友あり、西より来る 前編




東京・神室町。
東洋一の大歓楽街であるこの街は、今日も今日とて多くの人々で賑わっていた。
その足取りが何となく軽く弾んで見えるのは、重たい冬物のコートから解放されて身軽になった為だろうか。
気持ちの良い春の陽気の下、もまた、軽い足取りで街を歩いていた。
この街に来るのは3ヶ月ぶりだった。
前回来た時は冬の盛りで、街角に焼き芋屋の白い軽トラが停まっていたりしたものだが、今日は可愛いピンク色のワゴン車が、公園の前でアイスクリームを売っている。
高校生位の女の子達が受け取っている、カラフルなトッピングの施されたアイスクリームを見て、は思わず足を止めた。
乾いた喉がゴクリと鳴る。時間はまだちょっと余裕があるし、買おうか?
少しの間考えてから、は再び歩き出し、アイスクリーム屋のワゴン車の前を素通りした。食べたいのは山々だったが、この後の約束の事を考えて、やっぱりやめておく事にしたのだ。
アイスクリーム屋を通り過ぎると、劇場前広場に出た。
より一層多くの人が縦横無尽に行き交うそこを通り抜けて、更に歩き進んでいく。
が目指しているのは、街の中央・泰平通りにある宝くじ売り場だった。
待ち合わせ場所としてメジャーなのは劇場前広場なのだが、それ故にそこは人が多すぎて、待ち合わせの相手が嫌がるのだ。

劇場前通りを抜け、いよいよ泰平通りに入ると、目の前に築地銀だこのお店があった。
粉もんは関西のもの、東京のたこ焼きなんて・・・と、初めは内心で思っていたが、なかなかどうして侮れないものだと思い知らされたのは、ここのたこ焼きを食べた時だった。
あれは初めてこの街に来た時、そう、丁度1年くらい前だったか。
あの時感じた妙な敗北感と、食べさせてくれた人の得意げな顔を思い出したら、何だかたこ焼きが食べたくなってきた。

今度こそ買おうか?
今日は良い天気だし、これを買って、公園かどこかで座って食べるのも有りだ。
ただ、待ち合わせの相手が同意するかどうかが分からない。
待ち合わせ場所はすぐそこで、約束の時刻になるのももうすぐだから、やっぱり聞いてみてからにしようか?
おいでおいでと誘うような香ばしい匂いを嗅ぎながら、そんな事を考え込んでいると。


「おいコラ!!いつまでモタモタしてんだよババア!!」

突然聞こえた怒鳴り声が、のささやかな悩みを一瞬で吹き飛ばした。
見てみると、たこ焼きを買おうとしているお婆さんを、その後ろに並んでいるガラの悪い男2人組が怒鳴りつけていた。


「さっきからモタモタモタモタおっせーんだよクソババアが!!」
「す、すいません、す、すぐ出しますから・・・・!ちょ、ちょっと待って下さいね・・・・!」

お婆さんはがま口の小銭入れを一生懸命漁って、お金を出そうとしている。
その手がブルブルと震えてうまく取り出せないのは、この連中が怯えさせたせいも勿論あるが、きっと元々、年齢か病気のせいもある筈だった。


「さっきからずっと待ってんだよこっちはよぉ!!もうこれ以上待ってられっかよ!!」
「もういいからどけよボケババア!順番代われオラ!こっちは急いでんだよ!」
「あぁっ・・・・!」

そんな事ぐらい人として容易に察しがつく筈なのに、その連中は怒鳴りつけるばかりか、とうとうお婆さんを押し退けるという暴挙に出た。
突き飛ばされて目の前によろめき出て来たお婆さんを、は咄嗟に抱き止めた。


「大丈夫ですか?」
「え、えぇ・・・・、す、すいません・・・・・」

何も悪くないお婆さんが謝り、悪い事をした奴等が平然と得をし、その一部始終を見ていた筈の周囲の人々は誰一人として声を上げず、目も合わせない。
大阪の街にも汚い面は多々あるが、こういう非情さや冷たさは、大都会・東京ならではのような気がする。
はお婆さんをその場に残し、たこ焼きを注文している2人組にツカツカと歩み寄って行った。


