お家がない!?

― 処女宮編 ―




「ここにある物は何でも好きに使いたまえ。」
「ありがと。」
「それから、私に気を遣う必要はない。自由にしたまえ。」
「うん。」

を伴って自宮に戻ってきたシャカは、淡々とした口調でそう告げた。
別に面白くもなさそうな、かといって嫌がっている訳でもなさそうな。
本当に淡々とした口調である。

シャカは黄金聖闘士の中でも、一・二を争う程掴み所のない人物。
少なくとも、にとってはそうだった。
なのに何故この処女宮を選んだのか。

それは・・・・・


「・・・・この機会、逃せないわね。」
「何か言ったかね?」
「ううん、何も。」

思わず口をついて出た独り言を誤魔化して、はにこにこと笑った。

この機会というのは、言うまでもなくシャカとの共同生活の事だ。
そしての目論見は、このシャカという人物を掴む事であった。
平たく言えば、彼の人間臭い部分を見つけたいと、こういう事である。

「まあ良い。丁度夕餉にしようと思っていたところだ。用意は出来ているから、君も食したまえ。」
「うん、ありがとう!いただきまーす!」

シャカの手料理を食べるのは初めてだ。
早速彼の人間性を垣間見れる予感を感じ、はウキウキとシャカの後をついて行った。





「・・・・・ご馳走様でした。」
「うむ。腹は膨れたかね?」
「はい・・・・」

今夜の処女宮の夕餉は白粥であった。
味といえばごく薄い塩気のみのそれは、まるで病人食のようだった。
しかも下での騒ぎの前に拵えていたらしく、食卓に就いた時には既に水気を吸いきって団子状態になっていたのだ。
その薄味団子粥は、腹より何よりまず喉と胸を詰まらせていたのである。
ちなみにシャカは、それを涼しい顔でぺろりと平らげていた。

しかし食べ物に、まして人に出されたものにケチをつけるのは失礼だ。
その一念で、はげんなりとした表情をどうにか笑顔に形作った。


「シャカっていつもこういうの食べてるの?」
「粥は毎日食している。」
「こ、好物なんだ?」
「特にこれといった好物はない。また逆に、苦手な食べ物もない。仏教の世界では、粥は健康に良い事が10あるという教えがある。故に口にしているのだ。」
「へ、へぇ〜〜・・・・、でも毎晩お粥じゃ飽きない?」
「粥は朝食のみだ。ただ今日は米以外の食材がなかったので、やむを得ず夕食も粥にした。」

食卓模様は多少世俗離れしているものの、ひとまずの収穫はあった。
買い出しを忘れて食料を切らすという、そんなちょっと抜けた一面があるという事。
出だしはまずまずである。


「どうした、何を笑っているのかね?」
「ううん、何でもなーい。」
「まあ良い。私はこれから瞑想に入る。君は適当に寛いでいたまえ。何なら先に湯浴みを済ませていても構わん。」
「了解!じゃあまた後でお喋りしようね!」

シャカは一瞬眉をぴくりと動かしたが、何も言わずにスタスタと宮の方へ出て行った。

「ほんっと分かんないわね・・・・。ううん、手強い・・・・・」

当分は戻って来ないであろうシャカの後姿を見送って、は小さく唸り声を上げた。





取り敢えず勧められた通り先に入浴を済ませてくると、程なくしてシャカが戻ってきた。

「あ、お帰り!瞑想は終わり?」
「うむ。どうした、何を笑っているのかね?」
「シャカって敏感肌なんだね〜!」

浴室に置いてあったボディソープのボトルには、

『デリケートなお肌のあなたに ウルトラナチュラルスキンケアソープ 無香料』

などと記載されてあったのだ。

そのやけに少女じみたデザインの可愛いボトルとその性能が、シャカの雰囲気に合っていない事はないような。
そのソープを拝借して身体を洗いながら、笑いのツボに嵌ったのであった。

一方、にまにまと笑うに、シャカはやや憮然とした口調で言い訳を始めた。


「別に敏感肌な訳ではない。ドラッグストアで無香料の物を探したらこれしか無かったのだ。」
「匂いに敏感なの?でもお香は良く焚いてるよね?」
「これみよがしで派手な香料の匂いが好かんだけだ。」
「な〜るほど。でもあれすごく良いね!デザインも可愛いし。私も今度買おうかな。」
「・・・・・好きにしたまえ。」

