第三部 中国感動の旅
4.貴州・湖南 苗(びょう ミャオ)族の里を訪ねて(2015年5月)
   
貴州省 西江千戸苗寨  湖南省 鳳凰県(百度より)

  今回の貴州省&湖南省旅行は、つくづく、よく決断したものだと思う。70代に入って、実際に、行くだけの体力があるかどうかより、気力の面で弱くなっている自分がわかる。
  長い逡巡の後、まず、関空⇔上海の航空券をネットで予約し、覚悟を決めた。今回は、今までの中国旅行と違って一人旅には不安があったので、まず、貴州省貴陽在住の親しい友人、Z先生にガイド・同伴者を探してほしいと依頼した。Z先生は20年来の友人で、現在、貴州の大学で外国語学院長をされている。ガイドに、最初、私は、先生の学生を考えていた。2、3日して、先生から、「学生は、まだ、後期の授業が残っていてだめですが、私の妹に頼めそうです」と返事があり、Z先生の妹さん(以下、Z妹さんと表記)にお願いすることになった。
  まず、ここまで決まったのでおおよその日程を組み、Z先生に送った。この日程表は、私とZ先生との間を、何往復もして、より確かなものになっていったが、それでも、現地での変更が多く、結果として、次のような旅行になった。
 
 5月24日  関空→上海、上海→(空路)貴陽  貴陽泊
 5月25日  午前中 Z先生の大学見学及び授業
   午後  市内観光   貴陽泊
 5月26日  この日より、30日までの5日間、Z妹さんと一緒。
   貴陽→(列車)凱里→(バス)西江苗族村  苗族村泊
 5月27日   西江苗族村→(乗り合いタクシー)凱里  凱里泊
 5月28日  凱里→(列車)懐化→(バス)鳳凰  鳳凰泊
 5月29日  鳳凰→(バス)懐化  懐化泊
 5月30日  懐化→(列車)上海南  車中泊
 5月31日  昼過ぎ上海着 上海泊
 6月1日  上海→関空

航空券は、中国国内のものも含めて、ネットで予約・購入し、eチケットをプリントアウトして持参し、飛行場のカウンターで搭乗券を受け取った。料金は、後日、クレジットカード支払い。列車の切符は、Z先生に頼んで事前に購入してもらっていて、支払いも済んでいた。ただ、切符そのものは、当日、駅で、発券・受領した。Z妹さんは、自動発券機に身分証を挿入し、予約番号を入力するだけで簡単だったが、身分証がパスポートの私は自動発券機が使えず、切符売り場の長い行列に並んで予約番号を伝え、切符を受け取った。
 宿泊は、8泊のうち、1泊は車中泊。ホテル・民宿7泊のうち、貴陽の2泊、西江苗族村の1泊、そして上海の1泊は友人が予約してくれた。そのほか、凱里、鳳凰、懐化の各1泊は現地で飛び込み。
 なお、記事中、物価等、人民元表示がよく出てくるが
1元=20円あまりに円が安くて悲しい。

第一日 関空→上海→貴陽

第一日は、空路で、ほぼ時間通り貴陽着。

   
  空の玄関 貴陽空港   陸路の玄関 貴陽駅


  最初、ネットで調べたとき、関空からの中国国際航空は上海浦東空港の第2ターミナル到着で、貴陽行きの吉祥航空は第1ターミナルからの出発となっており、気になっていた。上海浦東空港や北京空港など中国のハブ空港は、関空などと違って大規模で、ターミナル間の移動は大変である。北京空港では、かつて、バスに乗って、途中、渋滞する市内の一般道路を走って移動した経験がある。上海浦東空港はそれほどではないが、20、30分余分に見ておく必要がある。ところが、後日、吉祥航空のeチケットをみて、第2ターミナルになっているのでホッとした。最近、変更になったようだ。細かいことをくどくど書いたが、利用者にとって、これは大きな問題だ。
 上海→貴陽は2千キロ、3時間の空の旅である(669元。1元=20円)。ちなみに、関空→上海は千三百キロ、2時間半(37
,760円)。夕方の5時、貴陽空港着。写真でわかるとおり、山の中の空港であるが、空港の建物は思っていたより立派で、飛行場の駐機数も多い。さすが省都の空港。
 Z先生が迎えてくださり、タクシーで市内のホテル「如家快捷酒店」へ。これは、いわゆる、チェーン店組織のビジネスホテル。あと、先生は、会議とかで再び大学へ。私は、ホテルの近くをぶらぶらし、少々の食料を買って、ホテルでテレビを見ながら夕食。翌朝、6時出発なので、早めに就寝。


