星屑に導かれて 45




「ポルナレフ!」
「どうした!?」

様子がおかしい事に気付き、花京院とアヴドゥルもすぐさまやって来た。


「エリーが、エリーが目ェ覚まさねぇんだよぉッ!
つい今しがたまで目ェ開いてたのに!言葉だってちゃんと・・・・・!」
「落ち着け、ポルナレフ。」

承太郎がポルナレフをやんわりと押しのけ、江里子の様子を見始めた。


「江里。おい江里。起きろ。」
「・・・・・」
「江里!」

承太郎は江里子を抱き起こして、ガクガクと揺さぶった。
しかし、江里子はやはり目を開けなかった。


「承太郎、水だ!水を飲ませてみてくれ!」

花京院が冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を出してきた。


「江里、水だ。飲め。」

承太郎はそれを受け取り、すぐさま江里子の唇に押し付けた。
しかし、水は江里子の顎を伝ってポタポタと落ちるばかりで、一向に口の中には入っていかない。
男達の脳裏に、ラビッシュの言葉が蘇ってきた。
手遅れの場合、水も飲まなくなって2〜3日で死ぬ。
あの時、ラビッシュは確かにそう言っていた。


「チィッ、しっかりしろ・・・・・!」

承太郎は江里子を抱き抱えると、自分の口に水を含み、口移しで飲ませた。
殆どは唇から零れて出たが、構わずに何度も飲ませた。
すると、やがて微かに、江里子の喉がゴクリと鳴った。


「・・・・・ぅ・・・・・・・・」
「江里!」
「江里子さん!」

微かに身じろぎし、ゆるゆると目を開こうとしている江里子の様子を見て、男達は喜んだ。


「エリー!しっかりするんだ!私達が分かるか!?」
「承太郎!もっと飲ませてやれよ!」
「ああ。」

江里子の唇に瓶を当て、ゆっくり傾けてやると、水は少しずつだが、喉の奥へと流れていった。


「っ・・・・、ゴホッ、ゴホッ・・・・・・!」

水がむせたのか、江里子は不意に咳込んだ。
そして、ふと顔を上げた。


「・・・・・・・・」

江里子は、呆然と目を見開いていた。


「エリー・・・・?」
「エリー・・・・!」
「江里子さん・・・・・」
「江里・・・・・」

江里子から何らかの反応を引き出そうと、男達は口々に呼びかけた。
しかし。


「・・・・・・・・・」

江里子は涙を一筋静かに零すと、ひっそりと目を閉じて、承太郎の腕の中で力を失った。


「江里!しっかりしろ、江里!」

承太郎が何度揺さぶっても、江里子は目を開けなかった。


「江里子さん!目を覚まして!」
「エリー!起きろ、起きるんだ!」
「エリーッ!起きてくれよ、頼むから・・・・・!」

花京院の呼びかけにも、アヴドゥルの声にも、ポルナレフの懇願にも、江里子はもう応えなかった。




















江里子は今、知らない町を歩いていた。
今、何処にいるのだろうか。
何処へ向かおうとしていただろうか。
そう、エジプトだ。
エジプトへ、アスワンの町へ、向かう途中だったのだ。
だが、一緒に旅をしていた筈の仲間達がいない。何処にも見当たらない。
江里子は仲間達の姿を探して、町を歩き回った。
知らない町、知らない人々、その中に独りでいるのは心細くて仕方がなかった。
早く皆と合流しなければ、その一心で町を彷徨い歩いた。

暫くして、ようやく仲間達を見つけた。
ほんの何mか先に、全員で佇んで談笑していた。
江里子は心から安堵し、彼らに駆け寄って行こうとした。
だがそれを、誰かが腕を引っ張って阻んだ。


「えっ・・・・・!?な、何・・・・・・!?」

ラビッシュだった。
あの男が江里子の手を掴んで、邪魔をしていた。


「ちょっとっ・・・・・、何するのよ、放してっ!」
「フフッ・・・・・・」

もがいても、もがいても、振り払う事は出来なかった。


「やめてよっ・・・・・、やめて・・・・・!放してってば!」
「フフフッ、ジョースター達の元になんか行かせないよ。
アンタなんか、誰からも愛されないんだからね。アンタみたいな厚かましい女は、独りぼっちがお似合いなのさ。」
「いやっ・・・・!放してっ・・・・!ジョースターさーんっ!承太郎さーんっ!助けてぇっ!!」

自力で振り払う事がどうしても出来ず、江里子は大声で仲間達に助けを求めた。


「花京院さんっ!アヴドゥルさんっ!ポルナレフさぁんっ!」

今に気付いて駆けつけてくれる筈だと信じて、声の限りに呼び続けた。


「ねぇ誰か・・・・・!返事して下さいっ・・・・・!!お願いだからこっち見て・・・・・・!!
ジョースターさんっ!承太郎さんっ!アヴドゥルさんっ!ポルナレフさん!花京院さぁんっ!!」」

だが、何度呼びかけても、応えてくれる者は誰もいなかった。
この大声が聞こえていない筈はないのに。


「どうして・・・・・・!?どうしてよぉっ・・・・・・!」
「プククッ。これで分かったでしょ?み〜んな、アンタの事嫌いなんだよ。」
「っ・・・・・・!」
「花京院だって、アヴドゥルだって、承太郎だって、ポルナレフだって、ジョースターだって。
皆みぃ〜んな、足を引っ張ってばかりで戦えないアンタの事、邪魔で邪魔でしょうがないと思ってるのさ。
いい加減、捨てて行きたくてしょうがないのさ。だからシカトしてんだよ。」

ラビッシュの言葉に、江里子は強いショックを受けた。


「アンタがいるとさ、皆の邪魔になるんだよ。
だから学校の先生も同級生も、アンタをシカトした。だから兄さんも母さんも、アンタを捨てて出て行った。」
「や・・・・やめて・・・・・・」
「ホリィさんだってそうだよ。本当は家族水入らずで暮らしたいのにさぁ、
アンタが図々しくいつまでも家に居座ってるから、旅について行って欲しいなんて頼んだのさ。
あの人は優しいから遠回しに言っただけでさぁ、要は厄介払いされてんのに、『私が皆を無事に連れ帰ります!』とか
勝手に使命感背負っちゃったりなんかして、ホントおめでたいったらないよ、プククククッ!」