「ちょっと、そこのお兄さんら。」
「あぁん?」
「何だよ?」
「順番抜かししたらあかんわ。あのお婆さんが先並んではったでしょ。」

が注意をすると、2人組はポカンとしてから、馬鹿にするように吹き出した。


「何この女?言葉変じゃね?オーサカ弁?お笑い芸人かこいつ?」
「『順番抜かししたらあかんわ』だってよ。ふへへっ、ダッセェ。田舎のイモネーちゃんじゃねーの?」

2人組はまるで悪びれもせず、そればかりか大袈裟な裏声での言った事を復唱して笑う始末だった。


「お年寄りを突き飛ばして順番抜かしするカスの方がよっぽどダサいやろ。」

はそう言い返すと、2人組を押し退けるようにして先頭に割り込んでやった。


「ちょっ・・・・!何すんだよテメー!」
「何割り込んできてんだ!」
「何言うてんの。自分らもたった今同じ事やったやんか。せやから私もやっただけや。イチャモンつけられる筋合いないわ。」
「調子乗ってんじゃねーぞこのアマァ!」
「あぁコラ!?」

連中は遂に、の胸倉をも掴み上げた。
それには流石に周囲も騒然となったが、当のは別に怖いと思っていなかった。
こんな風に力に任せて只々荒くれているだけの奴は、総じて大した事はない。
『本職』の階層で言えば底辺も底辺、いや、そこにすら入れるかどうかも怪しい、街のゴロツキ程度のカスだ。
は自分の胸倉を掴んでいる男の腕を、力任せに振り払った。


「てんめぇ・・・・」
「女だからって容赦しねーぞ?」
「ふぅん?自分が悪い事しといて注意されたら女相手に暴力振るうんや?ますますダッサいわぁ。」

2人組を睨みながら、は次の行動を頭の中で考えた。
人目に怯んで逃げてくれれば良いが、もし本当に暴力に訴えかけてきたら、その時は非常事態という事で、こっちもそれなりの対応に出ても構わない筈。
いざとなったら急所を思いきり蹴り上げてやろうと決めたその瞬間。


「は〜いはい、そこまでやぁ。」

聞き覚えのない男のしゃがれ声が、とゴロツキ共との間に割って入ってきた。
その声のした方に目を向けると、杖をついた男が一人、立っていた。
杖をついていると言っても、老人ではない。四十に届くか届かないか位の男だ。
ベージュのトレンチコートと黒っぽい色のスラックスは当たり障りのない感じだが、中のシャツはえんじ色のド派手な花柄。
片耳のピアスと、何より、ある種独特の眼光。
間延びした呑気な口調だが、この男は十中八九、『本職』に違いなかった。


「あぁ!?何だオッサン!?」
「この女の連れかよ!?」
「いんや、只の通りすがりのオッチャンや。兄ちゃんら、大の男が情けない事したらあかんわぁ。
オネーちゃんやバーちゃん相手に暴力振るって勝ったかて、自慢になるどころか逆に恥ずかしいで。ええ?」

男は杖をコツ、コツ、と鳴らしながら、とゴロツキ共の方へ歩み寄って来た。
右足を引き摺っている。杖をついているのは、どうやら右足が不自由な為らしい。
助けに入ってくれたその気持ちは有り難いが、身体が不自由では却ってこの人自身にも危険が及び、一層ピンチに追い込まれるだけだった。


「あぁ!?何だテメー、この女の代わりにボコられてぇのか!?」
「もう片っぽの足も潰してやろうか!?あぁ!?」
「アンタらええ加減にしぃや!!」

は慌てて止めに入った。


「悪いのはそっちやろ!アンタらが先に悪さしたんは、周りの人皆見てるんやで!これ以上しつこく絡む気ィやったら警察呼ぶからな!」
「まぁまぁオネーちゃん。そない言わんと。」

杖をついた男はまた呑気な口調で、止めに入ったを止めた。
この人にしてみれば善意のつもりなのだろうが、それにしても分が悪いのが自分で分からないのだろうか?
幾ら『本職』だったとしても、若い衆も連れていなさそうだし、その身体では満足に渡り合うどころか、きっと自分の身を守る事もままならないだろうに。
余裕綽々な男の態度に、は不安を覚えずにはいられなかった。


「ええで兄ちゃんら。このオネーちゃんの代わりに、ワシが相手したるわ。かかってきぃ。」
「ちょ、ちょっと・・・・!そんな事しはったら・・・!」
「上等だコラァ!!」
「ブチ殺してやる!!」
「きゃっ・・・・・!」

