沈黙が痛い。
この空気を変える為には、とにかく何か言葉を発する必要がある。
は考えに考えた末、彼等の顔色を伺いながらおどおどと口を開いた。
「こ、こんにちは・・・・・・・。」
熟考した結果の発言がつまらない只の挨拶なのはどういう事か。
どうもこうも、これしか思い浮かばなかったのだ。
勢いで口にしてはみたものの、余りの間抜けさに、はすぐさま言った事を後悔した。
「・・・・・こっ、『こんにちは』じゃねーよバッカヤロウ!」
しかし、その間抜けな台詞が意外にも功を奏したようで、いち早く石化の解けたデスマスクが怒鳴った。
声がやや裏返っていたが、笑う者は一人も居なかった。
思わず声が裏返ってしまう程驚いていたのは、デスマスク一人ではなかったのだ。
「誰かと思ったじゃないか!」
「もう戻って来ないんじゃないかと思っていたんだぞ!?」
「来るなら普通に来れば良いだろうが!下手な小芝居を打つな!」
「というか遅い!!何ヶ月待ったと思ってるんだ!?」
アフロディーテ、アイオリア、カノン、そしてミロも、それぞれに声を張り上げた。
そして、他の黄金聖闘士達も。
彼等は口々に驚きを表し、に駆け寄った。
そして一人一人、喜びの抱擁を。
「いやーっ!ご、ごめんなさい!あっ頭っ、頭グシャグシャにしないでーっ!!」
・・・・交わしたいのは山々だったが、結果的には全員でを揉みくちゃにしただけになった。
何せ1対大勢という状況、一斉に駆け寄って握手を求めたり肩を揺さぶったりしようとしては、こうなっても仕方がないというものだ。
中にはわざとちょっかいをかけている者も居たが。
「ホッホ、まぁまぁ、その辺で堪忍してやれ。」
温かい目でのんびりと様子を見守っていた童虎が、流石にそろそろ助け舟をと一声掛けるまで、その再会の儀式は延々続いたのであった。
「・・・・久しぶりじゃな、。健勝そうで何よりじゃ。」
一同が落ち着きを取り戻してから、童虎は改めてに向き直った。
するとは、酷い有様になった髪を慌てて申し訳程度に整え、何故だか脱げかけているスーツのジャケットをきちんと羽織り直してから、はにかんだ微笑を見せた。
「童虎も元気そうね・・・・・。皆も・・・・・・。」
「それで・・・・・・、あれから今までどうしておったのじゃ?」
「うん・・・・・・、色々、色々あってね・・・・・・。」
童虎のその問いに、は言葉少なに答えた。
隠すつもりではない、ただ、一言ではとても伝えきれなかったのだ。
そんなの思いを表情から察したのか、童虎は小さく頷いて言った。
「ならば、その『色々』とやらを聞かせて貰うとしようかのう。それが面接という事でどうじゃ、サガ?」
「異論ございません。」
サガは童虎の提案を即答で受け入れ、他の者もそれに反対する事なく、早速『面接』が始まった。
「さぁて、洗いざらい吐いて貰おうか。」
カノンに睨み下ろされたは、思わず身構えながら恐る恐る口を開いた。
「何かこれ・・・・・、面接っていうより取り調べって感じがするんだけど・・・・・」
目の前には、黄金聖衣とマントを着用した状態の黄金聖闘士達がずらりと勢揃い。
只でさえ物々しい雰囲気の中、彼等の視線は一人に集中している。
いや、集中しているというよりは、上から睨み下ろされている、射竦められているという感じだ。
こんな状況では、迫力負けして気圧されてしまうのも無理はなかった。
「良いからさっさと白状しろってんだよ。」
「えっと・・・・・、あの・・・・・・・!」
しかし、デスマスクにまるで尻でも蹴飛ばされるような一言でもって促され、は慌てて最初の第一声を考え始めた。
「まず・・・・・・・・、あの時はごめんなさい。」
暫く後、は彼等に向かって深々と頭を下げ、真摯に詫びた。
これまでの出来事の報告よりも何よりも、彼等が差し伸べてくれた手を拒んだあの時の事を詫び、その理由を説明するのが先だと考えたのだ。