心を切り刻む言葉の刃に、抗う術は無かった。
心を切り刻まれる痛みに耐えきれず、涙が溢れた。


「う・・・・・うぅ・・・・・・・・・」

この痛みを理不尽だと憤る強さは持てなかった。
ラビッシュが言った事の全てに、自分でも納得してしまっていたからだ。
何の役にも立たないお荷物。いるだけで邪魔なお荷物。
だからジョースター達はあんなにも清々しそうに、楽しそうに、笑っているのだ。


「・・・・フフッ、やっと理解したようだね。そ、アンタはね、そうやって独りでいるのが一番なの。
誰かの役に立ちたいなんて、分不相応に張り切った事を考えちゃあダメ。
勿論、恋愛なんてもっての外!
人並みに愛し愛されたいなんて、アンタには過ぎた望みなんだよ、このブスが!」

ラビッシュに肩を突き飛ばされ、江里子はよろけて建物の壁にぶつかった。


「そんな事考えるだけでも図々しいのに、同時に4人も好きだなんて、何て恥知らずなアマだろうねぇ!
承太郎や花京院やアヴドゥルやポルナレフが、アンタみたいなビッチを好きになる訳がないじゃないか!アッハハハハハ!!」
「ぁっ・・・・・・!」

ラビッシュは更に江里子を突き飛ばし、細い路地の奥へと追いやった。


「これからはボクがアイツらについて行く。アンタなんかよりこのボクの方がよっぽど役に立つからね。
アンタはその薄暗い路地裏で、思う存分ベソでもかいてるといいよ、プククッ。じゃあね〜、バァ〜イ。」

ラビッシュは、眩しい陽光の降り注ぐ通りを歩いて行った。
それに引き換え、江里子のいる路地は、日も差さず黴臭い空気が澱んだ、厭な場所だった。


「いやっ・・・・・、ちょっと待って・・・・・・・!」

江里子はすぐさま、ラビッシュの後を追おうとした。
だが、表通りの明るさが余りにも眩しくて、思わず怯んで足を止めた。


「うぅっ・・・・・・」

こんな所にいたくはないのに、早く皆の所に戻りたいのに、どういう訳か動けなかった。
悲しくて、寂しくて、只々泣く事しか出来なかった。


「うぅぅっ・・・・・・・」

また独りぼっちに戻ってしまうのは嫌だった。
誰にも見向きもされず、心安らぐ居場所もない、そんな暮らしに戻るのは嫌だった。


「うぅぅっ・・・・・・・!」

なのに、どうする事も出来ない。
ラビッシュに言われた通り、この薄暗い路地で泣いている事しか出来ない。
絶望の中で、全てを諦めかけたその時。


「どうしたのあなた?」

眩しい光の中に、ホリィが現れた。
彼女のお気に入りの白いパラソルを差して、いつものように健やかで美しい微笑みを湛えて。


「お・・・・奥様・・・・・!?」

彼女は今、日本で病と闘っている筈なのに。
命の灯が、じわじわと燃え尽きつつある状況なのに。


「そんな所で何を泣いているの、エリー?」
「だ、だって・・・・・」
「いきなさい、エリー。あなたの心のままに。」

ホリィのその言葉に、江里子はハッと胸を突かれた。
こんな大事な事を、どうして今まで忘れていたのだろう。
ホリィのこの教えを道標に、ここまでの険しい旅路を乗り越えてきたのに。


「・・・・・奥様、私・・・・・・、私、行きます・・・・・・!!」

自分の旅は、自分のもの。
むざむざと他の誰かにくれてやる訳にはいかない。
江里子は挫けかけていた心を奮い立たせ、眩しい表通りに足を踏み出した。


「ジョースターさーんっ!!承太郎さーんっ!!」

そして、大切な彼等の元へと走った。


「アヴドゥルさーんっ!!ポルナレフさーんっ!!花京院さーんっ!!」

私の旅は、私のもの。
私の目で見て、私の頭で考えて、私の心で感じて、私の足で進んできた。
それは決して、他の誰のものにもならない。


「待って・・・・・・・!皆・・・・・・、待って・・・・・・!!」

歩んできた道のりも、過ごした時間も、数え切れない思い出も。


「私もっ・・・・・・!!」

涙も、笑顔も、出逢いも、別れも。


「私も一緒に行きますーーーっ!」


彼等への愛も。
























「・・・・・・・・っ・・・・・・・・!」

知らない景色が、突然視界に飛び込んできた。
暗くて、はじめの内は何が何だかよく分からなかったが、だんだん目の焦点が合ってくると、
カーテンの僅かな隙間から差し込んでいる陽光で周りが幾らか見えるようになってきた。
アイボリーの天井と壁、ちょっとゴワゴワした肌触りの白いシーツと枕。
取り立てて特徴の無いこの場所は、何処にでもありそうなホテルの部屋の中だった。
だが、この部屋に入り、このベッドに寝るまでに至った記憶が、全くと言って良い程無かった。


― な、何で私、こんな所に・・・・・・・?

江里子はうまく回らない頭を何とか働かせて、記憶を辿っていった。
さっきまでいた見知らぬ町はどうやら夢のようだったが、まだ旅の途中である事は確かだった。
アジアの国々を通り過ぎて、ようやくエジプトへ上陸したのだ。
しかし上陸早々、迂闊にも敵の罠に嵌ってしまった。
そう、媚薬を盛られたのだ。
どうにか隠し通して自分で何とか対処しようとしたが叶わず、ジョースター達の前で死にたくなる程の恥辱に塗れた。
そして、それから・・・・・・


「・・・・・・?」

ふと視界の端に何かが見えて、江里子は顔を横に向けた。
すると、ベッドの上に誰かの手と頭が見えた。


― か・・・花京院さん・・・・・!?


