初版(2001.7.27) 最新版(2005.10)
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2005.10記
映画「蝉しぐれ」 テレビドラマ「秘太刀馬の骨」
『時代劇マガジン 2005Vol.12〜藤沢周平原作作品大特集!!』
辰巳出版 05.10.25 1500円
黒土三男監督 主演・市川染五郎 文四郎の子役・石田卓也
■テレビドラマ「秘太刀馬の骨」インタビュー と 写真
■TBSチャンネル放映 小ぬか雨 インタビュー |
●「藤沢周平原作作品 大 特集!!」の「大」とはなんだろうかねえ(笑) ●こんな雑誌もあるのだなあ。チャンバラになんの興味もないので、縁のないものだった。
●付録の「本誌オリジナルデザイン 水戸黄門てぬぐい」には
書店で戦記物や兵器などの本を熱心に立ち読みしているおじさんとお兄さんたちがいるが、
男どもは殺人道具に惹きつけられるのかなあ。
2004.10記
「蝉しぐれかわら版」(04.6.1 号外 制作委員会)のリード部分より
これまで数多くの読者の心をうち続けた、藤沢周平作品の最高傑作『蝉しぐれ』が
遂に映画化される。現在、日本のサムライ文化が世界に浸透しつつあり、今回の「蝉しぐれ」には、国内外の人達から熱い視線が注がれている。世界に誇る映画の完成が待たれる所だ。 |
ま、景気づけに勢いで書いたであろう文章にこんなこというのんなんやけど、ちょっと書かせて頂きますね。「日本のサムライ文化が世界に浸透しつつあり」って、なんだろう。米映画「ラストサムライ」(見てませんが)の俳優がアカデミー賞を受賞したとか 山田洋次監督「たそがれ清兵衛」が同賞外国映画部門候補になったという現象から書いているのなら、そりゃあおおげさな。浸透とはなあ。
それに、カタカナ書きの「サムライ文化」ってなんでしょうか。異国情緒として外国人に受け入れられるようなサムライ・ファションやらハラキリ、武士道ゥ〜 が想記されますが。
「日本のサムライ文化」は誇れる文化でしょうか。「世界に浸透」さすべきものでしょうか。
『蝉しぐれ』で藤沢周平さんが描いたのは、サムライでなく侍だと思います。そして、その侍体制を肯定したわけでなく、人間としての侍と体制との衝突の物語だと 思います。
くだけて書くと、「企業のトップ(殿様)が 雇用している社員(侍たち)の娘さんを二号かなにかに召し抱える」という文化(?)が 「世界に浸透」しても いいのでしょかね。
何か映画の売り方が(ひょっとすると作り方が)、藤沢作品にそぐわないような気がするなあ。
『蝉しぐれ』は、「サムライ文化」が描かれるような作品でもないし、黒澤明監督作品のようなけたたましい時代映画むきでもないし。
----上の略のつづき----- 貧しさや圧制に耐えて気高く凛として生きた日本人のこと、そして、人の生き方、本当の豊かさ、人を愛することなど、藤沢文学には現代の日本人が忘れてしまった多くのことが描かれている。こんな時代からこそ、今「蝉しぐれ」が映画化される意味があるのではないだろうか。 |
う〜ん。そういわれてもなあ(笑)山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」、「隠し剣鬼の爪」も 時代設定を幕末にして、「こんな時代からこそ」というメッセージを映画にこめようとしているようにみえる。 藤沢作品では、幕末の物語とは読みとれないが---------。
「こんな時代からこそ」といわれてもなあ。あんまり難しいことやややこしいことをいわんと、楽しませてくれる映画にしてほしいなあ。ちょうど藤沢作品を読んでいるときのいい気分(藤沢小説を読むのも読書の愉しみ)のような。
と書きつつ、映画は監督たちの表現があり、小説とはまた違うものでもあるから、 映画「蝉しぐれ」として楽しむのが素直な見方だとも思いますが--------。
2003.8記
★山形県鶴岡市観光連盟のホームページ
「鶴岡さ 来ばえちゃ」 から情報と画像を頂きました。ありがとうございました。記念碑画像は、「鶴岡市観光連盟(鶴岡市観光物産課)」様から頂いたものですが、なにぶん現物を見たことがありませんので、色などわかりませんので、〈碑文が読みとれるように〉と画像処理をさせていただきました。
現物は湯田川温泉に行かれるか(笑)、ネットでは上のホームページをご覧ください。たくさんの情報が掲載れさています。
清兵衛さんの二人のお子さんと宮沢りえ(朋江)さんが夏祭りにでかけ、獅子舞や ひょっとこ踊りを楽しむシーンのロケ地【鶴岡市 湯田川温泉 由豆佐売(ゆずさめ)神社】の参道入り口に建立。
