 「部落差別をどう乗り越えるか@」
 昨日、「部落差別をどう乗り越えるか」と題した研修に参加した。差別が根強く 残る社会で「いかに展望を開いていくか?」という内容だった。
 印象に残ったのは、差別が根強くあるという現状を踏まえて(前提として)、いか にその差別構造に対抗可能な社会(教団)しくみを創っていくかが課題ではない か!という講師からの問題提起であった。具体的な構想として、@人権法体系の 整備(何が差別なのか?人権とは何か?などを規定した法律の整備)A人権委 員会や救済機関などの創設による社会機能の整備B被差別者(当事者)を中心 としたこれまでの運動の継続、以上の3点が当面の課題ではないかとの提起だっ た。
 @については昨年成立した「ハンセン病問題基本法」や現在草案が練られてい る「障害者差別禁止法」などが参考になるという。Aに関しては、これまでの人権 教育や啓発活動の強化に加え、人権センターや救済機関などの設立によって@ の法律を具体的に活かす仕組みを創る。そして@とAを補完する役割として、こ れまでの差別の痛みを出発点とする運動を継続することで、差別社会でありな がらも差別を許さないという社会を創造していけるのではないかという提起であっ た。
09年10月16日(金) 「カースト制度とヒンズー教(差別と宗教)」
 今朝の朝日新聞の国際面に、インドでヒンズー教のカースト制度の中で「不可 触民」と呼ばれる最下層の人々の仏教への大改宗が起きているという記事があ った。この大改宗、現憲法の起草者であるアンベードカル博士が1956年に約50 万人の「不可触民」を率いて仏教に改宗したのに始まり、現在では、インド国籍を 取得した日本人僧侶佐々井秀嶺氏がしび先頭に立っているという。佐々井氏に よればこれまでにインド全土で約1億人が改宗したとも言われているそうだ。一 方、この動きに対してヒンズー教の側は、「仏教はヒンズー教の一派である」とい う論理で表向きは静観を装っているが、これを「仏教をヒンズー教の一部と主張 することで、改宗後も差別構造を温存しようとしている」と非難する声も上がって いるという。
 このインドのカースト制度、ヒンズー教という宗教によって成り立っていると言っ ても過言ではない。カーストは、バラモン(僧侶)、クシャトリア(貴族)、バイシャ (商人)、シュードラ(奴隷)の階層に分けられ、その下に更に「不可触民」が置か れる。それが親から子へと厳格に引き継がれるという。そしてそのような不合理 な身分差別を正当化しているのが、ヒンズー教の浄・不浄、輪廻、業などの教義 だという。
 かつてアンベードカルとインド独立の父と呼ばれるマハト・マガンジーが不可触 民問題で対立したことがあるという。アンベードカルは、ヒンズー教自体が差別を 支えているとし、そこから脱け出すためには仏教への改宗しかないと主張する。 一方、ガンジーは、カースト制度は健全な分業システムであり、それが正常に機 能さえすれば差別はなくなると主張。また、不可触民を「神の子(ハリジャン)と呼 び、上の階層の者はもっと彼らを尊ぶべきだと諭すなど差別を個々人の心の問 題に矮小化した。
 ヒンズー教の批判ばかりしたが、日本の仏教教団(真宗教団)も差別を支えた という意味では大差ない。被差別民に生まれることは前世の業であるとか、平等 を叫ぶことは社会の秩序を乱す「悪平等論」であるなど、その教えを根拠に差別 を肯定した歴史がある。改宗とまでは言わないが、一度解体するつもりで一から やり直すのも一つの方法だろう。
09年10月13日(火) 「土足参内と奉祝曲」
 千日回峰行を成し遂げた比叡山の行者さんが、京都御所で国家の安泰や皇 室の繁栄を祈願する土足参内という行事が昨日あったという。おそらく現在では 形式上の伝統行事的な意味合いしかないんだろうけど、これも国家仏教の名残 なんだろう。ところで、あのEXILEが「天皇即位二十周年祭典」で奉祝曲を歌うと いうのには正直驚いた。
09年10月10日(土) 「ノーベル平和賞」
 オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した。まだ何もしていないのになぜ?と いう声もあるが、「核なき世界を目指す」と宣言した大統領を後押しする政治的名 意味合いもあるという。
 期待も大きいが、「オバマ大統領はテロとの戦い≠フ主戦場をアフガニスタ ンに移し、今も人々の上に空爆を繰り返している。複雑な気持ちだ」と言ったアフ ガニスタンからの留学生の声も忘れてはいけない。
09年10月9日(金) 「騒音問題⇒煩音問題」
 今朝の「天声人語」に、「目は見たくないものがあれば閉じることが出来るが、 耳は聞きたくないことがあっても自ら閉じることができない。なぜか?」というコラ ムがあった。
 最近、音を巡るトラブルが増えているそうだ。今朝の「読者の声」にも、「公園で 子どもが遊んでいると遊具の音がうるさいと近所の人から叱られた」という投稿 が載っていた。トラブルを防ぐために条例をつくった自治体もあるらしい。
 「騒音」とは別に「煩音」という造語があるらしい。心理状態や人間関係によって 煩わしく聞こえる音だそうだ。例えば、赤ちゃんの泣き声。両親にとっては我が子 が成長する「息吹」として時には心地よく聞こえる。しかし他人にとっては他人の 子どもの泣き声は「騒音」になる。同じ親でも、体調の良い時は「息吹」に聞こえ るかもしれないが、寝不足や疲れた時には「騒音」に聞こえることがある。人間関 係が希薄になればなる程、「騒音」問題ではなく「煩音」問題が増えるだろうとあっ た。
 誰しも自在に耳を閉ざすことは出来ない。また、誰しもが他人に迷惑をかけず には生きられない。社会の中で生きるとは、他者に対する「気配り」と「寛容」が 必要である。そのことを知らせるために、神様は耳をかくのごとく作ったのではな いかと締めくくられていた。
09年10月7日(水) 「人道支援⇒後方支援」
 防衛省が新たに開示した文書により、空自によるイラク派兵の実態が明らかに なった(10/6)。前政権が説明していた「人道支援(イラクの人々のため)」は真っ 赤な嘘で、その実態は米軍への「後方支援(米兵のタクシー)」であり、昨年名古 屋高裁で出された「イラク派兵は憲法9条批判」という判決が実証されたことにな る。政権が変わればここまで変わるものかと驚くばかりである。
09年10月6日(火) 「陣中尊号」
  教務所の倉庫を掃除していたら、中から戦時中の「陣中尊号」がわんさかと出 てきた。おそらく当時、本願寺から教務所に送られ、教務所から各寺院へ。そし てお寺の住職さんが出兵する門徒さんに一人ひとり手渡し、それをポケットに入 れて異国の戦場へ向かったのだろう。「摂取不捨の阿弥陀如来さまがいつも一 緒。安心してお国の為、君のために戦って来い」と言われたのだろうか?当時の 様子を頭の中で思い浮かべていると、何とも言えない気持ちになってきた。「申し 訳ありません」と思わずつぶやいた。
09年10月5日(月) 「「心のノート」の廃止」
 これまで全国の小中学生に配られていた道徳教育補助教材「心のノート」が、 廃止になる方向だという(10/5)。その他にも全国一成の学力テストや導入が検 討されていた教員免許の更新制度も見直されるという。いずれも教育への国家 の介入を強化するために前政権が進めてきた政策である。どうせなら改悪され た教育基本法も復活させて欲しいものだ。
09年10月1日(木) 「宗教者のスタンス」
 現在、「宗報」でに京都新聞の支局長のエッセーが連載されている。手元にな いので曖昧だが、最新号に「地方新聞と宗教教団の役割」みたいな文章が紹介 されている。著者は、地方新聞の役割は大新聞と違って地元密着型であるとし、 沖縄の「琉球新報」(?)の事例を紹介している。新聞のスタンスとして政治問題 には出来る限り「中立」であるという原則があるらしい。しかし、米軍基地を抱え る沖縄の地方紙の基地問題に対するスタンスは違う。「琉球新報」は常に被害を 受けている住民の側に立ち続けている。それが地元紙の地元紙である所以であ ると著者は言う。
 一方の宗教教団はどんなスタンスに立つべきなのか?ある調査によると、人々 が教団や僧侶に期待することは、上から順に「家族を喪った遺族に寄り添うこ と」、「差別をなくすこと」などが並んでいるという。そこから宗教教団や僧侶の役 目は「常に弱者の側に立ち続けることだ」と著者は言う。
 著者の意見に私も賛成である。ところが、昨今の宗教家の言論を見聞きしてい ると、「弱者に寄り添う」(弱者の側に立つ)というよりも、自らを一歩高いところに 置き、深遠な宗教的教義を盾に諸問題を遠巻きに傍観しているようなものが目 立つ。例えば、昨年、「朝日新聞」の「私の視点」欄に掲載された文章などがそう であろうか・・
09年9月30日(水) 「自浄能力の欠如」
 先日、ある研修会で、近代から現代にかけての西本願寺教団と差別について 学んだ。
 明治時代に入り、近代化の幕開けとともに教団はそれまでの差別的な諸制度 を撤廃するなどの改革を実行するが、決してそれは親鸞聖人の教えに基づいて 行われたものではなかったという。1902(明治35)年、和歌山県で差別布教が行 われた際、被差別部落の門徒さんからの抗議を受けた教団は「乙達三十七号」 を達示し「差別をしないよう」全国の寺院・僧侶に呼びかける。しかしその呼びか けの根拠としたのは、宗祖の教えではなく、明治天皇が出した「解放令」だった。 「差別するものは天皇の恩恵に背く、けしからん輩」というものであった。
 第二次世界大戦直後、再び教団は教団の民主化を進める。戦時教学の見直 しや堂班制度の廃止などがそれである。しかしその取り組みも、決してみ教えを 拠り所として自らを慚愧したものではなく、GHQからの要求や社会全体の民主化 の流れに何となく乗ったというかたちでしかなかったという。だからこそ、制度は 改善されようとも教団や僧侶の差別体質は旧態依然のままで、差別事件がなく なることはなかった。
 80年代に入り、過去帳調査をきっかけに解放同盟広島県連と安芸・備後両教 区の間で同朋三者懇が開催され、そこで真俗二諦や業・宿業、信心の社会性が 問題提起され、90年代には、教団内で惹起した連続差別事件を受け、本山並び に全教区にて点検糾弾会が開催される。以後、教団は「私と教団のあり方を見 直し、差別・被差別からの解放を目指して」同朋運動を推進してきた。
 以上、教団の歴史を見てきて気づくことがある。それは良くも悪くも教団が変わ るのは、教団外からの影響を受けた時だということ。天皇の命令であったり、社 会の民主化であったり、被差別者からの問いかけによって、教団はその都度変 化してきた。そこには宗祖の教えに基づいた自らの主体性(自浄能力)というも のはなかった(唯一、同朋運動がその役割を果たそうとしていたが・・・)。
 宗教教団でありながらそこに教えがない。世間の価値観を追従するだけ。まさ に真俗二諦。そんな教団から本当に差別はなくなるのだろうか?戦争を食い止 めることができるのだろうか?
09年9月28日(月) 「伝統と差別」
 立山信仰の一つに、女人禁制だった立山に登る代わりに、女性がふもとの橋 を渡って極楽往生を願う「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」という儀式があり、 明治以降廃れていたものを、数年前から地元住民によって復活したという( )。
 別に伝統行事を否定するつもりはないけど、何か違和感を感じる。「女人禁制」 「極楽往生」・・。そこには、現実社会の中の差別はそのままに、死んだら差別の ない世界に生まれることが出来る!今は我慢しろ!という差別を肯定する「極楽 (浄土)往生」理解が色濃く残っている。
 話は変わるが、最近、宗祖750回大遠忌を控え、教団内において節談説教が 注目されている。高座に座り独特の節回しでご法義を伝える手法が、珍しくも懐 かしくもあり、現代人の琴線に触れている。この節談説教、昔はどこのお寺でも なされていたそうだが、ここ最近は滅多にお目にかかる機会もなくなっていた。そ の理由の一つに、その差別性がこれまでの運動の中で指摘されてきたからであ る。ところがそんな経緯はどこへやら、ここに来て再び脚光を浴び、そして案の 定、問題を起こしている。当人はもちろん、これまでの運動の学びを無視し、お 祭り騒ぎの中無批判に拍手喝采を送ってきた教団全体の責任でもあるのだろ う。
 伝統行事を頭から否定するつもりはない。しかし復活するならするで、現在の 視点からちゃんと検証し、現在の価値観に合うものとして復活して欲しい。
09年9月25日(金) 「鳩山演説」
 鳩山首相が、国連の場で、非核三原則の堅持と核廃絶に向け唯一の被爆国と しての道義的責任として先頭に立って取り組んでいくことを明言した(9/25)。事 実上の国際公約である。日本国民の一人として誇りに思うし、賞賛を送りたい が、まあ「言うは易し行うは難し」である。アメリカの核の傘に守られているという 状況をどう解消していくのか?核の先制使用の禁止などを含めた北東アジア非 核化構想の具体化など、その本気度と手腕が問われる。
09年9月24日(木) 「真宗のお説教」
 昨日はお彼岸の中日だった。布教使さんに法話をしていただいた。親の恩を喩 えに阿弥陀仏のご恩というものを話して下さった。有難い話だった。
 でもふと思った。昔から浄土真宗のお説教ではよく「如来のご恩」を伝えるため に「親の恩」というものがよく喩えに使われてきた。それはそれで有難い。しかし その一方で、常に危うさも持っているような気がする。「親の恩に感謝しなさい」 が、一歩間違えれば「国の親≠ナある天皇に感謝しなさい。大切にしなさい。 尽くしなさい」という滅私奉公的な思想に簡単にすりかえられてしまう危険性があ るのではないか。実際、そういう点で真宗のお説教は先の戦争に大きく協力した のだろう。
 真宗のお説教を通して「親の恩を知っていく」ことに異論はない。しかしそれで 終わってはいけない。「親の恩」がいつのまにか「皇恩」などに摩り替えられて国 家やその戦争に利用されていく。そんなカラクリを見抜いていけるものも本来の 真宗の教えにはあるはずである。ところがそれが抜け落ちたところで「親の恩」 ばかりが強調されてきのがこれまでの真宗のお説教ではなかっただろうか?
 「今の本願寺教団が潰れてなくなったほうが、社会は多少なりとも良くなる と・・・」という言葉が頭から離れない。
09年9月22日(火) 「門徒もの知らずD」
 「門徒もの知らず」とは、「僧侶が門徒にものを知らせずにきた」ところから生じ た言葉であると教えていただいた。
 なぜ僧侶は門徒にものを知らせずにきたのか?神棚を降ろせ!と言うこと、氏 子制度を批判するということは、その前身である檀家制度や家制度を批判する ことにつながる。そしてその檀家制度や家制度を否定するということは、現在の 寺院の存続基盤をも根本からひっくり返してしまう危険性があったからだろう。
 以前、某研修会で、ある人が「差別(制度)に依拠して成り立っているのが現在 の本願寺教団である」と言っていたのを思い出す。別の言い方をすれば、差別が なければ一日足りとも存続できないのが現在の本願寺教団であるということだろ う。だから教団内の差別(制度)を批判し、なくそうとする同朋運動は、必然的に 教団から弾圧される。組織のトップが善人か悪人かではなく、組織を守ること、そ れが組織の最大の使命であり、その存続を危うくするものに牙を剥くのは本能に 近い。それをしっかりと頭に入れて運動をしなければ、運動の方向性を見誤るだ ろうし、簡単に潰されてしまうということだろう。
 同じ研修会で、別の人が半分冗談ぽく、そして半分真剣に言った言葉も忘れら れない。「日本社会は差別など様々な問題を抱えている。本願寺さんではそれら をなんとかしようと運動を展開していると聞く。しかし私は思う。少なくても今の本 願寺教団が潰れてなくなったほうが、社会は多少なりとも良くなると・・・」
09年9月21日(月) 「教えと現実の乖離」
 昨日、42歳の女性が父親を刺し殺すという事件があった。容疑者は「小さい頃 から父親が憎かった」と供述しているという。
 先日、教学伝道センターの浅井成海先生がこんな話をして下さった。ある法座 で、先生が亡き親は「還相の菩薩」であると話された。浄土真宗では、亡き人を 「還相の菩薩」と味わうことが多い。「大切な人を喪った悲しみをご縁として仏法 に出遇うことが出来た」「亡き人が私を導いて下さった」と味わってきた。ところが 法座の後、ある人が「亡くなった父親が「還相の菩薩」なんて絶対にあり得ない」 と先生に叫んだという。「私は小さい頃からずっと父親に暴力を振るわれてきた。 そんな父親が私にとって「還相の菩薩」であるはずがない!」と。
 確かに自分の両親の死を通して仏法に出遇っていかれた方は沢山いる。亡き 親を「還相の菩薩」と拝んでいる方がいるのも間違いない。しかし一方で数は少 ないかも知れないが、先の人のようにそうは受け止められない人達もいる。私た ち僧侶はそんな人がもしかしたらお寺の本堂に座っているかも知れないと少しで も考えて話をしてきただろうか?
 私たち僧侶は現実を無視したところで観念的な教えだけを説き、どこかで自己 満足していたのかも知れない。あらためて現実からの出発ということの大切さを 学んだ。
09年9月20日(日) 「アフガン問題」
 海自によるインド洋での給油活動からの撤退を明言している民主党政権に対 して、代替の貢献案を示すよう米国から求められているという(9/19)。民主党内 では、アフガン国内での民生支援を強化する方向で調整しているらしいが、どの ような形で行うのか?また今の米国を中心とした多国籍軍のアフガン政策に対し て何を発言していくのか?現政権の国際貢献のあり方が明らかになるだろう。
09年9月19日(土) 「西本願寺教団における憲法改定を巡る動き」
 昨日、東京の千鳥が淵で宗派主催の全戦没者追悼法要が勤修された。終戦 の日である8月15日ではなく、日中戦争の契機となった柳条湖事件が起きた9月 18日に勤修することで、被害だけでなく加害の面にも目を向け、「全戦没者」とす ることで敵味方を超えた怨親平等の教えを体現していくという願いが込められて いるのだろう。先の戦争を肯定し積極的に協力してきた教団の戦後責任を果た すという位置づけがあり、それ以外にも、戦時中の消息等を依用しないとか、真 俗二諦の誤った教学理解が色濃く残っていた宗制や教章の改定などが行われ てきた。
 ところが教団の一連の取り組みを見ていると、上記のような過去の問題の処理 は一応行うものの、現在の問題には極めて消極的である。例えば教育基本法が 改悪された時は、一応教団としての見解や要望は出したものの、一番最後の最 後、もう国会で可決寸前というタイミング。国民投票法に至っては可決された後で あった。それも「反対」か「賛成」かではなく、「慎重な審議を求める」といった類の ものばかり。ただ単に「出した」という事実を繕っているだけのような気がする。
 また、「なぜはっきりと○か×決めないのか?」と問うと必ず返ってくる答えが 「教団内には色々な意見があり、宗派として一つの見解を出すのは却って危険で ある」というもの。教団は全体主義ではないと言いたいのだろう。しかし戦争に関 して教団にそれを言う資格はない。個々の僧侶や門徒がどんな意見を持とうが それは自由である。しかし、戦争に協力し、数多くの人々を死に追いやった歴史 を持つ教団に選択の余地はない。二度と戦争を起こさないためにあらゆる手段 を尽くす、それが責任を果たすということである。一部に反発が起きるとか、門徒 離れ、金が集まらないとかは理由にはならない。戦争を容認したり、多くの犠牲 を払わなければ生き残れない教団なら、今すぐに無くなったほうがむしろ社会の ためである。
09年9月18日(金) 「欧州とアジア」
 米国がロシアとの関係悪化を防ぐため、ブッシュ前政権が進めていた東欧へ のMD配備を中止することに決めたという(9/18)。これにより現在進行中の米ロ 間の核軍縮交渉でも進展することとなるという。一方、同じく米国が配備を進める 北東アジアはどうかというと、先日、日本の国産のPAC3が発射実験に成功した という報道があった(9/17)。
09年9月17日(木) 「民主党政権発足」
 民主党政権がついに発足した。まあ、別に民主党支持者ではないのでお手並 み拝見というところだが、個人的には、岡田外相の「北東アジア非核化構想」や 千葉法相が明言した「死刑制度」の見直し議論などに興味がある。その他にも、 鳩山首相の東アジア共同体構想や憲法問題や沖縄の在日米軍問題、今後の国 際貢献のあり方など社民党の主張をどこまで受け入れるのか興味深い。
09年9月16日(水) 「国家と宗教」
  先日、「靖国」問題に関する研修会の中でこんな問題提起があった。敗戦後、 戦前・戦中の反省のもと、憲法によって政教分離規定が定められ、義務教育の 場などでは一切宗教教育は出来なくなった(一般的な知識を除く)。ところが、戦 後も一貫して宗教家が諸手を挙げて招き入れられた公的な場所が2箇所あっ た。一つは教誨師として刑務所へ。もう一つは国立のハンセン病療養所への慰 問布教である。これだけ厳しく制限されてきたのに、なぜ一度も問題にならなか ったのか?
今後、私たちが死刑やハンセン病問題を考えていく上で課題としていかなければ ならないのかも知れない。
09年9月15日(火) 「第23回平和の集い」
 先日、森達也さんをお招きして「第23回平和の集い」を開催した。「これまでの 考え方が一変した」という感想を耳にした。
 森さんは「悪意が戦争を起こすのではない。善意の暴走が戦争を起こす」と主 張し、田母神論文を引き合いにこう仰った。「あれは論文ではなく、幼稚な作文。 彼の言っていることは半分正しく、半分間違っている。あの戦争は自衛のための 戦争であった。それは正しい。なぜなら全ての戦争は自衛の名のもとに行われる のだから。しかしそれはあくまでもこちらの側の論理で、相手の国からすれば侵 略戦争でしかない」と。また、親鸞聖人の「善人なおもって往生をとぐ。いわんや 悪人をや」を引用しながら、昨今のマスコミ報道を含めた善悪二元論を厳しく批 判された。。
09年9月10日(木) 「門徒もの知らずC」
 寺檀制度とはキリシタンの取締りや民衆を管理するために幕府権力によって 作られたものであるが、その権力の犬≠ニして直接民衆の管理を担っていた 個々の寺院と管理される側の檀家との間にも支配・被支配の関係が当然あった だろう。
 「○○村の▲▲左衛門はうちの檀家であることに相違ない」というお墨付きを得 ることは、当時の人々にとって非常に大きな問題であったはずである。万が一人 別帳に記載がなければ、キリシタンとして弾圧の対象になる危険性があるのだ から。「もし寺の機嫌を損ねようものなら・・・」そんな人々の不安が、寺院と檀家 との力関係を決定付けていったことは想像に難くない。実際、享保年間に成立し たといわれる「宗門檀那請合之掟」には、布施や募財に応じない者や、先祖の年 忌法事を勤めない檀家をキリシタンとみなすなどの脅迫めいた文言もあるとい う。
 現在においても葬儀や年会法要が手つきの寺院によって営まれ、ときには伽 藍の立替や改修などのために多額の募財が集められることもある。もちろん正 しいみ教えが永続して伝えられていくためには寺院も必要だし、仏徳讃嘆のため には法要・儀式も必要である。しかしそれが本当にご法義で繋がった寺院と檀家 との信頼関係に基づいて行われているものなのか?それともたとえ無意識であ れ「もし寺の機嫌を損ねたら・・・」といった昔から続く暗黙の力関係によっている のものなのか?一度それぞれの寺院・僧侶が検証する必要があるのではないだ ろうか?
09年9月9日(水) 「門徒もの知らず(番外編)」
 先日、長年本山の中央教修に携わってこられた先生の話を聞いた。昨今、中 央教修や連研が形骸化してきているという話だった。例えば、中央教修では3泊4 日の最終日に、新たに門徒推進員になられた方々の「決意表明」というものがあ るらしい。その内容を分析すると大きく4つに分類できるという。半数近くを占めて 一番多いのが「これから仲間づくりをして寺院や地域で教化活動をします」という もの。二番目が「頑張って聴聞します」といった内容。そして「ビハーラなどのボラ ンティア活動をします」というのが三番目。そして「基幹運動を推進します」という ものが最後にくるという。その先生は、個々の表明はみんなそれぞれ素晴らしい と断ったうえで、「基幹運動を推進する」が一番少ないという現状に中央教修の 現在の課題があると指摘されていた。本来、門徒推進員とは「教団の基幹運動 を僧侶とともに実践する門徒」(門徒推進員要綱)という位置づけがある。基幹運 動・同朋運動を積極的に推進する門徒を育成するためにこの制度が始まったは ず。ところが決意表明を見る限り当初の目的が曖昧化しつつあるのではない か?という指摘であった。基幹運動推進のためにも連研や中央教修を改革して いく必要があるというのが結論だったように思う。なるほどなと聞かせてもらって いた。
 ところが質疑応答の時間に、ある参加者がこう感想を述べた。この方は僧侶で もなければ門徒でもない(たぶん)。連研や門徒推進員という言葉を聞くのも初め てだと言っていた。ところがその人の発言に度肝を抜かれた。その人はこう言っ た。「現在、教団において運動をする僧侶自体が少数派という現状のなかで、は たして「門徒推進員」を育成する必要があるのか?門徒推進員を何とかする前 に、まず僧侶をどうにかするのが先ではないのか?」
09年9月8日(火) 「門徒もの知らずB」
  現人神・天皇を頂点とする国家神道体制のもと、1871年(明治4)年に「国民総 氏子制度」がしかれる。それにより日本国民は一人残らず国家神道の氏子とさ れ、神社参拝や各家庭への神棚の設置が強制され、また伊勢神宮の大麻(お 札)の拝受などが義務づけられる。そして、それに反する者は「非国民」として地 域社会から排除され、国家から要注意自分として弾圧を受けることとなる。
 これまで連研において「神の問題」がテーマとされる時、、大概の場合、この辺 りの歴史的背景が説明され、宗教(国家神道)を利用した国家による国民管理を 批判し、真宗の神祇不拝の教えの素晴らしさが強調されたきたように思う。
 ところがこの国民を管理するための「国民総氏子制度」、そのベースになるも のが既に江戸時代からあったという。それが江戸幕府が定めた「寺檀制度」であ った。「寺檀制度」とは、幕府がキリシタン禁制を徹底させるために、全ての民衆 をどこかの仏教寺院の檀家として登録させ(宗旨人別帳)、その管理を仏教僧侶 が担うという制度である。ちょうど今の戸籍みたいなものである。子どもが生まれ たらすぐに人別帳に登録される。結婚によって他の村へ行く場合はそこの寺に 引継ぎされる。また、死亡した場合は、必ず僧侶が本人であることを確認したう えで(現在の「枕経」の原点とも・・)、法名・戒名を授け人別帳から過去帳に転載 する。もし人別帳に名前がなければ、その人はキリシタンとして弾圧の対象とな るという仕組みであった。この寺檀制度が明治の「氏子制度」として引き継がれ ていったという。
09年9月7日(月) 「門徒もの知らずA」
 「門徒もの知らず」という言葉がある。他宗の人が真宗門徒を揶揄する言葉で あるが、一方の門徒にとっては占いや祈祷をせず、俗信や迷信に囚われない自 らの信仰を誇る言葉でもある。
 ところがこれ以外にもう一つ別の意味があるという。それは「門徒に≠烽フ知 らせ≠ク」という意味があると教えてもらった。連研の場で、「真宗は神祇不 拝。神棚を降ろしましょう」と言われたある門徒さんがこう反論したという。「なぜ 今頃になって降ろせ!と言うのですか?」「私はこれまでお寺の住職さんからも、 訪れる布教使さんからもそんな話は一度も聞いたことはない。」「地域の付き合 いなどもあり、今さら降ろせない」「もっと早く言ってくれていれば・・」と。
 明治時代に入り、国民総氏子制度によって全ての家庭に神棚が強制される。 拒否すれば「非国民」と非難され、まず地域社会では生きてはいけない。まさに 暴力的な強制に他ならない。国全体がそのような雰囲気の中では、さすがの僧 侶も「降ろせ!」とは言いにくかっただろう。しかしそんな窮屈な時代も長くは続か ず、敗戦とともに直ぐに「神道廃止令」が出され、憲法によって「信教の自由」が 保障されるようになった。誰に気兼ねもなく神棚を降ろすことが出来たし、「降ろ せ」とも言えた。ところが先の門徒さんによれば連研に参加するまで一度も聞い たことがないという。なぜ私たち僧侶や教団は戦後長らくこの問題を放置してき たのだろうか?
 「門徒もの知らず」とは、現在では僧侶や教団が長い間「門徒にものを知らせ ず」にきたことを表す言葉だと教えてもらった。
09年9月6日(日) 「門徒もの知らず@」
 先日、教区の「連研のための研究会」に参加した。テーマは「神」について。講 師の先生が言いたかった事を一言で表現するなら、「ゴチャゴチャ言う前に、ま ず僧侶が門徒さんに謝れ」ということだったように思う。
 連研のテーマの一つに「神の問題」がある。浄土真宗は「神祇不拝」の教え。礼 拝の対象は阿弥陀仏一仏であり、他の仏や、ましてや神様を拝むなどもっての 外。それなのに多くの門徒さんの家には仏壇と神棚が同居している。本来の門 徒(門徒推進員)となって、神棚を降ろそう!というのがこれまでの連研であっ た。当然、門徒さんの側の反発も大きくなるし、なるべくややこしいテーマには触 れないでおこうという雰囲気もあると聞く。
 ところが今回の先生は、門徒さんに「神棚を降ろせ」「神社に参拝するな」と言う 前に、まず僧侶が門徒さんに詫びるべきことがあるはずだ!という仰った。講義 の後、ある門徒さんが手を挙げてこう言った。「今回、「神」をテーマに研修会をす ると聞いた時、またこの話か!こんな話何度やっても意味がないと思いながら参 加した。しかし、今日、先生の話を聞いて、自分の考え方が180度変わった。大 切なテーマだと思った。教団は今日のような内容の話を、全僧侶に学ぶようにち ゃんと指導して欲しい」と。
09年9月2日(水) 「社民党の試金石」
 社民党が連立政権への参加の条件として憲法審査会の4年間の凍結を提示し たとかしなかったとか・・(9/1)。当然だと思う。「憲法改悪反対」を党是とするから こそ、みんな社民党に投票したんだと思う。それなのにもし政権与党という甘い 蜜に釣られて公約を反故にしようものなら、「平和の党」を自認しながらイラクま で自衛隊を派兵した公明党やかつての社会党のようになってしまうだろう。
09年9月1日(火) 「新政権の試金石」
 先の衆議院選挙は予想通り民主党の大勝で終わった。いよいよ政権交代、期 待もしているし、不安もある。
 総選挙の翌日、防衛省が来年度予算の概算要求として新型護衛艦の建造費 として1166億円を計上したという(8/31)。同艦は9機のヘリコプターを搭載し、輸 送力も格段に向上するなど、将来の自衛隊の海外派兵を念頭に建設されるとい う。
 前政権の政策の継続として要求されたのだろうが、新政権がどう判断するの か?今後の試金石になるに違いない。注目したい。
09年8月28日(金) 「児童虐待」
 昨日の朝日新聞の社説に、児童虐待が増加している現実が紹介されていた。 昨年、全国の児童相談所が受けた相談件数は約4万3千件にも上るという。2000 年に児童虐待防止法が施行されて以来、権限の強化や専門家の増員なども行 われているが、案件の急増に追いついていないのが現状だという。もちろん国や 自治体の対策や支援も必要だろうが、社会全体で虐待を予防していく努力が必 要だとあった。虐待の背景にある若い親の貧困や家庭問題の解決や、更には育 児の不安や悩みの相談などを、地域全体で行っていくことで、虐待児童を一人で も減らしていくことが出来るとあった。お寺もそんな地域ネットワークの一員にな っていかなければならないんだと思った。
09年8月26日(水) 「戦争の目的」
 戦争で荒廃した国土を復興し、悪化した治安を回復するための資金を得るた めに世界3位の原油埋蔵量を誇るイラクが油田の権益を外国資本に開放し、そ れに群がる外国企業(8/26)。あまりにも話が出来すぎてはいないか?「大量破 壊兵器の脅威」だとか「イラクの民主化」、「イラクの人々のための復興支援」な どと綺麗ごとを並べていたが、結局はコレだったのかもしれない。
09年8月25日(火) 「核武装論の欺瞞性」
 「あの」と言えば失礼かも知れないが、「あの」産経新聞に昨今の核武装論の 欺瞞性を鋭く突いた投稿記事が紹介されていた(8/25)。法政大学の田中優子 教授の投稿である。
 田中さんはこのように言う。核抑止力によって戦争を回避しようとする考え方は 一見合理的ではあるが、余りにも楽観的過ぎると。その根拠として、「すべての人 間が自分の命を惜しんでいる」わけではない。残念ながら「宗教や思想や人類の ために自分が死ぬ」と考える人も現実にはいる。「核抑止力論は、その現実を無 視している」と田中さんは言う。
 昨夜「TVタックル」を視ていたらビートたけしが核抑止論を非常に面白くしかも 分かり易く譬えていた。核武装論者が言っていることは、いつもコンドームを携帯 していることを連れ合いさんにバレテしまった人が「これは万が一のため。決して 使うためではない。これは絶対に使わない」と言い訳しているのと同じだと。
 上手い喩えだと思った。「これは絶対に使わない」と言っている本人が一番もし かしたら使うことがあるかも知れない思っているだろうし、「決して使うためではな い」と言われて「ハイ、そうですか」と納得する人もいないだろう。
09年8月22日(土) 「「日の丸」騒動」
  民主党のどこかの支部が日の丸を切り取って党旗を作ったとして麻生首相が えらく批判を繰り返し、民主党幹部も「とんでもないこと」と火消しにやっきになっ ている。しかしそもそもそんなに大袈裟なことなんだろうか?お子様ランチに着い てくる「日の丸」は子どもにビリビリに引き裂かれ、「日の丸弁当」は最後には食 べられてしまう。そんなレベルの話である。それをあたかもとんでもない事をした と大騒ぎすること自体に、今の日本社会の不気味さを感じる。「日の丸」は神聖 不可侵なもの!敬意を表さない者は非国民!とでも言うのだろうか?
09年8月18日(火) 「総選挙と国民審査」
 今日は衆議院選挙の告示日である。候補者の改憲に対する姿勢をしっかり見 極めた上で投票したいと思うが、同時に、最高裁判所の裁判官に対する国民審 査も同じ視点から慎重に投票しようと思う。
 ちなみに現在、最高裁判事に竹内行夫という人物がいる。竹内氏は外務省の 元事務次官で、在任中には、ブッシュのイラク戦争支持や自衛隊のサマワ派兵 などの外務事務を統括した人物であるという。またその他にも、イラク戦争に反 対の公電を打ったとして元レバノン大使が処分されたり、高遠菜穂子さんらがイ ラクで身柄を拘束されたときに「自己責任論」なるものが日本中を席巻したが、そ の際にも事務次官であったという。
 名古屋高裁で「イラク派兵は違憲」という判決が下されているが、一方で竹内氏 のような人物が法の番人になっていることに非常に不安を覚える。
09年8月15日(土) 「64年目の敗戦の日≠ノ思うこと」
  昨夜、NHKで戦争体験者の体験談を聞く番組が放映されていた。戦後64年、 最近、当時の様子をあえて後世に語り継ごうとする人が増えているという。みん な、80代や90代の高齢者である。特に元兵士の証言は凄まじい。強盗、強姦、 殺人、放火・・・、ゆっくりと重い口を開いていく。長年連れ添った連れ合いさんも 初めて聞く話だと驚く。
 これまで誰にも話さなかっただろうし、思い出したくもなかった、地獄の底まで一 人で抱えて行こうとした辛い過去を、人生の晩年になってなぜ今あえて語ろうとす るのだろうか?静かに考えたいと思う。
09年8月11日(火) 「議論のための議論」
 昨夜、うじきつよしさんの「ボクの父はB級戦犯」という番組が放映されていた。 根っからの平和主義者であるうじきさんと、元B級戦犯であり、当時の戦争の過 ちをはっきりと認めようとしない父親との、親子の葛藤を描いたドキュメンタリ番 組だった。非常に興味深い番組だった。
 それはそうとして、番組の中でディレクターが「敵が攻めてきて家族が殺されそ うになったらボクは戦う。でもそれも戦争である。だからボクは肯定される戦争も あると思う。あなたはそれでも戦わないのか?」とうじきさんに言い寄る場面があ る。それに対してうじきさんがえらく怒る。おそらく演出なんだろうけど、改憲派が よく使う論法であり、一般の人や護憲派の人でも答えに窮する質問である。
 しかし、それはうじきさんも言っていたように「議論のための議論」だと思う。偉 そうに「俺は家族を守る」と言うが、本当に守ることなど出来るのか?最新鋭の 武器と核兵器まで持った敵≠ゥらどうやって家族を守るというか?チャンバラ の世界でもあるまいし。百歩譲って本当にその覚悟があるなら、今から個人的に 戦闘訓練でもすればいい。借金をしてでも核シェルターを購入すればいい。それ すらせずに「俺は家族を守る」なんて言うのは、単なる精神論に過ぎない。独りよ がりであり、ダシに使われる家族も傍迷惑である。
 まあ、所詮、本人も真剣に考えている訳ではなく、それこそ平和の上に胡坐を かいた戯論に過ぎないのだろう。本当に家族を守るとは、絶対に戦争をしないこ と(させないこと)。そのために今、最善を尽くすこと。それしかないはずである。
09年8月10日(月) 「不安ビジネス」
 昨日、テレビで「たかじんのそこまで言って委員会」という番組が放映されてい た。「憲法を変えろ!」とか「核武装しろ!」などいつも好き勝手な事ばかり言って いる番組だが、昨日は田母神元航空幕僚長がゲストとして登場していたので、少 し視ていた。まあ、休日の昼下がりの貴重な時間を割いてまで聞く内容ではなか ったが、別のあるゲストが彼の言動をこう切り捨てた。「あなたは危機でメシを食 っているだけだ!」
 本質をついた一言だったのではないか。最近、過激な発言をするコメンテータ ーや芸能人が増えてきた。その背景には彼らが出演する番組が意外と高視聴 率を取っている現状があるからだろう。だからテレビ局も彼らを無視できない。持 ち上げる。するとどんどんと発言も過激さを増していく。そしてまた視聴率が上が る。そうやって彼らは仕事を得、生活していく。彼らの発言を聞いていると、本人 の思想や信条よりも、結局はカネじゃないのかと思うことがある。
 「安全だ!心配ない!」と言うよりも、「危険だ!大変だ!」と危機を煽るほうが 人は関心を示すしカネも出す。霊感商法などはその典型である。不安を煽り、そ れをメシの種にする。一種の「不安ビジネス」といったところだろうか・・・
09年8月8日(土) 「類聚制度B」
 昔、上岡竜太郎(?たぶん)が司会の番組で、各宗派のお坊さんが100人ぐら い集まり、業界の内実について暴露する番組があった。「坊主丸儲け」というイメ ージに関連して、「この中でベンツに乗っている人は?」という質問に、幾人かの 僧侶が手を挙げた。ゲストから「ほら、やっぱり・・」という声が漏れる。するとすか さず一人の僧侶が「自分は別に乗りたくない。でも檀家さんが乗れと言う。軽自 動車でお参りに行くより、高級車で行ったほうが檀家さんも喜ぶ。うちの寺は他 の寺と違う。檀家さんも鼻が高い。手継ぎの寺の住職がどんな車に乗っているか が、檀家さんのステータスにもなっている」と答えた。すると上岡竜太郎が怪訝そ うにこう反論した。「それでもあなたたちはお坊さんですか?たとえ檀家さんがそ んな理由で「乗れ」と言っても、「それは違う」と教えてくれるのがお坊さんの役割 ではないのですか?そんな世間の価値観を越えた価値観を教えてくれる人が宗 教者ではないのですか?」と。
 類聚の問題もそうだし、院号の問題もそう。私たちの西本願寺教団は「宗教教 団だ!」と社会に胸を張って言えるのだろうか?世間の価値観を越えたところの 出世間≠伝えるはずの宗教教団が、世間の価値観に迎合し、自らに内面 化してしまっている。その過ちを問おうとした同朋運動も、宗祖750回大遠忌を口 実に、潰されようとしている。果たして50年後、100年後、私たちの教団は社会か ら必要とされているだろいうか?
09年8月7日(金) 「核武装論」
 広島に原爆が投下された日に当る昨日、原爆ドーム近くのホテルで、政府見解 と異なる論文を投稿したとして航空幕僚長を解任された人物による講演会があ ったという。そこで同氏は「核兵器を持っているかどうかで国際政治の発言力は 天と地ほど違う。日本が大国として生きていくなら核武装を追求すべきだと思う」 と持論を展開したらしい。どこかで聞いた台詞である。そう、「北朝鮮が・・」を「日 本が・・」に代えただけである。
09年8月6日(木) 「原爆症認定集団訴訟」
 政府は今日にも、原爆症認定集団訴訟の原告全員を救済する方針を表明す るという。麻生首相が広島で原爆被害者に直接伝えるという。
 おそらく政府・自民党は麻生首相のリーダシップを強調するだろうが(ハンセン 病訴訟における小泉首相の「英断」のように・・)、あくまで政府の方針を転換させ たのは被爆者の運動の結果である。被爆者が裁判に提訴し、一審での勝訴を 勝ち取り、それでも控訴した国と闘い続けてきたからこそ、やっと国が重い腰を 上げたということである。
 差別者や抑圧者はその事実を隠そうとする。差別や抑圧は、差別された人、 抑圧された人が声を上げない限り表には出ないし、解決もないということを私達 は親鸞聖人や水平社の人々から学んだ。
09年8月5日(水) 「不当な支配」
 横浜市教育委員会は、市内全18区のうち8区において、来年から使用する中 学生用の歴史教科書として、「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した自由社 版の教科書を採択したという。
 今回の採択では、横浜市の中田宏市長の意向が大きくはたらいたという見方 がある。前回の採択では「つくる会」の教科書は採用されていない。その後、6人 いた教育委員のうち、1人を除いて5人が退任し、新たに中田市長が5人の委員 を任命し、先の1人を委員長にとして、今回の採択が行われた経緯があるとい う。中田市長は、既に「つくる会」の教科書を採択している東京杉並区の山田宏 区長と松下政経塾の同窓生でもあり、「日本人の誇りと自信と夢を回復する」と いう理念のもと「『よい国つくろう!』日本国民会議」という政治団体を立ち上げよ うと計画しているらしい(8/5)。
 戦後、戦前・戦中の反省のもと、「教育が(国家からの)不当な支配に服するこ となく国民全体に直接責任をもって行われる」という規定が教育基本法に定めら れ、その具体的措置として政治(行政)からの独立性を持った教育委員会が創 設されたはずである。それが今、「議会の承認と首長の任命」を隠れ蓑に、再び 不当な支配に屈指ようとしている・・・
09年8月4日(火) 「類聚制度A」
  類聚制度の前身となるものに堂班制度がある。類聚と同じく法要などでの席次 や着用する衣帯の色を本山に上納する懇志額に応じて決めるものである。
 1876(明治9)年、近代化とともに西本願寺教団においてもそれまでの封建的差 別制度を見直し、蓮枝(別格別院)・別格寺・内陣上座・内陣本座・内陣列座・余 之間・脇之間・外陣列座・平僧の9階層からなる堂班が定められる。これにより、 それまの僧階から排除されていた被差別部落の寺院なども経済力によっては上 位の階層にまで昇進することが可能になる。
 ところが、一般寺院に許されるのは内陣上座までであり、それ以上は相変わら ず様親鸞の血脈を引く法主の血族が独占することとなり、教団の募財を支える 売官的差別制度として、全国水平社や黒衣同盟などが強く批判することとなる。
 他方、多くの被差別寺院では、それまでの反動もあり積極的に堂班を上げよう とするケースが見られたが、法要の際に正規の堂班に基づく席次を認めないな どの差別事件も相次いだという。(『宗報』94年6月号「教団の差別事件に学ぶ (2)」岩本孝樹・「部R買うの「堂班」への思い〜近代社会の序列と被差別部落 〜」藤本信隆 参照)
09年7月30日(木) 「類聚制度」
 西本願寺教団には類聚制度というのがある。顕座・親座・直座・特座・正座・上 座・本座・列座の7つの「座」があり、更にそれぞれの「座」が一席から七席まで7 つの「席」に分けられ、合計49からなる階級みたいなものである。一般の僧侶や 寺院は、本山に納める懇志額に応じて、それぞれの階級を割り当てられ(僧侶 の類聚を「僧班」と言い、寺院の類聚を「寺班」と言う)、それに従って法要の際に 身につける衣の色や席順が決められたり、毎年本山に納める冥加金の額が決 まる。例えば一番上の顕座一席の場合、1年間に本山に納める冥加金は10万 4000円、懇志額は2100万円になり、一番下の列座七席の場合、それぞれ7800 円と4500円になるという(『寺門興隆』07年12月号より)。
 長年、この類聚制度、差別か区別かという議論が教団内にあり、ある教団幹部 は「宗派への財的な貢献≠ノ対するもので、差別ではない」とするが、一般の 僧侶の中には「財的貢献はいくらでもしてもらったらよい。しかし財力のあるなし で、(僧侶・寺院に)上下をつけるのはおかしい」という意見もある。
09年7月29日(水) 「法治国家?」
 08年に、日教組の教研集会への会場使用を「右翼が来るから」という理由で拒 否した問題で、東京地裁はプリンスホテルに3億円近い賠償の支払いと、紙聞へ の謝罪広告の掲載を命じる判決を下した(7/28)。画期的な判決だと思う。会場 使用を認める東京地裁の仮処分命令、そしてそれに続く東京高裁の抗告棄却を 無視し、使用を拒み続けたプリンスホテルに対し、「司法制度の基本構造を無視 するもので違法性は著しい」と厳しく非難している点が注目に値する。
 最近同じように司法判断を無視するケースが増えている。それも政治家や公務 員がである。例えば、航空自衛隊のイラク派兵に対して名古屋高裁が出した違 憲判決に対して当時の空幕長であった人物が「そんなの関係ね」と茶化したり、 政府は政府で「不要な傍論にすぎない」と判決を無視する答弁書を出している。 また、05年に大阪高裁が出した小泉首相(当時)靖国神社参拝違憲判決に対す る政府の対応など司法制度そのものを否定する傾向が多々見受けられる。憲法 99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、こ の憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定している。それらを公然と否定する 政治家や公務員がいる国を、はたして民主主義国家・法治国家と呼べるのだろ うか?
09年7月27日(月) 「誕生」
 娘が生まれた。この子の為にも絶対に戦争と差別のない社会、御同朋の社会 を築きたい。
09年7月24日(金) 「ブレ」
 政権交代を目前に、民主党の外交・安全保障政策がブレ始めている(7/24)。 マスコミなどは「現実路線」などと書いているが、今回ばかりは麻生首相が言うよ うに「ブレ」ている。
09年7月22日(水) 「仏教と差別A」
 仏教には250〜350ほどの戒律があるという。修行者はそれを一つ一つ守り ながら悟りへの道を歩むことになる。ところが、それら全ての戒律を誰でもが守 れるわけではない。そこで在家信者が守るべき基本的な5つの戒律がある。これ を「五戒」という。五戒には@生き物を殺してはならない(不殺生戒)A盗んでは ならない(不偸盗戒)B邪な交わりをしてはならない(不邪婬戒)C嘘をついては ならない(不妄語戒)D酒を飲んではならない(不飲酒戒)がある。仏教徒である なら、これだけは最低限守りなさいという戒律である。
09年7月21日(火) 「仏教と差別@」
  先日、織田祐二主演の『県庁の星』という映画がテレビで放映されていた。スー パーを舞台にした映画だったが、みていて気づいたことがある。そこに登場する 肉屋さんが非常に乱暴な「悪役」として描かれていたことでだ。同じような設定 は、伊丹十三監督の『スーパーの女』でもそうだった。そこに登場する肉屋さんは 乱暴で、不正をはたらく「悪人」として描かれていた。
 映画やテレビにおける肉屋さんの描かれ方は、同じような商売である魚屋さん とはちょっと違う。よく料理番組や情報番組などで魚市場が取り上げられることが ある。東京の築地や大阪の魚市場など。ところが食肉の卸市場はまず紹介され ることはない。よくて牧場までである。牛にビールを飲ませるとか、クラッシックを 聞かせるとかまでであり、その後は綺麗に切り分けられた刺しの入った精肉が 登場するだけである。その間にあるはずの、屠場や卸は存在しないかのようにカ ットされている。
 なぜ日本ではそんなふうに肉屋が描かれるのか?おそらくそこに偏見や差別 があるからだろう。そしてその偏見や差別がいつどこで生まれたのか?それこそ 遥か昔、日本に仏教が伝わった時代にまで遡ることが出来るのだろう。
09年7月18日(土) 「戦地派遣・・・変わる自衛隊=v
 先日、地元の弁護士会主催の憲法学集会に参加した。講師は東京新聞編集 委員である半田茂氏。講題は「戦地派遣・・変わる自衛隊〜ソマリア派遣を中心 に」だった。半田氏は、新聞記者として長年、防衛庁を担当してこられ、近著であ る『「戦地」派遣 変わる自衛隊』(岩波新書)が今年の「JCJ(日本ジャーナリスト 会議)の賞(書籍部門)」を受賞したことでも有名である。
 十分な軍事的な知識も長期的戦略もなく「海外派兵」だけが目的の政治家、そ れを逆手に現場の判断でどんどんと実力を着けていく自衛隊。シビリアンコントロ ールが空洞化していく現状を、今回のソマリア派兵を通して話して下さった。
 また上記の著書の中で、政府がイラク・サマワへの陸自派兵を決めた時、陸自 の制服組幹部が背広組の内局や内閣官房には一切内緒で極秘裏に検討してい た内容について暴露している。なんと当時、陸上幕僚監部は戦死した隊員の処 遇を検討していたという。それによると、「隊員が戦死した場合、自衛隊が陸路か 空路で遺体をクウェートまで運び、政府を代表して官房長官がそこまで遺体を引 き取りに行き、政府専用機で日本に帰国する。そして、葬儀は防衛庁を開放し、 一般の弔意を募る。靖国神社に祀るかどうかは遺族の判断に任せる」といった 案が真剣に検討されていたという。法案を審議中、当時の小泉首相が「自衛隊 のいる所が非戦闘地域」と馬鹿なことを言っていたが、その裏で、自衛隊幹部は 派兵の危険度を正確に把握し、それをステップに更なる組織強化を画策してい たことがよく分かるエピソードである。
 今の自衛隊は私たち国民が想像する以上に変化している。政治家の資質やシ ビリアンコントロールの問題も含めて、今自衛隊で何が起きているのか正確に知 る必要があるのだろう。
09年7月17日(金) 「死ぬまで同朋運動=v
 北海道の大乗寺の住職さんが一昨日亡くなられた。住職さんには本当に感謝 している。このHPを立ち上げることが出来たのも住職さんがいたからである。誰 かの指示を待つのではなく、まず自分が動くことを教えてくれた。まず自分が一 歩を踏み出すことで、今まで気づかなかったたくさんの仲間がいたことに気づくの だと教えられた。賛同人と募ったとき真っ先に賛同して下さったのも住職さんであ る。当時は名前も明かさず匿名でのスタートだったけど、どこの馬とも知れない 私のHPの賛同人になり、掲示板にも書き込みをして下さった。私の正直な疑問 をぶつけた時も、ちゃんとメールで返事を下さった。そんな私にとってはかけがえ のない住職さんが亡くなった。
 昨年、夏、思い切って北海道まで会いに行った。体調があまりよくないだろう に、わざわざ出てきて下さり、運動の話や差別事件についての話を熱心に語って 下さった。最後にこう仰ったのが今でもはっきりと覚えている。「私は死ぬまで同 朋運動をやり続ける」
 もうこの世で住職さんには会うことは出来ない。でも住職さんの願いはちゃんと 受け取った。「死ぬまで同朋運動」そんな住職さんの願いを受け継いで、私も死 ぬまで同朋運動をし続けたい。同朋運動を通して住職さんとこれからもまた会い い続けることができるだろう。
 有難うございました。住職さん。これからもよろしくお願いします。 tomo
09年7月16日(木) 「真俗二諦の克服」
  今朝の朝日新聞に、日本のカトリック教会が聖職者に過料を払ってでも裁判員 裁判に参加しないよう勧める通達を出したというニュースが紹介されていた。そ の理由として、一つは、キリスト教の教義が「ゆるし」であること。もう一つは、「そ の人に罪があるかどうかの判断は神だけにあるという信念から、聖職者は相手 の善悪の判断をしない」という立場からだという。ここまできっぱりとした立場を表 明できるのは、「信仰の自由について教会の教えと国家の命じることが衝突した 場合、公権よりも神に従うべきである」という考えがカトリックの中にあるかだとい う。秀吉や江戸幕府がキリスト教を禁教にし、その信徒に激しい弾圧を与えたの もここに理由があるのだろう。
 ところで私たちの西本願寺教団はどうだろうか?裁判員制度の問題は別にし て、信仰(信心)や教義の立場からここまではっきりと社会にメッセージを発する ことが出来ているだろうか?社会の価値観に迎合したり、ややこしい問題にはだ んまり(思考停止)を決め込むなどしていないだろうか?もしそうなら私たちの教 団がこの社会に存在する価値はない!と言われても文句は言えないだろう。
 それはさておき、大法要をするとか国宝がどうのこうといってマスコミに取り上 げられるよりも、今回のカトリック教団のように信仰の上からちゃんと社会にメッ セージを発するほうが、よっぽど良い伝道・教化になると思うが・・・
09年7月14日(火) 「私は改正臓器移植法(案)に反対です」
  臓器移植法の改定案が参議院を通過した。これで、脳死は一律「人の死」とい うことが法律で規定されることとなった。もちろん移植を待つ患者さんやその家族 の思いもあるだろうけど、やっぱり今回の改定には私自身賛成しかねる。
 @脳死を一律「人の死」とすることで、救急医療の現場などで脳死状態の人へ の治療が疎かになりはしないか?医療費の高騰が問題となるなか、いかにして 医療費を削減し財政を健全化させるかが大きな課題となっている現状を考えれ ば、その可能性もなきにしもない。
 A「移植して助かる命があるなら、どっちみちすぐに死ぬのだから、そっちへ臓 器を提供した方がいいではないか!」という意見は、人の命を「役に立つ・役に立 たない」という視点で見ることになる。そのような考えは、老人や障害者、病人な ど社会的弱者と言われる人の人権を著しく制限してしまう危険性があるのではな いか?
