甘い罠 前編




バレンタインを明日に控え、男達は神妙な顔をして一つ所に集っていた。
眼前にはいかにも高級そうな小箱に入った、これまたいかにも高級そうな一口サイズのチョコレート。

これを巡って、男達は熾烈な闘いを繰り広げた。
誰が敵か、誰が味方かも分からない。
寝返り寝返られ、諭し諭され。

そうして今、ようやく結論が出た。






明けて翌日の昼三時、所謂『おやつタイム』。

「はい、ハッピーバレンタイン!」

笑顔を浮かべたは、紙袋に入れていた小さな包みを全員に一つずつ配った。

「あぁ、有難う、。」
「どういたしまして〜。今日は皆出てきてるんだね。」
「あ、あぁ、まあ色々忙しくてな・・・・・」
「そう?そんなに忙しくないと思うんだけど・・・・」
「いやその、なんだ・・・・・」

サガの苦しい言い訳に、全員の厳しい視線が刺さる。
だがは全く気付いていない。

「ふぅん、まぁ良いけど。配る手間が省けてラッキーだったから♪」
「そ、そうか、それは良かった。」
「お茶淹れてくるね!皆休憩するでしょ?」

はフンフンと鼻歌など歌いながら、誰とはなしにそう訊いた。
この時もは、全く何も気付いていなかった。
何処か異様に緊迫した雰囲気も、頷く全員の怪しい笑顔さえ。


バタン、とドアが閉まった瞬間、一同はデスマスクの元に集った。

「・・・・・やるんだな、デスマスク?」
「おうよ。今更『待った』はなしだぜ?」

シュラの念押しに、デスマスクは不敵な笑みで頷いてみせた。

「今更そんな無駄な事はしませんよ。あれだけ止めても聞きゃしなかったじゃないですか。それより貴方こそ忘れてはいないでしょうね?」
「全ての責任は君が取る。その約束、ゆめゆめ違う事のないようにな。」
「大丈夫だ、信用しとけ。」

次いでムウとシャカの釘刺しにも同様に頷き、

「ならば早くやってしまえ、が戻ってきた時にでも!」
「出すのもお前の役目だぞ、ブツを持って来たのはお前なんだからな。」
「分かってるよ、任せとけ。」

ミロとカノンの煽りにも、自信満々に親指を立ててみせた。



そうこうしている内に、噂の人物が大きなトレーを持って戻ってきた。
『お待たせー!』と言いながら、全員にカップを手早く配っている。
デスマスクはが自分の席に戻るのを見計らって、手を後ろに回しながら接近を試みた。

「よう、。」
「何?」
「あぁ、実はな・・・・」
「何よ?」
「実はな、今年は俺達からお前にプレゼントがあるんだ。」

やたらに優しい笑顔を浮かべて、デスマスクは後手に持っていたパッケージを差し出した。

「うわぁ、有難う!何これ?」
「ま、大したもんじゃねぇがよ。開けてみな。」
「うん!包みが綺麗過ぎて開けるの勿体無いね?」
「へっ、何貧乏臭ぇ事言ってんだよ。良いから早く開けろって。」
「はいはい。・・・・・あ、チョコ!」

の目に留まったのは、まろやかな色をした上品なチョコレートであった。

「美味しそう〜!有難う、皆!」

は上機嫌そのものの笑顔で、全員に礼を言った。
言われた黄金聖闘士達は、それぞれに笑顔のようなものを浮かべてヒラヒラと手を振っている。
その表情はやはり明らかに怪しいのだが、チョコレートに目を奪われているはまたもやそれに気付かなかった。

「今食べても良いの?」
「当たり前だろ?食って貰う為に用意したんだからよ。」
「じゃ遠慮なく。頂きま〜す♪・・・・ん・・・・・」

箱の中から摘み上げた一つを口に放り込んだを、全員の目がじっとりと見つめている。
はしっかりと口を引き結び、ゆっくりと味わっていたが、やがて大きく目を見開いた。

「どっ、どうした!?」
「苦しいのか!?」

アルデバランが、アイオリアが、の様子に驚いて慌てて駆けつける。
だがは目元をにんまりとさせると、チョコレートを飲み下して満足げな溜息をついた。

「やだ、本当に美味しい!!!ちょっとこれ何処で買ってきたの!?」
なんだそれは・・・・・・;
驚かさないでくれ、全く・・・;

緊迫した面持ちを崩したシュラとアフロディーテが、並んで肩を落とした。
一方デスマスクは、ニヤリと笑っての肩に手を置いた。

「ま、それは内緒だ。プレゼントの出所探るなんて野暮な真似はよせよ。」
「それもそうね、ごめんごめん!でも本当に美味しいわよ、これ!!」
「そうか、そりゃ良かった。」
「皆も食べたら?もう本当に蕩けるわよ、吃驚するわよ!?」
「ああ、いや、俺達は良いんだ!に貰ったものの方が良いからな!」