花京院が、江里子の寝ているベッドに突っ伏して眠っていた。
それも、裸で。
ギョッとした瞬間、花京院の隣にもう一人、黒髪の頭が見えた。


― じょ、承太郎さんも・・・・・・!?


花京院の横で、ベッドにもたれて腕組みしながら眠っているのは、承太郎だった。
彼もやはり、裸だった。
まさかそんなと思いながら反対側も確認してみると、そこには承太郎と似たような姿勢で眠るアヴドゥルと、
床の上に大の字になってグーグー寝ているポルナレフの姿があった。


「っ・・・・・・・・!?」

何故に皆、床で寝ているのか。
しかも何故に皆、下着1枚の裸なのか。
そして。


「!?!?!?」

何故に自分も素っ裸なのか。


― な、何で・・・・・・!?


まだ夢を見ているのだろうか。
それとも、実はとっくに死んでいて、ここは所謂『あの世』という所なのだろうか。
一瞬そんな事を考えてしまったが、この衝撃の光景に目が覚めると、少しずつ少しずつ、頭の中に立ち込めていた靄が晴れてきた。
すると、断片的な記憶が、揺らめきながら次々と浮かび上がってきた。

身体に触れる、大きくて優しい手。
肌を擽る、熱い吐息。
名前を呼ぶ、低い声。
全部、全部、言い様もない程心地良かった。
身体を引き裂くような痛みにさえ、幸せを感じた。
愛する人と結ばれた歓びに自分を抑えられなくて、身も心も、全てを曝け出した。


― え、えぇぇぇぇ・・・・・・!?


夢か現実かはっきりしない記憶だが、しかし、それらは確かに江里子の頭の中に残っていた。
何より、もしも夢だというならば、この状況の説明がつかない。


― 嘘ぉ・・・・・、えぇっ・・・・・・、どういう事・・・・・・・!?


断片的なその記憶の中には、愛する彼等、4人全員の顔があった。
その4人が全員、自分の周りで裸で寝ているというのは一体どういう事なのか、考えようとするのも恐ろしい。


― ま、まさか・・・・・・、まさか私・・・・・・・


まさかそんな。そんなまさか。
ふと頭を過ぎった恐ろしい仮説に身を震わせたその時、花京院が薄らと目を開けた。


「・・・・う、ん・・・・・・・」

この瞬間、頭を起こした花京院と、江里子の目が合った。


「はっ・・・・・・!!」
「っ・・・・!!」

花京院が大きく目を見開くと同時に、江里子はシーツを頭から被って包まった。


「江里子さん!気が付いたんですね江里子さん!
おい皆、起きろ!!江里子さんが目を覚ましたぞ!!」

花京院が寝ぼけていてくれる事を一瞬期待していたが、残念ながらそうとはならず、
寝起きの良い彼によって他の3人も次々と起こされ、あっという間に江里子の周りで大騒ぎが始まった。


「何ィィィッ!?ホントかぁっ!?ホントだろうな花京院!?」
「本当だ!ちゃんと目を覚ました!もう大丈夫だ!」
「良かったぁぁぁ!良かったぜぇぇぇっっ!!」
「うん!?エリーがいないじゃあないか!?何処にいるのだ!?」
「そこです。」

多分、指でも差されているのだろう。その気配がシーツ越しにひしひしと伝わってくる。
痛い程の沈黙の中で、うっかり声や物音などを出してしまわないように、江里子は息を潜めて身を固くしていた。


「・・・・・・その巨大な繭みたいなやつか?」

重苦しい沈黙の中で、承太郎が思いっきり呆れた声を出した。


「おい、そこのモスラ。羽化してこい。」
「・・・・・・・・」

誰が蛾だと思わず言いかけたが、言えなかった。言える訳がなかった。


「おい。聞こえてんだろ。」

一体どんな顔をして、どんな返事をしろというのか。
今は泣き出さないようにするのが精一杯だというのに。


「今すぐ直ちに顔を出せ。出さねぇと力ずくで引ん剥くぞ。」

しかし、生憎と承太郎は女に容赦が無かった。
今に始まった事ではないが、女心を察する気など、彼にはやはり更々無いようだった。


「3つ数える内に顔を出せ。3、2、1、ゼロ。」
「!」

しかもカウントが早すぎる。
予想以上の早さでシーツを剥ぎ取られそうになり、江里子は慌ててそれを引っ張り返し、
端っこを頭の下に敷き込んでよりしっかりと包まった。


「・・・・・江里子さん。」

今度は、花京院が声を掛けてきた。


「そんな事してたら息が苦しいでしょう?顔、出したらどうですか?」

顔は出せないが、息は確かに苦しい。
江里子はゆっくりゆっくり気付かれないように顔を動かし、承太郎や花京院のいない方を向いて、少しだけシーツを捲り上げた。


「おっ!こっちかぁ!?」
「っ・・・・・!」

通気口程度の隙間を開けただけなのに、ポルナレフが目聡くそれを見つけ、人差し指を突っ込んできた。
その指先に唇を擽られ、江里子は身体を捻ってポルナレフから逃げた。


「おっ、今唇に触ったぞ!」
「やめろポルナレフ。顔に傷でもつけたらどうする気だ。」
「へへっ、大丈夫だってアヴドゥル。ちょいと唇をプルプルしただけだよ。」
「全くお前は子供みたいな事を・・・・・。エリー、顔を出してくれ。でないと、この馬鹿が何をしでかすか分からんぞ。」

問答無用に攻撃してこられるのも困るが、優しく声を掛けられるのも辛かった。
きっと、きっと、とんでもない大迷惑を掛けて、とんでもない大失態を曝した筈なのだから。


「・・・・・・・・」

パニックが治まると、今度は泣きたくなってきた。
もしもあれが現実だったのならば、それは特別な、とてもとても大切な事だったのに、
夢現にしか覚えていないなんて、悔しすぎて、悲しすぎた。


