「何やねん、ビビリよってからにアホンダラが。」
夜道をフラフラと歩きつつ、千堂は少し赤らんだ頬を膨らませていた。
先程から口をついて出るのは『ヘタレ』だの『ビビリ』だの『腰抜け』だの、悪口雑言のオンパレードである。
それもその筈、2ヶ月後に予定されていた久しぶりの試合が急遽中止になってしまったのだ。
理由は体調不良という名目での相手選手のドタキャン。ちなみにその名目が事実かどうかは定かではない。
単に怖気付いて逃げたとか何とかいう噂も、実はあったりする。
従って、試合が何よりの活力源である千堂にとって、この不測の事態は実に無念であり、腹立たしい出来事であった。
「あ゛〜飲み過ぎた・・・・・・・」
そして今は、腹立ち紛れにジムの会長やトレーナーの柳岡に散々八つ当たった後、珍しく足元が覚束なくなる程飲んで来た帰り道である。
もういい時間だし、明日の為にもそろそろ帰った方が良いのは分かっている。
だからこそ、こうして大人しく帰り道を歩いている。
だが、まだ何かがスッキリしない。今一つ気分が晴れない。
「・・・・・・・そうや!」
何かを思いついた千堂は、急にそれまでの膨れっ面を笑顔にすると、自宅へ続く道とは一本違う筋に進路を変えた。
「えっ、嘘やん!?それホンマなん!?」
いやいやちゃうやろ、普通はまず『こんばんわ』とか『いらっしゃい』とかやろ。
と突っ込みかけて、千堂は口を噤んだ。
は別に自分に声を掛けた訳ではない、誰かと電話中だったのだ。
ベッドにうつ伏せに寝そべり、こちらの方にパジャマのズボンに包まれた丸い尻を堂々と向けて、携帯片手に笑っている。
折角と馬鹿話でもしてスッキリしようとやって来たのにあんまりだ。
千堂は少し面白くなさそうな顔をしながら、それでも電話の邪魔にならないよう遠慮がちな声を出しての部屋に入った。
「お〜〜っす・・・・・・・」
「ん?ああ・・・・・・・・、あ、ううん、何でもない。ほんでほんで?どないなったん?」
「『ああ』って何じゃい『ああ』って・・・・・・。」
ところがは、ちらっと千堂を見ただけですぐに電話へと戻ってしまった。
全く取り付く島もない、つれない態度である。
だが、の喋っている内容から察するに、話題はとりとめのない与太話のようだ。
やがて終わるだろうと睨んだ千堂は、取り敢えず電話が終わるのを待ってみる事にした。
だが。
「あっ、そうそう!それで思い出してんけどな、こないだな・・・・」
「まだ喋るんかい・・・・・」
30分が経過しても、が電話を切る素振りはなかった。
電話から時折洩れて来る声はややテンションの高めな黄色い声で、恐らくの女友達なのであろう。
「ええ加減に切れっちゅーねん。」
『女は何でこうも長電話が好きなんや』とうんざりしつつ、いい加減痺れを切らし始めた千堂は、腹いせと暇潰しにの髪をクシャクシャと掻き乱してみた。
「もぉっ・・・・・、え?あ、ううん、何でもない。ほんでな・・・・・」
だがは、僅かに不愉快そうな顔をして髪を直しただけで、千堂の事は完全無視である。
とはいえ、別に嫌われている訳ではない。
とはいつもこうなのだ。
良く言えば空気のような存在、悪く言えば今更意識し難い関係、従って、千堂が遊びに来た位でが電話を切るような事は有り得ないのだが。
― ちょっとは傷ついてるワイに構ってくれてもええやろが。
そうと分かっていても、今夜は悲しい。
折角決まった久々の試合をキャンセルされた事で、千堂は怒ると同時に落ち込んでもいたのである。
「なぁ、・・・・・・・」
「そうそう、そうやねん!私も前からそう思っててん!」
「なぁて・・・・・・・」
珍しくしこたま酒が入っているせいだろうか、偶に見せてくれるの優しさが、今夜は無性に欲しい。
千堂は猫撫で声を出してのすぐ側に張り付き、髪を触った。
だが結果は同じ、ぞんざいに手を払い除けられるだけ。
素っ気無いその態度に益々妙なやる気を出した千堂は、負けじとの首筋を撫でた。
「うひゃっ!・・・・え?あ、ううん、何でもないねん。ちょ、ちょっと待っててな!」
そこでようやく、は電話を耳から離した。
そして、電話の相手に声が聞こえないようにする為か枕の下に携帯を押し込むと、千堂をきっと睨んだ。
「ちょっと、アンタさっきから何してんねんな!」
「うひゃ、て。色気ない声やなぁ。」
「やかましわ!さっきからゴソゴソゴソゴソ邪魔ばっかりして!」
「お前こそさっきから何時間電話しとんじゃ。ええ加減切ったれや。」
