夢の貌 ― ゆめのかたち ― 28




数日後、東城会直系堂島組組長・堂島宗兵の葬儀が、東城会本部にて営まれた。
が極道の大幹部の葬儀に参列するのは、これで2度目だった。
1度目の時とはまるで規模の違うこの盛大な葬儀を見ていると、その時に送り出した人の事をふと思い出して、また憐れみを感じずにはいられなかった。あの人はきっと、冗談じゃねぇよと不機嫌になるだろうが。
近江連合の東京進出という一大計画が潰えた責任を自らの命でもって取らされたあの人、佐川の時とは違って、この堂島組長の葬儀には東城会傘下の全ての組の代表者が参列する事になっているらしく、も真島組の姐として、真島と共に夫婦でやって来ていた。
が、記帳を済ませたところで真島が人に呼ばれて行ってしまい、は今、仕方なく会場の外の目立たない場所に一人佇み、何とはなしに周囲の様子を眺めていた。
何年も前の佐川の葬儀の事など思い出してしまうのは、きっと手持ち無沙汰だからだ。猛を連れて来ていたら、とてもそんな事を考える暇など無いから。
ベビーシッターのおばさんと家で留守番している猛の事を思って、帰りに何かお土産でも買って帰ろうと考えていると、喪服の男が一人、の方に歩み寄って来た。
髪をオールバックにして薄い色のサングラスをかけた小柄な男で、年の頃は四十前後というところだろうか?葬儀屋の社員ではなさそうだから、まず間違いなく極道だろうが、の知っている顔ではなかった。
男は何気なく近付いて来ると、灰皿スタンドの側で足を止め、社交的な薄い笑みを浮かべてに会釈をした。だからも、同じように会釈を返した。


「いやぁ全く、会場の中は物騒な面構えばかりで息が詰まりそうですな。ハッハッハ。」

その他愛も無い軽口に曖昧な微笑みで応えると、男は更に話しかけてきた。


「お一人でこんな寂しい片隅にいらっしゃるという事は、失礼ですが、貴女ひょっとして堂島組長の・・・・?」

どうやらこの男は、の事を堂島組長の情婦かと思っているようだった。


「いえ、主人と来ています。今ちょっと人と話をしておりますので・・・。」
「ああ、そうでしたか。いやそれは失敬。こんなに若くて綺麗な女性が、目立たないようにお一人でポツンと立っていらっしゃるから、つい勘違いをしてしまいまして。
何しろ堂島組長は無類の女好き、それも相当な面食いでしたからな。これまた若くて綺麗な奥方がいるというのに、まあ次から次へと。フッフッ。」

は再び曖昧な笑みで応えた。
すると、男はひとまず会話を終わらせ、一服を始めようとしたが、ガス切れなのかライターの火が点かなかった。


「ああ、すみませんが火を貰えますかな?」

バッグの中に、一応ライターがある事にはある。自身はもう煙草はやめていたが、こういった人の集まる場に出る時には持ち歩くようにしているのだ。
だが、この男に貸すのは気が進まなかった。一見、礼儀正しく頼んでいるように思えるが、火を点けて貰って当然という傲慢さがさり気ない所作に滲み出ていたからだ。
身内でも客でもないのに、それをしてやる義理は無い。気の利かないふりでライターをそのまま手渡す事すらも何となく嫌で、はしれっと微笑んでみせた。


「すみません、私は煙草吸いませんもので。」
「あ、ああ、そうですか・・・・」

男は当てが外れたように笑顔を若干引き攣らせながら一服を諦めて、煙草をまた箱の中に戻そうとした。


「ところで、ご主人はどちらの組の方で?」
「え?ああ、うちの主人は・・・・」

答えようとしたその時、背後に突然人の気配がして、ライターの火がスッと出てきた。よくよく見覚えのあるブラックメタルのジッポに気付いて、はその人の方に振り向いた。


「どうぞ、柴田はん。」

その人、真島吾朗は、落ち着き払った様子でライターの火を男に差し出した。
『柴田』というらしいその男は、仕舞いかけていた煙草をまた口に咥え、その火を受け取った。


「こりゃあどうも、すみませんねぇ真島さん。ご無沙汰してます。どうですか?ご自分の組の方は。」
「ご無沙汰してます。まあボチボチですわ。」

真島は淡々とそう答えると、に『待たせたな』と言った。
それを聞くと、柴田は驚いたように薄い色のサングラスの向こうで目を少し見開いた。


「もしや、ご主人というのは・・・」
「え?ええ。」
「ああ〜・・・、そうでしたか。いやいや、それはそれは・・・・・」

柴田は、ほんの一瞬ではあったがの事を観察するような目で無遠慮に全身見回し、一段と愛想の良い笑みを浮かべた。


「真島さんにこんな綺麗な奥さんがいたとは知りませんでしたな。
ああ、自己紹介が遅れまして。柴田といいます。これでも直系組長の端くれでね。」
と申します。初めまして。」

は卒なく挨拶をした。
柴田というその名前、何処かで聞いたような気はするのだが、はっきりしない。
少なくとも最近でない事は確かだったし、眉一つ動かさない真島の淡々とした表情から考えても、自分からは余計な事を言わず、挨拶程度に留めておくのが良さそうだった。


「いやぁしかし、立派な葬儀ですなぁ。流石は堂島組長の葬儀だ。天下一の見栄っ張りだったあの人らしい。そうは思いませんか?」

柴田は煙草を吸いながら、同じく一服を始めた真島にニヤニヤと話しかけた。


「これだけの葬儀、随分と金も掛かっている事でしょうなぁ。風間さんも大変だ。ねぇ?」
「・・・そうでんなぁ」

真島が相伴したくてしている訳でない事は分かっていた。
相手の方が目上である以上、そそくさと逃げるような不躾な真似は出来ない。相手から先に去って行ってくれるのを待つしかないのだ。
そしてそうである以上、理由も無いのに一人だけ退散する事もまた出来なかった。