 B「子どもからの移植は、親の同意だけで可能」という規定は、「子どもは親の 所有物」という考え方を助長しかねない。どんなに幼い子どもでも、親とは別人格 であると思う。戦前・戦中は、家長(父親)の言うことは絶対であるという道徳観の もと、子どもの人権が大きく制限された。そしてその家庭での道徳観が、国家の 家長である天皇への絶対的な服従へと結びつけていった歴史もある。
 また、「移植して誰かの臓器の一部として生き続けることの方が、子どもも幸せ なはず!」という意見もあるけど、やっぱりそれは子どもの為というよりも、親の 為(エゴ)ではないのか?我が子を失った悲しみを何とかして納得したいという親 心からであり、たとえ移植を決断したとしても、それ(親のエゴ)をちゃんと自覚 し、誤魔化すことなく最後まで背負っていかなければならないんだと思う(戦死者 遺族の悲しみを喜びにすり替えていく「ヤスクニ」の欺瞞性を見抜いていくために も必要だと思う)。
 その他、親から子への虐待の問題(今朝の「読売新聞」の記事によると、児童 擁護施設で暮らす子どもの34%が何らかの形で親から虐待を受けていたという 調査結果があるという)や、それを判定するシステム(人材)もまだまだ整備され ていないと状況で、僅かな時間で正しい判断ができるのか疑問である。
 移植を受けられずに死んでいく子どもやその家族の悲しみを知ると「何とかして あげたい」と誰しもが思うが、「全ての命を大切にしたい!命は皆同じように尊い のだ!」という社会を作っていくためにも、今回の改正に私は反対する。
09年7月13日(月) 「政権交代と憲法改定」
 都議選で自民党が大敗し、民主党が第一党に躍り出た(奈良市市長選挙で も、民主党推薦の若い候補が自民党の公認のベテラン候補を破って勝利した)。 次期衆議院選挙の前哨戦とも言われ、おそらく政権交代も近いだろう。
 政権交代に異論もないし、自民党と比べれば民主党の方がまだマシだが、気 がかりな点もある。それは今回の選挙で、民主党が自民党の議席だけでなく、そ の他の小政党の議席まで食ってしまっていることだ。前回の参議院選挙でも、自 民が大敗し民主が躍進するものの、護憲を訴え新たに作られた「9条ネット」から は一人の当選者もなかった。
 「民主躍進」に異論はないが、民主党内には鳩山代表をはじめ改憲論者も相 当数いる。衆議院選の結果次第では、自民・民主で改憲を主張する国会議員の 3分の2を占めることも十分考えられえる。「政権交代」がクローズアップされるあ まり「護憲」が見えなくなってしまうことに危惧を覚える。
09年9月10日(金) 「同朋教団」
 面白い話を聞いた。とある西本願寺系のお経の練習をする学校での話し。夏 場、練習生が汗をかきながら一生懸命お経の練習をしていた時のこと。教官が 彼らに向かって言った言葉。「汗をかくな!ご門主様はお経を唱えているとき汗 をおかきにならないぞ!」。また、別の機会にご門主を引きあいにこう発言したと いう。「お前らとご門主様は血(筋)が違う!」。
09年7月5日(日) 「終わりなき軍拡競争」
 北朝鮮の弾道ミサイルに備え日本政府が配備を進めているミサイル防衛 (MD)システム。その整備のために政府は既に8000億円以上を費やしいるが、 それでも不十分として、更なる整備とそれに伴う出費が見込まれるという(5/7)。
 つくづく思う。そんな本当に当るかどうかわからないおもちゃ≠アメリカから 買うよりも、1兆円近くあったら、もっと確実に日本の安全を守る方法が他にある と思う。最近ロシアが開発した弾道ミサイルは、着弾直前にも軌道を変えること が可能で、MDシステムなど役に立たないと言われている。もはや「備えあれば憂 いなし」など通用しない時代になっていることを気づくべきである。
 今週の言葉:「火で火を消すことが出来ないように 怒りで怒りを消すことは出 来ない」
09年7月4日(土) 「武器三原則の緩和」
 人殺しの武器での金儲けなんてとんでもない。
 経済連は、防衛予算の減額で軍需産業から撤退する企業が相次いでおり、新 たなビジネス機会を求める産業界の意向などを反映して、「武器輸出三原則」の 見直しを求める提言を近くまとめ、政府に働きかけるという(7/4)。
 とんでもないことである。戦争で金儲けしたいという欲が出てきたら、将来、福 祉予算の削減や消費税の増額と引き換えに軍事予算がどんどん増えていくだろ うし、不況になれば「戦争でもして景気を刺激しよう」というふうに戦争への抑止 力だって益々弱まってくるだろう。
 不況になれば派遣切り≠竍雇い止め≠ネどと行って簡単に首を切るは、 金儲けのためなら平気で国民を戦争危機にさらすは、最近の日本の経済人のモ ラルの低さには恐怖すら覚える。
09年7月3日(金) 「イラクの人々の血に染まった石油」
 日本政府が自衛隊のイラク派兵の為に費やしたお金は、5年間の空自の活動 に216億円、サマワの陸自派兵に740億円、総額で1000億円近くに上ると言われ ているが、やっとその先行投資を回収できるときがやって来たようだ(8/15)。
 今月10日、イラクの石油相が来日し、油田の開発権益をめぐり日本の石油開 発企業連合と交渉を始めるという。イラクはサウジアラビア、イランに次ぎ世界第 3位の原油確認埋蔵量国と言われているが、イラク戦争の影響で開発が十分に 進んでおらず、また戦後復興資金を確保するためにも、石油権益を外国企業に 開放せざるを得ない状況にあるという(7/3)。今朝の朝日新聞によると既にアメ リカやイギリス企業などは、相当額の権益をイラクで確保していると言うが、日本 も遅ればせながらやっとその美味しい蜜≠ノありつける時が来たということだ ろうか。無理をした甲斐があるというものだ。
 イラクの人々の無数の血に染まったその石油で、私たち日本人は何事もなか ったかのように、これからも幸せな$カ活を謳歌していくのだろう・・・・
09年7月2日(木) 「非国民」
 「国旗・国歌、嫌いなら(教師を)辞めろ」(7/1)。まさに戦前の「非国民」呼ばわ りである。
09年7月1日(水)  「『ゆるされざる者』A」
  『ゆるされざる者』を読んでいる。物語の舞台は、和歌山県の森宮(しんぐう)。 主人公は、「毒取る槇」と呼ばれる医者で、「差別なき医療奉仕団」を結成し、金 持ちには高額の医療費を請求するが、貧しい人々からはお金を取らないという 主義で、社会主義思想の持ち主として警察などから目をつけられているというス トーリーである。
 京都に本山を置く巨大仏教教団の宗主であり中央アジアに探検隊を出した谷 晃之とは、インド留学からの帰路、偶然出会い、親交を深めることとなる。物語 の中ではどちらかというと好意的に描かれているが、中央アジアの仏教遺跡から 数々の戦利品≠持ち帰ったことや、国内に贅の極みを尽くした邸宅を建設 し、優雅な生活をしているなど、ある程度史実に基づいた設定となっている。
 この後、主人公が森宮にある浄明寺という寺の住職・木下了円と出遇っていく こととなるが、先ほどの谷晃之が「森宮に、わが宗の僧が赴任しています。被差 別部落の問題に熱心に取り組んでいる由。・・何かお役に立つことがあるやもし れません」と主人公に紹介する場面があるのがいろんな意味で面白い。
09年6月30日(火) 「ミスコンと障害者差別」
 昨夜、テレビを視ていいたら、オランダかどこかのテレビ局の制作で、障害を持 った女性の「ミスコン」を紹介する番組が放映されていた。「差別に負けずに、障 害を持った女性でもこんなに美しいんだ!」という趣旨のコンテストなんだろうけ ど、何か矛盾を感じた。
 「ミスコン」といえば、女性の美しさを競う競技で、その女性の内面や人間性と いうのは二の次で、主に外見で順番をつけていくというコンテストである。一方、 障害者差別というのも、その人を見た目で判断し、社会から排除していく差別だ と思う。そう考えると、「ミスコン」も障害者差別も、根本のところで繋がっているよ うな気がする。果たしてあのようなコンテストで障害者に対する差別を本当になく すことなど出来るのだろうか?
09年6月29日(月) 「総選挙の日程」
 解散・総選挙がいつあるかが新聞やテレビを賑わせている。予想される候補日 として、8月8日があるという。通例、総選挙は日曜日に行われるが、8日は土曜 日である。9日の日曜日が「長崎原爆の日」ということもあるが、8日が候補になる 理由を聞いて笑ってしまう。理由@=8日は「大安」。理由A=8月8日=末広が り。
 六曜が俗信・迷信かはおくといて、8日が自民党にとって「大安」なら、その日は 民主党にとっても「大安」である。8月8日=末広がり。確か中国も昨年同じような 理由でその日をオリンピックの開会式の日していたような・・・
09年6月27日(土) 「地方自治」
 自民党の足元を見透かすように、タレント知事≠ニ呼ばれる人たちを中心に 地方の乱が起きている。しかし何か胡散臭さを覚えるのは私だけだろか?
 彼らが叫ぶ「地方自治」。中々聞こえのいい言葉ではあるが、いっこうにその中 身が見えてこない?ただ単に権力や財政を中央政府から地方政府に移すことを もって「地方自治」と言うのだろうか?それなら単に権力の座が「麻生」から「東国 原」や「橋下」に横滑りしただけである。「地方自治」とは何なのか?改めて考えて みる必要がある。
09年6月26日(金) 「防衛に関する意識調査」
 防衛省が編集協力したある調査で、面白い結果が出ていた。
 「もし、戦争が起こったら国のために戦いますか?」という質問に対して、「は い」と答えた日本人は15.6%だったという(参考:インド=73.7%、韓国74.4%、中 国=89.9%、アメリカ=63.3%、イスラエル=75.1%、フランス=49.2%、ロシア= 63.8%)。また、現役自衛官への「生まれ変わっても自衛官になりますか?」との 質問には、72%が「ならない」と答えたという。
 防衛省などは全く正反対の分析(自衛隊の活動が正当に評価されていないた め・・)をしているようだが、私ならこう分析する。最初の質問に対しては、「お国の 為に戦うことがいかに欺瞞に満ちたものであるかをそれだけ多くの日本人が知っ ている(学んだ)」ということだろう。二つ目の質問も同様である。
09年6月25日(木) 「『ゆるされざる者』@」
 毎日新聞から出ている『ゆるされざる者』(辻原登著)を買った。大逆事件をモ デルにした小説だそうだ。登場人物の一人に、「谷晃之」という京都に総本山を おく巨大仏教教団の宗主で、中央アジア探検隊を組織した人物が登場するらし い。どんな描かれ方をしているのか?まだ読んでいないが楽しみである。
09年6月23日(火) 「沖縄・慰霊の日」
 今日、沖縄は64回目の「慰霊の日」を迎える。昨夜、NHKで沖縄の集団自決に 関する番組を放映していたが、戦争の悲惨さを思うと同時に、改めて非戦平和 への決意を強くした。
09年6月22日(月) 「澤地久枝さん講演会」
 土曜日に、地元の九条の会の共催で、「九条の会」の呼び掛け人でもある澤地 久枝さん講演会があり、聞きに行ってきた。年配の方を中心に1000人近くの人 が集まり、産経新聞を除く大手新聞3社の地元支局とそれぞれの会がある自治 体が後援しており、会場のある斑鳩町の町長が来賓として挨拶をしてた。最近、 全国で市民が主催する「平和の集い」などに地元の自治体が「政治的中立」を理 由に後援を断るケースが増えていると聞く(6/13)。今回の講演でも、幾つかの自 治体が後援を辞退したというが、これからは、中央政府に対する要望はもちろ ん、それぞれが所属する地元の自治体にも働きかけを強めていく必要があるの だろう。
09年6月20日(土) 「中仏マジック=v
 私が僧侶の世界に入ったのは比較的遅い。寺に生まれながら寺を継ぐのが嫌 で、大学卒業後もしばらく別の仕事をしていた。30歳を越えた頃、色々な事情が 重なり、あまり乗り気ではなかったが仏教・真宗の勉強をする中央仏教学院に入 学する。ところが半年もすると考えが一変した。「こんなに素晴らしい世界があっ たのか」と真宗の教えに感動し、初めての法話では、『浄土和讃』の「・・摂取して すてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」をご讃題とし、「寺が嫌だと逃げる私を 阿弥陀仏は決して見捨てず、追いかけ続けてくれたお陰で、今がある。有難い」 といった話をした。その後も聴聞を重ねたり、その教えに似たカウンセリングなど の本を読み耽り、何とも言えない心地よさの中に一人沈殿していた。
 ところがそんな私のお目出度さ≠一刀両断に切り捨ててくれていた人がい た。先日、たまたまある研修会で、03年の『中外日報』の記事を目にした。そこで は、広島の本願寺派の僧侶である正木峯夫さんが、北海道教区連続差別落書 き・ハガキ事件の背景として、これまで私たち僧侶や教団が伝え学んできた教学 そのものに誤りがあるのではないか?これまで私たちが喜び伝えてきた「マコト 信心」とは単なる「差別する信心」でしかなかったのではないかと厳しい指摘をさ れていた。具体的には「称名報恩」の問題性を挙げて、これまでの真宗が「死後 の浄土往生」に重きを置くあまり、この世のことと言えば個人的な報恩感謝に彩 られた道徳主義しか残らず、差別などの現実の諸問題に無関心な僧侶を育てき たと指摘している。そして、そんな没社会性・排他性を備えた僧侶を育んできた お育て≠フ過程は、カルト的「洗脳」と大差なく、その典型例として、最初に紹 介した私のような多くの寺院子弟が経験する体験を挙げている。
 「お寺が嫌」という心理的ストレスが長かった分、「そんな私こそ救われる」とい う教え(肯定感)に出会った心地よさは計り知れず、周りで誰かが差別され、悲し んでいようとも関係なく、どこかで聞いたような「有難い。もったいない。お蔭様。」 という言葉を何でもかんでも連発しては、またそんな自分自身に酔いしれてい る。まさにあの頃の私はマインドコントロール下にあったのかも知れない。ちなみ に北海道教区における差別事件の背景には、そんな心地よさ≠邪魔された 僧侶の同朋運動に対する逆恨みがあるのだろう。
 いずれにせよ同朋運動とは、これまでの真宗的「洗脳」から私を目覚めさせ、 「差別する信心」から「差別・被差別からの解放を目指す信心」へと私を導いてく れるものだと改めて思った。
09年6月19日(金) 「臓器移植法改正案に思う」
  昨日、衆議院で「臓器移植法改正案」が採決され、原則「脳死は人の死」とさ れ、親の同意があれば15歳以下の子どもからも臓器の提供が可能となる法案 が可決されたという。
 脳死を人の死と認めるかは別にして、臓器の提供には「本人の意思」が何より も基本だと思う。今朝の朝日新聞に、長男が脳死になり、心停止後、腎臓の提 供を経験した小児科医の杉本建郎さんの意見が紹介されていた。杉本さん夫婦 は、最後を迎えようとしていた息子さんを前にして、「このまま灰になるのはかわ いそうだ。せめて臓器だけでもどこかで生き続けてくれたら」と移植を決意したと いう。ところが四半世紀経った今、考え方が大きく変わったという。長女の思い や、ヨーロッパの小児医療の現場などを視察するうちに、「臓器だけでも生き続 けてほしい」という当時の判断は、決して息子さんの意思をくんだわけではなく、 「わが子がただ死んだのではない」と癒しを求める親の気持ちから出たものでは なかったかと、改めて気づかされたという。
 子どものことを一番愛しているのは親だということに異論はない。しかし、親は どこまでも親であって子どもではない。どんなに幼い子であっても別の人格であ る。そのことを忘れてはいけないのだろう。
09年6月17日(水) 「名誉の戦死=v
 今朝の朝日新聞に、昨年の9月に、海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」の 養成過程において、訓練生の一人が15人を相手にした格闘技訓練中に死亡す るという事故が起きたが、その隊員の遺族のこれまでの葛藤を取材した記事が あった。
 事故から一ヶ月後、海自の幹部が自宅を訪れ、「なぜおきたのかを明らかにし て、教訓となり『名誉の戦死』と言えるような結果をお渡ししたい」と母親に言った 言葉が印象的である。『名誉の戦死』、そう、靖国神社やそれを支持する政治家 たちが言っていることと同じである。「あなたたちの夫や息子さんの死は決して犬 死ではない。今の日本の繁栄があるのは彼らのお陰だ。名誉の戦死である」。
 亡くなった隊員の母親も、この『名誉の戦死』という言葉にすがる思いで、最愛 の息子の死を「受け入れよう」、「あきらめよう」としたという。しかしそれでも「もっ と生きて欲しかった」「付き合っていた彼女と結婚して幸せになってほしかった」と いう思いは消えず、これまでずっと葛藤してきたという。
 国家(軍隊)というものは個人の「「死」を勝手に都合の良いように意味づけよう とする。それによって遺族の怒りを中和し、自分達の責任を誤魔化そうとする。 そのことがますます遺族を苦しめる。まさに二重の苦しみである。
09年6月16日(火) 「『全盲なのに快挙』ではない」
  今朝の朝日新聞の「声」の欄に、「「全盲なのに快挙」ではない」という投稿があ った。先日来、国際的なピアノコンクールで辻井伸行さんが優勝したというニュー スがテレビや新聞を賑わしている。その理由の一つに、辻井さんが全盲であり、 そのハンディを克服し偉業を成し遂げたという驚きがある。
 ところが投稿者は「全盲ゆえの賛辞は、実力を曇らす『二つ目のハンディ』だっ たのかもしれない」という10日付けの天声人語を引用しながら、「全盲は決して辻 井さんの評価を規定しないし、快挙を強調する材料でもない」と言い、一連の報 道やそれを無批判に受け止める私たちの「「全盲なのにすごい」と思ってしまうこ との根底にある「障害はマイナスで、克服すべきもの」といった考え方」をもう一度 見直すべきではないかと提起していた。
 確かに言われて見ればその通りである。「見えないのにすごい」という言葉の中 には、「障害者は私たち(健常者)よりも劣っている。それなのに・・・」という差別 意識が内在しているのだろう。
09年6月15日(月) 「つどい」
 仏青が出している冊子「makoto」(NO.141)に次のような言葉が紹介されてい た。ある時計店の広告ポスターからだそうだ。
 ひとりがすると一時間かかることを、ふたりがやれば三〇分で終わる。
 ひとりがすると一ヶ月かかることを、三〇人でやれば一日で終わる。
 人類が何千年かけてもまだできないこと。
 みんなでやれば一日で終わるかもしれない。
 そう、平和なんて、一日あればできるはず。
09年6月12日(金) 「差別を見抜く力」
 毎日新聞に「靖国神社:新宮司に京極高晴氏・・・旧華族出身、人選に半年」と いう見出しが出ていた。「ヤスクニ問題」については今回は横に置いといて、「旧 華族出身」という見出しが気になった(6/12)。
 「○○さんは旧華族出身である」。一見すると特段何の問題もないかに思う。で ももしこれが「○○さんは旧△△△(賎称語)の出身である」だったらどうか?間 違いなく差別発言であり、大問題になっているはずである。
 現在の差別の特徴は、「下」を見下すのではなく、「上」を殊更持ち上げる傾向 がある。「勝ち組」や「セレブ」という言葉が世間でもてはやされているのはその典 型である。今の社会は、「上」を持ち上げることで「下」との格差を益々拡大させ、 自分がどこに位置するかで、その人のステータスが決まるという差別社会であ る。
 私たちの本願寺教団においても、親鸞聖人750回大遠忌を控え、宗祖につな がるある特定の人々を持ち上げることで、教団全体の求心力と組織力を高め、 法要の成功と、将来的な財政基盤の安定を図ろうかという動きが垣間見られる。 法要が円成すること、将来に渡って教団が護持発展することに何の異論もな い.。だが、そのために差別を利用することだけは絶対に許さない。
09年6月11日(木) 「憲法審査会」
 今日、衆議院本会議で憲法審査会の運営手続きを定める規程案が制定され る見込みだという(6/11)。民主党は反対するようだが、鳩山代表自体が改憲論 者であることからも、近い将来行われる総選挙の政権交代や政界再編によって は、憲法改定が大きく動き出す可能性があるだろう。
09年6月9日(火) 「日中軍拡競争」
 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の試算によると、世界で年間軍事費に 一番お金をかけている国は米国で約60兆円になり、これは世界全体の軍事費 の約41.5%を占めるという。次いで2位が中国の約8兆5千億円、3位がフラン スの約6兆5千億円になるという。ちなみに日本は、7位で約4兆5千億円だそう だ。おそらくこれだけのお金が福祉や貧困対策などに使われたなら、世界はもっ と豊かになれるのだろう。
 英国の国際戦略問題研究所がまとめた「日本の再軍備」と題した研究報告書 によると、昨今の海上自衛隊によるインド洋やソマリア沖への派遣の動きは、 「国際テロや海賊対策、シーレーン(海上交通路)防衛のみならず、これらの地 域で影響力を強める中国に対抗する意図も含まれている」と分析し、そのような 日本の「再軍備」の動きがより一層中国を刺激し、今後、日中間の軍拡競争が 激化する可能性があると予想しているという。
 ひよこが先がニワトリが先かは知らないが、少なくても今の政府の「再軍備化」 の方針は、日本の安全をより不安定化させていることは間違いない。暴力では 問題は解決しないことを改めて認識すべきだろう。
09年6月8日(月) 「憲法違反」
 麻生首相が街頭演説で、弾道ミサイルの発射準備を進める北朝鮮に情勢関し て、「戦うべき時は戦わねばならない。その覚悟を持たなければ、国の安全なん て守れるはずがない」と述べたという(6/7)。おそらく自民党内から出ている「敵 基地攻撃論」などを念頭においた発言だろう。
 でも明らかに憲法違反の発言である。日本国民は「日本の安全を武力によって 守ることを放棄し(憲法9条)、平和的手段によって平和を守る(憲法前文)」こと を憲法に明記し、為政者(政府)に命令したはずである。今回の麻生首相の発言 は、それに対する明らかな命令違反である(憲法99条)。
09年6月7日(日) 「交換可能な存在B」
 上田さんがこんな話を紹介してくれた。
 ある一人の女性が、もうどうしようもなく辛くて悲しいことがあって自殺を考え た。真夜中の街を死に場所を探して彷徨っていると、お寺が見えた。近づいてみ ると、門は閉じられており、呼び鈴はあったが、「あんな今何時だと思っているん だ!いい大人がこんな時間に。常識をわきまえなさい」という声が聞こえてきそう で、押すのを止めた。しばらく歩いていると、今度は、教会があった。ダメもとで扉 を押してみると、開いていた。中には誰もいなかったが、しばらくそこに一人で座 っていると、スーッと心が落ち着いてきた。少し元気が湧いてきて、自殺を思いと どまることが出来た。確かにそれからも辛いこと、悲しいことは無くなりはしなかっ た。しかし、またどうしようもない辛い気持ちになったら、もう一度、あそこの教会 に行けばいい。いつでも行ってもいいんだ。私の居場所があると思うだけで、ま た前を向いて歩いていけると思えたという話だった。
 まあ、お寺の住職さんや坊守さんが、そんな事を言うか言わないかは別にし て、一般の人々にとってはお寺というのは、非常に敷居が高いという。入っていく のに勇気がいると。もちろん防犯上の問題もあり、24時間、門を開けておくこと も出来ないかもしれない。しかし、誰かが辛いな、苦しいなと思ったときに、いつ でもその人の居場所となれる場所にお寺(全国にお寺は約7万ヶ寺あるという。 この数はコンビニよりも多いという)がなって欲しいと上田さんは仰っていた。
09年6月6日(土) 「交換可能な存在A」
 上田さんは、これからは「説く宗教(仏教)」から「聞く宗教(仏教)」になって欲し いと言っておられた。これまでの布教使や宣教師(宗教者)は、人々(信者)の前 に出向き、お経や聖書に出てくる専門用語を使いながら、予め考えてきた説教を 永遠としてきた。そこに誰がいようとお構いなし。その人がどんな悩みを抱えてい るかも知ろうともせずに。それこそ宗教家自身が、信者さんを「交換可能な存在」 として見てきたのではないかと。
 これからは教えや教義を一方的に説くのではなく、まず人々の話を聞いて欲し い。一人ひとりの悩みに寄り添っていって欲しい。何に喜び、何に悲しみ、何に悩 んでいるのかを知る努力をまずして欲しい。仏教を開いたお釈迦様も、まず人々 の悩みを聞いてから、教えを説いていったはずだと仰っていた。
09年6月5日(金) 「交換可能な存在」
 昨日、『がんばれ仏教』(NHKブックス)の著者でも有名な上田紀行さんの講演 を聞いた。
 「K.Y」という言葉がある。「空気が読めない」という意味だという。現代人、特 に今の若者は他人の視線がすごく気になるという。「こんなことしたら怒られるの ではないか?」「あんなこと言ったら嫌われるのではないか?」という脅迫観念に 囚われ、自から「自分の色」や「自分の臭い」を消し去っていき、「無色無臭」な存 在へとなっていく。しかしそれは、傍から見れば「いい子」に映るかも知れない が、本人にとっては「一体自分は誰なのか?」「自分はまるだ他人の人生を生き ているようだ」というふうに、どんどんと自尊心を失っていく。そんな心理状況を一 言で表したのが「透明な存在」という言葉だという。
 そして「透明な存在」は「交換可能な存在」とも言い換えることが出来る。高度経 済成長期の頃はまだそれでも良かった。自分を殺しながら生きても、まだ将来へ の希望があった。ところがバブルが崩壊し失われた10年≠フ頃になると、状 況が一変する。ある日突然会社から「あなたはもう必要ない。あなたの代わりは 幾らでもいる」と言われて切り捨てられてしまう。これまで自分の色や臭いを全て 否定し、社会や会社のため頑張ってきたのに、最後の最後にそんな自分も否定 されてしまう。後にはもう何も残らなかった。その時はじめて自らが「交換可能な 存在」「かけがえのある」だと気づかされる。今、10年連続して年間3万人以上の 人が自ら命を絶っているいう。
 小泉元首相が総理大臣を辞めた後、小泉チルドレン≠ノ向かって「政治家 だって使い捨てだ!」と言ったことがある。その時、一番その言葉を支持したの が所謂「ワーキングプアー」などと呼ばれる若者たちだったという。本来ならば 「使い捨て」の扱いを受けている彼らが一番怒るはずなのに、「そうだ!人間は みんな使い捨てなんだ!」と納得してしまう。自らの存在を否定し、自分を「使い 捨て」としか考えられない人間が自分自身を愛せるはずもないし、ましてや他人 を愛することなど出来るはずがない。今、学校でのイジメやインターネット上の陰 湿な差別書込みが問題となっている。「誰でもよかった」と見知らず人をナイフで 次から次へと殺傷していく悲惨な事件が後を絶たない。
 「透明な存在」「交換可能な存在」として自らを否定し、他人を否定しながら苦し んでいる人々に「あたたはかげがえのない存在だ!と言えるのは宗教しかない。 そういう意味でも私は宗教家に期待していると上田さんは仰っていた。
09年6月4日(木) 「共に生きる@」
 今、私の地元の奈良では、いかに障害者と健常者が共に暮らしていける社会 を築いていけるか?ということがちょっとした話題となっている。発端は、今春、 小学校を卒業した障害を持つ児童とその親が、地元の公立中学校に入学を希 望したところ、町の教育委員会から「生徒の安全を保障できない」との理由から 入学を拒否され、養護学校への入学を勧められ、生徒と両親がそれを不服と し、裁判にまで発展しているということがある。
 それに関連し、朝日新聞の奈良版で「ともに生きる」という連載記事が今日まで あった。それによると奈良県では大阪や京都など比べてリアフリー化の取り組み が非常に遅れているという。例えば、ノンスッテップバスの普及率が23%(大阪 市営バス72%、名古屋市営バス70%)しかないとか、1日の乗降者数が5万人 を超す大きな駅であるにもかかわらずエレベーターが設置されていないなど、障 害のある人や高齢者にとって非常に不便な状況にあるという。
 ところが市町村によっては取り組みが非常に進んでいるところもあるという。例 えば、ある福祉団体の調査(94年時点)で「障害がある子の進学先を選ぶ際は 親の思いを優先させる」と答えた市町村教委が大半を占めたり、障害のある生 徒を受け入れるために全国の公立学校で初めてエレベーターを設置した中学校 があるなど、障害児教育への取り組みが非常に熱心な自治体もあるという。そ の背景に同和教育があるという。奈良県では同和教育とともに障害児教育も熱 心に取り組まれてきた経緯があるのだそうだ。
 ところが最近は、先にあげた町教育委のように、就学指導委員会が普通学校 より養護学校をあっせんしたり、親や教員がその判断に従うケースや、自ら養護 学校を選ぶ親も増えているという。その背景には一体何があるのだろうか?
09年6月2日(火) 「防衛計画の大綱」
 今回自民党がまとめた「防衛計画の大綱」への提言書の酷さには呆れる。北 朝鮮のみならず中国やロシアを日本の安全保障に対する脅威と見なし、軍事費 の増額や敵地攻撃能力の保有、離島への自衛隊の配備など、軍事大国化へま っしぐらといった感じである。
 「最悪の場合を想定して準備するのが政治の役目だ」という声が聞こえてきそう だが、仮に相手から喧嘩を売られて、それを「上等や!」と買ったとして、その 後、一体どうなるか想像したことがあるのだろうか?いくら最新の兵器で反撃し たとして、相手もまたそれ以上に反撃してくるだろう。自衛隊員はおろか国民にも 多数の被害が出るのは誰の目にも明らかである。現在の戦争に勝者も敗者もな いことは、アメリカによるベトナム戦争やイラク戦争を見れば分かる。
 今回の強硬な提言は自民党内の若手や中堅議員によってまとめられたとい う。民主党の一部若の中にも同じような考えの議員がいるというが、まさに戦争 を知らないということの恐ろしさを感じずにはおれない。
09年6月1日(月) 「佐々井秀嶺」
 インドにおけるカースト制度(差別)を否定し、特にその身分階層からも排除さ れた「不可触民(ダリット)」に対して、差別構造を支えてきたヒンズー教から全て の命の平等を説く仏教への改宗運動を勧めたアンベードカル博士(インド独立後 の初代法相で、差別を禁じた現憲法の起草者でもある)。その遺志を継ぎ、イン ドで下層民衆の地位向上のための活動を40年以上に渡って行ってこられた佐々 井秀嶺さんが、今、一時帰国されているという。佐々井さんは「インド仏教徒にと って、往生、成仏とは人間解放のこと。そして人間解放とは、人権、生命を尊重 し、いかなる人種、いかなる言語を使う人とも手をつなぐ状態だ」と仰る。
 すごい人である。否、これが仏教であり、本当の仏弟子(仏教徒)なんだろう。
09年5月29日(金) 「償い」
 さだまさしさんの曲に「償い」というのがある。実話を元とにさだざんが作詞し、 殺人事件の裁判で事件に真摯に向き合おうとしない少年の被告に裁判官がこの 曲を例にしながら諭したことで話題となった曲である。
 毎月、月末の給料日に封も切らずに郵便局に走るゆうちゃん≠「貯金が 趣味のしみったれた奴」と笑う同僚。しかし主人公だけが知っているゆうちゃん ≠フ秘密。ゆうちゃん≠ヘ自分の不注意で人の命を奪ってしまったことがあ る。奥さんさんから「人殺し あんたを許さない」と罵られて日以来、ゆうちゃん ≠ヘ人が変わったように働き、毎月、仕送りをしている。事件から7年目のある 日、「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました・・・それよりど うかもう あなたご自身の人生を元に戻してあげて欲しい」と書かれた手紙が届 く。「償いきれるはずもない あの人から 返事が来たのが ありがたくて・・」と泣 きじゃくるゆうちゃん=B「来月も郵便局へ通うはずの やさしい人(ゆうちゃ ん)を許してくれて ありがとう」と叫ぶ主人公。
 最近、「日本はもう十分謝ったじゃないか!いつまで謝ればいいんだ!未来志 向でいこう!」という言葉をよく聞くが、ゆうちゃん≠通して「償い」とは何かを 改めて考えさせられた。
09年5月26日(火) 「北朝鮮による核実験」
 北朝鮮が二回目の核実験を行った。さっそく各方面からもっと制裁を強化すべ きだという声が聞こえてくるが、日本はこれまでにも独自の経済制裁を課してき たため、単独ではもうほとんど打つ手はないという(敵地攻撃能力の保有など軍 事面は除く)。麻生首相は、「北朝鮮の核実験は、国際社会が止められないとい うのはどうしてだと思うか?」と記者団から問われ、 「私の答えられる限界を超え ています」と答えていた。 
 これまでの日本の対北朝鮮外交は制裁一辺倒だったが、果たしてどれだけの 効果があったのだろうか?政権浮揚策やナショナリズムや改憲気運の高揚もい いが、そろそろ本気でかつ冷静に北東アジアの安全と平和を考えるべきではな いだろうか・・・
09年5月25日(月) 「御同朋の教学F」
 「浄土真宗は聴聞に尽きる」とよく言われる。お寺の本堂でお説教を聞き、自ら の凡夫性に気づいていくという理解が一般的である。
 でも本当にそうだろうか?誰からも「有難い」と言われた布教使さんがその差別 性に気づかずに平気で差別法話をしてきたという現実がある。「偉い」勧学さん が最後まで自身の差別心から解放されなかったとうい話を聞いたこともある。ま た、念仏の総本山である本願寺の差別性は誰しもが知るところである。
 ところが私たち僧侶が唯一自らの差別性に気づかされたときがあった。それは 全国水平社からの問いかけがあった時ではないだろうか?もちろん大谷尊由氏 (西本願寺管長代理)のように自らの差別性を省みるどころか、「仏法」を用いて 差別を肯定しようとした僧侶が大半だったかも知れないが、たとえ僅かでも「黒衣 同盟」の広岡智教氏のように僧侶や教団の差別性を問おうとした僧侶がいたの も確かである。また戦後は、1990年代、教団内で起きた連続差別事件を受け て、本山並びに各教区で行われた部落解放同盟との間で点検糾弾会が開催さ れたとき、私たち僧侶の多くがはじめて教団や自らの差別性を振り返ろうとした のではないだろうか。
 そう考えると、阿弥陀様のご本願は決してお聖教や私たち僧侶の観点的なお 説教の中だけにあるのではない。私たち僧侶へ向けた被差別者からの問いかけ の中にこそ阿弥陀様のご本願がはたらいているのではないだろうか?
 「自分で出来得る程の事さえ為てみようともしない無慚無愧で誑したり、いゝか げんあ懺悔へ逃げこむだり御念仏を弄むだりする様な事」をしていないか?被差 別者の問いかけを通して改めて振り返ってみたいと思う。
09年5月23日(土) 「建前と本音」
 防衛省は、沖縄県が宮古島で予定している県総合防災訓練に海上自衛隊や 陸自、空自の参加を検討しているという記事があった(5/22)。
 以前より防衛省は、この海域での中国軍のプレゼンスを意識して、宮古島への 陸自の新部隊の配備や「軍民共用化をしない」という約束(屋良覚書)がある下 地島空港の自衛隊利用などを模索しているが、地元住民の反対により計画が思 うように進まない状況にあるという。そこで今回、防災訓練を名目に3自衛隊を参 加させることで「部隊展開のアリバイづくり」をしているのではないかという指摘も ある。
 「テロとの戦い」や「国際貢献」、「新インフルエンザ対策」などと同じく、「防災訓 練」という表立って反対しにくい理由を前面に押し出すことで、自衛隊の存在をア ピールしその活動範囲を広げていこうという狙いなんだろう。
09年5月22日(金) 「裁判員制度を考えるA」
 昨日、「裁判員制度をチャンスに司法の民主化を目指す」という趣旨の研修会 に参加した。講師は、甲山事件など冤罪事件に関わってこられた弁護士だった。
 裁判員制度の利点として、裁判員には思い込みや先入観がないことを強調し ていた。職業裁判官の多くには、「被告人は嘘をつく」とか「法廷での証言よりも 検察の調書を重視する」などの問題点があり、それが冤罪事件につながってき た。それを市民の「常識」が入ることで、減らすことが出来ると仰っていた。
 また、裁判員制度の導入によって死刑判決は減る可能性があるという。裁判に 直接参加することで、「犯罪の責任は被告人だけにあるのではない。社会にも責 任がある」というこが認識されるようになるのではないかと仰っていた。
 これまであまり裁判員制度には肯定的なイメージを持っていなかったけど、賛 成の立場から色々話を聞けて勉強になった。でも、「取調べの前面可視化の問 題」や「一審しか裁判員制度が適用されない」、「被害者参加制度の導入により 裁判員が情に流されないか」、「光市母子殺害事件の裁判のときのようなマスコ ミ報道に影響を受けないか」など、問題性もたくさんあると思う。いずれにせよ、 裁判員制度を通して、私たち日本人一人ひとりの民主主義への成熟度が試され るんだろう。
09年5月21日(木) 「戦争はまだ終わっていない」
 米軍兵士の自殺者数が、イラク戦争前と比べて倍増したという記事があった(5 /20)。自殺の他にも、心的外傷ストレス障害(PTSD)を抱える元兵士も多く、ア ルコールや薬物中毒、家庭内暴力、ホームレスの増加など、まさにこれからアメ リカにとっての本当の戦争(地獄)が始まるのかもしれない・・・
09年5月20日(水) 「御同朋の教学E」
 先日、「御同朋の教学」「御同朋の願いに応える教学」に関する話を聞く機会が あった。
 「御同朋の教学」とは、被差別者から私たち僧侶への問いかけの言葉であると いう。口では「平等!平等!」と言いながら、現実には差別をし、差別を肯定して いる(過去帳に差別法名や差別添え書きあっても、それを問題とすることができ ない)、そういう僧侶の差別体質を問う中で生まれてきた言葉だという(最初は 「信心の社会性」という言葉として問題提起された)。だから「御同朋の願い」とは 「被差別者の願い」であり、そんな被差別者の願い・問いかけから、自らの差別 体質を問うていく営みが、「御同朋の教学」の構築なのだという。
 本山の説明によると、今年の秋頃に「御同朋の教学」というブックレットが発刊 されるという。聞くところによるとその内容は、某勧学さんと某教学者との対談に なっているという。しかし、それは「御同朋の教学」ではない。「御同朋の教学」と は、これまでのように学者や布教使が作り出すものではない。どこまでも私たち 僧侶が被差別者の声に耳を傾け、自らの差別体質やこれまでの信心理解を親 鸞聖人の教えや生き様を拠り所に問うていく中ではじめて構築されるのだと講師 の先生から教えて頂いた。
09年5月18日(月) 「新型インフルエンザ」
 関西を中心に新型インフルエンザの感染が広がっている。兵庫県などではイベ ントが中止になったり、公立学校が一斉に休校になったという。「弱毒性であり、 季節性のインフルエンザと同じようにうがい・手洗いをして用心しておけば、それ ほど心配する必要はない」と聞かされても、やっぱり不安である。今日は昼から 電車で出かける予定があるが、こんな私でもやっぱりマスクをして行こうと思って しまう。
 政府やマスコミは「冷静な対応を!」と言うが、どう考えても国民の不安感を煽 っているようにしか思えない。ちょうど北朝鮮のミサイル発射問題があった時もそ うだった。「落ち着いて。念のためですから」と言いながら、迎撃ミサイルを街の 真ん中に配備する様子を見せられたら誰だって不安になる。今回の状況もそれ と似ているような気がする。
 おそらく戦争や差別はこのような状況の中で起きるのだろう。誤った噂や不確 かな情報に基づいた過剰なセキュリティ意識や「自分や家族を守りたい」という善 意が暴走することによって戦争や差別が起こる。そのことを改めて確認し、冷静 な対応をしたいと思う。
09年5月17日(日) 「P3C哨戒機」
 ソマリア沖の海賊退治のために、既に派兵されている護衛艦二隻に続き、海 上自衛隊のP3C哨戒機2機と、それを護衛するための陸上自衛隊員50人が、ソ マリアの隣国・ジブチに派兵された(5/16)。ちなみにこのP3Cとは対潜水艦用の 哨戒機であり、高性能レーダーによって「敵」の潜水艦を探知し、殲滅するため のものだという。
 最近の海賊は潜水艦で襲撃するとは知らなかった・・・
09年5月15日(金) 「脳死問題を考える」
 今朝の朝日新聞に、「こどもの脳死と移植」についての特集記事があった。子 どもからの臓器提供を可能にするための法案が国会で議論される中、今回の特 集では、反対の立場をとる側からの意見が紹介されていた。
 わが子が脳死と診断されてから1年9ヶ月も生き続けた経験を持つお母さんの こんな言葉が紹介されていた。反対の意見を述べると、「もしあなたの娘が、逆 に臓器移植なしに助からない命だったらどうしますか」とよく尋ねられることがあ るという。そんな時にただ一つ言えることは、「「我が子の命が尊い」という思いは 一緒。「助かる命がある」と言われても、助けたい命もそこにはあるのだ」というこ とだけであると。
 移植してでも子どもを救いたいと思うのが親なら、たとえ脳死と判断されても最 後まで助けてやりたいと思うのも親というものだろう。我が子を思う親の心に違い はない。また、移植を待つ子どもの命も、脳死と判定された子どもの命にも違い はない。同じように尊い命である。そこに差はない。
 「派遣切り」など人(の命)を役に立つか立たないかで判断しようとする風潮があ る中で、やっぱり「脳死は人の死である」と法律で一律に決めてしまうことには抵 抗がある。
09年5月14日(木) 「裁判員制度を考える」
 今朝の朝日新聞に、裁判員制度に関連して「多数決の論理」に対する問題提 起があった。
 「キノの旅」という小説の中に「多数決の国」という物語があるという。日本の国 会でもそうであるが、「多数決」が「民主主義的な決め方」という認識が広くある。 そんな民主的な「多数決の国」で多数派が少数派を死刑にするうちに、最後には 国民が一人だけになるという物語が紹介されている。また、江戸時代の末期に、 ある村で「村の泥棒は誰か」を多数決で決めようとした時の投票用紙が発見され たという話が紹介されている。
 裁判員制度導入の理由の一つに、一般の国民の常識を裁判に反映させるとい うのがある。しかし、光市母子殺害事件の裁判の時に起きたような「被害者は仲 間。それに対決する弁護士は敵」といった空気が社会にあるなかで、司法の使 命は、少数者の自由を保障するための安全弁であって「裁判所に多数意思が働 くことに危険を感じられる」という意見もあるという。
 最後に青山学院大学の宮澤節生教授の次の言葉が紹介されていた。「裁判員 が、被害者だけでなく被告も『市民の一人』だととらえられるようになれば、流れ は変わるかもしれない」。犯罪者であろうとなかろうと、全ての人の中に命の尊厳 を認めていくことが私たちにできるか、どうかが、裁判員制導入の成功の鍵を握 っているのかも知れない。
09年5月13日(水) 「憲法9条を守る覚悟」
 今朝の新聞に日本船主協会が海賊対処法案の早期成立を求める意見広告を 出していた。
 内容は、日本人の生活に欠かせない「衣食住」のための材料の多くを外国から の輸入に頼っており、それらの輸送の99.7%を担っているのが外航海運である。 そんな日本の豊かな暮らしを支える海運が今、海賊により危機にある。このまま で大変なことになるから、早期に新法を制定すべきだと言う。要するに、今の豊 かな暮らしを守るためにもっと積極的に自衛隊を海外に派兵しろ!そうでないと 大変なことになるぞ!という内容である。
 先日、東京外大の伊勢崎賢治さんが言っていた。「日本は、軍隊を外に出さな いと守れないような国益は求めないと誓ったはず・・・(現実の危険に対しては)ソ マリア沖を避けて、アフリカ南端の航路を選ぶことも必要でしょう。そのために輸 送日数がかかったり費用が増えたりしても、9条を持つ日本人が払わなければな らないコストと受け止めるべきです」と。
 まさに9条を守るとはこういうことなんだろう。
09年5月12日(火) 「人間回復の瞬(と)間(き)=v
 ハンセン病の元患者である上野正子さんが「人間回復の瞬(と)間(き)」(南方 新社)という手記を出されたという(5/11)。
 その一節に「2001年5月11日が私の誕生日です」というくだりがあるという。 その日は、国の隔離政策を違憲としたハンセン病訴訟において熊本地裁が原告 側の勝訴判決が下した日である。その日を境に、上野さんは「私はこれから親が つけてくれた本名の正子になります」と決意し、約60年間使ってきた偽名と決別 されたという。差別というものがいかに人間の尊厳を踏みにじるものかを改めて 実感させられる言葉である。
09年5月11日(月) 「世襲」
 朝日新聞の調査によると、次の総選挙に立候補を予定している人のうち、親や 親族から地盤を引き継ぐ「世襲」が15%に上るという。特に自民党が立候補予 定者の33%が世襲といい、現職の閣僚では約6割近くが「世襲」になるという(5/ 11)。もちろん国会議員にも職業選択の自由があるし、優秀な人もいるだろう。で もここ3代の総理大臣を見ていると、やっぱり「世襲」には疑問符が付く。まあ、私 も含めて世襲がほとんどの浄土真宗の僧侶が言うのもなんだけど・・・
09年5月9日(土) 「裁判員制度・冤罪事件・死刑制度」
 今朝の新聞に、殺人事件を犯したとして最高裁で無期懲役が決定した受刑者 の再審請求が認められ、裁判のやり直しが行われる可能性があるという記事が あった。決め手は、被害者の衣服に付着していた犯人のものと思われる体液の DNAと犯人とされた男性のDNAが異なることが最新の鑑定で証明されたからだ という。アメリカでも最新のDNA鑑定によって冤罪が証明されるケースが増えて おり、今回も冤罪の可能性が十分に考えられるという。
 もし冤罪だったとしても、犯人にされた男性のこれまでの時間は戻ってこない。 また、被害者遺族の悲しみや苦しみも想像を絶するものがあるだろう。絶対に冤 罪は許されない。でも、冤罪事件が後を絶たないのも事実である。
 もうすぐ裁判員制度が始まる。日本には死刑制度があるため、死刑判決を下さ なければならないケースも出てくるだろう。死刑が執行された後、もし冤罪と判っ たら・・。考えただけでも怖ろしい。
09年5月7日(木) 「一国平和主義を超えるC」
 戦後60年以上、日本は憲法九条があったお陰で、戦争に巻き込まれることな く、一人の日本人も命を落とすこともなければ、逆に日本人が他国の人の命を奪 うことも一度もなかった。
 ところが高橋さんは、戦後一貫して9条が適応されなかった人々がいたと言う。 それは沖縄(の人々)であると。沖縄戦で、沖縄は国体(天皇制)護持≠フた めの捨石≠ニされ、日本(ヤマト)から見捨てられた。そして戦後、サンフランシ スコ講和条約が締結されて、ヤマト≠ヘ独立を果たすものの、沖縄はアメリカ の統治下に委ねられることになった。その背景には、「沖縄を米軍が25年ないし 50年ないしそれ以上に亘って軍事占領することを希望する」という昭和天皇によ るメッセージがあったという。
 なぜ天皇がそのようなメッセージを発したのか?敗戦がいよいよ濃厚となって きた時期、当時の日本政府の一番の目標は、敗戦後の国体護持≠ナあり、そ のために様々な画策がなされる(沖縄戦もその一つ)。その努力の甲斐あって か、天皇は東京裁判で裁かれることなく、新憲法の中に「象徴」として残ることと なり、一応当初の目標が達成された。ところが、天皇制を残す代わりに、憲法9 条によって日本は軍隊を持つことが出来なくなってしまった(皇軍と言われた日 本の軍隊と、その統帥である天皇を同時に残すことは危険だという判断が働い たとも言われている)。言い換えれば、天皇を守るものがなくなってしまった。そこ で昭和天皇はマッカーサーと11回にも及ぶ会談を重ねて、沖縄に米軍を残して、 アメリカに天皇制を守ってもらうことにしたのだという。
 その天皇メッセージが、1972年の本土復帰後も生き続け、戦後60年以上、これ まで一度も沖縄には憲法9条が適応されなかった。常に戦時下もしくは準戦時下 に置かれ続けてきた。米軍の犯罪によってたくさんの沖縄の人々が傷つけられ てきた。また、その基地から飛び立った戦闘機や兵士が、ベトナムやアフガニス タン、イラク人々の命を奪ってきた。
 沖縄は沖縄戦で、そして戦後の天皇メッセージによって二度もヤマト≠ゥら 見捨てられ、そして今も見捨てれ続けている。そんな沖縄の犠牲を無視して、憲 法九条を語ることなど出来ない。沖縄に憲法9条が実現される日がこなければ、 「みんなの平和」とはとても言えないと高橋さんは言う。
09年5月6日(水) 「キッズ・サンガの願い」
 今朝の朝日新聞の「私の視点」欄に、子どもへの虐待防止について、北海学園 大学の伊藤淑子さんの提言が紹介されていた。伊藤さんは、これからは「虐待さ れた子を親から守る」政策から、「困難な生活環境で子どもを育てる親を支援す る」政策に転換すべきだと主張する。
 虐待は「経済的困難(貧困、失業)」「家庭の問題(離婚、未婚、義父母など)」 「社会的孤立」「親自身に虐待された体験がある」などの要因が複雑に絡み合っ て起きるという。また、虐待そのものは親の社会階層や所得に関係なく起きると いう。しかし、親の学歴や所得が高い場合には、気にかけて助言をしていくれる 友人や親族がいたり、親自身が自分で相談窓口を見つけたりすることが出きる ため解決し易いが、そうした条件に恵まれない家庭では、虐待がエスカレートす る傾向があるという。だからこそ、困難な環境で子育てをせざるを得ない親を支 援する体制が必要なのだと伊藤さんは言う。
 今、私たちの教団では、「お寺を子どもの居場所に!」を合言葉に「キッズサン ガ」が全教団を挙げて推進されている。もしこの「キッズサンガ」の取り組みが、 伊藤さんが提案するような虐待リスク要因を軽減するような視点を持つならば、 非常に意味のある運動となるだろう。これまでの同朋運動の成果と言ってもいい だろう。ところがもしそれが巷で囁かれているような「門信徒の早期囲い込み」や 「教団・寺院・僧侶にとって都合のいい(文句を言わず寺参りし、僧侶の求めに応 じて懇志をたくさん納める)門徒・人材の育成」に終わるとするならば、10年後、 20年後、私たちの教団は本当に社会から必要とされなくなるだろう。
09年5月4日(月) 「一国平和主義を超えるB」
 世界的に死刑制度が廃止される傾向の中、日本には依然として死刑制度が存 在する。法務省はその理由を、国民の大多数(8割以上)が死刑を容認している からだと説明する。実際、読売新聞の世論調査によると、もうすぐ始まる裁判員 制度で、もし自分が裁判員になったとしても「死刑を選択する」と答えた人が6 3%にも上るという(5/3)。「死刑制度には賛成だけど、自分が判断するとなると 話は別だ!」と考える人が多いと思っていたので、正直、ちょっと意外な数字だっ た。
 なぜ日本にはこれほどまでに死刑を容認する人が多いのだろうか?死刑を容 認するということは、突き詰めて言えば「理由さえあれば人を殺してもいい」という ことである。理由さえあれば・・・、非常に危険な思想だと思う。なぜならおそくら殺 人犯にも、他人を殺める理由があったのだろう。たとえそれが自己中心的で身 勝手なものであれ、理由があったはずである。ヒトラーやスターリンも然りであ る。死刑制度を容認するということは、戦争であれ、虐殺であれ、一般の殺人で あれ、何であれ「理由があれば人が他人の命を奪っても構わない」というメッセー ジ暗に発していることになりはしないか?絶対に人を殺してはいけない!というメ ッセージを社会に発するためにも、死刑制度は廃止すべきではないのか?
 朝日新聞の世論調査によると「憲法9条を守るべきだ」とする人が6割を超えて いる。何があっても戦争は絶対にダメだと考える人がそれだけ多いということだ ろう。ところが死刑となると8割以上の人が容認する。その違いは何だろうか?
