夢の貌 ― ゆめのかたち ― 1




「なぁ、ええやろ?しようや、なぁ?」

広くて静かなロビーに、誘惑の声が甘く響いた。


「俺あの夜の事、まだ忘れられへんのや。あれからどんだけ経つと思う?2年以上やで?俺、2年以上もアンタの事ずっと思っとんのやで?
俺のこの一途な思いを、もうそろそろ汲んでくれてもええやろが。」

その声の主・真島吾朗は今、目の前のソファに腰掛けている人を熱心に掻き口説いてる最中だった。
しかしその人は、真島がどれ程言葉を尽くして感情に訴えかけようが些かも心を揺らす素振りを見せず、煙草を吸いながらクールな眼差しで真島を眺めるばかりだった。


「あん時はいっぱいいっぱいやったから、正直愉しむどころやのうて、必死のパッチやったんや。
せやけど、後になればなる程、あん時の事が忘れられへんようになってなぁ。
ホンマに俺、悔やんでんねん。こんな最高の人が折角相手してくれたのに、何で俺はあん時もっと愉しまんかったんやろかってな。
俺もかなりの数こなしてきとるが、アンタ程の人には滅多に出会えん。ホンマのホンマに忘れられへんのや。」

会う度にこうして口説いているというのに、真島の思い人は、何度頼んでも応えてはくれない、つれない人だった。
そのつれないところも満更ではないのだが、何度も何度も流されてばかりだと、流石に焦れてくる。
真島はソファから立ち上がり、今日もやっぱりほだされてくれるどころか眉一つ動かしてもくれないその人に歩み寄った。


「なぁ、アンタもホンマは俺と同じ気持ちなんやろ?あの夜の事を、アンタかて忘れられへん筈や。
アンタも俺と同じように、その身体に俺の感触がまだ残っとる筈や。違うか?」

ソファの肘掛けに置かれたその人の手の上に自分の手を重ねると、2年前のあの熱い夜が蘇ってきそうだった。
この人は真島を本気で夢中にさせた数少ない人だったが、この人にとっての自分もまたそうである筈だという自信が、真島にはあった。
この人を本気で昂らせ、満足させる事の出来る男は、そうそういない。
年上の意地か何かでクールに落ち着き払ってみせてはいるが、それはきっとこの人自身が、誰よりも一番分かっている筈だった。


「なぁ、ええやろ?しようや、なぁ・・・・。今、この場所には俺とアンタの二人きり。時間もある。丁度ええやろ?なぁ・・・・?」

重ねた手の感触にさえ、熱くなってくる。
今日はきちんとスーツを着込んできていて、いつもの革手袋をしていないので、この人の手の感触が直接伝わってくる。
今は少し冷たいが、きっとじきに熱を帯びてくる筈だ。
2年前の、あの夜のように。


「あかん、身体が熱うなってきた・・・・!1発やらな、どないしたってもう治まりつかんわ・・・・!」

男の導火線というものは、一度火が点いてしまえば、行き着くところまで行き着かねば治まらない。
真島はとうとうその人の手を強く掴み、強引に引っ張り上げた。


「いくでぇ柏木さーーん!ガッカリさせんなやぁ!!」
「うるせぇバカ犬。脱ごうとするな。」
「あっづぁっっっ!」

手の甲に煙草の火をジュッとくっつけられ、真島は叫び声を上げて手を引っ込めた。


「何すんねん!!」
「一方的に好き勝手な事ばっか抜かしやがるからだ。テメェ、場所と状況を分かってんのか?」

真島の思い人、即ち、真島が心から本当に強いと思える数少ない漢の内の一人である柏木修は、落ち着き払っていたその顔をようやく不愉快そうに顰めて真島を睨んだ。
ガッツリ剃り込みの入ったオールバックの髪型に、凛々しい鼻柱から左の頬までを横切る大きな刀傷と、見た目はかなり獰猛そうなのに、意外にもこの人は穏健派で通っている。
事実その通り、柏木は多少の挑発や侮辱には眉一つ動かさず、スルリと涼しくかわしてしまう。
いつもクールなこの人からやっと感情を引きずり出せた事にひとまず気を良くして、真島は唇を吊り上げた。


「場所は東城会本部。状況はお互い幹部会に出席中の親父待ちや。」

今日は毎月定例の東城会幹部会の日だった。
幹部会は直系組織の組長だけが招集されるのが常であり、真島の親、東城会直系嶋野組組長・嶋野太の出席は当然の事だったが、今回は特別に、柏木の親で東城会直系堂島組の傘下組織である風間組の組長・風間新太郎も招集されていた。
風間は1988年6月に自身が仕切っていた賭場の摘発で逮捕されて刑務所に収監されており、ごく最近出所してきたので、その挨拶の為に呼ばれたようだった。


