「あ〜、さっぱりした!」
涼しげなノースリーブのワンピースに着替えたは、さも爽快そうだ。
俺?
爽快な訳ないだろう。
汗は流せたが、それだけだったのだから。
「大体何でシャカはここに入って来れたんだ?鍵はかけてあったのに・・・・・」
「ま〜だブツブツ言ってる!」
は呆れた顔をして、俺に手を差し出した。
「ね、ちょっと散歩にでも行こうよ!そうしたらスッキリするよ。」
「散歩?そんな気分じゃ・・・・」
「良いじゃない!それに、どうせここに居たって何も出来ないんでしょ?じっとしてても余計イライラするからさ。行こうよ。」
「・・・・・・それもそうだな。気分転換に少し歩くか。」
の言う事ももっともだ。
俺はルームキーを手に取ると、と連れ立って部屋を出た。
ホテルの中庭は、狭そうに見えて実は広かった。
フェニックスがまばらに生えている芝生の庭に、可憐な野薔薇のアーチ。
それを嬉しそうに潜り抜けたは、ふと俺の方を振り返って少し気弱な微笑みを見せた。
「ねえシュラ。怒ってる?」
「・・・・・いや。」
「そう、なら良いんだけど。」
ホテルに着いてからずっと俺の機嫌が悪い事を、は気にしていたようだ。
俺の不機嫌の原因はともかくとしても、それでが楽しめないのはやはり申し訳ない。
申し訳ないのもあるが、それ以上に嫌だ。
苦笑してちらりと視線を遠くに投げれば、こじんまりとしたプールがある。
それに目をつけた俺は、の手をそっと引いて腕に抱き入れた。
「別に怒ってなどいない。それより向こうにプールがあるぞ。入ってみないか?」
「え、どれ?あっ、本当だ!うわ綺麗〜!でも、入っても良いのかな?」
「結構でございますよ。」
「うわっっ!!」
「あっ、キャンサーニさん♪」
は呑気な笑顔など浮かべているが、普通こんな雰囲気の俺達の前にいきなり顔を出すか?
「おまっ、お前っ!!いつの間に近付いた!?」
「先程からおりました。プールはどうぞご自由にお使い下さい。」
「あ、でも私水着を・・・・」
「水着はお貸し致しますし、パラソルやビーチボールも用意してございます。」
「本当ですか!何から何まで揃ってるんですね〜♪」
「恐れ入ります。では一度フロントへお越し下さい。ゴフン!・・・・離れて、お願い致します。」
「は〜い。」
は俺の腕から抜け出すと、弾むように蟹・・・キャンサーニについて行ってしまった。
怒るな俺。堪えろ俺。折角の旅行だぞ。
呪文のようにそう繰り返しながら、こめかみに浮かぶ血管を必死で沈めつつ、俺もその後を追った。
更衣室で借りた水着に着替えてプールへ出てみると、暫くしてがやって来た。
膨らませたビーチボールを手に、急ぎ足で駆けて来る。
その度にパレオがたなびいて、大胆に切れ上がった白い太腿が見えたり隠れたり。
スキンシップ禁止というなら、ビキニなど着せるな。
俺はの水着姿を見て例の連中共を改めて呪いつつ、ならばゴム長やウエットスーツが良かったかと言われると、それはそれで嫌だという事に気付いてやめた。
「ほら見て!無料レンタルなのに結構可愛いの、この水着!」
「ああ、良かったな。良く似合ってる。」
「ふふ、ありがとう〜。ね、水に入ってバレーしようよ!」
「ああ。」
俺とは水に入ると、暫しその鮮烈な清涼さに目を細めた。
「きゃーーっ、気持ち良い!やっぱり夏は水よね!」
「ああ、涼しいな。ほら行くぞ!」
「あっ、待って待って、きゃあっ!」
俺はの手からボールを奪うと、軽くトスした。
はそれを追いかけて、盛大な水飛沫を立てながらも何とか打ち返して来た。
それをまた俺が打ち返す。
「ほら、行ったぞ!今度はそっちだ!」
「も〜〜っ、変なところばっかり飛ばさないでったら!」
