帰省
かあちゃんの高校時代の同級生から、結婚式の招待状をもらう。
会場は県境を4つまたぐかあちゃんの実家から電車で30分くらいのところ。
最初、かあちゃんは新幹線の日帰りで出席しようかと思い、とうちゃんに相談した。
その結婚式の日にちの辺りに、とうちゃんが連休を取れるかもしれない、と言い出す。
どうせなら、とうちゃんが休みを取って、ゆーさくを連れて家族全員でかあちゃんの実家に帰省しようか、という話になった。
ゆーさくは身体障害者手帳をもらっている。
身体障害者手帳による福祉サービスの一つに高速道路が半額になるサービスがある。
かあちゃんが1人新幹線で行き帰りする交通費より、ゆーさくを連れて家族全員で車で行き帰りする交通費の方が安かった。
それも家族全員での帰省を思い立った理由の一つであった。
主治医にも相談。
主治医は「季節的に丁度いい時期だし、是非行って来て下さい」と快く了解をしてくれた。
とうちゃんが休みを取り、帰省日が決まると、医療用酸素の手配をする必要があった。
かあちゃんの実家にも、帰省にあわせて、医療用酸素タンクを運び込んでもらっておく必要があった。
帰省日の1ヶ月前くらいに、主治医にも申請書を書いてもらい、医療用酸素の手配の手続きを完了させる。
そして、帰省前日に、主治医の診察を受ける。
さらに帰省中のゆーさくの体調悪化に対する対応について確認を取っておいた。
かあちゃんの実家はとても田舎で近くには個人病院しかない。
緊急の場合は救急車、あとはなるべく総合病院に駆け込むように、という指示をもらう。
また、主治医は万が一の為に紹介状も準備しておいてくれ、「丁度、帰省中の土日は当直とオンコール(自宅待機)当番やし、病院に電話くれたら、僕には連絡つながるようになってるから」と言ってくれた。
そして、帰省の日を迎える。
家族3人の着替えや洗面道具、かあちゃんの結婚式ようのスーツなどのほかに、ゆーさくの道具が一杯であった。
流動食のセットや痰の吸引機&吸入器、さらには座位保持装置も持っていった。
おむつなどの消耗品は、実家のほうで用意をしてもらっていた。
朝に出発して昼過ぎにはかあちゃんの実家に到着。
どこに着たのか、さっぱりわからないようで、キョロキョロし、ときに大なきするゆーさくをばあちゃんに抱っこしてもらっておいて、荷物を全部降ろし、使えるようにいろいろセットをする。
ゆーさくはばあちゃんには数回会っている。
ばあちゃんに会うといつもばあちゃんの甲高い喋り声にビックリしてなく。
この時も、ゆーさくは知らない場所にびっくりというより、あいかわらずばあちゃんの声にびっくりしてよく泣いていた。
そして、実家で少しくつろいだ後、とうちゃんとかあちゃんとゆーさくでおでかけ。
かあちゃんの元職場(とうちゃんも学生時代一時期バイトしていた職場でもある)の人たちと晩御飯の約束があったのだ。
みんなに「ゆーちゃん、おとうさんにそっくりやなぁ」といわれる。
一方で私が早産でゆーさくを産んだことや脳性麻痺の後遺症が残ったことなどは、みんなに知れていた。
そして、みんなに肩をばんばんたたかれ、「○○(私の旧姓)、大変やったなぁ。でも、あんたなら大丈夫やわ。」と散々言われてきたのだった。
一方でゆーさくは偉い痰が多くよくむせていた。
元職場の人たちと話に花を咲かせる一方で、ゆーさくの痰の多さが少し気にはなっていた。
しかし、滅多にないチャンスで、ゆーさくも痰が落ち着くと機嫌もわるくなく穏やかになるので、途中で切り上げて帰るようなことはしなかった。
次の日、午前中は大学時代のとうちