金牛宮の主・アルデバランは、やや照れた面持ちでを部屋に上げた。
「まあ遠慮せずに寛いでくれ。散らかってて済まんな。」
「ううん、全然!」
「今コーヒーでも淹れよう。」
キッチンに向かうアルデバランを見送って、は部屋の中を見渡した。
彼はああ言ったが、なんのなんの、決して言う程ではない。
適度に生活感の漂うこの部屋は、をリラックスさせていた。
程なくしてアルデバランがコーヒーを運んで来たので、それから夕食までの間、二人はしばし雑談をして楽しんでいた。
「見ての通りのむさ苦しい所だが、自分の家だと思って遠慮せずに過ごしてくれ!」
「ありがとう!」
「・・・・・しかしな、俺が言うのも何だが・・・・・・」
「何?」
「どうしてまたここを選んだのだ?」
確かにとは気の置けない付き合いをしている。
だから大歓迎なのは事実だ。
しかしいざ実際こうなってみると、何故が自分の所を選んだのか少々気になる。
「う〜ん、仲良しだから、かな。」
「はははっ、なるほど、違いない!」
「ふふっ。これからしばらくお世話になります!」
「何の、こちらこそ宜しく頼む!」
「さぁてと、住まわせて貰うからには何かしなくちゃね!取り敢えず夕食の支度でもさせて貰おうかな。」
いそいそとキッチンへ向かうを見送って、アルデバランは内心何とも擽ったい気持ちになった。
ほんの束の間でも、と一緒に暮らすのだ。
そう思うと、柄にもなく緊張してしまうのであった。
の手料理を食べるのはこれが初めてという訳ではないが、それでも今夜は格別に美味かった。
味もさる事ながら、この状況がそう思わせているのだろう。
「いやぁ、美味かった!」
「い〜え〜、お粗末様でした。」
「俺も長く一人暮らしだったから通り一遍の事はこなせるつもりだが、やはり女性には勝てんな。味が雲泥の差だ。」
「何言ってんのよー!そんなお世辞なんか言ったって何も出ないわよ!」
ころころと笑うを見ていると、心がふわりと温かくなる。
「いやいや、世辞などではないぞ!本当の事だ。」
「ふふっ、ありがとう〜。」
「さて、面倒にならん内に片付けてしまうか。」
グラスの水を飲み干すと、アルデバランはテーブルの上の皿を重ね始めた。
てきぱきと纏めて、あっという間に一つの山にしてしまう。
二人分の食器だから決して多過ぎる訳ではないのだが、それでも普通の者ならば一度に運ぼうとは思うまい。
ところが彼は、それを全部抱えてしまった。
「ちょっと大丈夫!?私も半分持つわよ!」
「それには及ばんさ!美味い飯を作って貰ったからな。片付けは俺の役目だ。」
「私もやるってばー!ちょっと待ってよー!」
出来の良い亭主のような事を言って、スタスタとキッチンへ歩いて行くアルデバラン。
その後を追いかけて一緒に皿洗いを始める。
そんな二人の姿は、傍から見ればすっかり出来上がった風にしか見えなかった。
片付けを終え、水に濡れた手をタオルで拭いていると、ふと腕の辺りにの視線を感じた。
「ん?何だ?」
「ううん別に。ただ、凄い腕だなぁと思って。」
「ははは、何だ急に。」
「ねえねえ、ちょっと触っても良い?」
「?構わんが・・・・・」
訝しみつつも、アルデバランは袖を捲り上げた腕をに差し出した。
固い筋肉で覆われた逞しいその腕を、は感嘆の笑みを浮かべて握る。
「かったーい!凄いねぇ!ほらほら、カチコチ!」
「はははは、俺は別に何とも思わんがな。何しろ自分の腕なのだから。」
「あははっ、そりゃそうよね!でも何したらこんなになるの?」
「何って別に。気がついたらこうなってたからな。」
アルデバランは事も無げに笑って言った。
その『気がつく』までの間に、壮絶な修行と死闘を繰り返していたのであるが、この身体を作るという意味では、さして意識もしていなかったらしい。
「でもさ、こんな腕してたら腕相撲とかすっごい強そうだよね!」
「まぁ・・・・、腕っぷしには自信のある方だが。」
「ねえ、私と一勝負してみない?」
「なっ!?」
顔を輝かせて誘うに、アルデバランは呆気に取られてしまった。
「本気か!?」
「あっ、勝てるとか思ってる訳じゃないのよ!そんなの考えるまでもないし。それは絶対無理だから。」
「なんだそれは・・・・;」
「勝ち負けの問題じゃなくてね、どれ位強いのか試してみたいの!」
どうやら、純粋な好奇心のみで言っているようだ。
腕相撲は勝ち負けの問題なのではという疑問は消えないが、アルデバランはに押し切られるようにして頷いてしまった。
が相手では、力の100分の1も出さずに済むだろう。
だが、心配なのはがムキになる事だ。
それで自爆して、手首でもいわされたらかなわない。
「た、頼むから怪我だけはしてくれるなよ;」
「おっけー♪じゃあ勝負ね!」
そんなアルデバランの心配を他所に、は嬉しそうに袖を捲り上げた。
「何で俺が・・・・」
「ガタガタ言うんじゃねぇ!静かにしろ!」
「お前の声もデカいぞ。気付かれるだろう。」
夜の闇に溶けるようにして潜む3つの影。
その正体は、アイオリア・デスマスク・カノンであった。
この三人が何をしているか。
それは言わずとしれた事、金牛宮の覗きである。
「や、やはりこういうのは良くないぞ。気になるなら正々堂々と訪ねてだな・・・」
