「あ・・・・ん・・・・・・、はぁッ・・・・・・」
「はぁっ、はっ・・・・・・」
これでもう何度目だろうか。
心と身体を奮い立たせて何度も交わったが、回を重ねる毎に快感は何故か薄れていく。
それはきっと、の疲れとも諦めともつかぬような表情のせいだろう。
身体こそ応えてくれるが、その顔は己の愛したの顔ではなかった。
「うっ・・・・・・・・!」
「あんっ!ん・・・・・・ぁ・・・・・・・」
最後の迸りをの背中に撒き散らすと、シュラはようやくの身体を解放した。
その瞬間、は後背位で貫かれていた姿勢のままに、どさりとベッドに沈む。
滑らかなカーブを描く腰やすっきりとした背中、ふくよかな白い双丘も、全て惜しげもなくこの目の前に晒されている。
そして、そこここに飛び散っている己の印。
完全に支配し尽した。もうの身体で、己が触れていない部分は何処もない。
なのに何故だろう。
前よりずっと、が遠く感じられるのは。
「・・・・・・んっ」
シュラの手が、背中や尻を撫でている。
また求められていると錯覚したは、一瞬身を固くしてからふと気付いた。
シュラの手がすぐに止まったきり、もう何処にも触れなくなった事に。
「・・・・・シュラ?」
「気付いたか。」
シュラは、身体を白く染め抜いていたものを拭ってくれただけだった。
大きな手の中にあるくしゃくしゃに丸められたティッシュが、それを物語っている。
シュラはそれをぞんざいに屑篭に放り投げると、うつ伏せたままのを優しく仰向けにした。
「シャワーを浴びるか?」
「・・・・・・・部屋に、帰ってからにする・・・・。」
身体を隠す事もせず、は力なく微笑んで答えた。
そう、これが答えだ。
もうこれ以上、何を訊く事があるだろう。
は己の心に応えてはくれない。
シュラは諦めたように一瞬目を伏せると、ソファに掛けてあったバスローブでを包み、その身体をそっと抱き上げた。
「シュラ・・・・・、何を・・・・・・」
「部屋まで連れて行ってやる。もう歩く力も残っていないという顔をしているぞ。」
「そんな事ないよ・・・・。」
クスクスと笑うに苦笑して、シュラは立ち上がった。
まだこちらに向けてくれるの笑顔に、罪悪感を覚えながら。
の部屋はすぐそこだ。時間も時間だし、誰と鉢合わせる事もないだろう。
静かに扉を開き、少しだけ廊下を歩いてから預かったキーでその部屋を開ける。
バスローブのままをベッドに横たえ、上掛けを掛けてやると、の表情は少しだけ安心したように緩んだ。
「今夜の事は忘れてくれ。魔が差した。どうかしていたんだ。」
「シュラ・・・・・・・」
「これは夢だったんだ。何も無かった。だから、デスマスクには黙っておけ。」
「でも・・・」
「言っても良い事など何もない。余計な事は言わなくて良いんだ。」
デスマスクに知られ、怒りを買うのが怖いからではない。
どうせの心は、デスマスクから離れる事など無いのだ。
だったら何もが罪の意識を感じ、許しを請う必要はない。
「・・・・・・ただ、これだけは覚えておけ。デスマスクは今後も変わらん。奴は所詮聖闘士以外にはなれん男だ。」
「そう・・・・だね・・・・・。」
「奴についている限り、お前はずっと割り切れない思いを無理に割り切って生きていく事になる。それだけはやめろ。」
「・・・・・・・・・」
「俺がお前達を引き裂いたと思いたければ、それでも構わん。憎いなら殺してくれたって良い。だがな、俺はただお前に・・・・」
そこまで言って、シュラは言葉を切った。
「・・・・・・・詫びは・・・・・せんぞ。」
シュラはの顔を見ずに、その場から立ち去った。
「俺も・・・・・、所詮は同じ穴の狢じゃないか・・・・・」
一人になった自室で、シュラは自嘲の笑みを浮かべた。
仮にが応えてくれたところで、己とて聖闘士以外にはなれぬ男。
形は違えど、を悲しませたり傷つける事があるやも知れない。
どうしてその事に、今の今まで目を背けていたのだろう。
ただの愛が欲しかっただけ。
どうにもならない欲望に支配され、無我夢中で手に入れたものは、どうしようもない虚しさと愛の抜け殻だけだったなんて。
「愚かな男だな・・・・・・。」
後悔の涙など流してはいけない。
そんな事をすれば、自分はただデスマスクとを悪戯に引き裂いただけになってしまう。
シュラは次第にゆっくりと明けていく窓の外を、じっと見つめ続けた。
それからどれ程経っただろうか。
外から微かに人の足音が聞こえてきた。
感じなれたこの気配は、間違いなくあの男のものだ。
シュラは部屋を抜け出すと、廊下に居た男の肩を叩いた。
「なんだシュラかよ。脅かすなよ。」
その男・デスマスクは、ふっと笑ってこちらを見た。