「しかしここだけの話、堂島組長が死んで一番ホッとしているのは、堂島組の連中のようですよ。中でも特に、弥生姐さんと風間さんでしょうね。
何しろ傍で見ていても、扱いに困る厄介者でしたから、ここ数年の堂島組長は。
三代目の世良会長に睨みを利かされて何も出来ず、ろくなシノギも無いんだから、もういい加減潔く引退すれば良いものを、いつまでも空威張りで頑なに親分風を吹かし続けて。
噂じゃあ弥生姐さんももうすっかり見限っていて、組の相談事は全部、風間さんや柏木さんに持ち掛けていたようですよ。事実、今の堂島組は、風間組で持ってるようなもんですしね。」
「えらい詳しいでんなぁ、柴田はん。」
「フフッ。嶋野さんとこのような力のある大所帯とは違って、うちみたいな末席の弱小組は、風向きを読んでうまく立ち回らないとやっていけないもんでね。」

柴田は煙草の煙を吐き出しながら、飄々と笑った。
これもまた言い方こそ謙虚ではあるが、妙に余裕綽々なその表情と態度がチグハグで、感じが悪いを通り越して不穏な印象だった。


「けど、風間さんも頭が痛いでしょうねぇ。堂島組長が死んでくれたのは良いが、殺ったのがよりにもよって身内、それも風間さんがずっと目を掛けてきた子分だっていうんですから。
何でも噂じゃあ、あの人の推挙で近い内に堂島傘下で組を立ち上げる予定だったとか、あの桐生一馬って犯人は。」
「・・・・」
「これが何処ぞの鉄砲玉に殺られたって話だったら、万々歳で簡単に終わったんでしょうにね。
やあ全く、風間さんも大変だ。まあ尤も、三代目からも一目置かれている程の御人ですから、あの人に限っちゃあ責任取って組を解散して引退・・・、なんて事にはならないでしょうけどね。フッフッ。」

柴田は短くなった煙草を水の溜まった灰皿の中に落とし込んで、『じゃ、お先に』と呟き、悠々と歩き去って行った。


「・・・・吾朗・・・・?」

柴田が去って行った方向をじっと睨んでいる真島の隻眼には、明らかな怒りが宿っていた。
馬の合わない人なんて何処にでもいる。曲者揃いの極道社会なら尚更だ。
しかし、単純な好き嫌いで片付けてしまうには、去り際の柴田の一言が引っ掛かった。『責任を取って組を解散して引退』という、まるで真島の義兄弟が属していた組の末路を示唆しているかのような一言が。
柴田、その名をもう一度よく思い出してみると、今度はすぐに浮かび上がってきた。


「ちょっと待って・・・・?今の人、柴田って、もしかして柴田組の・・・・!?」

真島の右目が、ハッとしたようにを見つめた。


「やっぱりそうなん・・・・!?じゃああんたの左目は、あの人の組の奴が・・・・!」
「・・・・ああ・・・・」

10年前、真島が義兄弟の冴島と袂を分かつ事になった一因。昔嶋野から聞き出した、真島の足止めをした『柴田組』というのは、やはりあの男の率いる組だったのだ。それも、ただ行く手を阻んだだけではなく、取り返しのつかない一生ものの大怪我を負わせた。
なのにあの男は、それを少しも引け目に思っていない。少なくとも、そんな様子は微塵も見せていなかった。まるで井戸端会議のように、面白おかしくペチャクチャと喋っていっただけだった。
先程の様子を思い返し、一体どの面を下げてと怒りにうち震えていると、真島の腕がの肩を優しく抱いた。


「・・・気にすんな。もう大昔の事や。」
「でも・・・・!」
「お前の気持ちは嬉しいけど、俺のこの目は、俺が親の命令に逆ろうた結果や。俺が大人しゅう言う事聞いて従っとったら、こうはならんかった・・・、あくまでもそういう事なんや。」
「そんな・・・・!」
「・・・それに、あの男には喧嘩の売っていきようがないんや。確証が何も無い。」

人に聞かれまいとするかのように声を潜める真島は、またさっきと同じ目をしていた。静かな、それでいて沸々と煮え滾るような、そんな怒りを湛えた目だった。


「確証・・・・?」
「あん頃、冴島んとこの笹井組と柴田組は、直系昇格を巡って競り合うとった。
そのチャンスを勝ち取ったのは笹井組の方やったが、結果として直系に昇格したんはあの柴田んとこや。」
「それって、あの襲撃事件の事やろ・・・・?東城会を裏切ろうとしてた笹井の組長さんの策略やったっていう・・・・」
「そうやという証拠は何も無い。強いて言うなら、事件の後すぐ責任取って組を解散させたっちゅう、笹井の叔父貴のその行動だけや。その後、叔父貴は極道を引退して何処かへ姿を消したきり、今も行方不明のままや。傍目にはそれが裏切りに対するケジメやったと見えるやろう。
そやけど俺からしたら、怪しいのはあの柴田の方や。己は何のリスクも負わず何の犠牲も払わずに、まんまと欲しいもんを手に入れたんやからな。
けど、それもまた確証が無いんや。あの男が、笹井の叔父貴や冴島や俺をハメたっちゅう証拠が、何処にもあらへん・・・・」

極道なんて、どいつもこいつも曲者揃い。そんな事は嫌という程承知していたつもりだったが、どうにもやりきれなかった。
左目の事だって、真島は自業自得だとすっぱり割り切っているが、にはやはりそうは思えなかった。いやきっと真島だって、そうするしかないだけなのだろう。どんな事情があれども、片目が失くなって良い事なんてある訳がないのだから。