「あの時、本当は戻りたいと思っていたの。だけど、何もかも中途半端なまま放り出す事は絶対にしちゃいけないと思って・・・・・。そんな事をしたら、亡くなった母の気持ちを踏みにじる事になる気がして、そうしたら私自身がきっとずっと後悔し続ける事になりそうで・・・・・。だからあの時は、どうしても皆について行く事が出来なかったの・・・・・・。」
「・・・・・いや、お前の気持ちも考えずに、こっちも強引だったんだ。しかし、それならそうと言ってくれれば良かったのに・・・・・。」
の弁明を聞いて、アルデバランは申し訳なさそうな、そして安堵したような笑みを薄らと浮かべた。
いつも精悍で厳しい顔が、まるで泣き笑いのような気弱な表情を作ると、何だか可笑しくて笑えてくる。
可笑しくて、その優しさに泣けてきそうで。
「ごめん・・・・・・。頭の中がグチャグチャになっててうまく説明出来そうになかったし、何か喋ったら泣いちゃいそうだったから・・・・・・」
は知らず知らずの内に、自らも似たような表情になっていた。
「・・・・・ならば、今はもうケリをつけてきたという事か?」
は何度か瞬きをして涙を引っ込めると、シュラの問いに頷いて答えた。
「お店は手放したわ。今は梓さんがオーナーになってる。」
「では、畳んだのではなく、譲ったのか?」
「まぁ、そういう事になる・・・・かな?」
結果的にはシュラの察した通りだった。
但し、簡単にやり取り出来る物でないだけに、それ相応の苦労があったのだが。
「ここに至るまでに、色々あったんだけどね・・・・・」
何から話すべきか。何処から話そうか。
はこれまでの怒涛のような日々を思い返しながら、梓が一度店を辞めた事、そして、その梓と再会した時の様子などを語って聞かせた。
「私、梓さんに戻って来て欲しいと思ったの。人の面倒をみられる余裕も力量も私にはないんだけど、それでも何とか助けたかった。何より、店にはやっぱり梓さんが必要だったし、梓さんにもやっぱり『Venus』が必要なんだって思ったの。梓さんは『Venus』の事を本当に大事に、私を含めた他の誰よりも、深く愛していたから。」
「・・・・・それで、彼女はすんなり戻ったのですか?」
「ううん。」
ムウの質問に、は笑って首を振った。
「私がそんな事言っても、絶対『うん』とは言って貰えないだろうなぁと思って、何も言わなかったの。多分、母と同じタイプで一本気な人だから、そんなんじゃ絶対応じてくれない気がして・・・・・。元々店を辞めたのだって、多分、私に店を譲った母の気持ちを思いやっての事だったように思えていたし・・・・・。ほら、私と梓さんとじゃ、明らかに実力が違っていたでしょう?幾ら立場上では私の方が上だとしても、ううん、だからこそ余計に私が見劣りするじゃない?」
「尤もだ。それでは何かと比較され、君の立つ瀬がなくなる。そうなれば亡き母君もさぞや無念であろう。なるほど、それで彼女は自ら身を引いた訳か。」
シャカの辞書には、どうやら今も『お世辞』という言葉はないようだ。
即答で肯定した彼の、相変わらず歯に衣着せぬ物言いが懐かしくて、はクスクスと笑った。
「多分ね。少なくとも、私にはそうとしか思えなかったから。だから尚更、普通に説得しただけじゃ戻ってくれない気がして、色々考えたの。それで、沙織ちゃんに相談したのよ。あのビルと土地をうんと安く売るから、代わりに『Venus』はこのまま、梓さんが望む限りは存続させて欲しい、って。」
『女神に!?』
黄金聖闘士達は、驚愕の声を上げた。
「うん。実際はもうちょっと細かく条件を出したんだけどね。店舗と事務所になっているテナントを安く貸してあげて欲しいとか、出来れば融資の相談にも乗ってあげて欲しい、とか。
財団側にも色々と都合があるだろうし、梓さんにも話が纏まらない内は黙っておいた方が良いと思って何も言っていない状態だったから、不確実もいいところな話だったんだけど、それしか思いつかなくて、駄目元で一か八か交渉してみたの。そうしたら沙織ちゃん、真剣に検討してあちこちに掛け合ってくれて・・・・・、何とかOKを出してくれたのよ。」
