ミロが任務に出てから二週間が過ぎた。
いつ出て行ったのか、正確には分からない。
ただあの朝目覚めたら、ミロのチョーカーが枕元にあり、代わりに自分の物が消えていた。
その夜のいつかに発った事だけは間違いない。
ミロが発つまでの間、いつか訪ねて来てくれるのではと淡い期待を込めて鍵を開け続けていた。
その期待が裏切られなかったのは良いが、まさか何も言わずに行ってしまうとは思っていなかった。
は日に日に塞ぎ込んでいった。
ミロが黙って出て行ってしまった事もあるが、何の情報も入らないまま時間だけが過ぎていく事が、何よりの不安を強く煽っていた。
そんなある日の午後。
非番で家にいたを、サガが訪ねて来た。
「珍しいね。サガが執務を抜け出すなんて。」
「ミロの情報が入ったのだ。早く知らせた方がいいと思ってな。」
「本当!?」
サガがやって来た時から、そんな気はしていた。
逆に言うと、そうでもなければ彼が執務を放り出す筈はない。
「さっき、偵察に出ていたカミュが戻ってきてな。」
「それで、ミロは無事なの!?」
詰め寄ったに、サガは辛そうな表情を見せた。
それが答えのようで、は呆然とサガの顔を見つめた。
「何なのよ・・・・、早く・・・・言ってよ・・・・・」
聞きたくない気持ちとは裏腹に、言葉での答えを要求するに、サガは無言で手を差し出した。
握った手を開くと、そこには真っ黒に焦げた鎖があった。
サガはそれをそっとの掌に乗せた。
「これ・・・・・」
「現場にはこれしかなかった。ミロの物に間違いないか?」
は呆然と手の中の物を見つめた。
認めたくない程見覚えのある物だ。
正確には自分の物だが、は黙って頷いた。
「そうか・・・・・」
「ねえ、どういう事・・・・・?」
「何でも民間のバスに爆弾が仕掛けられていたらしい。状況から考えると、乗客を避難させるには余りにも時間がなかったのだろう。」
寒気がする程恐ろしい話だ。
その先が容易に予想出来る自分が嫌で堪らない。
「ミロが・・・・・、その爆弾を・・・・・」
「・・・・そうとしか考えられない。間に合わないと悟って、自らが抱え込んだのだろう。」
残酷と知っていながらも、サガは敢えてそれを口にした。
せめてミロがどれ程勇敢であったか、それを語るぐらいしか、今のサガに出来る事はなかった。
「だが奴のお陰で、一人の死傷者も出さずに済んだ。ターゲットも始末されていた。これで無事・・・」
「何が無事なのよ!!」
声を荒げたが、サガの言葉を遮った。
「無事じゃないじゃないの!だってミロは、ミロは・・・・・」
「・・・・済まない・・・・」
「謝って欲しくない!返して!!今すぐミロをここに連れて来て!!」
二人の関係を知っているからこそ、サガには取り乱すをどうする事も出来なかった。
この無理難題も、激しい混乱故と分かっている。
泣き叫ぶに叩かれる胸は痛くない。
だが、その奥の心は酷く痛んだ。
「返して!!返してよぉ・・・・!!」
「・・・・気が済むまで殴れ・・・」
― それぐらいしか、私は何もしてやれないのだから・・・・
それしきの事でミロが死ぬとは思えない。
けれど、それなら何故見つからないのか。
姿はおろか、小宇宙を感じる事も出来ないのだ。
この状況から考えれば、あってはならない最悪の事態が本当に起こった可能性は否めない。
― 許してくれ、・・・・
取り返しのつかない傷を負わせた事を心の中で詫びながら、サガはの悲しみを受け止め続けた。
その後、いくら捜しても、ミロの遺体は見つからなかった。
仕方なく、黄金聖闘士達は遺体なしでひっそりと葬儀を行い、墓を立てた。
葬儀に参列したは、一滴の涙も流さなかった。
ミロが死んだとされてから、はや二ヶ月が過ぎた。
「ミロ・・・・・・」
は毎日、ミロの墓に参っていた。
表面上は普通に生活しているが、愛する者を失った悲しみは、の心を未だに痛め続けている。
「私、信じられないの。嘘よね・・・・」
掌にある焦げたチョーカーを見つめて、は呟いた。
見る度に傷が深くなる気がするが、それでもどうしても手放せなかった。
だが、遺品だとは思いたくなかった。
胸元に下がる片割れがある限り、ミロはきっと帰って来る、そう思いたかった。
「ごめんね、ごめんね、許して・・・・」
許しを請わない日を、そして、知らぬ間に別れの時が過ぎた事を後悔しない日などなかった。