「そろそろ行くで。もうすぐ告別式始まるわ。」
「・・・・うん・・・・」

真島は煙草の吸殻を灰皿に落とすと、を促して歩き出した。
悔しいが、本人がそう言うのなら無理に争いをけしかけるような事は言えないし、もし真島が柴田組への報復を考えているとすれば、それはそれで手放しで賛成する事も出来ない。真島はもう身一つではなく、一つの組を統べる頭で、数十人の組員とその家族の人生が彼の双肩にかかっているのだから。
相反する思いを無理やり呑み込んで、は黙って真島の隣を歩いた。
真島も何も言わなかった。きっと同じような思いでいるのだろう。柴田の事だけでなく、この堂島組長の事件に対しても。
あの一報を聞いてから以降、真島はずっと何処となく塞ぎ込んでいた。
堂島組長の死を嘆いている訳でも、堂島組長を殺した桐生に憤っている訳でもない。
むしろ、誰もが桐生の事を『親殺しの外道』と蔑み、わざとらしく仁義を振りかざしていきり立ってみせたり、さっきの柴田のようにコソコソと陰で面白おかしく噂話に花を咲かせている中、真島は頑なに彼の話をしなかった。一昨日の仮通夜でも、昨日の通夜でも、一切。
真島が考え込んでいるのはきっと桐生の事で、それも他の連中とは違う事を考えている筈だった。しかしそれが何なのか、に打ち明けてくれてはいなかった。
他愛もない事は大声を上げて騒ぐくせに、本当に辛い事は自分の胸の内に押し込めてしまう男だと知っているからこそ、大人しく沈黙を守っている真島を見ているのは歯痒くて堪らなかった。















1995年11月某日。


「主文、被告人・桐生一馬を、懲役12年に処する。」

この日、堂島組組長殺人事件の犯人・桐生一馬に対し、判決が言い渡された。
ここに至るまで、桐生は一切の弁解も抵抗もせず、己の罪を全面的に認め、法の裁きに大人しくその身を委ねていた。
そして判決が言い渡された今も、表情一つ変える事なく、粛々とした態度でそれを受け止めていた。


「被告人は、被害者である堂島組組長・堂島宗兵との間に生じた金銭トラブルにより、被害者を憎んで殺害を計画し、拳銃で殺害。
非常に短絡的かつ残忍な犯行ではあるが、一方で被害者も組長という立場から、構成員である被告人や他の構成員達に対して、常日頃より高額な上納金を要求していた観点から考えて・・・・」

そんな桐生の姿を、真島は傍聴席からじっと見つめていた。
傍聴席には他にも、風間や柏木、堂島組長の妻であり堂島組の姐である堂島弥生、それに、堂島夫妻の一人息子である堂島大吾もいたが、真島は彼らとは少し離れた席に一人で座っていた。嶋野はもはやこの一件に対して無関心で、事件の顛末を知る為に裁判の傍聴に自ら出向こうという気は更々無かった。


「では、これにて閉廷・・」
「待てよ!!」

閉廷が告げられそうになったその瞬間、傍聴席から大吾の荒々しい叫び声が上がった。


「何で何も言わねぇんだよ桐生さん!言い訳ぐらいしたらどうなんだ!金銭トラブル!?一体何の金だよ!?納得のいくように詳しく説明しろよ!」
「大吾!やめねぇか!」
「放してくれよ柏木さん!」

止めようとする柏木を振り払って、大吾は尚も桐生に向かって叫んだ。


「俺は!俺はなぁ!アンタだけは本物の極道だと思ってたんだ!カネカネカネカネって、テメェの金の事しか考えてねぇうちの親父や他の幹部連中とは違って、アンタだけは任侠に生きる本物の漢だと信じてたんだ!」
「およし大吾!」
「大吾!いい加減にしろ!」
「うるせぇっ!お袋もカシラも引っ込んでろよ!」

大吾はまだ二十歳にもならない青臭いガキだ。
だからこそ、痛々しい位に熱くて、見ていたくない程に純粋だった。


「それなのに何だよ!アンタも結局あのクソ親父と同じ、守銭奴だったのかよ!そんなに金が大事かよ!?なぁ!何とか言えよ!何とか言えーーっ!桐生ぅぅーーーっ!」

警備員が何人かすっ飛んで来て、喉が張り裂けんばかりに叫ぶ大吾を取り押さえ、外に引き摺り出そうとし始めた。
周りの身内も大吾を必死に宥めようとしているし、多分滅多な事にはならないだろうが、ここは自分も大吾を抑えに行った方が良いと思い、真島は静かに席を立って迅速に彼らの元へと駆けつけた。
見ると、向こう方も滅多な事にならない内にさっさと終わらせようと考えたのか、急かすように桐生に退廷を促していた。


「・・・・・桐生ちゃん・・・・・・」

退廷するその間際、桐生はこちらを向き、黙ったまま深々と頭を下げた。
相変わらずの落ち着き払った表情のまま、ただその目だけが哀しげだった。


「っ・・・・!」

大吾のように、大声で吼えてやりたかった。
俺との約束はどないしてくれるんじゃと、飛び掛かってやりたかった。
やれるものならば、今すぐにでも。


「うぅ・・・・!ちくしょう・・・・!ちくしょう・・・・!」

無念の涙に咽ぶ大吾を抑えて落ち着かせながら、真島はじっと桐生を見つめた。
桐生も哀しげなその目で、真島をまっすぐに見つめ返した。
最後に、確かに、そうしていった。
桐生が退廷すると、真島は風間達に挨拶をして、一足先に一人で裁判所を出た。
すると、門のすぐ外に白いスーツを着た長髪の男が一人、ポツンと立っていた。


「・・・・こんなとこで何しとんねん、錦山」

声を掛けると、男は怯えたように青ざめた顔を強張らせた。
東城会直系堂島組若衆・錦山彰。桐生の義兄弟だ。
評判はちょくちょく聞くが、この男もまた桐生と同じく、いや桐生以上にうだつの上がらない、万年下っ端のドチンピラだった。