「無理、今話盛り上がってるとこやねんから!・・・・・っていうか、あんた酔ってる?」
千堂に鼻を近付けて匂いを嗅いだは、遠慮なく顔を顰めて『酒くさっ』と言い捨てた。
「お〜う酔ってるでぇ〜〜。それがどないした。」
「はぁ〜・・・・・、えらい酔うとんな。酔うてんねやったら早よ家帰って寝たら良いやん!こんな時間に何しに来てんな!?」
「『いけず』やなぁお前。そんな言い方せんでもええやろが。」
千堂は憮然とした顔をして、を恨めしげに見つめた。
「ちょっとな・・・・・・、今日はな。お前に会いたいなっちゅーかな。そういう気持ちにな、なったっちゅーか・・・・・・」
「何やその甘えた声は。・・・・・・・意味分からんし。」
は憎まれ口を叩きつつも、千堂を追い出すような事はしなかった。
多分、千堂のふざけた口調の裏に、酔ってしまいたくなるような何かがあった事を悟ったのだろう。
「まあ・・・・・、何があったか知らんけど、今ちょっと電話中やから・・・・・」
「まだワイの事無視するんか?」
「無視ちゃうがな、絡みなや!ホンマこの酔っ払いは・・・・・。もうちょっとしたら電話切るから、そしたら話聞くから!それで良いやろ?」
「・・・・・・・・・」
「それまで適当に好きにしといて。分かったな?」
諭すようにそう言った後、は再び電話へと戻った。
待てと言われれば待ちたくなくなるのが、自分でも不思議だが正直な気持ちである。
千堂は再びベッドにうつ伏せて話し始めたを見つめた。
― こいつワイの事全然意識してへんな・・・・・・
官能的とはお世辞にも言い難いパジャマに包まれていても、そこに薄らと浮かんでいる身体のラインは紛れもなく『女』のものだ。
にも関わらず、は全く気にしていない。
こうして見られている事さえ気付いていないかもしれない。
半ば呆れつつ無防備に投げ出されているの背中や腰を見つめていると、千堂は不意にそれらが『触って』と囁く声を聞いた気がした。
たとえ都合の良い幻聴に過ぎないにしても、だ。
「・・・・・・」
パジャマの上から、まっすぐに伸びている背筋を指で一撫でする。
だが、は相変わらず何も気にしていない。
男に背中を触られる事はにとって何でもない事なのだろうか、いや、多分違う。
は千堂を男と思っていないのだ。
そう考えると無性に癪に障り、千堂は更に弄る手を伸ばし始めた。
背中から腰へ、腰からヒップへ、そして太腿へと。
友愛を示すスキンシップではなく、男が女を求める時の仕草で。
「ちょっ・・・・・」
「ええねん、ワイの事は放っといてや。今盛り上がってるとこなんやろ?」
流石に気にし出したに、千堂は拗ねたような口調で言った。
「ワイは一人で適当にしとくさかい、放っといてんか。」
「何言うてんねん!適当にっていうのは普通本読んだりする事・・・!」
「ええからええから。」
は、電話の相手に聞こえないよう小声で言い返してくる。
だが、千堂は聞く耳を持たなかった。
そればかりか、逃げようとするを押さえ込むように徐々に腕に力を込め、益々行為をエスカレートさせていった。
具体的に説明すると、パジャマの上着を捲り上げ、露になった背中に留まっているブラのホックを外し、敷布団に押し付けられている乳房を弄ろうと、の身体と敷布団の隙間に手を捻じ込み始めたのである。
「ちょっとアンタ・・・・!何が『ええからええから』やねん・・・・!」
「電話中なんやろ?相手に聞こえてもええんか?」
「なっ・・・・!」
が怯んだ隙に、千堂の指先がの胸の先端を捉えた。
「ちょっ・・・・!ゃ・・・・・・・」
『もしもし、?どしたん?』
それとほぼ同時に、電話口からの様子を訝しむ相手の声がする。
の胸の突起を親指と人差し指で磨り潰すようにして弄りながら、千堂はの耳元に囁きかけた。
「シィ〜ッ、向こうに聞こえるで・・・・・。」
「あんたなぁっ・・・・・!」
「ほれ、早よ喋ったれや。」
「っ・・・・・・・!」
ほんのりと朱に染まった顔で千堂を睨むの目は、『アンタ後で覚えときや!』とでも言いたげだった。
その証拠に、は千堂に向かって小さく舌打ちすると、負けて堪るかとばかりに再び千堂を無視して会話に没頭し始めたのである。
「あ、ううん、何でもない!そうそう、ほんでやなぁ・・・・・」
はまだなお千堂の手を拒もうとしながらも、努めて明るい口調で電話を続けている。
その話し声を聞きつつ抵抗をいとも容易く受け流しながら、千堂は一心不乱にの肌を弄った。
確かに、複雑な気持ちではある。
普通ならば、男に身体を弄られながら友達と電話を続けられる訳がない。