こんな事になるのなら、あの時口論などするのではなかった。
嘘でも笑って見送ってやれば良かった。
そうしたら、ミロも笑ってくれた筈だから。
大好きなあの笑顔を見せてくれた筈だから。
「勝手に居なくならないでよ、私を・・・・、置いていかないでよ・・・・」
笑った顔、拗ねた顔、寝顔。
色んな表情のミロが浮かんでは消えていく。
心の中でしか見れない事が、辛くて堪らなかった。
もう一度、ちゃんとこの目で見たい。
「帰って来てよ、寂しいよ、ミロ・・・・・」
無駄だと分かっていても、物言わぬ石に話し掛ける事を止められない。
どうしても、もう一度声が聞きたい。
名前を呼んで欲しい。
「ねえ・・・・、返事してよ・・・・、何とか言ってよ・・・・」
「ただいま。」
「え・・・・・?」
一瞬、幻聴かと思った。
悲しみの余り、とうとう気が触れたのかと思った。
凍りついたように身体が動かない。
振り向く事さえ出来ないでいると、もう一度声が聞こえた。
「待たせたな、。」
「・・・・・・・」
「こっちを向いてくれないのか?」
「・・・・・・だって、嘘よ・・・・。きっと気のせいで・・・・」
あれ程聞きたかった声なのに、いざ聞くと素直に信じられない。
振り向いてそれが幻だと分かったら、今よりもっと辛くなる。
それがには怖かった。
けれど、それは幻でも何でもなかった。
そうでなければ、肩に触れる温かな手の感触をどう説明すれば良いのだろう。
すぐ後ろで聞こえる微かな笑いを含んだ声を、どう説明すれば良いのだろう。
「気のせいじゃないから、こっちを向いてくれ。」
は、恐る恐る後ろを振り返った。
そこに居たのは、ぼろぼろになった黄金聖衣を纏った、愛する者の姿であった。
「ミ、ロ・・・・よね・・・?」
「他の誰かに見えるか?」
「本当に、本当よね・・・・・?」
「本当に本当だ。」
そう言って最高の笑顔を見せたミロの首に、は飛びついた。
「馬鹿・・・!馬鹿馬鹿馬鹿!!!」
「悪かった。もっと早く帰って来たかったんだが、流石に怪我が酷くてな。」
「ミロなんて大っ嫌い・・・・!!私がどれだけ心配したと思って・・・・」
「悪かった・・・・」
ずっと待ち望んでいた、温かい腕。
その中で、はとめどなく涙を零した。
「もう・・・、忘れてやろうと思ったんだから・・・・!」
「おいおい、折角帰って来たのにそんなつれない事を言わないでくれよ。」
「ミロなんて大っきら・・・」
心とは裏腹の悪態は、ミロの唇で塞がれた。
閉じたの瞳からまた一粒、新しい涙が零れる。
やがて唇が離れ、ゆっくりと開いた瞳に飛び込んできたのは、ミロの眩しい笑顔だった。
「約束は守ったぞ。」
「約束・・・・?」
「ああ。こいつに、必ずの元に帰って来ると誓ったんだ。」
そう言って、ミロはの胸元のチョーカーを指に絡めた。
そう、それはミロの物だ。
無事に帰って来た持ち主に返したい。
そう思ったは鎖を外そうとしたが、ミロはその手を止めた。
「いいんだ。それはこれからもが持っていてくれ。」
「私が?」
「ああ。片方は俺が失くしてしまったが・・・」
「あるわ、ここに・・・・」
そう言って、は握っていた手を開いた。
その中にある黒焦げの片割れは、もはや使い物にならない程破損している。
ミロは苦笑を浮かべてそれを受け取った。
「驚いた、よく見つかったな。よし、これは俺が貰っておく。」
「でもこれはもう・・・・」
「いいんだ。これは御守りなんだから。何処にいても、どんなになっても、絶対に生きてお前の元に戻る為の、約束の証だ。」
「ミロ・・・・・」
また新たな涙が溢れてくる。
俯いて肩を震わせるを、ミロはそっと抱き寄せた。
「もう泣くな。」
「だって・・・・・」
「俺が何を支えに死の淵から戻って来たか分かるか?」
「・・・・・何?」
「もう一度、の笑顔を見たい。その一念が俺を生かしたんだ。」
『だから笑ってくれ』と、そう言われている。
は目元を拭うと、顔を上げた。
直後に目に入ったのは、嬉しそうなミロの顔であった。
「やっと笑ってくれたな。そうだ、この笑顔が見たかったんだ・・・・」
「ミロ・・・・・」
また白く霞み始めたミロの顔が、ゆっくりと近付いてきた。
唇に触れる温もりを感じた後、はゆっくりと視界を閉ざした。
この闇は怖くない。
瞳を開けば、そこにはちゃんと貴方の笑顔があるから。