第二日 Z先生の大学見学と貴陽市内観光 

 この日、午前中の用事はZ先生の大学訪問。朝6時過ぎにホテルを出て、タクシーと大学の職員送迎用のバスを乗り継いで1時間半、貴陽郊外に新しくできたキャンパスに着く。この地には、近年、複数の大学が新キャンパスを造成し、新たに大学町が出現している。大学に着き、まず、学生食堂で朝食をとる。学生のほとんどが寮生活なので、特に朝は、大規模な学生食堂が満席で、活気があって壮観。

 
 大学外観(大学のHPより)
   
      キャンパス風景  外国語学院棟          学院長室のZ先生 
   
     キャンパス風景 卒業式の予行            キャンパス風景
   
          キャンパス風景       キャンパス風景 背景は図書館
 

《夜郎自大(やろうじだい)の夜郎の遺跡?》

 朝食を済ませたあと、少し時間があるということで、大学のすぐ裏手、夜郎の村の見学に行く。Z先生に、「夜郎の村の見学に行きましょうか」と誘われ、「夜郎?」と聞き返した。「『史記』にでてくる、漢の時代の話、“夜郎自大”の夜郎です。*下に補足説明」とのことで、半信半疑で、Z先生に従う。大学の裏手、工事用の出口を出ると、そこはもう、夜郎の村。でも、村には入らず、川沿いの細い道を進む。しばらく行くと、なんとも奇妙な造形物が林立する区域へ入り込む。Z先生は、「すばらしいでしょう!」とおっしゃる。確かに奇妙で、その魅力に引き込まれる。「いつの時代のもので、誰が作ったのか、定かでありません。ただ、貴重な遺物であることは確かです。でも、これらの造形物が存続の危機にさらされています」。Z先生が指差す方角を見ると、道路の建設なのか大規模な土木工事が進んでいる。下の写真は夜郎の村の不思議な造形物。
 *夜郎自大■
夜郎(やろう)の王が漢の広大なことを知らず、自らを強大と思って漢の使者と接したことから、自分の力量を知らないで、幅を利かす態度をとるたとえ。(広辞苑)

 
 
 
 このあたりの山は、岩山で、薄い石板が層をなし、堆積している。造形物をよくみると、その石を積み重ねたり、貼り合わせたりするのに、セメントのような接着剤が使用されているようにも見える。もし、そうだとすると、そんなに、古い建造物とは思えない。しかし、そこに古代夜郎の信仰や文化が流れているとなると、とてつもなく貴重な文化遺跡ということになる。

《日本語科の学生に授業をする》

 1時間ほど見学して大学へ戻る。事前の打ち合わせどおり、先生の授業を1コマ貰って授業をする。話の題は、「笑って話せる話を一つ 重い話を一つ」。一つは、中国人訪日客が全体の五割を超えるということで、“爆買い”について話す。もう一つは、日中双方の歴史認識のずれということで、ミズリー号上での降伏文書の調印からはじめ、村上春樹氏の新聞記事で締めくくる。
 昼食は再び学生食堂で済ませて、今度は、交公車(路線バス)で貴陽市内へ戻る。

   


《甲秀楼ほか貴陽市内観光》

この日、午後の予定は、貴陽の市内観光と銀行での両替である。街中を歩いていると道路沿いの公園から大きな音量で音楽が流れてくる。楽しそうなリズムに惹かれ覘くと、大小さまざま、いくつものグループの男女が、カラオケやダンスを楽しんでいる。中には、民族衣装のグループもある。
 「いつもこんなに、にぎやかなのか?」と、私は隣の若い男性に問いかける。
 「今日は旧暦の4月8日で、お祭りだ!」との返事。そうなんだ、今日、5月25日は旧暦の4月8日なのだ。
 私は、以前、Z先生から聞いた話を思い出す。「貴州省の省都貴陽では、毎年、旧暦の4月8日に、市の中心部にある噴水池にミャオ族が集まり、歌垣(男女が歌の掛け合いをしたり踊ったりしながら求婚する行事)が行なわれます。この祭りを四月八(スーユエバー)といいます。ぜひ、見に来てください」。でもまた、その後、この行事はなくなったとも聞いていたが…。この日、目にしたものは、若い男女の歌垣ではなく、中高年のダンスだった。あるいは、これこそ、今、中国で大ブームの「広場舞」なのかもしれない。