横約1.5m、縦約90cmのステンレス製の板に、「藤沢周平先生の温籍に捧ぐ」と題した富塚陽一鶴岡市長の文章を刻んだ銅板と、エキストラ出演した地区民約50人の 集合写真が埋め込まれている。
映画「たそがれ清兵衛」によせて 平成十四年、湯田川温泉に契りの深い、藤沢周平先生の小説「たそがれ清兵衛」が 映画化され、日本アカデミー賞を始めとする多くの映画賞を受賞しました。 その製作にあたり、当由豆佐賣神社の境内もロケ地の一つとして選ばれ、郷土芸能 として名高い湯田川神楽を始め、湯田川地域の住民もエキストラとして数多く出演さ せて頂きました。 山田監督の指揮による清冽な映像を通して、美しい庄内の自然、沈潜を美徳とする 庄内人の朴訥な風韻を広く全国に知らしめる、またとない好機であったと思います。 多くの人の心を動かし、珠玉の作品の完成に導いたものは、他ならない藤沢周平 先生の温籍の賜物であると深く感謝するとともに、山田監督の映画にかけるひたむき な情熱とその手腕に対しても、尊敬の念を抱かずにはいられません。 併せて松竹株式会社の関係の皆様に敬意を表すと同時に「たそがれ清兵衛」の製作 に関わられたすべての方々に対して感謝し、後世に語り継ぐべく、その念を石に刻む ものであります。
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映画「たそがれ清兵衛」は庄内の人の宝物になったのだなあ。
03.8月には藤沢周平さんの『蝉しぐれ』がNHKテレビで放映されるらしい。いやまったく羨ましいぞ!庄内のみなさんは。
2003.3記
「蔵元発 信州・佐久・中仙道 宿場の地酒」 武重本家酒造株式会社のホームページ
武重本家酒造 →☆田舎の生活→映画が村にやってきた
我々地元の人間にとっては一生に数度しかない大イベントです。せっかくですから、記録に残すべくWebコンテンツを作成する事にしました。茂田井ロケを様々な点から記録に残したいと思っております。 オープンセットの敷地の一部が我が家の田畑であり会社のすぐ裏にあること、オープンセット建設から 撮影までの間個人的にも会社としても若干のお手伝いをしたこと、などから比較的情報が入りやすいという点もあり、その情報を含めて記録に残していきたいと考えております。
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地元でのセットとロケというチャンスをホームページで発信するというアイディアは見事なものです。ホームページの基調色といい、セットの図面といい 誠実というか綿密な構成になっていて藤沢作品の初映画のすばらしい貴重な資料のひとつだと思います。みなさんも、このホームページでまた映画のシーンを思い浮かべることができるでしょう。そういえば、清兵衛さんがお酒を飲むシーンはなかったですね(笑)
2002.11.18 記
1清兵衛さんと余吾さん (殿様の切腹命令を拒否したために清兵衛が討ちに来る) (江戸時代の地方公務員は給料と命が引き替えです。これはつらい) との闘いの結果いかんによっては、清兵衛さんのふたりのお嬢さんを海坂(藩)から大坂の我が家に引きとろうかと考えていました。 ふたりのお嬢さんのかわいいこと、かわいいこと。うちの子にした〜い。 朋江(宮沢りえ)さんをどうするかということが問題がありますが(笑)
原作小説「たそがれ清兵衛」「祝い人助八」「竹光始末」を映画の前日に読み返したために 映画と小説の登場人物の違いに混乱しました。それも映画にのめりこむうちに気にならなくなりましたが。
*下記の表参照 |
小説 | 原作 | 映画 |
たそがれ清兵衛 | 井口清兵衛(勘定組・五十石) (あだ名たそがれ清兵衛) 井口 奈美(妻・病床) ●藩の派閥争いのB派の首領に上意討ち命令がで、清兵衛が討ち取りにいく役になる。 |
井口 萱野(清兵衛の長女) 井口 以登(清兵衛の次女)→岸恵子( 晩年の以登) おかはん(清兵衛の母) 二人の娘と母親は小説にはいない |
祝い人助八 | 伊部 助八(兵糧蔵勤め) (あだ名 祝い人=乞食) 伊部 宇根(妻=2年前に急病死) 飯沼倫之丞(助八の友人) 飯沼波津(倫之丞の妹)(甲田豊太郎の元妻) 甲田豊太郎(朋江の元夫)(酒乱 DV) ●助八は、甲田豊太郎が元妻のことで飯沼倫之丞に果たし合いを申し入れるのを聞き、代役をする。 ●助八 中老を刺殺した殿村弥七郎は、領外追放の命令を聞かず屋敷に閉じこもる。助八、殿の命令で討手となる。 波津、助八の帰りを待っている。 |
ところで「朋江」という名前はどこからでてきたのだろうか。
