仔猫十二宮編

〜 迷子の仔猫ちゃん 〜




やれやれと溜息をつきながら、シュラは自宮の裏手に出ていた。
仔猫を捜しに出て来たのか?いや、そうではない。
キッチンで出た生ゴミを、屋外のゴミ箱に捨てに来ただけである。
幾ら何でも食事も摂らずに四六時中仔猫を探し続ける訳にはいかないし、何より相手もそう簡単には出て来てくれない。

そう。
まだ右も左も分からないチビ助の癖に、仔猫は黄金聖闘士達の手を思った以上に焼かせていたのである。
何とか四匹は見つかったのだが、残り一匹が依然として見つからないままなのだ。
居なくなってからもう十日以上経つというのに。
この事はや黄金聖闘士達を、特にこのシュラを、苛んでいた。


「ふぅ・・・・・・・」

シュラはまるで、暑さにバテて食欲でも失ったかのような、景気の悪い溜息をついた。
いや、実際にはそんな事などないというのは、手にしたゴミ袋に詰まっている生ゴミが物語っているのだが、食欲にまで影響を及ぼす事はなくても、シュラが憂鬱な気持ちでいたのは事実だった。


「・・・・・カミュが帰ったら、奴の凍気で少しはこの暑さも和らぐか・・・・・」

カミュが間もなく任務を終えて戻って来るという報告を受けたのは、今朝の事だった。
あと二〜三日中には戻って来るらしい。
彼が戻って来たら、何と言おうか。




仔猫が一匹見つからないままだ。
これだけ捜して見つからないのだから、そいつは多分何処か随分遠くへ行ってしまったか、或いは。


或いは、何処かでひっそり死んでいるか。






「・・・・・言える訳ないだろう・・・・・。」

幾ら事実や本音とはいえ、言える訳がないではないか。
他の連中はそれぞれ仔猫を見つけて捕獲しているというのに、シュラは未だに一匹も見つけていないのだ。
少なからずそれに責任を感じているシュラが、カミュへの報告に悩むのは至極当然の事だった。

ともかく、もうすぐカミュが帰って来る。
それまでに、同じく一匹も見つけていないアフロディーテと相談して、カミュへの詫び文句でも考えておこう。
などと後ろ向きな事を考えながら、まずはゴミを捨ててしまおうとゴミ箱の蓋を開けかけたその時。




ガサッ、ガサがサッ。




突如、ゴミ箱が動き始めた。
だがしかし、ゴミ箱という、命を持たない無機物がひとりでに動く筈がない。
シュラは、少しだけ隙間の開いたゴミ箱の蓋を、恐る恐る持ち上げてみた。














「ああ、暑い・・・・・・・・」

手を団扇代わりにしてパタパタと動かしながら、アフロディーテは十二宮を下っていた。
この暑さのせいで、白い額や首筋には薄らと汗が滲んでいるが、同じ汗でも彼がかけばまるで違ったものに、喩えて言えば、あたかも薔薇の花弁に浮かぶ朝露の雫の如く美しく見える。


「ん・・・・・?」

そんな芳しい(あくまでも視覚的に、だが)風景の中に、突如えも言われぬ匂いが漂い始めた。
それは、『香り』や『アロマ』などという好ましい表現の仕方をされるようなものではなく、むしろ『臭い』と言った方が正しかった。

「うっ、何だこの臭いは!?」

それを正しい言葉と顰めっ面で適切に表現したアフロディーテは、臭いの発生源を見つけて目を見開いた。



「シュラ!!何をしているんだ君は!!!
「おお、アフロディーテか!!丁度良い、手伝ってくれ!!」

臭いの発生源はシュラ、正確に言えば、オロオロと右往左往しているシュラの腕からどうにか逃げようと暴れている小汚い仔猫だった。


ううっ、臭い!ちょっと待て、私に何を手伝えと言うのだ!?冗談じゃないぞ、私はそんなもの、触る気はないからな!」
「違う!!そんな事を頼んでるんじゃない!良いからを呼んで来てくれ!大至急!」
「な、何だそんな事か。それならお安い御用だ。」
「早くしてくれ!こいつがまた逃げてしまう!」
「わ、分かった。待っていろ。」