   
 甲秀楼  背景に高層ビル  四月八日(スーユエバー)の祭り

次は、甲秀楼の見学。貴陽市内を流れる南明河の大きな岩に建っている。16世紀末、明の万暦年間の建立。名前は、優秀な成績で科挙に合格するような立派な人材が輩出するようにという意味でつけられたとのこと。貴陽のシンボルである。 

《中国銀行で、温和な私も“ぶち切れる”》

翌日から、どんな田舎へ行くかわからないので、両替は今日中にと思って、ずっと、中国銀行を探していた。やっと、甲秀楼近くで見つけて入る。ここで、トラブル発生!そう何度も両替するのは面倒と思って、8万円を両替する。私の前に2人しか居ないのに、やたら時間がかかる。若い女性の職員は、全く緊張感がない。隣の職員との私語が絶えない。半時間以上も待たされて、やっと私の番になる。窓口で、書類と現金8万円を出す。偽札でないかと、一枚一枚透かして念入りに見ている。慎重だなと思って待っていると、上下Uカーブになった、狭く受け取りにくい窓口から、人民元394元を渡される。「何、これっ!」私はびっくりし、一呼吸おいて、怒りがこみ上げてくる。8万円を8千円で計算しているのだ。私は、半分日本語、半分中国語で声を荒らげる。ガラス越しの若い女性はきょとんとし、私の怒りの意味が察知できない。「主任を出せ!」と私。しばらくして、中年の女性が出てきて、ことの意味を理解する。そして、あと、7万2千円分の3545元を追加してくれるが、詫びの一言もない。書類上は、私が、まず、8千円両替し、続いて7万2千円、と2度両替した扱いになっているのだ。つまり、自分たちのミスとは認めないのだ。
  窓口を離れしな、若い女性職員の名札に実習生○○と書いてあるのに気が付いた。中国の大学では、卒業前のこの時期、目当ての企業で実習をするのが一般的だ。それはとがめないが、実習生のやった仕事がNOチェックというのにびっくりした。天下の中国銀行の看板が泣く。

   
 貴陽市内   貴陽市内
   
 貴陽市内     貴陽市内   

少し落ち着き、帰りのバスで思ったのだが、怒りの原因の半分は私自身の側にあったことに気づく。それは日本円の安さに対する惨めさに起因する。日本に帰ってわかったことだが、この時期、5月下旬、日本円は対米ドルで125円まで下げていた。日本円→人民元の両替には、米ドルを中に挟むから、対米ドルの円安がダイレクトに反映したのだ。1元を買うのに20円で足りない。円安は日本安、日本人安と言われているようでなんとも惨め。つまり、中国銀行での私の驚き、怒りの半分はここにあったような気がする。

 貴陽は海抜千メートルなので、夏でも比較的涼しいと聞いていたが、貴陽での二日間、暑いぐらいの好天だった。貴州は、「天に三日の晴れなし、地に三里の平地なし、民に三分の銀なし」とよく言われるが、この二日で、一年分の晴天をほぼ、使い切ったということなのだろうか。ちなみに、貴陽の名は、太陽を貴ぶということでつけられたともいう。しかし、これは、貴山の南にあることに由来するというのが正しいらしい。山の南は陽、北は陰。川の南は陰、北は陽。