そこまで聞き終わると、アイオリアは酷く驚いた顔をした。
「そんな話、俺達は一言も聞いてないぞ!?」
「えっ、そうなの!?私がここに来る事は、今日まで内緒にしておくって言ってたけど・・・・・。
そっか、この事は話してなかったんだ・・・・・。」
どうやら、双方共に聞かされていない事があったらしい。
となると、内輪の中で全てを知っていたのは、沙織一人だったという事になる。
それに気付いた黄金聖闘士達は、全員ハッとした顔になった。
「先程の仰りようといい・・・・・・・」
カミュは、先程の沙織の話を思い出していた。
あの妙に厳しい、普段の彼女らしからぬセコい小言・・・、いやいや、流石は厳しい経済競争社会に君臨するグラード財団の総帥と感嘆すべき実に堅実な考えに基づく発言の数々を。
「やけにお帰りが早かった事といい・・・・・」
アフロディーテは、押し付けるようにしてそそくさと逃げていった・・・、もとい、人事権を委ねて自分達に一任し、帰って行った時の沙織の微笑を思い返していた。
「・・・・・・なるほど、読めたぞ。」
そしてサガの頭の中には、事の筋書きが浮かんでいた。
沙織は、より完璧な伏線を張る為に、敢えて何もかもを全て伏せていたのだろう。
そうしてある日、こっそりとを連れて来ておいて。
らしくない説教でもって一芝居打ち、勿体つけた後で突然引き合わせて。
望み通りの反応が見られたら、見事作戦成功。
その後、長居は無用。叱られない内に早々に退散するべし。
と、そんなところだったのだろう。
つまり、一言で表すと。
「俺達をからかって遊んでやがったな、あんのお嬢〜〜・・・・・!」
デスマスクの言う通りな訳である。
「ホッホ、まんまと一杯食わされたのう!しかし、良いではないか。儂らの驚く顔見たさに一芝居打った・・・・、あのお年頃に相応しい、何とも無邪気なお戯れじゃよ。」
黄金聖闘士達は、それぞれに脱力したりこめかみに青筋を立てたりなどしていたが、童虎がさも愉快そうにカラカラと笑うと、次第に苦笑いになった。
「・・・・それで、当の梓本人は承知したのか?」
童虎はひとしきり笑うと、に話の続きを促した。
「うん。当たり前だけど凄く驚いてたし、最初は誤解されて『憐れみのつもりか』なんて怒られたけど・・・・・・」
は苦笑を浮かべながら、その時の事を思い出していた。
無事に沙織との間で交渉が成立し、梓に『Venusを引き継いでくれ』と持ち掛けた時の事を。
突然の話に、梓は当然の如く驚き、そして屈辱に顔を歪めた。
あんな愚痴は聞き流して欲しかった、私は助けなど求めていない、同情するな、憐れむなと言って。
違うと言ったら、自分の手に入れたものの価値が分からないなんて馬鹿じゃないか、と返された。
確かに馬鹿かも知れなかった。
梓の意思を確かめる事もせずに一方的に事を進めて、事後報告のような形でいきなり話を持ち掛けたのだから。
しかしは、梓に店を任せる事が誰にとっても最善の道だと考えていた。
血肉を分け与えるような苦労をして生み出し、我が子同然に心血を注いで育てた『Venus』を遺して逝った母。
そんな母を慕い、その意思を誰よりも理解し、今も『Venus』を深く愛しているであろう梓。
そして、『Venus』という形で遺された母の愛を心に刻みつけ、母とは違う場所で違う生き方をしたいと望んでいる娘。
その三者の、誰にとっても。
三人の女の意思と、それぞれの間に繋がる絆。
そこに金銭的な損得勘定の入り込む余地はない。
何より大事で、何より価値があるのは、それぞれの意思と、それぞれの心に住まうものなのだから。
「・・・・私の考えを話したら、引き受けてくれたわ。」
話し終わった後、梓はもう怒ってはいなかった。
それからは、益々慌しい日々になった。
ほんのついこの間までの話だ。
「それから、色々片付けて、母を故郷のお墓に入れてあげて・・・・・・」
「そうか、故郷に・・・・・・」