突然、腕を勢い良く引っ張られて、は転びそうになった。
もつれそうになった足を踏ん張って何とか体勢を落ち着かせてハッと顔を上げると、杖の男が目の前にいて、自分の腕でゴロツキのパンチをガードしていた。
どうやら喧嘩の巻き添えを食わないよう、杖の男が自分の背後に庇ってくれたようだった。
状況を把握したは、すっかり立ち竦んでしまっているお婆さんを庇いながら、急いで男達の側を離れた。


「っ・・・・!て、てんめぇ・・・・!」
「こ、この野郎ォッ!!」
「おっとぉ。」

杖の男は、の予想に反して身軽だった。


「てめぇっ!ザケんじゃねーぞーっ!」
「そらこっちの台詞やでぇ。そっちこそふざけとらんで、もっと本腰入れてかかってきぃやぁ。」
「んだとコラァッ!!」

いや、よく見てみると、やはり身軽なのではない。
彼の右足はあくまでも引き摺られたままで、決して動いてはいなかった。
ただ、相手の攻撃を避けるのがとてつもなく巧いのだ。
自由の利かない足の代わりに、首を傾げたり上体をうまく反らしたりして、顔面を狙われても、ボディを狙われても、挙句の果てには足まで狙われても、その全てをことごとく、まるで読めているかのようにヒラヒラと避けてしまうのだ。
そうこうしている内にゴロツキ共の方が先にバテてきたようで、ハアハアと息を切らせながら大きく振り被り、破れかぶれに殴りかかっていった。
その瞬間、男は杖を連中の足元にサッと突き出した。


「う、うわぁぁっ!!」
「お、お、おいっ、ちょっ・・・!」

案の定、ゴロツキ共はもつれ合うようにして派手に転がった。
その内の一人、の胸倉を掴んだ奴の鳩尾を、男はおもむろに杖の先で突いた。


「ごへぇっ・・・・!!」

その一撃で、ゴロツキは泡を吐きながら失神状態に陥った。
たった一発でやられた仲間を見て、もう一人も瞬時に顔を青ざめさせたが、もう遅かった。
その時にはもう男の杖の先が、そいつの左目を目掛けて振り下ろされていた。
もう間に合わない。
はお婆さんと抱き合いながら、次の瞬間に起きるであろう惨劇に備えて固く目を瞑った。


「・・・・あ〜あ、アホくさ。」

しかし、聞こえてきたのは悲鳴ではなく、間延びした男の関西弁だった。


「弱すぎてリハビリにもならんがな。ガッカリさせんなやぁ。」
「ひっ、ひぃぃっ・・・・!」
「もうええから早よ往ねや。あ〜あ、ホンマガッカリや。」
「す、すんませんでした・・・・!ひっ、ひぇぇっ・・・・!」
「う、うげぇぇ・・・・・!」

ゴロツキ共はさっきまでとはうって変わった弱々しい態度で、命からがら逃げて行った。
鳩尾を突かれた奴はまだ泡を吐いていたが、多分大した事はないだろうし、もう一人の奴の左目も無事だった。
安堵したが思わず溜息を吐くと、杖の男はとお婆さんの方を振り返った。


「アンタら大丈夫かいな?」
「あ、は、はい、私は・・・・。あ、お婆ちゃんは?大丈夫でした?」
「え、ええ、私も、お陰様で・・・・・」
「あ、たこ焼き買うてはった途中でしたよね・・・・!」
「え?あ、そ、そうだったそうだった・・・・!吃驚しちゃって、忘れるところだったわ、うふふふふ・・・・!」

今度こそ無事にたこ焼きを買えたお婆さんは、と杖の男に何度も頭を下げてから、嬉しそうに歩き去って行った。
その小さな後ろ姿が完全に人の波に紛れて行ってしまうまで見送ってから、は改めて杖の男に向き直った。


「本当にどうも有り難うございました。お陰で助かりました。」
「そんな礼なんかええてぇ。同じ関西人のよしみやがな。」

男は何だか人懐っこい笑顔になって、との距離を詰めてきた。


「偶々通りがかったら、関西弁のべっぴんさんが東京モンのボケナス共と渡り合うとるから、こら加勢せなあかんわ!思てな。オネーちゃんどこの人や?大阪か?」
「はい。あなたも?」
「せや!いや〜、嬉しいなぁ!こないな東京のど真ん中で、大阪の女の子と出会えるやなんてなぁ!実は一人で心細い思いしとったから、何やホッとするわぁ〜!」
「お一人で来られたんですか?」