安堵したアフロディーテは、ゴミ塗れになって四苦八苦しているシュラをその場に残し、言われた通りを呼びに行った。













「うわぁ・・・・・・・」
「酷いものだろう?」
「ちょっとね・・・・・・。何でまたこんなゴミ塗れになってんの?」

アフロディーテと共に磨羯宮に駆けつけて来たは、まだなおシュラの腕の中で暴れている仔猫を見て絶句した。

「うちのゴミ箱の中に入り込んで・・・・・、こらっ、じっとしていろ!・・・・・・・生ゴミを食い散らかしてたんだ!」
「シュラも相当酷い事になってるわよ?」
「分かっている、俺だって何も好き好んで・・・・!だが、とにかく捕まえておかねばと思ってな。こらっ、じっとしていろと言っているだろうが!!」

じっとしていろと言われているのは、勿論ではなくて仔猫である。
シュラは必死で仔猫を取り押さえながら、に状況を説明しているのだ。


「とにかく、俺ももう限界だ!引っ掻かれるわ臭いわ・・・・・・、、早いところ何とかしてくれ!」
「そ、そうね!とにかくその汚れを何とかしなきゃ!シュラ、お風呂場貸して!中にその子を放り込んで!」
「よ、よし分かった!」

三人はドタドタと磨羯宮内の浴室に駆け込むと、中に仔猫を文字通り放り込んで――――、
尤も、これはシュラが乱暴に扱った訳ではなく、仔猫自身が勢い良くシュラの腕から飛び出したせいである――――、

それから、ドアを閉めた。



「ふぅっ・・・・・・・、何とか成功ね。」
「やれやれ・・・・・、参った!」
「どうでも良いがシュラ、君、臭うぞ。
「やかましい、分かっている。・・・・・・・・俺もシャワーを浴びて着替えるか。」
「あ、じゃあついでにあの子も洗ってくれる?」
「何っ、俺がか!?」

目を剥いたシュラは、激しく頭を振った。


「むっ、無理だ!やり方が分からん!!がやってくれ!!」
「良いけど・・・・・・、でも、シャワー待って貰う事になるわよ?」
「ああ、構わん。待っているから、先にあの猫を洗ってやってくれ。」

慣れない事をする位なら、シャワーを先に譲る方が百倍マシ、という訳で、シュラは一歩退いた。
だが、退くだけで出て行こうとしないシュラ、そしてアフロディーテを、はジトッと睨んだ。


「ちょっと・・・・・・、何で二人共ここに居るの?」
『ん?』

二人共、わざとではない。本気で訳が分かっていないようだ。
わざとすっ呆けられるよりも、こういうリアクションを取られた方が余計に恥ずかしいのだが、仕方がない。
は気まずそうに視線を逸らすと、早口で言った。


「私も服を脱いで入るんだから、出ててよ。」
「そっ・・・・、そうなのか?」
「だって、服が濡れちゃ困るもの。」
「そ、それもそうだ。それは大変だ。」
「や・・・・・、気付かなくて悪かったね。じゃあ頼んだよ。・・・・・どうでも良いがシュラ、君、臭うぞ。あまり近付かないでくれ。」
「やかましい、文句があるなら帰れ。」

『しまった、俺(私)とした事が素でボケてしまった』と恥じているらしく、二人は照れ隠しに文句を言い合いながら、そそくさと浴室を出て行った。










が二人の待つリビングに姿を見せたのは、それから数十分後だった。


「お待たせ〜・・・・・・・。つ、疲れた・・・・・・!」
「やあ、ご苦労様、。」
「ごめんシュラ、タオルいっぱい借りちゃった。洗濯物増やしちゃってごめんね。」
「ああ、構わん。こっちこそ済まなかったな、面倒事を押し付けて。」

そう言ってを見たシュラは、ギョッと目を見張った。


おい、どうしたんだそれ!?
「あ、これ?やられちゃったわ、あはは〜。」

と笑うの腕には、何本もの赤い引っ掻き傷がついている。
その痛々しい傷を見て、顔を顰めたアフロディーテが言った。

「血が滲んでいる。手当てをしよう。」
「んーん、平気平気これぐらい。その内治るわ。それより二人共、見てやってよ。すっかり綺麗になったわよ、あの子。」

アフロディーテの申し出をニコニコと断り、は自分の後ろを指差した。
その辺で、あの仔猫が毛繕いをしているのだ。
ところが。


「あれっ!?・・・・・居ない。さっきまでその辺に居たんだけど・・・・・」

は訝しみながら、仔猫が居た筈の場所まで歩いて行った。
そこは廊下で、浴室や玄関など、方々に通じている。
さて、仔猫は何処へ逃げ込んだか。
と、腰に手を当てて考えていると、ふとシュラの寝室のドアが細く開いているのを目に留め、は中を覗いた。