「・・・・・江里。これだけ答えろ。6×8?」

唐突に、承太郎が素っ頓狂な事を訊いてきた。


「ロ、ロクハ?な、何の事だよ?」
「いきなり何なのだ?」

意味が分からないらしいポルナレフとアヴドゥルが尋ねたが、承太郎はそれには答えなかった。


「江里、答えろ。6×8?」
「・・・・・・・・しじゅう・・・・はち・・・・・・・・」

喉が掠れて声はろくに出なかったが、承太郎の耳にはちゃんと届いたようだった。


「・・・フン。やっと正気に戻ったようだな。やれやれだぜ。」
「良かった、江里子さん・・・・・・・!」
「な、何か分かんねえけど、大丈夫なんだよな!?な!?」
「勿論、大丈夫に決まっている!良かった、心配したぞ、エリー!」

安堵の声が次々と聞こえた。そこに不自然さは全く無かった。
こんな状況なのに、彼等は何故そんな風に、いつも通りに振舞えるのだろうか。


「・・・エリー。君の胸中は察して余りある。だから、どうしてもというならそのままでも良い。
そのままで良いから、話を聞いてくれ。」

アヴドゥルが、真摯な口調で話し掛けてきた。


「昨夜、気を失った君をここに運び込んで、我々は君を抱いた。見ての通り、4人でな。
君には酷な事を言うようだが、あれは敵との闘いで、やむを得ない事だった。
だから我々は、一晩限りで無かった事にしようと決めたのだ。従って、君にもそのつもりでいて貰いたい。」

アヴドゥルの言葉が、江里子の胸に突き刺さった。
不本意だったのは彼等も同じで、無かった事にして忘れてくれようとしているだけ
有り難い事なのだからと頭では分かっているのに、ショックだった。
だが次の瞬間、アヴドゥルは、そんな江里子の心の内を見透かしているかのように言葉を足した。


「・・・念の為に説明すると、この『無かった事』というのは、君が私のものになった訳ではないという意味だ。
承太郎のものになった訳でも、花京院のものになった訳でも、ポルナレフのものになった訳でもないという意味だ。
だから我々の関係は、昨日までと何も変わっちゃあいない。そういう事なのだ。」

それは、どういう意味なのだろうか。
驚いていると、次はポルナレフが口を開いた。


「エリー、すまねぇ。4人でやろうと言い出したのは俺だ。
最初は誰か1人の筈だったんだけどよ、誰もどうしても退けなくてよ・・・・・。」

まるで一悶着あったかのような話だが、そんな記憶は全く無かった。
この4人が自分を巡ってせめぎ合ったなんて、江里子には信じられなかった。


「とんでもねぇ事をしちまったのは分かってる。特に俺は、恨まれても当然だと思ってる。
けど・・・・、でもな、エリー。俺はお前を抱いた事自体は謝らねぇぜ。
だって俺は、お前を愛してるからな。」

その言葉を理解するまでに、幾らかの時間を要した。


「皆同じです。決して使命感や義務感だけでした事じゃあありません。だから僕も、謝りませんよ。」

呆然としていると、今度は花京院が話し始めた。


「昨夜の事は、アヴドゥルさんの言った通り、敵との闘いです。
だから、何も変わっていません。我々の関係も、気持ちも。
僕は今も変わらず、貴女に片想いをしているんですよ。」

息が苦しくて、胸が詰まった。


「・・・・・・・ど・・・・・して・・・・・・・」

やっとの思いで絞り出した声は、自分でも情けなく思う程、か細く弱々しかった。


「・・・・・・・・・どうして・・・・・・・・、私なんかに・・・・・・・」
「どうしてだと?やれやれ、面倒くせぇ女だぜ。惚れた腫れたにいちいち理由や理屈が要るのか?
だったらまずはお前が吐け。何で俺に惚れてるのかをよ。」
「っ・・・・・・・・!!」

今にも零れてしまいそうな涙を止めたのは、承太郎の声だった。
皆の前でとんでもない事を、しかも心の底から面倒くさそうに暴露された瞬間、
零れかけていた涙は引っ込み、喉に幾ばくかの活力が戻った。


「・・・・・そ・・・・・、そんな事・・・・・・・ありませんよ・・・・・」
「いいや、そんな筈ねぇぞ。お前は昨夜確かに、俺に好きだと言ったぜ。」
「そっ、そんな事・・・・!」
「あるんだよ。しかもお前の方から先に言った。」
「言ってません!!」

江里子はとうとう被っていたシーツを跳ね除け、デリカシーの欠片もなく
繊細な乙女心を甚振り続ける残虐非道な俺様男・空条承太郎と対峙した。


「でたらめ言わないで下さい!そんな事、私言ってませんから!」
「とぼけてんじゃねぇぞテメェ。俺に抱かれてうっとりしながら、『承太郎さん好きです』って言っただろうがよ。」
「言ーってませんーーー!!そんな事全っ然言ってませんーーー!!」
「言った。」
「言ってない!!」
「言った。」
「言ってない!!!」
「言った。」
「言ってな・・」

ようやく我に返って気が付くと、他の3人が唖然とした顔で江里子を見ていた。


「あ・・・・・・!」

あられもない姿を皆の眼前に晒していた事に気付いて、江里子は慌ててシーツを被り直そうとした。


「身体を隠す位は許してやるが、繭はもう作るな。一人だけ逃げるんじゃねぇ。」
「っ・・・・・!」

承太郎のその一言に、江里子はハッとした。
そう言われて初めて気が付いたのだ。
自分の気持ちにばかり囚われていて、承太郎や、花京院や、アヴドゥルや、ポルナレフの気持ちを全く考えようとしていなかった事に。


「・・・・・すみませんでした、本当に・・・・・・・」

江里子は深く項垂れて、4人に詫びた。


「私の不注意で・・・・・、とんでもないご迷惑をお掛けして・・・・・」

考えてみればこんな状況、男だって平気でいられる訳がない。
使命感や義務感だけではなかったというのが本心ならば、尚の事。
彼らの胸中を考えると、自分の不注意さや愚かさを改めて痛感して、居た堪れなかった。
義務感や使命感、何なら興味本位だったと言われた方が、まだマシだとさえ思った。


