2006.3 新版
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(2006.3 記)
『蝉しぐれ』単行本にするときに加筆
最後の場面・おふくと文四郎
「読売新聞」(2005.9.12)から要約編集 ■発見のきっかけ
「藤沢周平の世界展」(東京都世田谷文学館 05.10) 展示準備中に藤沢家に保存されていた生原稿を調査していて判明。■新聞連載小説には
秋田魁新報、山形新聞など地方紙に連載(1968〜) された時の最終回の生原稿には、お福と文四郎の告白シーンがなかった。■生原稿と単行本との照合の結果
最後の「馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た」という文章も含め、原稿用紙1枚分以上の加除訂正があった。■生原稿の図版
世田谷文学館では「藤沢周平の世界展」図録に、「蝉しぐれ」最終回の生原稿の写真と、単行本時の加除訂正個所を所収する。というわけで、
おふくさんの「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
文四郎の「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」
という、藤沢ファンがそらんじているせりふも産まれたかもしれない。約10年前、NHKテレビの「藤沢作品・・・」を語るという番組で、故・中野孝次氏がアナウンサー相手に上のせりふをすらすらととなえて、「よくも覚えていますねえ」との感嘆の声に自慢げな顔をして笑っておられたのをいまでもおもいだします。
単行本化されてない13編 発見
「ウエブ asahi.com」(2006.1.11)から要約編集 ■発見のきっかけ
藤沢 文学記念館(故郷の山形県鶴岡市が開設準備中)のために、長女遠藤展子さんが、資料の整理中に掲載雑誌を点検し、単行本になってない作品を発見した。単行本化されてない作品の存在は従来から藤沢さんのエッセイや勤めていた業界紙の同僚の証言などで分かっていたが、掲載誌・筆名などがわかっていなかった。
■発見されたもの
・業界紙記者時代に書いた作品らしい。
・13編は、62年末〜64年半ばまでの『読切劇場』『忍者小説集』など(高橋書店発行の時代小説雑誌)に、
藤沢周平の名前で掲載されていた。
・「暗闘風の陣」(『読切劇場』62.11月号)から「無用の隠密」(『忍者小説集』64年8月号)までの
作品は、庄内藩の武士物、江戸の市井物、職人物など幅広い。エジプトの彫刻師という異色の物もある。■作品のあつかい
遠藤展子さんは「作品をどうするかはゆっくり考えたい」と。
「読みたいなあ」とも思うが、藤沢周平さんがその存在などについて積極的に語ってなかったということを考えるとこのまま埋もれておくのもいいかなあと思う。
業界紙時代に書いた時代小説以外の新聞のコラムなどにも興味がひかれる。