09年5月3日(日) 「一国平和主義を超えるA」
 「宗教者九条の和」第4回シンポジウムでの東大の高橋哲哉さんの講演録を読 んだ。講演の中で、高橋さんは、赤木智弘さんの『丸山眞男をひっぱたきたい− 31歳のフリーター。希望は戦争』という論文を紹介しながら「「みんなの平和」にな らなければ、一部の人の平和では駄目なんだ」と言う。
 フリーターとして不安定な生活を強いられていた赤木さんは「丸山眞男をひっぱ たきたい」と言う。丸山眞男とは、戦後の民主化や護憲平和、あるいは安保条約 を巡る運動を指導した政治学者である。言うならば、「九条の会」などの運動を進 めている人々の象徴的な存在である。そんな護憲派をぶっ飛ばし、9条を改定 し、戦争にでもなればいいと主張する。その理由は、「今のまあでは自分は一生 浮かび上がれない・・今のこの状態、自分は無力だから何もできない、この格差 社会の状況が唯一変わるとしたら、社会全体を巻き込んだ戦争ではないか。戦 争になれば、今安定した収入を得て平和な日常を送っているような人達も、その 地位も脅かされる。これまでの既得権益がチャラになり、格差がチャラになって、 皆が0から、あるいはマイナスから始めなければいけない状況になるのだとすれ ば、そこで初めて自分にはチャンスが回ってくる。つまり、戦争は、自分にとって 最後のチャンスを与えてくれる」からだと。それに「(今の)自分には失うものはな にもない。だからむしろ戦争になって、自分が日本人の一人として日本のために 戦争をして、そしてもし戦死しても、・・そこで靖国神社に祀られる。英霊になれば 国民からも総理大臣からも、ひいては天皇からも感謝や敬意を捧げられるように あんると。そうなったら自分は初めて人間として、国民として承認されたことにな る」と赤木さんは言う。
 改憲を支持する若者たちにとって、私たち護憲派の主張は、「自分さえよけれ ばいい。今の自分の安定と平和が守られればそれでいい」という持てる者の 驕り≠ノ聞こえるのかも知れない。改めて、憲法の前文にある「われらは、全世 界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有す ることを確認する」という言葉を噛み締めたいと思う。
09年5月2日(土) 「一国平和主義を超える@」
 今朝の朝日新聞のオピニオン欄に、「憲法9条は日本人にはもったいない」と題 して東京外大の伊勢崎賢治さんの意見が紹介されていた。
 伊勢崎さんは、今回の海自によるソマリア派兵を明確な憲法違反だと一蹴する とともに、それに対して目立った反対運動を起こさない護憲派を痛烈に批判して いる。これまでのPKOやイラク、インド洋沖への自衛隊の派兵は、(反対だが) 一応『世界益』を目的にしたものだった。ところろが今回のソマリアへ沖の派兵 は、首相が明言するように『国益』を守るための派兵である。「国益」と聞いたとた ん反対しない護憲派の体質を「一国平和主義」だと批判する。つまり日本さえ平 和ならいい。9条を守ること目的化してしまっていると。
 伊勢崎さんは、9条はあくまでも道具であると言う。目的は、憲法の前文の理念 を実現することだと。前文には、決して日本一国だけが平和になるとは書いてい ない。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうち に生存する権利を有することを確認する」と書いてある。その理想を実現するた めに9条がある。世界平和の実現のために9条を持つ日本が出来ることはまだま だたくさんあると。
09年5月1日(金) 「御同朋の教学D」
 杵築宏典氏の「「信心の社会性」について−その課題と検討−」(『同和教育論 究』第19号収録)を読んだ。その中に、親鸞聖人の教えがどのように形成された のかを考える上で、非常に参考になる箇所があった。
 「従来ではどちらかと言うと親鸞聖人という宗教的な天才がいて、彼の宗教的 体験をいかに苦心して民衆に伝えていったか、それによって念仏集団が形成さ れたというような理解が主であった」。ところが杵築さんは、河田光夫さんの論を 引きながら、親鸞聖人の教えは「差別を受けていた底辺の民衆の生き様から生 じてきた、それに影響を受けて具体的に思想化された」と述べている。つまり「初 めから自力の修行ができず、往生のために捨てるべき何ものも持たず、「よろづ の仏にうとまれ」て「地獄一定住みか」と言われ続けている人達−選ぶのではな く、初めから他力の道しかない人達−がいた。狩人・屠者・漁民をはじめとする被 差別民」(『親鸞の思想と被差別民』)がいた。「親鸞の至るべき他力の信への到 達を被差別民がすでに実現してい」て、彼らとの交流の中で、親鸞聖人は他力の 信仰を形成していったのだと。だから「親鸞聖人が理論化した真宗の教えとは、 日常の生活実践の中から他力の信心を獲得するという構造をもつものとして理 解すべきだ」と述べている。
09年4月30日(木) 「北朝鮮のミサイル発射実験への怒りF」
 毎日新聞の「余禄」というコラムに興味深い指摘があった。先の北朝鮮によるミ サイル発射に対抗して配備された迎撃ミサイル。あれは「敵ミサイルが軍事目標 に当たらないようにするための兵器」であって、決して「住民の頭上に落下物が 落ちてこないようにする安全装置ではない」とあった。
 作家の半藤一利さんが、自らの空襲体験を著書の中で次のように記していると いう。空襲警報が出て、急いで家に逃げ帰った。ふと空を見上げると、幾つかの 「綿アメ」が漂っているのが見えた。すると急に警防団員から「ポカンとするな、破 片が落ちてくるぞ」と怒鳴られたという。半藤さんが見た「綿アメ」の正体は、応戦 の高射砲弾の炸裂したものだった。空襲警報が出て防空壕に避難するのは敵 の爆弾だけではない。味方が発射したミサイルの被害からも逃れるためだという 話である。
 まさに実際に空襲を経験した人しか分からないことである。今回、政府は「万が 一ミサイルの破片が落ちてきたら必ず迎撃する」と断言していた。多くの国民も それを支持していた。しかしもし本当に打ち落としていたら大変な被害が出てい たであろう。今回のミサイル配備。決して国民を守るためではなかった。単なる 政治的・軍事的パフォーマンスだった。しかし空襲を体験していない者がそれを 想像することは難しい。いかに為政者の嘘を見抜くか。歴史を学ぶこと、体験者 の話を聞くことの大切さを改めて実感した。 
09年4月29日(水) 「御同朋の教学C」
 西本願寺から『安穏』(NO.4)という新聞(?)が届いた。その中に、本願寺派 の新門(次期門主)さんが戦争と「テロ」について「人間関係の中で、議論がエス カレートしたらけんかになるということと、戦争やテロは本質的に変わらないので はないでしょうか。この私の生き方こそが、必然的にいろいろな問題の原因にな っていると考える。私たちが、自分以外のの人の都合を考えていないことに気づ く、あるいは気づかせる。それが浄土真宗・・」と語っていた。なるほど、さすが宗 教者らしい、もっともらしいい解答である。
 先日、作家の村上春樹氏による「卵と壁」のスピーチが多くの人に感銘を与え た。村上氏は「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時 に私は常に卵の側に立つ。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとして も、それでもなお私は卵の側に立ちます」と発言し、イスラエルによるパレスチナ 攻撃を非難し、パレスチナへの連帯を表明した。
 かたや宗教家の発言、かたや俗人(?)の発言。はて、その違いは?差別・抑 圧の現実から出発しているか、そうでないかの違いだろう。
09年4月28日(火) 「御同朋の教学B」
 『法華経−普賢菩薩勧発品−』の中に、法華経を信じる人を批判すると、その 報いとして、ハンセン病など身体に障害があらわれるという記述があるという。ま た、『仏説無量寿経−五善五悪−』には、悪い行為報いとして貧困、低い身分、 身体や精神の障害があるという記述もある。また、中国で作られた偽経だと言わ れている『善悪因果経』にも、「人となり癩を病むは、三法を破壊する中より来る」 という記述がある。
 つまり「ハンセン病を患い、差別されるのは、前世において悪事をはたらいた り、仏法を謗った報いである。自業自得である」という悪しき宿業論を説くことによ って、差別の原因を被差別者に責任転嫁し、諦めを強い、変革の意思や解放へ の願いを奪い取ってきた歴史が仏教教団(僧侶)にはあるということである。
 このような差別を肯定し助長する教えに「NO!」を突きつけ、被差別者自身が 自らの尊厳を取り戻そうと立ち上がったのが、島比呂志さんであり、水平社の 人々だったのだろう。
09年4月27日(月) 「ファルージャ大虐殺」
 ちょっと信じられないニュースが飛び込んできた。ゲームソフト会社のコナミが、 04年11月にイラクのファルージャで起きた大虐殺事件をリアルに再現したゲー ムを販売ようとしたが、米国内での批判を受け商品化をあきめたという(4/27)。
 同社の広報は「戦闘の事実を伝え、現場にいるのがどういうことかを感じてほし いという意図だった」と説明しているというが、一体この会社は何を考えているの だろうか?米軍によるファルージャ攻撃といえば、詳しい実態はまだ明らかにさ れていはいないが、攻撃に際し、米軍が街全体を封鎖し、外部からの医療援助 などを一切拒否するなど、子どもを含む多数の無辜の市民を殺害した、まさに大 虐殺事件だと言われている。それを題材にした、プレーヤーが市街に展開した 米海兵隊員となって「敵」を攻撃するという戦闘ゲームだという。何が「戦闘の事 実を伝え、現場にいるのがどういうことかを感じてほしい」だ!全く信じられない。 不謹慎も甚だしい!!
 ファールジャの大虐殺に関しては、米軍が徹底的に街を封鎖したため、当時何 が行われたのかはほとんど知られていない。しかし、命からがら生き残った市民 の証言によると、その実態は「現在のジェノサイド(国民、民族、種族または宗教 集団を全部または一部を破壊する意図をもって」殺害し身体的精神的害悪を加 えること)」と言われるぐらい悲惨を極めたという。それを米軍や海兵隊員の視点 から描いたゲームに何の価値があろうか!絶対に許せない!
 私はゲームにはあまり興味がなく、することもないが、最近の戦闘シーンを描い たゲームソフトは非常にリアルで、あたかも本当に自分が戦場に立ち、「敵」と戦 っているような錯覚を起こすとまでいう。軍隊による情報操作により、「本当の戦 争」 というものが見えなくなってきている現在、この類のゲームが氾濫すること は非常に危険だと思う。人が殺されるとは、人を殺すとはどういうことなのか、し っかりと伝えていかないととんでもない世の中になってしまうような気がする。
 「「殺される者」への 想像力を欠いた時 戦争は起こる」(戦場カメラマン・ロバ ートキャパ)
09年4月25日(土) 「御同朋の教学A」
  天理大学教授・池田士郎さんの「ハンセン病と意識の壁」(「奈良 人権・部落 解放研究所紀要第26号収蔵)という論文を読んだ。その中で、星塚敬愛園の島 比呂志さんが機関紙『姶良野』(1949年6月号)の巻頭言で、園当局者に言論の 自由を求める一方で、入所者に向けて次のように呼びかけている一文が紹介さ れている。
 「わたしたちも、憲法において、基本的人権が認められていることをもう一度冷 静に考えなおすべきである。あまりにも卑下していないか。また、せっかく憲法で 認められた基本的人権の尊厳を、われら自ら失っていはしないであろうか。(略) いたずらに卑下することを、一日も早く改めるべきだ。われらが健康者となる日 は、もう近いのだ。もう一度、みんなで、口をそろえていってくれ給え。『われらは 人間である』と。」
 なぜ島さんがここまで言わなければならなかったのか?そこには、歴史的に形 成された「癩者の身分」という差別観念が無意識のうちに病者自身を萎縮させて きた一面があるからだという。つまり、差別者のみならず、「自分は差別されても 仕方がない」という自らを卑下する意識が被差別者自身の中にもあったというこ とである。そしてそのような意識を被差別者のうちに形成してきたものとして、仏 教が説いてきた「業罰」という思想があったという。
09年4月24日(金) 「改憲への第二波」
 陸上自衛隊は、ソマリア沖で海賊退治をする海上自衛隊のP3C哨戒機の拠点 を警備、管理するために、中央即応連隊を派兵するという(4/23)。中央即応連 隊とは、中央即応集団下に属し、主に市街地における「テロ」やゲリラ活動に対 処するために訓練された部隊であり、海外派兵では先遣隊として活動する防衛 相直轄の精鋭部隊だという。海賊退治を名目に始まった今回の派兵。あれよあ れよと言う間に、陸自の精鋭部隊までが派兵されることとなった。
 5月3日の憲法記念日を前に、政府や国会内、市中において集団的自衛権や 改憲を巡る動きも慌ただしくなってきた。自民党の支持率低下などによりここしば らく鳴りを潜めていた改憲議論が、「海賊退治」や北朝鮮ミサイル問題などにより 再び動き出そうとしているのだろう。
09年4月23日(木) 「女性差別撤廃条約」
  女性差別撤廃条約の「選択議定書(人権侵害を受けた個人や団体が国連の女 性差別撤廃委員会に通報できる制度などを盛り込んでいおり、既に英仏独ロ韓 など96カ国が批准している)」の批准をめぐり、自民党内の会議で次のような意 見が出たという(4/21)。
・「我が国には伝統文化に根ざした法制度がある」(某女性議員)
・「(批准を)後ろで支援しているのは左翼だ。日本の家庭崩壊の危機は、人権な ど西洋的な考え方を教えて日本の伝統教育がないからだ」(某男性議員)
・「取り上げてもらっただけでもありがたいと思わなくちゃ」(松浪健四郎外交部会 長)
 一体、この党はなんなんだろうか・・・?
09年4月23日(水) 「「ありがとう、またよろしく」と「ごめんなさい、もうしませ ん」」
 麻生首相が靖国神社の春季例大祭に、供え物の「真榊(まさかき)」を「内閣総 理大臣」の肩書で奉納したことが分かったという(4/22)。
 @「国のために尊い命を投げ出された方々に対し、国民として感謝、敬意を表 すものだ」
 A「国のために尊い命を奪われた方々に対し、国家として謝罪し、二度と同じ 過ちは繰り返さないと誓ったものだ」
 さて、麻生首相のコメントはどっち? 
09年4月21日(火) 「御同朋の教学」
  『念仏と解放(創刊号)』(同朋運動を考える会刊)を読んだ。その中に、日本キ リスト教会の小野一郎氏の「宣教における解放の視点」という記念講演録が収録 されており、「解放の神学」について非常に興味深い記述があった。(以下引用)
 「神学というものは、ともすれば大昔の偉い人がいったこととか、既成の教団の いろいろなところから出てきた教書、そうしたものを私たちが普遍していくための ものとして神学が形成されてきた歴史があります。ところが、解放の神学は、何 から神学が起こるかというと、それはしいたげられ苦悩している民衆の声の中に 真実の神の声を聞くという視点からもう一度聖書を読み直して、私たちの信仰を 問い直し、この現実の矛盾に対して神がどのように関わっておられるかということ を考えていこうとするものです。これが解放の神学の出発点であります。」
 現在、私たちの教団内では「御同朋の教学」「御同朋の願いに応える教学の構 築」が課題となっている。それを考えていく上で、キリスト教における「解放の神 学」が参考になるような気がする。
09年4月20日(月) 「人材≠フ育成」
 最近、会社の新人研修として自衛隊への体験入隊が人気を集めているという 4/19)。「社員の団結も強くなる」といった理由もあるそうだが、要するに、自衛 隊での訓練がいかに上(会社)からの命令に従順に従う人材(社員)を育成する のに適しているとかということだろう。
 ところで新入社員にはこの研修を拒否する権利は認められているのだろう か?たとえ表向きは認められたとしても、そのような社員がその会社で出世する 道はほとんどないのかも知れない・・・
09年4月15日(水) 「光顔巍々∞A」
 法蔵菩薩が師仏である世自在王仏を讃える「讃佛偈」。その最後は、「仮令身 止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔(仏と成るまではどんな苦難に遇おうとも、 後悔することなくその日まで精進します)」という法蔵菩薩の決意で終わってい る。
 改めて目標を持っている人は強いなと思う。以前、高遠菜穂子さんの講演を聞 いたことがある。高遠さんといえば、ちょうイラク戦争のとき、イラクでボランティア をしていて、ある時、現地の武装組織に拉致されてしまう。そしていつ殺されるか も知れないという極限状態に何日もおかれる。それだけでも大変だったろうに、 その後、無事に解放されて、日本に帰ってきたら、今度は、ホッとする間もなく、 日本中からバッシングの嵐にあう。「なぜあんな危険な所へ行ったのか?救出に かかった税金を返せ!」と。まさに「傷口に塩を塗る」とはこのこと。その後しばら く、高遠さんは、夜、眠れなかったり、何もしていないのに急に涙がこぼれ落ちて くるようなこともあったという。ところが、そのようなことがあったにも関わらず、 「それでもイラクの人々のことが嫌いになれない」と高遠さんは今でもイラクの 人々を支援し続けられている。高遠さんの活動を見ていると、目標を持った人は 本当に強いなと思う。
09年4月14日(火) 「ロボット技術の軍事利用」
 昨夜NHKのクローズアップ現代で「 "日本ロボット"はどこへ〜問われる軍事利 用〜」という番組が放映されていた。最後の方しか視れなかったが、日本が誇る ロボット技術が世界の軍関係者から注目されており、日本の自衛隊でも無人偵 察ヘリコプターなどの導入が進んでいるという内容だった。
 戦争にロボットを使う「利点」は、兵士の犠牲を最小限に抑えることが出来るこ とだという。無人の戦闘機や戦車ならたとえ撃墜・攻撃されたとしても犠牲者出な い。戦争を遂行する上で、政治家が一番気にするのが自国兵士の犠牲者数だと いう。ベトナム戦争のように、自国の若者の犠牲者が増えれば増えるほど、厭戦 気分や反戦機運が広まる。しかしロボットならそのような心配をする必要がなくな る。そしてその結果、戦争へのハードルが下がる恐れがあるという。
 確かにロボットを戦争に導入することで「味方」の犠牲は減るかも知れない。し かし「敵」の犠牲は減らないどころか、格段に増えるだろう。「自分(自国民)さえ よければいい!」まさにそれが戦争の本質だろう。
09年4月13日(月) 「「念仏者九条の会」第8回全国集会in鹿児島」
 「念仏者九条の会」の第8回全国集会が、6月23日〜24日まで、本願寺鹿児島 別院で開催される。1日目は、佐々木智憲さん(鹿児島強制連行を考える会代 表・大谷派僧侶)より「真宗の戦争・戦後責任と鹿児島の強制連行の歴史」と題し て講演が行われ、その後、知覧特攻平和会館を視察して、朝鮮・韓国の特攻隊 員の記録等を見学する。二日目は、「戦争体験を風化させないために」と題して 相星雅子さん(鹿児島九条の会代表幹事・作家)よりご講演をいただく。参加をご 希望される方は「念仏者九条の会」までご連絡下さい。
09年4月10日(金) 「憲法九条の精神を生かす国際貢献」
 政府はイランと合同でアフガニスタンに対して麻薬対策や職業訓練、難民の帰 還などの支援を行うという。国交のないアメリカに代わり、親交の深い日本がイラ ンと協力しながら得意分野でアフガニスタンの復興に尽力するという(4/10)。素 晴らしいことだと思う。なぜもっと政府はアピールしないのだろうか?憲法九条を 持つ日本として、九条を生かしながら独自の国際貢献するともっと誇りをもって国 民にアピールすればいいと思う。そうすれば、「九条があるから国際貢献できな い!九条を改悪して国際貢献すべきだ」といった声も減るだろうし、日本という国 に誇りを持つ人も増えてくるはずなのに・・・
09年4月9日(木) 「北朝鮮のミサイル発射実験への怒りE」
 北朝鮮の「ミサイル」発射実験を受けて、さっそく自民党内から軍事費の増額 や敵基地攻撃能力の保有(4/6)、そして核武装論(4/7)までもが公然と叫ばれ ているという。世論も、さすがに核武装まではいかないが、MDシステムの一層の 整備など軍事費の増額を支持する声が大半を占めている。まあ、あれだけ仰々 しく日本海にイージス艦が派遣され、街の真ん中を迎撃ミサイル(PAC3)を搭載 した車両が行きかい、配備される様子を連日見せられたら、不安になる人がお かしくはないだろう。まさに政府・自民党の思う壺で進んだ今回の騒動であったよ うに思う。もし今、憲法改定の国民投票があったとしたら、もしかするともしかする かも知れない。そう思うとゾッとする。
09年4月7日(火) 「皺寄せ」
 今春の入学試験で、都市部を中心に定時制高校への志願者が大幅に増えた という(4/7)。不況を背景に、私立への受験が敬遠され、また家計を助けるため に昼間働いて、夜勉強するという子どもも増えているんだそうだ。今回、一番多 かったのが大阪府だった。大阪府では、橋下知事による「改革」のもと各種補助 金が削減されるなか、私学への助成金も大幅にカットされ、授業料を値上げせざ るを得なかった学校も多く、それも公立人気に拍車をかけたのだろう。自治体な どでは二次募集をしたり、急遽定員を増やすなど対策を講じるものの、それでも 行き場を失い、教育を受ける機会を奪われる生徒もいるという。
 不況でも、戦争でもそうだが、結局いつでも「弱いもの」が一番その皺寄せを受 け、犠牲を強いられるということだろう。
09年4月6日(月) 「北朝鮮のミサイル発射実験への怒りD」
 北朝鮮政府と日本政府(マスコミ)による一連の馬鹿馬鹿しいから騒ぎ≠ェ ようやく終わった。今回の騒ぎで一体誰が得をしたのだろうか?
 今回の件で、一挙にミサイル防衛システムの存在を国民に周知させることがで きたことと、国民の関心が自衛隊に向くことで隊員の士気が上がったと防衛省は 喜んでいるという(4/5)。マスコミ各社もさぞや視聴率が取れたことだろう。ワイド ショーももう2、3日はこのネタでいけるだろう。また
ここにきてなぜか麻生首相の支持率が上昇傾向にあるという。そして読売新聞 の世論調査では、憲法改定賛成派が久々に多数を占めたという(4/3)。
 では一体誰が損をしたのか?言うまでもなく飢えに苦しむ北朝鮮国民である。 そして、恐怖感や不必要な不安を煽り立てられた日本国民であろう。
09年4月3日(金) 「自衛隊の海外派兵に向けた準備」
 在日米陸軍相模総合補給廠内に建設が予定されている戦闘指揮訓練センタ ーの着工式が2日にあった。米軍のロフォード少佐はセンター建設の目的を、共 同訓練を通して米軍と自衛隊(中央即応団)の連携を一層強化し、日本の本土 防衛力向上や人道援助のほか、局地戦やゲリラ戦などあらゆる事態に対応する ためだと述べている(4/2)。つまり自衛隊を海外派兵(テロ対策・PKOなど)させ るための訓練施設だということだろう。
09年4月2日(木) 「死に対するケガレ意識」
 富山県高岡市で新たに建設された斎場がオープンするに当り、行政と反対派 住民との間でいざこざがあったというニースがあった(4/1)。高岡だけでなく、斎 場や葬儀場の建設に対しては全国各地で反対運動があると聞く。もちろん色々 な事情があるんだろうけど、大概は死に対するケガレ意識がその背景にあるん だろう。そしてそのケガレ観がそこで働く人への差別につながってきた歴史があ る。ところで同じ人の死に関わっているはずなのになぜ僧侶は差別されてこなか ったのだろうか?
 仏教では、死を決してマイナスのイメージだけでは捉えない。確かに死は辛く、 悲しく、時には怖ろしいことかも知れないが、もっと肯定的に、意味あるものとして 捉えていくのが仏教である。にもかかわらずこの仏教国日本には、まだまだ死に 対するケガレ観やそれに従事する人々への差別意識が根強く存在する。その責 任の一端は私たち僧侶にもあるんだろう。
09年4月1日(水) 「北朝鮮のミサイル発射実験への怒りC」
 北朝鮮のミサイルが万が一日本領土に落ちてき場合、政府は必ず迎撃する! と明言しているが、迎撃したほうがかえって被害が大きくなる可能性があるという (「朝日新聞」朝刊参照)。本来、MDシステムは核ミサイルや生物兵器など、地面 に着弾して爆発するよりは、空中で爆発させたほうが被害が少なく済むという考 え方に基づいている。ところが今回の北朝鮮のミサイルには、何が積まれている かは知らないが、少なくても弾頭は搭載されていない。落ちてきても大爆発や細 菌を撒き散らすことはない。それを敢えて迎撃したら、かえって落下物の破片が 広範囲に拡散し、被害を大きくすると言われている。また、自衛隊が発射した迎 撃ミサイルは、標的を外すと自動的に自爆するというが、まさに自分の上に向か って唾を吐くのと同じで、その破片も頭の上に落ちてくることとなる。一般の国民 にとっては、「当っても地獄、外しても地獄」である。
 まあ、「ファー」だとか緊張感のない発言をする政府関係者がいるぐらいだか ら、万が一にも落ちてくることはないのだろう。国民の危機感を煽るだけ煽って、 防衛予算の増額や憲法改悪につなげたいという思惑が見え隠れする。
09年3月31日(火) 「愛国心教育」
 山口県教育委員会が、県内すべての公立小中学校に吉田松陰を授業などで 取り上げることを4月から勧める。吉田松陰といえば、「尊王攘夷(じょうい)を説 いた松陰は戦前の修身教育に利用された歴史があり、「忠君愛国」の理想的人 間像として鼓吹された歴史があるという。
 少し前、WBCが開催されていた。ところで今回はなぜ「侍ジャパン」となったの だろうか?これまで「長島ジャパン」や「星野ジャパン」など監督の名前がついて いたんだから「原ジャパン」でもよかったはず・・・。「侍」と聞いて抱くイメージは 各々異なるだろうが、私が「侍」と聞いてイメージするのは「滅私奉公」である。今 回の日本チームと「滅私奉公」、どういう関係があるのだろうか?
09年3月30日(月) 「憲法九条と人権C」
 1940年から「資源調整事業」というのが始まる。「満州国」を作った日本政府 は、開拓民として「満州」への移民を推奨するが、なかなか計画通りに進まない。 そこでどうしたかというと、被差別部落は土地が狭いうえに人口が多い。人口資 源と土地資源がアンバランスである(あくまでも差別の結果であるが・・)。そこで バランスをとるために被差別部落の人たちを「満州」に移民させようとした。それ を「資源調整事業」と言うのだそうだ。その際、政府は被差別部落の人々に「「満 州」に行ったら差別から解放される。貧困から解放される」と煽ることによって、 移民を勧めたという。それによって熊本県のある被差別部落からは200名以上 の人々が「満州」に渡ったという記録も残っているという。
 しかし、「満州」移民、「満州開拓」と言っても、中国人からすればある日突然日 本人がやって来て自分達の土地を取り上げ、勝手に「満州国」という国を作った という侵略行為である。当然、敗戦後すぐに、土地を取り上げられた中国人によ り「開拓地」は襲撃され、多くの移民が犠牲になったという。先ほどの熊本県の被 差別部落の例で言うと、約200名のうち生き残って日本に帰れたのはたった一人 だったという。
 被差別者に対して「差別から解放される」と平等幻想を振りまくことで、戦争に 動員し、そして最後は見殺しにするという戦争の残酷さがここにはある。
09年3月29日(日) 「憲法九条と人権B」
 本土空襲が始まり戦局が悪化してくる1944年、東条内閣は「決戦非常措置要 綱」というのを閣議で決めたという。内容は「高級料亭停止措置」など、とにかく気 を引き締め戦意を高揚するために「遊ぶな」という命令を出す。その結果、料亭 や映画館、劇場などがどんどんと閉鎖されていく。ところが例外として「性的慰 安」は認められ、遊郭などは客が増えたという。なぜ売売春だけ許されたのか? それは、戦争が激しくなるにつけ、日用品が不足し、様々な制限を受けて国民の 間に不満が溜まってきている。不満が爆発する前にガス抜きしなければならな い。そこで「性的慰安」だけが例外にされたという。この考え方は、戦場において は「従軍慰安婦」となっていくが、ここには国家が侵略戦争を遂行するためには、 女性の人権は一切無視して、戦う兵士のため、働く男性のために女性は犠牲に なれという論理が一貫してあることが分かる。 
09年3月28日(土) 「北朝鮮のミサイル発射実験への怒りB」
  朝から北朝鮮のミサイル発問題がテレビを賑わせている。イージス艦が出港 し、迎撃ミサイルが移動する映像を見ているとまるで戦争前夜のようである。
 東京都の石原知事が「ミサイルが日本に落ちてくればいい。そうすれば日本人 ももっと緊張感を持つだろう」と発言していた。「彼ら」の本音だろう。今回の発射 が予定されているミサイルは、射程距離が約6000キロで、要するにアメリカ向け のメッセージである。日本には直接関係ない。日本に関係があるのはノドンとい う中距離ミサイルなんだそうだ。日本が配備するMDシステムも、ノドンに対応して いるため、今回のような長距離ミサイルにはそもそも届きもしない。政府が言うよ うに「万が一失敗した場合の備え」であるはずなのに、テレビを見ているとまるで 北朝鮮が日本に宣戦布告でもするような印象を抱いてしまう。そこに何か意図的 なものを感じてしまう。まさにそれが石原知事の発言となって表面化したのだろ う。
 為政者やマスコミの報道に煽られることなく、冷静な対応が今必要だろう。そう いう意味では石原知事の暴言も、意味があるのかも知れない。
09年3月27日(金) 「『アメリカの弱者革命』を読む」
 『アメリカ弱者革命』(堤未果著・海鳴社)を読んだ。アメリカにおける貧困と戦 争、そして帰還兵によるPTSDやアルコール依存症、薬物汚染、ホームレス化な どの大手のマスコミ報道では決して伝えられない真実がレポートされている。『ル ポ貧困大国アメリカ』(堤未果著・岩波新書)と合わせて読みたい好著であった。
 ブッシュは言うに及ばず、彼を支持するアメリカ人とは何なのか?というずっと 不信感があったが、たとえ僅かでも現実に疑問を抱き、声を上げていくアメリカ 人がいることも知り、何か希望が湧いてきた。
09年3月26日(木) 「憲法九条と人権A」
 明治の頃に始まって最近まで続いたハンセン病患者に対する強制隔離。その 歴史の中で何段階かに段々レベルアップさせている。そのきっかけになったが戦 争だったという。
 ハンセン病というのは非常に感染力の弱い病気で、普通では滅多に人から人 へ感染することはない(現在では、たとえ感染したとしても、プロミンという特効薬 があるため、通院しながら簡単に完治する病気だという)。そのことは日本でも以 前から知られていた。ところが1931年、満州事変が起こる年に、「ライ予防法」と いう法律が制定され、絶対隔離という全ての患者を強制的に一生涯隔離すると いう政策が採られることとなる。
 その理由が、ハンセン病が発症すると、末梢神経に障害が生じ、手足の感覚 が麻痺してくる場合がある。しかしそれでは兵隊にはなれないし、軍需工場で働 かせることも出来ない。たとえ僅かでも感染する可能性があるなら、一層のこと、 全患者を隔離してしまえ!となったという。つまり、侵略戦争を遂行するために、 ハンセン病患者の人権が著しく侵害されたのである。戦争という「公の利益」のた めには、「個人の利益」が犠牲になっても当然だ!という論理である。
09年3月25日(水) 「憲法九条と人権@」
 「9条をまもり、憲法をいかす市民の会・氷見」が藤野豊さんの講演をまとめて 作成した『憲法九条と人権』を読んだ。
 藤野さんは、「9条の改悪は、単に9条だけの問題ではないと言う。他の憲法の 重要な条文にも大きな影響を与える」と仰る。例えば、憲法が改悪されると、今ま で以上に「国民の義務」というのが前面に出てくる。特に「国防の義務」が強調さ れるようになる。しかし「国防の義務」が強調されればされるほど、基本的人権の 侵害が増えるはずである。「公の利益」が強調されれば、それだけ「個人の利益」 は犠牲になると。確かに「9条が改悪されたらすぐに戦争になる」とは限らないか も知れない。ただ戦争の準備をする段階で、著しい人権侵害が横行する可能性 がある。藤野さんはそれを、戦時中のハンセン病患者に対する国家による人権 侵害を通して明らかにしていかれる。
09年3月24日(火) 「北朝鮮のミサイル発射実験への怒りA」
政府筋:「鉄砲の弾で鉄砲の弾を撃つようなもんだ。当たると思うか」
石破(農水相):「当たると思う」
政府筋:「実験で今から撃ちますよと言って、ぴゅーっと来るから当たるんで、い きなり撃たれたら当たらないよ」
石破氏:「それは信じようよ」
(ある政府筋と石破茂元防衛庁長官との間でやり取りされた一場面より(3/23))
09年3月23日(月) 「光顔巍々=v
 「讃佛偈」に最初に出てくる「光顔巍々・・」の「巍々」という字は、「崇高な山容に 接した感動をあらわすための字」だという。ちょうど日本人が富士山を見たときに 感じるなんとも言えない気持ちに似ているという(「聖典講座」天岸浄圓)。
 以前、東京のホテルに宿泊した際、朝、窓の外を見ると、遥か彼方山の向こう に富士山の雄大な姿が見えた。都会のど真ん中から富士山が見えるなんて思い もよらなかったので、まさに圧巻だった。手前にある近代的な超高層ビルも大都 会東京の街並も、霞んで見えるぐらいだった。まさにあのような感動が「光顔 巍々」という言葉につながっていくのだろう。
 地位も名誉も財産も全てを手に入れ吾が世の春を謳歌していた国王に、自ら のちっぽけさ、愚かさを気づかせ、国を棄て、王位を棄て、その場で出家させてし まう仏(法)の偉大さ、奥深さに改めて頭が下がる。
 ところで文科省が全国の小中学校に配布した道徳の副教本「心のノート」にも 富士山が出てくるという。多くの日本人が抱く富士山に対する畏敬の念を利用し て、富士山⇒日本の象徴⇒天皇(日本国家)に対する畏敬の念⇒忠誠心⇒愛国 心の涵養という思惑が見え隠れする。
 伝統的に日本の為政者には宗教(天皇・神道)を利用して人心の掌握を図ろう とする傾向がある。そんな国家の欺瞞性を見抜いていくことも私たち僧侶の役目 なんだろう。
09年3月22日(日) 「「黒部の太陽」を視る」
  昨夜、「黒部の太陽」というドラマを視た。1968年に発表された人気映画のテレ ビ版だというが、なぜ40年以上も経て、改めてこの時代にリメイクされたのか? その答えがドラマの中に隠されている、という新聞コラムをどこかで読み、眠たい 目を擦りながら夜中まで視ていた。
 内容は、関電が発注した黒部第4ダム建設に関わる人間ドラマである。工期も 短く、かなりの難工事だったようで、多くの死者を出したという。下請けの労働者 が事故で命を落としたとき、関電側の工事責任者が「このままでは労働者の士 気が落ちて、工期に間に合わない。何としても工事を急ぐんだ!これは戦争だ! 亡くなった者の犠牲を無駄にするな!国家のために、この国の未来の礎を築く ためにも建設を成し遂げよう!」とハッパをかける。すると、それを聞いていた下 請けの親方(香取慎吾役)が、「俺たちは、国家やこの国の未来のためにトンネ ルを掘っているんじゃない。仕事として、トンネル堀の誇りとして、この仕事をして いるだけだ!犠牲≠ネんて言葉を使うな!そんなことばで俺たちを煽るのは やめてくれ!」と訴える場面が印象に残った。
 まさに「今の日本の繁栄は、国家のために命を投げ出し、戦争で戦った人々の 犠牲≠フお陰だ!その犠牲≠無駄にするな!ちゃんと英霊として祀れ! 彼らを見習え!彼らに続け!」という昨今の言動へのアンチテーゼのように聞こ えた。
09年3月20日(金) 「自民vs民主」
 民主党の海賊対策への方針が明らかになった(3/20)。あくまでも「海上保安庁 が主体的に取り組む」方向で検討しているという。
 「自衛隊の海外派遣に関する原則をなし崩しにする」ことを目的にあくまでも海 自の派兵にこだわる自民党案と国会の場でしっかりと議論を戦わせることで、国 民に「将来の自衛隊のあり方」というものを提起して欲しい。スキャンダルや政局 絡みで論点がぼやけてしまうのはゴメンだ!
09年3月19日(木) 「北朝鮮のミサイル発射実験への怒り」
 北朝鮮が予告している「衛星=ミサイル?」発射実験。政府は迎撃も辞さない と明言しているが、仮に日本に飛んできたとして、本当に当るのだろうか?そっち の方が心配である。
 配備に1兆円以上もかかるミサイル防衛システム。しかしその命中率は値段の 割にはあまり良くないという。湾岸戦争の折に、イラクからイスラエルに向けて発 射されたミサイルのパトリオットによる命中率は40%しかなかったという(この数 字も怪しい)。2000年には、MDシステムの整備を進めるアメリカ大統領にノー ベル賞を受賞した50人の科学者が配備反対の書面を送るぐらいの代物であ る。実際、以前海自がハワイ沖で行った迎撃実験では、撃墜に失敗している。ア メリカが作ったマトモな*ヘ擬弾にすら当らないのに、北朝鮮製のミサイル、ど んな飛び方をするかなんて誰にも判らないのに、本当に大丈夫?と言いたい。
 北朝鮮の愚行は言うに及ばず、「撃ち落とす」という発想にとらわれて、「撃た せない」努力を怠り、今回の事態を招いた日本政府に強い怒りを覚える。もし万 が一被害が出たら政府はどう責任を取ってくれるのだろうか?まあ、今さら言っ てももう遅い。ただただ無事に¥繼を通り過ぎていくことを祈るばかりであ る。
09年3月18日(水) 「専守防衛から治安維持へ」
  日本船主協会の会長が麻生首相に会い、アフリカ・ソマリア沖の海賊対策のた めに海上自衛隊を派遣するよう直接要請したことからも明らかなように、自衛隊 の海外派兵の背景には経済界からの強い後押しがあることが判る。昨年の9月 にも、経団連の御手洗会長が「日本がテロとの戦いに毅然として立ち向かうこと を強く支持する。新テロ特措法改正案を断固として支持する」と記者会見で述べ るなど、グローバル化のなかで日本の多国籍企業が海外で安心してビジネスを 行う環境を作り出すこと、治安を維持することが、これからの自衛隊に求められ ているのだろう。
09年3月17日(火) 「現在の言論弾圧=v
 昨年、日教組の教研集会において、グランドプリンスホテル新高輪が会場使用 や宿泊を拒んだ問題で、警視庁は、社長ら幹部を旅館業法違反容疑で書類送 検するという(3/17)。当然の処分だとは思うが、旅館業違反というよりはむしろ 言論や結社、集会の自由を認めた憲法(民主主義)に違反する行為として非難し 罰せられるべきだと思う。
 昨日の毎日新聞の夕刊に、「九条の会」の呼びかけ人の一人であり、憲法学 者でもある奥平康弘が現在の言論弾圧の傾向について書いていた。戦前の国 家は、言論の内容が国家にとって都合が悪いかどうかによって直接弾圧を加え た。ある意味、非常に分かりやすく、批判もし易かった。ところが最近はちょっと 違うという。例えば、政党ビラをマンションの郵便受けに投函したとして逮捕、起 訴、有罪にされた事件では、直接の容疑は「住居侵入罪」だった。また、「日の 丸・君が代」問題では、「(校長の)職務命令違反」が教職員への処分の理由とな っている。つまり、ビラに書かれた内容や教職員の思想・信条とは関係なく、「住 居侵入罪」「職務命令違反」などといった制度≠ノ反する行為という理由を前 面に押し出すことで、問題の本質が巧妙にすり替えられ、抗議や批判がしにくく なっているという。
09年3月16日(月) 「役立つ命、役立たない命」
 大阪府の橋下知事が、自衛隊入隊予定者激励会に出席し「人間にとって最も 尊い行為は自己犠牲。・・・命を投げ出して人を守ることは僕にはできない。(自 衛官は)知事よりもはるかに尊い職業だ」という趣旨の挨拶をしたという(3/16)。
 はたして自分の命を投げ出して守るべき他の命などあるのだろうか?誰かの ために命を捨てることはそんなに尊いことなのだろうか?まさに「命を役に立つ か立たないか」という物差しでしか見れない「私利私欲のために生きてきた(本人 談)」人間の発言である。
09年3月15日(日) 「海上自衛隊ソマリア派兵」
 海上自衛隊の護衛艦2隻がソマリア沖の海賊退治に出発した。一隻あたり約6 40億円もするという最新鋭の護衛艦におよそ400人の隊員を乗せての船出で ある。1万2千キロ離れた極東の国から、それも憲法9条を持つ日本から2〜3 週間かけてのわざわざのお出まし、退治される側もさぞや海賊冥利≠ノ尽き るだろう。
 「自衛隊はこんなにも活躍している!」⇒「世界の人々が日本の活動に期待し ている!」⇒「もっと国際貢献していこう!」⇒「そのためには憲法9条を改定しま しょう!」
09年3月13日(金) 「教育に対する不当な支配」
 東京都立七生養護学校(当時)で行われていた性教育の内容を巡って、3人の 都議が「このような教材を使うのはおかしい」「感覚が麻痺している」などと因縁と つけ、都教委が校長を降格させ、担当教諭らを厳重注意したことは、教育基本 法で禁じられた「不当な支配」に当るとして、東京地裁は彦倉に慰謝料の支払い を命じるという画期的な(当然の)判決を下したという(3/13)。
 東京都では、教育現場への「日の丸・君が代」の押付けに始まり、職員会議で の教職員による挙手採決を禁じるなど、教育に対する行政から「不当な支配」が まかり通っている。それらに歯止めをかける大きな一歩となる判決である。
 しかし今回の判決は、「旧」教育基本法を基準としたものであり、06年に改悪さ れた「新教育基本法」で同じような判決が下されるかどうかは未知数だという。こ のような司法判断を想定したうえでの改悪だったと思うと、悔やまれてならない。
09年3月12日(木) 「映画『おくりびと』を観る」
 映画『おくりびと』を観た。作品としての完成度は言うに及ばず、内容的にも非 常にいい映画だったと思う。
 映画の中で、「納棺師」に対する蔑視観・差別意識が描かれていた。主人公 (本木雅弘)が「納棺師」の仕事に就いていることを知った幼馴染の友人が「もっ とまともな仕事に就けよ!」と軽蔑の眼差しで言う。夫が「納棺師」をしていること を知った妻(広末涼子)が「その仕事を辞めないなら私は実家に帰る」と言って家 を出ようとした時、制止しようとした主人公に「嫌!触らないで!汚らわしい」と言 う場面はその典型だろう。
 このように死に関わる仕事への蔑視観やそれに従事する人々へのケガレ観 が、部落差別などの差別を生み出す要因の一つになっているのだろう。
09年3月11日(水) 「裁判員制度と死刑制度A(死刑制度と教誨師)」
 面会室のアクリル板で隔てられずに死刑囚と会える唯一の民間人として教誨 師がいる。まさに刑が執行される直前まで死刑囚と話をするという。ある仏教系 の教誨師によると、どの死刑囚も最後はみんなと握手を交わし、「有難う」と礼を 言って、取り乱すことなく刑場に向かうという。裁判員制度を控え、「最後に人間 性を取り戻し、高い境地に達していく死刑囚もいる。裁判員には、死刑囚の『生き 方』を知ってもらいたい」と彼は言う。
 おそらくほとんどの教誨師が死刑制度に疑問を持っているのだろう。出来るこ となら助けてやりたいと思っているに違いない。しかし、教誨師(宗教者)もまた、 死刑をスムーズに執行するための、死刑制度という「制度」を支えている一人で あることに間違いない。矛盾を抱え、苦しみ、それでも死刑囚に会いに行く教誨 師も多いに違いない。
09年3月10日(火) 「裁判員制度と死刑制度」
 朝日新聞の朝刊に、裁判員制度に関連して「死刑制度」についての特集があっ た。
 日本では死刑囚がどのような最後を迎えるのか?ほんど知られていない。とい うよりも拘置所の所長や教誨師など一部の人を除いてほとんど非公開だという。 一方、先進国の中でも僅かに死刑制度が残るアメリカの場合(州によって異な る)、被害者や遺族、マスコミなどが死刑執行に立ち会うことができ、執行のプロ セスが詳細に公開されているという。その背景には「死刑を「究極の国家の権力 行使」と位置づけ、非公開であってはならないという考えが背景にある」という。大 阪弁護士会の江村智禎弁護士は「死刑がどんな場所で、どう執行されるのかと いった情報すら出さないまま、市民に死刑をめぐる判断をさせるのは順序がおか しい。制度開始前に、最低限の情報公開は必要だ」と話している。
09年3月8日(日) 「被害者(遺族)に時効はない=v
 今朝のサンデーモーニングで「時効」について特集をやっていた。「時効」があ る理由として、時間の経過とともに証拠が散逸し冤罪を起こしやすくなるとか、長 年の逃亡生活により社会的制裁を受ける、税金の無駄遣い、遺族の処罰感情 が薄れるなど色々あるらしいが、特に興味深かったのは、日本人特有の「(悪や 穢れたものを)水に流す」という考え方が影響しているのではないかという意見で あった。
 時効制度の賛否は別にして、この「水に流す」という考え方が、日本の戦争責 任・戦後責任に大きな影響を及ぼしているのかも知れない。加害者からすれば 都合の悪いこと、触れたくないことはすぐに忘れてしまいたいと思うかもしれない が、「被害者(遺族)に時効はない」ということは絶対に忘れてはならないのだろ う。
09年3月4日(水) 「戦争被害者受忍論の不条理さ」
 今朝の朝日新聞の「私の視点」欄に、東京大空襲訴訟原告弁護団の中山武敏 さんが「戦争被害受忍論の見直しを」という記事を投降していた。
 裁判で証言に立った精神科医の野田正彰さんは「空襲被害者の多くが、高齢 者になってから、凄惨な空襲体験の極限状況を想起し、再び苦しんでいる」とし 「原告らの精神的負荷は国を含む共同体で背負わなければならない」と証言した という。また、歴史研究者の池谷好治さんは、軍人・軍属やその遺族に対しては 補償がなされる一方、一般戦災者に対しては一切補償がないことの不条理を訴 えられたという。
 中山さんは「戦争被害に対する国家補償制度の国際的な原則も、国民平等主 義(軍人・軍属などと民間人を区別しないこと)と、内外平等主義(国籍による差 別をしない)である」とし、民間人空襲被害者にだけ「等しく受忍せよ」という戦争 被害者受忍論の不条理さを訴えかけておられる。
09年3月3日(火) 「監視カメラは仏様?」
 京都の有名寺院から仏像を盗んだとして会社経営の男が逮捕された。家で盗 んだ仏像にお供え物をし、毎日拝んでいたという。まあ、このココで敢えて取り上 げる程のニュースではないのかもしれないが、何とも情けない話である。昔なら 「罰当たり者!誰も見てなくても仏様が見てはるで!」と叱られたであろうが、今 では、「(仏様よりも)監視カメラが見ているぞ!」といったところであろうか。窮屈 な世の中になってしまったな・・・
09年3月2日(月) 「第三の選択肢」
 民主党の小沢代表の「第7艦隊だけで十分」という発言が議論を呼んでいる(2 /25)。在日米軍には出て行ってもらい、その空いた分を独自(自衛隊)の軍事力 の増強で補う(憲法改定を含む)のか?それともこれまで通り在日米軍の抑止力 と憲法9条との微妙なバランスを保ちながらやっていくのか?といった二者択一を 迫る議論にどうしても陥りがちではあるが、在日米軍も軍備の増強もしない!と いった第三、第四の選択肢があってもいいのだろう。
09年3月1日(日) 「盗人猛々しい=v
 今朝の朝日新聞の「天声人語」の欄に、イギリスの大英博物館やフランスのル ーブル博物館には、帝国主義時代、ヨーロッパ列強諸国がアジアやアフリカその 他から戦利品として持ち帰った美術品が多数展示されていると書いてあった。そ う言えば、以前、エジプトのルクソール神殿を訪れた時、ガイドさんから「かつてこ の神殿の入り口に二本オベリスクが対になって建っていた。ところが現在は一本 しかない。もう一本は今、パリのコンコルド広場に立っている。残念だ!」と教え てもらったことがある。このようにアフリカやアジアから持ち出された美術品は、 今も返還されることなく、欧米の博物館やコレクターによって売買されているとい う。盗人猛々しい≠ニはまさにこのことだろう。
 ところで今度、西本願寺の前に「龍谷ミュージアム」というのが建設されるらし い。噂によると、そこにかつてシルクロードを探検した「大谷探検隊」が収集した 貴重な仏教美術品などを展示するという。同朋運動の拠点であった本願寺同朋 センターを取り壊し、そこに「大谷探検隊」のコレクションを展示するところに、教 団の運動の現状が映し出されているのだろう。
09年2月28日(土) 「映画「靖国」を観賞する」
 昨年のはじめ、一部政治家たちからの指摘を受け、その後、右翼団体による 抗議や脅迫を恐れて上映を中止する映画館が相次いだ話題のドキュメンタリー 映画「靖国」(リ・イン監督)を観た。テレビでは決して報道されない靖国神社の様 子が克明に描かれていて、靖国神社に行ったことのない私にとって非常に興味 深い映画だった。
 映画を観ながら考えていた。なぜ靖国問題が課題になるのか?侵略戦争を肯 定する靖国史観への抗議(中国や韓国民衆への連帯)や政教分離(信教の自 由)を守るための闘い、戦争動員装置としての「靖国」の解体なども色々あると思 う。でも私たち真宗者がこの問題に関わるときに絶対に外してならないのは、私 たち真宗教団と「靖国」思想との関係だと思う。
 これまで私たち僧侶が説いてきた念仏の教えといえば、そのほとんどが来世の 救いが中心であった。念仏さえ称えておけば、命終えたら必ず阿弥陀如来がお 浄土に迎え取って下さるというものである。確かにその教えは、命終えていく人に は「死んで終わりではない」という死の恐怖からの解放をもたらした。また遺族に 対しては「また会える」という希望と安心感をもたらすことが出来た。ところがその ような来世志向一辺倒の教えは、一方で現世での悲しみや苦しみやへの忍従や 諦めを人々に強い、結果として社会の矛盾を覆い隠し、それらを解消していこう する願いや行動を奪うことにもなった。教団と部落差別の関係はその典型であ る。
 一方の「靖国」の教えは、兵士に対しては「たとえ戦死しても、英霊として靖国神 社に祀られ、天皇陛下や総理大臣の参拝によって永遠にその功績を讃えます。 安心して国のために戦って死になさい」と説くことで戦争への恐怖を安心に替え た。また大切な家族を奪われ悲しみに暮れる遺族に対しては「あなたの息子・夫 ははあのような立派な社に祀られ、国のトップによって敬意が払われます」と言う ことで国家や戦争への怒りを喜びや誇りに摩り替えることに成功した。
 この浄土真宗の教えと靖国の思想。内容は違っても、宗教的な救いの論理は 非常によく似ている。かつて教団では、靖国神社のことを「靖国浄土」と呼んだと いう。また、靖国神社を支える靖国の母≠竍靖国の妻≠ニ呼ばれる人々の 多くが真宗門徒であるとも聞く。また、元々真宗の救いを参考にして形成された のが「靖国」であると主張する研究者さえいる。
 もしかするとヤスクニの思想を支えてきたのは誰であろう、私たち浄土真宗の 僧侶や門徒だったのかも知れない。ヤスクニを問うとは真宗を問うことであり、私 自身を問うことでもあるのだあろう。
09年2月27日(金) 「死者への冒涜」
 靖国神社に祀られている親族の名前を「祭神簿」から削除するよう求めた訴訟 で、大阪地裁の村岡寛裁判長は「遺族が主張する感情は不快や嫌悪の感情とし かいえず、法的に保護するべき利益とは言えない」と述べ、遺族らの訴えを棄却 する判決を出したという(2/26)。
 大切な家族の命を国家による戦争に奪われるだけでも耐え難いのに、その死 をさらに「戦争の美化」や「将来の戦争動員」のために利用するなど、遺族の怒り や悲しみを逆なぜする行為であり、死者に対する冒涜も甚だしく、断じて許せな い行為である。
09年2月26日(木) 「戦争は最大の人権侵害」
 一昨日、岡山地裁であった「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」において、裁判所 は判決の中で徴兵拒絶権や良心的兵役拒絶権、軍需労働拒絶権など具体的な 権利を挙げて、原告が主張していた平和的生存権を国民の基本的人権として認 める判断を下した(2/25)。今回の裁判は、憲法判断は避けたものの、「有事法 制や国民保護法で、国民を軍事に動員する仕組みが着々とできているが、そう いう政治に抵抗できるということを具体的権利として示してくれた」(by佐藤博文 弁護士)点で、ある意味画期的な判決だったという評価がある。
 「戦争に協力したくない!」という市民はもちろん、一番安堵しているのは自衛 官やその家族ではないだろうか?この判例によって、たとえ自衛隊員が海外派 兵に「NO!」を言った場合にも十分に裁判で闘えるという(by川口創弁護士)。
09年2月25日(水) 「海賊対策新法」
 海賊退治のための新法制定に向けて、武器使用基準の概要が明らかになって きた。武器の使用には警職法7条を適用し、これまでの正当防衛に限っての認 めてきた武器の使用を、治安維持活動にも認める内容になっているという(2/ 25)。海賊取り締まりは警察活動であるため、憲法が禁じる武力行使には当らな いと政府は説明しているというが、今回の活動を「治安維持活動の海上版」と受 け止める自民党議員がいるように、明らかに紛争地域での自衛隊による治安維 持や警備活動などより積極的な米軍支援に道を開くための、なし崩し的解釈改 憲である。
09年2月24日(火) 「「差別をしない!させない!許さない!」運動」
 昨日、上杉聰さんの「「解放令」と日本国憲法」という講演を聞いた。
 昨年60周年を迎えた「世界人権宣言」は、第1条(自由平等)において「すべて の人間は、・・・平等である」と平等を謳い、続く第2条では「すべての人は、・・・差 別をも受けることなく、・・・いかなる差別もしてはならない」と差別の禁止を宣言し ている。「平等」と「差別の禁止」、一見よく似た内容の条文がなぜ連続して出てく るのか、1871年(明治4)に太政官より出された所謂「解放令」と、その後の部落 差別の現状を通して詳しく説明して下さった。
 1871年の太政官布告では、@賎民支配制度(賎称)の廃止A(平民)法の下の 平等B職業の自由などが謳われている。それを被差別身分の人々は「解放令」 と呼び、その後の解放運動の一つの拠り所にもなってきた歴史がある。ところが 明治政府から「解放令」が出されたにも関わらず、それを受けた各都道府県の 対応はまちまちだったという。「差別をしていはいけない」と具体的な指令を出し た自治体(堺県)もあれば、「差別をなくすには時間がかかる」と消極的な姿勢の 自治体(宇和郡)もあり、また中には、「解放令」を喜ぶ被差別部落の人々とそれ に反対する一般住民との小競り合い対して、「「解放令」以降、尊大な振る舞いを している被差別部落の側に責任がある」といったとんでもない告諭を出している 自治体(高松県)もあったという。なぜこのような対応になってしまったのか?そ の理由を上杉さんは、「太政官布告には「平等」は謳われているものの、「身分差 別の禁止」や「過去の差別の否定・反省」が欠落していたからだ」と説明されてい た。差別をなくすためには、平等という理念を掲げるだけでなく、「差別をしない! させない!許さない!」という具体的な行動が必要であり、それを政府が怠って きたことが現在でも差別が残る一つの理由であるとも仰っていた。戦後制定され た「日本国憲法」は、その第14条において、「すべての国民は、法の下に平等で あって、・・・社会的身分又は門地により・・・差別されない」と差別の禁止を明確 に謳っているのはそのためだと説明してくださった。
 上杉さんの講演を聞きながらふと思った。現在の教団は「すべてのいのちが輝 く世界・・」とか「ともに許しあえる世界・・」などといった曖昧な抽象的表現を用い て同朋運動を推進(?)しているが、本当にそれで差別はなくなるのだろうか?内 実を伴わない形だけの「解放令」の二の舞になりはしないか心配である。
09年2月22日(日) 「水平社宣言と親鸞聖人と教えC」
 梯先生は真宗学の立場から弾圧の論理を説明してくださった。
 「興福寺奏状」において旧仏教側は、専修念仏の教えを因果の道理に背く邪見 であると非難している。人間の側の能力や努力に関係なく全ての人が平等に阿 弥陀仏より回施された他力の念仏によって浄土往生が決定するという専修念仏 の教えは、「良い行いをすれば良いところに生まれ、それなりの行いをすれば、 それなりのところに生まれる」という因果の道理に基づいたそれまでの仏道を根 底から否定するものである。そしてそのような教えは、「尊い家柄に生まれ、裕福 なのは、それだけその人が良い行いをした結果である」という自業自得の理論を 根拠にした当時の身分秩序をいずれ根底から崩壊させかねえない。だからこそ 旧仏教も政治権力も専修念仏を弾圧したのだろう。
09年2月21日(土) 「水平社宣言と親鸞聖人の教えB」
 昨日、一昨日と第三ブロックの青年布教使研修会が奈良市であった。「興福寺 奏状と水平社宣言に学ぶ悪人正機」というテーマのもと、「興福寺奏状」を梯実圓 先生が、「水平社宣言」を武田達城がそれぞれ講義下さった。非常に内容の濃 い研修となった。
 武田先生は、「水平社宣言」はあの時代に書かれた『教行信証』の「後序」だと 仰ったがの印象深い。親鸞聖人は「後序」に「承元の法難」について書いている。 そこには死罪になった安楽や住蓮の名前は出てこないし、ましてや鈴虫・松虫の 名は言うまでもない。出てくるのは、弾圧をした後鳥羽上皇と土御門天皇の名前 だけである。天台座主であった慈鎮が書いた『愚管抄』などには、法難のきっか けは男女間のスキャンダルだと書かれている。つまり弾圧の被害者には同情は するが、元はと言えば破廉恥なキャンダルを起こしたお前達(専修念仏)が悪い のだ!と言っている。それに対して親鸞聖人は、法難の責任は弾圧者の側に10 0%あるのであって、被弾圧者には一切責任はないと言い切っておられる。まさ にそれは「差別の責任は差別者に100%あるのであって、被差別者には一切責 任はない」と宣言し、それまでの融和運動を批判した「水平社宣言」の精神にも 通じるのだと。
09年2月18日(水) 「小沢代表の本音」
 いよいよ自民党政権の終焉も近くなってきた。そこで気になるのが民主党であ る。特に安全保障への対応である。民主党はこれまで自衛隊のイラク派兵やイ ンド洋への給油艦の派遣に反対してきた。米国から求められているアフガン支 援に対しても教育や農業など民生支援を打ち出している。また昨日クリントン長 官と会談した小沢代表は「これまでの従属ではなく対等な日米同盟の構築」を主 張したという。一見すると自民党よりもマシに見える。安心してもいいのだろう か?
