清涼な人工池の水面に、優雅な羽を畳んだ白鳥が数羽、ゆったりと浮かんでいる。
『白鳥の湖』と銘打たれたこの場所は、ロマンチックな愛の告白にはもってこいな場所だった。
筈だったのだが。
「お、今あいつフン垂れたぞ!ぎゃははは!」
「ふふっ、もう星矢ちゃんたら。」
『このお子ちゃまめ・・・・・!』
白鳥を指差してゲタゲタと笑っている星矢と、苦笑しながらそんな星矢を見守っている美穂を遠巻きに監視しつつ、達四人は深々と溜息をついていた。
「この一大事に白鳥のフンで笑ってる場合じゃないでしょ!?」
「全くもってその通りだね。そんなモノで出鼻を挫かれたミホが可哀相だ。」
「ったくよぉ、白鳥の糞がそんなに面白いか!?幾らガキンチョって言ったってよ、限度があるだろうが。お前一体いくつだって話だぜ。」
「確かに、年齢を疑いたくはなるな。あいつは本当にやる気があるのか?」
、アフロディーテ、デスマスク、そしてシュラは、苛々しながら二人を、特に星矢を見守った。
「それで・・・・・ね?星矢ちゃん・・・・・・」
「あ・・・・・、うん・・・・・・・」
「さっきの話・・・・・。あの・・・・・、私に言っておかなきゃいけない事って・・・・、何?」
「美穂ちゃんこそ・・・・・・、俺に話したい事って何だよ?」
若干横道に逸れていたが、どうにか二人は本題に入れたようだ。
星矢も美穂も、二人して戸惑うように口籠りながら、モジモジとしている。
「うん・・・・・・、あのね・・・・・・」
「ああ・・・・・・・・」
「あのね・・・・・・・、私・・・・・、私ね・・・・・・」
可憐な唇が、次の言葉を紡ぐのを躊躇って震えている。
今から美穂が言おうとしている事は、彼女にとってはそれ程に重みのある言葉なのだろう。
「私・・・・・・・、星矢ちゃんが・・・・・・・・・好き・・・・・・・・」
「お〜お〜。嬢ちゃんとうとう言ったぜ。」
「フフッ。散々恥らった割に、結構直球だね。」
「シンプルで良いじゃないか。それが何より一番だ。」
「そういえば、美穂ちゃんてば結構本番に強い子だったもんね〜。」
美穂の勇気ある行動を、四人は草葉の陰物陰で褒め称えていた。
「さ〜て、小僧はどう出る?」
デスマスクが視線を向けた先には、満更でもなさそうな顔をした星矢がいる。
四人は星矢が何かしらのリアクションを返すのを、今か今かと待った。
「・・・・・・・・・俺も・・・・・・・・・」
「え?」
「俺も・・・・・・・、美穂ちゃんの事・・・・・・好きだぜ。」
「星矢・・・・・ちゃん・・・・・・・・・」
二人のバックに大量の薔薇が咲き誇り、美穂は感動の熱い涙をその瞳に薄らと湛える。
多少大袈裟な脚色が入ってはいるが、二人のムードは大方そんな感じであった。
「俺さ・・・・・、さっきあんな事言ったけど・・・・・、俺別に、美穂ちゃんの作ってくれる料理が好きだから、美穂ちゃんが好きだって訳じゃないんだぜ?」
「本・・・・当・・・・・?」
「ああ。だから誤解しないで欲しいんだ。・・・な?」
「うん・・・・・、うん・・・・・・!私こそ・・・・・・、ごめんね・・・・・・?」
「もう良いよ。俺も別に怒ってないし。」
「本当に・・・・・・?」
「ああ!美穂ちゃんはさ、俺にとって大事な人だから。だから、仲直りしようぜ?」
今にも泣きそうな美穂の肩を軽く叩いて、星矢はニカッと笑ってみせた。
それを見た美穂の瞳が揺れる。
こうなれば、この後には定番の行動がある。
どちらからともなく抱擁を交わし、お互いの気持ちを受け取りあった証のキスを。
現に四人の目には、美穂がもう間もなく星矢の腕の中に飛び込もうとしているかのように見えていた。
だが。
「星矢・・・・ちゃん・・・・・・、それホント・・・・・・?」
「ああ!俺は美穂ちゃんを大事に思ってるぜ。
星華姉さんや星の子学園のチビ達や姉ちゃんと同じ位に!」
何の迷いもない、むしろ『俺今凄ぇ良い事言った!』位の晴れ晴れしい笑顔を浮かべて、星矢は胸を張っていた。
『は?』
ところが、そう思うのは当人ばかり。
言われた美穂は勿論、聞き耳を立てている達四人も、呆気に取られずにはいられなかった。
「俺達皆一緒に育って来ただろ?だから、俺にとっては皆大事な家族なんだよな!だから、やっぱり喧嘩とかしたくねぇじゃん?」
愛は愛でも。
『・・・・・家族愛か(よ)!!!』
