転院先でA
転院先のA病院とかかりつけのB病院での、先生の治療方針や看護師さんの対応の違いにかあちゃんは戸惑いつつ、A病院での入院生活は始まった。
ゆーさくは、呼吸器治療を開始して、2日後くらいに、異常に咳き込み続けるような状態は落ち着いてきた。
夜もまとめて寝れるようになったのだ。
ところが、実際は夜まとめて寝れることは出来なかった。
A病院の管理されたきっちりとした処置により、夜中もいくら寝てても起こされるのである。
ゆーさくの場合は、気管支を広げたり痰を出しやすくする吸入処置を夜中に受けていた。
起こされたゆーさくはなく。
吸入が終わり看護師さんは詰め所に戻っていくが、その後しばらくゆーさくはなき続けるので、かあちゃんもかなわなかった。
B病院ではいつも入院時に「吸入の時間、いついつにします?日に4回指示で朝起きたとき、と夜寝る前と、その間あと2回せなあかんけど、何時がいいかなあ?」と聞かれていた。
なるべくなら一定間隔で吸入はしたほうがいいに決まっているけれど、絶対ではなく生活に合わせ時間の融通が利く治療法だとかあちゃんは理解している。
だから、ゆーさくの状況が酷いときならばしかなたいけれど(というか、そういうときは夜はねれない)、とりあえずは落ち着き夜本人も寝るようになったのだから、そんなきっちり夜中起こしてまで吸入する必要があるようにはかあちゃんには思えない。
だから、A病院の若い主治医に思い切って言ってみた。
「吸入の時間て、落ち着いたことだしなんとかなりません?」
「どういうこと?」A病院主治医は聴きかえす。
「夜中の吸入をなんとかして欲しいんです。咳も落ち着きせっかく子供も夜通しで寝れるようになったのだから、睡眠を優先させてあげたい。体力の回復には睡眠も大事じゃないんですか?」とかあちゃんは言ってみた。
A病院主治医には怪訝そうな顔をして、。
「おかあさん、口出しされるんですね。」と言いかえされる。
「あっちの病院(B病院)では、起床から就寝の間の時間で吸入時間を組んでたんですけどね」さらにかあちゃんは言った。
明らかにむっとした顔をされ
「治療はこちらに任せてください。検討はしてみます。」といい、A主治医はその場を去っていった。
しかし、いった甲斐はあった。
その日の夜から、夜中に起こされてまでの吸入はなくなった。
夜中の吸入をなくしたといって、ゆーさくの状態がまた悪くなるようなこともなかった。
かあちゃんは、思い切って言ってみてよかった、と思った。
その後、気管内挿管も抜管し、ゆーさくも回復してきた。
かあちゃんは、早くA病院を退院して、B病院に戻りたかった。
しかし、ゆーさくの食事は、挿管で一旦絶食となり、徐々に注入量を増やしている段階であった。
また、抗生物質治療でゆーさくは酷い下痢になっていた。
しかし、このあたりの事は退院して家でも経過観察は出来る。
転院から8日目、退院にむけて、話が進むことになった。
しかし、そこでまたかあちゃんは信じられない場面に遭遇し、キレそうになる。
A病院主治医と看護師さんたちだけで、なにやら相談をしている。
「退院するとき、今酸素マスク使っているのをどうする?このままマスクでいくほうがいいかなあ?」・・・
今まで家でどうやっていたのか、どんな医療器具をつかっていたのか、全くかあちゃんには聞いてこない。
勝手に病院スタッフたちだけでなやんでいるのである。
完全に退院後ゆーさくの世話をする立場のかあちゃんは蚊帳の外であった。
思わず、荒い口調でかあちゃんは言った。
「今まで○○先生(B病院主治医)とやってきて、これからまたB病院に戻るわけなんですから、元に戻してくださいよ。下手にいじらないでください!」
そこで初めてA病院主治医は、家ではどうやっていたのかを聞いてきて、挙句に
「それではおかあさんのいうとおりにします。でも念の為、退院したらすぐ次の日でもまた○○先生のところに言ってください」
と言い出す。
そういいつつも、またもや怪訝そうな顔つきをしていた。
こうして、A病院を退院し、指示通り次の日B病院の主治医のところへ行った。
「2週間くらいかかるかな、と思っていたんですが、えらい早くかえってきたんですね」とB病院主治医はいう。
「いやー、無理やり退院してきたんです。あっちの若い先生と衝突ばかりで・・・」とかあちゃんは正直に言った。
主治医はすこし”えっ?”とした顔をして「それはよくないなあ」と言った。
「だって、何の説明もなく薬をバンバン変えるし、私が口出しすると逆ギレされるし・・・」とかあちゃんは、B病院主治医に愚痴ってしまった。
主治医は「まだまだ若い人だなあ」と苦笑いをしていたのであった。
・・・若いのはかあちゃん?それともA病院主治医?それとも、二人とも?・・・
こうして、細気管支炎にかかり、いろんなことがあり、ゆーさくも病気を乗り越え、またいつもの日常生活に戻ったのであった。