 昨日の会談で小沢代表は次のようにも語っている。「今までの日本政府はきち んと主張をしないことが問題だった。日本人がたとえ困難な役割でも責任を果た す覚悟がなかったからではないか」と。小沢氏が言う「困難な役割でも責任を果 たす覚悟」とは何だろうか?なぜ「今までの日本政府はきちんと主張」出来なかっ たのか?あたかも「憲法9条があったから」と言いたげだ。
09年2月17日(火) 「怨みなきことによって止む=v
 ベトナム戦争やイラク戦争から帰還した退役軍人による自殺や心的外傷後スト レス障害(PTSD)などは既に指摘されているが、毎日新聞が調べたところによ ると、イラクやアフガニスタンでの対「テロ」戦争に従事した米兵の中に、反米武 装勢力が仕掛けた爆弾などの爆風により、外傷はないものの脳の中の組織に 損傷を受け、記憶障害などを起こすケースが増えているという。その数は2万人 以上になることが判ったという。あらためて戦場で戦う兵士に勝者も敗者もないこ とを実感する現実である(2/16)。
 軍事力にだけ頼らない対話と国際協調による平和の構築を掲げたオバマ政権 の誕生や、民生面を中心にしたアフガン支援を表明している民主党など(2/ 17)、「怨みは怨みによって止むことはない 怨みなきことによって止む」(ブッダ) ということを世界は少しずつ気づき始めてきたのだろうか?
 憎しみと暴力が渦巻く時代・世界だからこそ、憲法9条が日本にも世界にも今こ そ必要なのだろう。
09年2月16日(月) 「生きる意味をもとめて 浄土真宗からの発信」
 北海道の友人から、昨年末に北海道教区基幹運動推進委員会が編集した『生 きる意味をもとめて 浄土真宗からの発信』(永田文晶堂)という本をいただい た。内容は部落差別をはじめとしたさまざまな差別問題や「ヤスクニ問題」など非 戦平和に関する課題、その他現代社会に山積する諸問題にいかに向きあって 生きるか、念仏者の立場から書かれた大作である。読むのが楽しみである。
09年2月14日(土) 「他人の不幸は、蜜の味」
 どのようなときに人は幸福を感じるのだろうか?最新の科学実験によって興味 深い結果が明らかになった(記事)。
 「他人の不幸は、蜜の味」という言葉がある。人は他人(特に自分と利害関係に あるライバル)の不幸に接すると、脳の中にある綿条体という部分が活発にはた らくということが分かった。この綿条体は、人が社会的、金銭的な報酬を得たとき に活動することが分かっているそうだ。つまり他人の不幸を知ったときに起きる 感情と「蜜」を味わったときに感じる快感とは非常によく似通っているということだ ろう。他人の成功は嫉妬や妬みとなり、他人の不幸は自分の喜びとなる。まさ に、今から約800年前に親鸞聖人が「「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身に みちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなく して、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと」(『一念多念証 文』)と仰ったことが最新の科学で証明されたことになる。
 ところでこの凡夫の本質は、遺伝による先天的なものなのか?それとも社会や 生まれ育った環境によって左右される後天的なものなのか?そこまで研究結果 は明言していなかったが、非常に興味がある。ちなみに親鸞聖人は、「(凡夫と は)さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」(『歎異抄』第十三 条)とお示し下さっている。
09年2月13日(金) 「水平社宣言と親鸞聖人の教えA」
 昨日も書いたが、格差の拡大を正当化する「自己責任論」は、いつの間にか貧 困に喘ぐ若者や非正規労働者の中に「貧乏なのは自分が悪いんだ」といった思 考を刷り込ませ、彼らから差別に対する怒りや解放の願いを奪い、現状への諦 めを強いてきたが、まさにその「自己責任論」に対して「NO!」を突きつけたのが 水平社の人々だったのではないだろうか?
 彼らは水平社宣言の中で「過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によっ てなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫 等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰 であったのだ。」とこれまでの運動を批判し、続けて「そしてこれ等の人間を勦る かの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中 より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、 寧ろ必然である。」と述べている。ここにある「過去半世紀間に種々なる方法と、 多くの人々によってなされた吾らの爲の運動」なり「人間を勦るかの如き運動」こ そ、小泉政権下で叫ばれた「自己責任論」であり、安倍政権が掲げた「再チャレ ンジ」ではなかったのか?
09年2月12日(木) 「「真宗大谷派・九条の会」第2回集会A」
 「真宗大谷派・九条の会」で決議された「現代の貧困と雇用問題への取り組み を求める特別決議」の中に、今日の格差・貧困の拡大などいのちの尊厳を脅か すような諸問題を全く自らの課題(信心の問題)とし得ない真宗教団や私たち僧 侶の姿勢を慚愧する箇所がある。
 格差が拡大する中で頻繁に叫ばれた「自己責任論(貧乏なのはお前達が怠け 者だからだ)」。貧困に喘ぐ若者や非正規労働者たちは、そのような言葉の暴力 を毎日浴びせられる内に、いつの間にか「新自由主義的な価値観を内面化して しまい、自分を責め、差別を受け入れ、人間の尊厳を踏みにじられた状態を甘 受して」生きるようになってしまった。ところが当初からこの問題に関わり続けて おられる作家の雨宮処凛さんは、そんな若者たちに「あなたたちが悪いんじゃな い!」と繰り返し言ってこられた。まさにそれは「鎌倉時代に法然上人が「修行を したり戒律を守ったりできない者は救われない」という旧仏教の観念で自らを縛り つけてていた民衆に対して、「そんなことはない、仏は全ての衆生を救うと誓って おられる」と高らかに宣言された」ことに通じるはず。そんな法然上人や親鸞聖人 の教えを受け継いでいるはずの私たち僧侶や教団は、一体これまで何をしてき たのか?と決議の中で一人ひとりに問いかけてあった。
 これまで私たちが説いてきた教えとは何だったのか?浄土真宗とは、単なる来 世の救いを説く教えなのか?自分さえ救われれば他人はどうなってもいい!そ んな教えなのだろうか?
09年2月11日(水) 「「真宗大谷派・九条の会」第2回集会」
 昨日、「真宗大谷派・九条の会」の第2回集会に参加した。
 記念講演は、「念仏者九条の会」の代表でもある信楽峻麿元龍大学長が「信心 の「しるし」を生きる」という講題でお話された。ご自身の戦争体験や宗教と政治 の関係について述べるとともに、これまでの来世主義的(二元論的)な伝統教学 を批判し、信心を獲るということは、「世をいとうしるし(世俗価値観の相対化)」と 「往生をねがうしるし(究極的真実の追求)」という具体的な生き方(徴)となって現 れてくる。そのような信心主体の確立を促す新たな真宗教学が樹立されてこそ初 めて私たち念仏者は憲法九条や靖国問題とも闘うことが出来るのだとお話下さ った。
 記念講演に続いて、規約の審議、承認が行われ、更に、昨今の「派遣切り」な どいのちの尊厳を脅かす現状を憂い、教団に対して「現代の貧困と雇用問題へ の取り組みを求める特別決議」が採択された。ちなみに、昨年の設立集会は、 東本願寺の境内にある宗派所有の「視聴覚ホール」で開催されたが、今回も同 会場の使用を申請したところ、「全ての人が憲法改定に賛成しているわけではな い。総局として責任が持てない」との理由で拒否されたという報告が事務局より あった。これは、「念仏者九条の会」が当初、「本願寺九条の会」の名称で運動を 展開しようとした(「本願寺新報」への意見広告)とき、本願寺派総局より同じよう な理由で拒否されたことと通じる。信楽先生の言葉ではないが、「本当に(本願 寺)教団は過去の戦争責任を反省したのか」と疑いたくなる。
 またその他にも、承元の法難をテーマにしたDVD製作・完成の報告やイスラエ ル軍によるガザ侵攻に対して抗議の声を上げることを求める提案などがなされ たが、特に印象に残ったのは、昨日の集会に沖縄の知花昌一さんが参加し、沖 縄の現状、九条に対する思いを語って下さったことだ。
 敗戦後すぐ沖縄は米軍の施政下に置かれた。沖縄の人々は九条に象徴され る平和憲法に憧れ、復帰運動を闘った。そして、1972年、念願の「本土」復帰を 果たすが、憧れていた9条は既に形骸化しており、そして何よりも、復帰後も沖縄 には米軍が居座り、9条などこれまで一度もどこにもなかった。だから沖縄の 人々にとっては守るものは何もない。9条を守るのではなく、9条を活かしていくこ とが沖縄の願いであると話して下さった。
 1987年に沖縄で開催された国体のソフトボール会場(読谷村)にて、一人の男 性がポールから日の丸を引きずり降ろし、それをライターで焼き捨てた光景は、 当時子どもであった私の脳裏に今でも鮮明に残っている。学生の頃、その男性 の名前が知花昌一ということを知り、なぜ彼があのような行動に出たのか、沖縄 戦の悲劇やその後の住民の苦悩を知り、何かすごく心を打たれた記憶がある。 あの知花昌一さん本人に生で会えた。ちょっとラッキーな一日であった。
09年2月10日(火) 「松村智広さんの講演を聞く」
 昨日、「反差別・人権研究所みえ」の松村智広さんの講演があった。今、現に 起きている部落差別の実態について聞かせてもらった。特に結婚差別はひどく、 その反対の理由として「俺は構わない。でも世間が・・・」というのがよくあるとい う。松村さんは「世間とは誰ですか?一度「世間」に手紙を書いてみてください。 表に「世間様」と書いて、裏に自分の名前と住所を書いて、ポストに入れてごら ん。その手紙は必ず自分の家に届くから」という喩えをもって、「世間」とは「私」 のことであり、まず「私」が変われば「世間」も変わると仰っていた。
 また、差別の責任は差別者に全てあるのであって、被差別者に責任は一切な いと強調するとともに、他人を見下すことでしか自分自身の存在を確認できない 差別者こそ可哀そうな人間であって、被差別者が可哀そうなのではない。同情で 反差別の運動に関わるのではなく、自らの問題として、差別者としての自分から の解放、「差別・被差別」両方からの解放を目指して人権問題に関わって欲しい と仰っていた。
09年2月9日(月) 「水平社宣言と親鸞聖人の教え@」
 「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」という有名な言葉ではじまり「人 の世に熱あれ、人間に光あれ。」と結ばれる、日本で最初の人権宣言でもある 「水平社宣言」。その起草者の一人でもある西光万吉は浄土真宗の僧侶(のち に僧籍を返却)でもあり、またその西光の盟友であった阪本清一郎は、全国水平 社の設立について「私どもの生活は彼(ニーチェ)の思想よりも親鸞の思想によ り親しい交渉を持っている以上、いうなれば親鸞の親鸞の思想から生まれたとい われるべきものです」と述べていることからも分かるように、親鸞聖人の教え(生 き方)が水平社宣言(全国水平社)の思想に大きな影響を与えたことは間違いな い。その内実を明らかにしていくことは、私たち念仏者に親鸞聖人の魅力を再発 見させてくれるとともに、同朋運動の進むべき方向性を明らかにしくれるのでは ないだろうか。
09年2月8日(日) 「依存と自立・統治と自治」
 今朝の朝日新聞に興味深い記事があった。鳥取県の小中学校にはこれまで 「学級委員長」というものがなかったという。鳥取県では、ここ20年来、運動会の 徒競走では皆で一緒にゴールできるよう工夫したり、学級委員などの役職を輪 番制で行うなど、全ての子どもを平等に扱うという教育方針が採られてきたとい う。ところがここに来て、そのような教育が、子ども達の間に横並び体質を生みだ し、昨今の個人主義と相まって、生徒達による主体的なクラス運営に支障をきた すようになってしまったという。そこでこれまでの方針を転換し、「学級委員長」を 復活させ、クラスのリーダー的な子どもを中心に、皆でクラスを作り上げていこう というのがねらいらしい。
 まあ、皆で手をつないでゴールするのが「平等」なのかどうか別にして、「自治」 という観点からも評価すべき見直しだと思う。しかし昨今の社会情勢を見ていて 気がかりなのが、一人の人間のリーダーシップがあまりにも突出することによっ て、他の大多数がそれこそ主体性を失い、結果として指示待ち人間%Iなも のに陥ってしまうことだろう。小泉フィーバーしかり、今の大阪の橋下人気にも一 抹の不安を覚える。私たちが目指すべき社会とは、一人のカリスマへによる「統 治」(それへの依存)ではなく、あくまでも自立した個々人による「自治」である。
09年2月7日(土) 「松代大本営B」
 賢所の建設予定地は、御座所と伊勢神宮との直線上に位置する弘法山になっ たという。工事にあたり宮内庁から「朝鮮人労働者は使うな。日本人労働者、特 に純粋な日本人≠ノ限る」という条件が出されたという。ここでいう純粋な日 本人≠ニは性経験のない男性を指すという。つまり、朝鮮人や女性は「穢れてい る」という差別思想がそこにはあったという。
 「貴あれば賎あり」(by松本治一郎)という言葉がある。明治以降、天皇を頂点 とした国づくりが行われるが、「天皇は神聖にして犯すべからず」と天皇を神格化 すればするほど、朝鮮人差別や女性差別などの差別も強化されていったのだろ う。まさに天皇制と差別は表裏一体の関係にあると言える。
09年2月2日(月) 「松代大本営A」
 松代には天皇・皇后をはじめとした皇族も移る予定だったという。舞鶴地下壕 には厚いコンクリートで固められた御座所や執務室なども現存している(現在は 気象庁の地震観測所として使われている)。
 ここで興味深いのは、当初、三種の神器(鏡・剣・勾玉)を安置する賢所は御座 所の隣室に準備する予定だったという。ところが視察に訪れた宮内庁の小倉康 次侍従と加藤進総務局長は「陛下に万が一のことがあっても三種の神器は不可 侵である。同じ場所は許されない」と工事長を一喝し、別の場所に移すよう厳しく 注文をつけたという(当時の工事主任であった吉田栄一氏著『松代大本営工事 回顧』より)。
 国民を犠牲にしてまでも守ろうとした「国体」とは何かがよく分かるエピソードで ある。天皇「個人」よりも天皇制という「制度」を優先する思想は、現在の女帝天 皇容認か男系維持かといった議論にも通じるのだろう。
09年2月1日(日) 「松代大本営@」
 長野県にある松代大本営跡地を訪れた。
 1944年11月11日11時(いい月、いい日、いい時間)に、朝鮮半島から強制徴用 された朝鮮半島出身者を含む約7000人の労働者が動員され、過酷な労働条件 の下、三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)に総延長13キロにおよぶ大地下壕の建 設が始まり、敗戦の8月15日まで工事は続いたという(11キロまで掘ったところで 工事は中断)。いよいよ日本の敗戦が濃厚となったなか、本土決戦を行い連合 国側に最後の一撃≠加え、「国体」の護持など敗戦交渉を有利に進めるた めに、大本営をはじめとした首都機能を移す計画だったという。
 現在一般に公開されている象山地下壕の中に入り、その巨大さに驚くととも に、人命よりも「国体」を優先した当時の日本の指導者たちに怒りを覚えた。歴 史に「もし・・・」はないが、もし敗戦が決定的となった時に、すぐに降伏していれ ば、沖縄戦の悲劇はなかったかも知れない。広島や長崎への原爆投下もなかっ たかも知れない。「国体」の護持のためにどれだけの人々の命が奪われたことだ ろう。「国家は国民を守らない」という厳然たる事実が松代にはある。
09年1月29日(木) 「スマートな同盟国」
 今朝の朝日新聞の国際面に、今後の日米関係(同盟)を予想する上で非常に 参考になる記事があった。
 アメリカのクリントン国務長官が議会で証言した「スマート(賢い)パワー」外交。 その内容は、軍事力などの「ハードパワー」と、価値観や文化などの「ソフトパワ ー」をうまく取り合わせた外交戦略を指すという。今回の公聴会でクリントン長官 は、(日本政府の期待以上に)日米同盟の重要性と更なる強化を強調したが、当 然、その中身は「スマートな同盟関係」を築いていくことである。「スマートな同盟 関係」とは、「スマートパワー」論の生みの親であり、次期駐日大使に内定してい るナイ・ハーバード大学教授が指摘するように「スマートな同盟国とは、自らのハ ードパワーとソフトパワーを上手く統合できる国のことだ。日本についてい言え ば、アジアの近隣諸国を引きつけるソフトパワーだけではなく、自衛隊を活用して 国際秩序を維持する活動に積極的に参加する能力を持つこと」を指す。つまり米 軍と自衛隊との関係で言えば、ブッシュ時代と大差がないということだろう。米軍 と自衛隊の一体化であり、米軍とともに海外の戦場で自由に戦うことのできる自 衛隊(軍)の創設である。当然これからも米国からの憲法9条改悪への圧力は続 くということだろう。
 最近、米軍関係者から日本に対して、アフガニスタンでの非軍事による支援を 求める声が上がっているが(1/28)、それはあくまでも「スマートパワー」の中の 「ソフトパワー」であり、いずれ「ハードパワー」としての要求も強まってくることだろ う。
09年1月27日(火) 「障害者を「障害者」にしているもの」
  「障害者」の「害(がい)」を漢字で表記するか、それとも平仮名で表記するかと いう議論がある。「害」という漢字はマイナスのイメージがつきまとい、不快感を抱 く人もいるので「がい」と平仮名で表記すべきだと聞いたことがある。
 それに対して東海視聴覚障害者連盟の後藤勝美さんは、「障害者」の「害」に は「社会的被害者」という意味合いが含まれていると言う(09.1.23朝日新聞朝刊 「私の視点」より)。例えば、目の不自由な人や車椅子の人は歩道などに自転車 などが置かれているため、スムーズに安心して通行できない。耳の悪い人は、手 話通訳が有料であるなど、社会環境や政策的不備によって不自由を強いてい る、そのことが「障害」なのであると言う。そして、この「障害・被害」を取り除いて いくことが大切であって、単に漢字を平仮名に直すだけでは、かえってその「障 害・被害」を曖昧にしてしまう恐れがあると言う。
 障害者を「障害者」にしているのは、私や社会の方であったと気づかされた。
09年1月26日(月) 「暴力の連鎖」
 イスラエル軍による激しい攻撃は、パレスチナの子ども達の心に深い傷を刻む とともに、子ども達の間に暴力を容認する傾向が見られはじめているという。医 者になることを夢見ていた少年は、攻撃後、将来の夢を訊かれ「戦闘員になり、 侵略者と戦う」と答えるなど、次世代への「暴力の連鎖」が懸念されている(1/ 25)。
 仏教の教えからすれば、それが自衛であれ、復讐であれ、いかなる暴力も容 認されるはずはない。しかしもし目の前で自分の家族が白リン弾など圧倒的な武 力によって殺害されたとしたら、常日頃から理不尽な封鎖や暴力を受けていたと したら、それを見てみぬふりをして誰も助けてくれなかったとしたらどうだろうか? 「それでも私はテロリストにはならない」と言える人は少ないだろう。それもまた仏 教の人間(凡夫)観だと思う。
 じゃあ、どうすればいいのか?自らが凡夫であることを認め、その凡夫が「暴力 の連鎖」を断ち切るために何が出来るのかを考えていくしかないんだろう。
09年1月25日(日) 「ブッシュの対テロ戦争≠ニ小泉の民営化(規制緩 和)=v
 今朝の朝日新聞の「風」というコラム欄に、米国が進めてきた「対テロ戦争」に ついて次のように書いてあった。
 「テロ問題への取り組みというだれも否定できない「目的」と武力介入という問 題の多い「手段」をひとまとめにして同調を迫る。「対テロ戦争」という言葉はそう いう場合に便利だ。「手段」に意義を示す者をテロ撲滅の大儀に反対する敵であ るかのように非難し、憎悪をあおることができる。9・11の後、当時のブッシュ大 統領は「これは善と悪との戦いになる。そして善がかつと」と演説した。「対テロ戦 争」は世界を敵と見方に分けて自分の戦略に巻き込むためのレトリックだった」
 読みながら思った。「対テロ戦争」を「民営化(規制緩和)」とし、「9・11」を「郵 政解散」に、そして「ブッシュ」を「小泉」にしても十分意味が通じる。一応、ブッシ ュは「対テロ戦争」の過ちを認め、米国民はオバマ政権を選んだ。一方日本はど うか?小泉は過ちを認めただろうか?浮かれていた国民はあの「小泉フィーバ ー」の総括をしただろうか?
09年1月24日(土) 「朝日新聞社説」
 正直、今朝の朝日新聞の社説には失望した。「新法を作って海賊退治に自衛 隊を派遣しよう!」だとさ。国連決議もあるし、海上保安庁の装備だけでは不安 だし、治安維持なら憲法違反に当らないとの主張であった。確かにソマリア沖を 航行する船舶の積荷や船員の人命を守ることは必要である。しかしよりによって 自衛隊を派遣するなんてもっての外だと思う。
 これまで政府・自民党が様々な憲法の拡大解釈や小さな前例を積み重ねなが ら、世界第4位の軍事力を備え、イラクまで自衛隊を派兵した歴史を忘れてしまっ たのだろうか?新法の制定に関連して武器使用基準の緩和などが議論されてい ることからも、今回の派遣が単なる海賊退治だけで終わらないことぐらい分かる はずであり、それを伝えるのがジャーナリズムの役目である。「革新」を自認する なら、目先の事例だけに捕らわれることなく、もっと大局的な視点から発言すべ きである。
 どうせなら一度自衛隊を解体して、国内外の災害に対応できる「災害救助隊」 と海上保安庁の機能を強化して最低限の自衛が可能な「国境警備隊」に再編す る一方、外交努力や憲法の精神を活かした国際貢献によって、自国の安全と世 界の平和を実現していきたいぐらいの大きな夢や理想ぐらい語って欲しい。
09年1月23日(金) 「死者の平等≠ゥら生者の平等へ=v
 『仏教と日本人』(阿満利麿著・ちくま新書)を読んだ。
  既存の仏教(教団・寺院・僧侶)が「葬式仏教」と揶揄されて久しいが、著者は 「葬式仏教」にもプラスの面もあるという。一つは、「どのような死に方をした人間 のタマシイであっても、祀れば怖ろしくない、死者は祀れば「ホトケ」になる、という 安心感」を人々に与えたということ。二つには、「死者の平等が確保されたという こと。それまでの死者祭祀では、横死した者、つまり、戦争や事故などでいわゆ る畳の上で死ねなかった人、それに独身者も、その祟りが恐れられるばかりであ った。それが仏教の儀礼によって祀ると、祟ることもなく、いずれは平等に「成 仏」すると信じられるようになった」ことだという。ちなみに同じことは鎌倉時代の 新仏教、特に専修念仏にも言えるのだろう。それまでは旧仏教では、「成仏」する には修行をしなければならないとか、僧侶や寺院に寄進をしなければならないな ど様々な条件があり、当然それが出来る人と出来ない人がいた。しかし専修念 仏では、お念仏一つで全ての人が平等に救われるというまさに画期的な教えだ った。このように仏教(葬式仏教を含む)や専修念仏は全ての日本人に死の恐 怖からの解放をもたらしたのだろう。
 ところが最近はその「葬式仏教」でさえ崩壊の危機にあるという。今週の『週間  ダイヤモンド』には、信徒数・法要数の減少や葬儀の簡素化、僧侶を呼ばずに 病院から斎場へ直行する「直葬」などが増えている現状が報告されていた。それ に対し著者は「「葬式仏教」が崩壊した後の仏教の課題は、ひとまず「死者」の世 話を離れて、生者の平等をいかに実現するか、にあるのではないか」と提起して いた。
09年1月22日(木) 「オバマ新大統領誕生」
 アメリカの新大統領にバラク・オバマ氏が就任した。人種差別が根強く残るアメ リカ社会において黒人の大統領が誕生することは差別撤廃に向けて大きな一歩 になるだろう。また、オバマ氏は就任演説で、これまでの米国一国主義から決別 し、世界各国との協調と信頼のもとに眼前の諸問題に立向かっていくことを宣言 した。前途多難だろうが、その手腕に大いに期待し、エールを送りたいと思う。
 しかし米国内(日本でも・・)でのお祭り騒ぎを見ていて一つだけ気になることが ある。オバマ新大統領の誕生は、アメリカに端を発する金融危機による景気の 後退や、イラクなどにおける「テロ」との戦いの失敗が大きく後押ししたんだろうけ ど、米国政府や国民は、そのことの総括をしっかりしたのだろうか?自分達のエ ゴによってイラクの人々をはじめたくさんの命を奪ったことを慚愧したのだろう か?全ての責任をブッシュに押付けて、まるで「自分達は被害者であり、そんな 私たちをオバマが救ってくれる」みたいな楽観主義的な雰囲気もなくはない。アフ ガニスタン攻撃やイラク侵攻を支持し、あのブッシュの再選させた、自らの過ちを ちゃんと総括しておく必要があるんだと思う。でないとアメリカはまた同じ過ちを何 度も繰り返すような気がしてならない。
 他国のことをとやかく言いたくないが、良きにつけ悪きにつけ世界中に大きな 影響を与える米国だからこそ、期待もするし、不安も大きい。
09年1月19日(月) 「無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす B」
 そしてこのかんながら%Iな宗教心は、私たちの浄土真宗にも深く根を下ろ している。以前、某デジカメ会社が有名アイドルの起用して「他力本願から脱け 出そう」というキャッチコピーの広告を出した。それに対して教団は強く抗議する とともに、教学者がわざわざ東京まで出かけ、「他力本願」の本来の意味を懇切 丁寧に説明したという。
 確かに「他力本願」の本来の意味は、世間で使われているような「他人任せ」と いう意味では決してない。しかし世間の人々が「他力本願」を「他人任せ」という意 味に理解しているのは、全て彼らに責任があるのだろうか?私たち僧侶が「他力 本願」を「他人任せ」的な意味合いでこれまでずっと説いてきた結果じゃないのだ ろうか?「教えを聞いた私が今をいかに生きるか?」ではなく「お念仏≠ウえ称 えておけば、死んだら阿弥陀さんがお浄土に救って下さる」的なお説教をずっとし てきたからではないのか?そこには、「神の思し召しのままにしたがう」という宗 教心が断ち切れず脈々と流れていたような気がする。「従属からの解放」と「自立 と連帯を促す」はずの親鸞聖人の教えが歪められてきた結果ではないのだろう か?
 他人にとやかく抗議する前に、まずこれまでの自らの姿を振り返り、過ち認め、 反省し、改善する努力をすることが筋というものである。それなしにいくら抗議し ても、誰も耳を貸さないだろうし、これからもずっと誤った「他力本願」の理解が蔓 延るだろう。
09年1月18日(日) 「無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす A」
 イラク戦争支持に対する過ちや、先の大戦における過ちを認め、反省しようとし ない日本の体質に少なからず影響を与えていると思われるのがかんながら (言挙げせず、神の思し召しのままにしたがう)という日本人独特の宗教性だとい う。
 「かんながら≠ニいう宗教性は、責任−自立した主体を成立させない。こころ から、責任認識をもって政治を行う人がいないという日本社会になっていく。例え ば東京裁判で東条英機のように、「自分は天皇の意思に従った」といい、その天 皇は神々の意思にしたがったというのであれば、戦争責任が消えてしまうという 「無責任体系」となる。国民もまた「我々はだまされていた、被害者だ」といい、加 害責任が成立しない」(「大谷派・九条の会」第1回本廟上山研修・中川洋子元龍 谷大学講師講演録より)
09年1月16日(金) 「無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす=v
 アメリカの同盟国であるイギリスの外相が、武力による「テロ」との闘いは誤りで あったことを認めたという(1/16)。今さら何を!ではあるが、いっこうに過ちを認 めようともせず、「当時の状況では仕方なかった」と開き直るどこかの政府(3/ 30)よりはマシか・・・
 私たち人間は「三悪道」を常に経巡っている。戦争と差別と無関心の中に生き る地獄の鬼であり、餓鬼であり、畜生である。親鸞聖人は『教行信証』の中に「二 つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慚、二つには愧なり。慚はみづから罪を 作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚はうちにみづから羞恥す、愧は発露して 人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づ けて人とせず、名づけて畜生とす」という『涅槃経』のご文を引用して下さってい る。つまり人間は慚愧の心があるからこそ人間であれるのであって、慚愧の心が ないものは人間であって人間でないとお示し下さっている。
 今回のイラク戦争では、政府をはじめ、そんな政府を選んだ私たち有権者一人 ひとりが、自らの人間性を大きく損ねてしまったのかも知れない・・・
09年1月15日(木) 「全共闘世代」
 昨夜テレビで70年代の学生運動・東大紛争の再現ドラマが放映されていた。バ リケードを築いて安田講堂に立てこもり、突入する機動隊に火炎瓶や瓦礫を投 げつける様にはびっくりした。もし当れば死者が出るかも知れないことぐらい想像 できなかったのだろうか?でもあれだけ攻撃しておきながらも、一人でも怪我人 が出ると「一時休戦」を申し入れ、警察もそれを受け入れ怪我人を病院に搬送す る様子には、時代を感じさせられた。今の警察なら怪我人が出ようが徹底的に ねじ伏せるだろう。まあ、やり方(手段)等々色々批判もあるだろうけど、当時の 多くの若者が熱い思いや願いを持ち、「いかに生きるべきか」を真剣に問い考え ていたんだなと思った。
 その後多くの学生は普通≠フ大人となっていったが、それでもあの中の何 人かは熱い思いを持ち続け、それぞれの場でそれぞれの運動を今でも展開しい るんだろう。彼らがいなければ今の様々な市民運動は成り立っていないのかも 知れない。そう思うとこれから10年後、20年後には一体誰が運動を担っているの だろうか・・・
09年1月14日(水) 「アイヌ差別の現実」
 アイヌ差別の現実についての記事があった(1/10)。
 アイヌの人々の中には厳しい差別の現実から自らの出自を隠して暮らす人も 多いという。そのためアイヌを対象とした奨学金や様々な生活補助の制度があっ ても「アイヌであることを隠したい」と申請しないため支援が届かない家庭も多い という。また、「あそこの家はアイヌなんだよ」と陰口をたたく子どもが実は本人も アイヌであったという悲しい現実があったり、「結婚で差別を受けないか」と不安を 抱えている親や若者も多いという。
 被差別者に向かって「差別に負けるな!自らに誇りを持って生きろ!」と言うの は簡単である。しかし、自らに誇りを持てない、カミングアウトできない、それが差 別の現実である。その現実から出発してこそ、被差別者の苦しみ悲しみに寄り添 ってこそ、差別解消のために今私≠ヘ何をしなければならないのかが明らか になってくるんだろう。差別の現実を無視した観念的な言動は、差別を温存・助 長しこそすれ、解消には役立たない。
09年1月13日(火) 「ネアンデルタール人」
  昨夜NHKのBSの番組でネアンデルタール人のことについて放送していた。ネ アンデルタール人とは私たちとホモ・サピエンスと同じ人類であるが、種族が違う という。これまでは、能力に優れたホモ・サピエンスが子孫をどんどん増やし、ア フリカ大陸から中東、ヨーロッパ、アジアへと拡大していく。その過程で、先にヨー ロッパに住んでいたネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスとの生存競争に敗 れ駆逐されていったというのが定説だったという。ところが最近の研究では、両 者は対立・敵対したのではなく、互いの「違い」に好奇心を抱き、交流し、その中 で異種交配が行われていたのではないかと主張する研究者が現れてきたとい う。例えば私たちの言語能力をつかさどる遺伝子などは、元々はネアンデルター ル人の遺伝子を引き継いだものではないかと推測する研究者もいるらしい。
 昨夜の番組を視ながらふと思った。私たち人類(ホモ・サピエンス)のはじまり は、敵対ではなく、交流から始まったんだと。他者に関心を示し、その違いを互い に認め合い、補い合いながら進化してきたのが私たちなんだと。「派遣切り」や 「パレスチナ侵攻」など差別と戦争と殺戮が繰り返される毎日に、何か一筋の希 望・可能性を見たような気がした。
09年1月12日(月) 「パレスチナ問題」
 イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの侵攻。日本にいると「イスラム 原理組織ハマス」と報道されるように何か宗教対立(ユダヤ教vsイスラム教)の ような印象を受ける。しかしパレスチナ問題を宗教対立と捉えることは、この問題 の本質を見誤らせ、問題の解決を遅らせてしまうと危険性があると思う。以前、 イスラエルを旅行したとき、首都テルアビブやエルサレムのユダヤ人地区に林立 する近代的なビル群とは対照的に、パレスチナ人地区の貧困ぶりに驚いた。何 か殺伐とした雰囲気を感じた思い出がある。イギリスやアメリカの支援を背景に 入植してきたユダヤ人が、パレスチナ人から土地を奪い、差別し抑圧し、貧困を 強いてきた、そんな現状に対する不満が根底にあるんだと思う。
 ところが日本では、イラク戦争の時もそうであったが(イスラムvsキリスト教)、 中東問題は宗教対立だと捉える向きがある。特に僧侶や神道家などの中には、 「イスラム教やキリスト教は一神教のため他者を排除し、争いが起きるんだ!仏 教や神道は多神教だから争いは起こらない!」などと優越感に浸っている人も大 勢いる。「仏教徒は歴史上、仏教の名のもとに戦争をしたことは一度もない!」と したり顔で言っている僧侶を見かけると、キレそうになる。「先の戦争で僧侶・教 団はどんな役割を果たしたんだ!」と叫びたくなる。
 兎にも角にもパレスチナ問題の本質は宗教対立ではなく経済問題なんだと認 識してはじめて、和平のために私たち日本人が何が出来るのかも見えてくるの だと思う。少なくても、宗教対立としてしまったら、問題解決のための糸口を遙か 彼方手の届かない所に追いやってしまう。
09年1月11日(日) 「戦争の被害者」
 これまでもイラクでの戦闘を経験した米国兵士の約3割にPTSD(心的外傷後 ストレス障害)の症状が見られるという報告がなされていたが、イラクに派遣され た自衛官やその家族も同じようなストレスや心の傷を抱えていることが明らかに なったという(1/10)。
 「行って欲しくない」と本音では思いつつも中々言い出せない妻。派遣先からの 電話では、妻を気遣い危険な任務については口を閉ざし、出来るだけ現地の 人々との交流など明るい話題に終始する隊員。帰国後、ストレスからうつ病を患 い自ら命を絶とうとする隊員。またそのストレスが家族にまで伝染してしまったと 振り返る妻。
 実際にここ数年自衛官の自殺率は、90年代後半に比べ1.5倍程度に増加し ており、特にイラクやインド洋に派遣された自衛官のうち一昨年までに16人が自 ら命を絶ったという。それに対して防衛省は海外に派遣する隊員とその家族の 心のケアーをする体制作りを急ぐというが、それよりも憲法を遵守し、自衛隊を 海外に派兵しなければそもそもこのような問題は起こらないはずである。
09年1月10日(土) 「誰のため?」
 外務省は、アフガニスタンでの医療や教育分野の支援、インフラ整備などの強 化を目的に活動する地域復興チーム(PRT)に職員(文民)を派遣することを決 めたという(1/9)。その他にもこれまで日本政府は、難民への職業支援や、就業 口を確保するための農業・農村開発、治安改善に向け、アフガン政府が主導す る非合法武装集団の解体(DIAG)事業への支援など約240億円の支出を表明し ている。
 「日本は何もしなくていいのか?国際貢献のためにも、アフガニスタンの人々の ためにも自衛隊の派遣は不可欠だ!」と声高に叫ぶ人々がいる。しかし何も自 衛隊を派遣しなくても、憲法の精神を生かしながら日本が出来ることはたくさんあ る。240億円が少なければ、海自がインド洋で行っている給油活動に使われた数 百億円(昨年の夏時点で216億円 8/15)を回すことも出来たはず。
 日本政府が自衛隊を派兵してやろうとしていることはアフガンの人々のためで はない、米軍のためであり、日本を戦争の出来る国≠ノしたい人々のためで ある。
09年1月9日(金) 「天皇制の疑問」
 昭和天皇の死去から20年の節目となる7日、「昭和天皇二十年式年祭の儀」 が東京都八王子市の武蔵野陵と、皇居・宮中三殿で行われたという(1/7)。武蔵 野陵では麻生首相はじめ三権の長、並びに閣僚ら80人が参列する中、現天皇 が「どうぞ、国家、国民をお守りくださり、さらに繁栄させていただきますよう、お 願い申し上げます」という趣旨の 「御告文(おつげぶみ)」を読み上げたという。
 つくづく思う。一体天皇制ってなんなんだろう?一体天皇は皇居の中で何をして いるのだろう?それと皇室の宗教行事に三権の長や閣僚が揃って参拝するって アリなの?何かがおかしい。しかし誰も何も言わない・・・
09年1月8日(木) 「海賊退治から集団的自衛権の行使へ」
 ソマリア沖の海賊退治に海自艦船を派遣するために政府与党が検討を進めて いる新法の内容が明らかになってきた(1/8)。はっきり言ってとんでもない法律で ある。これまでの正当防衛や緊急避難など例外的なケースに限られていた武器 使用基準を大幅に緩和し、他国の船を守るためなら、たとえ自衛隊の艦艇が攻 撃を受けていなくても、海賊に対して武器を使用することを容認するという内容と なっている。政府の見解では「相手が国ではなく海賊であれば、武器を使用して も憲法が禁じる武力行使にはあたらない」という。
 明らかにこの内容は、海賊退治が主眼ではなく、政府与党が近い将来の成立 を目指している自衛隊の海外派兵を随時可能にする恒久法を念頭においてい る。「相手が国ではなく海賊なら=E・・」はそのまま「テロリストなら=E・・」に 読み替えることが出来る。そうなれば極端な話、先のイラク戦争においても給水 活動などではなく自衛隊は米軍と共にもっと積極的に「テロリスト」と戦闘を交え ることが出来たであっただろう。オバマ次期政権が「テロ」との主戦場を移すと明 言しているアフガニスタンにおいても「テロとの闘い」を名目に武装した自衛隊が 戦闘に参加することがが可能になるだろう。
 「海賊退治」などは名目に過ぎず、新法の本当の狙いは「集団的自衛権の行 使」を可能にし、世界中の戦場で米軍とともに自由に戦うことの出来る自衛軍 ≠創設以外の何ものでもない。
09年1月6日(火) 「パレスチナ情勢」
 年末年始にかけてのイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への攻撃により 既に子供を含めて500人以上もの犠牲者が出ているという。イスラエル政府はハ マスからのロケット弾攻撃に対する「自衛」=「テロとの闘い」だと主張しているら しいが、イスラエルは一刻も早く攻撃を止めるべきである。そんなことで「テロ」が なくなるはずがない。新たな「テロ」を生み出すだけである。
 「怨みに報いるに 怨みをもってすれば 永遠に怨みの 尽きることなし」
09年1月5日(月) 「伊勢神宮参拝」
 麻生首相が閣僚を連れて伊勢神宮を訪れ内宮の正殿で2礼2拍手1礼の神道 方式で参拝したという(1/5)。歴代首相の新年の恒例行事だというが、なぜ首相 の靖国神社参拝があれ程問題になるのに、伊勢神宮なら問題にならないのだろ うか?一宗教法人に首相や閣僚が参拝することは、靖国神社であろうと伊勢神 宮であろうと憲法20条の政教分離違反に変わりないはず。いかに日本のマスコ ミが首相の靖国参拝を中国や韓国など対外的な側面でしか捉えていないかが分 かる。伊勢神宮とはいかなる神社であり、戦前・戦中の神国日本≠フ中でど のような位置を占めていたのか、なぜ憲法20条があるのか、改めて考えるべき である。
 参拝後、麻生首相は「国民の安寧、そして国家の繁栄というものをお祈りをさ せていただいた」と記者団に語ったという。いつから神仏に国家や国民の安寧や 繁栄を祈ることが日本の総理大臣の仕事になったのだろうか?卑弥呼の時代じ ゃあるまいし、この不景気の時代、誰も総理大臣にそんなことは期待していな い。
09年1月4日(日) 「新・新・新宗教??」
 「お久しぶり・・・今年も良いお年を!・・・お願いします!=E・・送るわよ・・・7 つのアドバイス・・」というコマーシャルが年末年始にかけてやたらと流されてい る。「何じゃこれは?!」と思っている人も多いはず。
 確かに誰しもが幸せな一年を過ごしたい。しかし「お願いします!」はないやろ う!それも元気そうな若者が・・・。幸せになるにはやっぱり努力も必要だし、社 会や政治が間違っていればそれを変えていかなければならない。それなのに携 帯に何が送信されてくるか知らないけど「お願いします!」はないやろ!自分で 考えろよ!自分の足で立てよ!歩んで行けよ!
09年1月1日(木) 「白き道」
 今年頂いた年賀状から。
 「深き闇は夜明けの予兆 白き道は茫然としていても確かに見えます」
08年12月31日(水) 「生きる意味」
 ある旅行会社によると、若者向けの旅行プランを立てるとき、単に観光地を回 るだけのツアーには人は集まりにくいという。逆に、現地の人々と触れあいやボ ランティア活動などを組み入れると人が集まるんだそうだ。食べるものも着るもの も一応何不自由なく育った現在の若者たち。しかし何かが足りないと思いなが ら、虚しさを抱えながら生きている人も多いのだろう。
 人は何のためにこの世に生まれてきたのか?生きる意味とは?そんな根本的 な問いに答えてくれるのが仏教なんだと思う。人は一人で生きているのではな い。いや一人では生きられない。人と人との触れあいの中でしか、生きていけな いのだろう。
08年12月30日(火) 「宗教者の役割」
 アメリカ発の金融危機による景気の後退で来年3月までに職を失う非正規労働 者は約8万5000人に達すると言われている。特に日本では製造業で働く派遣労 働者や期間工は会社が準備する寮で暮らすことが多いため、職を失うと同時に 住むところまで奪われ路上生活を余儀なくさせられ途方にくれている人々も多い という。
 1995年、日経連は「新時代の『日本的経営』−挑戦すべき方向とその具体策」 を発表し、労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グル ープ」「雇用柔軟型グループ」という3つのグループに分けることで、人件費を節 約し、「低コスト」化を図ることを提言した。それを受けて政府は「改革」の名のも と派遣労働法などの規制緩和を推し進めた結果、全労働者の約3分の1が非正 規雇用労働者となり、今回の危機を迎えた。
 まさに「勝ち組・負組み」「自己責任」など人間を孤立化させ、人間を交換可能 な「モノ」としてしか考えないような風潮が今回の現状を招いたのだろう。本来なら ば、このような事態になる前に社会に警鐘を鳴らすのが宗教者であるはず。そ れなのに私達僧侶は一体何をしてきたのだろうか・・・
08年12月29日(月) 「喪中ハガキ」
  もうすぐお正月。大掃除に年賀状と慌ただしい。年賀状といえば、今年も何人 からか「喪中ハガキ」を頂いた。まあ、在家の人ならともかく、同じ真宗の僧侶か ら「喪中ハガキ」を貰うと少しびっくりする。
 そもそも家族の誰かが亡くなって「喪に服す」という行為は、死をケガレ(死穢) とする考え方からきている。現在では「忌引き」や「喪中ハガキ」など形式的な習 慣のみが残っているが、昔は死のケガレが他人に伝染しないよう法律(「服忌 令」等)によって「家族の○○が亡くなったら△△日間は□□はしてはいけない」 などと事細かに厳しく行動が制限されていたという。そして何よりもこの死をケガ レとする考え方は、葬儀や死牛馬の処理など死に関連する職業に従事する人々 に対する差別や排除につながっていった歴史がある。
 確かに「喪中ハガキ」を出すときに、そんなことまで考えて出す人はいないかも しれない。しかしそんな無意識のうちに行っている習俗や迷信が差別を生み出す 土壌となっているという調査結果もある。部落差別をはじめとした様々な差別に 加担してきた僧侶だからこそ、差別につながる俗信や迷信などを廃し、あらゆる 差別の撤廃に努めていかなければならないのだろう。
08年12月28日(日) 「5年目」
 今日でこのHPも5年目を迎える。あっと言う間の4年だった。しかし、このHPの お陰で、色々なことを学び、たくさんの人に出遇うことが出来た。人生の大きな転 換になった。たかが4年、されど4年である。気負わず一日一日を大切にしていこ うと思う。
08年12月27日(土) 「地ならし」
 政府・自民党はソマリア沖で多発する海賊対策として海上自衛隊の艦船を派 遣することを検討しているという。民主党も政局さえなければ賛成のようだし、朝 日新聞を含めマスコミも大筋では異論はないようだが、明らかに「恒久法」の制 定や憲法9条改悪へ向けた地ならし(既成事実の積み上げや世論作りなど)であ る。
08年12月24日(水) 「クリスマス・イヴに思うこと」
  今日はクリスマス・イヴである。これから年末・年始にかけて日本人の本尊が次 から次へと変わっていく。今日、明日がキリスト教徒。そして大晦日は除夜の鐘 を搗きながら仏教徒。そして年が明けるや否や初詣に出かけて神道へと・・・。し かし本来「本尊」は一つで十分なんだろう。
 私たち仏教徒は仏様に「合掌」する。「合掌」の意味にはいくつか説があるが、 「インドでは右手を清浄、左手を不浄とみなす習俗があり、それを受けて密教で は、右手を仏界、左手を衆生界」とし、両手を合わすことによって仏と衆生が融 合する状態を表しているという(『岩波 仏教辞典』参照)。まあ、真宗的に解釈す れば、阿弥陀仏と共に人生を歩む、阿弥陀仏にお任せするということだろう。
 そしてこの「お任せする」とは、阿弥陀仏の仰せを無条件で聞くということであ る。よく「寺に参る」「仏様にお参りする」と言う。この「参る」とは、喧嘩で言う「参っ た(降参)」という意味。戦争で言えば「無条件降伏」という意味があるんだそう だ。例えば、仏様に両手を合わせる合掌よりもさらに丁寧な作法として「五体投 地」という礼拝の仕方がある。額と両肘、両膝(五体=全身)を地面に投げ出して 仏様を礼拝する作法である。まさに仏様に「参った」「降参」「無条件降伏」と宣言 している姿である。
 このように阿弥陀仏の仰せに全てを任せる、阿弥陀仏の教えを究極の価値観 として生きる、阿弥陀仏を人生の拠り所として生きるという宣言なんだろう。だか らこそ「本尊」は一つで十分である。
 ところが私たちの教団は、「一向宗」と呼ばれながら、江戸時代から、明治、戦 前・戦中にかけて自ら本尊を二つにしてしまった。「王法」という本尊と「仏法」とい う本尊である。生きている間は「王法=天皇の命令=差別制度」に従い、死んで から「仏法=阿弥陀仏」の浄土に生まれると説くことにより、現世での諦めと権力 への従順を説いた。いわゆる「真俗二諦」論である。それらをきちんと検証し、真 摯に反省することなしに、日本人の宗教観を批判する権利など私たち真宗僧侶 にはないのかもしれない。
08年12月23日(火) 「天皇誕生日に思うこと」
 「本尊」とは、自分にとって一番大切なもの、悲しいとき、辛いとき、何か決断を 迫られるとき、その判断の基準となるものである。例えば、お金を「本尊」とする 人がいる。そういう人はお金のためなら平気で他人を騙すし、蹴落とすこともある だろう。地位や名誉なら、それを守るために必死になる。また戦前・戦中の日本 なら天皇が「本尊」だった。天皇の命令なら他人の命を奪うし、自分の命さえ捧げ る。まさに「本尊」とは人生の究極の価値観、拠り所となるものである。
 何を「本尊」とするかはその人次第である。阿弥陀仏を「本尊」とする人もいれ ば、お金や地位や名誉を「本尊」とする人もいる。そして天皇や国家を日本国民 の「本尊」にしたいと思っている人もいるだろう。
 今日は天皇誕生日で学校(冬休み?)や会社が休みである。なぜこの日が国 民の「祝日」になるのだろうか?なぜ国民全員が祝うことを強制されるのだろう か?
08年12月22日(月) 「本末転倒」
 「悪さをすれば逮捕され、食事にありつけると思った」という動機で伊勢市の公 用車を傷を付けたして、公園やネットカフェなどを転々とした36歳の無職の青年 が逮捕されたという(12/22)。同じような事件が今全国で多発している。そしてそ のような治安の悪化を受けて、警察などは治安の強化を主張し、世論は監視カ メラの設置などを容認する。同じような傾向は私たちの教団にもある。「差別の 問題はもういい!」と言わんばかりに、最近教団が力を入れ出した自死問題へ の対応。葬儀などを通して自死遺族に対するグリーフケアーなどが僧侶に期待さ れている教団は説明する。
  しかしである。最近の治安の悪化や自殺者の急増は明らかに、人間を取替え 可能のモノとしか考えないような市場原理主義や格差社会などの社会問題がそ の背景にあるはず。その原因に目を向けずに小手先だけの事後対処的な対応 で本当にいいのだろうか?