第三日 凱里を経て、雷山ふもとの苗族の村、西江千戸苗寨訪問

 Z先生の妹さんと、いよいよ、苗族の村へ出発である。
  妹さんの乗ったタクシーをホテル前で待ち、一緒に貴陽駅へ。12.9キロ、40元。9時41分の列車で貴陽を出発、12時10分凱里着(28.5元)。凱里駅では凱里の大学の日本語科の学生、W君が迎えてくれる。Z先生とW君の指導教官とが知り合いということだ。W君は、本当に気のいい若者で、日本語で「俺にまかせろ!」が口癖。この日と翌日、私たちを案内してくれる。
  凱里は地方都市ではあるが、大都市である。私は早く苗族の村、西江苗寨へ行きたかったが、W君は郷土料理「片片酸湯魚(すっぱいスープの魚料理)」の店へ案内してくれたり、苗族の職人が集まっている銀細工の工房街へ連れて行ってくれたり、サービス精神満点。昼食は3人で142元。市内の路線バスは1元乃至2元。貴陽もほぼ同じ。10年前、私は江蘇省連雲港で半年ほど過ごしたが、そのときも路線バスの料金は1元乃至2元だった。中国の地方都市の物価は安定しているということだろうか。

   
 凱里駅のホーム  Z妹さんとW君
   
 凱里市内の銀細工工房  凱里市内

 午後4時のバスで凱里出発。1時間ほどで西江苗寨着。15.5元。
 宿は、「一千零一戸」という変な名前。老板(主人、オーナー)が出迎えてくれ、私の荷物を持って、村中の狭い坂道をどんどん登っていく。老板と凱里の大学の先生が知り合いとのことで予約してもらったが、とても、一見の客では見つからない場所。いわゆる民宿で、狭く暗い空間にシャワーとトイレが一緒にあり、洗面所がない。タオル、バスタオル、歯ブラシ、石鹸類一切ない。夜具は湿気でジトッとしている。80元。ベランダからの見晴らしだけはすばらしい。
  晩会100元。村のイベント広場のような場所があって、どんどん人が集まってくる。ロの字型の会場で一辺がステージ。観客席はコの字型。苗族の民俗衣装に着飾った老若男女が演じる。きれいで、なかなか見応えがあった。

   
 西江千戸苗寨  村の大門  風雨橋
   
 私たちの宿 一千零一戸  晩会のステージ

《苗族(ミャオ族)》

中国は国家統計上(2000年)、人口の92%を占める漢族と55の少数民族からなるとされている。少数民族を人口の多い方から並べると、千六百万人のチワン族、千万人の満州族、千万人弱の回族、その次が苗族で約九百万人。更に、ウイグル族、土家族と続く。 

   貴州省  3525万人  100%
1   漢族  2191   62.2
 苗族   430  12.2
 布依族   280   7.9
 侗族   163   4.6
 土家族   143   4.1

苗族は、銀の飾りを多用した民族衣装、歌垣や竜船競漕などで有名。祭りには大小の芦笙(ろしょう。芦の茎を管にした笙)が登場する。地域によって多くの支族に分かれ、その地域々々、特色ある文化を有し、衣装にも違いがある。 
 苗族が身につける銀の飾りは美しい。娘が生まれると、両親は、小さいときからブレスレットや胸飾りなど、こまごまとしたものから少しずつ用意していき、年頃になると、豪華な銀細工、銀帽子を用意する。これで、花嫁衣裳が整う。また、胸飾りなどには“蝶々ママ”と呼ばれる、頭に触角を持ち、背に羽根を付けた女性をデザインしたものが多い。“蝶々ママ”は、苗族は蝶から生まれたという伝承に由来する。
このような銀飾りは、通常、銀匠から買い求めるが、中には、自ら作って娘に与える親もいる。 
 苗族には牛を崇拝する習慣がある。苗族の人々は、玄関に立派な、多くは木製の一対の牛角を置いているが、これは牛の神様が家を守り、邪気を払うと考えられているからだ。また、先ほど触れた銀帽子に牛角の付くものも多い。写真は西江苗族博物館で撮影。