「『任務』の方は?」
「上々よ。色々聞かせて貰ったぜ。」
「フン・・・・、流石だな。」
「おいおい止せよ、照れるぜ。」
放り投げられた飲物に口をつける事もせず、シュラはデスマスクの様子をじっと観察した。
流石と言おうか、肉体的にはそれ程疲れた風でもない。
だが、神経が少し昂っているのは読み取れた。
「詳しい報告はまたにしてくれや。とりあえず一眠りさせてくれ。」
こんな時、この男はいつもこうだ。
とにかく一人になろうとする。
悩んだり考え込んだり、そういう部分を見せない男なのだ。
まずはこちらに注意を向けねば。
「ご苦労な事だな。昨夜の女はどうだった、良かったか?」
「あぁん?何だよ急に。お前、あの女に興味でもあったのか?」
「答えろ。」
「チッ・・・・、ワケ分かんねえな。別に、良くも悪くもねえよ。ま、男好きのするタイプだとは思うがな。」
「ほう。」
「積極的を通り越して、淫乱だなありゃ。」
「ならばさぞかし相性が良かったんじゃないか?まともな女よりそういう女の方が、お前にとっては都合が良いだろう?」
「・・・・・・なんだ、ご機嫌斜めか?悪いがこっちも寝不足なもんでな、相手してやれねえわ。八つ当たりなら他所でやってくれ。」
案の定、デスマスクは反応してきた。
それにわざと不敵な笑みを浮かべると、シュラは言葉を続けた。
「奇遇だな。俺も実は寝不足なんだ。いや、俺達、か。」
「あぁ?何言ってやがる?」
「夜通し『仕事』していたのは、お前だけじゃないという事だ。知らんのはお前一人だ。」
「・・・・・・・どういう事だ、説明しやがれ。事と次第によっちゃ、お前といえども只じゃおかねえぜ?」
デスマスクの瞳に、激しい感情の影が見える。
そう、デスマスクはデスマスクなりに、を真剣に愛している。
そんな事はとうに分かっていた。
だが、その愛はを苦しめる。
かといって、それ以外の愛ではは満たされない。
だからせめて、幸せそうな笑顔の裏で一人己の感情を処理し続けるような真似だけは。
それだけは。
だから、こうすると決めたのだ。
「昨夜俺は・・・・・・・、を抱いた。」
「何・・・・・・だと・・・・・・・・」
「聞こえなかったか?は俺が抱いたと言ったのだ。お前が『任務』に勤しんでいた間にな。」
「お前・・・・・・、アイツが誰の女か知ってて・・・」
「知っているとも。お前の女だった。もう過去の話だ。」
「てめぇ・・・・・・・!」
バシッと鈍い音をさせて、シュラはデスマスクの拳を受け止め、弾き返した。
それは今までに受けたどの拳とも違う種類の重みを帯びていた。
「てめぇ・・・・・、何のつもりだ!?」
「お前は知らなかっただろうな。だが、俺もを愛していた。ずっとな。」
「な・・・・・・・・」
「それをお前などに攫われた俺の気持ち、お前に分かるか?」
「ふざけるな、それは俺の台詞だ!そもそも、がお前の気持ちを受け入れる筈はねえ!は・・・・」
「お前を愛している、か?確かにそうかもしれんな。」
「お前まさか・・・・・・、無理矢理抱いたんじゃねえだろうな!?」
怒りや蔑み、そんなものが混じったデスマスクの瞳。
たとえこの目に射殺されても、決して後悔だけはしない。
デスマスクはこの世で最も信頼を置いている友と言えるが、それならばは初めて心から愛した女だ。
血よりも濃い絆で結ばれた友と、狂いそうな程愛してしまった女。
両者を天秤にかけて選べる者がいたら、その顔を見てみたい。
「確かには、お前を愛しているかもしれん。だが、お前はどうだ?」
「何!?何言ってやがる!当然・・・」
「違う。お前はあいつの愛を得るに相応しい男なのか?」
「な・・・・・・・・」
「は平気だとでも思っていたか?」
「何がだよ?」
「はああいう女だ。お前の言い分を、物分り良く納得してくれたかも知れん。だがお前はそれに胡坐を掻いて、の気持ちなど顧みた事はないだろう?」
「何が・・・・・・・・・、言いたい?」
「は、昨夜のお前を見ていたぞ。お前が屋上であの女と絡んでいる所をな。」
「なっ・・・・・・・!」
あの時のの顔を忘れない。
デスマスクを愛する限り、はまたいつあんな表情をするとも限らない。
シュラは心を鬼にして、呆然とするデスマスクに冷ややかな視線を投げつけた。
「何で・・・・、何でアイツが・・・・・・」
「偶然だ。だが、必然と言うべきか。大切な女を傷つけながら、愛という言葉で縛り付けて飼い殺すなど、道理が通らん。所詮は許されん事だ。」
「てめぇ・・・・・、誰が誰を飼い殺してるだと!?」
「お前がにしているのは、飼い殺し以外の何物でもない。任務であれ何であれ、お前はを傷つけている。その事実は変わらんだろう?」