 今の教団の自死問題への対応が、「なぜ家族が命を落とさなければならなかっ たのか?」その原因を覆い隠し、「あなたの家族は英霊として国家が丁重にお祀 りします」と言って、遺族の怒りを喜びに変える「ヤスクニ」となんら変わらないと 批判される所以である。
08年12月20日(土) 「融和運動の限界」
 融和運動とは、差別の原因を個々人の心の問題(煩悩など)だけに転嫁し、社 会のしくみや差別構造など根本的な原因を問おうとしない特徴があるという。
 例えば、1871年(明治4年)に明治新政府より出された『解放令(賎民解放 令)』。もちろん『解放令』によってそれまでの被差別身分はなくなろはしたが、そ の趣旨は、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を大前提にした上で、差別する者 は、明治天皇の心を理解しない「因習にとらわれた不心得者」として批判するだ けで、現実の社会に存在する天皇を頂点とした根本的な差別構造には全く触れ ないという限界があった。
 また、その限界は被差別部落の人々の中にはあった。『解放令』が出された 後、各地で起きた「解放令反対一揆」や「五万日の日延べ」の逸話に代表される 近隣住民の嫌がらせに対して、被差別部落の人々は「差別を止めるか、さもなく ば『解放令』を取り下げろ!」というスローガンのもと運動を展開したという。もち ろんそれをしたたかさ(柔軟さ)≠ニ捉えることも出来なくもないが、やはり当時 の運動の限界であったような気がする。
 またその限界は私たちの本願寺教団においても見られた。「親鸞に戻れ!」と いう水平社からの問いかけに対して「悪平等だ!」などと反論する一方で、教団 内で多発する差別に対しては、「乙達三十七号」を出して差別を否定した。しかし その否定の根拠を「親鸞聖人の同朋精神」にではなく、『解放令』を布告した天皇 の恩恵に求めたという。また教団は、本末制度や寺格(被差別寺院・僧侶に対す る賎称語を用いた差別的制度を含む)などそれまでの封建的制度を廃止するも のの、新たに設けた「堂班制度」では、一方で(懇志額による)自由競争を認めつ つも、他方では一部の家系(血筋)だけを特別扱いし、決して超えることの出来な い壁を設けていたという。
 そして戦後の部落解放運動と私たちの同朋運動。どちらもその限界を乗り越え ようと努力はしているものの、やはり「差別はいけない!」「御同朋の社会を!」と 叫びつつも、正面切って天皇制や門主制を批判できない限界があるような気が する。もちろん悲観することもないし、諦めることもにない。限界を限界と認めたう えで、それを乗り越えていこうとする意思と努力があれば必ず道は開けてくるの だろう。
08年12月18日(木) 「改憲を巡る動き」
 麻生首相の支持率低下を背景に、自民党内では総選挙前後の新党結成や政 界再編、大連立などの動きが活発になってきた。自民党の山崎拓元副首相が言 うように(12/17)、確かに今は改憲議論は低調であるが、選挙後の政治情勢い かんでは改憲潮流が大きく変化する可能性があるだろう。
08年12月17日(水) 「貴あれば賎あり=v
 昨今の差別の特徴は、下≠見下すのではなく、上≠殊更持ち上げる 傾向があるという。例えば、格差社会において、勝ち組≠ニかセレブ≠ゥい う言葉が使われ、マスコミなどでもてはやされるのもその一例だろうし、裕福層に 対する優遇税制もそうだろう。一見すると「問題ない(差別でない)」と思うかもし れないが、上≠持ち上げれば持ち上げるほど、それだけ下≠フ人権が踏 みにじられる。例えば、財政難を理由としたセーフティーネットの切捨てや、今問 題となっている景気の調整弁としての非正規雇用者・派遣社員の首切りなどそ の典型である。ちょうどコインの裏表のように、上≠持ち上げるということは 下≠見下すことにつながるのだと思う。
 同じ差別の構造は、今、私たちの教団内でも起きているという。私たちの教団 は部落差別をはじめ様々な差別に加担してきた。つまり下≠見下してきた。 そして戦後、その反省に立って同朋運動が推進され、曲がりなりにも「御同朋の 社会を目指して」という目標のもと差別のない教団にすべく努力がなされてきた。 ところがここに来て、同朋運動潰しが始まり、それと同時に上≠殊更持ち上 げる傾向が顕著になってきたという。門主制の強化やカラー布袍の導入などが それだという。教団は「貴あれば賎あり」(by松本治一郎)の言葉を思い出すべき である。
08年12月16日(火) 「愛=煩悩」
 「愛」は人間の営みの中で最も美しいものの一つと言える。「親の愛情」「恋愛」 「友愛」「博愛」などもそうだし、よく女の子の名前にも「愛」という字が使われるこ とが多い。卓球の「福原愛≠ソゃん」もそうだし、一時期「愛子」という名前も人 気があった。
 ところが仏教では、人間の「愛」を煩悩の一つとして否定的に捉える。なぜなら 人間の「愛」はどこまでも自分が中心だからである。「可愛さ余って憎さ100倍」と いう言葉があるように、自分の都合次第。どこまでも自分が中心。それが人間の 「愛」である。
 そしてこの「愛」はときに暴走する。戦争がその典型である。戦争は「怒り」や 「憎しみ」から始まるのではない。「愛」や「優しさ」から始まる。「家族を守りたい」 「仲間を守りたい」「国を守りたい」、そういった「愛」や「善意」から始まる。先日、 航空自衛隊のトップが政府見解と異なる論文を書いたとして更迭された。彼は 「侵略戦争ではない。国を守るための戦争だった」「日本はアジアの国々に良い こともした」などと書いていた。まさに「愛」であり、「善意」である。しかしいくら日 本人にとって「愛」や「善意」であっても、相手からすればそれは「悪」でしかなかっ た。「小さな親切、大きな迷惑」である。悲しいかな、彼にはそのことが気づいて いない。
 確かに「愛」は素晴らしい。しかし素晴らしいからこそ危険でもある。そのことを 教えてくれるのが仏教なんだろう。
08年12月15日(月) 「イラク人記者の叫び」
 イラクを電撃訪問したブッシュ大統領に対し記者会見の席上で一人のイラク人 記者が「別れのキスだ。犬め」「夫を失った女性、親を失った子どもたちからの贈 り物だ」などと叫びながら靴を投げつけたという。彼の叫びはまさに、日本の自衛 隊に対して、そしてその自衛隊の派兵を許した私たち日本国民に向けられた叫 びでもあったのだろう。
 今週の言葉:「「後方支援」 銃を持たない わたしが 兵士に引き金を ひかせ る」
08年12月14日(日) 「忠臣蔵」
 今日は、「忠臣蔵」から306年目になるらしい。毎年この時期になると必ずと言っ ていいほど、どこかのテレビ局で「忠臣蔵」をやっている。小さい頃私好きでよく 視た。なぜ日本人はこんなにも「忠臣蔵」が好きなのだろうか?
 今朝の朝日新聞の「天声人語」に、「1人が47人をやっつける話なら面白いが、 47人が1人の老人をやっつける話は好きになれない」「吉良にも言い分があった はず」「「忠臣蔵」では討ち入りを拒否した人を徹底的して悪人として描いている」 などという意見が紹介されていた。
 憲法に「国民の義務」や教基法に「愛国心」を明記しようとするご時世である。 「滅私奉公」や「忠君」を美徳とする意識を知らない間に刷り込まれないために も、上記のような天邪鬼%Iな発想が今こそ必要なんだろう。
08年12月13日(土) 「日米共同訓練」
 「レストランや銀行などに見立てた鉄筋コンクリート製の建物3棟に敵が逃げ込 んだ・・・。中には、イラクやアフガニスタンでの駐留経験がある海兵隊員も参加。 建物周辺の森の茂みの中で、同隊の隊員が機関銃を持って包囲する中、自衛 隊員が建物の屋上からロープを伝って室内に突入。爆発音や隊員の大きな声 が響き、建物は次々に「制圧」された。」
 これは市街戦を想定した日米共同訓練の一場面であるが、いずれ世界のどこ かの国の市街地で、米軍と自衛隊が連携しながら、このように「敵」を征圧をする 日が来るのだろうか?
08年12月12日(金) 「改憲気運」
 朝日新聞と東大の共同調査によると、自民・民主とも所属する議員の改憲へ の気運が薄れてきているという。05年に自民党で87%、民主党で46%あった 「改憲すべき」という意見が、今年(08年)の調査では、自民が75%(−12%) に、民主が21%(−25%)に減少した。また9条改定については、自民の83% が賛成で、民主の78%が反対という結果が出たという。
 自民党はさておき、民主党には今こそ、憲法9条の精神を生かしながら、いか にして日本が世界の平和と安定に貢献できるかを検討し、その方途を示して欲し い。
08年12月11日(木) 「『神々の明治維新』を読むA」
 幕末から明治維新にかけて全国を吹荒れた「神仏分離」「廃仏毀釈」。「仏を分 離する」「仏を廃する」と書いてあるが、何も廃滅の対象は「仏」だけではない。た くさんの神様も分離され廃されたという。その基準は、明治新政府にとって都合 の良い神仏か、そうでないかであったという。
 神聖なる天皇≠頂点とする神国日本を建設するにあたり(神道国教化の 過程で)、記紀神話や延喜式神名帳に記された神々や、歴代の天皇や南北朝の 功臣などを加えた、要するに、神話的にも歴史的にも皇統と国家の功臣だけを 神として祀り、その他、各地域、各村においてそれまで人々によって信仰されて きた神仏のほとんどは廃滅の対象になったという。
08年12月10日(水) 「経済的徴兵制」
 不況のあおりを受けるかたちで、自衛隊においても高卒者を対象とした採用者 数の減少が起きているという(12/10)。詳しい数字は分からないが、これまでは 一度自衛隊に入隊したとしても、後に一般企業へ再就職する自衛官も多かった という。ところが不況の影響で、一般企業への転職を希望する隊員が急減し、そ の結果、新規採用者数も減少したという。
 防衛大学を出たような幹部候補生はともかく、一般の隊員の中には、もちろん 「国を守るんだ!」という思いから自衛隊に入隊する人もいるだろうが、景気や格 差問題など経済的な理由で、自衛隊に就職した(せざるを得なかった)という人も 多いということかも知れない。
08年12月9日(火) 「空襲被害者と靖国問題」
 旧日本軍による真珠湾攻撃が始まった昨日、8日、大阪空襲の被害者やその 遺族18名が、国に被害の補償を求めてて大阪地裁に提訴した(12/8)。
 国家は国民の「死」までも差別するという典型である。同じ戦争の犠牲者であり ながら、国家にとって都合の良い「死」に対しては、「英霊」として丁重に祀り、手 厚く補償するが、国家にとって関係のない「死」に対しては非常にそっけない態度 をとる。国民の「命」を手段やモノ≠ニしてしか見ていない証拠だろう。
 今回の提訴は「靖国問題」と対極にある問題であるはずなのに、今のところど のマスコミもその関連を報じようとしない・・・
08年12月8日(月) 「自民党政治の終焉」
 麻生政権が遂に危険水域に入った。各紙世論調査によると「期待はずれだっ た」という声が多数を占めているという。ところで元々国民は麻生氏に何を期待し ていたのだろうか?そもそも、麻生氏といえば、漫画が好きで、秋葉原のオタ ク≠ニ呼ばれる人々に人気があり、また失言の多い人ぐらいの印象しかない。そ れがいつしか「国民の気持ちがわかる政治家」「物事をハッキリと言う人物」など と持ち囃され、あれよあれよと言う間に総理大臣にまでなった。麻生氏自身も、 「今までの俺と変わりないのに、何がいけないの?」と困惑しているのかもしれな い。
 最近の(自民党)政治を見ていると、一つのギャグで一躍脚光をあびたかと思 えば、一年もたたないうちにブラウン管から姿を消す一発屋芸人≠次から次 へと生み出す今の芸能界と変わらない。もちろん「熱くなるのも早いが冷めるの も早い」「物事の本質をじっくりと考えようとしない」という私たち有権者にも問題 はあるが、小泉時代に味をしめ、総理大臣の人気だけで選挙に勝とうとする今 の自民党の体質にはうんざりする。自民党政治の終わりももうそう遠くないだろ う。
08年12月7日(日) 「裁判員制度」
 昨夜NHKの番組で裁判員制度についての特集をやっていた。「あなたは死刑 を言い渡せますか」というテーマで、選ばれた市民が実際にあった事件の模擬裁 判に参加し、判決を下すというもの。結論的には、プロの裁判官3人が「死刑」を 選択し、市民の裁判員も6人中4人が「死刑」を選択した。皆それぞれに葛藤を抱 いていたようだ。
 個人的には今でもどちらかというと裁判員制度に参加したくないし、死刑制度に も反対である。しかし、昨夜の番組を視ながら、私たち日本国民(個々の意見は 別にして)が死刑制度というものを認めるからには、やっぱり私たち市民一人ひ とりが被害者や遺族、そして被告に向きあい、自ら考え、「死刑」なら「死刑」の判 決を下すことが一番いいと思った。プロの裁判官に任せきりで、マスコミの報道 だけを鵜呑みにし、外野席から「そんな悪いヤツは死刑にしてしまえ!」というの は、あまりにも無責任で、卑怯な気がする。
 それにしても、参加した裁判員の中には、数週間経っても、たとえ模擬裁判で あっても自分が一人の人間に「死刑」判決を下したことに対して、「心の中に何か スッキリしないものが残っている。いつになったら忘れることが出来るのだろう か?」と答えていた。「辛いやろうな・・」と思うけど、でも人一人の命を奪うとは、 そういうことなんだろう・・・
08年12月6日(土) 「『神々の明治維新』を読む@」
 『神々の明治維新』(安丸良夫著・岩波新書)を読む。国家と宗教との関係を知 る上で非常に興味深い書籍である。
 例えば、豊臣秀吉や徳川家康(江戸幕府)はキリスト教(キリシタン)を徹底的 に弾圧する。その徹底振りは敗退した敵の武将や兵士に対する処遇とは次元を 異にする。まさに根こそぎ≠ナあった。その理由として、「キリシタンは@異国 から渡来した他所者の教えであること、Aデウスという、この世の人倫的秩序原 理とは異質なものを信じていること、B Aによって人々の「心」を奪い、刑罰も死 も恐れない人々の結びつきをつくっている」などの特質からだという。同じことは 織田信長や島津藩によって弾圧された一向一揆や一向宗などもに当てはまる。 政治権力は、自らが構成する身分制的な政治的・社会的秩序と異なるものや、 それを乱そうとするもの(宗教)に対しては憎悪と恐怖をもって徹底的に弾圧を加 える。
 それに対して、同じ宗教でも政治権力にとって都合のいいものは、権力に取り 込まれ、保護される。例えば、江戸幕府によって重宝された儒教などはその典型 である。五倫(君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友)を説く儒教は、「人間関係の全体を 君主権を中核とする上下の身分制的秩序に一元的に編成する理論」として幕府 権力にとって非常に好都合であった。その他にも、律令時代の国家(為政者)の 安泰と繁栄を祈る「国家仏教」や、寺檀制・本末制に組み込まれキリシタンの取 り締まりや人心掌握の役割を担った江戸時代の仏教諸宗、また明治維新から第 二次世界大戦にかけて国家の推し進める侵略戦争を肯定し、それに積極的に 加担していった私たちの本願寺教団などもそれに当てはまるのだろう。
08年12月5日(金) 「オバマ新政権」
 一昨日の毎日新聞だったか、来年1月に発足するオバマ政権によってアメリカ の対日政策が大きく変わる可能性があるという記事があった。
 これまでブッシュ政権が進めてきた「強固な日米関係の構築が北東アジアにお ける米国主導の平和と安定に寄与する」(「アーミテージレポート」)という戦略を 改め、次期オバマ政権では、日本だけでなく中国や他のアジア諸国との関係を 強化することで地域の安定をはかるという戦略に変更する可能性があるという。 その結果、これまで日本政府に強く求めてきた「集団的自衛権の行使」や「憲法 改定」など日本が嫌がること≠控えるのではないかとの憶測もあるらしい。
 フタを開けてみないと分からないが、日本にとってはチャンスだと思う。これまで の米国一辺倒の外交・政策を改め、日本国憲法を基本にした独自の外交によっ て、地域の安定と平和に積極的に貢献していくべきだと思う。
08年12月2日(火) 「森達也氏講演録C」
 「今の日本社会はリスク(危険性)とハザード(毒性)がごちゃごちゃになってい る」と森さんは言う。
 例えば、マムシは非常にハザードが高い。噛まれたら死に至ることもある。しか し、街の中ではリスクは非常に低い。なぜならマムシが街の中に出てくることなど ほとんどないからである。それと同じで、核兵器や弾道ミサイルを保有し一党独 裁政権である北朝鮮は確かにハザードは高いかも知れない。ところが軍事の専 門家によると、北朝鮮が日本に攻めてきたとしても今の自衛隊ならその十分の 一以下のの戦力で十分撃退できるという。そしてそもそも北朝鮮が日本に攻め てくる可能性などほとんどないという。石油の備蓄もほとんどなければ、兵士の士 気も低い北朝鮮軍が日本に攻めてこようなんて馬鹿なことは決して考えない。つ まりリスクは非常に低いというのが専門家の大方の見方である。
 ところがマスコミも政治家もそのことを言わない。マスコミ的には「危ない!危な い!」と煽ったほうが視聴率も取れる。また政治家も北朝鮮の危険を煽れば煽る ほど有事法制の整備や改憲にとっても都合がいいからだろう。まるでマムシは危 険だからといって、どうやって根絶しようかと一生懸命議論しているようなもの だ。
08年12月1日(月) 「森達也講演録B」
 「人は怨みや憎しみで他人を殺せるのはせいぜい2、3人である。しかし優しさ や善意からなら、何千、何万の命だって奪える」と森さんは言う。
 光市母子殺人事件の差戻し審の判決があった日、広島高裁の前には3000人 以上の人々が詰め掛けたという。裁判長から「死刑」の判決が下されたとの一報 を受けた瞬間、人々は一斉に拍手し喜び合ったという。もちろん彼らは被告少年 への怨みや悪意から喜んだのではない。善意から喜んだのである。遺族である 本村さんのことを思いやる優しさから喜んだのである。しかし、森さんは「死刑存 置派であろうと、死刑反対派であろうと、人一人の命が奪われると決まった瞬間 に拍手する人間って何だろう?」という違和感が残ったという。
 怨みや憎しみによる殺人には、必ず摩擦があり、どこかで歯止めが利く。しか し優しさや善意による殺人には、摩擦がない分、歯止めが利きにくい。例えば戦 争は優しさや善意から始まるという。第二次世界大戦中のドイツ国民も、日本国 民も、他国を侵略するというよりも、「家族が危ない!同胞が危ない!国が危な い!」という善意から戦争に突き進んでいった。アメリカのイラク侵攻も「自由を 守る!」「民主主義を守る!」という正義感から始まった。そんな優しさや善意、 正義の名のもと、人は何万、何千万という命を奪う。「善意」の暴走である。
08年11月30日(日) 「森達也講演録A」
 「メディア・リテラシー」という言葉がある。「メディアは嘘をつくことがある。受け て(視聴者)は情報を鵜呑みにせず、嘘を見抜く力を養わなければならない」とい う意味である。しかし森氏は「そうではない!」と言う。そもそも今の日本のメディ アに意図的に嘘をつく度胸などないと。
 では「メディア・リテラシー」とは何か?それはメディアが報道する情報はあくま でもある事象の一面に過ぎないということを認識しておくことだという。物事は多 面的である。メディアはその多面的な一面だけを捉えて(もちろん視聴率という需 要があるのだが・・)、それを殊更強調する。メディアの発する情報に絶対的なも の、中立的なものなどない。あくまでも作り手の主観に寄るところが大きい。その ことを受け手がしっかりと認識し、多面的に情報を見ていくことが大切だと仰る。 事実は一つだが、真実はたくさんある。100人の人間がいれば、100通りの真実 がある。人間の世界に絶対的な善も悪もないということだろう。
 「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあるこ となきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」(『歎異抄』後序より)
08年11月29日(土) 「森達也講演録@」
 先日、森達也氏の講演を聞いた。テーマは「メディアによって喚起される危機管 理意識の危険性」。
 昨今、「日本の治安は悪くなった」と考える人が増えている。ところが実際には 治安は悪くなっていない。悪くなるどころか改善されているという。例えば、昨年1 年間の警察が認知した殺人事件の件数は1199件であり、この数字は戦後60数 年、最低の数字だったという。ちなみに一番殺人事件が多かったのは1954年(昭 和29年)、ちょうど映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台となった時代(ちょっと 前)であり、3021件だったという。人口の増加なども勘案すると、ピーク時と比べ て3分の1ぐらいまで減ったことになる。
 ところが日本の警察はそれをアピールしない。「最近犯罪が減った!」と自慢す るニューヨークの市長や警察とは対照的である。なぜアピールしないのか?想像 であると断った上で、一つに警察の天下り先を確保するためではないかと。治安 が悪くなる程、警察の天下り先の一つである警備会社などのセキュリティー業界 が活性化する。また政治家も治安の改善をアピールしない。なぜか?その事実 を知らないか、知っていても国民が不安を抱いているほうが、監視カメラの設置 などを含めて国民を統治しやすいし、憲法9条改定などにも有利にはたらくと考え ているからではないかと。そして第4の権力と言われるマスコミが報道しないの は、「安全!」と言うよりも「大変だ!大変だ!」と言うほうが視聴率が取れる。そ の結果、自然と不安や恐怖を煽るような報道になってしまうのだと。森氏がある 新聞社の社会部の記者になぜ書かないのかと訊ねたら、「これまで危機を煽っ てきた手前、改善していると書くには、それなりの理論武装が必要だからな・・」と のこと。
08年11月27日(木) 「人はそう簡単に人を殺すことなどできない=v
 今、『中外日報』(宗教専門誌)で森達也氏の連載が載っている。最新号にだと 思うが、森さんは「人はそう簡単に人を殺すことなどできない」と書いておられる。 例えば、米軍の調査によると、第二次世界大戦中、米軍兵士の内、実は半分以 上が銃の引き金を一度も引いていないことが明らかになった。いくら戦争でも人 を殺すことに躊躇いがあったのだろう。しかし、それでは強い軍隊≠ヘ作れな い。そこで米軍は、世界中の軍隊教育のマニュアルを参考にしながら、徹底的に 兵士から人間性≠奪う軍隊教育を行ったという。例えば、射撃訓練の際、そ れまでは丸い標的だったのを、人の形にするとか(おそらく旧日本軍の初年兵教 育(上官によるリンチや捕虜を銃剣で突き刺すなど)も参考にしたのだろう)・・・。 それが功をそうしたのか、ベトナム戦争では大きな成果を得る。ところがその副 作用として、帰還兵の中にPTSD障害を抱える兵士が増大し、帰還兵による犯罪 や薬物中毒などが社会問題する。そこで次に米軍がどうしたかというと、実際に 兵士が人を殺しているという実感を持たなくて済むように、兵器のハイテク化を進 める。遠く離れた所からボタン一つで、まるでテレビゲームのように標的≠ 攻撃することが可能となった。それが湾岸戦争だったという。ところがイラク戦争 では、レジスタンスの予想外の反撃にあい、再び兵士の心の中に深い傷を刻み 込んでいるという。
 戦争は殺すほうも殺されるほうも被害者であり、犠牲者なんだろう。それを国家 の英雄だと言って褒め称え(靖国神社・歴史の歪曲など)、更なる犠牲者を生み 出そうとする国家(為政者)の非情さに怒りを禁じえない。
08年11月26日(水) 「サンガのある仏教徒サンガのない仏教」
 昨日、ビルマにおける民主化運動についての話を聞いた。今回の民主化運動 は、88年の民主化闘争と異なり、主に仏教僧侶が中心となって行われた。なぜ 出家の身である僧侶たちが世俗的な運動に参加したのか?その背景に、ビルマ など南伝仏教圏に伝わる「サンガ」の伝統があるという。
 「サンガ」とは、主に釈尊の教法を理解し実践する出家者の集団を指すという。 しかしそれは、単に自分の悟りだけを求め世俗社会から背を向ける集団ではな かったという。お釈迦様当時の「サンガ」は、「まずサンガにおいて理想的な状況 をつくり出し、サンガが現実の世俗社会の手本となり、サンガで実現された価値 が世俗社会に行き渡ることによって社会が変革されることを期待した」という。そ してその「サンガ」で実現されてきた価値とは、平等主義、相互協力、民主主義、 平和、寛容などであった。
 そのような「サンガ」の伝統を受け継いだ南伝仏教では、「単に自己一身の悟り を求めるだけではなく、社会のあり方、とくに為政者に対しては、仏教に基づく政 治が行われているかどうかを監視する義務と権利を持っている」と考えられてき た。だからこそ、過酷な軍事政権の圧制に対してビルマの僧侶達は立ち上がっ たのだという。
 一方、今回のビルマの仏教徒の動きに日本の仏教徒の反応が鈍かったのは、 日本には数多の「教団」はあっても「サンガ」は存在しないからだという。人々も葬 儀以外僧侶に何も期待していないし、僧侶自身も檀家組織が維持され、食べる に困らなければよいという、社会正義や平等主義などとは無縁の暮らしをしてい るからこそ、社会的発言などまずもって出てきようもないのだと。
 以上、阿満利麿氏(明治学院大学名誉教授)の「サンガのある仏教とサンガの ない仏教」(「中外日報」2007年10月11日号掲載)を参照。
08年11月25日(火) 「日陰者≠ナ何が悪い?」
 今朝の朝日新聞に、一連の田母神空幕長問題の背景について考察する記事 があった。今回の田母神氏の論文に関しては、現役幹部やOB会の中でその内 容を擁護する発言が目立つという。田母神氏の歴史観自体に賛同するというよう りも、これまで自衛隊の存在が政治家や国民から十分に評価されてこなかったと いう長年の鬱積が背景にあるという。
 長年自衛隊は、憲法9条との関係上、常に「日陰者」扱いされてきた。ところが 近年、国際貢献の名のもと、自衛隊が海外に派兵される機会が増えるにつれ て、国内はいざ知らず、国際的(米国?)には一定の評価を受けるようになった。 そんな環境の変化が、一部の幹部自衛官の暴走(歴史の歪曲・集団的自衛権 の容認、改憲論など)を誘発させたのではないかと。
 確かに自衛隊が「日陰者」扱いされてきたことは否めない。しかしそれでいいん だと思う。自衛隊が脚光を浴びるときは、それは戦争やそれに近い危機的な状 況に日本があるときである。「日陰者」扱いされてきたということは、それだけ日 本が平和だった証である。
 また多くの国民は、「大切な家族や友人を守りたい」という自衛官の純粋な気持 ちを評価(感謝)してきたのであって、「こんなに厳しい訓練をしてきたのだから、 その成果を発揮できる機会が欲しい!」といったような自衛官一人ひとりの自己 実現のために自衛隊という組織を認めているのではないと思う。
 矛盾を抱えた組織で結構。もちろんいずれは軍隊や武器の要らない世界を実 現させなければならないが、その矛盾を解消するために憲法を変えようなんても ってのほかである。
08年11月13日(木) 「田母神論文(歴史修正主義)の真意」
 侵略戦争を正当化する論文を書いて更迭された田母神元空幕長問題。なぜ自 衛隊幹部(一部保守政治家)があのような馬鹿げた歴史観を掲げるのか?今朝 の朝日新聞の「オピニオン」欄に、元陸上自衛隊北部方面総監であった志方俊 之氏がその理由を非常に分かり易く説明してくれていた。以下引用。
 「幹部自衛官は日々、隊員の士気を維持し高めることに苦労している。私もそ うだった。厳しい訓練を課し、いざというときには国のために命を捨てろと求め る。歴史観はきわめて重要だ。日本は過去にひどいことをやった罪深い国だ― では、若い隊員たちが誇りを持って命を捨てられるだろうか。戦闘機もミサイルも 必要だが、隊員の士気を高めることが一番だ。国を愛し誇りに思う気持ちは、い わゆる「自虐史観」では育てられない。おそらく、論文はそれを言いたかったのだ ろう」
 この志方氏の文書からは、歴史修正主義者の狙いがよく解る。彼らは単に古 きよき過去の時代・栄光に浸っておきたいというような消極的な思いから歴史を 歪曲するのではない。もっと積極的な、これから日本を戦争の出来る国≠ノす ること、国のために喜んで命を捧げる若者を育てることを目的にした動きである ことがよく解る。まさに戦争動員装置「ヤスクニ」の一つである。
08年11月12日(水) 「自立と共生、連帯」
 自民党の税制調査会が、格差是正を目的に、高額所得者に対する課税を強 化する方向で検討に入るという(11/12)。格差や将来の消費税率UPの際の不満 を和らげるための小手先の政策だとも言われているが、内容に注目したい。
 現在の所得税の税率は、6段階に分かれており、最高税率は1800万円以上の 所得に対して40%の税率をかけている。この税率は、1974年当時は19段階に分 かれており、最高税率は8000万円以上の所得に対して75%の税率を課してお り、これまで一貫して下がり続けていた。その間に消費税が導入されるなど、まさ に富裕層ばかりを優遇する税制改革が行われてきた。
 どこまで本気かは分からないが、それが今回是正されるかもしれない。「強いも のが勝って何が悪い!」そんなネオ・リベラリズム的な発想を脱却し、自立と共 生、連帯の社会を築きたい。
08年11月10日(月) 「旧日本軍と自衛隊」
 これまで、橋下大阪府知事が光市母子殺害事件の裁判を担当する弁護士に 懲戒請求を呼びかけるなど何かとお騒がせの、毎週日曜の昼に放送の「たかじ んのそこまで言って委員会」。それにしても昨日の放送は度を越していた。更迭 された田母神元航空幕僚長の代わりとして登場した特別ゲスト。元海上自衛官 で、組織の体質に嫌気がさしたという理由で数年で辞めたという人物。よく公共 の電波を使ってあのような滅茶苦茶な主張を読売テレビもよく流したものだと思 う。
 彼の主張は「もっと現場の指揮官に権限を委譲すべきだ」というもの。その例え として、阪神大震災のとき、当時の兵庫県知事の判断ミスによって自衛隊の派 遣要請が遅れた結果、たくさんの人が亡くなった。もし自衛隊の現場の指揮官が 独自に判断して自衛隊を動かしておれば、もっと犠牲を少なく出来たというもの。 つまり、政治家(文民)に任せていたらダメだ!軍人に任せろ!というシビリアン コントロールを全く無視する主張だった。まるで軍人は過ちを犯さない。先の戦争 は自存自衛のための正しい戦争だ!日本軍によってアジアの国々が解放された んだ!という田母神氏と全く同じ主張である。
 さすがに昨日は、いつも好き放題言っている三宅久之はじめレギュラーゲスト 達からも非難轟々だったが、ちょっと今の自衛隊(幹部)の体質というものに恐怖 を覚えてしまった。戦前の旧日本軍人の体質が断ち切られずに、自衛隊の中で 脈々と受け継がれてきているという実態を垣間見た気がする。
08年11月9日(日) 「格差という名の差別」
 高所得者ほど寿命が長く、低所得者ほど寿命が短くなる、そんな調査結果が 報告された(11/8)。その要因の一つに、医療費の自己負担率の増大に伴い、 受診を控える低所得者層が増えていることが考えられるという。
 「格差の何が悪い」と豪語した元首相もいたが、ここまでくれば「格差」というより も「差別」である。「@すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権 利を有する。A国は、国民生活のあらゆる側面について、社会福祉、社会保障 及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」という憲法25条(生存 権等)違反である。
 「不景気」に名を借りた選挙対策として、国民の貴重な税金をばら撒くだけばら 撒いて、後で消費税としてそれ以上にガッポリと回収する。結局は低所得者層が 損をするだけで、高所得者層ばかり優遇する差別政策である。消費税よりも所 得税の累進税率を元に戻すのが筋である。
08年11月8日(土) 「地方の力」
 札幌市議会が、慰安婦問題で、公式な謝罪や賠償などに関する法律制定など を国に求める意見書を賛成多数で可決したという(11/7)。これは兵庫県宝塚 市、東京都清瀬市に続いて3例目だという。すごいな〜と思う。国連やアジア諸 国、欧米など国際的な圧力と、地方議会や市民の力で自衛隊幹部の認識をはじ め今の政府の姿勢を変えていければと思う。
08年11月7日(金) 「シビリアンコントロールの危機」
 田母神航空幕僚長が更迭された問題で、詳細が少しずつ明らかになるにつれ て、何とも言えない恐ろしさが込み上げてくる(11/6)。
 田母神氏が応募した民間の懸賞論文は、有名ホテルチェーンの代表の著書 「報道されない近現代史」の出版を記念して創設されたという。同書は「鬱積(うっ せき)する愛国、憂国の思いを、半ば書き下ろした」というように、「新しい歴史教 科書を作る会」などが主張するような国粋主義的な内容となっている。そのような 主張を宣伝するために創設されたのが今回の懸賞論文だった。
 そんな懸賞論文に、こともあろうか空自小松基地の第6航空団が、幹部教育の 一環として、懸賞論文と同じ「真の近現代史観」というテーマの論文を書かせ、指 導までして、応募させていたという。その数は62人に上り、ほとんどが若い幹部 候補生だったという。
 また同じく海上自衛隊が作成する教育資料にも、「敗戦を契機に、わが国民は 自信を失い、愛国心を口にすることはおろか、これをタブーとし、賤民(せんみ ん)意識のとりこにさえなった」 という文書が掲載されていたことが明らかになっ た。
 つまり田母神氏と同じような主張が、自衛隊の幹部向けの教育としてなされて いるということである。「あれは侵略ではない」「正しい戦争なんだ」という思想の 持ち主が、これまでも、そしてこれからも世界でも有数の戦力を備えた自衛隊を 現場で動かしていこうとしていることに驚愕する。
08年11月6日(木) 「想像力の欠如」
 民主党は国会審議を有利に進めたいとの思惑から、更迭されて田母神航空幕 僚長の参考人招致と引き換えに、海上自衛隊によるインド洋での給油活動を延 長する法案の早期採択に応じる意向を示したという(11/6)。
 一方、参議院の外交防衛委員会に参考人として出席したNGO「ペシャワール 会」の中村哲現地代表は、自衛隊のアフガニスタン本土派兵について「百害あっ て一利なし」と強調し、また給油活動についても「掃討作戦の一環であり、『油は 空爆に使われない』と言っても現地の人には通用しない」と批判したという(11/ 5)。
 自民党といい民主党といい、一体いつまでこんな馬鹿なことをしているのだろう か?武力で「テロ」を根絶し平和を取り戻すことなど出来ない。イラクでもアフガニ スタンでもそのことは既に証明済みである。「テロ」を根絶する方法はただ一つ、 武力による攻撃をすぐに止め、貧困など「テロ」を生み出す土壌を改善していくこ とである。9条を持つ国でありながらなぜそのことに気づかないのだろうか?殺さ れる者への想像力をもっとはたらかせろよ!と言いたい。
08年11月5日(水) 「宇宙の防衛利用」
 「宇宙基本法」という法律を制定し、首相を本部長とする宇宙開発戦略本部を 立ち上げ、現在検討が進められている宇宙の防衛利用(11/4)。その真の目的 が少しずつ明らかになってきた。まず一点目は、現在アメリカが世界中に張り巡 らせようとしているミサイル防衛システム(MD)を補完すること。そして二点目 は、「宇宙基本法」の制定が「政産官」一体の勉強会から始まったと言われるよう に、新たな市場開拓を望む防衛産業からの強い要望(5/21)。そして三点目に、 将来自衛隊を海外に積極的に派兵することを見越して、その際必要となる衛星 通信手段の確保が念頭にあるんだろう。表向きは北朝鮮からの弾道ミサイルに 対する「早期警戒衛星」の開発と言われているが、本当のところは、国民というよ りも、アメリカや経済界の利益に配慮した動きなのだろう。
08年11月4日(火) 「言論の自由?」
 歴史を歪曲した論文をめぐり田母神航空幕僚長が更迭された問題で、彼を擁 護する発言が一部にある。産経新聞などの保守陣営からならまだしも、弁護士 など「革新」と呼ばれる人たちの一部からも擁護する発言が散見される。彼らの 言い分は「航空幕僚長という立場上の問題はあるが、言論の自由の観点からし て、そんなに大騒ぎするする必要があるのか?」と。ちょうど田母神氏が辞任会 見で述べた「自由な言論を許さないのは北朝鮮といっしょだ!」という論法であ る。
 一見するとリベラル的な発言にも聞こえるが、とんでもない論理である。もしそ れを許したら、人を差別することだって自由になってしまう。アジア諸国を中心に 2000万人以上の人の命を奪っておきながら、何が「圧制からの解放」だ!何が 「日本は良い事をした」だ!殺された人々、またその遺族に対する冒涜である。 他人の命を奪い、他人を差別しておきながら、「自由だ!」と開き直っているのと 全く同じである。自由や民主主義を履き違えるにも甚だしい。
08年11月3日(月) 「讃佛偈」
 普段お勤めする「讃佛偈」(仏様を讃嘆するうた)。「佛」とは「阿弥陀仏」を指す と思われがちであるが、実は「佛」とは、阿弥陀仏の師仏である「世自在王仏」を 指す。法蔵菩薩が師である「世自在王仏」を讃嘆する偈(うた)が「讃佛偈」であ る。
 『仏説無量寿経』には、「讃佛偈」の直前に次のような物語が語られている。ま ず錠光如来という仏様が世に出現し、その後、次々と52人の仏様が現れ人々を 教化していく。そして54番目に「世自在王仏」という仏様が現れる。その噂を聞き つけたある国の国王が「世自在王仏」のもと参拝し、教化を受ける。その仏の説 法に感動した国王は、その場で身に着けていたきらびやかな宝飾品や衣服を脱 ぎ捨て、王位を捨て、国を捨て、出家し、「法蔵(菩薩)」と名のる。その法蔵菩薩 が師である「世自在王仏」の徳を讃えてうたったのが「讃佛偈」である。
 お釈迦様の出家のエピソードに似せたこの法蔵菩薩誕生の物語。私たちの常 識では考えられないことである。一国の王といば、お釈迦様もそうであったよう に、地位も名誉も財産も、家族も友人も、何もかも全てを持ち合わせていた存在 である。そんな状況にあるものがそれら全てを捨てて、出家するだろうか?私な ら・・・
 この法蔵菩薩出家の物語、おそらく仏教徒になるとは、法名を名のるとは、どう いうことなのかを私たちに教えてくれているのだろう。確かにこの現在社会で、財 産も家族も全て捨てて出家などすることは出来ないかもしれない。しかし、仏教 徒になるとは、法名を名のるとは、これまでの価値観(お金があればあるほど素 晴らしい。地位が高ければ高いほど偉大である。健康が全て。人間が一番。弱 肉強食等)を相対化し、以後、仏法(平和や平等、尊敬など)を究極的な拠り所と して生きることを宣言することなんだということを教えてくれているのだろう。
 法蔵菩薩やお釈迦様の選択からすれば、私たちの選択など足元にも及ばない だろうけど、阿弥陀仏の願いを自らの願いとして、少しでもその願いの実現に向 けて一歩一歩歩んでいきたい。
08年11月1日(土) 「田母神航空幕僚長更迭」
 よくもこれだけ危険な人物が航空自衛隊のトップにいたと思うと、空怖ろしくなっ てくる。田母神航空幕僚長は、自衛隊のイラク派兵が憲法違反に当ると談じた名 古屋高裁の判決を「そんなの関係ない」と一蹴した過去もある。司法を否定し、 そして今回、政府見解までも否定した。これで文民統制ができるのだろうか?こ のような人物を自衛隊のトップに据えた任命責任は厳しく問われなければならな いだろう。
 それにしてもいつまでこんな馬鹿げたことが続くのだろうか?1986年に藤尾正 行文相が「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言して更迭。88年 には奥野誠亮国土庁長官が「第2次大戦は日本の安全のための戦いであり、侵 略ではなかった」と発言し辞任。94年に永野茂門法相が「南京大虐殺はでっち上 げだと思う」、桜井新環境庁長官が「日本は侵略戦争をしようと思って戦ったので はない」と発言して辞任。95年には江藤隆美総務庁長官がオフレコ懇談で「植民 地時代には日本が韓国にいいこともした」と発言し辞任している。沖縄の集団死 を否定する動きなど、昨今の歴史修正主義的な動きにはへきへきとする。
08年10月31日(金) 「行政の責務」
 天皇制を批判する映画の上映を巡り東京杉並区が会場の使用取消を決定し た問題で、東京地裁は取消の無効を言い渡した(10/30)。
 映画「靖国」の時も、日教組の時も、いずれも「右翼が来るから」との理由で会 場使用を拒否することは言論・集会の自由に反するという決定が出されているの に、なぜこうも同じことを繰り返すのだろうか?憲法を守り、国民の権利を保障す る義務が行政にはあるはず。「どんなことがあっても行政が責任を持って開催さ せます」とぐらい言えないのだろうか?
08年10月30日(木) 「靖国問題と浄土真宗」
 先日、靖国問題に関する研修会に参加した。その際、1939年に雑誌『主婦の 友』に掲載された「母一人子一人の愛児を御国に捧げた誉れの母の感涙座談 会」という記事をもとに、「靖国問題と浄土真宗」について講師から問題提起があ った。
 高橋哲哉さんが書いた『靖国問題』(ちくま新書)でも取り上げられているが、そ の座談会でこんな会話が出てくる。「ほんとうになあ、もう子供は帰らんと思や、さ びしくなって仕方がないが、お国のために死んで、天子様にほめていただいとる と思うと、何もかも忘れるほどうれしゅうて元気がでますあんばいどすわいな」「間 に合わん子を、よう間に合わしてつかあさって、お礼を申します」などと息子を戦 死で失った5人の母親たちの会話が紹介されている。
 『日本浪漫派批判序説』などで知られる橋川文三氏は、この座談会を紹介しな がら、ある雑誌で「なにか古代原始の妖気をさえたたえた表現・・・働きざかりの 息子たちを戦争で失ったこれらの老婆たちのこの哀切な浄福感の表現を読んで ゆくと、私はまるでこの世のものと思われないような不思議な戦慄を覚えます」と 述べ、このような「ぐちもめめしさも全くあらわれないこの語り口調」こそ、橋川氏 が幼い頃から知っている「どんなこの世の忍苦にもぐちをこぼさず、いつもひかえ めに生きている」浄土真宗の信仰に生きている女性たちを連想させるという。
 つまり「靖国の母・妻」や「遺児」と呼ばれる人々の精神性には、真宗信仰の中 から生じる生き方・考え方が少なからず影響しているということだろう。実際に座 談会に参加した5人の母親たちの出身はみんな、富山や石川、福井、滋賀など 真宗王国≠ニ呼ばれる地域であることからもわかる。
 「罪悪深重の凡夫であるこんな私でも阿弥陀仏は救って下さる。有難い」という ところの阿弥陀仏≠ェすっぽりといとも簡単に天子様(天皇)≠ノすり返ら れてしまう。まさにここにこれまでの真宗信仰の弱点があるのだろう。部落差別 の問題に取り組む中で明らかになってきた「真俗二諦の克服」や「信心の社会 性」というものが、靖国問題においても問われてくるのだろう。
08年10月29日(水) 「党利党略」
 民主党は、年内解散が遠のいたことを受けて、「新テロ特措法」などの審議を 巡り政府・与党と徹底交戦する戦略に方針転換したという。「日本の国際貢献は いかにあるべきか」「憲法をどう考えるのか」など考える大切な法案のはずなの に、党利党略だけで簡単に方針を転換する態度に開いた口が塞がらない。
08年10月28日(火) 「敗戦国ドイツと日本の違い」
 韓国の国会が、日本政府に対し従軍慰安婦問題への謝罪を求める決議案を 採択したという(10/27)。同様の決議は米下院やフィリピンなどでも決議されてお り、国連の人権理事会でも継続的に審議されているという。それらに対して日本 では、「従軍慰安婦など存在しなかった」と豪語する政治家は論外として、曖昧な 答弁を繰り返したり、外務省を通じて採択しないよう各議員にはたらきかけを行 うなど、一向に真剣に向きあおうとしない。
 一方同じ敗戦国ドイツでは、先の戦争中の被害に対して積極的に謝罪や補償 を行っている。先日、ナチス占領下のイタリアで起きた住民虐殺事件をめぐる訴 訟で、イタリアの破棄院(最高裁)は原告の訴えを認め、ドイツ政府に賠償金の 支払を命じる判決を下したという(10/23)。ドイツ政府は判決の受け入れを拒否 する一方、「道義的責任は認識している」と述べ、原告への補償金支払いの可能 性を示唆したという。
 一体この違いは何だろうか?これでは世界の中で信頼される国になどなれる はずがない。
08年10月27日(月) 「不平等社会日本」
 ある調査によると、全国の小学6年生で中学受験を予定している子どもの割合 は全国で13.2%、東京23区で36.9%にのぼるという。そしてそのほとんどの子ど もが塾に通っており、特に私立・国立を希望する家庭の4分の3が月に「5万円以 上」の教育費を支出しており、「10万円以上」も2割弱余あるという(10/25)。
 その一方で地方のある教職員組合が実施した調査によると、最近生活に困窮 する家庭が増えており、「学用品を買ってもらえない」とか「修学旅行を欠席す る」、「家族のために、給食を持ち帰る」などの事例報告がなされている(9/22)。
08年10月24日(金) 「民間と行政は違う!」
 大阪府の橋下知事が、府が財政再建のために私立学校への助成を削減した ことについて再考を促す府内の高校生と意見交換をしたという記事があった。
 「安心して勉強させて」と訴える生徒に対して、知事は「借金してばらまくのは簡 単。でも5年後10年後を見据えてみんなで我慢する」「高校には全員がいく仕組 みじゃない。(高校とは)別の選択肢もある」と応じたという。「みんなで我慢する」 か・・・。小泉さんも同じようなことを言っていたけど、それは嘘だと思う。痛みに耐 え、我慢を強いられるのは常に弱い立場にある人たちだと思う。「高校は義務教 育ではない。お金がなければ高校に行くな」か・・。お金があろうとなかろうと、学 びたいという意思がある子どもに教育の機会を保障していくのが行政の仕事じゃ ないのだろうか?更に知事は「義務教育までは平等に扱う。その先は定員があ ってずっと競争。それが世の中の仕組みだと自覚しないと」と答えたという。「民 間では・・」が口癖の知事。でも民間と行政は違うはず。確かに今の社会は弱肉 強食の競争社会かも知れない。しかしそんな社会を少しでも変えていくこととまで は言わないが、少なくてもその中で困っている人をサポートし自立を助けていくの が行政の仕事のはず。 「民間」に出来ないことをするために「行政」があるはず。
 「強いものが勝ち、弱いものが負けて当然!」というこれまでの知事の言動を見 ていると、大阪に笑顔が戻る日はまだまだ先だな〜と悲しくなってくる。
08年10月23日(木) 「覚悟」
 河村官房長官は国会で、日本人が海外で「テロ」被害に遭遇した場合に備え救 済制度の整備を急ぐ考えを示したという(10/22)。旅行やビジネスの途中にたま たま「テロ」被害に遭遇することを想定してのことか、それとも日本人が直接「テ ロ」の標的になる時代が近いことを想定してのことだろうか?米軍と行動を共に する限り、後者のケースが増える可能性は十分にある。「国際貢献」もいいけれ ど、そのようなリスクも引き受ける覚悟している人がどれだけいるのだろうか?
