祖母達は、一軒の喫茶店へ入った。
二人が席に着くのを見計らって、千堂とも続いて入る。
祖母達の様子が見える場所を陣取り、コーヒーを注文した。
「何話してんねやろ?」
「分からん、でもこれ以上近づいたらバレるやろ?」
祖母達は、何やら楽しそうに会話をしている。
「あー、めっさ気になるわ・・・・。」
「あんたちょっと落ち着きぃや。」
は煙草に火を点けて、ゆっくりと燻らせる。
「やっぱり彼氏なんかなぁ・・・・」
「そやから彼氏言うなっちゅうてるんじゃ。」
何とか会話の断片だけでも聞き取ろうと、耳をそばだてる千堂。
「あかん、やっぱり聞き取られへん。」
「せやから無理やて。まだこれからや。そない急きなや。」
そのまま時間だけが過ぎた。
1時間程経って、やっと祖母達が席を立つ。
「おい、出るぞ!」
「よっしゃ。もうちょっとしたら私らも出よ。」
は、まだ長い煙草をぎゅっと灰皿に押し付けた。
二人が店を出てから、マッハで会計を済ませて外へ出る千堂と。
人込みに紛れて祖母達を見失わないように、少し急ぎ足で距離を縮める。
「おい、タクシー乗るぞ!」
老人と千堂の祖母は、タクシーを拾って乗り込んだ。
「しもた!!武士、早よタク拾って!!」
の号令(?)に従い、通りに出てタクシーを捕まえる千堂。
「どこまで行きまっか?」
「おっちゃん、前のタクシー追いかけて!」
「なんや尾行か?よっしゃ任しとき!!」
祖母達のタクシーの後ろを、つかず離れずの距離をとって走る。
「どこ行く気やろ?」
「さあなぁ。」
密やかなカーチェイスはそのまま15分程続いた。大通りを少し入った所で祖母達のタクシーが止まり、二人が車から降りる。
「おっちゃん、ここでええわ。」
「1200円です。」
千堂は財布から千円札を2枚出して渡す。
「兄ちゃん、釣りは?」
「いるに決まってるやろ。」
「・・・さいでっか。ほな800円。はいどうも。」
「おおきに。」
車を降りた千堂とは、祖母達に気付かれないように距離をとって歩く。
走らなくても見失いはしないが、人通りの少ない場所なので、気付かれないように気をつけなければならない。
万が一の用心の為、は鞄からサングラスを取り出してかけた。
「お前そんなもん持ってきとったんかい?」
「一応な。備えあれば憂いなしや。あんたこそ何かないの?もし振り向かれたらバレるで?」
「あるある。ワイ帽子持ってきてん。鞄に入ってるから取ってくれや。」
は、千堂が背負っているバックパックから帽子を出して渡す。
千堂はそれを目深に被った。
「どや、これでちょっと見ただけやったら分からんやろ?」
「そやな。まあ大丈夫やろ。」
祖母達の後ろをこそこそと歩く千堂と。
やがて祖母達は危険な場所へと入り込む。
「おわっ!!ここ・・・・」
「シー!!!でっかい声出しな!!」
そう、祖母達が紛れ込んだのは、大阪でも指折りのラブホテル地帯であった。
いの一番に良からぬ想像をした千堂は、思わず叫び出しそうになる。
「、どうしよ!!どういうことやねん!!」
「待ちぃや、まだそうと決まったわけちゃうやん。」
は、駆け出しそうになる千堂を押さえ付けて窘める。
「もしどっか入りそうになったらあのジジイ往生させたんねん!止めるなよ!!」
「物騒なこと言いなや、シャレなってへんがな!」
「当然じゃ!!ええ年して色ボケしとったら承知せぇへんぞあのジジイ!!」
今にも飛び掛りそうな勢いの千堂と、それを必死で押さえるは、祖母達の後を追う。
時折すれ違う人はほとんどが男女のカップルで、明らかに『今出ました』もしくは『今からです』という感じがする。
彼らは、殺気立ちながらもこそこそと歩く千堂とをちらっと見ては不審そうな顔を向ける。