「それだけ正確に把握してて、何でその間に1発戦ろうという発想になるんだ?」
「だって俺らはヒマしとるやんけ。親父らが出て来るまでの間、ここで煙草吸うてる位しかする事あらへんし。
こんな締め切った建物ん中で煙草ばっかりバカスカ吸うてるよりか、外出て1発ケンカでもした方がよっぽど健康的やろ?今日ええ天気やし。」
「お前の『健康的』の基準が分かんねぇよ。仮にも組の若頭が、幹部会の最中にガキみてぇにはしゃいでられるか、バカ野郎。」

その落ち着いた物腰と顔の壮絶な向こう傷が年齢以上の貫録を醸し出しているが、柏木はまだ30を少し回った位の中堅どころだった。
そして真島は26歳、柏木と同じく中堅どころの極道だった。


「へっ、相変わらずお堅いのう、柏木さんは。」
「そういうテメェはいつ会っても破天荒だな、真島。」

真島が柏木と出会ったのは1988年12月、『カラの一坪』を巡る熾烈な争いの渦中にいた時だった。
当時、柏木は既に風間組の若頭を務めており、真島は極道の世界を追われ、五代目近江連合直参佐川組組長・佐川司に堅気として飼われている立場だった。
そしてその戦いが終結した後、極道に返り咲き、組に戻る事を許され、嶋野組若頭に就任してからはや2年。
1991年3月の今現在、真島も柏木も、良くも悪くも何の変化もない日々を送っていた。


「ほな近い内ちゃんと時間作ってくれや。ほんで本気のケンカしようや。」
「バカか。そんな下らねぇ事の為に時間なんて作れるか。こっちは色々忙しいんだよ。」
「ほらまたそんなつれへん事言うやろー!?アンタいっつもそれやねん!
せやからこんな時でもないと出来へんと思って誘っとんのやないかい!時間作られへんのやったら、やっぱし今戦ろうや!な!?」
「しつこいぞバカ犬!」

真島にとって柏木は、喧嘩の強さだけではなくその人間性をも尊敬出来る、数少ない貴重な男だった。
ただ属している組が同じというだけの兄貴達よりも、柏木の方が余程心を開く事が出来る。
冗談半分本気半分でじゃれつきながら柏木に喧嘩を売っていると、ロビーの階段から誰かが下りて来た。
それに気付いた柏木は瞬く間にいつもの落ち着き払った態度に戻り、真島もまた表情を引き締めて、階下に下りて来るその人を待った。


「おう、何だ。風間組の柏木と、嶋野組の真島じゃねぇか。」

下りて来たのは某とかいう東城会の幹部で、真島にとっては顔ぐらいは知っているという程度の男だった。
何ヶ月か前までは三次団体だった自分の組が直系に昇格したのが余程嬉しいらしく、この男はこのところ、滑稽なぐらい天狗になっていた。


「『忠犬』と『狂犬』が並んでお見送りとは嬉しいねぇ。ご苦労ご苦労。」

居丈高に笑うその男に、真島と柏木は揃って形ばかり頭を下げ、お疲れ様です、と機械的に言った。


「しっかし、オメーらんとこの親父さん方も相変わらず食えねぇお人だよなぁ。オメーらも気の毒に。」
「気の毒、とは?」
「何の事でっか?」
「いやな、さっきチラッとオメーらの話が出たんだよ。風間組も嶋野組ももうかなりの規模になってきてる事だし、ここらで若頭のお前らに傘下の組を立ち上げさせる気はねぇのか?ってな。
けど風間のカシラは、本人にその気がねぇんだって苦笑して終わり。
嶋野のカシラは、お前にはこじんまりした三次団体なんぞよりもっとデカいハコ用意してやりてぇっつって、やっぱり笑って終わり。そんな訳ねぇだろ、なぁ!?」

某は抑えた声で厭らしく笑いながら、柏木と真島の肩を叩いた。


「極道なんざ、テメェの組持ってナンボだ。極道張っててテメェの組持ちたくねぇ奴なんざいる訳ねぇし、デカいハコったって、傘下の組も持たせて貰えねぇ奴が、直系の組なんか持てる訳がねぇじゃねぇか、なぁ?
長らく歯ァ食い縛って親父の理不尽な命令に従ってきてんのによぉ、いつまでも組の若頭ってだけのチンケな椅子に縛り付けられて飼い殺しにされちゃあ堪んねぇよなぁ?
まあオメーらにゃあ気の毒だがよ、盃交わした相手が悪かったな。
親父がよりにもよってあんな強烈な食わせ者じゃあ、自分の組持ってのし上がろうなんて夢のまた夢だよな。
その点、うちの親父は単純で御しやすい人だったからラッキーだったぜ。ま、めげずに精々頑張れや。」