08年10月19日(日) 「『天皇制と部落差別』を読むC」
  部落差別に関係が深いとされる「ケガレ」や「よごれ」。その本質は「無(反)秩 序」だという(byメアリ・ダグラス)。
 例えば、爪や髪の毛、唾液などは、身体の一部としてあるときには、問題ない。 ところが、爪を切ったり、髪の毛が抜けたり、唾液を吐いたりすると、「きたない」 ものへと一変する。身体の一部として身体の秩序の中にあるときは、「清浄」であ るが、一度その秩序から外れる(反する)と「よごれ」となるんだそうだ。
 では「よごれ」と「ケガレ」の違いは何かというと、「よごれ」とは、物体や生物 が、人間の意識のなかにある秩序感覚に反した状態に置かれていることを意味 する。例えば、机の上にある紙は「よごれ」ではない。ところが廊下に落ちている と、それは「ゴミ」として扱われる。落ちた紙は人が歩く邪魔をする。つまり秩序に 反するものだから、同じ紙でも「よごれ」となるんだそうだ。一方、「ケガレ」は、そ こに社会関係が加わってくるという。社会の秩序に欠損や、一時的な崩壊が加 わるときに「よごれ」は「ケガレ」になるという。
 いずれにせよ、客観的で絶対的な「よごれ」や「ケガレ」は存在しない。人間の 意識(秩序観)が生み出す概念だということが分かる。
08年10月18日(土) 「世論形成」
 今度は軍艦を使っての海賊退治か・・。政府は、海賊被害が多発するアフリカ・ ソマリア沖に、海上自衛隊の艦艇を派遣し、民間の船舶を護衛できないか検討 するという(10/17)。正直、なぜわざわざ遠く離れたアフリカの地に、憲法によっ て武力行使を禁じられている自衛艦を海賊退治のために派遣する必要があるの だろうか?「国際貢献だ!」「日本の民間船舶が実際に襲われたじゃないか!」 という声が聞こえてきそうだが、疑問は尽きない。
 とりあえず何でもかんでも既成事実を積み上げていくことで、自衛隊による海外 派兵容認のための世論を形成しようということだろう。そしてその後は、恒久法 の制定や集団的自衛権行使の容認、憲法9条改悪というシナリオが控えている のだろう。見え見えである。
08年10月17日(金) 「国民の祝日」
 以前「日本は神の国だ」と発言し首相を辞任した国会議員が会長をする超党派 の議員連盟が、天皇即位20周年を祝うため、来年の11月何日かを「国民の祝 日」にするための運動を展開し、近く議員立法の提出も検討しているという記事 があった。
 「やった!来年は休みが1日増えるぞ!」と国民が喜ぶとでも思っているのだろ うか?大きなお世話である。何を祝うかはそれぞれ個人の自由である。それを法 律で決めて「国民の祝日」にすることは、思想・信条の自由を侵すものであり、強 制以外の何ものでもない。
 靖国問題もそうだが、天皇(制)というものを利用することによって、自らの政治 的目的を達成しようと考えている政治家がまだいることに呆れる。
08年10月16日(木) 「教基法改悪の影響」
 安倍政権時代に改悪された教育基本法。伝統文化や公共心などを強調する 文言が追加されたが、その後、あまり表立った動きは聞こえてこない。ましてや 日常生活を送る上では何の支障も感じられない。しかし、その影響は確実に社 会に浸透しようとしている。
 現在、教科書検定の際の目安となる検定基準改定が進められているという。そ れに対して、保守系国会議員役230人が、改悪された教育基本法に基づいて公 共の精神や愛国心を重視した教科書検定を行うよう要請したという(10/15)。ま た、地方においても、自治体の教育方針を決める際、保守系議員が、新教基法 を根拠に、保守色を強めるよう圧力をかけているという。
 新基本法の制定の悪影響が出てくるのはまさにこれからなのかも知れな い・・・・
08年10月14日(火) 「必然的な悲劇」
 対「テロ」などの特殊部隊に所属する海上自衛隊の隊員が、訓練中に死亡する 事故があったという(10/13)。その訓練内容を聞いて驚く。一人の隊員を相手に 15人の隊員が次から次へと交代で格闘していくという。そして14人目の時に、ガ ードも出来なくなった隊員の顎にパンチが入り、そのまま病院に運ばれ死亡した という。事件の背景として、除隊を控えていた隊員に対する「体罰」であるとか、 他の隊員に対する「見せしめ」などと報道されているが、今回の「事故」は決して 偶然ではなく起こるべくして起きた必然的な悲劇だと思う。
 通常の訓練では行われない1対15の異常な訓練。その場にいた一人でもおか しいいと思い「訓練」の中止を求めていたら、命を落とさずに済んでいたかもしれ ない。でも誰も止められなかった。なぜか?訓練の場に上官がいたことからもわ かるように、「軍隊」では上官の命令は絶対である。軍隊における訓練の目的の 一つは、徹底的に兵士の私情というものを排除し、上からの命令に従うコマン ド≠作り上げることにあるという。命令に反したり、「人を殺したくない」と思った ら戦争など出来ない。北朝鮮などの一糸乱れない軍事パレードや旧日本軍内で の新兵いじめはその典型だろう。人間を機械≠ノ鬼≠ノするのが軍隊の訓 練である。
 又、特殊部隊という最前線で戦う可能性のある部隊内で起きたことも、決して 偶然ではないだろう。厳しいい訓練といつ何時戦闘になるかも知れないというスト レスも影響したに違いない。この数年間、自衛隊の性格が大きく変わろうとして いる。それまでの専守防衛から一転、国際貢献の美名のもと積極的に海外の戦 場に派遣される方向にある。いつ戦闘に巻き込まれるか分からない。そんな隊 員のストレスは以前とは比べ物にならない。
 このまま自衛隊を戦争の出来る「軍隊」にしようという動きが変わらない限り、 在日米軍兵士による凶悪な犯罪が一向に減らないのと同じように、今回と同じよ うな悲劇は再び繰り返されるに違いない。
08年10月13日(月) 「ゲーティット・コミュニティ」
 今朝の朝日新聞に「ゲーティット・コミュニティ」に関する特集記事があった。そ こに住む人々の声が紹介されていたが、読んでいてなんとも言えない怒りと悲し みが込み上げてきた。
 「今は人を信用できない時代。道を聞かれても無視して笑いかけちゃダメと子 どもに教えるでしょう」「言葉は悪いけど、少々高いことで住人がふるいにかけら れ、それが街のクオリティになる」「公務員とか大企業とか、勤め先がしっかりし ているからって選んだ人も多い。その方が人付き合いが安心だし、楽だし」「子ど もだけではゲートの外に出ない約束。過保護かもしれないけど、成長に合わせて 社会に出すしかない」
 まさに危険な排外的な差別思想だと思う。裕福でないとか、大企業に勤めてい ない人は、まるで犯罪者予備軍でもあるかのような発言である。人を信じることを 教えられずに育つ子どもが可哀そうでたまらない。
08年10月11日(土) 「ノーベル平和賞」
 元フィンランド大統領でのマルティ・アハティサーリ氏がノーベル平和賞を受賞 することになった。同氏は、ナミビアで紛争やインドネシア・ナングロアチェ州の独 立紛争、コソボ紛争など世界各地で地域紛争の和解に向けた仲介役を果たして き人物だという。武力ではなく相互の信頼と話し合いにより問題を解決してきたこ とが高く評価されたのだろう。
 アフガン政府内で、タリバンとの和平論が急浮上してきたという(10/10)。その 背景には、米英軍のアフガン侵攻以来7年が経つにもかかわらず一向に平和が 訪れる兆しがない。それどころか、益々戦闘が激化し、泥沼化の様相を見せて いる。「軍事的な完全勝利はありえない」(by駐アフガン英軍司令官のスミス准 将)ということにようやく気づき始めたのかも知れない。
 アハティサーリ氏は今後の活動の抱負として「今後10年間で世界で約10億人 の若者が職にあぶれる。希望を失うとテロリストになってしまう」と語り、中東や北 アフリカの若者に職を与える活動を行うという。 紛争の調停だけでなく紛争予防 にも力を注ぐんだそうだ。
 もちろんノーベル賞には色々な政治的思惑があることは承知しているが、今回 の受賞に拍手を送りたいと思う。そしていずれ9条を持つ日本が、世界の中でア ハティサーリ氏と同じような役割を果たすことを願ってやまない。
08年10月10日(金) 「戦争をする国=v
 在日米陸軍の相模総合補給廠から野戦基地用のキャンプセットが横浜港から コンテナ船に積み込まれて中東に向かったことが分かったという(10/9)。米軍に よるアフガニスタンへの兵力増強に呼応した動きだそうだ。
 本来、日本にある米軍基地は朝鮮半島など有事に際して、日本を防衛する(専 守防衛)ためにあった。ところが同時多発テロ以降の米軍再編の結果、在日米 軍基地は、極東から中東までの広範な地域の有事に素早く対応するための最前 線基地となってしまたという。
 今回の動きは、そのことを証明するとともに、日本がアフガニスタンでの戦争に 直接加担しているということを明確に物語っており、自衛隊の海外派兵と合わせ て、戦争の出来る国≠ゥら戦争をする国≠ヨと踏み出そうとしていることが わかる。
08年10月9日(木) 「政局優先」
 民主党が衆議院の早期解散・総選挙を促すために今国会での補給支援特別 措置法改正案の早期採決を容認したという(10/8)。これでインド洋での給油活 動は1年か延長されることが確実となった。
 なぜ民主党が給油活動に反対するのか?単なる政局だけで反対しているのだ ろうか?要注意である。
08年10月8日(水) 「ビハーラ奈良20周年」
 昨日、「奈良ビハーラ結成20周年記念行事」が開催された。記念講演とその後 の質疑応答を通して、これからのビハーラの課題と方向性が明らかになったよう な気がする。
 これまでのビハーラと言えば、緩和ケア病棟や老人ホームなどに会員が訪れ て、患者さんや入所者と交流するのが中心であったように思う。それに対して参 加者から、格差の拡大や医療制度改革による医療費の高騰などにより病院や 施設に入れなかったり、追い出される人々が増え、在宅介護が中心になる中で、 それにビハーラがどのように関わっていくのかが将来の大きな課題になってくる のではという意見が出た。それに対して講師から、寺院ビハーラ活動の充実が 提起され、そのためにはビハーラ会員をはじめ地域の医師や看護師、介護士、 ソーシャルワーカー、ボランティアなどのネットワーク化が必要であり、ビハーラと 地域の連携を強化していくことが将来の課題になってくるとの指摘をいただい た。
 格差社会が進行する中で、将来、教団のビハーラがどこに立って、誰と共に生 きていくのかが必ず問われてくるだろう。それにどう答えるのか、ビハーラの真価 が問われる。
08年11月6日(月) 「本願寺と差別」
  江戸時代に次のようなことがあったという。
 大阪のある被差別部落の門徒さんたちが、自分達が所属する寺の住職に色 衣を着用することを許可するよう本願寺に願い出る。この時代、教団内では、寺 格により着用出来る法衣や袈裟の色や質などが決まっていたが、被差別部落の 寺院の僧侶はその僧階の外に置かれ、色衣の着用が一切認められていなかっ た。申し出を受けた教団は、財政難ということもあり、「千両支払うなら許可しても いい」と回答する。千両と言えばとてつもない額だという。ところが門徒さんたちは お金を集め、とりあえずその一部を本山に納めた。ところが待てどもいっこうに本 山から返事がこない。業を煮やした門徒さんたちは本山に直訴する。するとよう やく重い腰を上げた本山からの回答は、「褐色の色衣を許可する」というもので あった。ちなみに褐色≠ニいう色は、「限りなく黒に近い紺色」なんだそうだ。そ してまだ条件が付いていた。その許可された色衣を着用できるのは自分のお寺 の中だけ。外に着ていくことは許可しない。また着用を認めるのは現住職の一代 限りでありるとのことだった。
 「自分のお寺の住職に位の高い色衣を着せたい」という封建的な価値観の中 に生きる当時の人々(運動)の限界もあるかもしれないが、いかに当時の本願寺 が差別教団であったかがよくわかる出来事である。
08年10月4日(土) 「中山大臣辞任C」
 「失言」を繰り返した中山前大臣が次期選挙に立候補しないことを表明し、政界 を引退することになった。当然だと思う。本人は「麻生首相や自民党にこれ以上 迷惑をかけられないから」と言っているらしいが、本当のところ予想以上に支持 者を含む有権者からの反発が大きかったんじゃないだろうか?安倍政権誕生以 来の教育基本法の改悪や国民投票法の強行採決など、「これぐらい大丈夫だろ う」と有権者を馬鹿にした昨今の保守派の驕りが災いしたのだろう。
08年10月3日(金) 「米軍と自衛隊の一体化(情報)」
 自衛隊の内部情報を新聞記者に漏らしたとして、自衛隊員が懲戒免職処分と なった。異例の重い処分とのこと(10/2)。背景には、米軍と自衛隊との一体化が あるという。今回漏洩した情報は元々米軍から自衛隊にもたらされたものだっ た。その情報が日本側から漏れたことは、将来、軍事機密情報を含めて米軍と 自衛隊を体化させていくうえで、米軍にとって大きな懸念材料となっていた。そん な懸念を払拭するためにも、みせしめ%Iに当該隊員に重い処分を課したの だそうだ。
 国民の知る権利よりも、米軍の顔色を窺った同時に、それだけ米軍と自衛隊 の一体化が進んでいるということだろう。
08年10月2日(木) 「小沢民主党の外交・安全保障政策」
 昨日の代表質問で、民主党の小沢代表は同党の外交・安全保障に関する基 本方針・三原則について述べていた。第一に、対等のパートナーシップを築くとし ながらも日米同盟の維持・発展。第二に、中国や韓国をはじめとするアジア・太 平洋祖国との友好・信頼関係の構築。そして第三に、国連中心主義をかかげて おり、小沢氏の考えでは、明確な国連決議さえがあれば自衛隊をアフガニスタン に派遣することだってあるという。次期選挙で、民主党が勝利するかは分からな いが、今後の民主党の動きも注視しなければならないだろう。
08年10月1日(水) 「運動の正念場」
 麻生首相が、集団的自衛権の行使を可能にするためにこれまでの憲法解釈を 変更すべきだとの持論を展開し、国会の憲法審査会の場で与野党交えて検討す るよう与党幹部に指示したという(10/1)。
 集団的自衛権を巡る憲法解釈の変更に関しては、前々首相であった安倍氏が 法制化を目指し、柳井俊二前駐米大使を座長とする改憲を望む「有識者」ばかり を集めて私的な懇談会(正式名称:全保障の法的基盤の再構築に関する懇談 会)を設置し、集団的自衛権を容認する報告書を提出している。しかし安倍氏が 政権を投げ出し福田氏が首相になってからは、事実上棚上げ状態になってい た。それが今回麻生氏が首相になったことで再び議論され始めようとしている。
 その背景には、国民投票法の制定など一時期盛り上がりかけた改憲潮流が、 「九条の会」などを中心とした市民運動の力や次々と露骨な「タカ派的・戦前回 帰」路線を打ち出す安倍政権に嫌気をさした世論によって後退する一方、相も変 わらず米軍からは自衛隊の海外派兵への強い要請がある。そこで「恒久法」と 合わせて、集団的自衛権の行使を容認する解釈改憲が再び頭を持ち上げてき たのだろう。
 現在国会内では衆参のねじれ現象があり、解釈改憲を求める自民党の提案に 民主党が簡単に乗るとはとは思えないが、もし次の選挙で民主党が勝利し政権 を握った暁には、与野党協力のもと、「恒久法」と合わせて一気に集団的自衛権 の容認に傾くかも知れない。その時が、非戦平和を目指す私たちにとってまさに 正念場となるだろう。
08年9月30日(火) 「中山大臣辞任B」
 中山氏が「ぶっ壊す!」と言った日教組は、過去の歴史の反省の上に立ち、戦 後一貫して反戦・反差別を訴え平和と人権を守るために活動してきた団体であ る。それを「ぶっ壊す!」と。まさに平和と人権(=戦後民主主義)に対する挑戦 である。マスコミが言うような「放言」や「失言」では済まされない発言である。もっ と怒るべきだと思う。
 「怒り」とは平和や解放運動を推進する原動力だという。「怒り」があるからこそ たとえ困難があろうとも運動は継続する。ところが差別者は「そんなに大きい声 を出さなくてもいいじゃないないか。そんなに怒らなくてもいいじゃないか。冷静 に。」と被差別者から「怒り」を奪おうとする。自らの責任をうやむやにしようとす る。騙されてはいけない。
08年9月29日(月) 「中山大臣辞任A」
 「何とか日教組を解体しなきゃいかん」「(元首相の)小泉さん流に言うと、日教 組をぶっ壊せ(by中山成彬氏)」 (9/27
 「幼稚でお粗末なな発言」と笑い飛ばしたいところだが、権力を持った政権与党 の政治家であり、現職の国務大臣の口をついて出た発言だけに恐怖をおぼえ る。まさに教基法を改悪し憲法の改悪までも企てる日本保守の正体見たりであ る。
08年9月28日(日) 「中山大臣辞任」
 中山大臣がたった5日で辞めた。彼の発言、あまりにも幼稚過ぎてコメントする 気にもならないが、よっぽど日教組に怨みがあるんだろう。本人は「日教組(戦後 教育)は道徳教育を否定しているからけしからん!」と批判していたけど、日教組 の幹部から「彼の発言には全く道徳観が感じられない」と逆に突っ込まれていた のには笑えた。どうせなら「ボクがこんな大人になったのも、戦後教育が悪いから だ!」と徹底的に責任転嫁して欲しかった。そうすれば彼の言っていることにも少 しは説得力が出てくるのだが・・・
08年9月26日(金) 「原子力空母ジョージ・ワシントン」
 米原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀基地に配備された。中国をはじめ アフガニスタン、イラクなど中東までの環太平洋地域に睨みをきかせ、何かあれ ば真っ先に駆けつけて戦闘の最前線に立つという。
 今回初めて知ったが、原子力空母というのは、高濃度ウランを燃料とするため 重油などの燃料を必要としない。だからその空いたスペースに戦闘機用の武器 弾薬や燃料を多く積めるため、非常に効率のいい空母なんだそうだ。「ふ〜ん、 そうなんだ!すごいな〜」と思ってしまいがちだが、要するに効率よく人を殺せる ということだ。このジョージ・ワシントン、既にイラクやアフガニスタンでの作戦にも 参加しており、たくさんの人々の命を奪っている。そのような怖ろしい空母がこれ から日本を母港する。
 また、この空母の原子炉のエネルギーは商業型の原子炉1基分に相当すると いう。まさに「東京に原発を!」である。それも軍事機密というベールに覆い隠さ れた原発である。もし大きな事故でも起きれば大惨事になるだろう。
 これまで危険な米軍基地や原発を、沖縄をはじめとした地方に押付け、「安全」 や「豊かさ」を享受してきたてきた首都圏・東京。もう見てみぬふり、他人事は許 されない。
08年9月25日(木) 「憲法と現実との乖離」
 麻生新内閣が発足した。とりあえず選挙までの暫定内閣だろうが、さっそく国連 総会で「「テロ」との戦い」の継続、つまりインド洋での海自による給油活動の継 続を表明するという。一時期の憲改議論は、「九条の会」などの運動の成果によ り後退はしたものの、それならばと、自衛隊による海外派兵のための「恒久法」 の整備や、現場レベルでの自衛隊と米軍との一体化などは益々加速している(9 /24)。憲法と現実との乖離を広げることで、「憲法を現実に近づけよう」とでも言 うのだろう。
08年9月24日(水) 「御同朋・御同行の教え」
 お念仏の教えを大きな船に譬えることがある。法然上人・親鸞聖人までの仏教 といえば、一生懸命修行をして、悟りというゴールに向かって自分の足で険しい 道のりを歩いていくという仏教だった。これを難行道ともいう。一方、お念仏の教 えは、「ナマンダブツ」とお念仏を称えることによって阿弥陀仏のはたらきによっ て全ての人がお浄土に往生させていただく教えである。娑婆という大海原をア ミダ号≠ニいう大きな船に乗って皆一緒にお浄土に向かわせていただくという教 えである。これを易行道とも言う。確かにそこでは、寝転がっていてもいいし、美 味しいものを食べていてもいいし、温泉に入ってゆっくりしていてもいい。浄土に 生まれるということに関しては全てお任せです。それは間違いない。
 しかしどうだろうか?それをいいことに、ややもすると私達は、同じ船に乗って いる他の仲間の存在まで忘れてしまうことはないだろうか?隣に座っている人が お弁当を忘れてお腹を空かせているのに気づかない。隣で船酔いしている人が いるのにお構いなし。本当に目的地に着くのだろうかと心配している人がいるの に、知ったことじゃない。そんな仲間のことを忘れて、自分が救われることばかり 考えて、「有難い、有難い」と言っていないだろうか?それでは浄土真宗の教えの 半分も頂いたことにはならないと思う。親鸞聖人の教えとは、御同朋・御同行の 教えである。
08年9月23日(火) 「失言癖」
 自民党の新総裁に麻生太郎氏が当選した。明日にも総理大臣に選出されると いう。
 麻生氏を巡る一連の報道の中で驚くことがある。それは、麻生氏の失言癖を、 「危なっかしい」と前置きしつつも、彼の魅力の一つとして論評していることであ る。でもよくよく考えてみれば、彼の失言のほとんどは差別発言である。そして 「失言」とは、単なる言葉のアヤとかではなく、平時には口には出さないが何かの きっかけで普段思っている本音が外にポロリと出ることである。それを彼の魅力 の一つだと論評するマスコミの人権意識の希薄さに驚く。第三者からすれば彼の 失言も刺激的で面白いのかもしれないが、差別された側はどんな気持ちでいる のか全く理解できないのだろう。自分は言わないが、どこかで麻生氏や某都知事 などが発する差別発言を聞いて、「よくぞ言ってくれた」と思っているのかも知れ ない。
 それにしてもあの麻生氏が日本の総理大臣になるとは・・・・
08年9月22日(月) 「中央即応集団」
 昨年の3月に、陸上自衛隊内に「中央即応集団」という防衛大臣直轄の専門部 隊が新設されたという。第1空挺団や第1ヘリコプター団など精鋭部隊* 4200名からなるその主な任務は、海外派兵の際の先遣隊として、物資・機材の 移動や宿営地設営、安全確保などを担当し、また、国際平和協力活動に関する 研究および教育訓練を行うなど、自衛隊による海外派遣を目的とした専門部隊 である。現在、司令部は東京練馬の朝霧駐屯地にあるが、近い将来、米陸軍第 1軍団前方司令部があるキャンプ座間への設置が予定されており、まさに国 際貢献≠フ名のもとに、米軍と一体となって世界の戦場の最前線で戦う可能性 のある部隊だという。
08年9月21日(日) 「出偶い≠ニ願い=v
 先日、すごく尊敬している先生のお寺に参拝させていただいた。ここしばらく体 調がすぐれないと聞いていたので、ご本尊にお礼だけして帰るつもりだったが、 わざわざ会って下さった。時候の挨拶や体調のことなどでお茶を濁そうと思って いたら、先生自らが、教区の同朋運動の現状や差別や平和問題について熱く語 って下さった。そして最後に「私たちの運動の土台は部落差別をはじめとした差 別問題にある。私は人生の最後まで同朋運動をする。また会いましょう」と仰って 下さった。僅かな時間だったかも知れないが、私にとって一生忘れられない瞬間 となった。
08年9月15日(月) 「生きること」
 人生の門出に、ある先生から頂いた言葉。
 「 生きるとは 愛することだ 妻子を愛し はらからを愛し おのれの敵でもあ る者をも 愛することだ   生きるとは 生きとし生けるものを いつくしむことだ  野の鳥にも草木にも 愛の眼を そそぐことだ   生きることとは 人間の美し さを 失わぬことだ どんなに苦しい目にあっても あたたかい愛の涙の 持ち主 であることだ   ああ 生きることとは 愛のまことを 貫くことだ 」(坂口真民)    
08年9月12日(金) 「イラク航空自衛隊撤退」
 イラクに派兵されていた航空自衛隊が今年度中に徹底するという。まさに「遅き に失した」判断である。また、また撤退の理由も、これまでの様々な蛮行(戦闘員 並びに武器・弾薬の輸送にによる戦闘行為との一体化やそれに伴う憲法違反 等)を反省したものではなく、国連決議が切れるとか、「テロ」との主戦場をイラク からアフガニスタンに移行せざるを得なくなった米軍の意向に添ったなど、まった く主体性のない身勝手な理由からである。私たち日本人は、イラクの人々に次い で、今度はアフガニスタンの人々の頭上に爆弾を降らすのだろうか(9/12)。武力 に頼らない平和構築こそ、9条を持つ日本が世界に示すべき最大の国際貢献で ある。
08年9月10日(水) 「『天皇制と部落差別』を読むB」
 古代賎民制は、庚午年籍(こうごねんじゃく)や庚寅年籍(こういんねんじゃく)な ど「戸籍」の作成によって成立したという。確かに戸籍作成前にも、「生口(せいこ う)」や「奴婢(ぬひ)」と呼ばれる差別される人々はいた。しかしそれは「身分」で はなく「地位」であったという。「地位」が「身分」になるためには、人間そのものを 血縁により区別する「永続的で普遍的」な方法が定まってなければならないとい う。
 まず「地位」が「身分」になるためには、「奴隷」の子どもは「奴隷」であり、その また子ども(孫)も、またその子ども(ひ孫)も「奴隷」というふうに、時間的な普遍 性がなければならない。そしてもう一つ、場所的な普遍性も必要だという。ある場 所では差別されるが、別の場所に移れば差別なれないというなら、それは「身 分」ではなく「地位」だという。国家的な規模(広がり)を得て、はじめて「身分」とな る。その「時間的・空間的普遍性」を保障するのが「戸籍」だという。それまであい まだったものも、「戸籍」に記されることで、先祖代々、全国どこでも被差別者で あることが確認され、宣告されるのである。
 そのように考えると、現在における部落差別も身分差別なのだろう。親が被差 別者であれば、その子どももその孫も同じように差別される。また、たとえ被差別 部落を出て別の地域へ引越ししたとしても差別される。時間的・空間的普遍性が なければたんなるスラム問題であり、部落問題(身分差別)ではないという。
 この古代戸籍制度、9世紀末になると、課役に苦しむ農民の領地からの逃亡な どにより崩壊するが、豊臣秀吉の「太閤検地」を経て、江戸時代に「宗門人別帳」 として復活する。そしてその「宗門人別帳」を管理していたのが真宗を含めたお 寺であった・・・
08年9月9日(火) 「『天皇制と部落差別』を読むA」
 9世紀半ばまでは、国家の政治的な統治は、天皇自らが主導権を握り運営して いた。ところが律令制の崩壊が進むにしたがい、天皇に代わりに、その「臣下」で ある藤原氏が摂関として政治の実権を握るようになる。他方、天皇は全く力を失 った訳ではなく、観念的な権威≠ニして、摂関による実際的な支配を補完する という新たな役割が与えられる。そこで天皇は、自らの権威≠高めるため、 祭祀や儀式などの神事を専ら行い、自身を神聖≠ネ存在へと変化させていく が、その過程で、聖なる存在≠ニ対極にある穢れた存在≠ェクローズアッ プされ、社会から排除されていく。
 例えば天皇の権威≠人々に植え付ける神事として、現在でも京都で行わ れている葵祭りを挙げることができる。毎年御所を出て天皇家の守護神・賀茂社 (下賀茂神社・上賀茂神社)へ向かう300名を超える絢爛豪華な大行列を見た京 の人々は、額に手を合わせて天皇を拝んだという。また行列が通過する一条大 路は、天皇の祭祀にとって重大な神事の場(祭場)として、祭りが行われる直前 に、徹底的に「穢れ」の除去が行われたという。その「キヨメ」の役を担ったのが 「河原人」であった。検非違使に統率された彼らは、一条大路の汚穢(死穢)の除 去にはじまり、やがて都の治安維持、すなわち犯罪(罪穢)の除去へと借り出さ れていく。
 もともと河原に住み税の秩序から外れ、当時の世界観のもとで「穢れ」た存在と 見なされていた彼らは、天皇や都の「キヨメ」役を担わされることで、ますます 人々から差別され、排除されていく。一方、一般の民衆においても、「税の秩序 から外れることが人間社会から排除されることを意味すると理解したとき、人々 は税を納め、神聖な天皇に直結することに代えがたい誇りを感じ、支配層との一 体感へと組織されていきました」。やがてこの差別を利用した支配システムは、 10世紀以降、地方の荘園までも拡大し、その内部にいる農民を引き締め、秩序 を安定させる「便利で有効」な手段として全国化していく。
08年9月8日(月) 「『天皇制と部落差別』を読む@」
 『天皇制と部落差別』(上杉聰著・解放出版社)を読んだ。
 「差別は人間の煩悩によるものであり、人間から煩悩がなくならない限り差別も なくならない」という意見がある。それを受けて「人間の煩悩は死ぬまでなくならな い。だから差別もなくならない」と言う真宗僧侶がいる。しかし本書を読むと、差別 は人間の煩悩にだけに原因があるのではなく、むしろ為政者により意図的に作 り出されてきたものであることがわかる。
 「古代天皇制による民衆支配とは、公地公民制にもとづき、戸籍で直接に把握 した良民・賎民に対して口分田を与え、そこから租庸調などの税を取り立てる体 制であった」。ところが古代の終わりから中世にかけて、その厳しい税の負担を 嫌い領地から逃げ出す人々が増えはじめる。その結果、戸籍制度は崩壊し、国 家財政も危機に陥る。逃亡した農民の多くは地方の荘園などに逃げ込むが、一 部には河原などで生活するものも現れる。当時の河原は、まだしっかりとした護 岸整備もされておらず、度々洪水の被害を受けるため、古代から税の取れない 場所とされ、そこに住む者(「河原人」)は税の負担を免除されていた。
 しかしそれでは国家財政は逼迫する。そこで危機感を抱いた為政者達は「河原 者(濫僧・屠者)」に対する一大マイナスキャンペーンを展開する。仏教の教え(不 殺生戒)などを悪用して、彼らに「悪」や「穢れ」などのネガティヴなレッテルを貼り 付け、それを殊更強調することで一般民衆を納税者として体制内に引きとめよう とした。三善清行の『意見一二箇条』や『延喜式』には、為政者たちの危機感と、 その窮状を差別によって打開しようとする意図が見えてくる。
【資料:三善清行の『意見一二箇条』(904年)】
「諸国の百姓、課役を逃れ、租調を逋るる者、私に自ら髪を落とし、猥に法服を 著す。かくの如きの輩、年を積んで漸く多し。天下の人民三分の二、皆これ禿首 の者なり。これ皆、家に妻子を蓄え、口に腥?を啖う。形は沙門に似て、心は屠児 のごとし。・・・皆これ濫悪僧・・・」
【資料:『延喜式』(927年)】
「およそ神社の四至の内・・・死人を埋葬するを得ず。およそ鴨御祖社南辺は、 四至の外にあるといえへども、濫僧・屠者等、居住するを得ざれ」
08年8月5日(金) 「いのちは誰のもの?」
 何かで読んだ。「いのちは誰のもの?いのちはそれを大切にしようと願うものも のであって、いのちを傷つけようとするもののものではない」と。
 私たち一人ひとりのいのちは、自らの権力や欲望のために戦争を始め、国民 を戦場に送ろうとする国家(為政者)のものではない。
08年9月4日(木) 「解放令「五万日の日延べ」を超えて」
 昨日、2008年9月3日は、解放令「五万日の日延べ」の満了日であった。
 解放令「五万日の日延べ」」とは、1871年(明治4年)に太政官布告として「解放 令」が発せられる。封建制度の下で差別されてきた人々は「これで残酷な差別か ら解放される。平等に生きられる」と喜んだ。ところが、西光万吉さんが生まれた 奈良県柏原の地には次のような伝承が語り継がれてきた。差別解放を喜ぶ人々 に対して「喜ぶのはまだ早い。あのお布令は五万日の日延べとなった・・」と何処 からともなく伝えられてきたという。おそらく「解放令」が布告された直後に、兵庫 や岡山など西日本を中心にその撤回を求める一揆が起きたのと同じように、被 差別部落の人々に対する嫌がらせだったのだろう。
 その「五万日の日延べ」の満了日を昨日迎えることになったが、残念ながらそ の伝承を裏付けるかのように、「解放令」以降136年と327日経った現在において も差別は解消されていない。
08年9月3日(水) 「テレポリティクス」
  福田首相が辞意を表明した。そして早くも話題は次の自民党総裁選へと移ろう としている。これからまたしばらく自民党とテレビによる一大政治ショーが始まる のだろう。主演:麻生太郎、ヒロイン:小池百合子というところだろうか?出来るだ け派手に、劇的に演出してくるだろう。そしてこの政治ショーに観客(国民)を陶酔 させ、そのまま衆議院解散・総選挙へというのが自民党が描くシナリオだろう。
 でも果たしてそう上手くいくだろうか・・・
08年9月2日(火) 「平和の集いA」
 講演のなかで佐喜眞さんは、丸木位里・俊さんが描いた「沖縄戦の図」(400× 850p)を説明して、「この絵は、真宗でいう二河白道≠ノ通じるものがある」と おっしゃる。
 丸木夫妻が描いた「沖縄戦の図」には、米軍による艦砲射撃や掃討作戦、住 民による「集団自決」など沖縄で起きた悲劇が細かく描かれている。「集団自決」 の場面では、親が子を、子が親を、若者が老人を、老人が若者を互いに手にか ける様子が描かれている。まさに地獄絵そのものである。そして描かれている人 物にはどれも目が入れられていない。「丸木夫妻は「戦争とはいかなるもの か?」を伝えるために敢えて目を入れなかったのだと思う」と佐喜眞さんは説明し ておられた。
 ところが絵の中央に三人の子どもと、赤ん坊を抱いた母親が描かれている。そ の三人にはちゃんと目が入れられている。佐喜眞さんは、「この小さな子どもた ち、つまり次世代を担っていく人たち、戦争が起こったら戦争という状況の中で、 私たち人間はどうなってしまうのか、戦争という状況の中で女性やお年寄りや子 どもはどうなってしまうのか、よく見てしっかり考えて記憶してもらいたいという願 いをこめて、画家はここに目を入れた」と説明して下さった。
 地獄の中を未来に向かって歩く人間。その様子が、「火の河(怒り)」と「水の河 (貪欲)」に阻まれながらも、釈迦の勧めと弥陀の呼声に導かれて細い一本の白 い道をお浄土に向かって歩む二河白道≠ノ似ていると仰る。
 ちなみに丸木夫妻は、俊さんが北海道の真宗寺院の生まれなど、お二人とも 非常に親鸞聖人の教えにご縁の深い人であったと佐喜眞さんが教えてくださっ た。そして佐喜眞さん自身も、学生時代に『歎異抄』を読んだり『正信偈』を唱え たことがあるそうだ。
08年9月1日(月) 「ゲーテッドタウン」
 最近、日本でも「ゲーテッドタウン(コミュニティー)」と呼ばれるものの開発が増 えてきているという(9/1)。外部の者が無断で進入できないように、特定の地域を 塀で囲み、ガードマンや監視カメラなどを用いて24時間体制で街を監視をすると いうもの。治安の悪化が強調されるなかで、安全・安心な住まいを求める声が背 景にあるという。しかしながら、「子供を安心して遊ばせられる」という肯定的な意 見がある一方、周辺住民からは「地域が分断される」などの不満の声も上がって いるという。「勝ち組」「負組み」など経済格差が拡大するなかで、ますます人間同 士を分断させてしまうような気がする。疑心と分断よりも、信頼と連帯、そんな社 会を築きたい。
08年8月31日(日) 「平和の集い」
 昨日、僧侶、門信徒合わせて約500名が参加して教区の「平和の集い」があっ た。沖縄宜野湾市にある佐喜眞美術館館長・佐喜眞道夫さんが「絵に導かれて」 と題して記念講演を行った。佐喜眞美術館では主に、丸木位里・俊夫妻が描い た大作「沖縄戦の図」を展示し、佐喜眞さんが絵の前で修学旅行生を中心に沖 縄戦のことを語り、つれあいさんが美術館に隣接する米軍普天間基地の様子を 説明することから反戦美術館≠ニも呼ばれているという。
 日本本土防衛のための捨石≠ニされた沖縄戦の悲劇や米軍基地の問題、 「集団自決」に関する教科書問題など、沖縄の人々の怒りがひしひしと伝わってく る講演であった。
08年8月28日(金) 「国家による死≠フ意味づけ」
 アフガニスタンで殺害された伊藤さんの事件を受け、政府は、「尊い犠牲が出 たが、そうであればあるほど、日本がテロとの戦いに引き続き積極的に関与する 重要性を多くの国民が感じたのではないか」「世界では今の瞬間も、さまざまな 地域で争いが続き、貧困などでたくさんの人が苦しんでいる。そういう地域や人 たちに少しでも手を差しのべていくことが、伊藤さんの遺志にも応え、平和協力 国家としての日本の役割だ」と述べ、インド洋での海上自衛隊による補給支援活 動の継続の必要性が一層高まったとの考えを示したという(記事)。
 はたして伊藤さんは「武力による平和」を望んでいたのだろうか?国家が個人 の死に勝手に意味づけする。「ヤスクニ」と全く同じである。
08年8月28日(木) 「伊藤和也さん」
 アフガニスタンで農業支援などの活動をしていたNGO「ペシャワール会」の伊 藤和也さんが拉致され殺害されるという痛ましい事件が起きた。伊藤さんの志望 動機を読んでいて、その志に胸が打たれ、残念で仕方がない。
 「ペシャワール会」によるアフガニスタンでの活動は、9.11「テロ」やその後の米 軍侵攻よりも早く、地元の人々との交流を通して徹底的に信頼関係を築き上げ ることで、危険な地域での活動も可能にしてきたという。「途上国で技術指導にあ たる若者には無意識のうちに地元を低く見ることがあるが、伊藤さんにはその傾 向はまったくなく、「視線の低さ」が現地の人に親しまれていた」(福元事務局長) というように、伊藤さんの捜索には地元の人々千人以上が参加したという。
 伊藤さんの死を無駄にしないためにも、伊藤さんがなぜ現地に赴き、何を考え そこで活動されていたのか、その願いをしっかりと受け継ぎながら、私たちに出 来ることを考えていきたい。
08年8月27日(水) 「新たなヤスクニ≠ノならないために」
 自衛官の自殺は、年々増加傾向にあり、特に04年以降急激に増え、以降年 間80〜90人が自ら命を絶っているという(8/26)。防衛省ではカウンセリング体 制の充実などメンタルケアに努めるが、ほとんど効果はないという。いじめや組 織の閉鎖性、海外派兵など組織的、根本的な問題を改善する以外、対策はない という。
 空前のカウンセリングブームに沸き、自死遺族のケアという新たな取り組みを 始めようとする教団や私たち僧侶にもしっかりと認識しておくべきだろう。新たな ヤスクニ≠ノならないためにも。
08年8月26日(火) 「戦争の伝え方」
 昨夜遅く帰宅しテレビをつけると、戦時中の様子を描いたドラマだと思うが、通 信所らしき所で働く少女たちが、「もう直ぐソ連軍が進行してきて、女性は皆レイ プされる」との理由で次々に毒を盛り「自決」していくという場面をやっていた。そ れを見ながらふと沖縄での「集団自決」のことを思い出した。
 沖縄戦ではガマ(自然の洞窟を利用した防空壕)などで住民による「集団自決」 が起きるが、いくつかのガマでは住民達が「自決」を思いとどまり、米軍に投降し たケースがある。その違いは何だったのかというと、前者のガマには中国大陸か らの復員兵がいた。彼らは中国で一部の日本兵が中国の女性に何をしたかを 知っていた。だから「鬼畜米兵」と言われるアメリカ人も同じことをすると思い、そ の場にいた住民達に「自決」を促していく。他方、「自決」を思いとどまったガマに は、かつてハワイに移民として移住し、戦争が始まり日本(沖縄)に戻ってきてい た人がいた。彼は自らの経験から、「米軍に捕まったら男は戦車に轢き殺され、 女は強姦される」と信じていた人々に、「アメリカ人はそのような蛮行は決してしな い」と説得し、投降を促したという。
 冒頭のドラマでは、「自決」しきれずに生き残った一人の少女がその後ソ連兵 に暴行され、男達も銃殺されるという設定になっていた。前後の流れも(最後まで 視なかった)、又それが事実にもとづく話なのかは知らないけど、野蛮な国・ソ 連≠ニ被害者・日本≠ニいう設定には疑問が残る。
08年8月25日(月) 「北京オリンピック」
 昨日で北京オリンピックが終わった。今回のオリンピックでは、始まる前からこ れまでにないほど開催国・中国に対する批判がメディアを賑わした。少数民族に 対する弾圧や言論統制、国威発揚のためのオリンピック利用など批判されて然 るべき点も多いと思う。
 でもこれまでだってオリンピックを国威発揚のために利用してきた国は五万と あった。東京オリンピックだってそうだろう。中国人観客による他国選手に対する ブーイングだって、自国選手の活躍ばかり、それもメダルを取った選手ばかり持 ち上げる日本のメディアや私たち国民の姿勢と大して変わらないような気もす る。
 プロ野球のスター選手を集めて編成した「星野ジャパン」もメダルを取ることが 出来ずに終わった。この後のペナントレースに悪影響が出るぐらい大きなショッ クを受けた選手もいるという。「国のため、国民のために金メダルを取る」という 大きなプレッシャーの中での敗戦だったのだろう。もっと伸び伸びと、楽しみなが ら野球が出来れば、韓国やキューバに引けを取らない位の実力はあるんだと思 う。
 もうそろそろ「金が○個、銀が△個、銅が□個」みたいな取り上げ方はやめる べきだと思う。国のために闘うのではない。中国の姿勢を笑う前に、自らの有り ようを見つめなおしたい。2大会連続の2冠を達成した北島選手には惜しみない 拍手を送るが、どうか国民栄誉賞の候補になっても、イチローのように辞退して 欲しい。
08年8月22日(金) 「仏の子の集い」
 奈良教区少年連盟主催のキャンプ「仏の子の集い」があった。プログラムの中 で、2メートル四方の大きな模造紙を使って子ども達に鶴を折ってもらった。当初 は折って終わりのつもりだったが、スタッフが話し合って、折った鶴に平和のメッ セージを書いてもらうことになった。小学校低学年の児童も多かったので「平和」 とか「戦争」とか言っても理解できないのではないかとの意見も出たが、実際にや ってみると何のその、巨大な折鶴にそれぞれ思い思いのメッセージをたくさん書 いてくれた。
 「世界が平和になるにはどうすればいいか?」と訊ねて、「力(武器)によって平 和を守ろう」との意見など一つもなかった。「全ての人に笑顔で接することによっ て平和を築くことができる」とか「お互いに信頼しあう」、「戦争は絶対にダメ」とい ったメッセージがほとんどだった。
 私たち大人はそんなメッセージを前にして「世間(国際社会)知らずの、幼稚な 意見だ」と笑うことができるだろうか?子ども達からのメッセージが込められた折 鶴は、30日に開催される「平和の集い」に展示し、大人たちに見てもらう予定だ。
08年8月19日(火) 「親鸞と被差別民」
 被差別民・弥七から「あなたの念仏も、私の念仏にもかわりがなければ、これ をひときれでも」と肉を差し出された親鸞聖人は、それを苦しげに食べる。弥七 はその様子を黙って見ている。そして、そっと合掌する。
 これは西光万吉が書いたシナリオ『愛欲法難−親鸞伝−』の一場面である(藤 本信隆著:「「承元の法難」八百年に思う」(『念仏と解放』第4号収蔵)より)。もち ろんフィクションであるが、親鸞聖人を宗祖とする私たちにすごく大切なことを教 えてくれる。
 法然上人、親鸞聖人が広められたお念仏の教えとは、「ただナマンダブツ とお念仏を称えるだけでいい。そうすれば全ての人が平等に阿弥陀仏によって 救われる」という教えである。おそらく親鸞聖人は流罪の後も越後や関東の地に おいてその教えを広められただろう。当然その中には、殺生を生業とすることで 仏教の救いから排除され、社会的にも差別された「屠沽の下類」と呼ばれる人た ちがいたに違いない。そんな彼らから「もしお念仏一つで、あなたのような偉いお 坊さんでも私たち下類と呼ばれる者でも分け隔てなく救われるというなら、これを 食べてみて下さい」と一切れの肉を差し出される。それを受け取った親鸞聖人は 苦渋の表情を浮かべながらそれを口にする。その様子を黙って見ながら弥七は 親鸞聖人に合掌したという。
 もし親鸞聖人が「それは仏教の戒律(不殺生戒)に反することである」と拒否し たなら弥七は直ぐにその場を立ち去っただろう。逆に、親鸞聖人が聖人(せい じん)≠フように、何事もないかのようにその肉を頬張ったとしても、弥七は合掌 などしなかっただろう。
 9歳から29歳まで20年間、ひたすら自力仏教を極めようとされた親鸞聖人、 いくら「ただ念仏一つで救われる」と頭で理解していても、いざとなると一歩が出な い。しかしそれでもついに涙を流しながらそれを口にする。「たとえ地獄に落ちて もかまわない。彼らと共に地獄へ堕ちよう」と意を決し肉を頬張る親鸞聖人。そん な凡夫親鸞≠ノ、「れふし・あき人、さまざまのものは、みな、いし・かはら・つ ぶてのごとくなるわれらなり」と呼び、被差別者と同じ地平に立ち、彼らと共に生 きていこうとされた親鸞聖人に、弥七は合掌し、その教えに帰依したのだろう。
08年8月15日(金) 「我々は金持ちに使われるチェスの駒=v
 現在、「テロ」との戦いを推し進める米軍を支えているのは「貧しい白人」と「中 南米系の移民(マイノリティ)」だという。「テロ」以降外国籍兵士だけで3万9千人 を越える。理由は、入隊経験があれば市民権が得やすくなるうえ、学費なども軍 隊が支給してくれるからだそうだ。決して裕福な白人が最前線で戦うことはない。 (昨日の『朝日新聞』「二つの戦後」より)」
 戦争とは、誰が始め、誰が戦い命を落とし、誰が得をするのか、よく分かる。
08年8月14日(木) 「お盆の迎えるにあたってA」
 この時期(お盆)、私たち日本人はお墓やお仏壇の前で手を合わせ亡き人・ご 先祖様を偲ばせていただくが、ただそれだけで終わってはいけない。それでは仏 教にならない。仏教とは、仏様に手を合わせることで、これまでの自分自身の姿 が知らされると同時に、これから進むべき道(方向性)が明らかになる教えであ る。
 目連さんのお母さんが堕ちて苦しんでいた「餓鬼」の世界とは、自分だけの欲 望を満たそうと、自分だけ幸せになればいいと、何でもかんでも独り占めし、他人 のものを奪い合い、互いに傷つけ合う世界である。また、せっかく多くのものを得 ても、感謝することもなく、不平・不満ばかり言って満足することを知らない。いつ も「あれが欲しい。これが欲しい」と飢えの苦しみから解放されることのない世界 である。一方、目連さんがした「布施」とは、自分だけ幸せになるのではなく、もの を分かち合い、互いに支え合い、共に幸せになっていこうとする行為である。
 はたして私は「餓鬼」と「布施」、どちらの生き方を大切にして日々を生きている だろうか?またどちらの生き方をしたいと願うだろうか?お盆をご縁として、仏様 に手を合わせ、お念仏を称えながら、一度自分自身に問いかけてみたい。お盆 の主役は亡くなった方(ご先祖様)ではなく、仏様の前に座る私です。(竹田嘉円 先生の「お盆意想う」を参考)
08年8月13日(水) 「お盆の迎えるにあたって@」
 お盆の行事は、お釈迦様のお弟子である目連さんがお母さんを救うお話に由 来している。あるとき目連さんは神通力によって自分のお母さんが「餓鬼道」の世 界に堕ちて苦しんでいることを知る。「どうしたらお母さんを助けることが出来る か」とお釈迦様に相談したところ、「もう直ぐ「安吾」という修行の期間が終わる。 その安吾の最終日に僧侶を招いて、多くのお供え物をして布施をすれば、その 功徳によってお母さんは救われる」とおっしゃった。目連さんがその通りにすると お母さんは餓鬼の苦しみから救われというお話。この物語にもつづいて、日本で はこの時期に、たくさんのお供え物をして、先祖様のお墓やお仏壇にお参りする ようになったという。ちなみに「盆踊り」は、お母さんが救われたときに、目連さん が嬉しさのあまり踊るように飛び跳ねたというエピソードに由来するとも・・・。
08年8月12日(火) 「念仏は「心の持ちよう」か?=v
 先日、「念仏は「心の持ちよう」か?」という講題である先生から以下のような話 を聞いた。
 「主婦があるお寺に電話をした。仏壇を買ったのでお経をあげてほしいとの依 頼をした。仏壇を購入したわけを聞くと実は夫の浮気。しばらく家に帰らない。人 に相談したら仏壇が家にないのがいけない。祖先をないがしろにしているからこ ういうことになる。それで仏壇を購入した。 住職は寺に参るように勧める。 主 人をうらみ、人をうらみ、自分の運命をのろって、暗がりにおちこんでいた妻も、 聴聞を続けているうちに、やがて批判の目を自分自身の方へ向けるようになっ た。 裏切られた愛情のかげには、自分の内側にも原因があったのではなかっ たか。 そのうち主人に対する態度が変わってきた。文句や愚痴を言わず、素直 に主人の身の回りの世話ができるようになったとき、主人の態度も変わってき た。 やがて日曜日ごとのおあさじには、夫婦そろって参拝するようになった。  夫:聴聞するうちに、如来様のお慈悲の心が身にしみ、お恥ずかしいことやら、 有難いことです。これも家内のおかげだと心でおがんでおります。 妻:おかげで 煩悩のしこりがとれてきたように思います。お浄土へまいらせていただく身ですも の、何でこの世が愚痴ですごせましょうか。」
 この話は、1983年4月8日(?)の『本願寺新報』にある和上さんが書いた文書 だという。聴聞(お念仏)のおかげで家庭円満、めでたし、めでたし!と言いたい ところだが、本当にそうだろうかと。夫の浮気の原因がいつのまにか妻の責任に 摩り替えられてしまっているのではないかと。
 なるほど。男が浮気するのは女が悪い。確かに男にとっては都合がいい話で ある。かつて本願寺教団(=差別者)が被差別者に向かって「差別されるのはあ なたの内に原因があるのですよ。お念仏しなさい。聴聞しなさい。そうすればお浄 土に生まれることが出来ます」と説いたことと同じである。
08年8月10日(月) 「9条に守られてきた自衛隊員だったけど・・・」
 最近、最新の映像技術や展示を通して自衛隊の格好良さを若者にアピールす る施設やイベントが多いような気がする(8/10)。また、昨日の朝日新聞の「声」 の欄に、最近卒業を間近に控えた高校生のもとに自衛隊から入隊のダイレクトメ ールが届くらしい。
 確かに以前なら自衛隊への就職も一つの選択肢だったのかも知れない。災害 などで困っている人を助けたり、札幌雪祭りの手伝いをしたり、そして何よりも憲 法9条に守られていたため海外の戦場に行くことなど絶対になかった。
 しかし、今なら絶対に自衛隊に入ることは薦めない。いつ米軍の下請負≠ニ して海外の戦場に派遣されるかもわからないし、それこそこれまで自衛隊員を守 ってきた9条もいつ改悪されるかも知れない。絶対にやめておいたほうがいいと 思う。
 どうせ「国際貢献だ!」「美しい国(祖国)を守ろう!」と声高に叫ぶ奴等ほど、 自分は安全な所に身をおき、戦場で戦うつもりなど毛頭ないんだから。そんな奴 等のために命を落とす義理はない。若者に言いたい。どんなに格好良くても、と りあえず今はやめておいたほうがいい。本当にヤバイと思う。
08年8月9日(土) 「8月9日 「長崎・原爆の日」に思うこと」
 今日は「長崎・原爆の日」である。6日の「広島の日」から今日(9日)、そして15 日の「敗戦の日」まで、全国各地で様々なかたちで平和を願う式典や行事が開 催される。平和の集い、平和学習、平和を願ってお寺の梵鐘を鳴らすなどなど。
 昨日から南オセチア問題を巡ってロシアとグルジアの間で戦闘が激化している という。ロシア、グルジア双方とも戦闘を開始した理由として「平和を守るため」と 言っていた。
 平和≠チて一体なんだろうか?アメリカも平和≠守るためにアフガンや イラクに軍隊を送った。日本も平和≠守るために憲法を改悪しようとしたり、 自衛隊を海外に派兵させようとしている。戦争を否定する人はもちろん、戦争を 肯定する人も平和≠ニいう言葉を使う。「平和のため」と言えば戦争も肯定され る雰囲気がある。
 平和≠ニいう言葉を安易に使うのもちっと問題なのかも知れない。私たちの 立場はあくまでも「反戦・非戦」である。
08年8月8日(金) 「『自衛隊 変容のゆくえ』を読む」
 『自衛隊 変容のゆくえ』(前田哲男著・岩波新書)を読む。
 軍事力に依存する安全保障は常にジレンマと逆説に直面せざるをえないとい う。自国の安全を保障しようと軍事力を増強すればするほど、近隣国にとっては それが脅威となる。「自国の安全=隣国の脅威、隣国の安全=自国の脅威」と いう相互不信と疑心暗鬼は、終わりなき軍拡競争へつながる。かつての日本軍 国主義然り、今日のアメリカによる「テロとの終わりなき戦い」然り、戦争へといた る道は、いつもそのようにして準備されてきたという。そのような「勝ちか負けか」 のゼロサム・ゲームから脱却し、「ウィン・ウィン」型(どちらも得をする)ないし「フ ェア・アンドフェア」(公正と共有)型の国際関係を構築することを著者は主張す る。
 今週の言葉:「怨みに報いるに 怨みをもってすれば 永遠に怨みの 尽きるこ となし」
08年8月6日(水) 「8月6日 「広島・原爆の日」に思うこと」
 今日は「広島・原爆の日」である。おそらく多くの日本人が毎年この日に世界中 からの核廃絶を願うのだろう。しかしその一方で、日本は戦後ずっとアメリカの 核の傘≠フ下にあり、多くの日本人がそれを暗黙了解として受け入れてきた現 実がある。また、最近テレビなどで「北朝鮮は核兵器を持っている。それに対抗 するためにも日本は核を持つべきだ!」という勇ましい言葉をよく聞くようになっ た。そしてまたそういう番組に限って視聴率がいいという。
 願いと現実が大きくかけ離れていることは多々ある。そのことをもってその願い がつまらないものだとは思わない。しかしその願いを実現していくための努力を 放棄した時、その願いは虚しいものとなってしまうのだろう。
08年8月4日(月) 「法名の本来化とは?O」
 名を名告るということは、被差別者のカミングアウトがそうであるように、名告る ことによりリスクを背負う可能性がある。では、私たちが法名を名告り、念仏者と して生きていくで生じるリスクとは何か?