更に仏頂面になったシャカは、を残して浴室の方へと歩いて行った。
口調も表情もつっけんどんだが、その顔色がほんの少しだけ赤かった事を、は見逃さなかった。

「ふふっ、面白い。」

日頃から何を考えているのか分からない。
暮らしぶりも仙人のようなイメージしかなかった。
けれど。

「ちゃんと人っぽい所あるじゃん。」

妙な充実感と共に、これまた妙な嬉しさを感じる。
だがそんな気分に浸っている時、はふとある事を思い出した。

「あっ・・・・!」

そして、思い出すが早いか、は大急ぎで浴室へと駆けていった。





「全く・・・・・」

やたら機嫌の良さそうなの笑顔を思い出して、シャカは溜息をついた。

「あの娘と話していると、どうにも調子が狂う。」

文句のように聞こえるが、文句ではない。
と過ごす事を不愉快に感じているのならば、そもそも自宮に招き入れたりはしない。
これでもシャカは、と会話する事が好きだった。
から聞く日本の様々な話は、知識欲を刺激してくれる。
だが時折、あのように毒にも薬にもならない話題を持ちかけてくるのだ。

年頃の娘の考える事は分からぬ・・・・

まるで中高年のオヤジのような台詞を吐き、身体を洗おうとタオルを手に取った瞬間。


「シャカ〜!開けるよ!」
なっ!?ま、待ちたまえ!

流石に焦りを露にしたシャカは、大慌てでタオルを腰に巻きつけた。
そして咳払いを一つし、声を整えた後、浴室のドアを少しだけ開けて顔を覗かせた。

「何用かね?湯浴みの最中だというのに行儀の悪い。」
「ごめんごめん!でも言い忘れた事があって!」
「何かね?」
「ボディソープ、さっき私が使った時に切らしちゃったの!だから困ってるかな〜と思って。」

は申し訳なさそうに笑って、『買い置きある?』と問いかけてきた。
なるほど、確かめてみれば中身は空っぽだった。
だがストックなどない。
シャカは事も無げにそれを告げた。

「えーそうなの!?ごめーーん!じゃちょっと待ってて!何処かから借りてくる!」
「その必要はない。湯で薄めれば1回分の量にはなる。」
「そ、そう?」
「うむ。だから早く出て行きたまえ。」
「は〜い、ホントごめんね・・・・・」
「構わん。」

浴室のドアが素っ気無くぴしゃりと閉められた途端、笑いそうになった。
いや、申し訳ないと思うのは事実なのだが、それ以上にシャカの言った庶民的な対処法に妙な親近感を覚えたからだ。

「私的には常識だけど、まさかシャカもするとは思わなかったわ・・・・・。あ、そうだ、せめて何か用意しておこうっと。」

湯の流れる音に消される程度の独り言を呟いて、はキッチンへ向かった。
湯上りのシャカに、詫びのつもりの冷たい飲物を用意する為に。





「全く・・・・・」

浴槽に浸かりながら、シャカは先程より一段と重い溜息をついた。

「仮にも妙齢の女性でありながら、男の風呂に押しかけてくるとはどういう事だ・・・。」

別に身体を見られた訳ではないが、シャカは珍しく動揺していた。
何しろ、異性に風呂を覗かれるなど初めての経験だからだ。
にやましい気持ちなどないのは分かっているが、どうにも気が落ち着かない。
この動揺は、慣れない種類のものだった。

自宮だというのに、これ程落ち着かないのは初めてだ・・・・・

それはそうだろう。
自宮で異性と暮す事など、これが初めてなのだから。

独り言に心の声を返していたその時、耳に鋭くの悲鳴が聞こえてきた。
それはそれは悲痛な、緊迫感を帯びた声が。

シャカは無言で立ち上がった。





キッチンへ駆け込んでみれば、が真っ青な顔をして硬直していた。

「何事だ!」
しゃっ、シャカー!助けて!!