別にこの人と話し込むつもりは無いのだが、助けて貰った恩もあるし、その気持ちも分かるので、無下にあしらう事も出来ず、もひとまず会話のボールを投げ返した。


「せやねん。ちょっと人に会いに大阪から出て来たんやけど、いや〜、この神室町ってとこは人多過ぎやなぁ!息が詰まりそうや!」
「ホンマですねぇ。」
「オネーちゃんは?こっち住んどるんか?それとも遊びに来たんかいな?」
「私ですか?まあ、そうですね、ちょっと遊びに。」
「一人で?」
「ええ、まあ。」
「ほー!そらええわ!ほな折角やから、ちょっとそこらで茶ぁでもしばかへん?」

随分と調子の良さそうな人だとは思っていたが、やっぱりそうきたかと、は内心で警戒した。
だが、相手は一応恩人。それを顔に出すのは失礼だ。
はにこやかな微笑みを些かも崩さず、男に向かって丁寧に頭を下げた。


「すみません。折角ですけど、これから約束があって。」
「ちょっとだけやん!コーヒー1杯だけでええから付き合うてや!な!?」
「すみません。助けて貰ろたんやから、ホンマやったらこちらからお礼せんとあかんところなんは分かってるんですけれども。」

恩は感じているが、それとこれとは別だと意思表示してみせると、男は慌てた顔をブンブンと横に振った。


「いやいやいや!そんな事で恩着せるつもりなんかあれへんがな!ワシそない無粋な男やないで!?」
「わっ・・・!」

そして、おもむろにの肩を抱き寄せ、思わせぶりなハスキーボイスで耳元に囁きかけた。


「ワシ、オネーちゃんに一目惚れしてもうたんや。なあ、ワシの女にならんか?」

コイツもか。
そう思った瞬間、自然と肺の中の空気が盛大に出ていった。


「何やそのふっかーい溜息。」
「・・・いえ、別に。」

全くどいつもこいつも、極道の男という奴はどうしてこうも口説き文句のバリエーションが無いのだろうか。
とはいえ、甘い言葉を駆使してロマンチックに口説かれたところで困るのだが。
は肩に回されている男の腕を丁重に、かつ毅然と退けると、ニコリともしない真顔を彼に向けた。


「折角ですけど、私、付き合ってる人がいますので。」
「何や彼氏持ちかいな。そやけど茶ぁぐらい付き合うてくれてもええやろ。」
「いえ、ホンマすいませんけど・・・」
「何や何や、彼氏がヤキモチ焼きよるんか?ちっさい男やなー!茶ぁぐらい構へんやろ!?なぁ!?」
「いや、あの・・・」

しかし、男は全くめげなかった。
一度払い除けられた腕を、今度はの腰に回してさっきよりも強く抱き寄せながら、男は更に強引に迫り始めた。


「オネーちゃんなぁ、アンタまだ若いんやから、一人の男に縛られとったらあかんでぇ!折角若うてべっぴんさんやのに、そんなんやったらおもろないやろが!人生損すんで!もっと広ぉ〜い目ェで色ぉ〜んな男を見て、愉しみながら目ェ肥やしていかな!なぁ!?その第一歩として、まずはワシと茶ぁしばきに行こや!な!」
「いやあの、困るんですホンマに・・・・!」

商売上、強引に口説こうとしてくる男には慣れている。
だが、この男の強引さと話の通じなさは別格だった。
それに、こんな事をしている間にも待ち合わせの時刻になって、あの人が現れる。
いや、もう既に来ているかも知れない。意外と几帳面な性分だから、時間に正確なのだ。


「何が困んねんな!困る事なんか何もあらへんがな!何もホテル行こ言うとんちゃうんやから!
たかが喫茶店行く位で彼氏の許可なんかいらんいらん!気にせんと行こ行こ!な!」
「ちょっ、ちょっと・・・・!」

