気管切開手術

 1月14日午前、「そろそろ行きましょう」という声で、とうちゃんがゆーさくを抱っこして家族3人+看護師さんで手術室へ向かった。
 「とうとうゆーさくの喉に穴が開くのか・・・」
 ゆーさくが手術室の看護師さんにだっこされ手術室へ入るのを見送りながら、かあちゃんはふとそう思ってしまった。


 1月6日に手術先D病院に入院し、手術前の採血やレントゲンや心電図の検査を行った。
 手術前に1週間の入院をとったのは、日ごろのゆーさくがどういう状態なのか、D病院の小児科の先生も把握するためでもあった。

 丁度、入院の週末は3連休であった。
 この3連休は、検査もなにもないことから、一時外泊で自宅に帰る。
 3連休の中日は、すこし遠くへドライブに行った。
 今から思えば恐ろしいことをしたなあ、と思っている。
 天気が悪く雪が舞う中のドライブ、途中よった日本海岸沿いの公園では死にそうに寒い思いをしたのである。
 ゆーさくに風邪をひかせたらオオゴトであった。
 でも、大丈夫だった。
 ちょっとした手術前の思い出だ。

 手術は30分、前後の時間を合わせると1時間もかからない手術といわれていた。
 予定通り、40分くらいだったか、看護師さんが、病室でまっていた私たちのところへ「手術が終わって今こっちに戻ってきています」と言いにきた。
 耳鼻科の先生がゆーさくをだっこして手術室から小児病棟までつれてきてくださったのだそうだ。

 術後のゆーさくが病室に戻る。
 ゆーさくの喉には、少し血まみれで気管の管(カニューレ)が刺さっており、酸素マスクを喉にしていた。
 「あー、気管切開とうとうしちゃったなあ・・・」  


 ゆーさくの喉にとうとう孔をあけちゃった・・・
 ゆーさく、呼吸が楽になったのかな・・・。
 でも、今は手術の傷が痛いんだろうな・・・。

 この選択は本当によかったのかな・・・
 これからゆーさくの本当に呼吸トラブルはなくなるのかな・・・
 気管切開することでゆーさくとの生活はどう変わるのかな・・・。

 
 いろんな想いが頭の中をかあちゃんの頭の中でぐるぐる回る。
 しかし、つかの間のことであった。
 麻酔から覚めたゆーさくは、以前2回気管内挿管をしたときと同じ状態になる。
 なかなか止まらない酷い咳き込みとあふれ出る大量の痰。
 「手術直後は痰の多い子にはよくあることです」小児科の先生が言った。
 私も納得、というよりこうなるんだろうなという予測はついていた。
 気管内挿管時と同じ感覚で、その対応に追われることになる。

 手術から2,3日後。
 ゆーさくの一度始まったら止まらない咳き込みは、まだまだ日に何回もあった。
 痰もそのたびにあふれ出る。
 小児科病棟の看護科長さんが、引継ぎの際、ゆーさく担当の看護師さんに言う。
 「夜間、咳が止まらなくなったら、絶対自分たちで何とかしようとせずにすぐICUに連絡とりなさい。呼吸は命に直結してるのだから。・・・」
 どうやら、ゆーさくの咳き込み具合と多量の痰は、尋常ではないようだ。 
 「そろそろ、落ち着くはずだけどな・・・」小児科の先生は言った。
 「カニューレが気管に当たっていて過剰に咳いている可能性もある。カニューレをオールシリコンのやわらかいのにして、痰も出やすいようにサイズももう一つ大きくしてみましょう」耳鼻科の先生は言った。
 
 手術後1週間くらいで、退院予定だった。
 しかし、咳き込みや多量の痰が気持ちマシになったのが、手術後4,5日たってから。
 気管カニューレを変えても、目に見えて状態が落ち着くことはなかった。
 とうとう「ここまで痰の多い子は、殆ど見たことがない」30代くらいの小児科の先生が言った。
 