ミロが絶妙な話術で、の勧めを回避した。

何しろこのチョコは、只のチョコではないのだから。
これは先日の任務で、デスマスクがある王国の主要人物から手に入れてきた、女性に絶大な催淫効果をもたらす、

通称『SWEET PASSION』なる媚薬、なのである。


実際、これをに食べさせると決まるまでには相当モメた。
しかし、散々すったもんだを繰り返した挙句、結局実行する事になったのだ。
乗り気な連中の圧倒的なゴリ押しが、そういう結論に導いたらしい。
尤も、身体に害はなく、中毒性もないという事が決め手ではあったのだが。



「そう?じゃあ本当に私が全部食べちゃうわよ?」
『ああ。』

一同は一様に貼り付けたような笑顔を浮かべ、にチョコレートを勧めた。
内心で『是非ともそうしてくれ』と呟きながら。


全員が固唾を呑んで見守る中、は上機嫌でチョコレートを食べる。
箱の中身は一つまた一つと減り、ついには全て無くなってしまった。

「あ〜〜美味しかった!ご馳走様でした!さてと、仕事仕事、と♪」

手を払い、空箱とカップを片付けて再び執務に戻るから、一同はいつまでも目が逸らせなかった。


「・・・・いつ効果が出るんだ?」
「さぁな・・・・、次第だろう・・・・」

カノンの独り言のような質問に、サガが重々しい口調で答えた。

「『SWEET PASSION』の効きとその効果の持続時間には、個人差があるらしいからな。」
「早い者ならものの数分で効果が表れ、遅ければ5〜6時間だとか。」

そこにアフロディーテとカミュが加わり、男四人でゴソゴソと内緒話を繰り広げる。
それに割って入ったのは、責任者であるデスマスクであった。

「ま、大体は2時間程で出るみたいだぜ?だから一応それを想定して今にしたんだがよ。今食ったら執務が終わる頃には・・・・ってな。」
「しかしこればかりは予測に過ぎませんからね。計算違いになる恐れもある事を念頭に置いておく必要があるでしょう。」
「万が一の時は、デスマスク、お前が足止めでも何でもしてどうにかしろ。」
「おう、その辺も任しとけ。」

余程機嫌が良いのだろうか。
ムウが告げた予測外の事態に対する対策を、シュラが命じてくるのにも快く応じ。

「くれぐれも警戒させないようにしろよ、デスマスク。」
「そうだ。最早こうなった以上、失敗は許されんのだぞ。」
「しくじったら即アンタレスだからな。覚悟しておけ、デスマスク。」

アルデバラン、アイオリア、ミロの発破にも、自信たっぷりの笑みで応えている。
かなり機嫌が良いようだ。

「フフン、無用な心配だろう。こやつはこういう下らぬ事や女に関する腕だけは一流だからな。」
うるせぇよ。

しかし鼻で笑って嫌味を言うシャカには、流石に苦い顔をしてみせた。
いくら上機嫌と言っても、限度はあったらしい。



この様に、黄金聖闘士達は話に夢中になって気付いていないが、その姿は滑稽極まりない。
隅の方で小さく纏まり、何やら異様な雰囲気を醸し出している。
そんな彼らに、が呆れた声で話しかけた。

「皆何やってんの?そんな所で。」
「あっ、ああ!いや、何でもないんだ!!」
「さっ、お前達!仕事だ、仕事!!キリキリ働くぞ!!

ミロが取って貼り付けたような笑顔を浮かべてデスクに飛んで戻り、サガがこれまた白々しくさえ聞こえる鋭い声で全員を蹴散らしているのを、は頭上に『?』マークを浮かべた表情で眺めたのであった。






だが、全員の心配もよそに、時はきっかり2時間後に訪れた。

「サガ、これ終わったよ・・・・・」
「ああ、ご苦労。ん?、どうした?」
「ん・・・・、なんかちょっと・・・・・・頭がボーッとしちゃって・・・・」

の何処か焦点の合っていない眼差しを見て取ったサガは、一瞬片眉をぴくりと上げた。
しかしは、そんなサガの僅かな表情の変化など見てはおらず、自分の額に手を当てて訝しそうに首を捻るばかりである。

「何だろ・・・・、風邪かな?」
「どれ?」
「あっ・・・・・」

熱を測る振りをして額に手を当てただけなのに、はぴくりと身体を震わせた。
その仕草をサガは見逃さなかった。
そして、他の者達も。

「ゴホン、・・・・・・熱はないぞ。風邪ではないだろう。」
「そう?かな、やっぱり・・・・・」
「もしかすると、暖房が効きすぎなのかもしれないな。切って来よう。」
「うん、ありがとアフロ・・・・・」
「ったくよー、さっきまであんだけモリモリチョコ食ってやがった奴が何言ってんだぁ?」

引っ込んだアフロディーテと入れ替わりに入って来たのは、真打・デスマスクであった。
正にここからが彼の勝負所、全員がデスマスクの動向を伺っている。

「知らないわよ・・・・、私だって何が何だか・・・・・」
「具合が悪ぃ訳じゃねぇんだろ?」
「ん・・・・、別に何処も。ただ頭だけボーッとして、フワフワした感じがする・・・・」
「ほ〜・・・・。ま、少し疲れが出ただけじゃねぇか?今日は早い所帰った方が良い。」

