在宅酸素療法開始

初節句

鼻にチューブがふたつ。
NICU看護師さんに抱っこされてご機嫌

 ゆーさくの発達を診てもらっていたC病院での診察のときのことである。
 当時、ゆーさくはよくむせて吐くことが多く、このときの診察中にもむせて吐いた。
 それを見たC病院の主治医は、ゆーさく君はそういうはき方をよくしますか、と聞く。
 私がはいと答えると、先生はカルテをめくりながら、”体重も最近増えていないね。誤嚥性肺炎を起こしている可能性があるから、レントゲンを撮りましょう”といい、レントゲンの指示を出した。
 レントゲン撮影後、主治医はレントゲン写真を見ながら、”肺炎まではいかないけれど、肺炎になりかけているところがある”といった。
 さらに、ゆーさくの胸と首の付け根辺りの陥没呼吸を指摘する。
 ”ゆーさくくんはかなり努力呼吸をしています。かかりつけのB病院で入院しなさい。数日の酸素療法でなおるはずです。紹介状を書きますから。すぐB病院に行きなさい”と言った。

 その日は、とうちゃんもたまたまやすみで一緒に診察に来ていた。
 とうちゃんもかあちゃんもC病院の主治医にそのようにいわれ”へ?”と拍子抜けをした。
 B病院には定期的に診察にいっていて、特別なことは言われていない。
 よく吐くからといって、特別にそのころのゆーさくの調子が悪いとは思っていなった。
 これがゆーさくにとっては普通だと思っていたのだ。

 B病院へ行く。
 主治医がC病院からの紹介状とレントゲンをみた後、わたしたちは診察室に呼ばれた。
 主治医は少し苦笑いをしていた。
 ”このレントゲンのゆーさくさんの肺の白いのはきゅうな病気ではなくて、未熟児慢性肺疾患でずっとこんなものなのです。しかし、体重が増えていないのは事実。障害児の専門のベテラン医がいうことですし、陥没呼吸改善の為に酸素療法をやりましょう。また、体重を増やすためにミルク注入を全面流動食注入に切り替えるのと、お母さんに痰や嘔吐物の吸引方法を覚えてもらいましょう。ここで入院していろいろやってみることはあります”と主治医は言った。
 こうして、NICUを卒業して、初めてB病院に入院することになった。
 
 入院が決まり、用意された病室に移動して一段落する。
 主治医が血中酸素飽和度を計るサチュレーションモニターをもってきた。
 NICU入院中ゆーさくがつけていたものだ。
 懐かしいけれど、これにまたお世話になるのかあ、と少し複雑な気持ちになる(結局、それ以後サチュレーションモニターを再びおさらばすることはなくなってしまったけど)。
 そして、酸素療法も準備され、ゆーさくの鼻に酸素カニューレがつけられる。
 ゆーさくの鼻の穴の片方にはすでに経管栄養のNGちゅーぶがついている。
 酸素カニューレは両方の鼻の穴に先が少し刺さるようになっているため、ゆーさくの鼻のかたほうには2本の管がささることになり、鼻の穴がすこしひろがってしまう。
 少しブサイクな顔になった。
 さらに、それまで粉ミルク食だったのが、流動食に変えられた。
 そして、入院してすぐかあちゃんととうちゃんは痰の吸引方法を教わる。

 入院してしばらくして、そろそろ酸素両方を止めようか、という話が出てきた。
 ところが、酸素の量をへらしたら、ゆーさくのサチュレーションの数値も下がるのである。
 もちろん、酸素両方で少し楽な呼吸をしていて、それが急に止められると一時期的にしんどくなるのは、どの人にとってもよくあることだ。
 しかし、ゆーさくのサチュレーションはなかなか戻らないし、全身に筋緊張が入るようになる。
 結局、酸素療法を止めるのは長期的にいこう、ということになる。
 未熟児慢性肺疾患で、酸素療法を必要とする子供はよくいるとのことで、ムリにやめなくても、本人がそれで楽に生活できるのならばやめずにこのまま様子を見よう、ということになった。
 
 しかし、酸素療法が止められないといって、ずっと入院しておくわけにもいかない。
 主治医は、退院後も家でけいぞくして酸素療法ができるようにしましょう、と言い出した。
 そして、主治医が在宅酸素療法に必要でなおかつ家や保育園登園するのに扱いやすい酸素装置をさがしてきてくれ、どのように生活をするのか説明をしてくれた。
 病院にも同じ装置があり、実際にそれを使いながら退院まで、病室を出てさんぽしたりリハビリ室に移動してのリハビリをおこなった。

 在宅酸素療法の準備を行い、ゆーさくの注入や痰の吸引などのことも一段落したところで、退院となる。
 退院の日は、私たちが自宅に到着する時間を見計らって、酸素装置のメーカー担当の方と、酸素業者の方が自宅にきてくれ、酸素装置の搬入や改めての使用方法などの確認を行なった。
 サチュレーションモニターもレンタルさせてもらい、家でも使うことになった。
 こうして、在宅酸素療法は開始された。

 C病院での思いがけない診察から、B病院での入院、在宅酸素療法開始、とバタバタと状況が変わってしまった。
 かあちゃんは何とか現実を見定め対応していくのに精一杯だったのだが、昼間は家を離れ生活費を稼がなければいけないとうちゃんは、現実を見るだけで精一杯で受け入れようとする前に新たなことが起こり少しパニックになっていたようだ。

 しかし、この入院は、ゆーさくの呼吸障害が露見していく初の出来事であった。