妊娠中のかあちゃんは友達の家で出血。
あわてて病院に行き診察を受けた。
しかし、2日前確認できなかった胎児の心臓がこの日は確認できた。
出血はしてるけれど心臓が動いているし、とにかく安静にしてください、といわれ、その日は帰宅した。
しかし、夜になると、出血は激しくなる。
さらに、おなかも痛くなってくる。
さらには、結構な血の塊も出た。
その塊を見た瞬間、「あーもう駄目だ」とかあちゃんは思う。
かなり酷い腹痛が来た時点で、再度、病院に行くことにした。
かあちゃんの腹痛が酷かったので、ゆーさくをつれてとうちゃんの運転で病院に向かう。
再度、診察をしてもらった。
先生は、エコー検査をしながら”あっ・・・”という表情をしながら言った。
「夕方見えていた心臓が、どこにも見えない・・・。」
しかし、見落としている場合があるかもしれないので、一晩様子を見ましょう。まだ流産確定ではありません。望みはあります。と先生はいう。
かあちゃんは、入院をすることになり、入院の手続きをして、病室が用意されるのを待つ。

丁度次の日からとうちゃんは年末休暇に入る日であった。
丁度かあちゃんが入院しても、ゆーさくはとうちゃんが看ることができた。
しかし、とうちゃんは「俺一人で大丈夫かなあ」と、かなり心配でせっぱ詰まっていた。
私の流産のことよりも、自分自身のことで一杯一杯の様子であった。
そこへ、救急外来の看護師さんが「ゆーさく君のお母さん、○○先生が心配してはりますよ」と声をかけてきた。
そしてゆーさくの主治医が様子を見に来てくれる。
当直の日であった・・・って、小児の当直なのだけど。
不思議なもので、その時は私の産婦人科で救急に来たというのに、ゆーさくの主治医に会って私はほっとする。
「やっぱり、挿管して転院して、これから気管切開も待ってるし、妊娠と同時進行は精神的にきつかったですわぁ。」と主治医に言った。
かあちゃんが感じていた本音だった。
それをゆーさくの主治医に言ったら、かあちゃんは涙が出てきたのであった。
とうちゃんに、さらには他の人にはこんな弱音は吐けなかったのだけど、ゆーさくが悪いときいつも何とかしてくれた主治医の前ではつい弱音を吐いてしまう。
後にも先にも、この妊娠流産の過程において、私が泣いたのはこのときだけであった。
その後、主治医はただで(?)ゆーさくを聴診、「うん!ゆーさくさんは、調子いいです。」と言ってくれた。
かあちゃんは、我に返る。
あいかわらずゆーさくを一人で看るという不安一杯のとうちゃんに
「ちょっと、ちゃんとしてよ。先生、ゆーさくは調子いいってくれたんだから、大丈夫やって!」
といいながら、かあちゃんはとうちゃんのケツをたたく。
涙は消えて笑いとなった。
そして、かあちゃんは入院。
とうちゃんはゆーさくをつれて家に帰る。
一晩、かあちゃんは、お腹の痛みにもだえていた。
次の日の12月29日。
朝、再度かあちゃんは診察を受けた。
やはり心臓は確認されない。
「ほぼ流産だと思ってください。今後の妊娠のことを考え、子宮内清浄の処置を薦めます。全身麻酔の手術となりますが、今日、手術室が準備出来次第行い、麻酔が切れて落ち着けば今日中に退院できます。
でも、可能性が0というわけではないので、もう1,2日様子を見ることも出来ます。」と言われる。
かあちゃんは、早くから駄目な予感がしていた。
また、昨日からのお腹の痛みはゆーさくが早産で出てきたような陣痛に似ていて、とういうことはお腹の胎児はでてこようとしているように私は感じた。
でてこようとしている、ということは、もうこれ以上妊娠の継続を胎児も拒否しているというように私は考えた。
さらに、現実的にゆーさくやとうちゃんのことを考え、可能性が0に近いことに期待して何日も入院している場合ではないと思った。
私は言った。
「上の子のこともありますし、いいです。手術してください。」 
こうして、流産が確定し、お腹の胎児を降ろすことになった。
ちなみにとうちゃんは、家でゆーさくの面倒を看るのに精一杯だったようで、「手術してもう降ろすねんけど・・・」と電話をすると、「今、まだゆーさくの朝の注入中や。すんだら、ゆーさくとそっちへいく」という返事。
電話越しにTVの音は聞こえていたけど、いつもならとうに注入は終わっている時間なのに終わってなくて、とうちゃんはゆーさくの世話の流れについて要領が全くわからず必死であったようだ。
結局、手術後にとうちゃんは病院に来た。
手術後、麻酔がきれて、落ち着いた頃、再度診察を受けた。
先生は言った。
「出してみると、染色体異常かなにかで元から育つような子ではなかった。決して、母体に問題があるとかではなく、お母さんが無理をしたとかそういうわけではなく、始めからこうなる妊娠だった。こういう流産はたくさんあります。」
どのような結果であれ、 お腹の中に宿った子には申し訳ないのだけど、かあちゃんは少しほっとした。
やはり、ゆーさくの主治医の前で吐いた本音のとおりで、このときのかあちゃんには精神的な余裕がなかった。
また、ゆーさくを一人で看ないといけないという状況にさらされると、一杯一杯になり、かあちゃんやお腹の子供を考える余裕がなくなるとうちゃんが傍にいた。
お腹の中に宿った子供は、そんな余裕のないとうちゃんやかあちゃんを理解し、「じゃ、また出直してくる」と去っていったようにさえ感じる。
親の身勝手な解釈だけど。
ゆーさくがA病院を退院して、気管切開の為に次D病院に入院する2週間くらいの間の出来事であった。
気管切開後は気管支喘息の本格化で我が家はバタバタし続け、ゆーさくは在宅であまり生活が出来なくなった。
流産のタイミングがもう少し遅かったらたいへんなことになっていたのである。
また、もし無事次の子がお産できていたとしても、それはそれでもっと大変なことになっていたのであった。
ま、何とかなっていたかもしれないけれど・・・。