頷きながら微笑むサガに、も微笑を返した。
「うん。両親・・・、私の祖父母と同じお墓に。祖父はもうずっと昔に、祖母も何年か前に亡くなってて、二人で同じお墓に入っていたから、そこにね。母と祖母はずっと昔に仲違いしたまま絶縁状態だったんだけど、その事を母は後悔していたみたいだったし、このままずっと離れ離れじゃあんまりにも可哀相だと思って・・・・・。」
母を故郷の村に弔ったのは、都内の霊園よりも、遠く離れたこの異国の地よりも喜んでくれるだろう、そう考えての事だった。
一度は嫌って飛び出した場所でも、あそこはやはり母の生まれ育った所なのだから。
生きている内は帰りたくても帰れなかったあの地に、仲直りしたくても出来なかった祖母の元に帰してやりたい、そして慣れ親しんだ海を眺めながら、祖父母と三人で親子の時間を取り戻し、ゆっくりと眠って欲しい。
はそう考えて、母の遺骨を郷里の墓に葬って来たのだった。
「・・・・三人共、きっと喜んでおられるでしょう。」
「有難う。」
ムウの柔らかな微笑に母の喜ぶ顔が重なったように見えて、は嬉しそうに目を細めた。
「色々バタバタしてて、気がついたらこんなに時間が経っちゃったんだけど・・・・・」
は姿勢を正すと、改めて黄金聖闘士達に向き合った。
「でも、やっと何とか全部片付いたわ。お店も最善の形で存続させる事が出来たし、母の弔いも済んだし、形見や遺産も全部あるべき所に渡した。母が果たしたがっていた『責任』を、私なりに考えた最良の方法で代わりに果たしてあげる事が出来て、私もスッキリした。それでやっと・・・・・・、ここに来られたの。」
戻りたい、聖域に戻りたくて堪らない。
そうはっきりと望み始めてから、はずっと考えていた。
皆が望んでくれたからといって、当たり前のような顔をして戻ってはいけない、と。
「散々お世話になったのに何の説明もせず、今まで何の音沙汰もなく、急にひょっこり顔を出して今更こんな事を言うのは虫が好すぎるかも知れないけど・・・・・」
初めてここに来た時と今とは、訳が違う。
あの時は成り行きに任せて訳も分からず来てしまったが、今は違う。
周囲の状況に流されてやって来たあの時とは違って、今度は自分の意思で来たのだから。
聖域に戻って来たい、と。
はっきりとした自らの意思を持って。
「一生懸命頑張りますから・・・・、また私を雇ってくれませんか・・・・・!?」
今度は自ら望んで来たかったのだ。
もしも、それが許されるなら。
その真摯な思いを込めて、は一同を見つめながら緊張に震える声でそう告げた。
ところが。
「あ、あの・・・・・?」
彼等は何も言ってはくれなかった。
良いとも駄目とも、何とも。
誰も笑いも怒りもせず、無表情でただじっとを見つめているだけだった。
「い、一応履歴書も用意して来たんですけど・・・・・」
あくまでも仕事の面接を受ける者として、礼儀のつもりで用意してきた履歴書が、早速役に立つ時が来たようだ。
会話の糸口を掴む為、その痛い視線から逃れる為に、はゴソゴソとバッグを漁り、白い封筒に入れた履歴書を出してサガに差し出した。
「履歴書?ほう・・・・・」
サガは一応それを受け取って中身を見てはくれたものの、気の無い声と表情をしている。
横からそれを覗き込む他の黄金聖闘士達も。
誓ってそこに一切の嘘偽りはないのだが、何か不備でもあっただろうかと、は次第に不安になってきた。
すると。
「・・・・・何だ何だ、この色気のねぇ写真は!何でこんなクソ真面目な顔で写ってんだ!」
デスマスクが突然、呆れたような声を上げた。
「だ、だって証明写真なんだから・・・・・!」
履歴書に貼り付けてある写真にデコピンしているデスマスクに、はしどろもどろで弁解した。
証明写真というのは、得てして色気のないクソ真面目な表情になっているものである。
そして履歴書に添付するのは、普通、証明写真だ。
「確かにこれは頂けん。もうちょっと写りの良いのはなかったのか?」
