SCARS OF GLORY 19




「何だそいつ。ムカつく野郎だな。」
「でしょー!?本当に腹が立つったら!」

翌日の朝食の席で、はホークにエリックとの事を話して聞かせた。
想像通り、ホークはすぐさま腹を立てた様子だった。
やり場のない怒りを皿の上のパンケーキにぶつけるようにして、乱暴に千切り、思いきり噛み締めて食べている。
だがは、ホークが自分に共感してくれた事を頼もしいと思いつつも、そして、
一緒になって文句を言いながらも、その実、未だに動揺を抑えきれずにいた。
情熱や実力だけでは成功を掴めないという昨夜のエリックの言葉が、ずっと頭を離れないのだ。

だが、どうすればその『運』を自分のものに出来るというのか。
情熱や努力では手に入れられないものなのに、それをどうやって手に入れろというのか。
それを手に入れられないままの人間は、挫折するしかないというのか。


「・・・い、おい、。」
「・・・えっ?あっ、何?」

ホークに呼びかけられて、は我に返った。


「もしまた来やがったら、今度は俺が帰って来るまで引き止めとけよ。俺がきっちり『話』つけてやるからよ。」
「・・・・・うん・・・・・・」

今にも誰かに殴り掛かりそうな目つきになっているホークに、は曖昧に笑って応えた。
ホークは只々、エリックの失礼な皮肉に腹を立てているばかりで、エリックのあの言葉に関しては何とも思っていないようだった。
恐らく、不安がないのだろう。ホークは相変わらず、夢の実現を信じてくれているから。
たとえ自主練習すら出来ないような状態になっていても、たとえ本人が挫折に
怯え始めていても、何ら疑う事なく、『お前は絶対にスターになれる』と、そう信じてくれているから。
その純粋な期待が有り難く嬉しい反面、プレッシャーになりつつある事にも気付かずに。


「・・・・・ねぇ、ブライアン?」
「んー?」

は、モリモリと食べているホークの顔を見つめた。
まるで子供みたいに口いっぱいにパンケーキを頬張っている彼が、愛しいと思った。
愛しくて、頼もしくて、申し訳ないと思った。


「・・・・・もし・・・・・・」

もし、私がいつまでもスターになれないままだったらどうする?
貴方はいつまで私の側に居てくれる?

そんな質問が、ふと口をついて出そうになったその時、電話が鳴った。


「はい、もしもし?」
『私だ、エリックだ。』

電話口から聞こえてきた声に、は唖然とした。


「貴方・・・・、何でうちの番号を!?」
『机に貼ってある電話番号のリストを見た。』
「机?貴方、一体何処に居るの?何処から掛けてきてるわけ?」
『Phoenixだ。待っているから、これからすぐ来て欲しい。出来れば君の同居人も一緒に。』
「何でよ!?」
『仕事の話がある。』
「仕事!?」
『とにかく、今すぐ来てくれ。』
「ちょっと・・・、そんな無茶言わないでよ!私達これから仕事・・・」
『今日のところは時間を取らせるつもりはない。尤も、『Phoenix』での仕事を続ける気がなければ、
来なくても結構だが。』
「ちょ、ちょっと待ってよ、それどういう事・・」
『では後ほど。』
「もっ、もしもし!?もしもし!?」

エリックはまた昨夜のように、一方的に自分の用件を話し終えると電話を切ってしまった。


「何だよ?誰からだ?」
「今話した、例のイヤな奴・・・・・。」
「何だと?で、何だって?」
「何か・・・・・、仕事の話があるって。」
「仕事ぉ!?どういう事だよ?」

どういう事かと訊かれても、にも分からなかった。
ただ一つ確実なのは、呼び出しに応じれば、あの劇場でまた働けるかもしれないという事だ。
もし以前の仕事に戻れたら、またレッスンの時間が持てる。
それはにとって、何より魅力的な話だった。













ホークとは、大急ぎで劇場にやって来た。
バックルームに入ると、エリックはトマスの机に向かい、勝手に帳簿などを繰っているところだった。


「おはよう。本当に早かったな。」

二人に気付いたエリックは、帳簿を閉じて立ち上がった。


「ああ、君がブライアンだね?はじめまして、エリック・デュシャンだ。宜しく。」

エリックが差し出して来た手を、ホークは握らなかった。
すました顔に如何にもリッチな外見、スマートな態度、それに加えてから聞いた皮肉の数々。
フランス人の癖に、澱みなく英語を話しているのも気に食わない。
これが初対面にも関わらず、ホークのエリックに対する印象は、既に最悪だった。