「あっ、ここに居たわ。」

というの声で、シュラとアフロディーテも寝室を覗き込んだ。
なるほど、確かに仔猫は居た。
頭から尻尾の先までぐっしょりと濡れて、毛皮がボッサボサになっている。
母猫の側に居た時はまるで黒い綿帽子のようにホワホワとしていたのに、今のこの様はまるで濡れ鼠だ。
何とも情けないその姿を見て、三人は苦笑した。


「フッ、随分みすぼらしくなってしまったね。まあ、その内綺麗に乾くだろうが。」
「本当はドライヤーを使えたら良かったんだけど、怖がっちゃって。まだビショビショなのに、これ以上触らせてくれないのよ。」
「そんな状態で俺のベッドの上に上がらないで欲しかったんだがな、やれやれ。」

シュラが困った顔をするのも無理はない。
仔猫はまだ水滴が滴り落ちているような状態で、シュラのベッドに上がって一心不乱に毛繕いをしているのだ。
当然、シーツは水を吸ってぐっしょりと濡れているだろう。
まあ、水ならいずれ乾けば気にならなくなるから構わないのだが。

と、シュラが思ったその時。
不意に仔猫が、三人の視線に気付いた。


「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

暫くの沈黙の後、仔猫の瞳が急に警戒の色を浮かべ始めた。
それはすぐに怯えへと変わり、やがて・・・・・


「・・・・・あっ!
いっ!?
うっ・・・・・

何かを予感して焦る三人の前で、身体を小刻みに震わせ。
そして。



えーーーーーっ!?

その予感通りの行為、つまり排便に、及んだのである。


勿論、シーツの上で。











その後のシュラがどういうリアクションを取ったか、それは想像に難くないであろう。

冗談じゃないぞ!何て事をしてくれるんだ!」

顔を真っ赤にして怒鳴りながら大股で仔猫に歩み寄り、その首根っこをむんずと掴み上げてベッドから強制撤去という、ごくごく当然の行動に出たシュラを、とアフロディーテは気の毒そうな顔で見つめていた。


よりにもよってベッドの上でフンを垂れやがって!
「ミ゛ャッ!?」
「あっ、こらっ!」

シュラに抱き上げられていた仔猫は、怒鳴るシュラが怖かったのか、器用に身を捩ってシュラの腕からヌルンと抜け出した。
そして今度は棚の中に入り込み、また毛繕いを始めている。
その態度に益々腹を立てたシュラは、怒りに任せてシーツを剥ぎ取りながら、とアフロディーテに向かって怒鳴った。


「二人共、その猫をここからとっとと連れ出してくれ!!」
「は、はぁい・・・・・・」
「君はどうする気だ、シュラ?」
洗濯と風呂に決まっているだろう!

おお怖、と呟いたアフロディーテは、に向かって肩を竦めて見せた。












「取り敢えず、身体が乾くまでの間、ここに置いておくと良い。」
「ありがと、アフロ。」
「折角君が怪我をしてまで綺麗に洗ってやったのに、生乾きのまま放り出したらまた汚れてしまうからね。」

双魚宮のエレガントなリビングに仔猫を放し、とアフロディーテはやれやれと溜息をついた。


「今度は扉を閉めたから大丈夫だ。」
「そうね、これで一安心ね。」
「何か飲むかい?」
「うん。有難う。」

手際良くお茶の支度をしながら、アフロディーテは優雅な仕草で首を振った。


「やれやれ、それにしてもこの猫の懐かない事といったら・・・・・・」
「ここまで連れて来るのも一苦労だったもんね。」

磨羯宮から双魚宮までの移動中の事を思い出し、も疲れた顔で頷いた。
何しろ、抱いて行こうにもすぐにヌルヌルと腕から這い出て、ろくなペースで歩けなかったのだ。
あまりにも埒があかないので、終いにはが身の危険も顧みず、服の中に仔猫を閉じ込めて抱えて運んで来たのである。


「他の子はもう少し懐っこいのにね。」
「まあ、それも個性だろう。・・・・・・・ん?」
「どうしたの?」
「いや・・・・・・・、あの猫は何処へ行ったんだろう、と思って。」
「えっ?その辺に居ない?」

二人は無駄話をやめて、仔猫の姿を捜した。
だが、TVの後ろにもソファの下にも、何処にも仔猫の姿はない。

「おかしいな、何処へ行ったんだろう。」
「あっ、アフロ!!」
「どうした?」
「窓!ここの窓が開いてる!!
何っ!?

