お家がない!?

― 獅子宮編 ―




すぐ前に迫る、黒曜石の瞳。
誘うように小さく開いた唇。

『アイオリア・・・・・』

触れ合いそうになる、唇と唇。
指一本動かす事が出来ない。


『好き・・・・・』





「どうしたの?」
!!!

ひょっこりと目の前に現れたの顔に、アイオリアは飛び上がりそうな程驚いた。

「そんなに吃驚しないでよー!ほら、ビール取ってきたよ!」
「あ、ああ、済まないな。」

慌てて取り繕うような笑顔を浮かべながら、アイオリアは差し出された缶ビールを受け取った。
と言っても、この驚きは、もはや飲まずとも十分アイオリアの背筋を冷やしたのだが。

この時期にも関わらず、冷えたビールでも飲まずにはいられないと思ったのには訳がある。

風呂上りの火照りを冷ます為?
それもある。
だが、一番大きな理由は・・・・・


「じゃあ、しばらくご厄介になります!かんぱーい!」
「か、乾杯・・・・」

― 何だってあんな夢を見た日に・・・・

にこにこと差し出してくる缶に自分の缶を軽く当てて、アイオリアは内心激しく狼狽した。


何故よりによって、あんなリアルな夢を見た日に、こんな珍事件が起こったのだろう。
そしてまさか、がこの獅子宮を選ぶとは。

― いかん、まともに顔が見られん・・・・!

そう。
一番大きな理由は、今朝の夢と今の状況のせいで、眩暈がしそうな程のぼせ上がった頭を冷ましたかったからであった。





「ほんっと星矢には手を焼いたわ〜!悪戯ばっかりするし、ケンカもしょっちゅう!そのくせ甘えん坊だったりしてね。」
「ははは、目に浮かぶようだな。」
「私の教科書なんか、何度落書きされた事か!」

酒の肴は、二人の共通の弟分・星矢である。
その彼の昔話という他愛もない話題で、アイオリアは何とか落ち着きを保っていた。
の方も、懐かしそうに楽しそうに、その話題に乗っている。

「怒られても怒られても懲りないのよね〜、あの子。」
「確かにな。俺もよくそういう場面に出くわしたものだ。」
「へぇ〜、どんなの?」
「特訓をサボっただの、盗み食いをしただので、魔鈴によく崖の上から吊られていたものだ。」
「あははは!スパルタ〜〜!!」
「見かねて何度か助けた事もあったが、全く懲りていなかったな。」
「どこでも同じ事してたのね〜!あの子らしいといえばそうだけど。」

目を細めて笑いながら、はビールの缶を軽く揺らした。
中身がチャプチャプと音を立てている。

「でもさ、アイオリアと話してると不思議な気分になるなぁ。」
「何故だ?」
「7歳までの星矢はよく知ってるけど、それ以降は殆ど知らないじゃない?でもアイオリアは私の知らない星矢を知っているでしょ?」
「ああ。」
「アイオリアと話していると、空白の筈の6年間が不思議と埋まる気がするのよね。」

は、ほんの少し赤くなり始めた頬を綻ばせた。

「アイオリアみたいな人が見守っててくれて安心したのよ。ありがとう。」
「いや・・・・、なに・・・、その・・・・」

アイオリアはしどろもどろになって口籠った。
そんな風に改めて礼を言われると、折角落ち着き始めていた心がまたざわつく。

あの夢を思い出してしまいそうだ。
夢の中のは、こんな風に自分をまっすぐに見つめていた。


― いかん、早く次の話題を・・・!

アイオリアはごちゃごちゃになった頭を猛烈な勢いで回転させ、新たな話題を探した。
その結果、口をついて出たのは。





「そ、それはそうと、何故俺の所を選んだのだ?」
「え?」
「あ、いやその・・・・!」

よりにもよって、選ばれた理由を訊くなど、何たる失言か。
だがそう思っても後の祭り。
は僅かに首を傾げて、その返答を考え始めてしまった。

「そうねぇ・・・・・」
「いや、その・・・・!良いんだ、理由など別に・・・」

アイオリアは、必死になって己の発言を撤回しようとした。
が。

っ!・・・・・・・・・!?
「アイオリア・・・・・」

あろう事か、はじりじりとにじり寄って来た。

― そ、そんな・・・・!