猛烈に突っ込んだ四人は、思わず星矢と美穂の前に踊り出た。
「うらーーー小僧!!!」
「うわっ!?何だよ、デスマスク!?アンタまだ居たのか!?」
「居て悪いか、このアホンダラ!!」
驚く星矢にヘッドロックをかけ、デスマスクはその頭をギリギリと締めた。
「テメェって奴はーー!!俺様の話の何を聞いてやがったんだ!?」
「いだだだだ!!何だよ何だよなんっ・・・痛ぇぇぇぇ!!!」
「オラオラオラーーー!!ヘッドロック如きで音ぇ上げてんなよ!?次はDDTだ!!うおりゃああ!!!」
「ぐはあっ!!!」
「今だ、いけシュラ!!ムーンサルトプレスかましてやれ!!!アフロ、テメェもだ!!フライングエルボーいったれ!!」
星矢の身体を脳天から地面に投げ倒し、あまつさえシュラとアフロディーテにも参戦させようとするデスマスク。
わざわざ親身になって相談に乗ってやったのに、この小僧ときたら人のアドバイスを全くの無にしやがった、とでも思って思っているのだろうか、やたらに攻撃的だ。
「ちょ、ちょっと落ち着いてよデス!!シュラ、アフロ!デスを止めて!!」
「落ち着けデスマスク!!こんな所でプロレスするな!!」
「全く、少しは人の目を考えろ!!」
シュラとアフロディーテによって、その場は何とか収まった。
「いってぇ・・・・・、思いっきり投げやがって・・・・・」
「星矢ちゃん、大丈夫・・・・?」
身体のあちこちを擦る星矢に、美穂が心配そうに声を掛けている。
その様子を見たシュラは、眉間に深い皺を刻んで星矢の頭にゴツンと拳骨を落とした。
「いてっ!!アンタまで何すんだよ、シュラ!?」
「仮にも聖闘士が、いつまでもプロレス技如きにピーピー言うな。情けない。」
「だってマジ痛ぇんだから仕方ないだろ・・・・。デスマスク、アンタ黄金聖闘士よりプロレスラーになった方が飯食えんじゃねぇの?」
「黙れクソガキャ。」
モクモクと煙草の煙を吹き出したデスマスクは、仏頂面で星矢を睨んだ。
「ったくお前はよぉ、人の話をちゃんと聞いてたか!?何だあの台詞は!誰が家族愛を深めろと言った!?」
「うるせぇな!!っていうか盗み聞きしてたのかよアンタら!?」
「それもこれも、君が頼りないヒヨコだからだ。大体、私達がいなければ、君らは未だに意地を張り続けてふて腐れていただろう?」
「う゛・・・・・・」
アフロディーテの鋭い言葉に一瞬詰まった星矢は、しかしすぐに気を取り直し、カッと目を見開いて叫んだ。
「うっ、うるせぇな!!ヒヨコヒヨコって馬鹿にするな!!大体、今の話のどこがいけなかったんだよ!?」
「どこってアンタねぇ・・・・!」
は、絶望的な眼差しで星矢を見つめて言った。
「ねえ、美穂ちゃんの事、本当に私と同等に思ってるの?」
「ああ!」
「本当のほんっっっとうに?」
「ああ!!それの何がいけないんだよ!?」
「何がいけないっていうか・・・・・・、そうじゃなくてさ・・・・・・・」
が呆れて閉口してしまった代わりに、シュラが口を開いた。
「お前はミホが好きではないのか?」
「だからー、そんな事ないって言ってんだろ!?」
「違う。恋愛対象ではないのかと訊いているんだ。俺とデスマスクの言った事、覚えているだろう?」
「それは・・・・・・・」
幾ら何でもそこまで馬鹿じゃない。
そう言いたげな表情で、星矢は『覚えてるよ』と気まずそうに呟いた。
「・・・・・・・・けどさ。」
「けど?」
「けど俺・・・・・・・・、愛・・・・・・・・・してるとか何とか、正直よく分かんねぇし・・・・・・・・・・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っていうか俺はさ!!」
突如大声を張り上げた星矢は、その勢いのまま熱弁を始めた。
「俺は、美穂ちゃんも星華姉さんも星の子学園のチビ達も、紫龍も氷河も瞬も一輝も、それから魔鈴さんにシャイナさんに貴鬼も、皆大事だと思ってんだよ!!!」
「ふぅん、そこに俺らの事は入ってない訳ね。良い度胸じゃねぇか小僧。」
「うるっせぇな!!いちいち揚げ足取るなよ!言い忘れただけじゃねぇか!」
「これだけ世話を焼いたのに、私達は言い忘れられる程度の存在か。益々良い度胸だ、ペガサス。」
「ああもう!!とにかく俺は、皆好きだし大事なんだぁぁぁーーーッ!!!!」
ぁぁぁぁぁ・・・・・!