 しかし、咳きこみは、日に何回かに減ってはいた。
 とはいえ、その何回かの咳き込みはほっとけば30分も1時間も咳き込む。 
 「いつ咳き込みが始まり、どれくらい続くのだろう・・・」とうちゃんとかあちゃんは爆弾を抱えていたようだった。
 看護師さんも対応に困っている様子だった。
 小児科の先生がとうとう「鎮静剤を使いましょう」といった。

 咳きこみが始まると鎮静剤の座薬をいれる。
 しばらくしてゆーさくは落ち着き寝に入る。
 とりあえず、咳き込みがとまるから、一安心だ。
 鎮静剤に頼りつつも、少しゆーさくの状態に余裕が出てきたところで、かあちゃんは看護師さんに気管切開のケアの扱いを教わる。


 こんな調子で手術後10日たったところで、初めて試験外泊で一度家に帰ってみることになった。
 とうちゃんが仕事だったけど、車を病院に持ってきてもらい、かあちゃん1人で強行した。
 D病院から家まで車で15分。
 10分の間に何回も吸引したくなる。
 しかし、かあちゃん1人で運転していて、車を止めるまには家まで一気に帰るほうがいい、と思い、必死で運転する。
 
 ちなみに試験外泊での家での様子の記憶は殆どない。
 それだけ家での気管切開のケアについては、実際試験外泊で1人でやってみても、全然余裕だったということであろう。
 しかし、病院への行き帰りの片道10分だけからでも、かあちゃん1人での移動の際の痰の吸引の多さに少々うんざりだったのは覚えている。
 「保育園やB病院に行くのに、私1人でキビシイなあ」と感じた。

 家でのケアについては問題なかったので、試験外泊終了の週末に退院することになった。
 予定より10日遅かったけれど・・・。
 小児科の先生はB病院の主治医に電話連絡をとり引継ぎをしてくれ、次回のB病院での診察日の予約まで取ってくれた。

 また、退院の前日、かあちゃんは耳鼻科の先生に、気管切開の気管カニューレ交換を教わる。
 実際、やってみたのだけど、簡単であった。
 しかし、ゆーさくの喉にぽっかり開いた孔・・・少々複雑な気持ちになる。

 手術から2週間半。
 この2週間半は、ゆーさくの咳き込みと多量の痰の対応に追われていた。
 また、手術前に行っていたネーザルCPAPは、気管切開により確実に気道が確保されるようになり、離脱できるようになった。
 しかし、B病院主治医が「ひょっとしたら、呼吸がしやすくなることで、酸素投与もいらなくなるかも」と言っていたけれど、酸素の離脱はできなかった。
 ゆーさくの呼吸障害は舌根沈下などによる気道だけでなく、やはり肺そのものの問題もあるのだろう。
 「手術して本当にゆーさくは呼吸が楽になったのかなあ。よかったのかなあ・・・」その想いは完全にぬぐいきれなかった。


 こうして、気管切開手術を終え、ゆーさくは家に帰る。
 自宅での気管切開管理が始まった。
 ケアのやり方に関しては、やはり「やってみれば何てことない。慣れるまでの問題だ」、そんな感じであった。
 一方であいかわらず、たまに咳き込みがあり、何十分も咳く。
 それに対してはD病院入院中同様、鎮静剤を入れて乗り切っていた。

 困ったのは、B病院への通院などの、外出。
 B病院へは自宅から車で30分くらいで、山道を抜ける。
 山道なのでなかなか簡単に車を止めて、痰の吸引は出来ない。
 途中、唯一あるコンビニには必ず止まり吸引をするようにはしていたけれど、吸引はそれだけでは間に合わなかった。
 今思うと、とても恐ろしい通院だったような気がする。

 気管切開をして大きく生活が変わったとは思わなかった。
 しかし、ゆーさくの呼吸状態が落ち着いたかと言われれば、そうでもないような気がしていた。
 外出の困難さ、鎮静剤を使う日常、それらに「今後もこれが続くのかな、これがゆーさくには普通なの?」なんとなく不安があった。
 
 ・・・その不安は的中する。
 D病院を退院し2週間後、そろそろ保育園に復帰しようとしていた矢先に、ことは起こる。