「・・・なぁエリー。昨夜も言ったがよ、そんなムードのない事言うんじゃねぇよ。
折角のスウィートな朝が台無しになっちまうじゃねぇか。」
「そうですよ、江里子さん。僕が聞きたいのは詫びじゃない、さっきの僕の告白への返事です。」
「その通り。私の想いを受け入れてくれる気があるのかないのか、その返事だ。」

それなのに、ポルナレフも花京院もアヴドゥルも、ただいつもと同じ微笑みを浮かべて、江里子を優しく見つめるだけだった。


「良いか、江里。俺達は謝罪会見を求めてるんじゃねぇ。
迷惑だと?俺が心にも無い事をやるような男かどうか、お前なら分かってると思ってたけどな。」
「でも・・・」
「でもじゃねぇ。」
「だって・・・」
「だってじゃねぇ。」

承太郎は、江里子の言いかけた言葉をことごとく遮った。


「お前が幾らこの場で言い訳を連ねたところで無駄だ。お前の気持ちは、皆お見通しだ。」
「え・・・・・・・?」
「承太郎の言う通りですよ。僕は今さっき、貴女に片想いをしていると言いましたが、正確には限りなく両想いに近い片想いです。」
「そ。俺達とっくに愛し合ってんだぜ、エリー?」
「うむ。まあそういう事になるな。」
「・・・・・最悪じゃないですか・・・・・・」

涙を堪えると、声が震えた。


「2股でも酷いのに、4股とか、最低じゃないですか・・・・・・」

そう。
江里子の気持ちは、この期に及んで何一つ変わっていなかった。


「私・・・・・・、私は、奥様の教えを大事に守っていたつもりでした・・・・・。
いつか私も、奥様みたいにたった一人の人を愛する事が出来たらって、そう思っていました・・・・・。でも・・・・・・・」

以前エンヤ婆に言われた事が、江里子の脳裏に蘇ってきた。
人一倍愛に貪欲。
相手を一人に定める気のない、メス猫のような女。
あの時は必死で否定したが、今は自分でもその通りだと思えてならなかった。



「・・・・・なら、その『たった一人の人』ってのを、今すぐこの場で決めるか?」

際限なく続く自己嫌悪に歯止めをかけたのは、承太郎のその一言だった。


「決められるというなら決めりゃあ良い。望むところだ。
お前が今すぐ、そいつ以外の他の3人への気持ちをすっぱり断ち切れるというのならな。」

堪え切れなくなった涙が、江里子の頬を静かに伝い落ちた。


「・・・・なに。無理をする必要はない。」

アヴドゥルがそっと、江里子にティッシュの箱を差し出した。


「だから言っただろう。我々の関係は、昨日と何も変わっていないのだ、と。
何も変わっていないのだから、何も今すぐ無理に決着をつけようとする必要はない。」
「良いじゃねーか!ここからようやく、恋の鞘当てが始まるって事でよ!」

ポルナレフは、あっけらかんと陽気に笑った。


「いよいよエジプトに上陸して、今後は益々殺伐としてくるだろうこの旅にとって、実に良い潤いになるぜぇ!
旅の目的は勿論忘れちゃいねぇがよ、この位の楽しみがあっても良いだろうよ、なぁ!」
「ポルナレフの言う事にも一理ありますね。」

花京院も、微笑んで頷いた。


「それに、旅の目的を無事に果たす為にも、今は下手に結論を急がない方が良い。
精神的な動揺は敗北に繋がりますからね。浮かれて有頂天になるのも、また然り。」
「という事だ。だからもう、湿っぽい面してウジウジ言うんじゃねぇ。
旅の恥はかき捨てって言うだろ。取り敢えずお互い忘れちまやぁ良いんだよ。
仕切り直すのは、DIOの野郎をブチのめしたその後だ。その時まで、色々お預けという事にしておいてやる。だがな。」

承太郎は江里子に向かって、ピッと人差し指を伸ばした。


「その時こそ、はっきりさせて貰うぜ。泣こうが喚こうがモスラになろうが、今度こそ容赦しねぇからな。覚悟しとけよ。」

承太郎のその言葉に、花京院も、ポルナレフも、アヴドゥルも、皆が頷いた。
何の迷いも不安もなさそうな、晴やかな微笑みで。


「・・・・皆さん・・・・・・・」

迷って、揺れてばかりいる自分を、彼等はそのまま受け止めてくれている。
そう感じた瞬間、さっきまで雁字搦めに江里子を捕らえていた自己嫌悪が、不思議とだんだん解けていった。
それに対してまた戸惑いを覚えなくはなかったが、それでもそれは江里子を再び殻の中に閉じ込めてしまう程のものではなかった。


「・・・・・・・・はい・・・・・・・・・!」

江里子も4人に微笑み、頷き返した。
ポルナレフがおもむろに窓のカーテンを開け放った。
その途端、眩しい朝日がサッと差し込み、気だるげな薄闇をたちまち蹴散らしてしまった。


「今日も良い天気だ!さあ、出発しようぜ!」

爽やかな朝日が、昨夜の出来事を綺麗さっぱり消し去ってしまうようだった。
だが江里子は、それをそっと胸の奥にしまい込んだ。
ぼんやりとした断片的な記憶だが、大切に、大切に、持ち続けていたかった。


「そろそろ支度するか。9時にジジイとロビーで待ち合わせだからな。」
「じゃあ、僕らは一旦3Fの部屋に行こうか。」
「えー!めんどくせーよー!身支度の為だけにわざわざ別室に移動なんてよぉ!
折角のスウィートな朝なんだからよぉ、俺ぁエリーと一緒にシャワー浴びてぇんだけどなぁ〜。」
「馬鹿者、調子に乗るな。いいからさっさと服を着ろ。」