奴にこの現場を見られたら、血の雨が降る。
それを恐れて、どうにか男の腕から逃れ出ようと身を捩っていると。


「そ れ が い る ん じ ゃ 。」

背後から、ドスの効いた低い声が聞こえてきた。
はぎこちなく振り返り、恐る恐るその声の主を見た。


「うわ・・・・・!」

もう完全に手遅れだった。
眼光鋭い隻眼に、見て分かる位の殺気が漲っている。


「おいオッサン、おどれ誰の女に手ェ出しとるんじゃ、おお?」
「あぁん?誰やぁ?」

が固唾を呑んだ瞬間、杖の男も後ろを振り返り、声の主を見た。


「・・・・お前・・・・・・」
「・・・・んま・・・・・・」

これが嵐の前の静けさというものだろうか?
目と目が合ったその瞬間、二人の男の間で時が止まった。


「むわぁ〜じま君やないかーい!!!」
「西谷ぃ!?!?!?」

そして更にその次の瞬間、杖の男の狂喜する声と、隻眼の持ち主にしての待ち合わせの相手・真島吾朗の驚愕する声が激突した。
通りすがりの人々が皆振り返る位の、はた迷惑なボリュームで。


「え・・・・・?な、何やの?二人、知り合い・・・・・?」
「久しぶりやのう!会いたかったわ真島くぅん!元気やったかぁ!?」
「西谷、お前生きとったんか!?」

の質問に答える事なく、二人の声がまたもや衝突した。


「真島君に会いとうて会いとうてもう辛抱堪らんでなぁ、会いに来たんやぁ!!」
「何でお前が神室町でにちょっかいかけとんねん!?!?こらどういうこっちゃ!?!?」

どうもこの二人、噛み合わない。
いや逆に、噛み合い過ぎていると言った方が正しいのだろう。
お互い自分の言いたい事をそれぞれ叫んでいる状態になってしまっていて、これはこのままでいても埒が明かなさそうだった。


「な、何かよう分からんけど、こんな所で立ち話も何やから、良かったらお茶でも・・・・・?」

結果的に、は男の誘いに乗る事になった。
というよりも、自分から誘う事になったのだった。
















「いや〜、しっかし驚いたわ〜!まさかこないバッタリ会えるやなんてなぁ〜!」

数分後、と真島、それに杖の男改め西谷は、中道通りにある『喫茶アルプス』にやって来ていた。
席に腰を落ち着けるとほぼ同時に注文を取りに来たウェイターに向かって、西谷は即座に、ワシ冷コな、と告げた。


「オネーちゃんと真島君は?ここはワシが持つさかい、何でも好きなん頼んでや!」
「いえいえそんな・・・・!」
「ええからええから!な!?」
「ほな俺も冷コで。」
「じゃあ私も冷コにしよかな。」
「何や何や、皆同じでええんかいな。ほな兄ちゃん、冷コ3つや。」
「レ、レイコ?」
「あ、アイスコーヒー3つで。」

が通訳をすると、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になっていたウェイターは明らかにホッとした顔になり、かしこまりましたと頭を下げてそそくさと引っ込んだ。
程なくしてそれぞれの手元にアイスコーヒーが運ばれてくると、西谷は居住まいを正しての方を向いた。


「ほな改めて自己紹介させて貰いまっさぁ。ワシ真島君の大親友の、西谷誉いうモンですわ。」
「そうでしたか。」

横で真島が『誰が大親友やねん』などとツッコんでいるが、本気で嫌がっている訳でないのは、その感情豊かなしかめっ面を見れば分かる。
その表現に多少の誇張はあるかも知れないが、真島と友好的な関係にあるという点に間違いはないのだろう。
ひとまず安心したは、西谷に自分の名刺を差し出した。


「じゃあ私も改めまして。と申します。という名前で、キタでクラブやってます。どうぞ宜しくお願いします。」
「ほー!アンタ新地のママかいな!道理でよう肝が据わっとると思たわぁ!」

西谷はの名刺をしげしげと眺めて、眉間に皺を寄せながら首を捻った。


「クラブパ・・・、パン・・・?パネ・・・・?こ、こりゃ何て読むんかいな?」
「パニエです、クラブパニエ。」
「ほほーう!これでパニエて読むんかいな!何や洒落た名前やのう!大阪帰ったら是非寄して貰うわぁ!」
「ええ、是非どうぞ。お待ちしております。」
「営業しとる場合か。」

真島はを横目で睨むと、苦々しい表情でアイスコーヒーを一口飲んだ。


「・・・ったく、訊きたい事がありすぎて、何から訊いたらええか分からんわ。取り敢えず、何でお前らが一緒におったんや?」
「たこ焼き屋の前で、このちゃんがゴンタクレ2人と喧嘩しとったんや。そんなモン見てもうたら、ジェントルマンとして放っとく訳にはいかんやろ。」
「誰がジェントルマンやねん。ちゅーかお前も何しとんねん。」