 1913年(大正2年)3月、「神風会」という右翼団体を主宰する宮井鐘次郎という 人物と東西両本願寺との間のやり取りを『中外日報』が報じている。内容は「真 宗門徒の中に自分が真宗門徒であることを理由に(伊勢神宮の)大麻の受け取 りを拒否するものが多数あるが、これは、真宗が教義上より大麻の拝受を拒否 しているのか、門徒が教義を誤解して拒否しているのか」と宮井氏は質してい る。それに対して両本願寺から明快な回答がなかったことから、宮井氏は自らの 機関紙に「本願寺が明確なる回答を為すには、真宗信徒といえども大麻を拝受 しなければならぬと云うか、又はその教義上絶対に之れが拝受を許さずと云ふ か二者の中その一に出なければならぬ、前者に出でんか、真宗の教義はその 根本に於いて破壊されねばならぬ、後者に出でんか、不倫不敬の徒ならざるべ からず」と書いたという。つまり答えは二つに一つである。「受け取る」か「受け取 らない」か。そして「受け取る」ならば、その時点で浄土真宗は浄土真宗でなくなっ てしまう。逆に「受け取らない」ならば、帝国憲法第28条「日本臣民たるの義務に 背く行為」として、直ちに真宗の布教を禁止し、教団を解散すべきだと宮井氏は 言う(『悪人正機』武田達城著・同和教育振興会刊より)。
 つまり、法名を名告るとは、念仏者として生きるとは、神様を拝まないと宣言す ることでもある。しかし、神の権威を利用して国民を統制しようとするこの「神の 国」日本においては、その「神祇不拝」の教えは弾圧の対象となる可能性を常に 孕んでいる。それは、明治から戦前にかけての「国家神道」の時代は言うまでも なく、1207年の承元の法難以来一貫して、念仏者が念仏者である限り引き受け ていかなければならないリスクの一つだった。だから私たちが法名を名告り、念 仏者として生きるならば、もしかしたら国家から弾圧されるかも知れないという覚 悟が必要なんだと思う。
 少し物騒な話になったが、もちろん現時点においてそのようなリスクはない。し かし、リスクがあるということを自覚するのとしないのとでは全然違う。今、「政教 分離」を規定した憲法20条を改悪しようとする動きがある。もしそのことに対する 自覚がなければ、20条の問題も他人事になってしまう。逆に自覚があれば自ら の問題として考えることが出来る。改悪に反対する行動にもつながっていくだろ う。そういう意味でも、法名の本来化、名を名告ることの意義を考えることは非常 に大事なことだと思う。
08年8月1日(金) 「井筒和幸監督」
 昨日、映画監督の井筒和幸さんの講演(トークショー)を聞いた。井筒監督とい えば、在日朝鮮人と日本の若者の葛藤を描いた『パッチギ』や続編の『パッチ ギ!LOVE&PEACE』など人権や平和をテーマにした映画を積極的に制作され ている監督である。
 映画の舞台裏を教えてくれた。『パッチギ』を上映した時にはかなり大きな反響 があったという。もちろん肯定する意見もあったが、批判する意見が多数あり、 特にネットでの誹謗中傷は酷かったという。「あの井筒というのは北朝鮮の出身 で、キム・ウィルソン何々大学を卒業した優秀なスパイである。日本において反 日活動をするために日本に潜り込み、あの映画を作ったのだ」などと好き勝手な ことを書かれたと。また、先日、映画『靖国』の上映に際して、一部の保守系の国 会議員が文化庁から補助金が出ていることを問題にしてことがあったが、『パッ チギ』に対しても同じようなことがあったという。匿名性に隠れて無責任な発言を 繰り返す日本人の体質を厳しく批判しておられた。
 また井筒監督は、「差別を乗り越えていくためには、知ること、差別を明らかに していくことが大切である」と仰る。実は二作目の構想段階においては、吉本の 藤井隆さんが演じた役(東北の貧しい農家の出身という設定)を、被差別部落出 身の青年という設定で描こうと考えていたという。在日と被差別部落、どちらもタ ブー視されがちなテーマであるが、日本社会の中で差別されてきた両者の姿を 本当は描きたかったと。
 今回は諸般の事情で実現しなかったが、これからも人権や差別をテーマにした 映画をつくり続けたいと仰っていた。ちなみに今、江戸時代をテーマにした時代 劇を作るために色々と調べているという。それも「水戸黄門」や「暴れん坊将 軍」、「大奥」など武士の視点からみた時代劇ではなく、一般の庶民から視た時 代劇をつくるのだと。楽しみである。
08年7月30日(水) 「映画『夕焼けこやけで〜石の鐘のこだまは・・・』」
 映画『夕焼けこやけで〜石の鐘のこだまは・・・』(「念仏者九条の会・長野」製 作)を観た。
 「念仏者九条の会」のポスターにもなっている、長野県信濃町富濃にある浄土 真宗本願寺派のお寺・称名寺に今でも吊るされている「石の鐘」を描いた映画で ある。称名寺の釣鐘は、1941年、「金属回収令(武器生産に必要な金属資源不 足を補うために各家庭や寺院などから金属類を回収する法律)」によって国に強 制的に供出される。その後、風で屋根が飛んでしまわないようにと、檀家総代さ んの家にあった周囲二メートルほどの庭石に穴を開けワイヤーを通し、重石とし て吊したのが現在に至っている。
 お寺を守っている佐々木五七子さんは、「少し甲高い音色でいつまでも余韻を 残しながら四里四方に響き渡るいい鐘だった。修学旅行から帰ると、ちょうど外 されたところで、悔し涙を流しながら見送った」と当時のことを振り返る。映画の 中で、「新しい鐘に換えるつもりはありませんか?」と訊ねられた佐々木さんは、 「世界中から戦争がなくなり、本当の平和が実現すれば換えてもいい。でもそれ までは絶対にこの石の鐘を降ろしません」と仰る。
 なぜこの「石の鐘」が「念仏者九条の会」のポスターになったのか?この「石の 鐘」は単に戦争をする国家の非情さを伝えているだけではない。その教えに反し て戦争に積極的に加担した当時の教団や私たち僧侶の責任を訴えかけている。 もちろん無念の想いの中で仏具や鐘を供出した僧侶もいただろう。しかしその一 方で国家の推し進める戦争を積極的に賛美し協力していった僧侶や教団があっ たのも事実である。お寺や占領地で戦意高揚のための布教をしたり、出兵する 兵隊に「陣中名号」を下付したり、戦死した兵士に勇ましい「軍人院号」を授け、 「彼らに続け!天皇陛下のために命を捧げるのが仏祖への報恩行になるの だ!」と鼓舞し続けた教団があった。「念仏者九条の会」の取り組みは、その教 えに反し戦争に加担した教団や僧侶がいたという慚愧(反省)のうえに立った取 り組みであることを確認しようとしているのだろう。
 撮影後のインタビューの中で佐々木さんは次のように言っておられた。「この石 の鐘は今でも響いている。「この石の鐘の悲しい歴史を、この石の鐘に込められ た(非戦・平和への)願いを聞いてい下さい」という声が一人でも多くの人に伝わ ることで、この石の鐘は今響くことができるのだ」と。佐々木さんが子どもの頃に 聞いたあの鐘の響きを、もう一度私たち念仏者の手で復活させたいと思った。
08年7月29日(火) 「『証言 沖縄「集団自決」』を読む」
 『証言 沖縄「集団自決」』(謝花直美著・岩波新書)を読んだ。
 2007年の文科省による教科書検定において、「集団自決」の記述から軍の強 制という文言が削除された。それをきっかけに、実際に「集団自決」を経験したに もかかわらず、これまで敢えて黙して語らなかった人々が、当時の様子を語り始 めたという。体験者にとっては当時のことを話すことは非常に辛いという。中には 自分の親や小さな子どもまでも手にかけたという人もいる。家族に「後で行くから 心配するな」と言ったにもかかわらず、結局自ら命を絶つことが出来ず生き残っ た人もいる。戦後ずっと心に深い傷を抱え生きてこられた人がいる。しかし今話 さなければ、このま歴史が歪曲されてしまえば、軍の強制によって死に追い込ま れた人々は再び国家によって殺されることになると考え、その重い口を開き始め た。主に、慶良間諸島で何が起き、どのようにして人々が「集団自決に」追い込 まれていったのか、体験者の証言が綴られている。
 2007年9月に開かれた県民集会(抗議集会)には約11万人以上の人々が参加 したという。実際に沖縄戦を体験された人、これまで政治や歴史に関心がなかっ た人々など、党派を超えての参加だったという。今こそ沖縄の人々の声(怒り)に 耳を傾けなければならないと思う。
08年7月28日(月) 「「興福寺奏上」と「水平社宣言」B」
 承元の法難から715年後(1922年)、親鸞聖人と同じように「善人仏教」からの 決別を宣言した人たちがいた。全国水平社の人たちである。そのほとんどが門 徒であった彼らは、親鸞聖人が「悪人」とされた中世被差別民を「御同朋」として 共に歩まれたと確信し、その宗祖の願いに反し再び「貴族仏教」化していた東西 両本願寺に対して募財拒否を通告し、親鸞聖人の原点に帰れと主張する。
 それに対して西本願寺の大谷尊由管長代理は、『親鸞聖人の正しい見方』を 刊行し、「差別を生ずるすべての原因を消滅しつくすことは、人間釈迦ではとうて いのぞまれない(悪しき業・宿業論)」「自然に成り立つ差別は差別として、その上 に人類平等の理想を実現しよう」「聖人の同朋主義の価値は、これを法悦生活 の上に体験せねばならない。社会改造の基調などに引き付けるには、余りにも 尊過ぎる(真俗二諦論)」「悪平等だ。秩序を乱す」と、水平運動を批判した(『同 朋教団のよろこび」』奈良教区基推刊)。支配(=差別)秩序を乱す!「興福寺奏 上」の第九の失(「国土を乱す失」と全く同じである。
08年7月27日(日) 「「興福寺奏上」と「水平社宣言」A」
  「興福寺奏上」に記された九つの失のうち、第二の失として「新像を図する失」 がある。専修念仏の教えを広めるのに、阿弥陀仏の摂取の光明が専修念仏者 や多くの庶民を照らしているのに聖道門のものだけ当てられていないという絵 (「摂取不捨曼荼羅」)を流布させるのは、人々を誑かすものだと非難している。 一方、法然上人は「富貴にまかせて寺塔を建てたり、僧尼に莫大な布施をして功 徳を積むことができるものよりも、功徳も積めず、その日の生活のためにさまざ まな罪を造らずには生きていけないものを絶望させまいとする大悲が念仏を選 択したといい、貧賤なるもの、愚悪なるものに、如来の救済の焦点があわされて いる」(『教行信証の宗教構造』より)され、この教説が後の「悪人正機説」へと展 開する。
 そして第九の失(「国土を乱す失」)として、従来の価値観を180度転換するその ような「悪人仏教」が広まることは、貴賎・貧富を前提する当時の支配(=差別) 秩序を乱すとして、朝廷により念仏停止の院宣が下される。これが承元の法難 である。
 親鸞聖人は、この事件をきっかけに「愚禿」の名告りと「非僧非俗」の宣言によ り「善人仏教」から決別され、真実の教えを顕かにするため『教行信証』を撰述さ れる。
08年7月25日(金) 「秘密情報保護」
 政府は防衛情報の流出を防ぐため、罰則の強化などを盛り込んだ秘密情報保 護に関する新法を近く国会に提出するという(7/25)。昨年の12月にイージス艦 の機密情報が漏れたことなど、自衛隊と米軍が一体化する上で、情報保護は至 上命題となっているのだろう。
08年7月24日(木) 「法名の本来化とは?N」
 また内願法名を受ける際の「遠慮文字」にも問題があると思う。現在、内願法 名を申請するさいに遠慮しなければならない文字として主に次のようなものがあ る。◆「如」◆歴代ご門主、お裏方の法名並びに諱と同じもの◆ご三代に関連す る法名、諱と同一のものなど。おそらくこの「遠慮文字」のはじまりは古く蓮如上 人の時代まで遡ることが出来ると思う。
 蓮如上人は血縁関係によって本願寺を中心とした教団機構を築いていかれ る。例えば、本願寺一族の嫡男を一門とし、次男以下を一家衆として、地方の有 力寺院に配置し、その下に大坊主や坊主衆、そして門徒や講といった組織を作 り上げていく。そして、諱や法名においても、蓮如上人以降、宗主が自分の子息 等に自分の一字をとって命名するようになる。つまり宗主より一字を受けること が、一門・一家衆であることを意味した。さらに命名する法名によって一門と一家 衆の区別までした。宗主の長男・法嗣(一門))の諱には「光」、法名には「如」の 一字を入れ、法嗣の兄弟・親族(一家衆)には、その時に宗主の「光」を除く諱の 一字と、法名には「如」を除く一字を入れることにより、一門と一家衆を区別した という(ブックレット基幹運動『法名・過去帳』参照)。
 つまり法名を見れば、その人が教団内のどの位置づけにあるかが分かった。 法名によって教団内身分を明確にしたといえるだろう。このような経緯のある「遠 慮文字」を今なお続けることに同朋教団として問題はないのだろうか?
08年7月23日(水) 「法名の本来化とは?M」
 法名の本来化とは?過去帳調査から明らかになった教団と私の差別体質を見 直し、法名を名告り念仏者として生きるとはどいうことなのかを考えていくことが、 「法名の本来化」の本来の願いであったはず。ところが昨今の教団を見ている と、それがいつのまにか「帰敬式推奨運動」にすり替えられてしまった感がある。 人々の宗教離れ(寺離れ)や教団に納められる懇志が減少する中、「内願法名」 を目玉に一人でも多くの門信徒を早期に教団内に囲い込んでしまいたいという意 図が見え隠れする。これまでの差別体質を改め本来の同朋教団になることで、 人々の信頼を取り戻し、魅力ある教団となっていくはずなのに、まさに本末転倒 である。案の定、そのような教団の姿勢は、参拝志納部発行の『あなたの名前は 何ですか』という差別冊子となって現れた。「法名の本来化」の願い、学びが何一 ついかされていないことを証明した。
08年7月22日(火) 「法名の本来化とは?L」
 仏教とは「自立(自覚)と連帯」の教えだと思う。如来の智慧と慈悲のはたらき によって命の尊厳に目覚めた自立した個人が、互いの違いを認め合い、ときに は議論し、ときには支え合いながら共に生きていくことを教えてくれるのが仏教だ と思う。ところが、社会の動きに呼応するかのように、「自立と連帯」を目指すは ずの教団内においても新たな権威主義が台頭し始めている。
 先日、仏教婦人会連盟発行の冊子『恵信尼さまを慕う』問題への総括書が出さ れていた。親鸞聖人が流罪の際に最初に上陸されたとされる居多ヶ浜に地元・ 新潟県上越市が設置した観光用看板に、「貴族出身の親鸞聖人だったから、流 罪とはいえ、比較的恵まれたこの地への流罪で済んだ」みたいなことが書かれて いた。その看板の写真を、講師会議の席で一部から問題性を指摘されながら、 全体の課題とはなりえず、そのまま発行、後日回収となった問題である。「親鸞 聖人は貴族だったから・・・」の表現は、明らかに身分制度(差別)を無批判に肯 定する表現である。そして何よりも、親鸞聖人はそのような権威主義からの決別 を宣言されたはずである。それが承元の法難であり、『教行信証』撰述の理由で あり、非僧非俗の名告りであったはず。そんな宗祖の願いに反するものである。 『御伝鈔』に出てくる表現と同じように、どこか私たち僧侶や教団の中に「貴族で ある親鸞聖人」という意識がまだあるのだろうか?またその他にも、一連の護持 口数問題への総局による有無を言わさない強権手法も、教団内における権威主 義の現れだろう。真俗二諦の学びは一体何だったのだろうか?
08年7月20日(日) 「法名の本来化とは?K」
 親鸞聖人は自らのことを何も語らなかった。恵信尼さまも「宗祖が貴族の出身 である」とは一言も言っていない。なぜ語らなかったのか?おそらく語る必要がな かったからだろう。当時は「○○家の誰」というように今以上に出身が重要なファ クターであったはず。でも宗祖には出自など必要なかった。宗祖の生き方には権 威など必要なかったのである。
 宗祖の「非僧非俗」・「愚禿の名告り」から私達が学ぶべきことは、権威の否定 であり、権威主義からの脱却ではないだろうか?私達はついつい権威を求め る。権威に頼ろうとする。昨今、日本社会の中に、強いリーダシップを持った政治 家を求める風潮がある。小泉純一郎や石原慎太郎などが人気を集めるのもそ の延長だろう。それは私たちの教団内においても然りである。一時期、教団の行 く末を憂いた教団人たちの間で、蓮如待望論が叫ばれた。確かに蓮如上人のよ うな強いリーダーシップを持ったカリスマが現れれば、教団も一時は活性化する かも知れない。しかし他方で一人のカリスマの登場は、その他大勢の思考停止 を意味する。「教団を好くしよう」という一人ひりの努力を奪ってしまう。依存主義 に陥る可能性がある。また特定の人物への従属がいかに危険であるかは既に 周知の通りである。
08年7月19日(土) 「法名の本来化とは?J」
 二つ目は、「愚禿」の名告りによって親鸞聖人は、自らの宗教的・社会的立場 を何処に置くかを明確(自らは何処に立ち、誰と共に生きていくかを確認し、宣 言)されたのだろう。
 親鸞聖人は『唯信鈔文意』の中で、「れふし・あき人、さまざまのものは、みな、 いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり」と仰った。「れふし」とは「よろずのい きたるものをころし、ほふるものなり」、つまり殺生を生業としている人びとであ る。彼らは「あき人(商人)」も含めて、戒律(殺生戒や不妄語戒など)を守ること ができないとして仏教の救いから排除され、また社会的にも忌み嫌われ差別さ れていた人々である。親鸞聖人は、流罪を経験し、越後や関東の人びとと生活 する中で、そんな「屠沽の下類」と呼ばれる人々を「われら」と呼び、彼らと同じ地 平に立ち、共にお念仏を称え、共に生きていくことを宣言された。
08年7月18日(金) 「法名の本来化とは?I」
 なぜ親鸞聖人は「禿」の字を自らの姓とされたのか?二つ考えられるという。一 つは、「愚禿」の名告りは親鸞聖人によるカミングアウトだと。それまで自らの出 自を隠してきた親鸞聖人が、「実は私は被差別身分の出身である」とカミングア ウトしたのだと。
 このように言うと「何を言っている!親鸞聖人は、藤原家の末裔の日野有範の 子ではないか!」と怒られるかもしれない。しかし本当に宗祖が日野家の出身で かるかどうか、実はよく分かっていないらしい。本当に慈鎮和尚を戒師として青蓮 院で得度したのかも、またいつどこで生まれ、どこで往生されたのかも確定され ていないという。例えば、5月21日の降誕会(宗祖の誕生日)は、江戸時代の中 頃に高田派の普門という人が書いた『高田絵伝撮要』の中に「(宗祖は)4月1日 の生まれである」と記されているのを根拠に、それを新暦の5月21日にして、明治 7年に明如上人が御影堂でお勤めをしたのが始まりだという。意外と歴史の浅い 法要であり、また普門が何を根拠に「4月1日」としたのかも不明だという(『もう少 し知りたい 仏事と本願寺の話』鎌田宗雲著より)。
 親鸞聖人やつれ合いの恵信尼さまは自らについて何も語っていない。だから貴 族の出身であったかも知れないし、被差別身分の出身だったかも知れない。でも 一つだけ確かなことは、親鸞聖人が貴族であろうとなかろうと、その人としての価 値には何の変わりもない。尊敬すべき私たちの宗祖である。
08年7月17日(木) 「法名の本来化とは?H」
 「愚禿釈親鸞」の「禿」とは、「かぶろ」とも読み、「頭に髪がない状態(はげ頭)」 を指すが、はげ頭から髪の毛がポツポツと少し無造作に生えている状態を指す こともあるという。昔の説教本などには、「流罪にあった親鸞聖人が、慣れない土 地で自ら田を耕すなど大変苦労されたので、頭をきれいに剃髪することもでき ず、髪の毛が伸び放題となり、僧侶とも俗人とも見分けがつかない変わり果てた 姿をされていた」と説明していることもある。
 しかし歴史学的には、「禿」とは、剃髪して僧形はしていても戒律を保ち得ない ような僧侶に対する賤称語であったという(『真宗史』中央仏教学院より)。「禿」と は、「濫僧(ろうそう)」のことを指す。「濫僧」の「濫」という字は、もともと「らん」と 読み、「乱」と同じで、「乱れた僧」という意味がある。当時、僧侶になるためには 「僧尼令」による国家の許可が必要であり、また肉食妻帯の禁止など厳しい戒律 も守らなければならなかった。ただ僧侶になると税金だとか課役が免除されると いう特権があった。そこで国の許可なく勝手に僧侶になる人が出てきた。彼らは 姿かたちは僧侶の格好をしていても、戒律なども守ることなく、神社の境内などで 乞食などをして暮らしていたため、「乱僧」とか「濫僧」と呼ばれていた。この「濫 僧」は、のちに「非人」とも呼ばれるようになり、『塵袋』(1274年〜1281年ごろ)に 出てくる「えた」と呼ばれた人々と同じように世間から差別され、排除されたという (『これでわかった!部落の歴史』上杉聰著より)。
 親鸞聖人はその「禿」の字を自らの姓として名告っていかれる。なぜか?
08年7月15日(火) 「法名の本来化とは?G」
 親鸞聖人の名告り。宗祖も何度か名前を変えている。幼少期は「松若丸」、得 度してからは「範宴(はんね)」、そして「綽空(しゃっくう)」、「善信(ぜんしん)」と名 告られる。ところが1207年の「承元の法難」の際に、朝廷から僧籍を剥奪され、 「藤井善信(ふじい よしざね)」という俗名を与えられ、越後に流罪となる。なぜ わざわざ俗名を与えたかというと、当時は、僧侶を罰するとタタリがあるということ で、俗人に戻してから刑に処したという。
 それに対して宗祖は、「しかればすでに僧にあらず、俗にあらず(非僧非俗)。 このゆゑに禿の字をもって姓とす」と宣言され、自らを「愚禿釈親鸞」と名告って いかれる。つまり、「僧にあらず」とは「僧尼令」のもと国家から認められた僧侶 (官僧)ではもはやない!という意味である。そして「俗にあらず」とは、朝廷から 無理に与えられた俗名など要らない!という今回の弾圧の不当性を訴えている のだろう。
08年7月14日(月) 「法名の本来化とは?F」
 552年、百済の聖明王から仏像や経典が朝廷(欽明天皇)に献じられたのが日 本への仏教の公伝だと言われている。つまり日本の仏教はその出発点から朝廷 という権力とつながっていた。そして8世紀初頭には「僧尼令」が制定され、僧侶 になるためには国の許可が必要で、また僧侶は自由に人びとにに布教をした り、国家を批判することは出来ず、国家の安泰や五穀の豊穣、天皇の息災延命 などを祈願する国家仏教体制が成立する。そして平安時代末頃には、有力寺院 のほとんどが天皇家や貴族から莫大な財政援助を受け、皇族や貴族が住職とな る門跡寺院なども現れる。法然上人や親鸞聖人がいた比叡山延暦寺の座主な ども、藤原氏出身の貴族が継ぐようになっていた。親鸞聖人が得度を受けたと伝 えられる青蓮院の慈鎮和尚(後の天台座主)もときの関白・九条兼実の弟であっ た。
08年7月13日(日) 「『興福寺奏上』と『水平社宣言』」
 今から801年前、奈良の興福寺から出された『興福寺奏上』を契機に、法然(専 修念仏)教団に対する弾圧事件が起きる。住連、安楽など4人の弟子が死罪とな り、法然上人は土佐に、そして親鸞聖人は越後に流罪に処せられる。いわゆる 承元の法難である。この承元の法難は、「善人仏教(貴族仏教)」による「悪人仏 教(在家仏教)」に対する宗教弾圧であった。親鸞聖人は、事件をきっかけに『教 行信証』を撰述し、「善人仏教」からの決別を宣言される。
 それから715年後、師である親鸞聖人と同じように「善人仏教」からの決別を宣 言した人たちがいた。それは水平社の人たち(水平社宣言)である。そのほとん どが門徒であった彼らは、宗祖の願いに反し再び貴族仏教化していた東西両本 願寺に対して募財拒否を宣言する。
 ここ奈良県に縁の深い「興福寺奏上」と「水平社宣言」は、現在に生きる私たち 僧侶に何を問いかけているか?親鸞聖人がお示し下さった「善人」・「悪人」とは 誰のことなのか?「真実の宗教」・「偽の宗教」とは何を指すのか?私の課題であ る。
08年7月12日(土) 「「慚愧」と「歓喜」」
 ある布教使さんからこんな話を聞いた。外国の人には中々理解しにくい日本語 があるという。ある留学生が電車の中で、小さな子供を連れた親子連れを目に する。すると隣に座っていた女性が子どもにキャンディーをあげた。すると子ども は元気よく「有難う」と言った。一方母親のほうは「スミマセン」と頭を下げたとい う。それを見ていた留学生が不思議に思ったという。子どもが「有難う」というの は理解できる。キャンディを貰い嬉しかったので感謝の気持ちを伝えた。しかしな ぜ母親は「スミマセン」と頭を下げて女性に謝ったのか理解できないと。
 そう言われてみればそうである。よく私達は何か頂いたときに「有難う」と言う代 わりに「スミマセン」と言うことがある。本来「スミマセン」とは謝罪の意味である。 なぜだろうか?それは、「スミマセン」という言葉の中には、そのキャンディをくれ た女性に対する申し訳なさ≠ェ込められているからだという。女性がキャンデ ィを買い、それをわざわざ見ず知らずの他人に分けてくれた。もしかしたらその 女性はキャンディを買ったお金を稼ぐために一生懸命汗水たらして働いたのかも 知れない。または、そのキャンディを買うためにわざわざ遠くの店にまで足を運ん でくれたかも知れない。そんな目には見えない全ての行為(苦労)を自分(子ども に)に分けてくれたことに対して、「スミマセン」という申し訳なさ≠伝えようとし ているのだと。そしてもちろん「申し訳ない」という気持ちと同時に、「スミマセン」と いう言葉の中には「有難う」という感謝の気持ちも込められているのだと。
 このことは食事の前の「いただきます」にも当てはまるという。美味しそうな食事 を前にして「いただきます」と言うと、誰かに対する感謝の気持ちを表現している だけのように思うが、実はその言葉の中には「申し訳ない」という気持ちも本来込 められているんだという。私のためにその命を無償で与えてくれた野菜や動物た ちに対して「スミマセン」という「慚愧」があるのだという。
 「慚愧」と「歓喜」。本来表裏一体のものなのかも知れない。「慚愧」があるから こそ「歓喜」も生まれる。「歓喜」のあるところ「慚愧」も必ずあるのだろう。真宗的 に言えば「二種深信(法の深信・機の深信)」なのかも知れない。でもどうだろう か?ややもすれば私達は「慚愧」はどこかに置いといて、自分にとって都合のい い「歓喜」のみに目を向け、「有難い」「お陰様です」「もったいないことです」と言っ てはいないだろうか・・・・?
08年7月11日(金) 「自死問題」
 現在私たちの教団(西本願寺)では、「人びとの苦悩に寄り添う」ことをスローガ ンに、自死問題に取り組もうとしている。教学研究所などが中心となり全国の寺 院に自死に関するアンケート調査を実施している。
 しかしそのアンケートを読んで次のように言った人がいる。「送られてきたアン ケートを読むと、教団が自死遺族や自死を考えている人をカウンセリングの対象 としてしか見ていないような気がする」と。「もしそうなら、それはヤスクニ≠ェ 靖国遺族にやっていることと何ら変わらない」と。どういうことか?靖国神社は、 遺族に対して「なぜ大切な家族が戦死しなければならなかったのか?(国家の無 謀な戦争に加担させられ、国家によって殺された)」その本質的なことには触れ ずに、「安心しなさい!あなたの家族は英霊となった。お国≠ェ責任を持って 顕彰します」と語ることで、遺族の怒りや悲しみを喜びに昇華させようとする。そ のヤスクニ≠ニ変わらないと。
 現在日本の年間の自死者は10年連続で3万人を超える。未遂者やその予備軍 を加えればその何十倍にもなるという。自死の原因のトップは健康問題。そして 二番目に多いのが経済・生活問題である。ちょうどバブル崩壊前後の98年に前 年に比べて8000人増え、以後今日まで3万人を越えている。そう考えると、急増 の背景に今日の格差問題(新自由主義の導入)があることは間違いない。
 そのような自死の背景を考えたり、改善する努力をせずに、宗教者として遺族 の心のケアーだけをしていればいいのだろいうか?もちろん全く無駄だとは言わ ない。大切なことではある。しかし一歩間違えば、社会の矛盾を覆い隠し、問題 の解決どころか、かえって問題を温存・助長させる危険性だってあることを認識 しておくべきだと思う。「その人のありのままを受け入れること」と、「苦悩や矛盾 の原因を解消する努力を放棄すること」とは違うということを肝に銘じておかなけ ればならないと思う。
08年7月10日(木) 「法名の本来化とは?E」
 現在教団では法名は「釈○○(漢字二字)」と決められている。その起源は、東 晋時代の僧・道安に遡るという。それまでは、出家者の多くは師匠の姓をとって 自分の姓にしていた。それに対して道安は、「師は釈迦牟尼仏より尊きはないの だから僧侶はひとしく「釈」をもって姓とすべし」と唱え、自らも「釈」を姓としたのが 始まりだと言われている。
 また道安は、「四河海に入りてまた河名なし。四姓沙門となり皆釈種を称すべ し」(『高僧伝』巻五「道安伝」)と述べている。これは『増一阿含経』から引用で、 お釈迦様の時代のインド社会は、生まれによってバラモン(司祭)・クシャトリア (王侯武士)・ヴァイシャ(庶民)・シュードラ(奴隷)という四つの身分と、更にその 下にアウトカースト(不可触民)と呼ばれる階層に分ける、カースト制度によって 成り立つ、厳しい身分社会、差別社会であった。それに対してお釈迦様は、 「様々な名前を持った河川でも、いったん海に注ぎ込めば、もはや名前を失って 一つの海になる。それと同じように社会では様々な身分を持った人間であって も、仏教教団(サンガ)の中では、皆「沙門釈子」(釈迦牟尼の子ども)である」と 言ってカースト制度を否定された。
 つまり戒・法名を名告るとは、仏法を拠り所として、差別を否定し、互いが互い に尊敬しあい、ともに協力しあって平等な社会を形成していくことを自ら確認し、 外に向かって宣言することでもあるのだろう。
08年7月9日(水) 「法名の本来化とは?D」
 仏教徒として戒・法名を名告るようになったのはいつ頃からか?お釈迦様が生 きておられた頃の初期仏教教団では、仏弟子たちは俗名を名告っていた。その 後、仏教がシルクロードを経て中国に伝わったときに、儒教や道教などの中国文 化の影響を受けるかたちで、戒・法名を名告るようになったという。
 中国では本名の他に、他人と交際するときなどに「字(あざな)」という別名を用 いる習慣があった。また、生きている間は字(あざな)で呼ばれ、死んだ後は諱 (いみな)というこれまた別名で呼んでいた。その習慣を下敷きにして、あらたに 仏教教団(サンガ)に加わる際にも、これまでの俗名(字に相当)を捨てて戒・法 名(諱に相当)を名告るようになった。
 つまり、戒・法名を受けて仏教徒になるということは、新しく仏教に生きる人間 の誕生を意味していた。俗の価値観(煩悩)を究極の拠り所として生きるのでは なく、仏法を人生の拠り所として生きていくということを、自ら確認し、対外的にも 宣言することでもあったのだろう。
08年7月8日(火) 「法名の本来化とは?C」
  藤井善さんも西光万吉さんも、当初、本名(出身)を隠していた。厳しい偏見と 差別の中で、どこかで自らの存在(尊厳)を自ら否定せざるを得なかったのかも 知れない。
 差別は非常に巧妙だと思う。今問題になっている「いじめ」にこんなケースがあ るという。いじめられっ子(被害者)≠ヘイジメの事実を教師や親に中々話せな いという。「告げ口をした」としてイジメがさらにエスカレートするのを怖れたり、 「親を悲しませたくない」と思うからだそうだ。しかしいじめっ子(加害者)≠ヘ 「こいつは絶対に大人には言わない」とみなした瞬間から、更にイジメをエスカレ ートしていく。
 授業中、後ろに座るJ君から背中をコンパスで刺され続けているO君。決して 「痛い!」とは声に出さない。ある時、Tシャツに穴が開いてしまい、それに気づい た母親に「どうしたの?」と聞かれたことがあった。それをJ君に話すと、J君は 「なんだよ」と舌打ちして、それからは穴が開かないように気をつけて加減してく れる。例えば、Tシャツの日はあまり刺さないようにして、ニットやセーターの時に たくさん刺すなど。加害者はあたかも「気を使っている」かのように被害者をいじ める。服に穴が開かないように、大きな怪我をしないように、「ちゃんと加減して やっているんだぞ」というメッセージを被害者に送りながらいじめる。すると段々と 被害者のほうも「有難う、加減してくれて」と加害者に感謝の気持ちを抱くようにさ えなるという。暴力を手加減されて「有難う」と言ってしまう被害者心理がイジメの 発覚を困難にしている原因の一つだという(『教室の悪魔』山脇由貴子著・ポプラ 社より)。
 まさにこれが融和運動だと思う。「差別の原因は被差別者の側にある」と思い 込ませ(仏教教団・僧侶がその大きな役割を果たした)、「でも可哀そうだから、 その原因を改善していくために手を貸してやる」という巧妙さである。しかし水平 社はそれを否定した。「人間は本来尊敬されるべきものである」と自らの尊厳性 に気づき、もしそれを侵すようなことに対しては、それを守るために闘う。それが 自らの人間解放につながり、さらには差別者の人間回復につながるのだと。西 光さんも藤井さんもそのことに気づき、本名(出身)を名告っていかれたのだろ う。
 つまり、被差別者にとってのカミングアウトとは(名を名告るとは)、「私は誰なの か?」と改めて自ら確認するとともに、「私はこれからどう生きていくのか?」を対 外的に宣言することでもあるんだろう。
08年7月7日(月) 「法名の本来化とは?B」
 1922年、被差別部落の人びとが差別解放のために結成した水平社(水平社宣 言)も、被差別者によるカミングアウトだと思う。
 水平社創立メンバーの一人西光万吉さんは、被差別部落のお寺に生まれる。 差別体験をきっかけに平安中学を退学し、しばらく出身を隠したまま東京で生活 する。しかしそこでも厳しい差別の現実を目の当たりにした西光さんは、地元奈 良に帰り、仲間達と共に全国水平社の設立を決意する。確かに水平社設立以前 にも、差別を解消しようとうする運動はあったという。しかしそれは「差別の原因 は被差別者にあるのであって、被差別者の方を改善していくことによって差別も なくなっていくんだ」という融和運動であった。実際に、被差別部落の人々の中に も「差別されるのは自分に責任がある」と考え、自分自身を恥ずべき存在、否定 すべき存在と考える人も大勢いたという。それに対して「差別の責任は差別者に あるんだ」「同情などによって差別はなくならない」「被差別者自らが差別解放を 目指して闘おう」「自分自身を卑下することなく、人間として誇りを持って生きてい こう」「人間は本来尊敬されるべきものである」と宣言したのが水平社であった。 西光さんが起草したといわれる水平社宣言は「吾々が○○(実際には賎称語)で ある事を誇り得る時が來たのだ。吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行 爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさ が、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心 から人生の熱と光を願求禮讃するものである。水平社は、かくして生れた。人の 世に熱あれ、人間に光りあれ」という言葉で締めくくられている。
08年7月6日(日) 「本名の本来化とは?A」
 もう一つ「名を名告る」ことの意味を考える上で大切な視点を与えてくれるのが 被差別者によるカミングアウトである。
 ハンセン病の療養所に暮らす人のなかには、偽名を使う人が多い。ハンセン 病に対する偏見や差別が本人のみならず家族にまで及ぶことを怖れたためであ る。長島愛生園・真宗同朋会の導師であった藤井善さんもその一人だった。 1988年、船でしか行き来が出来ない孤島であった長島に邑久長島大橋という橋 がかかる。療養所の人たちは「人間回復の橋」と呼び、喜んだ。そんな時、愛生 園を訪れたある人がこう言ったという。「あなた達は四十年、五十年島の中に閉 じ込められて、ようやく解放されて出られる。人間回復で嬉しいでしょう。しかし、 それはそこへ閉じ込めた側、隔離した側、排除した側、差別した側の人間も、同 時に人間を回復することです」「あなた達だけではないのです。すでに私達は、あ なた達をそこへ閉じ込め排除した時に、人間を失っているのです。あなた達が人 間を回復された時に、排除した側の、邪魔者として困った者を捨て排除した側の 人間も、人間を回復することができます」と仰ったという。それを聞いた藤井さん は自ら本名を名告ることを決心される。自分は45年間、藤井善という仮の名でひ たすら身を隠してきた。これまで偏見差別を言ってきたけど、それならばそれを 解きほぐすために、解放するために自分は何をしてきたのか?努力してきたの か?本名を名告り「もう隠れる必要はない。隠す必要もない」「隔離政策は過ち で、偏見差別はいけない」と胸を張って社会に真実を訴えていかなければ、伝わ るものも伝われない。「一番困った人間が一番困らない世界を切り開かなければ ならない」「(私が)動けば動くのです。動かなければ何も動きません」と言って、 藤井さんは本名を名告っていかれる(『ハンセン病差別と浄土真宗』同和教育振 興会編より)。
08年7月5日(土) 「法名の本来化とは?」
 『法名・過去帳』(ブックレット基幹運動NO.4)を読んだ。現在私たちの教団で は、二度の「差別法名・過去帳調査」の結果を受けて、法名の本来化≠ェ課 題となっている。仏教徒として法名を名告る(=仏弟子としての名告りを揚げる) とはどういうことなのか、今改めて問われている。
 ところでそもそも「名を名告る」とはどのような意味があるのか?例えば、大和 政権時代には「氏姓制度」というのがあった。「藤原朝臣不比等」の場合、「不比 等」が名で、「藤原」が氏、そして「朝臣」が姓になる。この氏姓、誰かれしもが自 由に名のることは出来ない。全て天皇からの贈与であった。天皇は自らの臣下 の証として姓を授ける。つまり「天皇は臣下に姓を与えることにより、主従関係を 明らかにし」たという。また、江戸時代には、名字を名告ることが出来るのは武士 のみで、基本的に庶民には名字はなかった。そして武士が名告る名字も主君か ら恩恵として贈与されることが多く、将軍家との主従関係を明らかにするととも に、名字によって家臣の序列化をはかっていたという。例えば、「徳川」の名字は 宗家及び御三家のみに許され、それ以外の分家には、以前の「松平」姓を称さ せていた。また一部の家臣に対して、褒章として「松平」姓を贈与することもあっ た。つまり古代から近世にかけての氏姓や名字は、支配権力による支配構造の 強化・封建身分制度の維持のための道具であり、そこには「自らの選び取った原 理に基づく名告り」というものはなかった。
08年7月4日(金) 「再開」
 今日から更新を再開します。3週間も休んでしまった。でも、正直、楽だったな 〜。毎日記事をチェックし「つぶやき」などを書くと、更新するのに約1時間かか る。その1時間がまるまる自由に使えたので、気分的にものんびりできた。「この ままやめてしまおうかな〜」と一瞬脳裏を走ったけど、前回、「必ず再開する」と豪 語したので、やっぱり戻ってきました・・・(笑)これからも宜しくお願いします。
08年6月10日(火) 「ある住職さんとの出偶い」
 しばらく家でインターネットが使えないためこのHPが更新できない。約2週間ぐ らいかかるかもしれない。2004年12月28日にこのHPを開設して以来、こんなに 更新しないのは初めてになる。忘れられたらどうしよう・・・・。ずっと訪れて下さっ ている方には申し訳ないけど、ネットが使えるようになったらまた必ず更新するの で、またよければ訪れて下さい。
 このHPを立ち上げるきっかけになったある住職さんがいる。その住職さんは毎 日「住職の日記」というページを更新されていた。すごく刺激的で、勉強になり、熱 い思いが伝わってきた。み教えに問い聞きながら、自ら考え、自らの足で一歩一 歩歩んで行く事を教えて頂いた。すごく憧れた。そんな住職さんに少しでも近づき たい。同じ道を歩みたいと思いこのHPを立ち上げた。まだまだ足元にも及ばな いが・・。今、その住職さんは病と闘っておられる。でも、体調のいい日にはたま に「日記」を更新されている。実はまだ一度もお会いしたことがない。メールや掲 示板で以外、直接話したこともない。元気になられたら一度お会いしたい。そして 共に同朋運動をやりたい。それまでこのHPは更新し続けたい。 
08年6月9日(月) 「自衛隊のアフガン派兵」
 アフガニスタンで医療支援をしているNGO「ペシャワール会」の代表が、もしア フガニスタンに自衛隊が派兵されたら、活動を中止せざるをえないと語ったという (6/7)。それまでの民生支援が築いた良好な対日感情が自衛隊の派兵によって 崩れる可能性が高く、スタッフが危険にさらされるからだという。かつてイラクでも 自衛隊の派兵によりボランティア活動をしていた日本の若者が抵抗勢力に拉致 される事件があった。また、これからも米軍とともに自衛隊の海外派兵が続け ば、日本(人)が「テロ」の標的になる可能性も格段に増えるだろう。
 9条の下で出来る国際貢献はいくらでもある。実際にこれまでたくさんのボラン ティアやNGOがやってきた。そして評価を得てきた。なぜ今あえて日本(人)を危 険に晒してまでも自衛隊を海外に派兵する必要があるのだろうか?
08年6月7日(土) 「憲法9条と25条」
 最近格差問題に関心がある(記事)。最初はそれ程でもなかったが、9条の問 題に取り組めば取り組むほど関心が出てきた。昨年の11月の「九条の会」全国 集会でも、憲法九条を守り活かすためにも、他の条文、特に憲法二十五条(すべ ての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する)と重ね合わせ て運動を進めるべきだとの提案が出されたという(『念仏者九条の会』ニュースレ ターNO.5より)。
 現在改憲を支持する層に20代〜30代の若者が多いという。それもフリーターや ニートと呼ばれる若者である。作家の雨宮か凛さんがこんなことを書いていた。 「昨今、戦争を望む若者が増えている。なぜか?格差社会の犠牲者である彼ら は、いくら努力してもこの状況を脱け出せないという閉塞感から、戦争を望むの だ。戦争になって何もかも破壊されてしまえば、また一からやり直せる。そうすれ ば現状から脱け出せるかも知れない。そんな思いから改憲派に流れていく若者 もいる」と。ずいぶん幼稚な考え方だと笑うかも知れないが、それだけ格差社会 の中に生きる若者の苦しみが深刻だということだろう。
 母子家庭の平均所得が前年より約1割下がって約212万円になったという記 事があった(6/6)。全世帯の平均所得(約564万円)の約4割、高齢者世帯の約 7割の水準だという。親の経済格差が子どもの学力格差となり、将来の経済格 差へとつながっていく教育格差の問題もあり無関心ではおれない。
08年6月6日(金) 「糾弾とは」
 昨日ある研修会に参加した。テーマは「部落差別をどう乗り越えるか」。その中 で「糾弾」についての話があった。よく被差別者に向かって「そんなに大きい声を 出さなくてもいいじゃないか」「そんなに怒らなくても・・・」と言う人がいる。特に「怒 りは煩悩である」としたり顔で言う僧侶に多い。でも差別されたんだから怒るのは 当然で、怒れば自然と声も大きくなるが人間だと。「そんなに怒らなくても・・」と言 う人ほど差別された人の辛さや悲しみを理解していないのだと仰る。また「糾弾」 は決して相手が憎いからやるのではないと。被差別者の「もう二度と差別をしな いで欲しい」という願いとともに、差別者に対して「人として他人を平気で差別する ような人間のままでいて欲しくない」「差別から解放されて欲しい」「そして共に差 別と闘う仲間となっていこう」という願いが込められているのだと教えて頂いた。
 親鸞聖人は、念仏者を弾圧する権力者に対して怒りを露にすると同時に、その ような弾圧者に対してもお念仏の教えに出会い、そのようなことをしないような人 間になるよう祈ってあげなさいと『ご消息』の中で仰っておられる。また『教行信 証』の後序で、承元の法難の首謀者である後鳥羽上皇と土御門天皇を厳しく批 判しながら、一番最後に『華厳経』の文を引用して次のように『ご本典』を締めくく っておられる。「もし菩薩、種々の行を修行するを見て、善・不善の心を起こすこ とありとも、菩薩みな摂取せん」
08年6月4日(水) 「私学助成の削減」
 大阪府の橋下知事は、私立の学校への助成を削減する方針を打ち出した(6/ 3)。高校で10%、小中学校で25%の削減になるという。多くの私立学校では府か らの助成金が学校運営費の約3割を占めており、授業料などを値上げすること によって対応せざるを得ないという。特に高校への削減率が高い理由を知事は 「義務教育は望めばみんな公立に通うことができる。私学の付加価値を求める なら公立よりもお金がかかるのは当たり前だ」と述べたという。でも本当にそうな んだろうか?
 「ゆとり教育」の導入など公教育の質が落ちる中で、学力低下に不安を抱く親 たちの間で公立離れが進み、私学の人気が高まっているという。特に、大学受 験に有利なカリキュラムを組む私立の中高一貫校が非常に人気を集め、中には いわゆる「お受験」と言われるように小学校から子どもを私立の学校に通わす家 庭も増えているそうだ。そのような中で、私学への助成金を削除するということ は、益々経済的に余裕のある家庭しか私学に通わせることが出来なくなってしま うのではないだろうか?
 なんやかんや言っても日本はまだまだ学歴社会である。どこの大学を卒業した かで、職業の選択肢も大きく変わってくる。かつてのように、たとえ高卒であろうと も正社員として雇ってくれ、年功序列型の賃金制度や終身雇用制度の下、真面 目に働きさえすれば豊かな生活が保障されていた時代ならまだいい。しかし現在 は、全労働者のうち約3分の1が非正社員だと言われている。また正社員と非正 社員の生涯賃金を比べると、両者の間では1億6300万円もの差がつくとも言う。 どんどんと格差が拡大しつつある。
 そんな時代だからこそ、どのような教育を受けることが出来るかが、子どもの 将来に大きく影響してくる。ところが親の経済力によって子どもが受けることの出 来る教育の質が変わるとしたらどうだろうか?まさに格差が親から子へ、子から 孫へと引き継がれていきかねえない。格差が世代を越えて継承されていくとした らどうだろうか?子どもの能力や努力に関係ないところで、スタートの地点から格 差があるとしたらどうだろうか?
08年6月3日(火) 「『悪人正機』を読むA」
 本の中で著者は『伝道』53号(岡西法英 2003年 本願寺出版)を引用しなが ら、昨今の安直な報恩思想を批判している。
 昨今、他力の救いや縁起の道理が「生かされている」という言葉で語られること があると。しかしその言葉の名のもとにどれほどの差別が大手を振ってまかり通 ってきたかと。「何事もお陰様です」「生かされていることに感謝しましょう」「この ままでいいのです」「不満のある人は、不満を捨てましょう。不足を言うのはやめ ましょう」と言っては現状追認と責任回避の発想の支えにしてきたかと。「人は煩 悩に生きているのであって、何ものかに生かされているのではない。自己の生き 方は自己の責任である」と。「「結構な時代に生かされて」ではなく、「食を貪り、浪 費に耽溺している浅ましい日暮の日本」を恥ずべきではないか」と。「生かされ る」が強調されればされるほど、「取り組むべき課題が見えない。課題があっても 連帯して解決していこうという意欲も自信もない。手を携えるべき同朋が見出せ ない」のだと。「いずれにしても如来不在・往生無用の思想である」と。
 まさに目からウロコが落ちるような指摘である。私もよく「お陰様」とは「生かさ れている」とか「感謝の念」とか布教の場で安易に使ってきた。それらの言葉を使 っていれば無難で何となく有難くなってくる。しかしそれは現状を諦めさせ、社会 矛盾を覆い隠してしまう危険性があると気づかされた。まさに差別や社会矛盾を 仏法の名のもとに肯定し温存・助長してきた僧侶としての私自身の姿勢が厳しく 問われる指摘である。
08年6月2日(月) 「『悪人正機』を読む」
 『悪人正機−差別の現実からの出発−』(武田達城著 同和教育振興会刊)を 読んだ。「悪人正機」の「悪人」とは誰を指すのか?「「悪人」とは、抽象的な概念 ではなく、社会的に存在する事実でした」と著者は主張する。
 阿弥陀仏の救いとは「平等の救い」である。「この仏の平等の慈悲心を一番よく 理解できた人たちは差別されていた人でした。人より威張っている貴族には、平 等の慈悲心は何のことやら理解できなかったに違いありません」と。その通りだ と思う。平等を願うのは差別されている人であり、差別者が平等など望むはずも ない。差別社会だからこそ彼ら(貴族)は都合がいいのであって、平等な社会は 都合が悪い。そう考えると、平等がいかに有難いかを知っているのは被差別者 である。
 阿弥陀仏の「平等の慈悲心」は全ての人(十方衆生)にはたらいている。しかし その「平等の慈悲心」を受け入れることが出来るのは被差別者である。つまり 「悪人正機」の「悪人」とは、阿弥陀仏の救いの一番の目当てとは、被差別者の ことである。『塵袋』など文献学的にも、「悪人」とは当時の被差別者を指していた ことは証明されているという。
 でも残念ながら本願寺(安居)などでは、「悪人正機」の「悪人」とは「心想る劣 の凡夫」のことを指すんだそうだ。『仏説観無量寿経』に登場する偉提希やアジャ セのことであり、私もあなたも含めて全ての凡夫(人)が阿弥陀仏の救いの目当 てだという見解だそうだ。著者はそれを指して「悪人が見えなくなった」と言う。
08年5月29日(木) 「映画『いのちの食べ方』を鑑賞する」
 映画『いのちの食べ方』(2005年 ニコラウス・ゲイハルター監督)を観た。私た ちが普段口にしている食べ物(食材)がどのようにして作られているのかを描い たドキュメンタリー。
 当たり前のことだけど私たちが食事をするということは植物であったり動物ので あったり他の命を頂くことである。そう考えると「食べ物=命がどのようにして作ら れるのか」と言うと違和感を持つかも知れない。でも「作られる」という表現がまさ にピッタリと思えてくる。あらゆる食材(=命)が最新のテクノロジーを駆使して、 無駄なく効率的に作られている様子に度肝を抜かれる。
 一番驚いたのは牛を交配させる場面。決して自然交配させるのではない。雌牛 と雄牛が交尾をしようとするまさに時に、人間が介入して試験管の中に射精をさ せる。そして顕微鏡を覗きながら活力のある精子だけを選び、人工授精させる。 それによってはじめて美味しい肉を市場に安定して供給できるんだそうだ。また もっと驚いたのは出産である。自然分娩ではない。帝王切開で仔牛を取り出す (日本ではあまりなく、ヨーロッパなどで行われているそうだ)。
 その他にも豚肉や鶏肉、魚に野菜、果物などがいかにして作られていくのかが ナレーションもなければ音楽もなく淡々と映し出されていく。ショックと言えばショッ クだったし、「命をあんなふうに扱っていいのか?」と批判したくもなるが、でも私 自身あのようにして「作られた命」を毎日頂いて生きているのも事実だ。ゲイハル ター監督は私たちにこの映画から一体何を感じ取って欲しいと願って制作したん だろうか?
 もう一つ印象に残る場面がある。ところどころに、その命が作られていく現場 (工場・農場)で働く人びとの食事風景が映し出されている。そこには笑顔もなけ れば、会話もない。むしろ憮然とした表情で、もくもくと食べているような気がす る。正直構成上なくてもいいとも思えるが、なぜか印象に残る。あの場面を通して 監督は何を伝えたいのだろうか?
 普段何気なく食べている食事。生産の過程でどんなにテクノロジーが駆使され ようとも、一つの命であることには変わりない。また、その命を私たちまで届けて くれる人たちがいる。普段中々その現場を知ることはない。でもたとえ映画を通し てでも現実を見ることによって、何かを考え、何かが少しでも変わるような気がし た。是非観てみてください。
08年5月28日(水) 「『ごくせん』と教育格差B」
 かつて私たちの教団は差別を肯定し積極的に温存・助長してきた歴史がある。 被差別者に向かって「差別されるのは前世の業である。諦めなさい。今はお念仏 を称えなさい。そうすれば来世では差別のないお浄土に往生することが出来ま す」と説いてきた。つまり仏教の教えのもとに「諦め」やその場限りの「癒し」を説く ことで、社会の矛盾を覆い隠し、被差別者の怒りや差別解放の願いまで奪い取 り、差別制度(身分制度)を維持する役割を果たしてきた歴史がある。
 それと同じように、格差拡大という厳しい現実を無視したところで、観念的に 「NO.1にならなくもいい」「みんな違っていい」と説くことは、かえって問題の本質 を見えにくくし、矛盾を拡大させてしまうのではないか?まさに宗教がアヘン となってしまいかねえない。
 これまでの同朋運動は、「信心さえ頂けば差別はなくなる」といった信心第一主 義を否定し、「差別の現実からの出発」を掲げてきた。現実を無視した教えは教 えではない。まず現実と向きあい、それを教えに問い聞いていくことの大切さを学 んできたはず。「格差社会」という新たな「差別社会」が作り出されようとしている 現実に、私たち念仏者はどのように向きあっていくのかが今問われている。
08年5月27日(火) 「『ごくせん』と教育格差A」
 数年前、スマップの『世界に一つだけの花』という歌が大ヒットした。「NO.1にな らなくてもいい。もともと特別なONLY1」という歌詞の曲。中仏に通っていた頃、 「あの曲は真宗の教えをご縁として作られたものだ」と聞いたことがある。『仏説 阿弥陀経』に出てくる「青色青光・黄色黄光・・」=「お浄土には車輪のように大き な蓮の花が咲いていて、青い蓮の花は青い光を放ち、黄色い花は黄色い光、赤 い花は赤い光、白い花は白い光を放ちながら、どの花も綺麗に咲いている」とい う箇所を参考にして作詞されたんだと。私も含め中仏生皆、どこか誇らしげに興 奮しながら聞いていた記憶がある。雅楽の笙や竜笛で演奏している生徒もいた。
 また最近、童謡詩人の金子みすずさんが注目されている。みすずさんといえ ば、山口県長門市仙崎の出身で、真宗門徒の家に生まれ、小さい頃はよくお祖 母ちゃんの手を引いてお寺参りをしていた。その時にお説教で聞いた仏教の教 えが、あのような素晴らしい詩の原点になっているんだと言われている。あのみ すずさんの代表作「私と小鳥と鈴と」の中に「みんな違ってみんないい」という言葉 が出てくる。確か東本願寺(真宗大谷派)の運動のスローガンにもなっていた。
 このスマップの『世界に一つだけのうた』も金子みすずさんの「みんな違ってみ んないい」という言葉も私はすごく好きだ。たまに法話などでも引用させてもらう。 でも最近、ちょうっと疑問に思うようになった。本当にこのまま使っていてもいいん だろうかと。もちろん歌の歌詞や詩の言葉が悪いんじゃない。それらを安易に引 用している私自身の姿勢に、疑問を抱くようになった。
08年5月26日(月) 「『ごくせん』と教育格差@」
 今、土曜の9時から『ごくせん』というドラマが放映されている。仲間由紀恵扮す る熱血先生やんくみ≠ェ落ちこぼれ$カ徒たちと真剣に向きあい、段々と 心を開いていくという古典的な学園ドラマだ。現在版「水戸黄門」との評判どおり 勧善懲悪を描いた痛快なドラマで、あのキムタク主演のドラマよりも視聴率がい いんだそうだ。実は私もハマっている。
 ところがこの『ごくせん』に対して精神科医の和田秀樹さんが雑誌のコラム(『日 経ビジネスアソシエ』6月3日号)で苦言を呈しておられる。例えば、前々回かその 前の回の放送だったと思うが、進学校に通うエリート″mZ生たちが、夜、覆 面を被り鉄パイプを持って「世直し」と称して大人を襲撃する。それに対してヤ ンクミ≠竍落ちこぼれ$カ徒達がやっつけるというシーンがある。それに対し て和田さんは、あたかも「秀才=悪・不良=善」のように描いている設定に疑問を 呈される。
 この和田さんの意見に対して今、賛否両論、ネット上で議論になっているとい う。「『ごくせん』は不良を助長する作品」「不良は圧倒的に悪い奴が多いだろ」と 賛同する意見もあれば、天下り官僚や悪徳弁護士を引き合いに出しながら和田 さん非難する意見もあるという。
 ところが和田さんが指摘したいのはそんな問題じゃないという。和田さんが問題 にしているのは「学力低下がみられる時代で、勉強できない子が『人間性がしっ かりしていればいい』と勉強しないことを正当化してしまうこと」だと。「このような 番組は勉強ができない人間の価値観を強化し、ますます格差を広げる結果にな りかねない」と。「20〜30年前なら社会的に意味のある番組だったかもしれませ んが、時代によってテレビのあり方が変わらなければいけないということです」と 仰る。
 なるほどと思う。確かに、勉強が苦手という理由だけで落ちこぼれ≠セとか ダメな子≠ニいったレッテルを貼られ、辛い思いをしている生徒は多い。だか らこそ「勉強が全てでない。人間いかに生きるかだ!勉強が出来なくても立派に 生きている大人は一杯いる」と励ますような学園ドラマも作られるのだろう。しか しそれは一歩間違えると和田さんが指摘するように「勉強などしなくてもいい」とい う誤まったメッセージになりかね得ない。特に現在のように親の経済格差が子ど もの学力格差となり、それがそのまま将来の子どもの所得格差につながっていく ような時代に、「勉強などしなくてもいい」というメッセージは、益々格差を拡大さ せることになりはしないだろうか?
08年5月25日(日) 「軍隊の訓練と学校教育」
  昨日の朝日新聞だったか、広島のある私立高校が新入生研修として自衛隊基 地で訓練≠体験させていたという記事があった。生徒に規律を守らせるた めの教育の一環だという。
 違和感を覚える。記事にもあったが、軍隊というところは上官の命令には絶対 服従である。兵士に余計なことを考えさせずに、命令に忠実に従う兵士を生み出 すのが軍隊の訓練である。そんなところで子どもの教育が出来るのだろうか?