「昨夜は俺の留守に勝手に部屋に上がり込んで、に言いたい放題言ってくれたみてぇだな?」

ホークは威嚇めいた睨みを利かせながら、そう言った。
だがエリックは、ホークに因縁をつけられても、その涼しげなポーカーフェイスを崩す事はなかった。


「何か不愉快な思いをさせてしまっているようだが、私は君達を侮辱したつもりはない。
しかし確かに、君の留守にお邪魔したのは些か配慮に欠けていたな。その件については申し訳なかった。」
「んだとテメェ・・・」
「やめてブライアン。」

は、今にもエリックに掴みかかりそうなホークを制した。


「それで?仕事の話って何なの?」
「近々、ここを再開しようと思っている。ついては、君達に色々と手伝って貰いたいと思ってな。」
「再開って、貴方にそんな事決める権利があるの?」

昨夜のように子供扱いされてなめられないように、は精一杯大人びた態度を取ってみせた。
その隣では、ホークが相変わらず噛みつかんばかりの顔をしている。
だがエリックは、の疑わしそうな視線もホークの睨みも全く気にする事なく、飄々と答えた。


「あるとも。私がここの新しいオーナーなのだから。」
「えぇっ!?」
「何だと!?」

先に表情を崩したのは、やはり、幼い二人の方だった。


「妻子のない伯父が遺した遺産を甥が相続する事が、そんなに変な事かな?」
「いえ、別に・・・・・・」

変どころか、全く自然な話だった。
だが、相続云々に関しては納得出来ても、エリックがここを継ぐ理由が分からなかった。


「変じゃないけど・・・・、でも不思議だわ。貴方、トマスには何の思い入れもないって言ってたじゃない。
何でここだけ継ぐの?貴方だってフランスで何か仕事してるんじゃないの?それは放っておくつもり?
それともまさか、辞めてこっちに来たの?」
「辞めてはいないし、無論、放ってもおけない。私の本業はあくまでもフランスでの事業だ。
ここの経営はあくまでも一時的な仕事に過ぎない。いや、仕事というよりは、後始末と言った方が正解だな。」
「後始末だと?どういう事だ?」
「この劇場は、ゆくゆく売るつもりにしている。ただ、建物の状態も経営状態も酷すぎて、現状では売るに売れない。
せめて内装のリフォームをしようにも、その費用すら出て来ない有様だからな。
だからと言って、私が自腹を切るのも馬鹿な話だ。そこで、処分代だけでも稼げるまで、営業を再開する事にした。」

なるほど、確かにそれは尤もな話だった。
もホークも、経営の事や不動産売買の知識などは全く持ち合わせていないが、
それでもこのオンボロ劇場が今すぐ簡単に売れて金になるとは思っていなかった。
だが、それなら話は益々面倒になる。
処分するのにも何かと面倒な遺産など、相続せずに放棄してしまえば良さそうなものなのに、
何故エリックは自ら面倒事を背負い込んだのか、それがには解せなかった。


「それも貴方のお父さんの為?お父さんが尊敬していたトマスの遺したものを、知らん顔して放っておけないから?でも、それにしたってやっぱり不思議よ。
亡くなったお父さんの気持ちを大事にしたいって理由は分かるけど、写真一枚持って帰るのとは訳が違うでしょう?
まして貴方みたいな冷淡な人が、幾ら亡くなったお父さんの為とはいえ、そんな面倒事を背負い込むとは考え難いわ。」
「なるほど、君は意外と鋭いんだな。」

嫌味も交えて率直に指摘すると、エリックは意外そうにを見て少しだけ笑った。


「その通り。父の為というのは、理由の一部分に過ぎない。この劇場を継いだ大半の理由は、私のビジネスの為だ。」
「貴方のビジネスの為?」
「君には昨日、父の事を少し話したと思うが、父はデュシャン家を継いだ後、既存の会社とは別に新しくショービジネスに着手したんだ。」
「ショービジネス?」
「父もそういう類のものが好きでね。はじめは気に入った劇団やダンスカンパニーにせっせと
出資していたのだが、そのうち好きが高じて自前の劇団を作り、ホールまで建てて、
本格的にショービジネスの業界に乗り出したんだ。
ところが、道楽の延長に過ぎなかった筈のそれがどういう訳か大当たりして、いつの間にか元々の事業に取って替わられた。」
「じゃあ、貴方の仕事って・・・・」

エリックはの質問を遮るように、スーツの内ポケットからカードケースを取り出し、名刺を差し出した。
しかし、それはフランス語で書かれていて、とホークにはまるで理解出来なかった。
首を傾げて眺めていると、エリックが見かねたように口を開いた。