と星矢の叫びが余韻となって木霊する中、は恐る恐る星矢に尋ねた。
「・・・・・・って事はもしかして・・・・、沙織ちゃんもその中に入ってたり・・・・する?」
「する。あと、勿論姉ちゃんも入ってるからな。」
「・・・・・・そ。ありがと・・・・・・・」
きっぱりと答える星矢を前に、は薄笑いを浮かべてガクリを頭を垂れた。
やがて、ぽかぽかと温かかった太陽は陰を潜め、辺りは暮れ始めた。
「今日はごめんね、美穂ちゃん。折角だったのに邪魔しちゃって。」
「ううん、良いのよお姉ちゃん。」
首を振る美穂の微笑みは、何かが吹っ切れたような清々しい穏やかさを湛えていた。
「私ね、今日・・・・・、ちょっと嬉しかった。」
「え?」
「そりゃ、星矢ちゃんてば私の気持ちなんか全然分かってくれてないし、ちょっとそれってどうなのよとは思ったけど、でも・・・・・」
少し離れた所に立っている星矢をちらりと見やって、美穂は小さく呟いた。
「・・・・・星矢ちゃんらしい、と思わない?」
「美穂ちゃん・・・・・」
「あの人もこの人も皆大事で、みーんな星矢ちゃんにとっては欠かせない存在で・・・・・・。でも、私もその中に入ってるんだなって思ったら・・・・・、何だか少し嬉しい。」
「・・・・・・ふふっ、そうね。」
「それに、星矢ちゃんが沙織お嬢様だけを特別に想ってるんじゃないって分かったから、ちょっと安心しちゃったしね。」
沙織と美穂の勝負は、どちらが勝つでも負けるでもない、むしろ勝負にすらなっていなかった。
彼女達の恋の相手である、肝心の星矢が鈍感な為に。
だが、心の何処かではそれに安堵していた。
いずれ星矢と彼女達がもっと成長すればどうなるか分からないが、少なくとも今はまだやはり。
沙織の悲しげな横顔も、美穂の泣き顔も、どちらも見たくはなかったからだ。
「お姉ちゃん。」
「ん?」
「私、まだ諦めないからね?星矢ちゃんは私の事、家族だって言ってくれたけど、私は本当は・・・・・、いつか星矢ちゃんと、本当の家族になれたらな・・・・・、なんて思ってたり・・・・」
「美穂ちゃん・・・・」
「きゃっ、言っちゃった!この事、星矢ちゃんには言っちゃ駄目よ?」
「あははっ、OKOK!」
頬を赤らめた美穂と笑い合い、は星矢の様子を横目でちらりと伺った。
「だからーー!!チェリーって言うなって言ってんだろ!!!」
「うっせー、チェリーはチェリーだろ、この馬鹿チェリーめ。テメェはそんなんだから、いつまで経っても乳臭ぇ坊やなんだよ。」
「ははっ、おいデスマスク。いい加減にしておいてやれ。坊やが愚図ったらどうする?」
「っか〜〜ッッ!!シュラ、アンタまで馬鹿にするか!?子供扱いするなぁ!!」
「フフッ、ヒヨコはからかい始めると際限がないな。」
「ムッキャーーー!!!」
しかし、デスマスク・シュラ・アフロディーテに囲まれていじられ倒している星矢を見て、これではいつまで経っても今と一緒かもしれない、とは彼らの今後に一抹の不安を抱かずにはいられなかった。
「それで・・・・・・・、如何でしたか?」
早く聞きたくて堪らないといった風な沙織を前に、達四人は気まずそうな顔を見合わせた。
「ああっとですね・・・・・・、まあ・・・・・・・、大丈夫ッスよ。」
「大丈夫、とは?どういう意味ですか、デスマスク?」
「まあ・・・・・、大丈夫っていうか・・・・・・」
「逆に無理というか・・・・・・・・」
「話にならないというか・・・・・・・」
語るのも情けないのか、次々に口籠ったデスマスク・シュラ・アフロディーテは、縋るようにを見つめた。
「だ・・・、大丈夫!!沙織ちゃんが心配しているような事は何もなかったから!」
「まあ・・・・・、本当ですか!?」
「うん・・・・・・、けど・・・・・・・・、あの子かなり鈍いみたいだから、沙織ちゃんも美穂ちゃんも苦労するかもね・・・・・」
「は?」
きょとんとする沙織に、一同は『いえいえ何でも!!』と慌てて笑顔を形作り、沙織には聞こえないように、疲れた溜息を小さくついた。