第1版(1997.11) 改訂(98.7)

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ホームページ作成物語


 書くことがない
▲パソコン購入
1カ月後(96.8)
用語と操作で苦労し、パソコン教室に週に一度通い始める。
▲数カ月後



「そろそろホーム頁を作ったら」と勧められるが、私にとっては思ってもない冗談みたいな話。できるはずがない、そんな大それたことと思う。

 なによりも書くことがないと思う。
 それに、公共の場に「この私めの頁が場所をとるなんて」と思う。



 HTML呪文がおもしろい
▲教室通学
 8カ月後
「ホームページを作っても、最初は他の人に住所を教えなかったらいい」「そう気にせずに作ってみては」との口車に乗って、HTML呪文(ホームページを作るための言葉のようなもの) の勉強を始める。

 ワープロで呪文と文章を書き、別のソフトで画像を作り、それを引多網を見るソフトで見ると、自分だけの“偽引多網家庭頁”が 画面に出てくる。

 これには感激。ワープロ画面では見えなかった色文字や画像が“偽引多網家庭頁”が現われるのはおもしろくて熱中する。



不思議なことに内容が
▲HTMLの勉強が進むにつれ


 家庭頁の勉強を始めたころは、「書くことがない」と思っていたのに、“偽引多網 家庭頁”の技術的なことの初歩ができだすにつれ、「家庭頁に書きたいこと・内容」が出てくるようになる。技術的なことが内容を引き出すという不思議な経験をする。

 どんな頁を作るかの構想を考えながら、HTML呪文や画像処理の勉強と平行して家庭頁の制作に熱中。

 画面を見つめる生活が続き、朝眼がしょぼしょぼする。目薬を差しながらも熱中。

 このころは(今でも)実にいろいろのトラブル?が続出。画像が表示されない、呪文の印がぬけているのに気がつかない。
BR> 英語ができないのが私の自慢だから、英語を元としている呪文を書くのが大変だ。「センター」→「中央」くらいの学力はあるが、横文字で「CENTER」と書くのはおぼつかない。

 おまけに、キー入力は「日本文は日本文字で」とかたくなにひらがな入力に固執しているから、横文字は今でも指一本だ。(よくやるよなあ!)(笑)



藤沢周平さんの頁を見て
「私も作ってみたいなあ」と触発される。

▲購入後すぐ






インターネットで時代小説作家「藤沢周平」さんを検索

藤沢さんの故郷・山形県・鶴岡市の「関根から」の頁を発見する。
       「私の家庭訪問先」頁に住所があります。

 作者・長谷川さんの藤沢さんへの想いがあふれる頁を拝見し、「そうか、このようなホームページも作ることができるのか。私も作ってみたい」と、作成へのきっかけと意欲をいただく。
▲購入後 1年目
 (97.8月末)

  


長谷川さんの頁に投稿したり、メールのやりとりをしているうちに、なんと山形・鶴岡まで藤沢さんの蹟を訪ねる旅を。

山形では多くの人のお世話になり、写真撮影もする。インターネットでこんなことまでできるとは思ってもいなかった。



やったね !!【97.8.15】
くす玉

 パソコンを買って1年後  パソコン教室でHTMLの勉強を初めて4カ月後

パソコン教室から接続業者【プロパイダー】のコンピュータに家庭頁を転送。

  やったね。内容はともかく、これで電子の海に私の頁も漂うのかと思うとだいかんげき。

 「退職後、こんなことをするとは思ってみなかった」とパソコン教室のみなさんと鶴岡の長谷川さんに感謝。


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