「大遅刻やで。裁判やったらもう終わったわ。」
「・・・・知ってますよ・・・・」
「ほな迎えかいな。姐さん達ならもうちょっとしたら出て来はるわ、運ちゃん。」

錦山の自尊心が傷付くと分かっていての嫌味だった。そのつもりで言ってやったのだ。
良い身なりをして、高い車を乗り回して、分かり易く派手に見栄を張っているが、定評があるのは、こいつに頼めば良い店を紹介してくれるだの、いい女を回してくれるだのといった、低俗な方面についてばかり。
上の連中の腰巾着になってゴマをすりつつお零れを頂戴するのも、一つのやり方と言えばその通りだが、いつまでもそれで渡っていける程、極道の世界は単純ではない。
そんな事は錦山自身もよくよく承知している筈なのだが、真島の目には、この男自身がいつまでもそこに甘んじているようにしか見えていなかった。


「・・・・桐生は・・・・?」
「あん?」
「桐生はどうなったんですか・・・・?判決は、何と・・・・?」

呆れすぎて、怒る気にさえなれなかった。
大事な兄弟の判決さえ己の耳で聞き届ける勇気も無く、こんな所でグズグズして人に訊いているようでは、この先の見込みなどまるで無い。そんな腰抜けに怒るだけ、エネルギーの無駄遣いというものだった。


「懲役12年やと。このまま控訴せぇへんかったらの話やけどな。」
「・・・・12年・・・・」
「ま、ちぃと長いお勤めにはなるが、いずれ出るのは出られる。桐生ちゃんやったら、実際はもうちょっと早よ出れるんとちゃうか。多分大人しゅうしとるやろうし。」
「・・・・!」

憔悴した顔を幾らか安堵したように輝かせるのが、また情けなく、苛々した。


「何をホッとしとんねん。お前、桐生ちゃんが出て来た後の事、考えとんのかいな?」
「え・・・・?」
「極道の内輪揉めで1人殺った位では、滅多な事にはならん。ムショからはいずれ出て来れる。問題はそこやない、桐生ちゃんがやった事は『親殺し』やぞ?」

知らしめるように言ってやると、錦山はその男前をまた凍りつかせた。


「勤めを終えて出て来ても、色々事情が変わってて元の組に迎えて貰えず、宙ぶらりんで放り出された奴はなんぼでもおる。『親殺し』となればもう確実にそうなる。そんな事ぐらい、お前にも分かるやろ?」
「・・・・!」
「出て来た時、桐生ちゃんに戻る処は無い。シノギの口どころか当座の金も無い。当然、堅気の社会になんか受け入れて貰われへん。
そうやって宙ぶらりんで放り出された勤め帰りの極道が行き着く先は、惨めったらしい野垂れ死にや。
お前、桐生ちゃんをみすみすそんな目に遭わせるつもりか?あの例の『セレナ』っちゅう店の女が面倒みてくれるやろとでも能天気に思とんのか?」
「・・・・そんな訳・・・・!」

ここまで言われても、錦山は声を押し殺してうち震えるばかりだった。
そう、錦山には何も出来やしないのだ。
こちらを負かす事の出来る『武器』を、この男は何も持っていないのだから。
桐生はもう、堂島組には帰れない。
自分の組を持つどころか、仮初めの宿となってくれる組も無い。
野心があれば、親殺しの汚名でハクをつけて下剋上を起こし、自ら成り上がる事も考えられるが、桐生はそういうタイプではない。たとえ野垂れ死にするだけだと分かっていても、黙って独りで何処かへ消えてしまうだろう。
そんな桐生を救い上げて、もう一度極道の漢として返り咲かせてやる事が、この錦山に出来るだろうか。
この、何の力も無い下っ端のドチンピラに。
初めて会った時に見せた極道の矜持、どれだけ痛めつけられても決して兄弟は売らないと必死に立ち向かってきた気概、あれすらももう失くしてしまったかのような、この腰抜けに。


「・・・ま、精々マメに手紙でも書いたれや。桐生ちゃんも喜ぶやろ。」

真島はそう言い置いて、ただ拳を握り締めて震えている錦山の横をすり抜けて行った。















裁判所を出た後、嶋野組の事務所に寄って嶋野に一応の報告を済ませると、真島は自分の事務所に帰った。事務所には数人の組員と、早く結果を知りたそうな、不安げな表情をしたがいた。
真島はにだけチラリと目配せをし、そのまま社長室に引き揚げた。
スーツの上着をソファに放り出し、自分のデスクの椅子にドサリと身を投げ出して煙草に火を点けていると、一歩遅れてが後を追って入ってきた。


「判決、どうやったん?」
「懲役12年や。」

それを聞くと、は沈痛な面持ちで床に視線を落とした。


「12年・・・・、長いな・・・・」
「まぁでも、あんじょう勤めとったらそれより早よ仮出所できる。桐生ちゃんやったら多分そうなるやろ。もうちょっと、1〜2年ぐらいは短こなるんとちゃうか?」
「そ・・、そうやんな・・・・!多分そうなるよな・・・・!」

さっきの錦山と同じように、も少し安堵したように笑った。
確かに、懲役の事だけならば、そんなに心配は要らない。何も無期懲役や死刑を宣告された訳ではないのだから。


「そやけど、桐生ちゃんの罪は重い。親殺し・・・・、極道にとってこれ以上の罪は無い。お前も知っての通り、俺も昔、冴島の事で掟に背いたが、親殺しはそれ以上の罪や。」

しかし桐生は極道の漢で、極道の世界における禁忌を犯した。
その罪は、いずれ懲役を終えて釈放される日が来たところで消える事は無く、いつまでも桐生を呪縛し続けるだろう。それを思うと無念でならなかった。
『親殺し』の烙印を、逆に己の力を誇示する刺青に変える事が出来る程の強い野心は、桐生には無いのだから。