某はまた二人の肩を気安く叩くと、悠々と歩き去って行った。
素早く、かつさり気なく先を行き、この不躾な男の為に扉を開けてやる柏木は、やっぱり大した男だった。
真島は煙草を燻らせながら、柏木が某を送り出して戻って来るのを待った。


「・・・・流石、穏健派と言われるだけあって、導火線が長いのう。風間のカシラの事けなされたら、キレるかと思ったが。」
「的外れすぎて、けなされた気がしねぇよ。バカは相手にしないに限る。
そういうお前こそ、『嶋野の狂犬』と呼ばれる割に嶋野のカシラをけなされて、よく黙ってたな?」
「ドンピシャすぎて、けなされた気ィせぇへんかったわ。」

真島と柏木は、何となく互いに顔を見合わせて笑った。
天狗になって調子に乗っている奴は見ていて不愉快だが、言われた事自体は事実なので、腹は立たなかった。
そればかりか、前々から気になっていた事を訊く絶好の機会が出来たとさえ思っていた。


「・・・・柏木さん、アンタ自分の組持つ気はないんか?」

柏木は真島のその質問にすぐには答えず、また新しい煙草に火を点けて一口吸ってから、ようやく一言、ああ、と答えた。


「ほなさっきの話、当たってるって事か?」
「そうだ。風間の親父は本当の事を言っただけだ。あの人は詭弁を弄するような事はしねぇ。ましてや子分を飼い殺しにするような人じゃねぇ。
単にあのバカが知らねぇだけだ、風間新太郎というお人の事も、テメェの価値観と他人のそれとは必ずしも一致しないって事もな。」
「確かにありゃ只のアホや。そやけど、言うとった事は正論や。」

別にあの男の肩を持つつもりはない。
だが、あの男が言っていた事自体は正論で、真島の考えとも一致していた。


「極道なんぞ、所詮は社会のはみ出し者や。のし上がってナンボの世界や。それが出来へん奴は只のクズで終わってまう。
一生ヒラでもそれなりに認めて貰える堅気さんとは違うんや。極道は、昇り詰めてこその極道や。」
「分かってる。そりゃ否定はしねぇよ。けど俺は、テメェの名を冠した組に興味はねぇ。俺はただ、風間の親父の力になりてぇ。あの人の背中をずっと追いかけていてぇ。それだけだ。」

そう言い切る柏木の顔に、迷いは無かった。
同じように強い信念を漲らせた瞳で、同じような事を言っていた男の事が、また思い出された。
6年前の春に袂を分かったきりの、兄弟の事が。


「そういうお前はどうなんだ、真島?今や東城会の内部で『嶋野の狂犬』の名を知らねぇ奴はいねぇ。シノギの方も大分太くやってんだろ?まだ組持つ話は出てこねぇのか?」

真島が沈黙を保っていると、柏木は溜息を吐くように紫煙を吐き出した。


「・・・・食わせ者、か。言っちゃあ何だが確かにドンピシャだな。」

嶋野組は東城会きっての武闘派組織で、組長の嶋野はその頭たるに相応しい、豪胆で好戦的な性格をしている。
故に、ただ血の気の多い荒くれ者だと思われがちだが、そうではない。
力に任せて派手に暴れ回るその一方で、嶋野は冷静に先を読み、常に自分が有利になるよう策を巡らせる狡猾な一面も持ち合わせているのだ。


「・・・・・俺は自分の組を持つで。この東城会の中で、必ず自分の組を持つ。持たなあかんのや、絶対に。そやないと話にならへん。」

傘下組織を旗揚げするに相応しい実績を着実に積み上げているのに、嶋野はまだそれを認めてくれてはいない。
その理由は分からないし、しつこく食い下がって問い質したところで、本当の事を言ってくれるとは限らない。ならば今は無理に知ろうとする必要も無かった。
嶋野の思惑がどうであれ、東城会の中で必ず己の組を持つ。
それが、2年前極道に返り咲いた時に見据えた、真島の次なる目標だった。
兄弟への、冴島大河への償いは、そこからが始まりなのだから。