「俺はどうせならグラビア写真みたいなやつが良かったな。色っぽい水着姿とか。」
「そんな・・・・・・!」
それが世間の一般常識だというのに、シュラとミロまでもがケチと注文をつけてきた。
モデルじゃあるまいし、履歴書に水着姿の写真など聞いた事がない。
「学歴・職歴・資格・・・・・・。フッ、折角書いてきてくれたのに悪いが、興味ないね。」
「どうせ書くならもうちょっと気の利いた事書いてこい。スリーサイズとかな。」
「なっ・・・・!?」
そればかりか、今度はアフロディーテやカノンに、内容まで駄目出しされてしまった。
興味がない、つまらないと鼻であしらう二人に、は困惑した。
人様に誇れる程の見事な経歴もプロポーションも、生憎と持ち合わせてはいないというのに。
そもそも、モデルのオーディションならともかく、教皇補佐の仕事の面接にスリーサイズは関係ない。
そう言い返そうとした瞬間。
「にしてみれば礼を尽くしたつもりかも知れないが、こんな物、俺達には不要だ。」
「その通り。わざわざ書いてきたお前には悪いがな。俺達にしてみれば、只の紙切れだ。」
アイオリアとアルデバランが、履歴書そのものを不要な紙切れと、あっさり言い捨ててくれた。
一応、用意してきた労力は労って貰えたものの、一生懸命考えて書いてきたものをゴミ扱いされては、流石に少々落ち込みそうになる。
するとサガが、静かながらも良く通る声で言った。
「・・・・志望動機のこの一文、これ以外、我々に必要な情報はない。」
「え・・・・・・」
志望動機の欄に書いた内容。
実に短い、しかし、考えに考え抜いた末に書き上げた一文だから、何と書いたかまだ覚えている。
自分の本心をありのままに書いたから、忘れる筈もない。
「前任者と同じ位能力がある、丁度良い人材・・・・。なるほど、確かにこれ以上の方は居ませんね。」
「何しろ同一人物だからな。これ以上安心して任せられる者は他に居まい。」
「今更、良いも悪いもなかろう。」
ムウが、カミュが、シャカが。
黄金聖闘士達が、次々と口元に笑みを湛えていく。
「・・・・何せ儂らは、ずっと待っておったのじゃからな。」
童虎の言葉を聞いて、胸が詰まった。
志望動機の欄に書いた一文、それが胸に詰まった。
聖域と、貴方達が大好きです。
その短く拙い一文に溢れんばかりに詰め込んだ、自分の気持ちが。
「・・・・よく戻って来た。。」
「お帰り、。」
「お帰りなさい。」
差し出されたサガの手が、アフロディーテやムウの『お帰り』という言葉が、はちきれそうになっている胸を締め付ける。
皆の温かい微笑みが、滲んで霞む。
「ありが・・・・とう・・・・・・・・」
は声を詰まらせながら、やっとの思いでそれだけを呟くと、差し出されたままのサガの手をそっと握った。
「っ・・・・・!」
その瞬間、身体は引き寄せられ、サガの腕に包まれていた。
温かい胸に束の間抱き締められ、放されたと思ったら、また別の誰かに手を取られ、その腕の中へ。
腕から腕へと渡されて。
そうして黄金聖闘士達と再会を喜ぶ抱擁を次々と交わす内に、次第に実感が湧いて来た。
聖域に戻って来たのだと。
戻って来られたのだ、と。
「ただいま・・・・・!」
その喜びを噛み締めながら、は熱い涙に濡れた頬を綻ばせて笑った・・・・・。
と、ここで終らせる事の出来ない男が居た。
「・・・・・・つーかちょっと待てや。形見や遺産を全部渡したってどういう事だよ?」
ふと我に返ったデスマスクは、に尋ねた。
さっきは思わず聞き流してしまっていた、しかし良く考えてみれば、決して聞き流してはいけなかった一言の意味を。
「え?どうって・・・・・」
どうもこうも、にとっては何の気なしに口にしただけの一言、
そこを深く突っ込まれる事になるとは思ってもみなかったのだが、ともかく訊かれたのだからと、は涙を拭いながら答えた。
「形見の服やアクセサリーとかは全部梓さんに譲って、お金は星の子学園に寄付してきたんだけど。」
「ばっ・・・・・かじゃねぇかお前!?!?