迂闊だった。
他の部屋には入れないように全て扉を閉めていたというのに、窓を閉め忘れていたとは。


「しまった、庭へ出たか!?」
「行ってみましょう!」

開いていた窓の外は庭になっていて、この窓から出たのなら、仔猫は今のところはまだ庭に居る可能性が高い。
二人は慌てて庭へ飛び出した。




アフロディーテの庭に限って草木がボウボウ、という訳は勿論なく、庭には双魚宮のシンボルとも言える芳しい薔薇が、色とりどりに咲き誇っている。
いつも静かで美しいこの薔薇園は、アフロディーテの丹精の結晶であり、何よりの自慢なのであるが。


「ん?」
「何か・・・・・、音がするわね。」

不思議な事に、今日に限っては少し騒がしいではないか。
耳をつんざくような爆音ではないのだが、地味に耳に障る音がする。
そう、『ザッザッ』と、まるで土でも掘るような音が、延々と。


土!?まさか・・・・」
あぁっ!?

慌てて音のする方に駆けつけ、そこに広がっている景色を見て、二人は絶句した。



「あ〜あ・・・・・・・、やっちゃった・・・・・・・・」

そこには、挿し木したばかりらしい薔薇の苗が、幾つも無惨に散らばっていた。
ホシは、そこで土をほじくり返すのに夢中になっている黒い仔猫以外に考えられない。


「こらっ、何やってんの!?アフロの大切な薔薇、こんなにしちゃ駄目でしょ!」
「ミャンッ!」

は急いで仔猫を抱き上げると、恐る恐るアフロディーテを見た。


「・・・・・・・」
「あ・・・・・の、アフロ・・・・・・・・?」
おのれ・・・・・・・・
「あの・・・・・・、大丈・・・・夫?」

些かとんちんかんな質問だが、には他に掛ける言葉が思い浮かばなかった。
それ程に、アフロディーテの顔は怒りで強張っていたのだ。


おのれよくも・・・・・、私の大切な薔薇を・・・・・。昨日挿し木したばかりだったのに・・・・・・」
「あの・・・・、ご、ごめんね・・・・?私も手伝うから、すぐに元に戻せるわよ、多分・・・・。戻せるわよ、ね?」

ビクビクと上目遣いに言うに怒っても仕方がない。がやった訳ではないのだ。
かと言って、言葉の通じない動物を相手に怒っても、これまた無意味。
そんな事はアフロディーテにだって分かっていた。

だが、そうと分かっていても、このやるせなさは抑えられない。
アフロディーテは腹の底からゆっくりと息を吐き出すと、微かに震える声でに言った。


「・・・・・・いや、大丈夫だ。ここは私が一人で後始末をする。だからは、今すぐ速やかにその悪たれ猫を何処かへ連れて行ってくれないか。

今この状況で、この状態のアフロディーテに向かって、『何処かって何処よ』とか、ましてや『やだ、疲れた』などと言える者がいたら、そいつはきっとハーデスをも指先一つでダウンさせられる世紀末覇者であろう。
しかし、は世紀末覇者などではないので、


「はーい・・・・・」

と至って素直に返事をし、余計な口は一切利かずに、仔猫を連れて逃げるように双魚宮を出たのであった。











「も〜・・・・・、アフロまで怒らせちゃって。」
「ミャアッ」
「こらっ、ヌルヌル逃げないの!」

相変わらず抱っこが嫌いな仔猫を逃がしては捕まえ、逃がしては捕まえながら、は十二宮を下っていた。

「何処へ連れて行こう・・・・。こんなに落ち着きがないんじゃ、家に連れて帰ってもまた逃げちゃうかもしれないし・・・・。うん、ここはやっぱり、ツンドラの所に返そう。」

仔猫の母・ツンドラは、巨蟹宮の裏にあるデスマスクお手製の豪邸(?)の中で、食っちゃ寝している仔猫達の帰りを待っている。
この猫は、きっとそこへ返すのが一番良い。
そう考えて、は巨蟹宮に向かおうと決めた。


すると。



。」
「あ、シュラ。」

シャワーを浴びて、着替えを済ませたらしいシュラに呼び止められた。

「もう洗濯とか終わったの?」
「ああ、一段落ついた。それで、ちょっとそっちの様子でも見に行こうかと思って、お前達を探しに出て来たんだが・・・・・。アフロディーテはどうした?」
「そ、それがね。さっきまで双魚宮にお邪魔してたんだけど。」
「けど?」
「え、えへへ。・・・・・・追い出されちゃった。」