 米軍では入隊間もない兵士に対して、命令に服従するロボットにするために、 徹底的に兵士の人格を破壊するような扱いをするという。例えば、兵士は常にブ ーツをピカピカにしていなければならないという決まりがある。少しでも汚れてい れば教官から怒鳴られ、腕立て伏せなどの罰が与えられる。兵士達は訓練と食 事の僅かな時間を見つけては必死になってブーツを磨く。ときには早朝4時に教 官に叩き起こされ、ブーツの点検が始まることも。ブーツが汚れているとの理由 で、雨が降る中窓からブーツを投げ捨てられることもある。なぜそんな酷いことを 行うのか?特に意味はないという。敢えて言えば兵士の自尊心を叩き潰すため にやるんだそうだ。米軍では暴力は禁止されているので直接手は出さないが、そ の代わりに精神的に追い詰めていく。最初に自尊心・人格を破壊してしまえば、 あとが楽だからという理由で(『ルポ 貧困大国アメリカ』より)。
 まあ、先生の言うことを素直に聞く生徒ばかりなら、先生にとってこれほど楽な ことはないだろうけど、でもそれは教育じゃない。
08年5月22日(木) 「宇宙基本法成立のねらい」
 宇宙の軍事利用に道を開く「宇宙基本法」が衆・参合わせてわずか数時間の 審議を経ただけで、自民・公明・民主の賛成によりで成立した(5/21)。
 基本法が成立する原点となった「政産官」一体の勉強会「日本の安全保障に関 する宇宙利用を考える会」について毎日新聞が報じている。その勉強会から出さ れた提言から今回の基本法の目的が垣間見れる。
 まず一つは北朝鮮や中国の弾道ミサイルに対抗するため。これは分かりやす い。国民の理解も得やすい。しかしこれはあくまでも一つの、それも表向きの理 由に過ぎないと思う。本当の目的は、記事にもあるように通信など、今後自衛隊 の海外派兵を進めていく上での環境づくりだと考えられる。そしてもう一つの理由 は産業界からの要請だろう。三菱重工やIHIなど航空宇宙産業各社が参加して いたというように、宇宙開発・軍需によって利益を得ようとする経済界の意向が 強く働いているんだと思う。これが一番怖い。アメリカでは軍需産業を設けさせる ために、米軍が定期的に世界のどこかで戦争をしているんだと言われるぐらいだ から。もし日本の企業も戦争で設けようと考え出したとしたら世も末である。
08年5月20日(火)  「『ルポ 貧困大国アメリカ』を読むA」
 「落ちこぼれゼロ法」。その中にこんな一項があるという。「全米のすべての高 校は生徒の個人情報を軍のリクルーターに提出すること。もし拒否したら助成金 をカットする」と。
 2003年に始まったイラク戦争では、既に4000人以上の米兵が戦死しており 3/24)、慢性的な兵士不足に頭を悩ます米軍では、一部を民間の軍事会社に 委託できるものの、若い兵士の確保が急務となっている。
 そこで米軍がどうしたかというと、全国の高校から提出された生徒の個人情報 の中から、「なるべく貧しい将来の見通しが暗い生徒たち」を選び出し新たなリス トを作る。そしてそれを元にリクルーターたちが生徒たちの携帯に電話をして直 接勧誘するんだそうだ。
 リクルーターが勧誘するときに提示する条件には大きく分けて5つあるという。 @大学の学費を国防総省が負担する。A好きな職種を選ぶことができ、入隊中 に職業訓練も受けられる。B「良心的兵役拒否権」の行使が可能。C戦地に行 きたくない場合は予備兵登録が可能。D入隊すれば兵士用の医療保険に入れ る。そして、若者たちの入隊希望理由の8〜9割が@の「学費免除」だという。
 学歴社会であるアメリカでは、大学卒と高卒では就ける職業には雲泥の差が あるという。しかし2001年の同時多発テロ以降、アメリカ政府が「テロとの戦い」 の名の下に進めた社会保障・教育費削減政策によって大学の学費が値上がりし たため、貧困家庭の子どもが大学を卒業することは益々困難になっているとい う。それに目を付けたリクルーターたちが、貧しい高校生たちをピンポイントで狙 って勧誘している。実際に、イラク戦争開戦後米軍がリクルートした新兵の数は2 1万2千人になるが、そのうちの3分の1は高校を卒業したばかりの生徒だとい う。
 ある高校の教師はこう言っている。「この法は子どもたちを苦しめ、落ちこぼれ をむしろ増やし、教育機会と引き換えに軍に入隊させる経済的徴兵制でした」と (『週間東洋経済』5/17号)。
 (参考)貧困家庭の子どもの他に軍が積極的に入隊を奨励する層として、同時 多発テロ以降取得が困難になったアメリカの市民権の取得を願う移民層を挙げ ることができる。実際に2003年末時点における米軍現役兵士のうち、約3万7 401人がアメリカ市民でないという。先ほどの大卒・高卒の差と同じように、市民 権を持っているのといないのとでは就ける仕事にも大きな差が出てくるという。
08年5月19日(月) 「朝鮮半島・台湾出身のBC級戦犯」
 朝鮮半島や台湾出身の元BC級戦犯への保障を盛り込んだ議員立法が国会 に提出されるという(5/19)。武力で朝鮮や台湾を併合し、徹底的した同化政策 の下、創始改名など彼らから民族のアイデンティティを奪い取り、あげくの果てに は侵略戦争の片棒まで担がせる。そして戦後は日本人ではないとの理由で補償 もしない。また故国に帰ったら帰ったで「日本軍への協力者」として排除される。 私たち日本人は一体彼らにどれだけの苦しみを強いてきたのだろうか・・・?
08年5月17日(土) 「『ルポ 貧困大国アメリカ』を読む@」
 『ルポ 貧困大国アメリカ』(堤未果著・岩波新書)を読んだ。新自由主義のもと 教育や医療、戦争などあらゆる分野で「民営化(小さな政府)」や「競争至上主 義」が導入されていくアメリカ社会。そんな社会の中で人びとはどのように暮らし ているのか?衝撃のルポである。常にアメリカの後を追う日本にとっても決して 無関係ではないと思う。
 アメリカでは2002年春、公教育の荒廃や国際的に見た学力の低下を背景に、 教育現場に競争システムを導入することで、サービスの質を上げ、学力の向上 を図ることを目的に、「落ちこぼれゼロ法」というのが施行される。具体的には、 日本と同じように「全国一斉学力テスト」が義務化され、テストの結果によって学 校への助成金に差をつけ、ダメ≠ネ学校は廃校にまでなることもあるという。 また教師に対しても、クラスの点数が悪ければ降格や免職が待っている。危機 感を持った学校や教師が努力することによって、子どもの学力の上がり、結果的 に国力も上がるという考え方である。今、日本の教育現場でも同じようなことをや ろうとしている。
 ところが現実はそう甘くはない。結果次第で教師のクビがかかるため、テストで は様々なインチキ(問題の横流し・回答の改ざんなど)が横行する。また勉強の 出来ない生徒に対して「明日のテストには来るな!」といった電話が教師からか かってくることもあるという(まさに今日本でも同じことが起こっている)。「落ちこ ぼれゼロ法」とは名ばかりで、市場原理を導入した教育改革によりかえって落第 生が急増し、学校を追われる生徒が増えているのが実態だという。
 ところが、「競争システムがサービスの質を上げ、学力の向上が国力につなが る」というこの改革、実は本当の目的は別な所にあると言われている・・・
08年5月16日(金) 「先住民族(アイヌ)」
 北海道選出の超党派の議員が、洞爺湖サミットを契機に、「アイヌ民族は先住 民族である」とする国会決議の採択を目指して活動を始めたという(5/15)。政府 は、アイヌを先住民族として認めれば土地や資源の保障を含めた権利主張が頻 発し対応できなくなるとの理由で消極的だという。
 いつも思う。学校の教科書で子ども達に「北方領土は日本固有の領土だ!ロ シアはけしからん!」と教える前に、「北方領土も含めて北海道には元々アイヌ 民族が暮らしていた。それを私たち日本人が入植し、彼らの土地を奪ってきた歴 史がある。そして現在でも差別したり、彼らの存在を無視するかのように日本 は単一民族国家だ≠ニ言う人がいるんだ」と教えるべきである。まずそれが筋で ある。自分(日本)のことは棚に上げておいて他人(ロシア)ばかり批判することは すごく恥ずかしことだと思う。
08年5月15日(木) 「無防備地域宣言」
 今、自治体に「無防備地域」宣言の条例制定を求める運動が静かに広がって いるという(5/14)。宣言の根拠は、ジュネーブ条約追加第一議定書にある「紛争 当事国が無防備地域を攻撃することは手段のいかんを問わず禁止する」という 規定にある。これまでに22の自治体で請求されたがいずれも議会の反対で否 決されているという。
 でもすごいことだと思う。まさに憲法9条の精神を体現しようとする動きだと思 う。武力を使わずに平和を守るにはどうすればいいか?それを一人ひとりが考 え、そしてまず行動に移していくことが大切なんだろう。
08年5月13日(火) 「憲法=国家に対する命令書」
 「君が代」斉唱時に起立しない教師に対する東京都教育委員会や広島県教育 委員会による非道な処分・強制は報道でよく耳にするが、他の県はあまり報道も なくどんな状況なのかと思っていら、毎日新聞の記事に京都府の現状が報告さ れていた。
 85年に文部省が都道府県別の「君が代」斉唱の実施率を発表した時には、京 都府は沖縄県に継いで低かったという。ところが国旗・国歌法が成立した99年 以降は実施率がほぼ100%を達成しているという。疑問を抱きつつも現場の先 生の中には「議論しても実りがないから余計なことは言っても仕方ないという雰囲 気」が漂い、「周囲に迷惑をかけたくないという気持ちもあり、仕方なく立つことに している」という教師がほとんどなんだそうだ。
 諦めと同調主義・・・権力は常に国民の心を支配しようとする。そして人の心は 簡単に支配されてしまう可能性がある。でもだからこそ憲法に「思想・信条の自 由」が保障されているのだろう。憲法は国民からの国家権力に対する命令書で ある。国家権力による暴走を食い止める最後の砦なんだろう。それなのに改憲 派は「憲法には権利ばかりで、義務が書かれていない」と言いふらし、その論に、 昨今の個人主義的な風潮に危機感を抱く人びとが頷いてしまう・・・
08年5月12日(月) 「臓器移植」
 インドが、脳死者からの臓器摘出を本人の意思に関係なく家族の同意だけで 可能になるよう法律を改定するという(5/12)。その背景には、闇で横行する臓器 売買(事件)がある。他人を騙して臓器を摘出するとか、貧困者をターゲットにお 金で臓器を売買するなどが社会問題となっている。そこで法律を整備し合法的に 臓器の供給量を増やすことで、闇取引が減り、またこれまで救うことが出来なか った命も救うことが出来るようになる、一石二鳥の法改定だという。
 日本でも!という声があるに違いない。でも何かがひっかかる。もちろん臓器 移植によって救われる命はある。臓器の供給量を増やすことで臓器売買などの 不正も減るだろう。法律(システム)をしっかり整備すれば貧富の差に関係なく誰 でもが平等に移植を受けることも可能となるだろう。でもやっぱりひっかかる。脳 の機能は停止したといえまだ心臓が動いているのにそれを他人が死≠ニ認定 するしてもいいのだろうか?家族ならいいのだろうか?臓器を他者から移植する ことに何か問題はないのだろうか?人間の驕り?執着?でも自分や自分の子ど もがもし他人の臓器を必要とする立場になったらやっぱり移植して欲しいと願う だろう。
 中々答えの出ない問題である・・・・
08年5月11日(日) 「まずお前が・・・!」
 今、土曜日の夜八時から「ルーキー」というドラマが放映されている。ベタな学 園ドラマなんだけど、なぜか毎回視てしまう。昨夜の番組で、主人公の先生が仲 間のことを信じられず一人意固地になり、寂しくしている生徒に向かってこう言 う。「自分のことを信じて欲しいなら、まずお前が相手を信じろ。自分のことを大 切にして欲しいなら、まずお前が相手を大切にしろ」と。今さら殊更取り上げて驚 くこともない当然の言葉だけど、何か心に残った。お念仏の教えにも、また9条の 精神にも通じるような気がした。
08年5月9日(金) 「9条世界会議」
 ゴールデンウィーク中に幕張メッセで開催されてていた「9条世界会議」が大成 功のもとに終わった(5/9)。特に世界中のNGOから9条に対して高い評価が送 られたという。この戦争と殺戮の世界にあって、9条は日本人の誇りであり、平和 を求める世界の人びとの希望なんだろう。9条を守り、その精神をあらゆる分野 でいかしていければと思う。
08年5月8日(木) 「保守の変化?」
 中国の胡錦濤国家主席が訪日している。餃子事件やチベット問題などもあり訪 日に反対する声も各方面から上がっている。先日大阪を歩いていたら街宣車が 「訪日反対!」を訴えかけていた。意外だったのは、「日の丸」ではなく「チベット の旗」を掲げながら「チベット弾圧反対!」と訴えかけていた。日本の「保守」とい えばどしても国粋主義的な主張(「日本民族が一番優秀なんだ!」みたいな主 張)ばかりしているというイメージがあったが、意外と世界に目を向け、マイノリテ ィの権利を主張・擁護するんだな〜と驚きをもって聞いていた。新聞などを読んで も、保守系の知識人や政治家などもチベット問題に対して抗議している。一体 「保守」の中で何が起こっているのだろうか?どうせならミャンマー政府による住 民弾圧や米軍によるイラク進行、その他世界中で起きている弾圧や差別に対し ても抗議の声を上げて欲しい。
08年5月7日(水) 「『死刑』を読むB」
  死刑囚が刑の執行まで接することの出来る人は非常に限られるという。家族や 弁護士、そして拘置所の看守もそうであるが、もう一人教誨師をあげることがで きるという。取材の中で、著者は一人の教誨師(キリスト教の牧師)にインタビュ ーをしている。
 インタビューの中でその教誨師さんは、「刑執行前の死刑囚は皆、自分の罪と しっかりと向きあい、心が透き通った状態になっている。人間は変わることが出 来るんだ」と仰る。それに対して著者が「そんな気持ちになった人を吊るす必要 があるのですか?」と問いかける。また著者は「もし刑場にイエス・キリストがいた ら、どうすると思いますか?」と質問する。しばらくの沈黙の後、牧師さんは「(イエ スなら)暴れるかもしれない」と答える。「やめろ!いい加減にしなさい!」と。そし て「ボクは、できることなら教誨師を辞めたい」と仰る。「でも辞めない理由は?」 と訊かれて、牧師さんは「最後に送って欲しいと言う死刑囚の方が今はいま す。・・・僕がもし彼らの立場だったら、やっぱり誰かにいて欲しいと思うから」と答 える。ちなみにこの教誨師さんは刑場に向かう死刑囚を最後に思いっきり抱きし めてあげるんだそうだ。
 かなりギリギリの質問だったと著者自身も言っている。でもなぜ敢えてそのよう な質問を著者がしたのかというと、「教誨を拘置所から任命されているT(教誨 師)は、死刑という制度(システム)を下支えするひとり」だからだと言う。そして「さ らに言えば、僕も含めて今この本を読んでいるあなたも、やっぱりこの制度を下 支えしているシステムのひとつの要素なのだ。だからこの質問は、自分自身に対 しての問いでもある」と言う。
 この国に死刑制度がある限り、私も含めて誰しもが「国家によって一人の人間 の命が奪われること(死刑)」とは無関係ではおれないんだろう。だからこそ、目 を逸らさずに考える必要があるんだろう。
08年5月6日(火) 「こどもの日」
 こどもの日の5日、山口県岩国市で「日米親善デー」が開催され、親子連れなど 全国から20万に以上の訪れたという(5/6)。いつも思う、なぜ小さな子供に戦 争の道具≠見せるのだろうか?もしかしたら目の前を飛んでいる戦闘機がイ ラクの人びとの頭上に爆弾を落としたかもしれないのに・・・。地元岩国市では、 艦載機の受け入を巡る問題や米兵による暴行事件などもあり、市民は複雑な気 持ちで今回のイベントを迎えたという。そんなイベントに子どもを連れて行き、喜 ぶ顔を見たいと思う親の気持ちがわからない。すごく悲しくなる。
08年5月2日(金) 「『死刑』を読むA」
 死刑制度存置の理由の一つに犯罪抑止効果がある。死刑制度があることが 凶悪犯罪の抑止につながるのだと。しかしこれに関しては何のデーター的な裏づ けもないという。それどころか、デンマークやオランダ、カナダ、スウェーデンなど 死刑制度を廃止した国では、廃止後の方がむしろ殺人事件が減少しているとい うデーターがある。また、州によって存置・廃止に違いがあるアメリカでは、殺人 事件のパーセンテージが高い20州の内18州が死刑存置の州であり、殺人事件 の多い20市の内17の市が死刑を実施している州にあるというデーターがあるら しい。もちろん死刑制度を廃止したら直ぐに凶悪事件が減るとは一概には言えな いが、少なくても死刑制度による抑止効果はないという。その他冤罪や誤審の可 能性を考慮すると、死刑自体に論理的な整合性は全くない。論理的には廃止さ れるべきだと著者は言う。
 ところがそれにもかかわらず実際には8割以上の国民が死刑制度を肯定して いる。その理由はどこにあるのか?論理でなければ情緒だと著者は言う。「ひと つは社会秩序の安定への希求、そしてもうひとつは、遺族の応報感情への共 振」だと。
08年5月1日(木) 「命に国境はない=v
 昨日、イラクでボランティア活動を続けておられる高遠菜穂子さんの講演を聞く 機会があった。講演を通して、現実を直視することのしんどさ≠改めて実感 した。映像を交えながらの講演からは、普段日本のマスコミでは絶対に伝えられ ることのないイラクの現状や戦争の悲惨さがこれでもかというぐらい私たちの前 に突きつけられてきた。
 講演を聞きながら「平和」ってなんだろうか?と改めて考えた。ブッシュ大統領 がイラクやアフガニスタンで戦争を始めたのも「平和」のためだろう。また今の日 本が年間何兆円もの軍事費を費やしながら守ろうととしているのも「平和」だろ。 また遠くイラクまで自衛隊を派遣して実現しようとしているのも「平和」だろう。また 様々な矛盾から目を逸らし憲法9条の条文だけを守ろうとするのも「平和」運動に なるんだろう。
 でも昨日確信した。そんなの「平和」ではないと。「平和」な時代の「平和」な国に 暮らす私たちの妄想≠ノ過ぎないと。私たちの思い込みに過ぎなかったと。現 実を知らない者に「平和」を語る資格はないと。
 昨日の講演はたくさんの門徒さんも聞いてくださった。おそらく戸惑い、ショック を受けられた方も多かっただろう。でもあれが戦争の現実なんだろう。そして現 実を知ることからしか、平和へ向けた本当の歩みは始まらないんだろう。そういう 意味でも昨日の講演会は私たちにとって大きな一歩になったと思う。
08年4月29日(火) 「本当の豊かさとは・・・?」
 昨夜、『世界まる見えテレビ』を視た。その中で、南太平洋のボツワナ共和国の 人がイギリスでホームステイするという番組が紹介されていた。豪華な食事、近 代的な建物を前に毎日が驚きの連続。ところが段々と陰≠フ部分が見えてく る。
 例えば、街中にはホームレスがたくさんいる。しかし人びとは見向きもせずに通 り過ぎていく。それを知ったボツワナ人は、「なぜみんな無視するんだ?ボツワナ では、家のない人がいたら皆で家を建ててあげる。全てのいのちが尊い。だから 困っている人がいたら皆で助け合うんだ」と疑問を投げかける。また、イギリスで は自分のペットを美容院に連れて行き、人間のように大切に扱っている。いつも 家畜の世話を仕事とするボツワナ人がそれを見てこのように言った。「イギリス の人は本当に動物を大事にする。素晴らしい。私もボツワナに帰ったら自分の 家畜を大事にするよ。だから君達ももっと周りの人を大切にしてくれ」と。
 本当の豊かさってなんだろう?改めて自分自身に問い返さずにはおれなかっ た・・・
08年4月28日(月) 「『死刑』を読む」
 『死刑』(森達也 朝日出版社)を読む。なぜ著者が「死刑」をテーマとした本を 書こうと思ったのか?それは私たちが「死刑」について何も知らないからだとい う。裁判で死刑判決が下されるのは知っている。また多くの国民が「厳罰化」を望 み、特に8割以上の国民が「死刑制度」を肯定している。しかしそこから先のこと はあまり知られていない。確かに法務省や拘置所の方針により、「どのように死 刑が執行されるのか」「死刑囚がどのように死刑を迎えるのか」などほとんど私た ちの元には情報が伝わってこない。しかしそれをいいことに私たち国民もそれ以 上のことを考えることをしてこなかったのではないか?思考停止におちいってい たのではないか?と著者は言う。
 まず死刑について知ることから始める。そして、現実を直視することにではじめ て「存置」か「廃止」かの議論もできるのではないかと著者は言う。
08年4月26日(土) 「獅子身中の虫=v
 先日、布教団の研修会で行信教校の天岸浄圓先生から非常に興味深いお話 を聞く機会があった。今、宗教が一般社会とどのように関わっていくかが問題と なっている。天岸先生は、善導大師の『往生礼讃』に出てくる「安心・起行・作業」 のから、特に「起行」を中心に、【信心の行者の行動】についてお話下さった。
 「起行」とは、他力によって浄土往生が決定した(安心)人間がどのように生き ていくか?その実践のこと。具体的には、天親菩薩の『浄土論』に示された五種 の行、礼拝(門)・讃嘆(門)・観察(門)・作願(門)・回向(門)を指す。前の3つ は、身・口・意の三業を持って常に阿弥陀仏を自らの価値の中心に据えて生きて いくということ。「作願」とは、阿弥陀仏の浄土を究極の人生の目的として生きて いくこと。「回向」とは、自分ひとりで浄土に向かって生きていくのではなく(自利)、 阿弥陀仏から頂いた功徳を他の人にも振り向け(利他・伝道)、皆共に浄土に向 かって生きることを願うこと。
 この「起行」がこれまで真宗学の中で非常に軽視されてきた。確かに親鸞聖人 の書物の中にもこの「起行」に関する記述は少ない。しかしそれは当時の時代背 景などから「安心」の部分をまず強調せざるを得なかったためであり、決して「起 行」を軽視したのではないと。むしろ「起行」は当時の人びと(仏教徒)からすれ ば、敢えて書くまでもない当然のことであったんだと。ところが、時代が下るにつ れて、「安心」ばかり注目され、「起行」が疎かになり、信心の社会性≠ニして何 か行動を起こそうものなら「それは自力だ!」と批判されるまでになってしまった と。
 しかし天岸先生は、本当に阿弥陀仏を尊いと思った者が、仏を目指して生きて いこうと決意した者が、仏に悲しい思いをさせてもいいのか?何もしないのは本 当は如来に感動していない証拠だと仰っておられた。「仏・法・僧」の三宝をかけ がえのない宝として、それを価値の中心として生きる者こそ仏教徒≠ニ言うん だと。
 昨年は承元の法難から800年の節目の年であった。しかし法難は現在でも続い ているという。今、世間では「僧侶とは大人しいもの。仏教とは死んでからのも」と いう考え方が根付いている。あれは作為的な宗教弾圧≠セという。権力者、特 に徳川家康が宗教を骨抜きにしてしまったんだと。そして何よりもの「法難」は、 宗教弾圧が現在も続いているということにすら気づかない私たち僧侶(念仏者) の中にあると最後に仰ったのが印象的だった。
08年4月25日(金) 「『彩花がおしえてくれた幸せ』を読むC」
 親鸞聖人は、『教行信証』の中で、他力回向の信心によるアジャセの救いを明 らかにされた。
 決して「罪」が消えてなくなるわけではない。自らの「罪」と向かい合い、生涯そ れを引き受けて生きていく。同時に、他人の苦悩を自らの苦悩とし、他人の喜び を自らの喜びとして共に生きていく。そんな新たな人生の目標に向かって生きて いくこと、それが彩花ちゃんのお母さんが願う本当の更生≠ノつながるってい くんじゃないだろうか?
 でもそれは何度も言うように、加害者の少年、一人では無理なんだと思う。 様々な人の有形無形の支え・願いがあってはじめて少年による更生が始まるん だと思う。そういう意味でも、本当に私たちが被害者遺族の悲しみに共感すると 言うなら、「厳罰にしろ!死刑にしろ!」ではあまりにも無責任過ぎはしないだろう か?
 浄土真宗の教えは「共にいのち輝く世界」である。被害者(被差別者)も、その 遺族も、そして加害者(差別者)も共に輝くことのできる世界。そんな世界を目指 して、一歩一歩あゆみを進めていくのが私たち念仏者の使命なんだろう。
08年4月23日(水) 「『彩花がおしえてくれた幸せ』を読むB」
 お釈迦様の大きなお心に触れたアジャセは、自らの中に無根の信(他力回 向の信心)≠ェ生じたと言う。そして、それまで地獄に堕ちることを怖れていたア ジャセは、「自分と同じように「罪」におののき、苦しみもがいている人びとが大勢 いる。もしその人びとの苦悩を取り除くことができるなら、私はたとえ地獄の底に 堕ちようとも後悔はない」と言う。
 このアジャセにとっては、決して自らが犯した「罪」が消えてなくなったわけでは ない。しかし無根の信≠得ることによって、アジャセは自らの「罪」と向かい 合い、生涯それを引き受けて生きていく覚悟ができたのだろう。そしてなおかつ、 「他人の苦悩を自らの苦悩として、共に生きていく」、そんな今まで思いもよらな かった新たな使命、少しでも仏様のお心に沿うような生き方をしていこうという新 たな人生が彼の前に開けてきたのだろう。
08年4月22日(水) 「『彩花がおしえてくれた幸せ』を読むA」
 「王舎城の悲劇」によって父親を殺害したアジャセは、その後もマガダ国の王と して君臨し、その類まれなる才能により世界にその名を轟かせる。
 そんなある時、アジャセの息子が「癰(よう)」という病気を患う。放置すれば死 にも至る病気で、治療する方法は患部に溜まる「膿」を丁寧に吸い出すしかな い。それを知ったアジャセは自らの口で息子の「膿」を吸い出してあげる。それを 見た母親(イダイケ)が「あなたもお父さんと同じことをするんですね」と言った。幼 少の頃、アジャセも同じような病気になった。その時に、父親のビンビサーラ王も アジャセの「膿」を吸い取ってあげたことがあったという。それを知ったアジャセ は、子を思う親の愛情の深さに気づき、父親を殺害したことを後悔し始める。そ の後、アジャセは自らが犯した罪の意識に苛まれ、苦しみもがくことになる。
 そんなアジャセに家来のギバが「あなたの病気を治すことが出来るのは、この 世でただ一人、お釈迦様だけです」と進言する。その時、お釈迦様はすでに涅槃 に入ろうとされていた。しかしお釈迦様は「アジャセの為に涅槃に入らず」と仰り、 アジャセが訪ねてくるのを待っておられた。そして、アジャセが訪ねてくると、彼に 向かって「もし、アジャセに罪があれば、諸仏にも罪がある」と仰った。つまり「お 前の罪は、私の罪である。お前の苦しみは、私の苦しみである」として、アジャセ の苦悩に寄り添っていかれた。その仏の大きなお心に触れたとき、アジャセは変 わっていく。
08年4月21日(月) 「『彩花がおしえてくれた幸せ』を読む@」
 『彩花がおしえてくれた幸せ』(山下京子著 ポプラ社)を再読した。著者の山下 京子さんは、今から10数年前、「酒鬼薔薇聖斗」と名のる少年によって「彩花」と いう最愛の娘の命を奪われたお母さんである。
 あの山下彩花ちゃんには当時中学生になるお兄さんがいた。彼も京子さんと同 様、あの事件によって大きな心の傷を負ったという。そんな彼が二十歳になった 時、それまでずっと山下さん家族を支えてきたジャーナリストの東晋平さんと母親 に、「あいつ(加害者)の更生なんて、あり得へんと思う」「今さらまともな人間にな どなられてたまるか。一生、悪魔のままでのたうちまわればいい」と言ったとい う。それに対して東さんは「でも、悪魔のままなら、自分のやったことで苦しまない だろ?」「本当の苦しみを背負ってもらうためには、彼に人間になってもらうしかな いとは思わないか」と問いかけたという。また京子さんも「本当の意味で償っても らうには、やったことの重さを背負ってもらわんとあかん。だから、私は加害者に 人間の心を取り戻してほしい・・・それは許すこととは違うんです。許すなんていう ことは、絶対にできないことやから」と答えたという。
 親鸞聖人は『教行信証』の中で「世の中に二種の正しい法があって人びとを救 う。一つは「慚」であり、二つは「愧」である。「慚」とは、自ら二度と同じ罪をつくら ないと決意すること。「愧」とは、他人に自分と同じ愚かな「罪」をつくらせないよう にすることである。また「慚」は自ら羞恥することであり、「愧」は「罪」を包みかくさ ず人びとに告白することである。また「慚」は人に羞じ、「愧」は天に羞ずることで ある。これを「慚愧」という。「慚愧」のない者は人とはいわない、畜生と名づける べきである」と『涅槃経』の文言を引用しながら、父親殺しのアジャセの救いを明 らかにしていかれる。
08年4月20日(日) 「平等とは?」
 関西では橋元大阪府知事の話題で連日もちきりである。確かに莫大な借金を 減らしていくことには何の異論もない。でも何でもかんでも減らせばいいというも んじゃないと思う。借金してでも政府や公共機関が守らなければならないものは あるはず。特に弱者に対するセーフティーネットは絶対になくしてはならないんだ と思う。小泉改革以来、「自己責任だ」とか「官から民へ」、「小さな政府」など耳障 りのいい事ばかりが叫ばれるが、その陰で痛み≠押付けられ、苦しんでい る人がいることは絶対に忘れてはいけないんだと思う。
 「皆で平等に痛み≠分け合うんだから平等でいいじゃないか!」という人が いるが、違うと思う。同じ100円の我慢をするのにも、月収10万円の人と、月収 100万円の人とでは痛み≠ヘ全然違う。それこそ前者が100円の痛み≠セと すると、後者はその十分の一、10円の痛み≠ナ実質的には済んでいることに なる。所得税などの累進性を緩和して、消費税として皆から平等に5%の税金を 徴収しようとするのも同じ構造である。全ての人が同じ痛み≠受けるわけで はない。
 それこそ削るべきものはたくさんある。高級役人の天下りであるとか、防衛費で あるとか。また、税金だって取るべきところは他にもっとあるはず。平等であるこ とが必ずしも平等であるとは限らない。
08年4月19日(土) 「関係ないことない」
 「イラクにおける航空自衛隊による活動は憲法違反である」という判決に対し て、自衛隊の幹部がお笑い芸人のギャグを使って「そんなの関係ない」と発言し たという。今回の判決に対しては、下品な発言をしている政治家もいるらしいが、 自衛隊の幹部の発言としてはちょっと問題じゃないの?隊員の気持ちを代弁し たとは言っているが、軍人≠ェ「司法判断・法律・憲法など関係ない」と言って しまったら、シビリアンコントロールも何もかもなくなってしまう。
08年4月18日(金) 「空自イラク派遣は憲法9条違反!!」
 画期的な判決が出た。航空自衛隊のイラク派兵の差し止めを求めた訴訟で、 名古屋高裁は原告らの訴えを棄却したものの、その活動は憲法9条第1項に違 反する行為であると判断した(4/17)。当然と言えば当然であるが、歴史に残る 判決になるだろう。政府はこの判決を真摯に受け止め即時自衛隊をイラクから 撤退するべきである。
 ある自衛隊の幹部が今回の判決を聞いて「イラクに派遣されている隊員やそ の家族が可哀そうである」と発言したという。しかし本当にそうだろうか?多くの 隊員や家族はどこかでホッとしたのではないだろうか?バクダッドでの空輸活動 は非常に危険を伴い、自衛隊員に極度の緊張を強いているという。また、アメリ カの言いなりになって、恒久法や憲法9条を改悪して地球の果てまで自衛隊を派 兵させようとする政府の動きにストップをかけた今回の判決を歓迎している隊員 や家族も多いと思う。
 判決理由の要旨はコチラ
08年4月17日(木) 「水平社宣言」
 昨夜、NHKの『その時歴史が動いた』で「全国水平社結成のとき」を放映してい た。「水平社宣言」はこれまで何度か読んだことはあったが、あの時代に「水平社 宣言」が宣言されたことはすごい意味を持っていたのだとあらためて知った。
 当時、被差別部落の人びとは周りの人からいわれなき差別を受けると同時に、 被差別者自身の中にも「差別されるのは自分に責任がある」と考える人もいた。 被差別部落に生まれた自分自身を恥ずべき存在、否定すべき存在と考える人 がいた。また、その考え方の延長線上で、差別者の中にも「差別の原因は被差 別者にあるが、でも被差別者が可哀そうだ、気の毒だ」と同情する人もいた。「被 差別者が差別される原因を少しでも改善できるよう手伝ってやろう」と考える人が いた。いわゆる融和運動である。
 しかし、それに対して「水平社宣言」を起草したといわれる西光万吉さんは、そ のような融和主義をきっぱりと否定した。「差別の責任は差別者にあるんだ」「自 分自身を卑下することなく、人間として誇りを持って生きていこう」「同情などによ って差別はなくならない」「被差別者自身が自らの力で差別解放を目指して闘お う」「人間は本来尊敬されるべきものである」と宣言したのが、「水平社」であり「水 平社宣言」であった。
08年4月16日(水) 「善良な市民=v
 「放送倫理・番組向上機構」(BPO)が山口県光市の母子殺害事件をめぐる一 連のテレビ報道について「感情的に制作され、公正性・正確性・公平性の原則を 逸脱している」などとする意見を発表したという(4/18)。本当に当時の番組は酷 かった。世論を扇動するテレビの怖さを思い知った。
 私の周りでも多くの人が被告や弁護人に対するバッシングを強めていた。その 時にいつも聞いた台詞は「遺族の気持ちを考えてみろ!死刑は当然だ」というも のだった。でも本当にそうだろうか?本当は自分自身が被告や弁護人を許せな かっただけじゃないの?でも自分の意見として「被告を死刑にしろ!」と言うこと に対しては、どこか後ろめたさがある。善良な市民≠フ口からは「悪いやつは 吊るしてしまえ!」なんて言えない。そこであたかも遺族に同情している振りをし ながら「ほら、遺族が死刑を望んでいるじゃないか!」と主張する。それによって 責任を全て遺族に負わせ、自分は安全な所から高みの見物、好き放題なことを 言う。そんな雰囲気が漂っていたような気がする。
 もうすぐ裁判員制度がはじまる。私たち法律の素人が死刑か否かを判断する 時代がやってくる。憲法が9条が改悪して日本を戦争の出来る国≠ノしようと する動きがある。そんな時代だからこそ、マスコミはもちろん私たち市民も今回 の件をしっかりと検証し、教訓としていかなければならないんだろう。
08年4月15日(火) 「甘い言葉には裏がある」
 「犯罪を抑止しテロを防止するために街中の至る所に監視カメラを設置する」 4/14)。「住民のプライバシーを守るために、ビラ配りを制限する」(4/11)。「周 辺住民に迷惑になるからホテルの宿泊を拒否する」(4/15)。一見するとどれもな るほどとも思えなくもない。でも何かもっと大切なものを私たちは自ら捨て去ろうと しているんじゃないだろうか?
08年4月14日(月) 「いのちのモノ化」
 今週の言葉:「いのちを モノ化していくところに いのちの 尊さはありません」
 陸上自衛隊練馬駐屯地で開かれた第1師団創立記念式典に出席した石原都 知事の挨拶に腸が煮えくり返るような思いである(4/13)。私には、彼が自衛隊員 に向かって「この国のために死ね!」と言っているようにしか聞こえない。まさに いのちを自分によって役に立つか立たないか、いのちをモノとしか見ていない人 間の発言である。もし本当に自衛隊員の日ごろの活動に感謝しているなら「私は 政治家として絶対に戦争はおこさせない。体を張ってあなたたち(自衛官)を守 る!」って言えよ!
08年4月10日(木) 「政教分離違反」
 先日名古屋高裁で画期的な判決が下された(4/8)。石川県白山市の市長が地 元の神社の行事に出席し祝辞を述べていたことが、憲法で定められた政教分離 違反に当たるとして、一審の判決を覆し、訴えを起こした住民側の逆転勝訴を言 い渡した。またその後、実はこの神社の奉賛会の役員として、この市長だけでな く、石川県の谷本知事や金沢市長も顧問に名を連ねていたことが分かったという 4/9)。
 別に神社や神道を否定するつもりはない。でもなぜ憲法20条に政教分離規定 が定められているのか?せめて知事や市長になるならそれぐらい知っておくべき だと思う。どうせ今の憲法はアメリカから押付けられた位にしか思っていないんだ ろうけど、決してそうじゃない。戦前・戦中の日本の政府が神道という宗教を利用 することで、国民を抑圧・支配し、更には近隣諸国にまで多大なる被害をもたらし た、そういう歴史的事実に対する反省から今の規定が定められたんだと思う。そ のことが少しでも頭の隅にあれば、こんな愚行はできないはずなんだけどな・・・
 でもおそらく全国にはこんな事例は一杯あるんだと思う。自治会と神社が一体 化しているなど。だからこそしっかりと学校を含めて過去の歴史を学ばなければ いけないんだろうけど、最近は都合の悪い歴史は隠そうという傾向がある。
08年4月9日(水) 「改憲版・9条の会」
 超党派の国会議員191名が参加する「新憲法制定議員連盟」(会長:中曽根康 弘元首相)。3月4日に開かれた総会で、今後の運動方針として「拠点となる地方 組織づくり」を目指すことが確認されたという。中曽根会長は「各党の府県支部に 憲法改正の委員会をつくり、全国的な網を張っていくことが私たちの次の目標。 そしてできれば超党派の全国的な国会議員、地方議員の連合の会をできるだけ 早期につくりたい」と発言し、また愛知和男議員同盟幹事長は活動方針の説明 の中で「われわれと正反対の勢力、『九条の会』と称する勢力が、全国に細かく 組織作りができておりまして、それに対抗していくにはよほどこちらも地方に拠点 を作っていかねばなりません。そこが今後の活動の大きな焦点となる」と強調し、 「各党支部や青年会議所などに頼んで拠点になってもらうことも一つかと思う」と 提起したという。つまり改憲派も「改憲版・9条の会」をつくるということだろう。
08年4月8日(火) 「賛否逆転」
 読売新聞の調査によると憲法改定「賛成派」と「反対派」の数が十数年ぶりに 逆転し、「反対」が僅かではあるが上回ったという(4/8)。ここ数年「反対派」が少 しずつ増え続けていたという。憲法改定を積極的に主張してきた読売新聞の調 査だけに、今回の結果は、賛成派にとってはショックだろうし、反対派にとっては 大きな希望となるだろう。
 個人的な意見だけど、憲法改定問題に関しては、しっかりと情報を発信し、議 論さえ重ねれば、大概の人は「改定する必要はない」と思ってくれるのではない だろうか?ただ勢い≠竡ミ会全体(?)の雰囲気≠ゥら「賛成」と言っている 人も多いんだと思う。わざわざ新たなリスク(=戦争に巻き込まれるかもしれな い)を背負ってまでも今の憲法を変える必然性が見当たらない。少なくても一般 の国民にとっては。本気で変えたいと思っているのは、一部の「日本が大好き (?)」な保守系の人びとや、多国籍企業や軍需産業の経営者・株主ぐらいじゃな いのかな・・・
08年4月7日(月) 「大乗仏教の精神」
 仏教には小乗仏教と大乗仏教がある。小乗とは「小さな乗り物」、大乗とは「大 きな乗り物」という意味。
 昔、ある村に一人の修行者が来た。修行者は「自分の修行の成果を見せてや る」と言うと、村人たちに水の入った大きな釜と薪を準備させた。そして、グツグツ と煮立ったその釜の中に自ら入っていったという。普通の人なら大火傷するとこ ろが、修行者は平気な顔をしながら入っていたという。そして釜から出てきた修 行者は、今度は村のお寺の住職さんに向かって「お前にこれが出来るか!?」と 訊ねたという。すると住職さんは「出来る」と答え、村人たちに家から水を持ってく るように頼んだ。そしてその水を釜の中に注ぎながら、ちょうどいい湯加減になっ たときに、服を脱いで入り、「ああ、いい湯じゃ。さあ、皆もワシと一緒に入ろう」と 言ったという。
 小乗仏教とは、自らの悟りを目指して一人出家し、修行しながら仏に成っていく 教えである。だから一人乗りの小さな乗り物でも十分である。一方、大乗仏教 は、全ての人が平等に救われていく教えである。性別や年齢、能力、体力など関 係なく救われていく教えである。だから小さな乗り物では足りない。みんなが一緒 に乗ることの出来る大きな乗り物が必要である。そこから大乗仏教と呼ばれるよ うになったんだろう。
 ちなみに日本の仏教は真宗も含めて大乗仏教である。一方、スリーランカやミ ャンマーなどに伝わった仏教をこれまで「小乗仏教」と呼んできた。でも最近はど っちが「大乗」で「小乗」か分からなくなってきたような気がする。人びとの信頼を 失い、どんどんと廃れていく日本仏教とは対照的に、僧侶が先頭を切って人びと のために立ち上がり、皆で共に歩んでいこうとする南方系の仏教が世界の注目 を集めている。
08年4月5日(土) 「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ、=v
 なぜ浄土真宗(仏教)は「世界宗教」と言えるのか?世界宗教とは、「いつでも、 どこでも、だれでも」という普遍性を持った宗教だという。例えば、ユダヤ教や日 本の神道は特定の民族だけに限られた宗教なので「世界宗教」とは呼ばず、「民 族宗教」と呼ぶ。
 阿弥陀仏の救いには「いつでも、どこでも、だれでも」という普遍性があるとい う。真宗の教えとは、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることによって阿弥陀仏に救 われていく教えである。しかし、その念仏は、決して私の意思や努力によって称 える「自力の念仏」ではない。阿弥陀仏のはたらきによって与えられた「他力の念 仏」である。
 もし「1回でも多くの念仏を称えれば称えるほどいいところ≠ノ生まれる」とい う教えなら、もし「心を清らかにして称えれば称えるほどいいところ≠ノ生まれ る」という教えなら、その教えは普遍性を持たない。なぜなら私たち人間はそれぞ れ性別も違えば年齢も違う。能力も違えば、心持も違う。だからそれでは「救わ れる人」と「救われない人」という差が必ず生じてくる。
 ところが、浄土真宗の念仏は、阿弥陀仏から全ての人に平等に与えられた「他 力の念仏」である。その念仏には差が生じることはない。だから性別や能力、心 持ちなど関係なく全ての人が平等に救われるのである。だからこそ浄土真宗(仏 教)は「いつでも、どこでも、だれにでも」という普遍性を持った「世界宗教」と言え るのだろう。
 この平等の救いを説いた「世界宗教」たる仏教が、この格差と差別、殺戮と戦 争の世の中で果たす役割は限りなく大きいんだろう。仏教徒として、念仏者とし て、そのお手伝いを少しでもさせていただこうと思う。
08年4月4日(金) 「『親鸞の仏教と宗教弾圧』A」
 信仰を見失った宗教者ほど性質の悪いものはないと著者は言う。「信仰を見失 った宗教者は、世俗以上に世俗的になることがあります。もともと世法には縛ら れていない上に、仏法を無視してしまうことで、自らを律するものがなにもなくなっ てしまうからです」(本文より)と。著者は、『教行信証』の「後序」に出てくる「主上 臣下、法に背き義に違し」の「臣下」、つまり当時の旧仏教の僧侶達のことを指し て言っているんだが、私には現在のある教団のことを言っているようにしか思え ない。
 その教団では、仏教教団(サンガ)とは名ばかりの上意下達的な教団運営が行 われていることは言うにおよばず、今では世俗の常識となりつつある情報公開も 不十分であれば、教団運営上の失敗に対しても誰も責任を取ろうとしないとい う。こういう教団を「信仰を見失った宗教教団」というのかも知れない・・・
08年4月3日(木) 「そんなつもりはなかった・・・」
 映画:『靖国』上映中止問題、思っていたよりも批判の声が上がりはじめホッと した。でも一番驚いているのは問題の発端となった自民党の稲田朋美議員では ないだうか?「そんなつもりはなかった」と火消しに躍起だというが、たとえそうで も責任は重いと思う。政治家として言論の自由が本当に大切だと思うなら、朝日 新聞の社説ではないが、自らが先頭を切って自主上映をするぐらいのことはして もらいたい。
 でも今回の件で、かえって靖国神社のイメージが悪くなったんじゃないの?靖 国神社=政治圧力、街宣車、言論統制・・・
08年4月2日(水) 「『親鸞の仏教と宗教弾圧』を読む@」
 『親鸞の仏教と宗教弾圧』(藤場俊基著 明石書店)を読んだ。今年は親鸞聖 人が越後に流罪になって801年目の年になるが、なぜ専修念仏教団は弾圧を受 けのか、またその弾圧に対して宗祖はどのように向きあわれたのか、これまでに ない新たな視点から述べられている。
 著者によれば、『教行信証』の「後序」から、親鸞聖人が「承元の法難」をどのよ うに捉えておられたかが分かるという。なぜ専修念仏教団が弾圧されたのか、よ く私たちが真宗史などの授業で聞いたのは、男女間のスキャンダル説(松虫・鈴 虫など)である。しかし著者はそれはきっかけであって、事件の本質ではないとい う。
 「承元の法難」に関する記述がある「後序」には、宮中の女官の名前はおろか 安楽や住蓮という名も出てこない。挙げられているのは、「処罰の責任者として 「太上天皇諱尊成」(後鳥羽上皇)と「今上天皇諱為仁」(土御門天皇)の二人、そ して処罰された者としては「真宗興隆の大祖源空法師(法然)だけです。そのほ かに・・・・「関連する者として「興福寺の学徒」と「ならびに門徒数輩」、そして「予 はその一なり」と自分自身を挙げています。親鸞はこれだけを関係者としてあの 事件を見ているのです」(本文より)。
 つまりこのことから分かることは、なぜ弾圧されたのか、その理由は、お念仏の 教え(真実の教え)を広めたかであり、お念仏の教えに出偶い、その教えに生き たからなんだと。つまり「真宗興隆」そのものが弾圧されたんだと著者は言う。
 「首が飛ぶ念仏」とはどのような教えなのか?お念仏の教えに生きるとはどいう ことなのか?「親鸞聖人750回大遠忌」を間近に控え、あらためて考える必要が あるんだろう。
08年4月1日(火) 「言論・思想・信条・良心の自由」
 映画「靖国」の上映が相次いで自粛されているという(4/1)。実際に抗議活動を 受けた映画館もあれば、抗議を怖れて上映を中止した映画館もあるという。
 東京都教育委員会が卒業式の「君が代」斉唱の時に起立しなかった教員20名 を処分したという(3/31)。
 中国や北朝鮮に「民主主義が根付いていない!」「言論の自由がない!」など とこの国に言う資格はもはやない。
08年3月29日(土) 「沖縄に対する差別」
 大江健三郎さんが書いた『沖縄ノート』(岩波書店)の記述に誤りがあるとして争 われていた裁判で、大阪地裁は原告側の主張を退け、沖縄での集団自決に軍 の関与があったことを明確に認める判決を出した(3/28)。当然だと思う。
 今朝の朝日新聞の社説などを読んでいると、今回の裁判がどのような目的を 持ち、誰によって起こされたのかが見えてくるようだ。公判の中で、原告の元隊 長は、今回問題視された『沖縄ノート』を、裁判が始まるまで読んだことはなかっ たと証言したそうだ。また、原告側は、沖縄における集団自決を、「国のために 殉じるという「美しい心」によって起きたものである」と主張したという。以上から も、今回の裁判が「再び戦争の出来る国を作ろう」という動きの中で起こされたこ とは明らかだと思う。
 でももっと許せないのは、「集団自決は無理心中である」とか「遺族が遺族年金 欲しさにデタラメを言っているんだ」と主張することによって犠牲者の死に泥を塗 り、その遺族の感情を逆なでするようなことを平気でしたことだ。本来、保守とい うのは排外主義的な傾向は確かにあるが、それでも同じ同胞を大切にする、労 わるという優しさを根底に持ち合わせているんだと思う。それなのになぜ沖縄の 人に対してこんな仕打ちをするのだろうか?沖縄の人は「日本国民ではない」と でも言いたいのだろうか?その根底には沖縄に対する差別意識があるのかも知 れない。
08年3月28日(金) 「文化的虐殺=v
 文科相は改定した学習指導要領で、音楽の時間に子どもに「君が代を指導す る」という文言から「君が代を歌えるように指導する」と訂正したという(3/28)。保 守派議員からの圧力や、子どもが学校に通う親世代からではなく、なぜか50代 以上を中心とした国民から多数寄せられた意見を参考にしたという。
 自分の子どもが学校で「君が代」を歌うように指導される。考えただけでも身の 毛がよだつ。私にとっては中国政府によるチベットに対する「文化的虐殺」と同じ ぐらい屈辱的なことだ。
08年3月27日(木) 「ある総代さんの人生」
 昨日あるお寺の総代さんとお酒を飲んだ。その総代さんはもう84歳になり、戦 争にも行っているが、まだまだ本当に元気である。この方、お寺のこともすごく大 事にして下さっている。ウチの家は代々浄土真宗だ。戦争に行く前、父親が本願 寺に連れて行ってくれ、そこで帰郷式を受けた。当時本願寺では、兵隊には「釈  忠○」というように「忠義」の「忠」の一字を付けていたと教えて下さった。また、 戦争中、敵の弾が飛んできたとき、ワシは「天皇陛下万歳」とか「お母さん」とか 叫ばなかった。手を合わせて「ナマンダブツ」とお念仏を称えたんだと。また、こ の総代さん、ウチの家には神棚はない。以前、地域の神社から伊勢神宮の大麻 が配られてきたけど、ウチは浄土真宗で、神棚もないので丁重に扱えない。折角 祈祷してくれている大麻を粗末に扱ってしまったら罰が当たる!と言って丁重に お返ししたと仰っていた。さすが一寺の総代さんだなと思いながら聞かせていた だいた。
 また戦争当時のことも話して下さった。この総代さんは、今の大阪城にあった 旧陸軍の基地で高射砲を撃っていたという。戦争というのは、殺すか殺されるか の世界である。敵を殺さなければ自分が殺される。だから軍隊ではいつも人殺し の訓練をしていた。また軍隊では上官の命令は絶対である。上官は若い兵士を 蹴飛ばし殴り飛ばしながら体で何でもかんでも覚えさせていたんだと。当時の若 い兵隊は、今の若者と比べて目つきからして全然違っていた仰っていた。
 酔った勢いで口が滑らかになったのか、色々話して下さった。今の憲法はアメ リカが押付けたものだ。アメリカは日本の「大和魂」が怖かったんだ。だから二度 とそのような精神を持たないように憲法で縛りをかけたんだと。
 この総代さんの話、半分納得できない部分もあったけど、実際に戦争を体験し た人でしか話せないことや、戦争や軍隊の本質などを的確に語って下さり、私自 身すごく勉強させていただいた気がする。
 今度は大阪のミナミに飲みに連れって行ってくれるいう。「朝まで飲むぞ!」と 言っていた・・・
08年3月25日(火) 「小泉マジック」
 ある調査によると、親が小学生5、6年生にかける1ヶ月の教育費は、中学受験 をしない家庭で1カ月1万1698円、受験をする家庭は4万6931円になるんだ そうだ。10年前と比べて、前者は横ばい、後者は4431円増えているという(3/ 24)。
 「勝ち組・負組み」=「頑張って者が報われる社会」=「自己責任」=「格差社 会」という言葉が叫ばれる中、子どもの将来を案じる親の悲鳴が聞こえてきそう である。まあ、それでも教育費に月に4万円以上のお金を出せる家庭はまだマシ なのかも知れない。
 一方で、現在の「市場経済至上主義」=「競争社会」に疲れ果てた人びとの声 も聞こえ始めてきた。ある調査によると、「終身雇用」を支持する人の割合が4年 前の調査に比べて8.1ポイント上昇し、86.1%になったという(3/24)。
 結局、「勝ち組」に入れるのはほんの一部の人で、その他大多数は現状のまま か、より貧しくなっていく。それが現実なんだろう。やっと私たちは「構造改革」= 「小泉マジック」から覚めようとしているのかも知れない。
08年3月23日(月) 「殺されることなかれ 殺すことなかれ=v
 イージス艦事故や一連の不祥事を受けて、自衛隊に対して「これで国を守れる のか?」「綱紀粛正を!」という声をよく聞く。でも私は個々の自衛隊員にはこう 言いたい。「国を守る気概など持たなくていい」と。「適当にやってくれればいい (漁船に衝突してもいいという意味ではない)」と。もし戦争になりそうなら「直ぐに 自衛隊を辞めてくれていい」と。玉が飛んできたら「敵前逃亡と言われてもいいか ら、一目散に逃げてくれていい」と。「絶対に命を落とさないで欲しい。そしてその 手で誰の命も奪わないで欲しい」と言いたい。
 もしそれで頭の上に爆弾が落ちてきたら、これまでの自分の怠慢や愚かさを嘆 き、自業自得だと思って諦めるしかないんだと思う。少なくても「敵」に攻められる ような国(政治)を作った私(大人)のために、自衛隊員(若者)が血を流す必要 はない。
08年3月26日(土) 「チベット弾圧」
 中国政府によるチベット弾圧。中々情報が入ってこない。テレビで報道される 映像といえば、市民や僧服を着た人たちが商店のシャッターを蹴っている姿だ け。新聞や報道番組の見出しも「チベット(ラサ)暴動」。何か中国政府が言うよう に「一部の暴徒が暴れている」ようなイメージを持ってしまいそうである。
 でも、今、チベットには外国の報道機関は全く入れないという。またいつも流れ る映像は中国政府系のTV局から配信された映像。実際には市民や僧侶による あのような抗議行動が起こる前には前段階があったという。平和裏にデモや集 会を開催していた所に、警察が乗り込み、暴力を振るい、逮捕し、拷問する。そう いう背景があってあのような行動につながったんだと。
 それを日本のマスコミは、中国政府にとって都合のいい映像だけ流し続け、事 件の背景などを詳しく伝えようとしない。なぜだろう?


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