寝とぼけてんじゃねぇぞコラーーーッ!」
ところがその答えは、デスマスクを激昂させた。
にとってはついでに一言添えたという程度の取るに足りない話でも、デスマスクにとっては非常に気になる話だったからだ。
「びっ・・・・くりしたぁ!急に大声出さないでよ!」
「大きな声も出るっつーの!そんな莫大な遺産を、全部他人にくれてやっただとぉー!?」
「全部じゃないわよ、ここに来る片道分の旅費は貰ったわよ。」
は目を剥いて怒鳴るデスマスクに苦笑しながら答えた。
ギリシャ行きの片道切符は、母からの餞別のつもりだった。
好きな場所で思うように生きろ、と言ってくれた母からの。
母に『行ってらっしゃい』と送り出して貰いたくて、そんな気になりたくて、片道の旅費だけは手元に残したのである。
「それに莫大って、結局手元に残ったのは500万足らずよ?そりゃ大金には違いないけど。」
「バッカお前、旅費なんざ幾らも掛からねぇだろうが!大半を寄付とか有り得ねぇよマジで!つーかそもそも、赤の他人やもう関わらねぇ店の為に、テメェの儲け考えねぇで叩き売る事自体が有り得ねぇよ!バナナじゃねぇんだぞ!!」
「よさんかデスマスク、卑しいぞ!」
「俺が卑しいんじゃねぇよ!がものの価値を分かってねぇんだろが!」
物の価値を分かっていないというのは、梓にも言われた台詞だ。
シュラに小突かれながらもまだ大声を張り上げているデスマスクを見て、はまた苦笑した。
「だって・・・・・、宝石とか着物とか、私が持っていても使い道がないし、宝の持ち腐れだもの。
売り払ったり、しまい込んでそのままにするよりは、長く大事に使ってくれる人の手に渡った方が良いと思って。」
物の価値が分かっていないと言われたが、そうではない。
形見の品の殆どが高級ブランドの品で、それらがどれ程の価値を持つのか、少なくともその位はにも分かっていた。
そして、『Venus』の資産価値も。
しかしにとっては、金銭的な価値のある『物』よりももっと大事なものがあった。
「母が遺書の中に、自分が生み出したもの・・・・・、『Venus』と私に対して、責任を果たしたかったって書いていたから、その思いを遂げさせてあげたくて・・・・・。
だから、『Venus』は梓さんに任せて、私の手元に残った遺産は、私を育てるのに必要だった養育費のつもりで、学園に寄付したの。
これで母もきっと喜んでくれてるんじゃないかと思ってるし、私自身も満足してる。だから、これで良かったのよ。」
「・・・・・そうだな、それは俺も良い決断だったと思う。しかし、何か1つ位は形見として手元に残しておいても良かったんじゃないか?それこそ、お袋さんの為にも。」
「形見ならもう持ってるもの。」
アイオリアの言葉に、は微笑んで首を振った。
「・・・・私にはこれがあるから。」
は、バッグの中からもう一つ、小さなバッグを取り出して見せた。
小さな女の子にしか似合わない、幼稚なデザインの淡いパールピンクの子供用ハンドバッグを。
形見として貰い受けるなら、今のに相応しい物や価値の高い物が他に幾らもあったが、
たとえどれ程の高級品だとしても、にとってこれに勝るものはなかった。
このちっぽけなハンドバッグに詰まっているもの程、価値のあるものはないのだから。