真島にまた横目で睨まれて、はアイスコーヒーのストローを吸っていた形のまま、そこから唇を離した。


「だって、けったくそ悪い奴らやってんもん。お金払うのにちょっとモタついてたお婆ちゃんに遅いんじゃクソババア言うて、突き飛ばしよったんやで?」
「せやせや、けったくそ悪い奴らやったんや。抗議したちゃんの胸倉まで掴みよってなぁ。男の風上にも置けんわぁ。」
「ホンマに何しとんねんお前は!」

西谷の一言を聞いて、真島はまた同じ台詞を、もっと強い口調で繰り返した。


「男2人相手に女が1人で勝てる訳ないやろが!殴られでもしたらどないする気やったんじゃ!」
「そんな怒らんかってええやんか。ホンマにどつかれそうになったら急所蹴ったろと思ってたから大丈夫やのに。」
「何が大丈夫やねん、このアホ!バカ!おたんこなす!チンチクリン!無茶ばっかすなやホンマにお前は!」
「あんたに言われたないわ、アホ!ボケ!スカタン!喧嘩バカ!いっつも無茶ばっかしてんのはそっちの方やろ!」

ついいつもの調子で口喧嘩をやらかしてしまってから、はハッと我に返った。
そう、今は二人きりではなかったのだ。


「あ・・・、し、失礼しました・・・・・。」
「いやいや、ええねんええねん。」

西谷は何だか妙に温かい微笑みを浮かべて、フルフルと首を振った。


「いやぁ〜・・・・・。何か、ええなぁ〜、若いって・・・・・。何やおっちゃん、胸がキュウ〜ンとするわぁ。」

そんな風にしみじみ呟かれると恥ずかしくなる。
それを誤魔化す為に、はそれとなく目を逸らして、またアイスコーヒーのストローを咥えた。
真島もきっと同じ心境なのだろう、『な、何やねん、いちびっとんとちゃうぞ・・・』などと呟きながら、煙草に火を点けた。


「なぁなぁ、この娘、真島君の本命か?」
「・・・・・まぁな」

西谷に茶化された真島は、至極不愛想な顔と声で、言葉少なに肯定した。
ぶっきらぼうなその返答がちょっと、いや、結構嬉しくて、密かにときめいてしまっているなんて恥ずかしい事、真島にも西谷にも絶対知られてはいけない。
は必死で余裕のある振りを装い、涼しい顔をしてコーヒーを飲んだ。


「あぁ〜〜んその照れた顔!カワエエわ〜〜!真島君、そないウブな一面もあったんやなぁ!」
「じゃかましわ!気色悪い事言うなボケ!」

クネクネと身悶えする西谷をどやしつけてから、真島は少し決まりの悪そうな苦笑いを零した。


「まぁとにかく、助けてくれておおきにな。助かったわ。」
「本当に、有り難うございました。」

も改めて頭を下げると、西谷は『いやいや、ええねんええねん。気にせんといてぇ。』とヘラヘラ笑い、煙草を吸い始めた。


「しっかし、ちゃんの彼氏っちゅうのがまさか真島君やったとはなぁ。残念やけど、こら諦めなしゃーないなぁ。
いつもやったら彼氏持ちやろうと亭主持ちやろうと関係なしに奪い取ったんねんけど、流石に真島君の本命に手ェ出す訳にはいかへんもんなぁ、アハハ。」
「あ、あはは・・・・」

別に本気で身の危険を感じている訳ではないが、さっきのあの強引さを思い出すと、愛想笑いが思わず引き攣ってしまう。
真島もまた何かツッコむだろうと思っていたが、しかし、そうはならなかった。


「・・・まあ、それはそれとしてや。西谷、アンタ今までどないしとったんや?
俺はてっきり、アンタはあん時死んだもんやとばっかり・・・・・」
「え・・・・・?」

予想もしていなかった不穏な言葉が飛び出してきた事に驚いて、は真島の顔を見た。
その顔は、真剣そのものだった。
真島はさっき『お前生きとったんか』と驚いていたが、あれは誇張でも比喩でもなく、本当にそのままの意味だったというのだろうか?
一体、この二人に何があったのだろうか?
ほのぼのとした気分も吹き飛び、は固唾を呑んで西谷が口を開くのを待った。
だが、当の西谷はその態度も表情も全く変えないまま、紫煙を吐き出しながら『あー、アハハ』などとヘラヘラ笑ってみせた。


