「4.新天地見学と足浴按摩(上海)(2008年10月)」の二日目、東北人家で食事をすることになっていたが、その前に、時間があるといって、教え子たちは私を「田子坊(ティエンズゥファン)」というところへ連れて行ってくれた。泰康路(タイカンルゥ)という表通りを折れて、路地に入ったところに飲食店や土産物などの雑貨を売る店が続き、古いような新しいような面白い所だった。
その時は、それくらいにしか思わず、「泰康路」という通りの名称も、「田子坊」という町の名前も忘れてしまっていた。それから、ほぼ1年たった2009年の秋の初め、日本経済新聞の「昔の建物改装 観光名所に-古き風情、上海に新風-」という記事を目にした。記事では、「高層ビルが林立する上海で昔の建築物の風情を残して再開発する動きが広がっている。都市としての歴史が100年前後と短く観光名所に乏しい上海では、新たに生まれ変わった再開発地が国内外の観光客を引き付ける魅力を放ち始めている」とし、そのような町として「田子坊」などを紹介していた。そして、その記事は、日本経済新聞では2008年9月から、朝刊紙上に、髙樹のぶ子氏の『甘苦上海(がんくうしゃんはい)』という小説を連載しているが、「田子坊」は、その舞台にもなっていると補足していた。
この記事を見て、私は、中国の教え子に、「今度、上海へ行ったとき、田子坊へ連れて行ってほしい」とメールした。その返事、「先生、忘れたの?去年、案内しましたよ!」を見て、「えっ!」と声が出てしまった。そういうことで、このたび、新たに、教え子たちに送ってもらった写真も加えて、ここに、「泰康路210弄(ノン)田子坊」を紹介します。
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田子坊は泰康路という名の表通りから入る |
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上の写真の二人が案内してくれた教え子 |
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