「・・・・その為には金、って訳か。チラッと噂に聞いたぜ。お前、関東だけじゃなくて、関西の方でもシノギを広げているらしいじゃねぇか。お前、向こうの出なのか?」
「そうやないけど、まあ、あっちにはちょっと縁があってな。組追われとった間、2年ばかし大阪でキャバレーの支配人やっとったんや。」
「今もそこをやってんのか?」
「いや、そこはもう辞めた。今は違う店のケツモチとか、色々や。」
「そんな遠くの店のケツ持ってんのか?わざわざ?」

何の気なしに言った一言を鋭く指摘されて、真島は一瞬動揺し、言葉に詰まった。


「・・・別にええやろ。大体ケツモチっちゅうてもアレや、所謂ケツモチやのうて、店を総括的に面倒見る、支配人っちゅう感じやからな。遠いとか近いとかは大して関係あらへんのや。」
「ふ〜ん、『支配人』なぁ・・・・」
「な、何やねん、支配人の何がおかしいねんな?」
「いや、別に支配人はおかしかねぇが、妙に言い訳がましいテメェの態度はおかしいなぁと思ってな。」

柏木は只でさえ鋭い目を更に鋭くさせて、真島を見透かすようにじっと見つめた。


「・・・・真島、テメェ何隠してやがる?」
「べ、別に何も隠しとらんわい。」
「益々嘘くせぇなぁ・・・・・、正直に吐きやがれ。」
「何やそれ。デカかアンタは。」
「・・・・・まさかとは思うが・・・・・、まさか女か?」

こういう時は、シレッとすっとぼけて否定するべきである。
或いは、余裕綽綽に『まぁな』と涼しい顔をしてみせるか。
しかし、頭ではそう分かっていても、実際にはどちらも出来なかった。
女と言われた瞬間に顔が浮かんできてしまって、不覚にも固まってしまったのだ。
じっと押し黙ったままの真島を見て、柏木は珍しく愉悦の笑みを浮かべた。


「おいまさか図星かよ。おいおい、意外にも程があるだろ。毎晩とっかえひっかえ違う女と遊んでそうなヤクザな見てくれしてやがるくせによ。」
「アンタに言われたら世話ないわ。ヤクザな見てくれはお互い様やろ。」

真島は顔を顰めてそう言い返してやった。
自分の黒革の眼帯もかなりのインパクトを人に与えるようだが、柏木の強面っぷりも大概だ。むしろ元々の強面度はこの男の方が断然上だ。
その笑みに一層の凶悪さを漂わせながら親しげに肩など組んでくる柏木を横目で睨みながら、真島はそんな事を考えた。


「は〜、なるほど。女がなぁ。そりゃああっちでシノギも広げる訳だ。会いに行くのに丁度良い口実になるもんなぁ。」
「うっさい、ほっとけや!」

さっきこちらがせっせと口説いていた時には鬱陶しそうにしていた癖に、こんな時だけノリノリで絡んでくるなやとイラつきながら、真島は身を捻って柏木の腕を振り払った。


「柏木さん、アンタ要らん事ペラペラ人に喋ったら本気でブチ殺すぞ!」
「誰がそんな下らねぇ事するかよ。俺はただ、巷で恐れられている『嶋野の狂犬』の意外な一面を知って、微笑ましく思っているだけだよ。」
「それが要らん事やっちゅーねん!言うなよ、絶対人に言うなよ!」

言えば言う程ドツボに嵌るのは分かっているのだが、念を押さずにはいられなくて、真島はもはや動揺を隠しもしないまま喚き散らした。
すると柏木は苦笑いになって、分かった分かったと面倒くさそうに答えた。


「けど、何でそんな隠したがるんだ?何か訳有りの女なのか?」
「そんなんやない。ただ俺が切り替えをしたいだけや。」
「切り替え?」
「『嶋野の狂犬』は、極道としての俺の生き方や。せやけど、あいつとおる時は・・・・・」

真島が口籠ると、柏木はふと目を細めた。
その顔は相変わらずおっかないのだが、おっかないなりに何となく優しげに見えた。


「俺は不器用なタチだから、お前の言う『切り替え』とやらはピンと来ねぇけど、お前がその女を本気で大切に想ってるって事だけは分かるぜ。心配すんな、誰にも喋りゃしねぇよ。」
「・・・頼むで。」