「お陰さんでな、何とか命だけは取り留めたんや。
尤も、意識戻るまで2ヶ月ぐらいかかったし、弾が何や神経を切ってもうたみたいで、この通り、右足は動かへんようになってしもたけどな。」
「・・・・そうやったんか・・・・」
「ワシも一緒に逝く気やったんやけどな、おっちゃんに置いてかれてしもたわ。」

ヘラヘラと笑う西谷の顔に、一瞬、ほんの一瞬だけ、寂しげな翳りが差したように見えた。
彼の言う『おっちゃん』という人の事もには勿論分からなかったが、どうやら真島には分かっているようだった。


「・・・・あれから、もう1年以上も経つんやな・・・・」

真島はテーブルの上に切なげな視線を落としながら、一言ポツリとそう呟いた。
1年以上も前という事は、真島と再会して付き合い出すより前になる。
気にはなるが、何があったのか訊いたら出しゃばりだと思われるだろうか?
訊こうか訊くまいか迷っていると、西谷の方が先に口を開いた。


「真島君は?元気にしとったんかいな?」
「あ?あぁ、まぁな。そやけどアンタ、どないして俺がここにおるって分かったんや?」
「あぁ〜、そないな事調べるのは朝飯前や。よう言うやろ?蛇の道は蛇、ってな。」

西谷は一瞬、ゾクッとするような不敵な視線を真島に向けた後、顔をクシャッとさせて笑った。


「ははは、ウソウソ。そない大層な事とちゃう。元佐川組のモンにチラッと聞いただけや。
佐川んとこも組潰されて、路頭に迷てる奴がチラホラおったからな。
ちょこっと小遣い握らせたら、真島君はあの後佐川と一緒に東京の神室町へ行ったきり、蒼天堀へは戻って来とらんて、気ィ良う教えてくれたわ。」

もう暫く聞いていなかったその名前にハッとして、は思わず息を呑んだ。


「それやったら、きっとそのまま東京におる筈やと思って、取り敢えずここへやって来たんや。真島君がそう簡単にくたばるタマやないのは、このワシが一番よう知っとるでなぁ、ハハハ。
あ、『グランド』には何も余計な事言うたり聞いたりしてへんから、安心してや。
それと、近江の他の連中にも何も洩らしてへんから。何せワシャあ近江連合から絶縁された身ィやでな。」
「絶縁てお前・・・・!」

真島が驚くと、西谷は自嘲めいた笑みを浮かべた。


「・・・目ェ覚めたらなーんもかーんも終わっとった。おっちゃんの葬式にも出られへんかったわ。
ほんでもって、ぜぇーんぶ無うなってもうた。鬼仁会は解散、表の商売も取られて、ワシに残されたんは右足がいんでもうたこの身体ひとつや。
ま、我の命で落とし前つけさせられた佐川のオッサンの事思たら、タマ取られんかっただけ感謝せぇよっちゅうところなんやろうけどな、本家としては。」

別に未練がある訳ではない。
ただそれでも、考えずにはいられなかった。
何も言わず、何も見せないまま、ある日突然死んだ佐川の事を。


「何や?どないしたんや、ちゃん?」

心の内が顔に出ていたのだろうか、西谷が怪訝そうにを見ていた。
我に返ったは、慌てて笑顔を作った。


「い、いえ、何でも。西谷さん、近江連合の人やったんですね。」
「これでも直参の幹部、鬼仁会っちゅう組の会長やっとったんやでぇ。
ま、尤も、ワシんとこはどこともつるまんと好き勝手やっとったもんやで、近江の中でも鼻つまみモン扱いやったけどな、アハハ。」

幸い、西谷はの胸中に気付く様子もなく、あっけらかんと笑った。


「ま〜しかし、思ったよりあっさり会えて良かったわぁ〜!」
「ああ、せや、アンタ俺に会いに来たって、何の用でや?何ぞあったんか?」
「そんなつれへん事言うなや〜!寂しいやないか〜!用が無かったらワシャあ真島君に会うたらあかんのか!?え!?」

西谷は素っ頓狂な大声を出して大袈裟に嘆いた。
何と言うか、思わず呆気に取られてしまうような、強烈な個性の持ち主だ。
同じ直参の幹部でも、佐川とはまるで違うタイプの男であるらしい。