何処かで見た光景だ。
甘い声で名を呼ばれ、黒く潤んだ瞳で真っ直ぐに見つめられて。
そう、それは今朝方夢現のうちに見た、あの甘美な夢の光景そのものではないか。


― ま、マズい・・・・!これはひょっとして・・・・!

夢が現実のものとして目の前に蘇った事に、アイオリアはすっかり平常心を失っていた。

マズいと言うのは、嫌だという意味ではない。
むしろその逆だ。
ただ、心の準備というものが出来ていない。
気の利いた返事など、何も思い浮かばないのだ。

アイオリアは今日程、デスマスクになりたいと思った事はなかった。
人並み以上に恋愛経験を積んでいる彼なら、きっと即興でも、相手の心を蕩かせる台詞を口にする事が出来るだろうから。


― あ、ああ、来てしまった・・・・!

なんて事を思っている間にも、二人の距離はどんどん縮まり、ついには膝が触れ合う程にまで詰まってしまう。
アイオリアの焦りは、既に頂点に達していた。

だが男たるもの、最早こうなっては腹を括るしかあるまい。
心の準備だの、デスマスクになりたいだの、今更思っても仕方のない事だ。

― せ、せめて・・・、俺の口から・・・・!

気の利いた事など言えずとも、スマートに受け止められずとも、せめて男のメンツぐらいは保ちたい。
アイオリアは必死になって声を出そうとした。
だがその努力は僅かにしか実らず、必死で言葉を紡ごうとした唇だけが少々尖っただけに終わった。

― し、しまった!これではまるで、キスを求めているようではないか!?

恥ずかしいのは山々だが、身体はすっかり硬直してしまっている。
指一本動かす事が出来ない。
そして、唇と唇が触れ合いそうになったその瞬間。






「・・・・睫毛にゴミ。」
「・・・・・・・は?」
「動いちゃ駄目よ。」
「う、うわッ!」
「ああ、じっとしてったら!・・・・ほら取れた。」

が満足そうに笑って差し出した細かな繊維を、アイオリアはしばし呆然と見つめた。

「・・・・・ゴミ?
「そう、ゴミ。目に入ったら痛いでしょ?」
「あ・・・・・りがとう・・・・・」

やはり夢は夢でしかなかった。

『い〜え〜、どういたしまして』というの言葉を遠くに聞きながら、アイオリアはたった一人、涅槃へと旅立った。




「あ、そうだ。さっきの理由なんだけどね・・・・」
「いや、もう良いんだ、本当に・・・・」
「でも・・・」
「さあ、もう寝ろ。夜も遅い。」
「・・・・・うん」

ガックリと肩を落としたアイオリアは、力なくを自室へ送り、その足で獅子宮を出て行ってしまった。
鍛錬は日のある内にするのが主だったが、今のこのやるせなさと煩悩を追い払う為には、
10キロダッシュを100本程こなさねばならなかったからである。





翌朝。

深夜のハードトレーニングは流石に効いたのか、アイオリアは珍しく寝坊していた。
結局10キロダッシュ100本に加えて、腹筋・腕立て・背筋各100回を10セットこなしてしまったのだから、妥当な結果であろう。
その睡眠の深さは、起きてきたの気配にも気付かぬ程であった。
そして。


「何やってたんだか・・・・。まあ、そんな所が好きだったりするんだけどね・・・」

という、呆れ混じりの告白すらも聞き逃す程であった。




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後書き

なんーじゃこりゃ。
アホっぽいなーーー(笑)!
なんか私が書くと、アイオリアがとてつもなく
純粋培養型青年になってしまいますな(笑)。
こりゃあ裏では頑張らナイト!(何)