苦笑いで煙草の煙を吐き出しながら、真島は遠く西にいる大切な想い人、を想った。
西と東に離れて住み、それぞれの暮らしを営む二人は勿論、日頃いつでも会えるという訳ではない。
どんなに会いたくても、声が聞きたくても、それが叶わない事だってよくある。
けれども、二人の関係は些かも揺るがなかった。
二人を隔てる距離は、確かに寂しさを募らせはするが、それ以上の深い想いをかき立ててもいた。
会えない日々を重ねているからこそ、会えた時の喜びは殊更に大きく、いつでも会える訳ではないからこそ、次に会える時への期待が一層膨らむのだ。
そして、いつか。
今すぐという訳にはいかないが、いつか、そう遠くない内には。
そんな夢を、真島に見せていた。


















真島が東京周辺のみならず関西でもシノギを広げているのは、嶋野組内部では周知されている事だった。
ただ、その詳細を皆まで知る者は誰もいない。真島が誰にも言わずにいる為である。
唯一、親の嶋野にはある程度詳しく報告はしていたが、それも必要に迫られる範囲での事であって、言わずとも済みそうな事や訊かれない事は話していなかった。
関西でのシノギに嶋野組の若衆を駆り出す事はなく、移動だろうが物資の運搬だろうが、全て真島が自分自身で担うか、関西で培った人脈を使って行っていた。
その大体は蒼天堀のキャバレー『グランド』で支配人をしていた頃に知り合い、付き合いをしていた奴らだったが、嶋野組に戻ってから以降に知り合った者も何人かいた。
その出会いをもたらしてくれたのは、だった。
は大阪・キタのクラブ『panier(パニエ)』のママで、その連中とはの店を介して知り合っていた。皆元々、の店の客だったのだ。
真島は現在、支配人としての店を手伝っていた。
経営者はあくまでもであるが、売上をアップさせる為の経営戦略を共に練ったり、厄介事や揉め事の解決を手伝ったり、どうしても一定数現れてしまうタチの悪い連中を文字通り蹴散らしたりと、陰になり日向になりの店を支えていた。

とは言っても、真島の『本職』はあくまで東城会直系嶋野組の若頭。大阪にいられるのは、平均すると月のうち1週間程度である。
その上、他にも抱えているシノギがあるので、その間ずっと店に立てる訳ではなかった。
しかし真島はいつも出来る限り時間を調整して、1日でも多く、少しでも長く、の店にいられるようにしていた。
今回も勿論、そのようにスケジュールを組んでいた。
朝一番の新幹線で大阪に着くと、真島はまず先に他の仕事を片付けて回った。
何か問題が発生した場合はそうもいかなくなるのだが、今回はどれもまずまず上手く回り、以降の日程をほぼずっとと過ごせる事になった。
それを喜びながら、真島はすぐさまタクシーに飛び乗り、の店があるキタの街へと向かった。
今日は3月7日、の26歳の誕生日だった。
これから店を挙げての盛大なパーティーが催される事になっているし、それが終われば、二人きりでの誕生祝いもやる事になっている。
真島は、スーツのポケットから綺麗にラッピングされた小箱を取り出して眺めた。
この日の為に用意したプレゼント、は気に入ってくれるだろうか?
これを見た時のの反応を思い浮かべると、たった数時間先の事がまるで何日も先の事のように待ち遠しく感じられた。


「おう、皆おはようさん!」

真島が店に到着したのは、もう間もなく開店という頃だった。
店内は既に準備万端整えられており、色とりどりの華やかなドレスで美しく装ったホステス達やスマートな黒のベストスーツに身を包んだボーイ達が、店に滑り込んだ真島をにこやかに出迎えた。


「支配人!おはようございます!」
「おう、おはようさん!今日も気張っていくでぇ!」
「はい!」
「支配人、おはようございま〜す♪」
「おはようさん!お、亜由美ちゃん髪切ったんかいな!よう似合とるやん!」
「ホンマぁ!?嬉しい〜!」
「おはようございまぁす♪」
「おう美雪ちゃん、おはようさん!相変わらずべっぴんやのう!今日もしっかり頼んだでぇ!」
「は〜い!うふふっ!」
「なぁなぁ支配人、うちもどっか変わったんやでぇ。どこか分かるぅ?」
「えぇ!?う〜ん・・・・、あ、分かった!香水変えたやろ!?」
「ピンポーン!さっすが支配人♪」

出迎えてくれるスタッフ達に労いの言葉をかけつつ、さり気なく視線を彷徨わせて探してみたが、はフロアにいなかった。
となると、事務室かキッチンだろうか。
覗きに行こうとした瞬間、背後から、支配人ちょっと、と呼び止める声がした。
真島を呼び止めたのは、この店のNo.1ホステスのゆかりだった。