が『アレ、アレ』と指差す方を見やれば、そこには。

「・・・・アレ、かね?
そう、ソレ!何とかして何とかして!やっつけて!!早く〜〜!!

微動だに出来ないと対峙するように佇む、特大の『ゴ』のつく虫がいた。
季節外れの割にはなかなか立派な体格をしている。
だが所詮はただの虫ケラ。
にも関わらず、彼奴は完全にを呑んでいた。

いっ、嫌ぁ!!動いた、今『ピクッ』って動いた〜〜!!
「・・・・それ程怖ければ、こちらに来れば良かろう。」
無理ーー!!

彼奴を挟んで対岸に居るシャカの元へ駆け寄りたくても、にはそう出来なかった。

黒光りのするコンパクトボディに、アフリカ象並みの存在感。
感じる危機感は、さながら飢えた虎の檻に放り込まれたが如し。
シャカの提案を実行する事は不可能である。

従って、はその場で半泣きになるより他なかった。

「シャカ・・・、早く・・・・、コイツが飛ぶ前に早く・・・・!」
分かったから、その情けない声をどうにかしたまえ。

シャカは呆れ返った口調でそう告げると、おもむろにスリッパの底で彼奴を一撃した。
流石は黄金聖闘士。
飛ぶどころか一分の隙も与えぬうちに、彼奴を葬り去った。

「良・・・かった〜〜・・・・!!」
「何をしゃがみ込んでいる?」
「こ、腰が抜けて・・・・・」
「全く・・・・」

シャカはスリッパを跨ぐと、に近付いて腕を貸した。

「ありがとう・・・・。ホント助かったーー!!さすがおシャカ様!」
こんな下らぬ事で褒められても嬉しくないのだが。
「ついでに後始末もしてくれると嬉しいんですが・・・・」
「控えめな物言いだが、『何が何でもやれ』と顔に書いてあるぞ。」
「え、えへへ・・・・」

恐縮そうに笑うが差し出したティッシュを受け取って、シャカはあっさりと後始末をした。
この一連の作業は、シャカにとっては全くどうという事もない事だが、にとっては偉業である。
は、きらきらと尊敬の眼差しをシャカに向けた。

「素敵〜〜!尊敬するわ!!」
「・・・・下らぬ。これしきの事で大袈裟な。」
「いやいや、本当に凄いわよ!シャカが来てくれなかったら、気が変になるところだったわ!」

そこまで言って、は急に目線を宙に泳がせた。
そして、困ったような薄笑いを浮かべて言った。

「あ〜〜・・・・っと、シャカ・・・・」
「何かね?」
「その・・・・、タオル、取れかけ・・・・


目を逸らしたままが指差すのは、シャカの腰。
そこにはバスタオルが一枚巻きつけてあるだけだった。

今更だがよくよく思い出してみれば、の悲鳴に思わず焦り、着るものも着ずに浴室から飛び出して来たのだ。
そして今正にその結び目は緩み、はらりと落ちそうになっているではないか。
シャカは光速でそこを押さえ、これでもかとばかりに固く結び直した。

「・・・・・失敬。」
「い、いいえぇ・・・・。こちらこそ、お風呂の最中に・・・・」
「・・・・・用が済んだなら、私は風呂に戻らせて貰う。」
「どうぞ、ごゆっくり・・・・・」

やたらにぎこちないテンポで二言三言交わして、シャカは紅潮した無表情で風呂に戻り、もまた無言で頬を染めながらそれを見送った。




「人間臭い部分・・・・、この調子だと山程見つけられるかも・・・・

この予感通り、はその後の生活においてシャカに親近感を山程見出す事になり。


「落ち着かん・・・・、全くもって落ち着かん・・・・

シャカはシャカで、この言葉通り今後も度々平常心を欠いては、未だ他の黄金聖闘士達にも見せた事のない一面をに曝け出す事になるのだが。


段々当初の目的を果たしていくと、自分の無防備な部分を次々と見られたシャカがどういう関係に発展するか。
それはまだ、この時の二人には分からぬ事であった。




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後書き

私にとってシャカは、最もラブロマンスの書き難いキャラのようです(笑)。
だから、開き直って色恋味は極薄にしてみました。
・・・・・結果はご覧の通りです(泣笑)。