「くっ・・・・・・・!」
「反論のしようもない、か。当然だな。」
「ヘッ・・・・・、じゃあ何か?お前はあいつに相応しい男だってのか?」
デスマスクのその言葉に、シュラの胸は深く抉られた。
もしがこの気持ちに応えてくれていたならば、胸を張って肯定出来ただろうか。
考えても仕方のないような仮定の話だが。
「何とか言えよ。抱いてものにした位なんだから、それ相応に自信があったんだろう?」
「・・・・・・・俺があいつに相応しかったら、お前は手を引くか?」
「ハッ、冗談・・・」
「良いかデスマスク。お前が愛してやれば愛してやる程、は一人で苦しまなければならなくなる。それで良いのか?」
「・・・・・・・・・・」
「任務を放棄する事は出来ない。俺達は今更聖闘士以外の何者にもなれない。だったらどうすれば良いか・・・・・、分かるな?」
デスマスクに問いかけた言葉は、そのままシュラ自身にも突き刺さった。
己がなすべき事、それは決して後悔しない事。
友と愛する女の仲を引き裂いた『邪な者』に徹しきる事。
そして。
「もうこれ以上、悪戯に振り回してやるな。の幸福を望むならな。」
の幸福を願う事。
それ以外に辿るべき道など、もう見えなかった。
それから暫くして、ある日突然デスマスクが聖域を去った。
内戦の激しい中南米のとある小国に単身向かったらしい。
シュラがそれを知ったのは、デスマスクが発ってから後の事だった。
「確かにそういう任務があるのは知っていたが・・・・・・」
「シュラにも言って行かなかったのね。」
主の居なくなった巨蟹宮の中を片付けながら、は少し寂しげに微笑んだ。
デスマスクは聖衣以外何一つ持たずに行ってしまった。
従って部屋の中は、今でもまだ彼の私物がそのまま残っている。
それはごくありふれたものばかりで、誰が使っていてもおかしくはない感じだ。
ここは元々見知らぬ誰かの部屋だったと言われれば、それはそれで納得出来るような。
そんな奇妙な違和感に、シュラは捉われていた。
「あの任務は時間が掛かるから、本当なら俺達全員が交代で就く筈だったそうだ。サガがそう言っていた。」
「そう。」
サガはついでにデスマスクの言い訳も教えてくれた。
他にもやる事は山程あるんだから、余計な人手はかからない方が良いだろう、と。
そう言ったそうだ。
ただ、今のにそんな事を話して何になるのだろう。
デスマスクはを手放した。
はもうこれ以上、猜疑心や嫉妬の念に苦しむ事はない。
時が経ち傷が癒えれば、新しい幸福を見つける事が出来る。
何もかも望んだ通りだ。これで良い。
これで良い筈なのだ・・・・・・。
「・・・・・・・」
「なに?」
「・・・・・・いや、何でもない。」
「・・・・・ふふっ、変なシュラ。」
「フッ・・・・・」
が可笑しそうに吹き出している。以前と何も変わらない笑顔で。
余りにも変わらなさすぎて、はもうあの時の事など忘れてしまったのではないかと錯覚すらしてしまう程だ。
だからもう、何も言えない。
初めてを抱いたあの夜の事は、今でもシュラの鮮明に記憶に残っていた。
今でもまだ愛している。
今でもまだ、身体の隅で消えきれない炎が燻っている。
けれど、少し手を伸ばせば届く距離に居ても、この手はもう決して届かない。
クスクスと笑うに苦笑してみせて、シュラは立ち上がった。
「じゃあ後は頼んだぞ。俺は宮に居るから、手伝いが必要なら声を掛けてくれ。」
「うん。ありがと。」
そこらに無造作に投げられた物を片しながら、が手を振って見送ってくれる。
それを背に、シュラは自宮へと戻った。
が『手伝ってくれ』と声を掛けに来る事は無いだろうと思いながら。
悲しくはないか?
寂しくはないか?
お前は俺を恨んでいるか?
お前はまだデスマスクを愛しているか?
訊きたい事なら腐る程あった。
だが、そのどれもが愚問。到底口に出せる事ではない。
望み通りの結末を迎え、これで満足したかと言われれば決してそうではなかった。
一度開いた穴は、元通りには塞がらない。必ず傷跡が残る。
いつかは風化するかもしれないが、それは恐らく完全に消える事はないだろう。
ただ一つだけ、確実な事がある。
この想いはもう決して、二度と実る事はない。
シュラは諦めとも悲しみともつかぬ笑みを薄く浮かべると、振り返らずに巨蟹宮を出た。
後は枯れて朽ちていくだけの想い。
それが時折鮮烈に蘇る事がある。
が一人で巨蟹宮の埃を払いに行く後姿を見つけた時などに。
ついて行く事も出来ず、止める事も出来ず、ただいつもと変わらぬ明るい表情で巨蟹宮に入っていくにシュラがたった一つしてやれる事、それは。
― 幸福に。
凛としたその後姿に向かって、乞うように祈る事だけであった。