第六部 中国の友人たち
2.江南水郷古鎮めぐり
(1)朱家角、西塘(2008年10月)

昨年(2007年度)は、火曜と木曜の倉敷行き(美術館設立準備)、水曜と金曜の高校の時間講師、土曜と日曜の博物館学芸員課程の受講と、週のうち月曜日以外は予定が詰まっており、とても中国旅行をする余裕はなかった。今年は、週二日の倉敷行き以外は決まった用事がない上、倉敷行きは、多少、融通が利く。ということで、春と秋、気候の良いときに二回、比較的長めの中国旅行を楽しむことができた。一回は5月16日~28日で、もう一回は1023日~11月2日であった。この二回とも、かつて、私が日本語教師をした連雲港の淮海工学院での講演や授業を中心に据えての旅行であった。一回目の旅行は、既に「第一部 連雲港で日本語教師をして 10.講演旅行(08年5月)」及び「第五部 呉錦堂-神戸と中国- 2.呉錦堂の故郷を訪ねて」としてこのホームページにアップしている。
 今回の旅行は、連雲港での滞在は短く、その前後、無錫や上海など江南での滞在が多くなった。まず、“前”の方から話をしよう。
 最初は、上海からすぐに連雲港へ入る予定にしていたが、出発間際、連雲港に住む教え子の一人から、「友人と一緒にツアーに参加して西塘(せいとう:江南水郷古鎮の一つ)へ行きますので、先生、現地で合流しませんか」という誘いのメールが入った。私は江南水郷古鎮には非常に関心を持っていて、まだ、その一つ、周荘にしか行っていないので、喜んでこの誘いに乗った。
  折角、行くのだからと、私は、彼女たちの予定より一日早く上海を立ち、朱家角(しゅかかく)経由で西塘へ入ることにした。(下の地図は、小学館ウイークリーブック「中国悠遊紀行 江南古鎮」より転載))

朱家角(しゅかかく)

 1024日、朱家角へ行った。朱家角は、行政区画でいうと、上海である。上海都心から一番近い江南水郷古鎮といえる。でも、上海から朱家角行きの路線バスがなく、仕方なく、上海体育館横の汽車ターミナルから朱家角一日旅遊の観光バスに乗ることにした。バス代は、現地の入鎮料込みで85元(1元は約15円)。私はその日、上海へは戻らず、朱家角から西塘へ行くことにしていたので、片道が無駄になるが止むを得なかった。9時、出発。上海の都心部を抜けるのに多少時間がかかったが、丁度、一時間で朱家角着。

朱家角 上海からのバスターミナル 朱家角 遊覧区入り口
水郷風景 水郷風景
朱家角 店先で売っている上海ガニ   上海のレストランで食べた上海ガニ
  朱家角で見たカニより、よく太って大きい
  一匹、二百数十元。高い!
  でも、凄く美味しかった。

 江南水郷古鎮は、ざっと見には、どこもよく似ている。でも、周荘、朱家角、西塘と江南水郷3古鎮を見て、店先で上海ガニを売っていたのは朱家角だけだったように思う。このときは、「上海ガニや!」と思ったが、それ以上の関心も持たなかった。しかし、上海へ戻って、上海の友人が上海ガニをご馳走してくれ、そのおいしさにびっくりした。「上海ガニ!、上海ガニ!」と言うだけのことはある。

西塘(せいとう)

 朱家角~西塘は、地図で見ると、直線距離で30kmほどなので、せいぜい3040分で、7080元だろうと思ってタクシーに乗った。ところが、かなりスピードの出る道を1時間近く走ったのに、まだ、水郷などという景色には程遠いところを走っている。メーターは100元を超えている。どの辺りかな、と道路標識を見ていると“嘉善”という文字が見えた。「えっ!」、私はびっくりした。この嘉善は上海行きのバスなども出ている浙江省の比較的大きな地方の町で、帰りは、おそらく、嘉善からバスに乗ることになるだろうと調べていたのでよく承知していた。すごく、遠回りをしているのだ。タクシーの運転手に文句を言うと、私が地図上、指した箇所には道路がないという。確かに、この辺りは、太湖の東の水郷地帯で、文字通り「南船北馬」の南船の土地柄、致し方ないかもと、引き下がった。しかし、これ以上、乗っているといくら取られるか分からないし、この嘉善から西塘行の路線バスが出ていることを知っていたので、嘉善のバスターミナルでタクシーを降りた。結局、125元取られた。あと、バスで半時間少しかかったが、3元だった。公共の乗り物は安い。