それが出来るという事は、やはり自分はにとって『男』ではないのだ。
そう考えると、情けないやら悲しいやら。
だが。
― あぁ〜あかん・・・・・、マジになってまいそう・・・・・・
悲しい哉、千堂は男以外の何者でもなかった。
半分いじけながらでも、柔らかい肌を弄っている内に自身が自然と昂り始める。
「っ・・・・・・!そ・・・・、そうそう、そうやねんて・・・・・」
そしてもまた、女以外の何者でもなかった。
抵抗も虚しく千堂に胸を弄られて時折声を詰まらせるは今、明らかに『女』の顔をしていた。
「今度皆でそこ食べに行こうや・・・・、よ、よっちゃんとかも誘って・・・・・」
声のトーンが次第に下がり始め、切なげに眉を顰めているを見て、千堂は決断した。
「なぁ、・・・・・・・・」
「っ・・・・・・・!」
「いけずばっかりせんと、ちょっとはワイにも・・・・・、構ってくれや・・・・・・・・」
熱い囁きと共に、千堂はの耳朶を甘く噛んだ。
確かに、酒の勢いのせいかもしれない。
構って欲しくてやって来たのに、なかなか構って貰えなくて拗ねているだけかもしれない。
だが、そうであれどうであれ。
「なぁ、・・・・・・・・・・」
翌朝悔やむ事だけは絶対にない。断じてない。
酔って前後不覚な頭でも、その確信だけは確かに持てた。
「・・・・・・・・・」
千堂は、手をのパジャマのズボンの中に入れた。
そして、ショーツの上から恥骨の辺りを軽く撫でた後、一思いにその中にまでも手を這わせた。
「ゃっ・・・・・・・・!」
「なぁ・・・・・、ええ加減にワイの事見てぇや・・・・・」
「ちょ・・・・・・、んっ・・・・・・・!」
柔らかい茂みを指に絡ませ、その奥にひっそりと息づいている花芽に触れた瞬間。
の声が変わった。
― あっ・・・・、あかん、あかんて武士・・・・・!今電話中・・・・!
― ええ加減切れや。ワイずっと待っとってんぞ。もうこれ以上待ったれへんからな。
― でも・・・・、あんっ・・・・・・・!
― 久々の試合の相手に逃げられた上に、お前にも無視されたら堪らんわ。こんな時位、ちょっとはワイに優しくしてくれてもええやろ・・・・・・・?
― 武・・・・・、あぁっ・・・・・・・!
― なぁ、・・・・・・・・・・
「なぁて・・・・・・・・、構ってくれやぁ・・・・・・」
「何を言うとんねんこの酔っ払いは!」
赤い顔でムニャムニャと寝言を呟く千堂を、負けない位に赤い顔をしたが睨み付けた。
「調子乗ってパンツの中にまで手ェ突っ込んで来てからに!このどアホ、どスケベ!」
「ん゛ん゛〜〜〜・・・・・、ぃらぃぃ・・・・・・・」
頬をバシッと叩いてやると、千堂は鼻に掛かるような呻き声を上げた。
しかしその瞳はぴったりと閉じられており、たった今呻き声を上げた唇からは既に心地良さそうな寝息が洩れている。
どうやら、人の身体を触るだけ触って熟睡してしまったようだ。
ショーツの中にまで手が伸びて来た時には流石に逃れられないと覚悟し、慌てて電話を切ったというのに、何という様であろう。
とはいえ、寝付いてくれなければ今頃は本当に洒落にならない展開になっていただろうから、としては九死に一生を得た気分だったのだが。
「・・・・・・・ホンマにもう。」
しかし、『助かった』という安堵感に満ちている心の片隅で、少しだけ罪悪感が息づいている。
もっと怒って家から叩き出してやっても良いと思うのに、千堂の寝顔を見ていると何故かそう出来なかった。
自分でも不思議だが、無遠慮に身体を弄られた腹立ちや恥ずかしさよりも、友達との電話につい夢中になって千堂の話を聞いてあげられなかった事を申し訳なく思う気持ちの方が強かったのだ。
「・・・・・・・話は明日聞いたるから、今日は大人しく寝とき。」
今夜、千堂に何があったのかは知らないが、少なくともそれなりにショックな出来事だったのには違いあるまい。
今夜中に聞いてあげられなかったお詫びに、明日は千堂の気が済むまで話を聞いてやろうと考えながら、は押入れからもう一組布団を出すと床に手早く敷いた。
そして、ベッドの上で大の字になって眠りこけている千堂に布団を掛け、
部屋の電気を消す前に、軽いビンタをその頬にもう一発お見舞い。
千堂は眉を顰めはしたが目を覚ますまでには至らず、大きな寝息を吐いてゴロリと寝返りを打っただけだった。
「おやすみ、『甘えた』。」
やがて真っ暗な部屋から、二人分の平和な寝息が聞こえ始めて。
今日はこれにて 終・了。