「なんじゃあいつら、気ぃ悪いわ!殺したろか!!」
「いちいちキレなや!ほっとき!!」
祖母達はそびえ立つホテルの前を次々と素通りし、神社に入って行った。
「なんや、神社か・・・・。」
「ほらな、違ったやん。」
嫌な想像が外れてホッとする千堂。
近くに寄る訳にはいかないので、少し離れた場所で祖母達を見守る。
二人は本殿に参拝した後、販売所で何かを購入する。おそらく御守りであろう。
何か話しているみたいだが、千堂とには会話の内容は聞こえない。
「何喋ってるんやろ?」
「さあ・・・・。あ、こっち来た!隠れて!!」
二人は慌てて身を隠す。祖母達はそのまま入って来た鳥居をくぐって外へ出た。
千堂とも後を追う。
祖母達は大通りまで出て、再びタクシーを拾って乗り込む。
「またタクか!今度はどこ行くねん!」
仕方なく二人も再びタクシーに乗り込み、祖母達を追跡する。
次にやって来たのは、先程の神社からそう遠くない天王寺であった。
天王寺公園へと向かう祖母達。千堂達も後に続く。
祖母達は公園内をどんどん進んで行き、慶沢園へと入っていった。
しばらくして、二人が立ち止まる。
千堂達は見つからないように木立の影に隠れて、二人の様子を伺った。
「今日は引っ張り回してすまなんだなぁ。」
「ええんよ。わても楽しかったわ。なんや娘時代に戻ったみたいや。」
「そやなぁ。昔はようここに来たなあ。」
祖母達は思い出話に花を咲かせているようだ。
「なんや、昔からの知り合いなんか?」
「そうみたいやな。」
千堂とは気付かれないように声を潜めて喋る。
「ほんまにこうやってもう一回会えて良かったわ。」
「わてもや。もう二度と会えん思とったさかい。」
「最後にここ来たんは、ワシが出征する前やったかな。」
「そうやな。ここでわて御守り渡したやろ。」
「ワシあれのお陰で生きて帰れたんや。今日は御礼参りが出来て良かったわ。」
「なんや、あの神社に御礼参りしに行ったんか。」
「でもまた新しいの買うてたな。」
「今度はワシがあんさんに渡すわ。元気で長生きしてや。」
千堂の祖母に新しい御守りを渡す老人。
千堂の祖母は嬉しそうにそれを受け取る。
「おおきに。でもこれは・・・・」
「ワシはあんさんから貰ろたヤツがあるからええ。」
「なんや、ええ感じやん。あんたが思てるような関係ちゃうんちゃう?」
「・・・そうみたいやな。」
千堂は安堵の溜息をつく。
「ワシな、あん時、もし生きて帰ってこれたら、あんさんに一緒になってくれ言おう思てたんや。」
「なんやてぇ!!???!?」
老人の発言に驚いた千堂が大声を出した。
「アホ!あんた見つかってしもたがな!!」
「なんや武士!?ちゃんまで。あんたらなんでここにおんねん?」
「あああ、それはその・・・・」
「この子らは?」
「ああ、こっちのムサ苦しいのがわての孫の武士や。こっちの娘さんは武士の幼馴染や。」
「ははぁ、そうでっか!お孫さん!!は〜、こら男前や〜!娘さんもべっぴんさんで、美男美女でんなぁ!」
そう言って、老人はカラカラと笑う。
「どうも、です。」
「武士!お前も挨拶せんかい!」
「あぁ・・・、千堂武士です、婆ちゃんがえらい世話になって。」
「大橋です。あんさんのお祖母さんの古い友達ですわ。」
「そ、そうでっか。あ、あの、さっきの話は・・・・」
見つかってしまったものは仕方がない。この際聞きたいことは聞いてしまおう。
そう思い、千堂は老人に話の続きを促した。
「ああ、古い話ですわ。昔そない思とったっちゅうだけのことです。」
「大橋さんは奥さんいてはるんですか?」
も老人に質問する。
「10年前に亡くなりましたわ。」
「あ、そうなんですか、すいません・・・。」