 西塘の通りでバスを下り、ホテルをどうしようかと考えていると、人のよさそうなおばさんが近づいてきて、「ホテルは決まっているか?」と聞く。私が「まだだ」と答えると、自分が案内してやるという。まあ、悪ければ断ればいいと思って付いて行った。人一人が、やっと通れる狭い石畳の路地の奥の一軒の民宿のようなところへ連れて行って、ここだという。おばさんの家なのだ。面白そうなので泊まることにした。後で分かったことだが、この地域、このような民宿(住宿という)が無数にあるようだ。

 石皮弄というこの路地の奥におばさんの民宿はあった   私が泊まった部屋

 部屋は個室で、ベッドの四方はレースのような薄い布で囲われていた。蚊帳なのだ。確かに、10月末なのにまだ蚊がいた。トイレとシャワーは一応付いているのだが、シャワーというほど湯は出ないし、トイレの臭気は一晩中、私を悩ませた。私は、2泊の予定を1泊で逃げ出した。帰り際、おばさんは、私のそんな気持ちがちっともわかっていないようで、別のツインの部屋を見せてくれて、今度は、奥さんと一緒に来て、この部屋に泊まってほしいという。素泊まり1泊120元は高かったようだ。翌日、大きなホテルへ変わったが朝食付きで200元だったし、あとで聞いたことだが、教え子たちが泊まった民宿は80元だったそうな。

 翌日、早朝、教え子のR.Wたちがやってきた。彼女たちは7時前に入鎮し、まず、ツアーの添乗員が安い住宿を探すという。「いま、送子来鳳橋の所に居ます」というメールが入り、私も出かける。送子来鳳橋で落ち合い、一緒に朝食をとる。近くの小さな食べ物屋で、私は桂花蓮子藕粉4元を、彼女たちは西塘豆腐花3元を食べた。桂花蓮子藕粉は、蓮根の粉で片栗粉のよう。湯を入れて混ぜると、どろっとして、寒いときに食べるととてもおいしい。1月の寒い杭州の岳飛廟の庭で食べておいしかったことを覚えていた。
 彼女たちの関心事の一つは食べ物である。臭豆腐や野菜のてんぷらのようなものを次々と食べる。そんな一つ、臭豆腐だけは私も食べてみた。臭豆腐は中国の町、あちこちで見かける。かつて生活した連雲港では、黒い色だった。あまりに臭いので、通りを歩くとき、その露店を避けて通ったものである。しかし、好奇心から、どんな味か、一度食べてみたいという気持ちもあった。食べてみると、案外いけた。

西塘豆腐花を食べるR.W 臭豆腐を食べるR.Wとその友人
野菜のてんぷらを食べる彼女たち 野菜のてんぷら屋さん

 夕食は郷土料理を食べることにして、それらしき門構えの店を探す。夜の水郷は灯篭に火が入りとても綺麗だ。丁度、大塘人家という店があって入る。出てきた料理に田螺があって、子供の頃に食べた味を思い出し懐かしかった。

大塘人家 大塘人家で
大塘人家 右上が田螺料理

 
 あと、西塘の水郷風景を紹介しよう。

 夜になると、上の写真のような蝋燭を乗せた紙の舟を売る店が多く出る。灯をつけて流せば綺麗、ただそれだけのことと思っていたら、違っていた。舟が流れて見えなくなるまで願い事をするというのだ。それも、健康を祈るなら緑色の舟。財富なら赤色、愛情なら桃色と決まっているのだ。彼女たちはどうするかと見ていると、8弁の花の舟を買ってきた。「これだと、健康も、愛情も、お金も、どれもみんな祈れるから。」 私に本心を見せたくないからか、合理的だからか。ちょっと、肩透かしを食った感じ。
 この遊覧区の門票は50元。要所要所で村人が門票を売っている。しかし、朝8時から夕方4時半までで、それ以外の時間は無人になる。R.Wたちは、朝7時前に入鎮したのでただである。彼女たちは、翌朝、4時過ぎに烏鎮に向けて出発したが、一つには、ツアーを企画した旅行会社が烏鎮の入鎮料も浮かすためらしい。因みに、彼女たちの車中1泊、民宿1泊の旅行代金は380元とのこと。旅行会社にとって、2箇所の入鎮料を払うか払わず済ますか、その差は凄く大きい。住宿費80元も又然り。添乗員が少しでも安い住宿を探すのも頷ける。

 R.Wたちが烏鎮に行ってしまった西塘3日目の午前中、私は一人、西塘を一巡したあと、嘉善経由で上海へ戻った。西塘→嘉善はタクシーで20分、30元。嘉善→上海は路線バスで、1時間10分、30元。
 その日の夕方、上海から飛行機で連雲港へ移動。