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竹光始末 | 小倉丹十郎(浪人・仕官望み) (宿賃にこまり刀を売る) 妻 子どもふたり ●余吾善右衛門(最近仕官したが、お上を 誹謗して殿の怒りをかう) (闘いに勝ったら許して もらえるとの条件) 丹十郎 上意討ちができたら、召し抱えるとの話にのる。 善右衛門「国に帰り百姓をしたい、逃がしてくれ」という。が、丹十郎の竹光の刀を見、気が変わり斬りかかってくる。 |
映画のクライマックスの死闘は、原作「たそがれ清兵衛」「祝い人助八」「竹光始末」から、闘いにいたる理由・場所・相手の立場などがうまく組み合わされている。それに二人の脚本家のアイディア(善右衛門の娘さんの死など)が加えられている。 山田監督の最初のシナリオ第一稿は、「竹光始末」だったらしい。だから、映画化の最初の情報【このページの下の方】が「竹光始末」だったのがうなずける。 |
4
3つの作品から編まれた物語に彩りをつけたのが、朋江の存在だ。これは多くを語る必要はないだろう。 (ホームページ作成者がそういうことを語るのが苦手だつたりして---(笑)) 明度の暗い画面に 彼女が登場するとぱっと明るくなる。清兵衛が内職をしている隣のお母さんのいる部屋で彼女とふたりの娘とで手遊び歌で遊んでいるシーンはいい。ああいうのは好きだ。
映画ではかなり標準語的な庄内弁にしているでしょうが、ほれぼれと聞きました。土地の言葉が立つ地を与え、映画に深みと味をつけていました。「もう一度庄内弁を聞こう」と映画を二回見にいきました。
庄内弁は95%わかったつもりです。わからなかったところは、祭のでの見物衆の言葉や丹波じいさんに叱られた清兵衛さんのお母さんが泣きながら寝たあと娘さんがお父さんにいったせりふなどでした。
この「ばばはん、めじょけねおら」は、「おばあちゃん かわいそう」という意味だと庄内の人が教えてくれまた。(鶴岡市役所のホームページの掲示板や知人からのメール)
映画の方言指導をされた方の話によれば「ばばはん、めじょけねおら」のせりふは、監督に「意味が分からない」といわれ、危うく標準語に直されそうになったそうです。「ここは庄内弁のままにしたい」とお願いしてそのままにしてもらったそうです。 あの場面の言葉は、観客は正確に理解はできないでしょうが、雰囲気はわかりますの〜。こういうほんものの方言もある程度は残しておくのもひとつの見識だと思いましたの。
○清兵衛が娘が「裁縫を習ったら針仕事ができて収入が得られるけど…学問をしたらどうなの」と聞かれたときの答え
○朋江が兄嫁に「年上の者に質問をしてはいけない」といわれた時 朋江が返した言葉
○清兵衛が威圧的な伯父に言う言葉、
おもしろいことに、話題になったこの三つのせりふは、原作三作品のどこにもないことです。これは、脚本の山田・朝間氏の創作でしょう。
原作の藤沢作品には なまのメッセージとか演説・説教はでてきません。
こういう論にたいして 私は「映画も小説もそれぞれの特質がある」「作者はそれぞれ自分の考えで作品を作り上げていくから、お互い独立した作品と考えたい」とつぶやいてきました。
ありがとう、藤沢周平さん。ありがとう、映画スタッフのみなさん。
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2002.6.20 記
山田洋次監督が 惚れた幕末平侍
雑誌『文芸春秋〜7月号』文芸春秋社
【写真】●メガホンを握る監督 ●主役真田広之と監督
●撮影風景 ●鶴岡城趾堀 ●女優宮沢りえ
「五六年前に『竹光始末』を読んで、あ、この短編ならいけるんじゃないかなと」 藤沢作品の行間から、果たし合いを控えた侍の緊張感を感じ取り、そこに至る過程や心の動きを想像してきた山田監督。 今秋(02)公開の「たそがれ清兵衛」は、藤沢作品の初映画化にして、山田監督の時代劇初挑戦となる。-------- |
2002.4.19記
当時の暮らし再現に腐心
「朝日新聞大阪版夕刊」 2002.4.19より
●時代劇というよりは、貧しい人たちを主人公にする藤沢作品を映画化したかった。 彼らは生まれたときから死ぬときまで世の中が変わらない時代に生きた。封建制度を認めるわけではないが、政府をはじめとして変えろ変えろという今から見ると、いいなあ、と思う。 ●---僕の働きかけで時代劇の新しい作り方をしてみたい、という気持ちもある。 ●【撮影前、1年以上かけて暮らしぶりを調べた。当時に忠実であろうとするほど難しさにぶつかると(監督は)いう】 現代劇なら、服を変えればキャラクターの違いを表すことができるし、庶民性を出したければ三輪車を転がしておけばいい。時代劇では武士は全員かみしもだし、貧しかったから余計な物は持ってない。面くらうことが多い。