「・・・・何で桐生さんは、そんな事したんやろ・・・・」

はまた消沈したように、ポツリとそう呟いた。


「自分の組、近々持つ予定やったんやろ?そんな大事な時に、なんで組長とお金の事で揉めんの?
たとえド汚い事されたにしたって、そんな時やったらぐっと堪えて辛抱するもんとちゃうの?それに、あんなに幸せそうにもしてたのに・・・・。
あんた覚えてる?私が初めて桐生さんと会った時の事。あの時桐生さん、一生懸命人の子の世話しとったやろ。」

そう言われてみれば、そんな覚えがあった。
お人好しにも程があると呆れた記憶が。


「・・・・そんな事も・・・・あったなぁ・・・・」
「あんな情の深い人が、自分の大事な彼女悲しませるような事するとは思われへんわ。もしか彼女じゃなくても、好きな事には絶対違いないと思うねん。
あんな人がおんのに、お金の事で人殺しなんかする?あの桐生さんが?私ホンマに考えられへんねん。」

何処にも訴えていく処のない訴えを、自分に向かって投げ掛けてくるの必死な顔を、真島はじっと見つめた。
は全幅の信頼を寄せてくれている。自分もまた、同じ気持ちをに対して抱いている。他の誰よりも心を許して信じ合っている、夫婦なのだ。
だからにだけは、この胸の内に実体も無く立ち込めている黒い疑惑を打ち明ける気になれた。


「・・・・お前が見掛けたその女は、もうあの店を辞めたらしい。」
「え・・・・?」
「檜山が言うとったわ。あの事件の後から、いつ行ってもその女は見やんようになって、ママに訊いても今日は休みやとかちょっと出掛けてるとか、何やはっきりせんかったって。それが最近になって、辞めたってしれっと言いよったらしい。」
「そうなん・・・・?」
「それと、その女には堂島組長もかなり入れ揚げとったんやと。せっせと店通って金落として、次から次へと高いもんプレゼントしたり、同伴・アフターどころか海外旅行にまで誘ったりして、どうにか女の気を惹こうとしとったようやが、女は全くなびかんかったそうや。」
「・・・・まさか・・・・、それがホンマの理由・・・・!?」
「分からん。只の俺の勝手な想像や。」

真島にも、この疑惑を投げ掛けていく処など無かった。
嶋野にも、柏木にも風間にも、世良にも言えなかった。
小耳に挟んだ話を繋ぎ合わせただけの、何の証拠も無い推測に過ぎないのだから。


「ううん・・・・、私もまだその方が分かる・・・・。あんたのその勝手な想像、あながち間違いとちゃうかも知らんで・・・・?」

しかし真島のその『推測』に、は共感を示した。


「シノギもあんましグイグイ攻めず、必要以上の金には執着せぇへんあの桐生ちゃんが、金で揉めて人殺すなんて、俺かてどない考えても納得出来へん。
それよりは、まだその女が原因やっちゅう方が腑に落ちるんや。己の惚れた大事なオンナが懸かってたっちゅう方がな。」
「うん・・・・、うん、ホンマや・・・・・!」

は真剣な顔で何度も何度も頷いた。
だが、真島の心の中にある疑惑はこれだけではなかった。


「・・・・せやけど、それならそれで、解せん事がある・・・・」
「え・・・・?」
「桐生ちゃんはなぁ、ごっついんや。」

真島がそう言うと、は一瞬唖然としてから、呆れたように苦笑を洩らした。


「ごっついって・・・、また喧嘩の話?」
「桐生ちゃんはなぁ、ホンマにごっつい漢なんや。極道の世界には喧嘩の強い奴なんぞなんぼでもおるけど、あいつは一風変わっとる。
極道のくせして、アホみたいにボケーッとしとるとこがあって、普段からドスの1本も持ち歩きよれへん。いつ会うてもアホみたいな丸腰や。」
「そ、そないアホアホ言わんでも・・・・。」

は、またしょうもない喧嘩の話をする気かとでも思っているのだろう。
だが、しょうもなくなどない。
真島にとっては殺害動機などよりもよほど重要で、よほど疑わしい事だった。


「そやけど、下手な武器よりあいつの拳一発・蹴り一撃の方が、よっぽど破壊力がある。あいつはホンマもんの『龍』や。
それやのに、何であん時に限ってチャカを使った?」

己の中で一番大きなその疑惑を口にすると、も真顔になった。


「それは・・・・・」
「堂島組長は、若い頃はええ極道やったらしいが、失脚してから以降はホンマに只のヒヒ親父やった。遊んでばかりで、もういっぺん再起したろうっちゅう気概も無さそうやった。その苦労を負うのが嫌やったんやろうな、人の足引っ張る事で自分の面子と立場を守ろうとしてるような、情けないザマやったわ。」
「そう言えば、葬儀の時に皆ヒソヒソ陰口叩いとったな。堂島の組長さん、ここ何年もあの東堂ビルの事務所に籠って、酒に博打に女に、放蕩三昧やったって・・・・。」
「そんな飲んだくれのどんくさいオッサン一人殺るのに、チャカなんぞ要らんわ。
ホンマの理由が我のオンナやったんやとしたら尚更、桐生ちゃんなら己の拳で堂島ぶっ飛ばしとる筈や。」

もしも本当に桐生が殺したのだとしたら、そしてその本当の理由が自分の愛する女だったとしたら、あの『堂島の龍』が己の拳を振るわずに我慢していられるだろうか?
『嶋野の狂犬』には到底出来ない事を、もっと剛直で不器用なあの男が出来るだろうか?
真島には、とてもそうは思えなかった。
もしも自分が桐生だったならば、もしもがその女だったならば、手に馴染んでいない武器になど頼らない。怒りに燃え滾る拳に渾身の力を込めて、そのまま堂島組長に叩き付けている。だから桐生も、もし殺すとすれば必ずそうする筈だった。