「いやいや。」
「ほんだらまさかうちの婆ちゃんと・・・・」
「武士!お前何ちゅうこと言いよんねん!」
とんでもないことを言い出した孫を叱る祖母。
「はっはっは!そない心配せいでもよろしいわ!ワシはただお別れ言いに来ただけですわ。」
「お別れ?」
「ワシの息子が海外赴任することになりましてな。一緒に来い言われてついて行くことにしたんですわ。」
「そうやったんですか・・・。」
「あんたら何や思とってん。」
「いやワイてっきり・・・・」
「そないな関係やおまへん。こないして会うたんも何十年振りですわ。
戦争終わって何とか帰ってこれたけど、あんさんのお祖母さんはもうあんさんのお祖父さんとこ嫁に行ってはってな。
ワシは仲間と東京で仕事することになって、それっきり会うてへんかったんですわ。」
老人は懐かしそうに語った。
「もう二度と日本には帰ってくることはあらへん思います。そやから最後にちゃんとお別れ言うとこ思て。」
「・・・そうでっか。えらいすんまへん、ワイ・・・」
「このアホが!失礼なこと言いくさってからに。」
「そない怒らんといたってや。お祖母ちゃん思いのええお孫さんやないか。」
「そんなええもんちゃう。ほんまこのゴンタだけは・・・」
「そや、せっかくやさかい、皆で昼ご飯食べに行きまへんか?」
そういえばもうすっかり昼食時だ。千堂との腹の虫が思い出したように鳴る。
「はっはっは!若い人はよろしなぁ!ほな早よ行きまひょ!」
四人は公園を後にして、近くの和食屋に入った。
ゆっくりと食事を楽しみ、二人の昔話を色々と聞いているうちに、すっかり夕方近くになっていた。
「いやぁ、今日はほんまに楽しかったわ。おおきにな。」
「わてこそおおきにな。会えて良かったわ。体気ぃつけてな。」
「あんさんもな。」
二人は名残惜しそうに握手をする。
「せやけど、武士君とちゃん見とったら、なんや若い頃のワシら見てるみたいやなぁ。」
老人は優しく目を細めて千堂とを見る。
「あんさんらも仲良う達者でやりや。ほんでお祖母さんに早よ曾孫の顔見せたり。」
「「なっ!!!!」」
老人の爆弾発言に思わず顔を見合わせて赤くなる千堂と。
「そっ、そんなんちゃいます!ただの腐れ縁ちゅーか・・・」
「そや!その通りや!!」
二人は赤い顔で否定する。
「そない照れいでもよろしいがな。あんさんら仲良え若夫婦にしか見えんで。はっはっは。」
「このゴンタにそないな甲斐性あったらよろしいねんけどな。」
若者二人の必死の抗議を涼しい顔で流す老人達。
「ほなワシそろそろ行きますわ。達者でな。」
「あんさんも。」
最後に老人と祖母は優しい視線を交わした。
その表情は、長い年月を生きた人間の持つ独特のものであった。
恋も愛も友情も、そして醜い感情さえも、全てを味わって超越したような。
千堂とにはまだ分からない、不思議な空気が一瞬二人の間を流れる。
その後、手を振って老人は駅へと消えた。
「ほなワイらもそろそろ帰ろか。」
「そやな。」
「婆ちゃん、今日はごめんな。私ら・・・・」
「ちゃんが謝らんでもええ。どうせ武士がワーワー言いよったんやろ。」
「うん、まあそれはそうやねんけど。」
「おい!」
3人で家路につく。
「なあ婆ちゃん?」
「なんや?」
「あの大橋さんて人がもし一緒になってくれ言うたら、なったか?」
「・・・アホなことを。わては誰とも一緒にならん。」
「・・・そうか。」
祖母の少し後ろを歩きながら、千堂は今まで知らなかった祖母の一面を見た気がしていた。
そしてもまた、その小さな背中を見つめて切ない気分になっていた。
嬉しいことも悲しいことも全て昇華させて凛と歩く祖母の後姿を、二人は無言で見つめて歩いた。