自分でもどうして良いか分からず、戸惑って、躊躇って、直視しないようにしてきた自分の気持ちと向き合う覚悟が今、ようやく出来た。


「じゃ、江里子さん。また後で。」
「9時にロビー集合だ。遅れんなよ。」
「おう、分かったぜ。じゃまた後でな。」
「馬鹿者。お前もこっちに来るんだポルナレフ。」

もうすぐ終わろうとしているこの旅路の向こうで、必ず。


「・・・・・・・はい・・・・・・・・!」

出て行く4人に微笑んで手を振りながら、江里子は自分にそう誓った。
彼等はもう、次の闘いを見据えている。
そうとなれば、いつまでもグズグズしてはいられない。
旅立ちの支度をするべく、江里子もベッドから立ち上がった。


いや、立ち上がろうとした。



「#$&%??¥!?」

言葉にならない叫び声を上げた江里子の気配に気付いて、承太郎達が戻って来た。


「何だ、どうした?尻尾踏まれたドラ猫みてぇな声がしたが・・・・・」
「江里子さん?どうしたんですか?」
「何だ、どうしたのだエリー?」
「ま・・・、まさか、まだあのクソッタレのヤクの効力が・・・・・・!?」

いや、違う。そうではない。
江里子の頭の中は、すっきりと冴え渡っていた。
そして、そのすっきりと冴え渡った頭が、はっきりと感じ取っていたのだ。


「・・・・・い・・・・・・・」
「「「「い????」」」」
「いっ・・・・・・たぁいぃぃぃ・・・・・・!!」

昨夜その時には分からなかった、物理的ダメージを。


「こっ・・・・、腰っ・・・・・、腰、いた・・・・・・!」

江里子は腰を擦りながら、4人を涙目で見上げた。


「ちょっ・・・、何ですかコレ・・・・・!?た、立てないんですけど・・・・!何したんですか一体・・・・!?」

4人は顔を見合わせてから、気まずそうにそれぞれ違う方向を向いた。


「・・・・・ポルナレフのせいだ。君が何度もしつこかったから。」
「いいや違うね、俺は回数こなしてても加減はしてたぜ。
どっちかっつーとアヴドゥルのせいだ。アヴドゥルは手加減なしだったからな。」
「人聞きの悪い事を言うな。荒っぽかったのは承太郎の方だろう。」
「何言ってやがる。花京院の方が結構腰にくるような体勢をさせてたぜ。」
「そんな事はない。大体、僕は江里子さんの身体を心配してかなり遠慮しておいたのに、
ポルナレフは江里子さんが完全に気を失ってても、しつこく何度も。きっとあれが原因だ。」
「あの状況じゃあ助かってんだかどうなんだか分かんなかったんだから仕方ねーだろうが。
だから俺はちゃんと回数とパワーのバランスを絶妙にコントロールしてたんだよ。
それなのにアヴドゥルときたら、お構いなしにガンガン攻めるんだもんな。絶対お前のせいだ。」
「そんな事はしていない。私だってエリーの体力は極力削らないよう、細心の注意を払った。
承太郎の方が余程荒っぽかったじゃあないか。回数だって私より多かったしな。よって、承太郎が原因である可能性が高い。」
「冗談じゃねぇ。そんな事で短絡的に俺を犯人扱いするんじゃねぇよ。
言っておくが、俺なんかより長々とねちっこく攻める花京院の方が、江里にとっては余程キツかった筈だぜ。」

責任をなすりつけ合う4人の会話は、胸の奥にそっと大切にしまい込んだ記憶を
早速にも激しく揺すり起こすかのように赤裸々で、あけすけで、とても冷静になど聞いていられなかった。


「〜〜〜っ・・・・・・!!」

だから、江里子が再び繭を作ってしまったのは・・・・・、それは致し方のない事だったと言えよう。



















清潔な服に袖を通し、髪を束ねると、気持ちが引き締まった。
まだ幾ばくかの気まずさは残っているが、それはもう自分の中で消化するべきものであって、
顔や、まして態度に出したりしてはならない。
呼吸を整えて、荷物を持ち、江里子は部屋を出た。
階段を下りていくと、ロビーに広い背中の後ろ姿が見えた。
その背中は、江里子の足音を聞きつけると、ゆっくりと振り返った。


「・・・・・・やあ。おはよう、エリー。」

昨日と何も変わらない、優しくて温かい微笑みが、江里子をまっすぐに見つめた。


「・・・・・・おはようございます、ジョースターさん。」

江里子も、ジョースターをまっすぐに見つめ返して微笑んだ。


「出発、遅らせてしまってすみませんでした。」
「なぁに、構わんよ。何も問題は無い。」
「ありがとうございます。」

次の瞬間、ジョースターは優しく、そして力強く、江里子を抱きしめた。
何も言わずとも、彼がどれだけ心配してくれていたのかがすぐに分かった。
ほんの少し前までならきっと、申し訳なくて、居た堪れなくて、逃げ出したくなっただろう。
だが今、江里子は、素直にジョースターの胸に顔を埋める事が出来ていた。


「・・・・・心配かけて、ごめんなさい。」
「良いんじゃよ、良いんじゃ・・・・・。」

ただ自分を恥じて自己嫌悪に悶えるのではなく、ジョースターの優しさに、素直に感謝する事が出来ていた。


「おはようございます。」

花京院の声が聞こえて、ジョースターはそっと江里子を放した。
振り返ると、4人が揃ってロビーに出て来た。


「おはようございます、ジョースターさん。」
「はよーっす!!」
「よぉ」

皆、すっかり支度を整えて、全くいつも通りの様子だった。
そして、江里子と目が合うと、微かに笑った。これもまたいつも通りの、ごく自然な微笑みだった。
江里子も彼らに微笑み返した。意外とそれは、思ったよりも上手く出来た。