「あ?何やゆかりちゃん?」
「例のブツ、ちゃんと用意出来ました?」

他の者に聞こえないよう声を潜めて訊いてくるゆかりに、真島は例のブツて、と苦笑いした。
そんな『本職』みたいな訊き方をされると物騒に聞こえるが、勿論、そんな危なげなブツではない。ゆかりが訊いているのは、への誕生日プレゼントとして用意してきた指輪の事だった。


「お陰さんでな。助かったわ、おおきにな。」

これを用意するに当たって、真島はゆかりに協力を仰いでいた。
の指輪のサイズを調べて貰ったのである。
ゆかりが上手くやってくれたお陰で、には全く気付かれずに用意する事が出来たのだった。
真島が礼を言うと、ゆかりは満面の笑顔になった。


「良いんですよぉそんなん!あれ位お安い御用です!でもでもでもぉ・・・」
「な、何やねん?」
「指輪をプレゼントって事は、遂にやるって事ですかぁ?」
「やるって、何をやねん?」
「もうっ、すっとぼけてぇ!決まってるでしょ・・・、」

プ・ロ・ポ・ォ・ズ。
ゆかりはニヤニヤしながら、声を出さずに口だけを動かしてそう言った。
明らかに面白がられている事が見て取れて、真島はまた苦笑を零した。


「ちゃうて。他に思い付かんかっただけや。」
「何やぁ!おもろないわぁ!やっとその気になってくれたかと思ったのにぃ!支配人のあかんたれ!」

真島が笑って否定すると、ゆかりは顔を顰めて文句を言った。
明らかに面白がられてはいるのだが、かと言って、それだけでもない事は分かっていた。
ゆかりは、の事を大層慕っているのだ。
2年以上前から働いていて、真島がこの店に出入りするようになった頃の事もよく知っている。
だから真島は彼女にしばしば、東京のヤクザなんかとっとと辞めてしもて、この店1本でやったらええのに、などとからかい半分に言われていた。


「あんまり待たせてばっかりおったら、ママに愛想尽かされますよ?そうなってから泣いても知りませんからね?」
「わーったわーった、気ィつけるわ。ほんでそのママは?」
「事務室にいてはりますよ。」
「そうか。」

真島はゆかりの側を離れて、事務室へ行った。
ドアをノックすると、はーい、との軽やかな声で返事があった。


「おう。」
「ああ。」

デスクで書き物をしていたは、部屋に入って来た真島に気付くと嬉しそうに微笑み、ちょっと待ってて、すぐ終わるから、と言って再び手を動かし始めた。
別に急かすつもりも中断させるつもりも無かった。丁度良いからこの隙に自分も着替えを済ませてしまおうと、真島は自分のロッカーからタキシードを取り出して、事務室の隅にある男性スタッフ用の着替えスペースに入った。
一応ちゃんとカーテンを引いてから、着替えを始める。漆黒のタキシードにピンタックの入ったウイングカラーの白いシャツ、それに堅っ苦しい黒の蝶ネクタイ。蒼天堀のキャバレー『グランド』で支配人をしていた頃に着ていたものだ。
全く、もう全く!良い思い出など何一つ無いのだが、どういう訳か何となく捨てられず、段ボール箱に入れたまま今の東京の自宅に放置していたのを、と再会して付き合うようになってから引っ張り出して、この店に持ち込んだのである。
佐川に犬扱いされながら嫌々堅気の商売人をやっていたあの頃は心底うんざりしていた夜の衣装だが、今はもう嫌だとは思わないようになっていた。
佐川の檻を出た後2年経っても、まだ長々とこれを着続ける事になるとは、まさか思いもしていなかったが。


「もう仕事片付いたん?」

たかが2年、されど2年の長い時間に思いを馳せながら着替えていると、カーテンの向こうからが話しかけてきた。
声がすぐ近くに聞こえる。どうやら書き物はもう終わったようだった。


「ああ、何とかな。すまんな、もっと早よ来て準備から手伝うつもりやったんやけど、何やかんやで時間押してもうてな。ギリギリになってしもたわ。」

蝶ネクタイのホックを留めながらそう答えると、が微かに苦笑するのが聞こえた。


「そんなん気にせんでええのに。休憩してからゆっくり来てくれて良かったんやで?」
「何でやねん。一人でボケッと休憩しててもつまらんやろが。」

それがの気遣いである事は、百も千も承知している。
けれども、逢いたい人が待っているのに、ようやく逢えるのに、どうして休憩を挟む気になどなろうか。
こっちはずっとお前の事ばっかり考えとったんや、という恥ずかしい言葉を呑み込んで苦笑しながら、真島はタキシードのジャケットに袖を通し、手早くボタンを嵌めた。
これで支度は完了だ。
カーテンを開けると、思った通り、すぐ目の前にが立っていた。
間もなく始まるパーティーに備えて既にドレスアップしているは、眩いばかりに綺麗だった。