「そう、己の拳でボコボコに殴り殺したっちゅうんなら分かるんや。
そやけど、何でチャカなんか使こたんや?普段使いもせぇへんのに、その時に限ってハナっから、おまけにめくら滅法に何発も撃って。」

桐生は取り調べに対し、金の事で揉めて堂島組長に殺意を抱き、あの日、拳銃を持って東堂ビルの事務所に押し入り、堂島組長に向かって何発も発砲したと供述していた。
事実その通り、堂島組長の遺体には何発もの銃撃を受けた痕があったが、殴る蹴るの暴行を受けた形跡は無かった。
しかしそれは真島に言わせれば、全くもって桐生らしからぬやり方だった。
根拠は何も無い。だが、同じ匂いのする極道の漢としての勘が、あれは桐生の仕業ではないと断言していた。


「・・・・分からんけど・・・・、それだけよっぽど憎かったとか・・・・?」
「それか・・・・、気が動転して必死のパッチになっとった・・・・、か・・・・」

あれだけ豪胆な桐生がパニックになって拳銃を乱射するなんて、それもまた考え難い事だった。
やり返されて撃ち合いになったのならまだしも、事件当時、事務所内には当事者達の他に誰もおらず、堂島組長は丸腰で、桐生が一方的に発砲したという状況だったのに。激昂していたにせよ気が動転していたにせよ、何かが変だった。
まるでさっきの錦山みたいに肝っ玉の小さいヘタレのような、あのやり方。
そう、例えば錦山がやった事だとするなら、まだ分かるのだが。
一瞬そんな考えが真島の頭をチラリと過ぎったが、しかしそれはちょっと思った程度の事で、わざわざ口に出す程ではなかった。
あんな腰抜けに人など、それも自分の親など、殺せる訳がないのだから。


「とにかく、どない考えても桐生ちゃんらしくないんや。全然納得がいかん。
それに、風間のカシラも何かおかしい。何で桐生ちゃんの供述を変やと言わへんねん。桐生ちゃんがどんな性格か、俺よりもよう分かってはる筈やのに。」

桐生も変ならば、風間も妙だった。風間は、桐生の供述を裏付けるかのような証言をしていた。それが速やかな事件の解決と桐生の有罪判決に繋がった事は明らかで、また同時に、桐生に対する情状酌量の余地にもなっていたのである。
それもそれで一体どういう事なのか、まるで訳が分からなかった。


「・・・・どいつもこいつも、何かを隠してる。誰かを庇ってる。この一件、俺にはどうも何か裏があるような気がしてならんのや・・・・」
「でも、もうどうにもならんのやろ?判決も出てしもて・・・・。」
「多分な。警察はヤクザの内輪揉めなんか面倒がって、ハナからろくに捜査する気も無かったし、桐生ちゃんも桐生ちゃんで、最初からすんなり全面的に罪を認めとおる。控訴はせんと、このまま『勤め』に行く気なんやろ。」
「何か・・・・、やりきれへんな・・・・」

は哀しげな表情で、ポツリとそう呟いた。
これがもし、自分達の話だったとしたら。そう考えると堪らなくなって、思わずを強く抱きしめそうになった。実行に移すのは辛うじて思い留まったけれども。

そう、これがもし自分達の話だったとしたら、例えばもしが嶋野に狙われるような事があったとしたら、自分だってとても平気でなんかいられない。
が、果たして嶋野を殺すまでに至るだろうか?
刑務所にぶち込まれて、肝心のとは何年も離れ離れになる。
折角一緒に暮らせるようになった猛ともまた別れる破目になって、その上更に、その生い立ちにまで暗い影を落とす事になる。人殺しの父親なんか要らないと、それこそ拒絶されるようになる事だって十分考えられる。
組も滅茶苦茶になって組員も散り散りバラバラ、惨めに路頭に迷ってしまう奴もいれば、どさくさに紛れて組を乗っ取ろうとする奴も出てくるだろう。
長いお勤めを終えて出て来ても、『親殺し』には居場所など無い。極道社会の中には勿論、愛する二人の側にさえも。
丸裸に汚名だけを着た男など只の厄介なお荷物にしかならないし、下手をすれば組織の報復が待っていて、最悪、愛する者達にまで危害の及ぶ恐れがあるのだから。


― それでも、殺るやろか・・・・?

こんな弱気な事を考えてしまうのは、何が何でも守りたいもの・守らなければならないものが出来たからなのだろう。三十路にも突入したし、少し丸くなってしまったのかも知れない。
しかし、それは桐生だって似たようなものだった筈なのだ。
風間をはじめ何人もの人々の期待を背負って桐生組を立ち上げる算段を立てていただろうし、好い仲の女もいた。その女との幸せな未来だって、きっと多少なりとも夢見ていた筈なのに。
何があったか本当のところは分からないが、ひとたび人殺しの罪を背負ってしまったら、その大事なものが何もかも全て木っ端微塵に砕け散ってしまうのに。


― お前はそれを承知の上やったんか?なぁ、桐生ちゃんよぉ・・・・

答えを聞く機会はきっと無いであろうその疑問は、真島の心の片隅にじっと蹲ったままだった。














1995年12月5日 午後。
世間は師走に入り、慌ただしくも賑やかな雰囲気になっていた。
今は時期的に正月ムードよりもクリスマス色の方が断然濃く、街中の至る所にクリスマスツリーやサンタクロースの人形が飾られ、どこの店でもクリスマスソングばかりが流れていた。
この日の昼、真島とは時間を作り、猛へのクリスマスプレゼントを調達する為に二人きりで出掛けた。
猛の所にサンタさんがやって来るのは、実は今年のクリスマスが初めてである。まだあんまり小さすぎる内に来て貰っても肝心の本人が分からないだろうからと、これまでは迷いながらもずっと見送ってきたのだが、それを知った男サンタが大喜びで大張り切りしているので、結果としてそれは大正解だった。
猛と野球がしたいという彼のたっての希望で、プレゼントは玩具のバットとグローブとボールという事になり、これからそれを買いに行く筈だったのだが、車に乗り込むや否や、真島は玩具屋へ行く前にちょっと寄りたい所があると言い出した。
別に取り立てて反対する理由も無かったし、何より真島が真剣な顔をしていたので、はそれを承知した。
行先を運転手の真島に委ねてドライブする事暫し、やがて真島は路肩に車を停めた。