「やあ、おはよう。これで皆揃ったな。」

ジョースターは帽子を被り、江里子達に向き直った。
その顔はもう、ここから先の危険な旅を見据えて、厳しく引き締まっていた。


「では、出発じゃ!!」

誰からともなく顔を見合わせて、頷き合った。
ここはエジプト、真の闘いはもう、すぐそこに迫っているのだ。


























杖の先で路傍の小石を弾きながら、ンドゥールは砂埃の舞い上がる道を歩いていた。
いよいよ、ジョースターの一行を始末する時が来たのだ。
ジョースター達は今、アスワンへ向かって砂漠を突き進んでいる。
DIOの使者よりその伝令を受けた時、ンドゥールの脳裏に、あのラビッシュとかいう若者の事がチラリと浮かんだ。
あてになどは全くしていないが、あの者の企みは、その後どうなっただろうか。


「・・・・・む」

車のタイヤが砂利を踏みしめる音が聞こえてきて、ンドゥールは足を止めた。
どんどん近付いてくるその音は、ンドゥールのすぐ横まで来て止まった。


「乗せてってあげるよ。アイツ等をブチ殺しに行くんだろ?」
「・・・もう相棒気取りか?」

その内また現れるだろうとは思っていたが、やっぱり来たかと、ンドゥールは内心でうんざりした。
誰も手を組むとは一言も言っていないのに、勝手にその気になられて纏わりつかれるのは迷惑だった。


「アンタのその目で、どうやってアイツ等の所まで行く気なのさ?」

盲目であるというだけで、見くびる人間は大勢いる。
そういう手合いは、利用し尽くしてやるのが定石だ。
ンドゥールは小さく鼻を鳴らすと、手を伸ばして車のドアを探り当てた。


「行くよ。」

ンドゥールが車に乗り込むと、ラビッシュはすぐさま車を発進させた。
車は盛大に砂を蹴立てながら、猛スピードで砂漠を突っ切って行った。
そうして、どれ程走っただろうか。



「・・・この辺で良いだろう。」

やがてラビッシュは車を停めて、ようやく口を開いた。
彼はここに至るまで、ずっと無言だった。


「ここなら見晴らしが良いから、アイツ等が来たらすぐに分かる。」

本人は平静を装っているつもりだろうが、ンドゥールにはラビッシュの心の内が手に取るように分かっていた。
目で表情を見る事が出来ない分、声の微妙なトーンや、身体全体から滲み出ている気配で察知出来るのだ。
ラビッシュは今、苛立っていた。
それも、ただ苛立って不機嫌になっているのではない。
精神が、一触即発の不安定な状態に陥っていた。
まず間違いなく例の作戦はうまくいかなかったのだろうが、だからといって、何をそんなに激昂しているのだろうか。


「・・・お前に分かって何の意味がある?闘えもしないお前に。」
「アンタの目になって、手助けしてやろうって言ってんだよボクは。」
「何度も言わせるな。私は誰とも組む気はない。自分の作戦が失敗したからといって、私をあてにするな。」

ンドゥールは、ラビッシュを冷たく突き放した。
そんな事をすれば、ギリギリのラインで保たれている彼の正気が崩れる事は分かっていたが、
生憎と気にかけてやらねばならない義理はなかった。


「うっせーんだよこの出来損ないがぁッ!!こっちが下手に出てりゃあ、調子こいてお高くとまってんじゃねーよッッ!!!」

案の定、ラビッシュの精神は決壊した。


「幾らスタンドがあったって、本体のテメーは盲じゃないか!
それその通り、杖がなきゃあ歩く事さえ出来やしない!
お袋の腹の中に目ン玉置き忘れてきたポンコツが、一人で何が出来るってんだよ!
ボクがこの見通し抜群の千里眼で見て教えてやるから、オメーはボクの指示通りにジョースター共をぶっ殺しゃあ良いんだよぉッ!」

ンドゥールが沈黙を守っていると、ラビッシュは少し溜飲が下がったかのように小さく鼻で笑った。


「フフッ・・・、そう、それで良いんだ。」
「・・・・・・・・」
「向こうの人数は6人。そのうち1人は女だ。その女だけは殺すんじゃないよ。生け捕りにしてくれ。」
「生け捕りにして、どうする気だ?」
「決まってんだろ?ジョースター共の死体の横で、ブチ犯してやるのさ!
メチャメチャのグチャグチャにしてやってから、乳をもぎ取って、腹を掻っ捌いて、
子宮と卵巣を引き摺り出してブチ殺してやるのさ!このボクの手でね!アッハハハ!!」

ヒステリックなラビッシュの笑い声には、只ならぬ憎悪が漲っていた。
その女はスタンド使いではなく、ただジョースター達について来ているだけだと聞いている。
まず間違いなく、何の脅威にもならない存在だ。
そんな女1人に、この男は何故そんなにも固執するのだろうか。


「・・・結構な趣味だな。まあ良いさ。そうしたければするが良い。
但し、お前が私に一撃でも入れる事が出来ればな。」

そう告げた瞬間、ラビッシュが微かに息を呑んだ。


「何を怯んでいる?私はお前の協力など必要ないが、お前は私の力を借りたいのだろう?
だから、私が力を貸してやるに相応しいかどうか、試してやろうと言っているのだ。」
「・・・・・」
「私の目は確かに、この灼熱の太陽の光さえ感じ取る事が出来ない。お前の言う通り、出来損ないのポンコツさ。
だがな、果たしてお前は、そのポンコツにたったの一撃でも入れる事が出来るかな?」

ンドゥールにとって、これは単なる暇潰しだった。
ラビッシュが苛立ちに任せてかっ飛ばしてくれたお陰で、予定より早く着いてしまったのだ。
だから、肩慣らしも兼ねた暇潰しに、これは丁度うってつけだった。


「何をしたって構わんぞ。何処でも好きな所から、好きなように仕掛けて来い。」
「・・・・・・・ナメくさりやがって・・・・・・・」

忌々しそうな呟きが聞こえた後、ラビッシュの気配が消えた。


「・・・・・・・・」

ンドゥールは神経を研ぎ澄ませて、ラビッシュの気配を探った。
やがて、背後でごくごく微かに空気が波打ち、何かが風を切って飛んできた。


「!」

ンドゥールは素早く態勢を変え、杖の一振りでそれを弾いた。
細く甲高い金属音が頭上高くに上がった事から、飛んできた物はナイフのような小型の刃物だと分かった。
音の位置から考えると、それは間もなくンドゥールのすぐ前に落ちてくると思われた。
やがて、殆ど予測通りの位置に落ちてきたそれを掴み取って投げ返すと、カエルが潰れた時のような珍奇な声が聞こえた。