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2002.1.23記
〜「「時代もの」なぜか人気」 「毎日新聞大阪版」 2002.1.20より〜
●山田監督が77作目にして初めて時代劇に挑む「たそがれ清兵衛」も、そんな作品(英雄が活躍する時代劇ではなく、市井に生きる人々を細やかに見つめる姿勢)になりそう。●幕末の下級武士の日常を描くが、庶民の生き方を見つめてきた山田監督らしく、約一年かけて武士の生活を調査。「何を食べ、どんな仕事をしてきたのか。一日の暮らしをきちんと再現したい」と話す。
●撮影所の「財産」を継承する狙いもある。美術監修には映画美術の大御所西岡善信 氏を迎えた。「西岡さんは時代劇美術の宝みたいな人。この人の技術をうちのスタッフにも伝えてもらおう思ってお願いした」
●主演俳優、真田広之さんは「現代では、真っ向から取り組むと照れてしまいがちなものをきちんと描けるところにロマンを感じる」と時代劇の魅力を話している。
2001.12.19, 12.21記
■原作 「竹光始末」「祝い人(ほいと)助八」「たそがれ清兵衛」 「祝い人」は『たそがれ清兵衛』(新潮文庫)に所収 をもとに山田洋次・朝間義隆氏が脚本。 ■舞台 藤沢作品の舞台になる架空の藩「海坂藩」のモデルといわれている藤沢さんの故郷山形県鶴岡市周辺 ■制作 松竹 ■鶴岡市に ロケ招致実行委員会 ■スケジュール 02.1--制作発表 春--クランクイン 公開--秋以降
■内容(第1稿) |
●藤沢周平独特の世界は、日本人が失ってしまった手ごろな広さのユートピア。だれもが切実に帰りたいと願うような風景を、スクリーンに美しく写し出したい ●ロケ地庄内について。 庄内地方に吹く風や空の色の移り変わり、遠くに見える山々の姿、さらには先祖からの歴史をたたえた空気のようなものが大きな意味を持っている |
下城の太鼓が鳴ると、井口清兵衛はすばやく手もとの書類を片づけ、詰所の誰よりも早く部屋を出た。部屋の出口で、もごもごと帰りの挨拶を言ったが、それに答える者もなく、またとくに清兵衛に目をとめた者もいなかった。清兵衛の帰りが早いことには、みんなすっかり慣れっこになっているのである。 城を出ると------清兵衛はつと青物屋の軒下に入り、葱を買った。---今度は豆腐を買った。さほど迷う様子もなく、買物をすませたのは、日ごろそのたぐいの買物に馴れているせいだろう。 「ただいま、もどったぞ」 (次に彼は妻に手をかして厠に連れて行くのである) |
助八はいつもうす汚れている。衣服は垢じみ、湯を使うのも希なのか、時どき身体そのものが悪臭を放っている。----- たしかに男やもめで不自由はしていたが、助八は人が考えるほど妻の死を悲しんでいるわけではなかった。---妻の急死を悲しまなかったわけではないが、ひととおりの死後の始末が終わると、意外にはやく開放感がおとずれた。誰にも言えぬことだったが、亡妻の宇根は、助八が手を焼いた悪妻だったのである。--------------。 宇根の死後、助八がにわかにうす汚れて来たのは、もちろん女手を失ったためであることはたしかだが、亡妻の手きびしい干渉から解放されて、いささか暮らしのたががはずれたということであった。 |
2001.7.27記
-----今後の予定は。 来年は「学校」シリーズ第5作を作りたいですね。
2001.7.25 毎日新聞大阪版朝刊 |
■上の談話では、作品名がわかりませんが、Kochanさん(鶴岡市)のホームページ「関根から」に情報があります。「藤沢周平さんへのメッセージボード」→「映画」の書きこみをご覧ください。
「関根から」↓青文字を押してください
http://www2b.biglobe.ne.jp/~kokichi/■【たけ‐みつ竹光】
竹を削って刀身とした刀。また、鈍刀をあざけっていう。たけがたな。出典:広辞苑第五版藤沢周平『竹光始末』新潮文庫版(1981.11.25 )では、前者の意味で使用しています。
■【裏表紙】から。「一家の糊口を凌ぐために刀を売り、竹光を腰に仕官の条件である上意討ちへと向かう浪人の心意気。
■【山田洋次】 1931年生。「学校」シリーズ、「男はつらいよ」48作、「息子」 「幸せの黄色いハンカチ」など。松竹映画。
この映画などの情報をお持ちの方ご提供ください。yokoyama@po.aianet.ne.jp