「ここどこ?」

まだまだ東京の土地勘が少ないには、全く分からない場所だった。


「東京刑務所や。今日、桐生ちゃんが横浜刑務所へ移送されるんやと。もうそろそろ出て来る頃や。」

の質問に、真島はそう答えた。


「あ・・・・!」

車の中から見守っていると、程なくして刑務所の敷地内から護送車が走り出て来た。


「あれやろか・・・・?」
「ああ・・・・」

車内は見えず、囚人達の姿は確認出来なかった。だがあの中に、桐生一馬は確かにいる筈だった。
これで暫く、あの顔を見る事は無い。身内でも後見人でもない赤の他人に、それもヤクザに、面会許可が下りる事は無い筈だから。


「・・・・10年先まで、喧嘩はお預けやな・・・・」

次に会う時、桐生の顔はどう変わっているだろうか?
老け顔だから、多分あまり変わらないだろうとは思うが。
禿げはしないだろうか?そうなったらなったで笑えるが。
肥える心配は無いだろうが、あの筋骨隆々の肉体が痩せ細りはしないだろうか?
あの圧倒的なパワーと技のキレが、衰えはしないだろうか?
脳まで痺れるようなあの拳の一撃を、いつかまた味わえる日が必ず来るだろうか?


「またな、桐生ちゃん・・・・・」

走り去っていく護送車を見送りながらそう呟くと、がまるで励ますように、プラチナの指輪が嵌った真島の左手に、自分の右手をそっと重ねた。
薬指には、昔真島が二人の将来を夢見て贈ったアクアマリンの指輪が嵌っている。
そして左手の薬指には、真島の指にあるのと同じ形の揃いの指輪。二人で一つの道を歩んでいく夫婦が分け持つ、二つで一つの結婚指輪だ。
永遠の愛と夢とが凛と輝くの手の優しい感触が、冷たい隙間風のような寂しさを温かく和らげてくれるようだった。


「なぁ・・・、気ィ早いけど、出て来たら桐生さんどうなるんやろな・・・・?」
「風間のカシラや柏木さんに限って、知らん顔する事はないやろ。あの人らがあんじょう身の振り方を考えてくれる筈や。たとえ大っぴらには何もしてやれんでもな。」

口ぶりこそまるで他人事みたいだが、真島が本当にそう思っている訳でない事は、が一番良く分かっていた。


「でも、もし知らん顔されたり、結果的にそうなってもうたとしたら?」
「・・・・・」
「当てたろか?もしそないなったら、そん時はあんた、桐生さんの事拾うつもりやろ。たとえ東城会全体を敵に回しても。」

には確信があった。くっついたり離れたりだったが、何やかんやで10年近く、この人と付き合ってきているのだから。
その長い年月からくる確信にほくそ笑みつつ答えを待っていると、真島は気まずそうな表情になってを見た。


「・・・反対なんか?」
「まさか。それに、仮に止めてもどうせあんた聞かへんもん。」

がそう言い放ってやると、真島は苦々しいその顔をぎこちなく微笑ませた。


「ひひっ・・・、さすが俺の女房や。よう分かっとるやないか。」
「フフン。あんたの考えそうな事なんかお見通しやっちゅうねん。」

実際、そうならないに越した事はない。
身内の者全てに裏切られ、見捨てられ、負け犬のように元の居場所から追い払われる惨めさなど、味わわずに済むならそれが一番良い。
ただ、万が一、万が一のその時は、俺があの男の受け皿になってやろう。
それが真島の新しく掲げた目標だった。


「・・・ここにはなぁ、冴島もおるんや。」
「えっ・・・!?」
「来たんはこれが初めてや。塀の外から見てウジウジしとったかて、何にもならんからな。」

そう、そんな事をしても何の意味も無い。
面会も許されなければ手紙を届けて貰う事も出来ないのだから、来てもただ会いたさがいたずらに募るばかりで、何の実りも無い。
だから、こんな用事でもなければ、またこの先も来る事は無いだろう。


「・・・冴島の事も結局、何にも納得いかず終いや。訳が分からんまま、10年経ってもうた。」

10年経ってまた同じような事が起きたなんて、皮肉なものだった。
事件の裏が見えないのもさる事ながら、2度も置いてけぼりを喰らうなんて。
喧嘩の相性が最高の漢に限って、どうして居なくなってしまうのだろう。
喧嘩師にとって、こんなに寂しく悲しい事はなかった。
いっそ自分も後を追ってやろうか?例えば、まんまと漁夫の利を得たばかりか、調子に乗っていけしゃあしゃあと例の事件を匂わせるような事まで言ってのけた柴田でもぶち殺してやれば、桐生と同じ刑務所に行けるだろうか?
そんな事をふと考えたりもしたが、やはりそれは出来なかった。
と猛を悲しませたくないし、もう二度と離れたくない、決して離さないと誓ったのだから。
それに、シャバを離れて『お勤め』に出ている時間は無いのだ。
そんな事をしていたら、冴島を檻から解き放ってやれる日がそれだけ遠ざかる、いや最悪、それが永遠に叶わなくなってしまうのだから。