第四日 雨音と鶏鳴で目覚めた西江千戸苗寨

 夜半から大雨。朝になって、多少小降りになったが降り続いている。今日は、村のお祭りがあると聞いていたのに大丈夫かなと心配する。雨は一向にやまない。宿の中で、じっとしているのはもったいない。旅行に雨はつきもの。それくらいの準備と覚悟はできている。合羽にレインシューズといういでたちで出掛ける。この旅行に出掛ける前から、ネットで、この村を俯瞰した写真を見て、その景色のすばらしさ、印象がずっと頭にあった。それで、私は、雨の準備の不十分なZ妹さんとW君にかまわず、展望台を目指して、最初は、先頭に立って、ずんずん山道を登る。でも、歳には勝てず、中腹まで来て先頭をW君に譲り、そのうち、シンガリをつとめることになる。
 展望台からの眺望を楽しんだ後、村中に戻り、博物館の見学。展示の図録がほしかったが売ってなかった。残念!
 お昼前、祭りの時間が近づいてきて、雨が上がってくる。シメタ!私たちは急いで、昨夜の晩会の会場へ急ぐ。今度は無料。従って超満員。昨夜の晩会以上の盛り上がりだ。途中、お餅の振る舞いもあった。最後は、観客も飛び入りで踊りだす。W君はいやがる私を執拗に連れ出す。あまりに断るのも大人気ないので、いやいや付き合う。でも、踊りだすとまんざらでもない。若い頃の盆踊りを思い出す。

   
 展望台からの眺望  村の古老
   
 米粉(ミーフェン)と紅米のおこわ 玄関先の魔よけの牛角(木製) 
   
 村のお祭り  衣装は銀帽子ほか女性の正装  村のお祭り ステージの男性が芦笙を吹く

  凱里までの帰路は、疲れていたこともあって、村の出口で、客待ちをしていた乗り合いタクシーに乗る。帰りの道中、河の水嵩を見て驚く。対岸には、河水に浸かっている集落もある。
  凱里に戻り、街中で、飛び込みでホテルを決める。水馨閣酒店118元。   

第五日 沈従文のふるさと、鳳凰県へ

 最初、凱里からバスで鳳凰へ直行することを考えていた。しかし、調べてみると、途中、銅仁での乗り換えが必要な上、運行ダイヤもはっきりしなかった。結果、懐化まで列車に乗り、懐化からバスというルートに変更。10時23分凱里発、14時46分懐化着(41.5元)。
 15時30分懐化西ターミナル発のバスで鳳凰へ。16時40分鳳凰着(40元)。 

   
 凱里駅 改札口は鉄格子  凱里駅 苗族の女性と友達になる

《沈従文(しんじゅうぶん)『辺城』》

私は、湖南省西部、貴州省との省境近くの山間に、鳳凰という町のあることは以前から知っていて、その町の風情に惹かれ、ずっと、行ってみたいと思っていた。そういう私の背中を押したのは、この地出身の作家、沈従文との出会いだった。神戸市外国語大学准教授津守陽氏の「少数民族と漢民族の血の間で-沈従文という作家」という講演を聞き、初めてその作品『辺城』を読んだ。沈従文は、日本での知名度は低いが、中国では、魯迅、老舎らと並ぶビッグネームのようだ。
 『辺城』の舞台は鳳凰近くの茶トン(トンは山偏に同)という小さな町。町外れで、一人の老人が渡し舟の船頭をしている。この老人の孫娘に思いを寄せる二人の若者がいる。二人は兄弟で、親は運搬船を八艘持つ金持ち。話としてはよくある話で、ハッピーエンドになることはまずない。『辺城』も例に漏れない。ストーリーは特にどうということはない。それを、すばらしく魅力的な作品に仕上げているのは、辺境の町の風物、暮らす人々の生活・文化という素材と沈従文の文才・筆力である。右は『辺城』の挿絵。

《おどろおどろしい晩会》

ここ、鳳凰でも晩会があるというので、昨日の晩会がよかったので、おなじようなことを期待し、申し込む。ここの晩会は詐欺にあったような気分。街中からバスに乗せられ20分、着いたところは町外れの洞窟。この中で、篝火を焚き、シャーマンもどきの劇が演じられるのだけれど、篝火の煙がくさい上、おどろおどろした雰囲気が堪らず、途中で帰りたかった。でも、バスに乗らないと帰れないので、なんとか、最後まで辛抱する。帰りに、私が写っている写真を買わされ、それと合わせて100元。昨日の晩会が良かっただけに、残念!おいしいご馳走のあとに、もどしそうになるデザートを食べた気分。
 この日の宿泊は小橋人家。トイレ、シャワーほかの設備、タオル、夜具等は一昨日の西江の「一千零一戸」と全く同じ。宿泊費も同じく80元。

