「行ってくれるな?」
「・・・・ああ。」
サガの半ば命令のような問いかけに、ミロは厳しい表情を浮かべて頷いた。
教皇の間を出れば、外は夜の静寂に包まれている。
考え事をしながら階段を下ると、あっという間に天蠍宮へと辿り着いてしまった。
だがミロは、一瞬躊躇ってからそのまま自宮を素通りした。
通い慣れた家のドアを叩くと、愛しい人が笑顔で迎え出てくれる。
この幸せを、最近はすっかり当たり前に感じてしまっていた。
そんな自分が愚かしく思えて仕方ない。
「どうしたの、ミロ?こんな遅くに。」
「ちょっとな。・・・・・話があるんだ。」
勝手知ったる部屋に通されたミロは、をソファに座らせた。
そして自分もその隣に腰を下ろす。
まずはコーヒーでも淹れてこようかと思っていたは、いつになく真剣なミロの面差しに少し驚いて、そのまま大人しく彼の話を待った。
「何?話って。」
「任務が決まった。」
任務などしょっちゅうある事ではないが、かといって特別珍しくはない。
なのに、何故ミロはこんなにも厳しい表情をしているのだろう。
「話って、それ?」
「ああ。」
「ふぅん。でもすぐ帰って来るんでしょ。ミロなら一撃だもんね!」
は何の不安もないかのように、無邪気に笑って言う。
それ程の信頼がある事を、ミロは嬉しく思った。
だが同時に、苦しくもあった。
これからこの笑顔が凍る様を見ねばならないのだから。
「分からん。」
「え・・・・・?」
「いつ帰れるか分からん。」
「なん・・・で・・・?」
「今度のターゲットは少々厄介だ。下手をすれば命の保証はない。」
「なんで!?」
の鋭い声が響き渡った。
「なんでよ!厄介な相手なら他の皆は!?大勢でいけば絶対・・・」
「俺一人だ。ぞろぞろと大人数で行ける場所ではない。」
「なんで・・・・・」
予想通り、の表情は固く強張っている。
ミロは心の中でに謝った。
もし泣き崩れたら、抱き締めてやろうと思った。
だが、の行動は違っていた。
「私、サガに言ってくる!」
「待て!何をだ!?」
「その指示を出したのはサガでしょう!?取り消して貰えるように頼んで来る!でなかったら人数を増やして貰えるように・・・」
「やめろ!!」
早くも駆け出しそうになっていたは、ミロの怒声に驚いてその場に立ち竦んだ。
「余計な事をするな!」
「余計な事って何よ!!大事な人をむざむざ危ない所に行かせる馬鹿が何処に居るのよ!」
「誰かがやらねばならん事だ!いくら危険だと分かっていても逃げる訳にはいかない!」
「そんなの知らない!何でミロだけ危ない目に遭わなきゃいけないの!?」
「・・・・・、分かってくれ。」
「分かんない!!」
そのまましばし、涙を浮かべたと睨み合っていた。
だが、ミロは先に折れた。
「分かった。もういい。」
それだけを短く告げると、ミロは踵を返した。
背後から聞こえるの啜り泣きが、心を引き裂きそうだった。
あんな風に怒鳴ったのは初めてだった。
いつだって、二人は笑っていたのに。
もしかしたら最期になるかもしれない夜を、こんな風に終わらせてしまった事が辛かった。
さっきのは自分が悪かった事ぐらい、百も承知している。
あれではまるで、ミロを信じていないようではないか。
だが、そうと分かっていても、言わずにはいられなかった。
日頃自信に満ち溢れているミロの、あんなに覚悟した表情は初めて見たからだ。
足元をすくわれるような不安に耐え切れなかった。
そして、ミロを怒らせた。
「嫌よ・・・・、なんで・・・・・」
一人残された部屋で、はただ泣く事しか出来なかった。
それから数日後の真夜中。
黄金聖衣を纏い、出陣の準備を済ませたミロは、の家まで来ていた。
口論になったあの夜以来、とはろくに口も利いていない。
発つ前に、出来ればもう一度笑った顔が見たかった。
自分が愛した、あの笑顔を。
小さくドアをノックしたが、返事はない。
仕方なくそっとノブを回してみると、まるでミロが来る事が分かっていたかのように鍵は開いていた。
だが室内は暗い。
もう寝てしまっているのかと思い、寝室の方へと足を運んだ。
― よく寝てるな・・・・
ベッドの上で丸くなっているを見て、ミロは微笑を零した。
起こさないようにそっとベッドに腰掛けて、その寝顔をよく見る。
しっかりと目に焼き付けておきたかった。
のどんな表情も見逃したくない。
これが最期になるかもしれないから。
「許してくれ・・・・」
は、もしかしたらサガを恨んでいるかもしれない。
しかし、サガとて悩んだ末の決断だったのだ。
だから恨んで欲しくない。
― 出来ればずっと、側に居てやりたかったが・・・・
に言った通り、無事で帰れる保証はない。
かと言って、死にに行くつもりはない。必ず生きて帰って来るつもりだ。
あの時はつい怒鳴ってしまったが、ミロは決して腹を立てていた訳ではなかった。
本音を言えば、むしろ嬉しかった。
それ程愛してくれているのだ。
その気持ちに応えたい。いや、応えなければならない。
ミロはこんなにも愛し愛される者に出逢えた事を、神に感謝していた。
そして、が生きる世界の平和を守りたいと、心底思った。
その為には任務を成功させねばならない。
「愛してる・・・・」
小さく呟いて、その頬に口付けを落とした。
そして胸元から垂れる鎖を外して、の枕元に置いた。
いつも身に着けているチョーカーだ。
これを自分の身代わりに、そして再会の約束にするつもりだった。
ふと視線を逸らせば、のドレッサーが視界に入った。
化粧水などが並ぶそこに、自分の物と同じデザインのチョーカーがある。
いつまでも一緒に居られるようにと、いつか二人で買った他愛のない愛の証だ。
一瞬迷ったが、ミロはそれを手に取った。
自分にもまた、の身代わりが、そして再会の証が欲しかったから。
「絶対に帰って来るから、俺を信じて待っていてくれ・・・」
夢の中のには届かない誓いの言葉を告げて、ミロは夜の闇に紛れていった。