窒息!?続き
退院の日。若い看護師さんにだっこされて幸せ♪
でも俺の顔をつついて邪魔するのは誰だあ!?
(答え:N主任さん)
処置をしてくれたベテランの先生とその日の夜間当直担当の先生から、説明を受けた。
”ゆーさくちゃんは、ひどい肺炎をおこしています。しばらく呼吸が落ち着くまで挿管し、抗生物質等の点滴治療をおこないます”と言っていたと思う。
さらに、当直の先生は、入院当初の咳き込みはおそらく喘息性気管支炎でなく気管支喘息であったであろうといった(聴診で聞こえる音は同じなので診断は難しいようだ)。
気管支喘息は気管が収縮し、気道が狭くなるのだ。
そこへ、嘔吐物を大量に気管に誤嚥し、喉にも詰まらせたようであった。
その日の夜、私は全く寝れなかった。
ゆーさくの咳き込みは断続的にではあるが、一晩以上続いたのだ。
さらに、咳で痰があふれ出る。
夜も朝も関係なく、10分おきには吸引が必要であった。
また、私はことの重大さに、あとから恐怖を感じていた。
この事件がおこったときゆーさくは死に直面していたということ。
さらに、病院に入院中だったからよかったものの、もし家でこんなことがおこったら・・・。
考えれば管合えるほど怖くて寝れなかった。
次の日も断続的な咳は続き、痰の吸引が続いた。
そして、3日目くらいに、やっと咳き込みや痰の吸引はマシになる。
私自身も少し落ち着き、夜も寝れるようになった。
そして、その数日後、挿管カニューレが抜けた(自己抜管)したのだが、再度挿管しなくても大丈夫そうだったので、そのまま気管内挿管は終了。
後は、通常の酸素療法だけに戻った。
日に日に肺炎も落ち着いてきて、徐々に点滴もなくなり、しばらく様子をみてから退院となった。
しかし、肺に受けたダメージが大きかったせいか、入院前は在宅酸素療法の酸素流量は1Lだったのだが、この入院で1.5Lに増えその状態で退院することになった。
この事件はかあちゃんにとって忘れようにも忘れられない事件となった。
生まれた直後の酷仮死状態のゆーさくのことも覚えてはいるが、そのときはまだ自分の子供という実感があまりわいてきていなかったのもあったかもしれないせいか、”死んでしまうかもしれない、でもなんとか助かって欲しい”と祈る気持ちでいた。
しかし、今回は”自分の子供が死んでしまう”という恐怖とショックで一杯で、たすかるとかそういうことは一切考えることができなかった。
かあちゃんは比較的客観的で冷静な方で滅多にパニックになることはあまりないと思うのだが、このときだけはかあちゃんがパニックになったのだ。
とうちゃんは現場を知らない。
とうちゃんは”俺がその現場にいたら、ぶっ倒れてたかも。”といっていた。
そして、主治医の”呼吸トラブルはすぐ命に関わるから・・・”という言葉に、かあちゃんは今までゆーさくの呼吸面に無頓着だったとこを反省する。
今回の嘔吐物の誤嚥し窒息したのも、元はと言えば。ゆーさくが摂食障害でモノをうまく飲み込むことが出来ない上に、喘息性気管支炎で気道が狭くなっていたから起こったことであった。
とうちゃんもかあちゃんも、”ゆーさくはあるけるようになるのか?”などといった体の運動面の発達ばかりを気にしていたのだ。
運動機能以前に、ゆーさくの体調面にもっと毎日気をくばらないといけないのだ。
またいつこういう呼吸トラブルに会い、ゆーさくにしんどい思いをさせるのかわからないのだ。
私が思っていた以上に、ゆーさくは命がけで生きている・・・私が思っていた以上、ゆーさくの障害は全身にわたっていて重いのではないか・・・そのことを思い始めるきっかけとなった事件であった。