「馬鹿かお前は。それじゃ面白くねぇだろうがよ。」
「お前に言われてはアイオリアが気の毒な気もするが、同感だな。」
平然と構えている二人に対し、アイオリアだけがそわそわと落ち着かない。
強引に連行されるまま来てしまった事を、彼は若干後悔し始めていた。
「だ、大体お前達、あのアルデバランとが、そんな不埒な行為に及んでいると本気で思っているのか!?」
「だからそれを見に来たのだろうが。」
「そうともよ。アルデバランだって男だ。一つ屋根の下でしばらく一緒に居りゃ、ナニが起こるか分かんねえだろうが。」
「だったら尚更覗き見など失礼ではないか!」
極めて真っ当な意見を訴えるアイオリアの肩に、悪人面をしたデスマスクの腕が回った。
「今更いい子ぶるなよ。テメェだって本当は嫌いじゃねぇんだろ?」
「し、しかし・・・、もし本当にその、及んでいたら・・・・どうするのだ?」
「「知れた事よ。」」
カノンとデスマスクの不敵な声が、見事にハモった。
「参加する。」
「牛と蟹を蹴散らして、を掻っ攫う。止めるなら貴様も殺る。」
「外道か貴様ら!?」
「外道で結構。」
「行くぞ。」
憤慨しつつも赤面するアイオリアを引き摺って、カノンとデスマスクは窓辺へと近付いた。
ギシッ、ギシッ。
何かが軋む音がする。
確認したいが、窓の向こうに垂れるカーテンが邪魔で見え難い。
「お、おい・・・・、やはり止めた方が・・・」
「ちっ、見えねぇじゃねえか。」
「しっ、静かにしろ。何か聴こえる。」
カノンの鋭い声に、残る二人は押し黙った。
じっと耳を澄ませてみると・・・・
「うっ・・・・んぁッ・・・・!」
「・・・・どうした、。もう限界か?」
「くぅっ・・・・・!ま・・・・だ・・・・」
「もっと締めてみろ・・・・・」
「こう・・・・?」
「・・・・そうだ、いいぞ。・・・・ならばこれは耐えられるか?」
「んぅーーッ!」
とアルデバランの声がする。
どう考えても普通の会話には聞こえない声が。
それを耳にした途端、三人の様子が変わった。
カノンは片眉を吊り上げ、デスマスクは一瞬目を光らせ、アイオリアは卒倒しそうな表情を浮かべる。
「おい、どうやらビンゴだぜ。」
「紳士面をしておきながらいい根性だ、アルデバランめ。」
「お、おいお前達!近付きすぎだぞ・・・!」
アイオリアが止めるのも聞かず、カノンとデスマスクは窓際に張り付いた。
目の前のカーテンが曲者だ。
見えそうで見えない、この絶妙な隙間が、正に出刃亀泣かせというもの。
もっと良く見ようと、そこに頭を寄せ合ったその時。
ガタンッ!
「誰だ、さっきからそこで何をしている?」
「「!!!」」
ぴったりと頭を張り付けていた窓がいきなり中から開かれた。
慌てて飛びのいたお陰で、中に転げ落ちる事だけは何とか免れたのだが、それでも窓枠でしたたかに額をぶつけてしまった。
カッコ悪い事この上なしである。
「お前達か。何の用だ?」
中から顔を覗かせたアルデバランに率直な質問をされた三人は、揃って口籠った。
いくら何でも、まさかここへ来た目的を正直に言える訳もない。
「い、いや・・・・」
「用って事はねぇんだが・・・・」
「うむ・・・・その・・・・・」
その様子から、アルデバランはピン、ときた。
何故ここにアイオリアが混ざっているのかは分からないが、他二人のメンツから大方の見当はつく。
自分達が何をしていたか正直に言ってやって笑い飛ばしても良かったのだが、アルデバランはふといつもとは違う事を思いついた。
「そうか。用がないなら済まんが帰ってくれんか。今取り込み中なのでな。」
「「「なっ・・・・」」」
「いつまでそうしてるつもりだ?野暮な真似はよして貰おう。」
「「「!!!」」」
いつになく含みのある笑みを浮かべるアルデバランに、三人の顔が引き攣った。
さしもの彼らも、この状況でこの台詞を吐かれるとどうしようもない。
「す、済まん、邪魔をした!おい二人とも、行くぞ!」
顔を赤らめたアイオリアが、残る二人を引き摺って行く様子を見送って、アルデバランは大笑いしそうになるのを必死で堪えた。
― 我ながら下らん嘘だが、たまにはあいつらへのいいお灸になるだろう。
あの様子からみると、どうやら完璧に成功したようだ。
少しの疑いもなく追い返せたのは、ひとえに日頃の自分のお陰だろう。
無骨で馬鹿正直、広くそう思われているからこそ、偶のこんな演技が難なく通じる。
― せいぜい丸一日、やきもきしていることだな。
折角のとの共同生活なのだ。
第一日目ぐらいは邪魔をされたくない。
奴らは明日飲みにでも誘ってやって、真相はその時に話してやろう。
「どうしたの、アルデバラン?何かあったの?」
「いや、何でもない。」
「じゃあもう一勝負!」
「まだやるのか?てんで勝負になってないが・・・・」
「だって悔しいんだものー!アルデバランの腕、ちっとも動かないし!」
「はは、分かった分かった。じゃああと一勝負だ。さっき言った通り、しっかり脇を締めてやってみろ。」
今からの楽しい時間と、明日起こるであろう愉快な事態。
それを想像して楽しげな笑みを浮かべながら、アルデバランはバタンと窓を閉めた。