「それはもだろう、・・・おっと!」
俺はわざと、は天然のノーコンを罵り合いながらも、俺達は二人だけのバレーボールを楽しんだ。
声を上げて笑いながら、涼しげな水飛沫を蹴立てて。
「わっ!?っぷ・・・・!」
「!」
いい加減疲れて来たのだろうか。が顔面でボールを受け止めた。
強く打ったつもりはないし、ビニール製の軽いボールだ。
大事はないであろうが、俺は急いでの元に駆け寄った。
「済まん!大丈夫か!?」
「大丈夫大丈夫!あ〜吃驚した・・・・!」
「そろそろ終わりだな。ここらで止めにしよう。」
俺はの手からボールを取り上げて放り出すと、の顔をそっと撫でた。
「痛くなかったか?」
「うん、平気よ。」
「良かった。」
さっきまでのはしゃぎ声はもう聞こえない。
水の音も、時折チャプンと波の立つ音が聞こえるだけ。
そろそろ暮れかけてきた鮮やかなオレンジの光の中、俺達は言葉少なに抱き合っていた。
「・・・・・ねえ、もうバレーは終わり?」
「終わりだ。」
「つまんない・・・・・・」
「駄目だ。バレーなどより他にもっと・・・・・、やる事があるだろう?」
俺はの頬を撫でていた手を顎に固定すると、ゆっくりとキスを求めた。
ここで勘違いしないで欲しいが、俺はと過ごす時間が好きなのだ。
他愛のない会話や子供じみた遊びでも、となら楽しめる。
だが、それでもやはり恋人の間に触れ合いは不可欠ではないか。
はうっとりと睫毛を伏せて、俺のキスを受け入れようとしている。
キスをして、抱き合って、愛し合って。
もそれを望んでいるではないか。
「ぶっ・・・・!」
だが、唇がようやく出逢いそうになったその時、俺の頭に何かがぶつかった。
「えっ!?なっ、何!?どうしたの!?」
「頭に何かぶつかった・・・・あれか!」
驚いてキョロキョロと見渡してみれば、放り出した筈のボールが俺のすぐ後ろでふよふよと漂っていた。
凶器はこれだ。
そして犯人は・・・・・・
「やはり貴様かデスマスク!!!」
「キャンサーニでございます。」
「何だって良い!!貴様いい加減にしろよ!!何度俺達の邪魔をすれば気が済むんだ!?」
「とんでもない。お邪魔などする気は毛頭ございません。ただ・・・」
「ただ!?」
どうせ言われる事は分かっている。
だが思わずそう訊き返した俺に、奴等はどことなく嬉しそうな顔をして答えてくれやがった。
そう、奴”等”だ。
『当ホテルは、乳繰り合いは禁止ですので。』
いつの間に居たのやら、蟹の一歩後ろにはカノンとシャカが並んでいた。
もういい加減に我慢の限界だ。
このふざけた規則にも、こいつらのすまし顔にも。
「貴様らの存在自体が邪魔だ!!大体な、キスやらナニやら禁止だなどとほざくホテルが何処にある!?」
「ここにございます。」
「黙れシャカ!!そんな規則聞いた事もないと言っているのだ!!客のプライバシーに関わる事だぞ!サービス業がそんな事して良いと思っているのか!?」
「規則ですので。」
「だからそんな規則がある事自体おかしいと言っているのだ!カノン、いい加減に芝居はやめろ!」
「ちょっとシュラ!もう止めてよ恥ずかしい!!大声で怒鳴らないで!!」
いつになく感情的になっている俺を、は恥ずかしいと叱責した。
理由が理由だから、が恥らうのも分かる気はする。
だが、俺はもうこれ以上大人しく従う事は出来ない。
「そんな規則など知るか!良いか馬鹿共!!よく見てろ!!!」
「ちょっ・・・、シュラ・・・・!んぅっ!!」
俺は高らかに宣言すると、を強く抱きしめてその唇に濃厚なキスをした。
ここで勘違いしないで欲しいが、俺は別にこういう事を人前でやる趣味はない。