「逢いたかった・・・・・」
「私も・・・・・・・・・」

白いドレス姿のと見つめ合って、微笑み合った瞬間、我慢の糸がプツンと切れた。
真島はの手を取って引き寄せ、着替えスペースの中に連れ込んだ。
そして、をしっかりと抱きしめて、深く、深く、唇を重ね合わせた。
ずっと待ち望んでいたこの感覚に酔いしれながら片手で忙しなくカーテンを引き直すと、ここは二人だけの空間になった。
その途端に、ほんの僅かばかり残っていた遠慮も綺麗さっぱり消し飛んで、真島はを益々強く抱きしめながら、柔らかくて小さなその唇や舌を夢中で吸った。


「んっ・・・・・・!」

も甘い声を詰まらせながら、真島を強く抱きしめ返し、舌を絡めてきた。
否応なしに身体が熱くなってきて、手が自然との肌を弄りそうになる。
だが、今は駄目だ。
これ以上盛り上がって本気で治まりがつかなくなってしまう前に、真島はどうにか理性を働かせて唇を離した。


「・・・・・続きは店閉めてから・・・・・、な?」
「・・・・・うん・・・・・・」

はにかんで頷いたは、一瞬キョトンとしてから、小さく吹き出して真島の唇を指で拭った。


「・・・ごめん、口紅付いてもうた。」

壁に掛けられている姿見にチラリと目をやると、なるほど確かに、唇が少しだけ赤みを帯びていた。
しかし既にの指で拭い取られて、もう口紅とはっきり分かる程の色ではなかったので、別にこのまま放っておいても問題は無かった。
それよりも、の方が口紅を引き直す必要がありそうだった。


「もっかい塗り直しとけや。」

色が薄れてしまったの唇を指先で軽くつついて、真島は目を細めた。


「誕生日おめでとうさん。」
「ふふっ・・・、ありがと。」
「幾つや?30やったか?」
「何でやねん!同い年やんか!」

真島がからかうと、は笑いながら真島の腕をバシッと叩いた。
真島も笑って『いっった!』と大袈裟な声を上げながら、どちらからともなくカーテンの外に出た。
名残惜しいがここからは仕事の時間、恋人同士ではなく店の女主人と支配人として、適切な距離を保たねばならなかった。


「で、どないや?客集まりそうか?」
「うん、皆が熱心に営業かけてくれたお陰でな。席押さえといてくれって電話がジャンジャン入ってるわ。」

これから始まるパーティーは勿論、商売上のイベントだった。
得意客全員に1ヶ月も2ヶ月も前から声を掛け、今日ばかりは一見客お断りにして、いつも以上に念を入れた、高級で特別なもてなしを用意して迎えるのだ。
呼ばれる客の方も高価なプレゼントや祝儀を持参し、競い合うように豪遊していく。
経費もかかるが売上も上がる、夜の世界で派手に遊ぶ男共のプライドを擽って金を落とさせる商売戦略だった。


「ほ〜、さっすがママ。モテモテでんなぁ。ひひっ。」
「まぁな。」

はツンと気取った表情を作ってみせてから、それをクシャリと崩して無邪気に笑った。
その顔は、クラブパニエのママ『』ではなく、真島の想い人『』だった。
その笑顔を見ていると、早くプレゼントを渡したくてウズウズするが、しかしここはひとまず我慢するしかなかった。
夜の世界では、男も女もお互いプライベートはヴェールに包んで、華やかな夜の雰囲気に一時心地良く酔うのが作法である。
見慣れない新しい指輪を誕生パーティーの場に着けて出れば、客に要らぬ連想をさせてしまい、商売の邪魔をしてしまう。
とにかく今は仕事が優先、間もなく始まるパーティーに集中すべきだった。
瞬時に頭を切り替えたように、もう経営者の顔になっているもきっと、真島と同じ考えでいる筈だった。


「っしゃ!ほな今日もいっちょやるかのう!ガンガン稼ぐでぇ!」
「よろしくお願いしま〜す、支配人!ふふふっ!」

早く二人だけの夜が来て欲しい、と。




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後書き

ご覧下さりありがとうございます!
新しく書き始めました今作『夢の貌 ― ゆめのかたち ―』、きっとまた長くなるでしょうが(笑)、どうぞ宜しくお付き合い下さいませ<(_ _)>
この作品は、前作『檻の犬と籠の鳥』の続編になります。
前作の内容が前提になっておりますので、未読の方はそちらを先にご覧頂く事をお勧め致します。


・・・・・さて!