   
晩会  川に沿った崖下の道を進み洞窟へ  晩会 祈祷師や口から火を吹く男が登場
 
 鳳凰古城 私たちの宿 小橋人家  Z妹さん
 
 鳳凰の町並は沱江の両岸にひらけている  鳳凰の夜景

第六日 鳳凰古城 沈従文の墓と故居

 街中を見学する。まず、にぎやかな通りを外れた小山のふもとに沈従文の墓を訪ねる。入り口はわかりやすかったが、墓そのものは、なんともわかりづらく、あれこれ探しているうちに、やぶ蚊に刺されまくって、早々に退散。写してきた写真がそうなのか、自信がない。にぎやかな街中へ戻る。ここで、入城料(門票)を取られる。148元と高い。ところで、中国の観光地は高齢者に優しく、70歳を超えると、普通、無料である。そして、この措置は、外国人でも同じなのがうれしい。私が、異議を唱えると、何処かへ電話をしていた。そして、外国人は適応外という。私一人なら、別の入り口へ行って、もう一度挑戦するところだが、Z妹さんと一緒なので、あまり、はしたないことはできないので、要求されるまま148元払う。
 この街中での目的は沈従文故居。ここを見て、一応、見学終了。

   
 沈従文墓地入り口  沈従文墓(奥の長方形の石が墓石?)
   
 鳳凰古城入り口 ここで門票を買う  沈従文故居へ行く路地
   
 沈従文故居入り口  沈従文故居 寝室

  午後3時半のバスで懐化へ戻る。
 懐仁賓館138元。.

第七日 懐化市内見物 そして夜行列車で上海へ

 上海行きの夜行列車まで随分時間があるが、雨が降っていて遠出する気にはならない。歩いて30分ほどのところにある総合市場の見学に行く。なかなか活気があり面白かった。西瓜1kg=5元。トマト1kg=6元。きゅうり1kg=5元。大頭魚1kg=24元。豚肉1kg=26元。1元=20円。   

   
 懐化の市内 正面は私たちが泊ったホテル  子どもも紐で背負われるよりこの方が楽か
 
 懐化街中の食堂 火鍋(寄せ鍋)は68元。それ以外なら15元も出せば満腹。1元は20円
   
 露天屋台の“折二根” *下に補足説明  総合市場の野菜売り場
   
 総合市場の肉売り場 写真はソーセージ  唐辛子ほか香辛料売り場

《折二根 zhe er gen 》

 上の写真の通り、形状はモヤシに似ている。貴州を中心に四川、雲南、湖南の特産品。野菜として食材になるほか、風邪、肺炎の薬としての用途があり、特に、2002年の非典(SARS)流行時、争って求められた。その効き目があったからか、当時、「貴州一個都没有非典(貴州には一人のSARS患者もいない)」と、その効能が喧伝された。これは、Z妹さんからの受け売り。

 16時35分、懐化発の列車で上海へ(寝台中段、333.5元)。1元は20円。

   
 寝台列車  私は硬臥の中段  音楽に合わせダンス?体操?
   
 在来線沿いに新幹線建設進む(杭州以西)  上海南駅に到着

第八日 夜行列車で20時間、上海着

 12時44分上海南駅着。地下鉄でホテルへ直行。
  上海には、中国の大学での教え子が何人もいて、親切に相手をしてくれるのでありがたい。今回も、Oさんに、ホテルの予約を頼む。
 帰国前日は、上海浦東飛行場への交通機関の関係で地下鉄2号線の沿線に宿をとることが多い。いままでも、同じ南京西路駅利用のホテルだったけれど、歩いて15分近くかかり、駅から遠かった。特に前回は、大きな雨の中、たくさんの荷物を持って困った。確かに宿泊費は、270元と、上海にしては安かった。それで、今回は、Oさんに、駅に近いところと条件をつけた。「駅からすぐですが、部屋は狭くて、窓もありませんよ」「それで結構です」ということで、今回の瑞泰酒店となった。宿泊費480元。
 
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第九日 上海浦東空港から関空へ 

 
 空港待合室のモニターに映った私のホームページ

 Z先生、Z妹さん、お世話になりました。おかげで楽しい旅行ができました。
 さようなら。

 12時の飛行機で関空へ。