第二部 江蘇省の歴史を歩く
6.水晶と温泉の町、東海県

「日本への土産は何がいいだろうね?」と私。「連雲港の特産品がいいと思います」と4年生のO。「連雲港の特産品というと?」「水晶などどうですか」「でも、高いのだろう?」「いろいろです。一度、東海県へ見に行きましょう」。私とOの東海県への小旅行は、帰国が近づいた日のこんな会話から実現した。朝の連雲港站のプラットホーム。この写真を撮って、左端こちら向きの駅員に怒られた
 1月10日、朝7時、私たちは大学の校門前で待ち合わせ、列車の駅、連雲港站までタクシーに乗る。10分ほどで連雲港站着。7時50分、発車。連雲港〜東海県は約40キロあり、2.5元。この日は寒い日で、数日前に降った雪がまだ残っており、雪と霜の白一色の景色が車窓に流れる。東海県は隣町なんだけれど、途中、駅だか駅でないのか、停車したのかしていないのか分からないような小さな駅が2つ3つあり、40分近くかかった。8時半、東海県着。初めての東海県である。まず、水晶を販売する卸店、小売店が集まっているビル、水晶城へ行く。

東海県の駅前通り 水晶城の入口

大きなビルの中に、100軒近い店があるのではと思うぐらい、大小たくさんの店が営業している。紫色をした大きな水晶の原石を展示した店もいくつかある。こんな原石が、今でも次々、採掘されるのだろうか。こんな水晶が採れる採掘現場を見てみたいものだ。
  ところで、水晶といっても、天然水晶もあれば、人造水晶もある。中国有数の水晶産地の東海県まで来て、人造水晶を買うことはないので、天然水晶の品の中から選ぶ。それだって、本物という保証はないが、東海県の水晶城で疑っていてはきりがない。商品についての確認、値段の交渉は、すべてOがしてくれる。2時間近く見て、最終的に、200300元のネックレスと6080元のブレスレットを数本買った。

日本人経営の温泉旅館「小松原」
「温泉広場」のOと私。漢字とハングルの表示に注目!

東海県といえば、水晶ともう一つ、温泉である。最初、温泉までは私たちの予定に入っていなかったが、時間も早いし、折角、来たのだから行ってみようということになる。駅前から路線バスに乗る。半時間で東海温泉着。日本で温泉地といえば、川が流れていて、橋があって、川のところどころから湯煙が立ち、川岸に温泉旅館が並んでいる。そんな景色を連想するが、ここにはそんな風情はなかった。では、中はどうなっているのだろうか。覗いて見たいと思う。ちょうど、「小松原」という日本的な名前の温泉旅館を見つける。フロントで話を聞いてみると、経営者が日本人で、親切に庭の湯元まで案内してくれ、また、中の浴室も見せてくれた。浴室は、桧材の湯船をはじめ、まったく日本的な造りになっていた。Oの話では、他の温泉の浴室は、おそらく、シャワーだけだろうとのことであった。
  あと、温泉広場を見学する。
  上の写真、「温泉広場」の文字に注目してほしい。漢字の下にハングルが刻まれている。韓国企業の進出に伴い、連雲港で生活する韓国人が急増しているという。私は連雲港の街中やタクシーで、何度も、「韓国人か?」と尋ねられたが、不思議と、「日本人か?」と聞かれたことはなかった。このことを、学生に話すと、「今、中国で、韓国映画が流行っているから、先生を韓国人と思ったのでは」との答え。私が韓国の俳優に似ているからとでもいうのだろうか。俳優といっても、いろんな役があるが、いいように解釈する。同じ話を、同僚の日本人教師にすると、「最近、日中関係が好ましくないから、韓国人か、と声をかけるのが無難と考えるのでは」との答え。これにも一理ある。
  広場の中央に、東海温泉の由来についての碑文とレリーフと主人公の石像があった。話はこうである。

東海温泉の縁起を記した碑文、「湯姑伝説」
「湯姑伝説」のレリーフ 「湯姑伝説」のレリーフ

湯姑伝説
  昔、ある年、羽山のふもとの村で、疥癬が流行った。疥癬に罹ると、皮膚は、言い表せないほど痛く痒かった。疥癬に罹った貧しい人々は、災難を払い、病気を除くため、荒れ野にひざまずき、神霊の加護を祈った。その凄惨な状態に心を動かされた西王母は、即座に、仙女湯姑に霊芝仙湯を持たせ、下界へ遣った。善良な仙姑は労苦をいとわず人々のために、病気の治療をした。ある日、急に、西王母は仙姑を宮殿に呼び戻した。帰る途中、まだ、治っていない人がいるのを見て、仙姑は、(空から、)残っていた仙湯を全部、空けた。仙湯は地に落ち、熱いうねりとなり、渦を巻きながら広がり、湯の河になった。人々がこの河に入り、湯を浴びると、病は忽ち除かれ、体は健康になり、皮膚は潤い、気分はよくなった。人々は、仙姑を懐かしみ、湯河の畔に廟を建て、像を安置し、これを拝みその恩に感謝した。(碑文の訳はここまで)
  2時間ほど温泉町をぶらついて、列車の駅へ戻る。冬になって、天気の悪い日が多くなったが、私が出かける日は、不思議と晴れた。この日も、寒いけれど、晴天に恵まれ、楽しい一日を過ごすことができた。