気まずそうなの薄笑いを見て、シュラは溜息をついた。

「また何かしでかしたか。」
「うん、ちょっとね。挿し木したばかりの薔薇の苗をね、ちょっと・・・・・。」
「奴の怒りが目に浮かぶようだな。」

シュラはやれやれと首を振ってから、に尋ねた。


「それで、これからどうするつもりだ?」
「うん、取り敢えず、デスの所に連れて行こうと思って。ツンドラの居るケージがあるし。」
「そうか。まあ、それが一番妥当だな。よし、俺も付き合おう。」
「本当?有難う!」
「ミャウ」

の腕の中から顔を上げて鳴く仔猫を見て、シュラは苦笑を浮かべた。


こうして見ていると、なかなか凛とした顔立ちの可愛い仔猫だ。
しかもまだこんなに小さい。まだ何も分かっていなくて当然なのだ。
なのにカッとなってあんな風に怒鳴ってしまった事を、シュラは内心で少し後悔していた。
だからこそ、気になってこうして様子を見に出て来たのである。



「あ。」
「ん?」
「ゴロゴロ言ってる。」

は声のトーンを落とすと、驚かせないように仔猫の頭をそっと指先で撫でた。
すると、仔猫は気持ち良さそうに目を細め、自ら進んでの指先に頭や鼻先を擦り付け始めた。
その表情は、特別猫好きではないシュラから見ても、愛らしく感じられた。


「ふふっ、ちょっとは慣れてくれたみたいね。」
「そのようだな。」
「人に懐かない子かと思ってたけど、そうじゃなかったみたい。ただちょっと気が小さいだけなのね。」
「・・・・・ちょっと俺にも抱かせてくれ。」

シュラは、の腕から仔猫を抱き取った。
いや、『抱き取る』程大きくない。シュラの片掌に十分収まる程、仔猫は小さかった。


「さっきは悪かったな。」
「ミャ」
「だが、お前も悪かったんだぞ?良いか、飼い主の所へ帰ったら、あんな粗相はするんじゃないぞ。でないと、放り出されても知らんからな。」

シュラは優しく諭すように、仔猫にそう言って聞かせた。
頭の片隅で『照れ臭い』『恥ずかしい』と思っているにも関わらず、つい勝手に口が動くのだ。
そして仔猫もまた、大きな瞳をパッチリと開いて、シュラの話をちゃんと聞いているような態度を取っている。
人間と猫、言葉など通じない間柄だというのに、何とも不思議なものである。

いや、通じる通じないではなく、言葉そのものが、実はそれ程大したものではないのかもしれない。
触れ合って交わす温もり、それに勝るコミュニケーションツールなど、この地上の何処にも存在しないのかもしれない。
たとえ言葉が理解出来ずとも、それさえあれば・・・・・・





「・・・・・ミャン」
「あっ!」

などと真面目に考えていられたのも束の間、仔猫はまたしてもヌルリと抱っこから抜け出した。
しかも。


あーーっ!!!
こらーーッ!何処行くの!?

今度は、捕獲される前にスタコラサッサと逃走に及んだのである。


おいコラ、待てーーっ!
「ちょ、ちょっと待ちなさい、待ってぇーー!!!

二人が呼び止める声も無視して、仔猫はとても人の通れそうにない、宮の裏手の藪の中に入って行ってしまった。



触れ合えば、全てを分かり合える筈ではなかったのか。
心を許して、懐いてくれたのではなかったのか。
なのに、なのに、それなのに。




何故なんだーーッ!?
どどどどどうしようシュラ!?逃がしちゃったわよ!?」
「折角捕まえたと思ったのに・・・・・・、クソッ・・・・、訳が分からん!」

後に残されたのは、慌てふためくとシュラの二人だけであった。






無論、この後二人は仔猫を捜した。
しかし結局、仔猫を見つける事は出来なかった。




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後書き

実は私は常日頃から、『抱っこの好きな猫』というのに憧れを抱いております。
何しろたった一匹きりの飼い猫が、『家族全員でよってたかって撫で転がして構って欲しいけど、
抱っこは絶対嫌』という微妙な性癖の持ち主なので(笑)。
ゴロゴロと喉を鳴らしながらうたた寝する猫を抱きつつ、2時間サスペンスとか見られたら
どんなに幸せでしょう。(←アンタも十分微妙な性癖の持ち主です)