「劇場やエンターテイメントカンパニーの経営や出資、そういった類の仕事をしている。」
「じゃあ会社の社長って事かよ?」
「会社や施設を幾つか抱えている企業の会長、というところだ。」

エリックは心なしか、呆れたような顔をしていた。
多分、何て無知なんだろう、とか、これだから子供は、とでも思っているのだろう。
馬鹿にされるのは癪に障るが、しかし、噛み砕いた簡単な説明のお陰で、エリックが何者なのかは理解出来た。
彼が、こんな場末のストリップ劇場には全く似つかわしくない、財産と地位のある男だという事は。


「こっちに来た主な目的は私のビジネスの拡充の為、この米国でのビジネスの足掛かり作りの為だ。
ここは今後、その為の事務所としても使う。だが勿論、私のビジネスとここの営業は別物だ。
私の本業まで手伝わせるつもりはないから、君達は気にせず、今まで通りの仕事をしてくれれば良い。
待遇は以前と変わらないようにしよう。」

ふと見れば、一方的に話すエリックを見ているホークの目つきが、今までにも増して険しくなっていた。


「・・・・気に入らねぇなあ。そんな偉そうに勿体つけられる程の待遇じゃなかったんだけどなあ。」
「ブライアン・・・・・!」

案の定、腹を立てて絡み出したホークを、は慌てて制した。
だがエリックの方は、一人平然としたままだった。


「偉そうに勿体つけられる程の待遇じゃなくても、今の君達には有り難い話じゃないのかな?」
「んだと!?」
「君達の事情は、大体把握している。家出して来て、ここに居着いたのだろう?トマスが死んでからは、
日雇いのような仕事で何とか食い繋いでいる状態だそうじゃないか。」
「何で貴方がそんな事知ってるの・・・・・!?」
「ここに来る前に、色々と調べさせて貰ったのでね。」

言われて初めて気付いたが、よく考えてみれば何も不思議な事ではなかった。
エリックのような人間が、見ず知らずの者からの手紙を頭から信じ込んで何の下調べもなくやって来る訳がないのだ。
トマスの事も、この劇場の事も、そして手紙の差出人である自分達の事も、きっとあれこれと調べてきたのだろう。
は今、エリックに対して初めて警戒心を抱いた。
エリックは自分達の事を知っているが、自分達は彼の事を何も知らないのだ。
素性や経歴は勿論、どんな性格をしているのかも。
仮に彼が自分達の全てを知っているとして、もしも、自分達を犯罪者扱いして通報したり、
或いは脅して便利に使おうとしていたら。
もし彼がそういう人間だったら。
そう思うと、はあの手紙を出した時の、愚かしいまでに素直で単純だった自分達を叱り飛ばしたい気持ちになった。


「再オープンの手伝いもしてくれたら、僅かだが特別手当も出そう。どうだ、悪い話じゃないだろう?」
「・・・・もし断ったら?」
「残念だが、諦めるしかないだろうな。代わりのスタッフを雇う事になるだろう。
だが私としては、勝手を知っている既存のスタッフである君達に引き受けて貰える方が都合が良い。
だからこうして頼んでいるのだが、どうだろうか?」

はエリックの青い瞳の奥に存在するであろう真意を、必死で探ろうとした。
だがエリックは、の鋭い視線にも全くたじろぐ事はなかったし、その言葉にも脅迫めいたものは感じられなかった。
彼が何をどこまで知っているのか、それは分からない。
だが、恐らく彼には自分達をどうこうする気はないようだと、は考えた。


「・・・・・分かりました。戻ります。」

暫しの沈黙の後、はそう返事をした。


「おい!」
「この人の言う通り、悪い話じゃないわ。そうでしょう?」

ホークは冗談じゃないと言わんばかりに目を見開いたが、がそう言うと、渋々引き下がった。
都合が良いのはこちらも同じなのだ。ホークも勿論それを分かっている。
ここの仕事もきついが、それでも、1週間先の目途も立たないような今の生活よりは遥かにましなのだ。


「それで?いつから働けば良い?再オープンの手伝いって、何をすれば良いの?」
「出来れば明日からでも働いて貰いたい。掃除に仕入れ、それから、他のスタッフやストリッパー達に
営業再開を伝えて、戻るよう連絡して欲しい。」
「分かったわ。」

以前の生活に戻れたら、またレッスンを再開出来る。
夢に向かって進んでいく事が出来るのだ。
落ち着いた素振りで頷きつつも、の脚は今にも弾み出しそうになっていた。




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後書き

いやー、何とか年内にもう1話更新出来て良かったです(汗)。
のたくたのたくたと亀のような歩みですが、来年も引き続きお付き合い下さいませ!