2015.1 新版

 藤沢目次総目次


新しい本(2010.5〜)

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(2015.1 記)

笹沢 信著 
2014.4.6 死去されました  

『藤沢周平伝』

白水社 2013.10.5 3240円

著者
1942〜2014年、山形大学文理学部卒。山形新聞社に入社、主に文化欄を担当。
1998年退社、出版社「一粒社」を立ち上げる。
1994年、小説集『飛島へ』(深夜叢書社)で山形市芸術文化協会賞、
2013年『ひさし伝』(新潮社)で真壁仁・野の文化賞、山形市芸術文化協会特別賞受賞。

著者 「あとがき」より
 私は山形新聞に昭和40年から平成10年まで(1965〜1998)在籍し
 藤沢周平氏が「オール讀物」新人賞に応募を始めたのが昭和39年、亡くなったのが平成9年(1964〜1997)だから、
藤沢氏の活躍を同時進行で眺めてきたことになる。たびたび原稿を依頼したこもある。

【目次】

  [目次]
 はじめに
 第一章 乳のごとき原郷       第二章 結核療養所は大学
 第三章 死と再生の季節       第四章 「溟い海」で遅い船出
 第五章 負から正のロマンへ     第六章 老いと人生の哀感
 第七章 失われた世界への共感    第八章 有終へ
あとがき/藤沢周平略年譜       主要人名索引/藤沢周平作品索引

【この本の特徴 など】

■つねに故郷に向いていた藤沢さんと その故郷に住み「山形新聞」の新聞記者として 藤沢さんを見つめ返していた。二人は 〈故郷を、故郷から〉という位置にいた。

■新聞記者時代(1965(s40)〜1998(h10))に文化欄担当記者として著者は藤沢さんに原稿を依頼していた。(藤沢さん1997年死去)

■著者は、あとがきで「活字になっている資料だけを使い、読者が追体験できる方法をとったとあります。
 これは、ジャーナリストらしいありかただが、藤沢さんの身近にいてこ そ知りえたこと、経験、エピソードも読みたくもあります。

■ほんとうにすごい本です。ひょっとすると、この本が私のホームページで藤沢さんのことを書く最後になるかもしれません。この本が最後になる のは嬉しくもあります。

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(2012.12 記)
 

藤沢周平/徳永文一著  

『甘味辛味〜業界紙時代の藤沢周平』

文芸春秋社(文庫) 2012.12.10 570円

 藤沢さんが 結核のために教師に再就職できず東京の業界新聞社に勤め、
直木賞受賞後 退職するまでの15年間の歴史と
藤沢さんが 食品新聞に書かれた文章と徳永文一氏の書いた業界紙の歴史。
*
 この時代のことは、藤沢さんのエッセイや他の人の書かれた文章で 少し読むことができたが、
この本がいちばん詳しいとおもう。購入したい本です。


 共著の徳永文一氏の略歴
昭和26(1951)年、長野県生まれ。文筆家。東京教育大学文学部卒業後、
読売新聞社入社。社会部記者、論説委員を経て退職(紀伊國屋WEBより)

 本書によると、氏は読売新聞に在職中、「小菅先生と教え子たち」という連載をしたことがあるそうです。

【目次】

 ■「甘味辛味」のこと 文春文庫編集部

 ■甘味辛味----藤沢さんが「日本加工食品新聞」の一面下のコラム「甘味辛味」に連載したものから抜粋したもの (朝日新聞の「天声人語」にあたるもの)
     1 専門記者の目    2 世相つれづれ
     3 経営を考える    4 時代を切る
     5 生活者として    6 商いの心
     7 人間考       8 故郷を思う
     9 作家として

 ■業界紙時代の藤沢周平  徳永文一

 業界紙時代の藤沢さんのエピソードなどをかつての同僚・業界の人々を取材した力作です。初めて知ることがたくさんあり、興味深い評伝です。

【とくに興味をもったこと ふたつ】

■プロ野球チーム「日本ハム」に関連して
 このホームページを作成しているときに、北海道日本ハムは、「アメリカで野球をしたい」という剛速球を投げる青年をうまく説得して日ハムと契約することに成功した。(2012.12.9)