「・・・俺ももっと気張らんとな。もう1人分、居場所作っとかなあかんようになったからのう。」

力がものを言うこの世界で己の主義主張を押し通すには、それだけの力が要る。
『親殺しの外道』を引き立てて返り咲かせるにも、『極道18人殺し』の死刑囚を檻の中から解き放ち、極道の高みへと昇らせるにも。
だから絶対にシャバを離れる訳にはいかないし、現状に満足してもいられなかった。
まだまだ遠く及ばないその力を得る為に、今はとにかくこの世界で昇り続ける。
これまでもずっとそうしてきたように、これから先もまだまだ。
そしていつか、念願叶ってあの最高の漢共が帰ってきたら、最高に楽しい喧嘩をするのだ。死ぬ前にもう一度だけなんて辛気臭い事を言わず、いつでも、何度でも、また昔のように。


「・・・じゃあ、あんたまで塀の向こうに行くような事にはならんようにな?」
「分かっとるわい。」

にはもう、真島に考えを変えて欲しいと願う気は無かった。
また、それを優先させ、自分が諦めて退く気も無かった。
互いに抱いていたものを繋ぎ合わせて、大きな一つの『夢』にしたのだから。
互いの望みが全て詰まったその大きな夢を、これから一緒に叶えてゆくのだから。


「さ、ほな行こか!サンタさんのプレゼント、とびっきりのやつ用意したらんとな!」
「うん!」

喜び、怒り、泣き、笑う。人の表情がその時々の感情で変わるように、人の考えや望みも、時の流れや状況の変化で如何様にも変わっていく。
けれど、幾つもの表情も、作り出す基となるのは一つの心であるように、人の考えや望みもまた、どれだけ変貌を遂げようとも、その核となる想いはたった一つ。
その不変の想いこそが、きっと『夢』というものなのだ。


― 待っててくれや、兄弟。そこから出したれる日が来るまで、何とか持ち堪えといてくれよ・・・!


真島は冷たく強固にそびえ立つ刑務所をもう一度見つめてから、華やかなクリスマスムードで賑わう街を目指して車を発進させた。
時を同じくして、その巨大な建物の向こう側の道を若く美しい女が独り歩いていたが、その女の姿は真島には見えなかった。
この刑務所の敷地は、ただ周辺を行き交う者達の邂逅さえも阻もうとするかの如く広大で、通る道が違っていればすれ違う事も遠目に見掛ける事さえもなく、互いにそこにいると気付く事は不可能だった。


そう、真島は気付いていなかった。
自分と同じ『夢』を抱いている者が、他にもいるという事に。
10年前に関西の何処かへ越して行った筈のその人が、この10年、雨の日も風の日も毎日欠かさずここに通っていた事に。
毎日ここに来ては、囚われの兄との面会を懇願するも一度たりとも会わせて貰えず、今も尽きぬ涙を流し続けている事に。
誰一人として味方のいない深い孤独の中で途方に暮れながらも、それでもどうにかしてもう一度兄に逢いたいと強く願っているその人こそ、真島がこの10年、ずっとその安否と所在を知りたいと思い続けてきた女性だという事に。
そして今、その女性・・・、冴島靖子が、すぐ近くを歩いているという事に。
真島は何一つ、気付く事はなかった。気付きようもなかった。



「なあなあ、ところで私にもサンタさん来てくれると思う?」
「さ〜どうやろな〜?エロい格好でむっちゃ色っぽく甘えてオネダリしたら、来てくれるかもな?」
「はぁ〜!?何やのそれー!そんなやらしいサンタさん嫌やー!あはははっ!」
「何言うてんねんお前、サンタも男やからな?そら魚心あれば水心ありやで、イヒヒヒ!ところで俺んとこには女サンタさん来てくれるんかいな?」
「いや〜どうやろ〜?めっちゃ男前な感じですんごい優しくしてくれたら、来てくれるかもな?」
「はぁ〜〜!?俺はいっつもめっちゃ優しい男前やろがー!」

真島はただ、このかけがえのない幸せを大切に大切に抱きしめて、己が道を突き進むのみだった。


掲げた目標を次々と越えて行けば、その先で必ず夢は叶うと信じて。




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後書き

『夢の貌 ― ゆめのかたち ― 』、これにて完結です!
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!


ほらっ!ちゃんと終わりましたよ!詐欺じゃなかったでしょ!?(笑)
・・・という冗談はさておき、長らくお付き合い下さり本当にありがとうございました。お楽しみ頂けていれば幸いです。
(※ちなみに、桐生ちゃんのお勤め先は捏造です。)
何かもう、ゴリゴリ書いていると欲が出てきて、最後の最後で色んな人を詰め込んでしまいました。柴田まで(笑)。
錦の事をボロクソ書いてしまいましたが、決してアンチじゃないんです。
むしろ、こうして皆に見くびられる錦の弱さが堪らなくイイ。
追い詰められて追い詰められて、限界にまで自尊心を追い詰められて、そして変貌してしまったんですよね。松重を殺した時に、錦も死んでしまったんでしょうね・・・。
そして、そんな錦にずっと縋り付き続けた麗奈の弱さもまた堪らん。全部分かってて、それでも最期ああなるまで離れられなかったなんて切なすぎる。
私、由美より麗奈の方が哀しい女だと思うんですよ。そりゃあ由美も怖い目に遭って可哀想でしたけど、あっちゅー間に他の男とデキて子供こさえてる辺りで悲愴感が薄れるというか・・・(笑)。


前作の『檻の犬と籠の鳥』から計算すると、本当にめちゃくちゃ長くなりました。執筆期間はトータル約4年半です。
こうやって改めて認識すると驚愕するんですが、でも自分の感覚としては精々1〜2年程度で、そのズレっぷりにまた驚愕です(笑)。
何はともあれ、ちゃんと書き上げられて良かったです!非常に清々しい気分です!
これを書き終えたら、また久しぶりに『龍が如く』をしようかなと思っていたのですが、何をしようかな?龍0?(←どんだけ好きやねん)
維新極はまだ買うかどうか決めていないのですが、さてどうしようか・・・(悩)。

ま、色々やりつつ、また夢ネタを考えていきたいと思います!
最後までご覧下さいまして、本当に本当に、どうもありがとうございました!