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コラム 9.「イヤイヤ期が与えてくれるもの」 

 今年度の始めにイヤイヤ期は自立期だという事を書きましたが、今回はイヤイヤ期が親に与えてくれる影響について書いていきたいと思います。

  イヤイヤ期に入る前、自我が芽生える以前の時期は、子どもが素直にこちらの言う事を聞くのがほとんどでした。ところがイヤイヤ期を迎えると、そうはいかなくなってきます。子どもの自我の芽生えは子ども自身にとって大切なことですが、実は、親にとっても人間として成長できる大きな機会となります。

  親は一人の人間であり、子どもも一人の人間です。この「人間と人間」という対等な関係として捉えた時、「親が言う事を聞かせる関係」と、「子どもから言う事を聞いてもらえる関係」のどちらが望ましいでしょうか。
  「言う事を聞かせる関係」は自分が上の立場で相手は下の立場にあるという上下関係で成り立ちますが、「言う事を聞いてもらえる関係」は相手に対する尊重と感謝、そして信頼感がないと成り立ちません。「この人の言う事なら大丈夫」という信頼があるからこそ、主体的に言う事を聞くのです。
 「言う事を聞かせる」というのは「相手の行動を、こちらの意思で決定する」という一方的な関わりですが、「言う事を聞いてもらえる」のは、「相手の行動は、相手の意思をもって決定される」という、相手を尊重する心が前提にあります。相手の行動は相手が決めるのですから、ここでは「言う事を聞いてもらえる」というのは「頼み事を聞いてもらえる」と同義になります。こちらが相手に頼み、相手がこちらに応えるという、双方的な関わりです。
 例えば、子どもに玩具の片付けをしてほしいとしましょう。片付けたいのは、こちらの欲求です。ですから、子どもに「この玩具を片付けてもらえる?」とお願いをします。そして片付けてくれたら「ありがとう」とお礼を言います。こちらの言う事を聞いてくれたのですから、それに対してきちんと感謝をします。もし子どもが片付けてくれないのなら、自分で片付けてもいいのです。子どもが出した玩具であっても、片付けたいのは自分の欲求なのです。自分の欲求は、他者に押し付けるものではありません。そこがわかっていると、自分が玩具を片付ける事になったとしても小言や文句は出てこなくなります。
 「それは違う。子どもが出したのだから、子どもが片付けるのが当然だ」という考えの方もいるでしょう。それはそれで一理あります。しかし、それでは信頼関係は成り立ちません。血のつながった親子であっても信頼関係が無いという例は少なくありません。信頼は、血ではなく関わり方によって作られます。「怒られるから言う事を聞く」という心の状態では信頼関係にはならないのです。大人から怒られるということは、子どもにとって拒否や否定をされるのと同じような意味を持つことが多々あります。自分の命を守るはずの大人から拒否される、捨てられるかもしれない、そういった恐怖感から信頼が生まれることはありません。恐怖で子どもを支配しようとする大人は、将来子どもが自立し自分の命を自分で守れるようになった時にしっぺ返しを食らう事を覚悟しておかなければなりません。

 子どもが主体的に言う事を聞くというのは「この人なら大丈夫だ。この人の言う事なら聞こう」という、相手を信頼した心の状態にある時です。行動として片付けをする姿は同じでも、心の状態として「言う事を聞く」のと「言う事を聞かされる」のはまったく意味の違う事なのです。

 私は自分の娘が0歳の時に、私が持っている物を娘が黙って取ろうとしても「これ、パパのだよ」と言って渡しませんでした。しかし0歳の子どもであってもそのような関わりを続けていると、次第に私の持っている物を触りつつもこちらの目を見てくるようになりました。この時に「これ欲しいの?」と尋ね、この時に「欲しい」という応答の様子があれば「いいよ」と言って渡します。そうして娘が私の物を勝手に使うという事は無くなりました。逆に私が子どもの持ち物を使いたいと思う時は、必ず「これ使ってもいい?」と聞き、許可がもらえた時だけ使わせてもらいます。
 自分の物と人の物の区別がつくことを「自他の区別がついている」と言います。自他の区別は家族間の関係であっても大切です。むしろ家族だからこそ、相手の領域に勝手に侵入しないことが大切です。相手の領域を尊重できることが信頼関係を作っていきます。
 家庭は社会の最小単位です。家庭への信頼は、そのまま世間への信頼となります。家庭への不信はそのまま世間への不信となり、子どもが社会的な道徳観や倫理観に従うかどうかに関わってきます。家族間で自他の区別をつけて相手を尊重できるかどうかは、子どもの成長にとても重要なことなのです。

 育て方の手法は色々と紹介されていますが、結局は手法よりも心の在り方によるのです。子どもを尊重する心のある人は、自然と子どもを尊重した行動をとります。「親から愛されなかった人は、自分の子どもを愛せない」と言われますが、これは心の中に本来得られるべき愛が存在しないために、愛のある行動として表わすことができない状態です。愛は許しであり、無意識の自己犠牲です。大人になってからでも、他の人から愛されることで我が子を愛せるようになる事はあります。他の人から愛されない場合は、自分自身で愛することで解決が図れます。自分自身で、自分を許すのです。

 大切なのは手法ではなく、育てる人の人格と心の在り方です。子どもは、育てたように育つのではなく、育てた人のように育つのです。上下の関わりで育った子は、将来も周囲との人間関係を上下でとらえるでしょう。敬意と感謝をもって関わられた子は、将来も周囲の人に対して敬意と感謝を持てるでしょう。関わる側にいる大人の心の在り方で子どもの将来が変わります。

 イヤイヤ期は、親自身に自分の心の在り方を気付かせてくれる時期でもあります。「どうにかして言う事を聞かせよう・コントロールしよう」ではなく、「この子にはこの子の意思があるのだから、言う事を聞いてもらえない事があるのは当然のこと」と気付き、言う事を聞いてくれる事にむしろ感謝できるようになってくると親自身が人間として成長できます。子どもに対しての傲慢がなくなり、誠実さが身に付きます。すると、社会生活上での人間関係も上手くいくようになっていきます。なぜかと言うと、身内に対しての関わり方がもっとも難しく、関係が遠くなればなるほど関わり方が簡単であるからです。身内への関わり方が上手にできるようになるという事は、同時に他の人間関係も上手にできるようになっているという事なのです。
 「アイツは子どもが生まれてから丸くなったな」という言葉が時折聞かれますが、これは傲慢がなくなり、子育てにおける「できない事、思い通りにならない事」の経験を通して他者をも許せるようになったからです。許せるようになるという事は、人としての器が大きくなるという事です。子どものイヤイヤ期を通して親としての器が大きくなることで将来の第二次反抗期も不必要なトラブル無く乗り越えられ、そして親子関係はより強固な信頼関係で結ばれ、子ども自身も社会に希望を持って巣立っていけるようになるのです。

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