 食品会社「日ハム」の創業者、プロ野球「日ハム」の初代オーナーは、故・大社 義規(おおこそ)氏である。彼は、すぐれたオーナーとして、また熱心な野球ファンとして知られていた 。
 藤沢さんは、食品新聞の編集者として、大社氏に取材し、ふたりは知り合い、交流が続いたといわれている。大社氏は、藤沢作品を全て読破すると熱心なファンであり、藤沢さんは大社氏の伝記を書いたと言われている。

 そのことが、藤沢さんのエッセイにも徳永氏の文章にも出ている。


■徳永文一「小菅先生と教え子たち」(読売新聞連載記事)から 本書234ページ
 〈要約〉鶴岡市の主婦の長浜さんは、結核で療養中の病院のベットで ラジオを聞いていたら、なつかしい名前を聞いた。「藤沢周平さんが直木賞を受賞した」と報道していた。ラジオは、「鶴岡市の出身で、本名は小菅留治」と紹介した。
 長浜さんは、「あれ、小菅先生のことではないか。先生は小説を書いていたんだ」と思った。結核で休職してから22年目。
 長浜さんは、新聞に掲載された住所をたよりに手紙を書いた。

 「おめでとうございます。私は旧姓尾形ですが、わかりますか」。そして、結核で入院していること、病院のベットで先生の受賞を知ったとなどを書き添えた。


 するとまもなく、先生から封書が届いた。
 -----------手紙は長浜さんを驚かせます。
 -----------私も驚きました。私も藤沢さんと同じように、教師でした。しかし--------。 

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(2011.12 記)

藤沢周平/著  

『初つばめ〜「松平定知の藤沢周平をよむ」選』

実業之日本社 2011.12.15 619円

これは、新手の商売だ。
10の藤沢作品が収録されている。いずれも各出版社の既刊の小説である。
それを集めて一冊の新刊本にしたてたものだ。
が・・・

【目次】

 「驟り雨」   「遅いしあわせ」   「運のつき」
 「泣かない女」 「踊る手」      「消息」
 「初つばめ」  「夜の道」      「おさんが呼ぶ」
 「時雨みち」

 「江戸の豆知識」4話  「初つばめ」江戸町歩きマップ

  松平定知「解説」


この本は、・・
【巻末より】「チャンネル銀河」というテレビ番組で、2011.4月 から2012.1月放送で紹介された10篇を収録したオリジナル短篇集です。
各短篇は『藤沢周平全集第三巻』(文藝春秋刊)を定本としました。
          *オリジナル短篇集ってどういう意味かな。まぎらわしい書き方です。
           作品はオリジナルではありません。
          *各篇の出典を『・全集・』とくくってしまわずに、
           単行本名を記入して欲しい。【「初つばめ」『夜消える』(文春)】


好きな作品
 藤沢さんの作品はどっちかというと、武家もの・伝記ものより市井ものがすきです。
 上で「既刊の作品を寄せ集めた新手の商売・・」なんて書きましたが、私のお気に入りの作品が たくさんあります。【「初つばめ」 「遅いしあわせ」 「踊る手」  「夜の道」・・・】

 藤沢さんが初めてとの人には、『夜消える』をすすめていましたが、この本もいいなあと思っています。


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(2011.5 記)

藤沢周平/著 澤田勝雄/編『藤沢周平 とっておき十話』 


大月書店 2011.4.20 1500円

藤沢周平さんの作品だけではありません。
藤沢周平さんの奥様や娘さんの文章や編者の文などもあります。


少年時代、家族、教師時代、記者時代、作家人生、文学と政治などを語った、
インタヴュー・講演録などの未公刊原稿を収録。

和子夫人、長女・展子氏のエッセイ、貴重な写真などを織り込んで、
新たな藤沢周平像をつむぎ出す。
 〔大月書店 ホームページより〕

【目次】と【出所】
序章 夫として、父として   
 ハダカの亭主(妻・小菅和子)
  【『別冊文芸春秋』77.12月】
 父が望んだ普通の生活(長女・遠藤展子) 【初】

一章 とっておき十話 【「しんぶん赤旗 日曜版】90.5-7連載

一話 「社会学の大学」だった  
二話 いきなり「編集長の名刺」
三話 受賞の後先        四話 少年のころの「原風景」
五話 文学の魔性との距離    六話 恩師ふたりとの出会い
七話 腹ペコ 青春 文学    八話 父帰るU教え子との再会
九話 母親のこと 私の血筋   十話 時代小説には人生の哀歓が…
「十話」の余話  【上記 「とっておき十話」のための
          インタビューを再構成したもの 90.4】
   