その台詞に、全員が一瞬拳を固めた。
だがデスマスクの言葉は、そこで終わった訳ではなかったのである。

「送って行ってやるよ。そんなんじゃ飯も作れねぇだろ?俺様が作ってやるよ。」
「・・・・・本当?」
「ああ。何か食って少し酒でも飲んで、適当に喋ってスカーンと寝りゃ治るって。」
「そう・・・・だよね。うん、お願いしよう、かな・・・・?」
「水臭ぇ事言うなよ。んじゃ決まり、だな。おい、お前らどうするよ?」

どうするもこうするも、この後の行動などとうの昔に打ち合わせ済みなのだが、デスマスクは敢えて他の者にそう尋ねた。
あたかも今思いついたように、ごく自然に。
勿論、その呼びかけに首を横に振る者など誰一人居る筈もなく、かくして本日の執務室は早々に営業終了となったのであった。






外に出る頃には、の症状はより濃く浮き出ていた。
具体的にいえば、瞳はとろんと潤み、身体が熱く、足元も覚束ず、何処となく人恋しいような、妙に甘ったるい気分に襲われている。
気分は悪いどころか、むしろ良い。
冷たく吹きすさぶ風が首筋を撫でても、は心地良さそうに目を細めていた。

「さあ、行こうか。」
「は〜い・・・・っと・・・・」
!」

サガの声で歩き出そうとしたは、階段の第一段目から早速躓いた。
それを慌てて抱き止めたのは、側にいたシュラであった。

「ありがとシュラ・・・・。ドジねぇ、私ったら・・・・」
「危ないな。こんな調子じゃ、今に階段を転がり落ちるぞ?」
「あはは、下までずっと落ちたら痛そう〜〜・・・・・」

階下を見下ろして笑う
シュラは溜息をついて、その身体をひょいと抱え上げた。
シュラの腕が背中や膝の裏に触れた途端、の身体にムズムズとした微電流らしきものが流れた。

「あんっ!」

抱え上げた瞬間が発した甘い声に、シュラは一瞬目を丸くした。
シュラだけでなく、他の全員も。
その顔には、一様に『凄い効き目だ』という感嘆文が浮かんでいた。
ただ一人、だけがぼんやりとシュラの腕に収まっている。

「ん、ゴホン・・・・!さっさと行くぞ。」

サガの仕切り直しで、一同は微妙な沈黙を保ったままぞろぞろと階段を下っていった。




そろそろ自宮に差しかかろうという時、シュラは下から感じる視線に気付いた。

・・・・・?」

見ればは、うっとりと胸に頭をもたれ掛けて、上目遣いにこちらを見上げていた。
浮かべている笑みも、何処となく艶がある。

「・・・・何だ、俺の顔に何かついているか?」
「・・・・・シュラの心臓の音、気持ち良い・・・・」
「・・・・・・」

シュラは無言のまま、ごくりと息を呑んだ。

どう見ても誘われているようにしか思えない。
それを蹴る理由などある筈もなく、シュラは先を行く黄金聖闘士達がこちらを向いていないのを一瞬ちらりと確認すると、の顔にそっと覆い被さった。

唇と唇が重なり、舌先が軽く触れ合う。
ド派手にやらかしたいのは山々だが、流石に今この場でそれはマズいと思い留まったシュラは、そこで唇を離した。

「ふふっ、キスしちゃったね・・・・・」

少し浮かせた顔の隙間から、が潜めた声でそう言う。
幸いにもここは自宮。
いっそこのままを連れて私室に雪崩れ込み、鍵でも掛けてやろうか。
一瞬強い欲望に駆られたシュラが、足を別方向に向けかけたその時。

「シュラ、何処へ行くんだよ?」
「ミ、ミロ・・・・・」
「まさかとは思うが・・・・、まさかそのままバックレる気じゃないだろうな?

という、輝くような笑顔で人差し指を向けたミロの一言が掛かり、シュラは進行方向の軌道修正を断念させられる事となった。

「ま、まさか・・・・・」
「フン、なら良いけどな。余りに遅いからどうしたのかと思ってな。」
「別にどうもせん。すぐに行く。」
「そうした方が良い。皆お前を信用してを任せてるんだから、な?」
「・・・・・・;」

気まずいシュラと相変わらずぼんやりとしたに、ミロはウインクを一つ残して先を行ってしまった。
今ここでガタガタ焦らずとも、本格的なお楽しみはこの後すぐ。
どうもそんな感じの事を考えているような、余裕綽綽の態度であった。
そして多分、他の連中も。



獣の檻に放り込みに行くようなものだな・・・・・。いや、俺もその一人だが・・・・・
「え?なぁに?」
「いや、何でもない。」

シュラは腕の中のをちらりと見ると、重い溜息を一つ吐いてミロの後を追った。
内心でに詫びながら。




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後書き

またバレンタインに何をくっだらない話を(汗)。
去年に書いたバレンタイン夢もダメダメでしたが、
今年はまた別方向にダメダメです(笑)。
ここまでご覧になって『いけいけ、やらかしちまえ!』と思った方だけ、
続きをご覧下さい(平伏)。
以降はこれよりもっとアホが満開ですので(笑)。