の喜びも、寂しさや恨みも、思慕の念も。
母の愛も、苦悩や後悔さえも、全て。
「それに・・・・・、色々悩んだり苦しんだりしたけど、顔も覚えていなかった母がどんな人だか分かって、ほんの1年足らずだったけど一緒に居られて、最期を看取る事が出来て・・・・・・。うまく言えないけど、ずっと昔に切れてしまっていた『絆』をまた結び直す事が出来て良かったって・・・・・・、今は心からそう思えるの。それだけで私には十分。それに・・・・・」
目には見えない、何にも換えられないそれこそが、にとっては何より大切なものだった。
そして、もう一つ。
「・・・・・またここに帰って来る事も出来たし。これ以上何か望んだら、罰が当たっちゃいそう。」
沙織や黄金聖闘士達がを必要としたように、にとってもまた、彼等の存在が必要だった。
愛する人達との『絆』、それ以上に価値のあるものなど、それ以上に欲しいものなど何もなかった。
望みは只一つ。
大好きなこの場所で、大好きな彼等と、これからもずっと。
只それだけだった。
「・・・・また・・・・、宜しくお願いします!」
は、幸せそうに微笑んだ。
「・・・・よし。ならば早速、仕事に取り掛かって貰おうか。」
「はぁ・・・・・。サガ、貴様筋金入りの朴念仁だな。こういう時は普通まず酒盛りだろう。」
「黙れカノン。貴様こそ何処の海賊だ。酒盛りなどしている暇はないぞ。まずはの家の大掃除だ!」
「ふふ・・・・・、なるほど。確かに初仕事に相応しい作業ですね。私もお手伝いしますよ。貴鬼も駆り出しましょう。アルデバラン、貴方はどうします?」
「無論だ!人手は多い方が良いだろう!デスマスク、お前も来い!」
「しゃーねーな、手伝ってやるよ。机仕事よりゃ幾らかマシだ。」
「フッ、確かに。こんな良い天気の日に、閉じ篭って机に齧り付く気にはなれんな。思いきり体を動かしたい気分だ。よし、俺も手伝おう!」
「これは異な事を。アイオリアよ、君は天気が良かろうが悪かろうが、年がら年中落ち着き無く体を動かしているではないかね。」
「ホッホ、いつも静かに瞑想しとるお主とは対極的じゃのう。しかしシャカよ、今日位はお主も出て参れ。偶には陽の光の下で体を動かして働くのも乙なものじゃぞ。」
「全くもって同感です、老師。そしてその後は、冷たいビールでクールダウン!これに尽きますな!」
「言うなミロ、今から飲みたくなるだろうが!酒盛りは掃除の後だ。・・・・と、それならカミュ、お前、ビールを冷やしておいてくれんか?」
「私の凍気を何だと思っているんだ。・・・・まあ良いだろう。フリージングコフィンで氷漬けにしておくから、シュラ、君のエクスカリバーでぶった切って取り出すが良い。出来るものならな。」
「愚か者共め。ビールは冷凍庫に入れるものじゃないぞ。・・・・まあ、酒宴のテーブルコーディネイトはこのアフロディーテに任せたまえ。何しろ今日は只の飲み会じゃない、
『祝☆ご帰還パーティー』だからね。腕が鳴るよ、フフ。」
一度は止まって思い出になってしまった時間が、また動き始めた。
賑やかに歩き出し、ふと振り返って『早く来い』と微笑みかけてくる彼等に、笑顔で頷いて応えてみれば。
「・・・・待って待って!今行く!」
動き始めたこの時は、以前よりももっとずっと鮮烈に輝き、楽しげなリズムを刻んでいた。