二章 政治と文学

 史実と小説   【仙台市講演会 77.5】
 高村光太郎と斎藤茂吉―二人の作品と戦争の関係
         【セミナー講演 89.10】
 雪のある風景  【『月刊グラフ山形』 77.2】
 祝辞      【祝辞をもらった小竹氏 77.2】


三章 私のみた藤沢周平(澤田勝雄)
       知人の個人誌に掲載した「藤沢周平を語る」を再構成  

 訪問そしてインタヴューへ
 政治と政党の関わり
 又八郎と二〇年
 無名の人びとへの思い込め
 遺作『漆の実のみのる国』を読む
 作品の女性像にみるやさしさ
 魅力の原風景―詩人の眼


略年譜   初出一覧    編者あとがき


編者 澤田勝雄
 この本を手にとり、「はて、編者澤田氏とはどういう方だろう?」と思った。
奥付によると、「藤沢周平の親戚」とある。そして、『赤旗』(日本共産党の機関誌)編集局、42年、啄木・賢治学会員とある。

 他家のことを詮索するのは、失礼と思いつつ「どういうご親戚かな」と、本書を読んでみると次のようです。

 編者・澤田「私のみた藤沢周平」-訪問そしてインタビューへ/血筋から共産党員がでたか(153ページ)に
「(澤田氏の)祖母の父は、藤沢さんの母と兄妹、つまり、祖母と藤沢さんとは「いとこ」の間柄だった」とある。

 というわけで この本の「とっておき十話」は、親戚つながりを利用してできたといえるかもしれません。


「とっておき十話」と「「十話」の余話}
 『赤旗』編集局の澤田勝雄氏は、1990年に藤沢さんの自宅を訪問し、二日間、五時間余のインタビューをし、それを10回分にまとめました。 その草稿を藤沢さんが朱を入れ、『赤旗 日曜版』に十回連載されたものです。

 その記事に書ききれなかったインタビューは対談という形で 「「十話」の余話」として、この本に収録された。


 【とっておき】との書名だが、書かれているのは今までもエッセイなどに書かれた話題といってもよいでしょう。
  ただ、親戚関係のこと、結核治療・手術のことなどは初めて知ることも ありました。


 「あとがき」(203ページ)で、「この本は、・・・遠藤崇寿氏の寄稿、・・・」とありますが、遠藤氏の寄稿文は本書には見当たりません。

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藤沢周平『乳のごとき故郷』 

文芸春秋社 2010.4.15  1524円

「藤沢周平記念館」開館(2010.4.29)記念


 ふるさとを慕う心に染み入る名文の数々

生まれ育った庄内のこと、少年時代の鮮烈な記憶、
忘れがたき人々のへの思いなど、
自らの故郷“海坂藩” について描いたエッセイ48篇を集大成。
新聞書籍広告より

【出典 書籍】

『小説の周辺』文春  『周平独言』中公  『ふるさとへ廻る六部は』新潮
 『帰省 未刊行エッセイ集.』文春  『半生の記』文春


【目次】
 第一部  子供時代      村に来た人たち 他
 第二部  ふるさとの風景   日本海の落日  他
 第三部  忘れられない味   夜明けの餅焼  他
 第四部  父の血 母の血   横座のことと  他
 第五部  友と恩師      宮崎先生    他
 第六部  変わりゆく故郷   乳のごとき故郷 他

 〈詩 二篇〉 忘れもの  冬の窓から

 解題「悲しみの色」阿部達二
 出典一覧


     「解題」の最後の書体(フォント)について書かれたところにも興味を引かれた。

 このエッセイ集には游明朝体Rという書体が使われている。創り出したのは、「字游工房」の鳥海修氏、----- 「時代小説にふさわしい書体があるべきだ」と開発した。-------
 新書体の特徴は、漢字は点やハネの先端を丸くして易しい印象にし、 平仮名は漢字より小さめにした。これは肉筆に近づけるためだ。

 この書体は、『海坂藩大全』『帰省』に続く、三作目。「海坂明朝体」と呼びたい。------

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