「い、いや、そないな意味で言うたんとちゃうがな!」
「ウソウソ、冗談冗談。別に用なんか無いねん。ただ会いたかっただけや。」

真島が慌ててフォローを入れると、西谷はまたコロリと笑顔になった。


「杖ついて歩くのにも何とか慣れてきたし、ちょっと落ち着いたら、何や無性に真島君に会いたなってなぁ。
考えてみたらワシら、結局酒の一杯も酌み交わさんまんまやったやろ?」
「あぁ・・・、そういやそやったな。」
「せやからな、酒でも飲みながら、真島君とゆっくりじっくり語り明かしたいと思てな。
まぁホンマはあん時みたいに喧嘩で語り合いたいところやねんけど、今のワシはもう、真島君の相手は出来んでな。」
「西谷・・・・・」

西谷の笑顔に、また寂しそうな陰が差した。
そんな彼を見る真島の表情も、哀しげな憂いを帯びていた。
二人のその顔を見たら、これからどうするべきかは自ずと判断がついた。
やっぱり、あれこれ詮索するのは無粋だ。
知らん顔をして、心おきなく二人で飲ませてあげるのが一番良い。
チラリと投げかけられた真島の気兼ねするような視線を受け止めて、は微笑んだ。


「そうして。私は適当にブラッとして帰るから。」
「帰るて、大阪にかいな?」
「ええ。」
「そんなつれへん事言うなや〜!寂しいやないか〜!それにそんな事言われたら、ワシがお二人さんの逢瀬の邪魔したみたいやんか〜!」

春美の申し出に全力で異を唱えたのは、西谷だった。
またもや素っ頓狂な大声を出す西谷を、は笑って宥めた。


「そんな事全然!そんなん気にせんと楽しんで下さい、ね?」
「あっかーん!そんなんあかーん!女の子一人ハミゴにして、ワシらだけで楽しめるかいな!なぁ真島君!?
真島君かて、折角来てくれた愛しのスイートハニーちゃんを追い返しとうないやろ!?なぁ!?」
「気色悪い言い方すなや!ちゅーか声デカいねんお前!静かにせぇや!」
「帰ったらあかーんちゃーん!一緒に飲もうやー!なぁ!?なぁ!?」

まるで駄々っ子のようにゴネまくる西谷に、は真島と顔を見合わせて溜息を吐いた。


「・・・気ィ遣わんでええて。ここまで言うとんねんから。」
「せやせや!気ィなんか全然遣わんでええねん!水臭い事は言いっこなしや!」

良かれと思っての提案だったのだが、こう言われてしまってはもう、付き合うしかなさそうだ。
苦笑いしている真島に、春美も苦笑いで応えた。


「そうですか・・・・・?じゃあ、私もご一緒させて貰おかな・・・・・?」
「勿論やでぇ!ハイ決まり決まりぃ!」

西谷は手をパンと打ち鳴らすと、先を急ぐかのようにアイスコーヒーの残りを一気に飲み干した。
まだ夕方にも早い時間なのだが、まさかもう飲み始めるつもりなのだろうか?


「いやぁ楽しみやのう!今日はガッツリ飲み明かして、じっくり語り明かすでぇ!
色々聞かせて貰わんとなぁ?二人の馴れ初めとかぁ、会われへん時に寂しゅうて身体が疼いたらどないしとるんかとかぁ、盛り上がる体位とかぁ、なぁ?」
「アホか!何が『なぁ?』やねん!ほぼ全部下ネタやんけ!」
「西谷さん、取り敢えずもうちょっと声小さくしましょか。ね?」

この西谷誉という男、どうやらかなり強烈なキャラクターのようだ。
冷コ1杯でこれなら、酒が入れば一体どうなる事やら。
この後に続く、恐らくはかなり長くなるであろう夜を思って、はまた苦笑いを零した。




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後書き

『檻の犬と籠の鳥』の番外編です。
西谷さん・・・・、惜しい人を亡くした・・・・。
・・・・・いや、亡くしてなくね!?
死んだかどうか、定かじゃなくね!?

・・・・と思って書きました。
いや、只の妄想ですけれども(笑)。
佐川はんも西谷も、まあ普通に考えたら死んでるんですけれども、でももしかしたら生きてるかも・・・・!?
なんて考えたら、これまた妄想が止まりませんな。