「・・・しまった、しくじった・・・・・・・」

ンドゥールは杖を頼りに、声のした方へと歩いて行った。
まるで空気漏れを起こしているかのような微かな呼吸音、どんどん濃くなる血の匂い。
どうやら投げたナイフは、ラビッシュの喉に突き刺さってしまったようだった。
そんなつもりはなかったのだが。


「おい、まだ聞こえているか。悪かったな、失敗してしまった。
本当はちょいと掠り傷でも負わせて追い払うだけのつもりだったのだが。」
「ぅ・・・・・・・・ぅ・・・・・・・・」
「いや本当に、すまなかった。目が見えない分、他の感覚を鍛えてはいるのだが、
やはりそうそう何でも上手くいく訳ではなくてね。悪く思わないでくれ。
誓って殺すつもりはなかったんだ。その証拠に、スタンドは出していないだろう?」
「・・・・・・・ど・・・・・・・して・・・・・・・・」

むせ返るような血の匂いの中心で、ラビッシュは少女のようなか細い声を発した。
聞き取り難い程小さなその声を、一応は聞いてやろうと、ンドゥールは耳を澄ませた。


「うん?何だ?」
「ど・・・・・して・・・・・・・、愛して・・・・・くれないの・・・・・・・・・?」

その言葉のすぐ後、空気の漏れる音が止んだ。
ンドゥールは溜息を吐いて、踵を返した。
その時、何処からともなく鳥の鳴き声が聞こえてきた。
隼だ。
1羽の隼が、少し向こうの上空で旋回しながら鳴いている。


「・・・どうやらあっちのようだ。おいおい、少しポイントがずれていたようだぞ。
頼りにならない奴だな、全く。こんな事では、どのみちDIO様の『友達』にはなれなかったな。」

ンドゥールは杖の先で足元を確かめながら、隼の誘う方へと歩いて行った。
























激しく燃え盛る太陽に飛び込んでいくが如く、車はスピードを上げて砂漠を西へと突き進んでいた。
目指すはエジプト南部の都市・アスワンである。


「エジプト。その国土97%は、砂漠地帯である。
しかし、ナイル川の恵みにより、川岸には美しく緑輝く肥沃地帯が続く。
かつて、古代エジプト文明に、ペルシャ・ギリシャ・ローマ・イスラム・アラブという
多様な文明が入り込んだ、混淆の国、か・・・・・・・」

旅行者向けのガイドブックを読むジョースターの顔は、厳しく引き締まっていた。
彼は、これから向かおうとしているアスワンについて書かれているページを、食い入るように読んでいた。
ひとまずアスワンに入り、そこからナイル川沿いに北上して首都・カイロへ向かうというのが、ジョースターの意向だった。
アヴドゥルも、花京院も、ポルナレフも、そこで遭遇したという。
彼は今も、まだそこにいるのだろうか?そうだとして、その街の何処にいるのだろうか?


「・・・・カイロに、『DIO』はいるんですよね・・・・・?」
「・・・うむ、恐らくはな。だが、詳しい居所は分からん。」

江里子の問いかけに、ジョースターははっきりとそう答えた。


「奴が手掛かりらしきものを残したのは、ハエが写っていたあの1枚きりじゃ。
旅に出て来てから一度、シンガポールのホテルのTVで念写を試みたが、気付かれて失敗した。
それ以来、敢えて奴には直接探りを入れんようにしておったのだ。
奴の居所を掴むどころか、逆にこちらの居場所や行動を伝えてしまう事になりかねんのでな。」
「じゃあ、DIOの事は何も分からないまま・・・・・・」
「いや。恐らくそうではないだろう。」

ジョースターはそう言って、自信ありげな笑みを口元に浮かべた。


「儂自身が仕掛ける事を控えておっただけで、奴の居場所はずっと調べておった。スピードワゴン財団を通じてな。
そして、アスワンに入る前に彼等と落ち合う事になっている。」

ジョースターは腕時計を一瞥して、もう間もなくだと付け加えた。


「詳しい報告はこれからだが、事前に電話で聞いた限りでは、何か掴みかけているようだった。
きっと今頃は何らかの情報を得ている筈だ。期待して待っていよう。
何しろスピードワゴン財団の特殊部隊は、凄腕の精鋭揃いだからな。」

スピードワゴン財団のサポート能力がどれ程のものかは、江里子も既に良く知っていた。
きっと有力な手掛かりを掴んできてくれている事だろう。


「ポルナレフ、車を停めてくれ。」
「あいよ!」
「もう間もなく、スピードワゴン財団の使者が到着する頃だ。車を降りて待っていよう。」

車が停まり、誰からともなくドアを開けた。
一人、また一人と砂漠に降り立っていくのを見ていると、江里子はふと漠然とした不安を覚えた。
この悠久の地で、承太郎達は一体、どのような数奇な旅を続けるのだろうか。
そして自分は、ホリィとの約束を果たす事が出来るだろうか。


― 奥様・・・・・・・


大恩あるホリィの為に、密かに母と慕う彼女の為にと交わした約束は、いつの間にか自分自身の為となっていた。
失いたくない。
大切な、愛しい人達を、何の結論も出せないまま、失う訳にはいかない。
だから。


― 約束は、必ず・・・・・・・!


愛する彼等の、待ち構えている恐怖に堂々と立ち向かうが如く勇敢なその背中に誓いを立てて、江里子も砂の上に降り立った。




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後書き

最後までお付き合い下さり、誠にありがとうございました!!
ホントにクッソ長くてすみません、お疲れ様でした(汗)。
お楽しみ頂けていれば幸いです。