今作ですが、『ほぼ兄さんとヒロインの1対1+佐川はん』という形だった前作とは違って、複数のキャラが結構絡んできます。
まあぶっちゃけて言いますと、一番絡むキャラが朴美麗です。
『龍が如く5』がお好きな方には申し訳ないのですが、私は正直、5のストーリーに納得がいきません。兄さんと朴社長とのエピソードの辺りは特に。

朴社長は当時、売り出し中のアイドル。恋愛スキャンダルがご法度なのは常識中の常識です。
そんな事、兄さんは百も千も万も億も承知だった筈です。
なのに何で結婚して妊娠までさせる?
真島の兄さんはメチャクチャ&オラオラな人ですけど、人間としての根本はそんな無責任な人じゃないと思うんですよね〜。
ましてや相手はうんと年下の女の子、しかもアイドル。
水商売であれだけ沢山の女の子の面倒をみてきた兄さんが、そんな若い娘相手に、自分の恋愛感情やまして性欲を抑えられずに強引な事をするようには・・・・うーん・・・・、限りなく考え難い。

でも、そりゃあ物事何でも絶対という事はありません。気を付けていたつもりでも、うっかりデキちゃう事かてありますわな。
でもでも、じゃあ結婚した意味は?
くどいようですが、当時の朴社長は男の気配があってはならぬ立場の人です。普通の女の子ではなかったのです。
それを百も千も万も億も承知で、何故わざわざ結婚という形を取ったのか?

「そしてあの人は私の元から去って行った。自分が傍にいたら、私の夢の妨げになるからって」(←龍5ムービーの朴社長談)

との事ですが、そんなもんハナから分かっとるでしょーが!と(笑)

世間一般の普通の家庭を築く訳でもないのに、どうしたって築けないのに、バレたら朴社長のアイドル生命が終わるという大きなリスクを背負ってまでわざわざ結婚した理由が、私にはどうしても解せぬのです。
惚れた腫れたの理由だけならば、ただこっそり付き合ったり同棲するだけで良かった筈なのに。
アイドルとして成功する事にあれだけ執着していた朴社長が、自ら進んで結婚したがるとも思えないし、兄さんもそれこそ、入籍とか形には拘らなさそうなのに。


結婚&離婚も解せませんが、それから20年もの間音信不通だったのに、突然極道のゴタゴタに朴社長を巻き込むのもこれまた解せない。
朴社長が兄さんの手助けをしたくて強引に首を突っ込んだのかも知れませんが、それにしても何故勝っちゃん共々止めない?
特に勝っちゃん、何故止めない?20年以上もずっと朴社長と夢を追い続けて、兄さんよりももっと強い絆があるだろうに。
というかそれ以前に、そもそもあの手紙自体がよく分からない。
更にそもそもの真島死亡説もよく分からない。
ムービーを何度見返しても分からない。
兄さんが何も言わなさすぎ&影薄すぎ&弱すぎなのも謎すぎる。

もう本当に謎!謎に次ぐ謎!

なので私は龍5をプレイしていた時、品田にチョイハマリして、品田で喧嘩ばっかりして、品田のお尻のばっかり見てました(笑)。
品田のあのお気楽な感じが何か楽しかったんです☆お尻のラインも素敵だし(´艸`*)
そして、そうこうしている内に別のものにハマってフェイドアウト・・・・・。

ちなみに、龍オン(未プレイ)のムービーも見ましたが、兄さんが朴社長の事をあの女呼ばわりしているのも謎(笑)。
他に何とでも言い様があるのに、何でわざわざ勝っちゃんが気まずい思いをする言い方をチョイスする!?

もー、また謎!!謎ばっかり!!
私、2時間サスペンスが好きなせいか、細かい事が気になると夜も眠れねぇのよ!(←嘘です寝てます)
どーしてこんなに分かんない事だらけなの!?
私の頭が悪いから!?
それとも兄さん贔屓が過ぎて美化しすぎてる!?
でもこんなの書いてる位なので、好きなキャラを美化する事はやめられないわ!
ついでに頭悪いのもどうしようもないの!(笑)この謎誰か分かる方教えて下さい!

→※次回に続きます。