世の中には他人に見られて興奮するなどという性癖の持ち主も居るようだが、俺は違う。
二人の密か事は、二人だけの時にやるものだと思っている。
その俺がこんな暴挙に出たのだ。
俺の怒りがどれ程のものだったか、きっと分かって貰えると思う。
ともかく俺はたっぷり十秒以上もの間、の腰を弄り、胸を弄り、唇を貪った。
「っはぁ・・・・!どうだ出刃亀共!!これでもまだ文句が言えるか!?」
「っ・・・・・・!酷いよシュラ・・・・・・」
「な!?」
連中の反応を伺う前に、俺はの顔を見てしまった。
頬が真っ赤に染まり、涙目になったの顔を。
「酷い・・・・・、何も皆見てる前でこんな事しなくても・・・・」
「なっ、そこで泣くか!?お前だってこんな規則我慢出来んだろう!?」
「それとこれとは別よ!!こんな・・・・人前で苛立ち紛れにされても嬉しくないもの!!」
「うっ・・・・・!」
ご尤もな意見だ。
俺はぐうの音も出せずに、後悔に満ちた表情で固まった。
「シュラなんて・・・・・、大嫌い!!」
「おい!!何処へ行く!?」
「帰る!!シュラ一人で泊れば!?」
「帰るって・・・・、待ておい!!ちょっと待ってくれ!!」
「知らない!!ついて来ないで!!」
は水着から盛大に水滴を零しながら、かんかんに怒って行ってしまった。
こんな馬鹿な事ってあるか?
二人で来た旅行なんだぞ?
連れに帰られて残った俺一人、一体ここで何をしろと言うのだ?
「・・・・・おやおや、お連れ様が行ってしまわれましたな。」
「ご愁傷様です。お気を取り直してあちらでビールでも如何ですか?」
「後程で結構ですので、恐れ入りますがお連れ様の分のチェックアウトをお願い致します。」
シャカが、カノンが、デスマスクが、全く悪びれもせず呟くのを聞いて、俺はこれから何をすれば良いのかをこれ以上ない程良く悟った。
握った右拳に、今まで感じた事もなかった程の力が宿っている。
今なら俺は、一人でポセイドンとハーデス両方を血祭りにあげる事すら出来るだろう。
ある意味人生最大の会心の瞬間だ。
・・・・・こんな時でなければ、もっと嬉しかったのだが。
「・・・・・・まずは貴様らの息の根を止めてやる!!
エクスカリバー!!!」
「−−−ッ!!!・・・・・・・はっ!?」
ふと気が付いて飛び起きてみると、辺りは暗いながらも見慣れた景色。俺の部屋だった。
「夢・・・・、だったのか・・・・・・」
よく考えてみれば、夢で当然だ。
デスマスクとカノンとシャカが従業員で、ふざけた事ばかり抜かして。
あんなイカれたホテルがあったら、建物ごとぶった斬って闇に葬ってやる。
それでも俺は、あれが夢で良かったと安堵せずには居られなかった。
「う〜・・・・・ん・・・・・、何騒いでるの・・・・?」
横からの唸り声が聞こえた。
不愉快そうに軽く眉を顰めつつも、瞼は意地でも開けないといった感じだ。
さんざっぱら喧嘩した後で疲れているのだろう。
「いや何でもない。悪かった、起こしたか?」
「ん・・・・・、だいじょ・・・・ぶ・・・・・・・・」
スウ、と大きめの寝息を一つ立てると、はまた夢の中へ戻って行った。
俺はその呑気な寝顔を暫く見つめてから、に倣ってベッドに身を横たえた。
任務に喧嘩に、俺も疲れているんだ。
だからあんな悪夢を見たのだ。そうに違いない。
そう自分に言い聞かせながら。
― だがやはり、旅行の話はなかった事にしよう。
明日の朝になったらに詫びて無かった事にして貰おう。
多分また怒るが、旅行先で喧嘩別れするよりは幾らかマシだ。
そう考えると痛くなってきた頭を抱えつつ、俺は眠りに就いた。
明日勃発するであろう、第二次大戦を憂いながら。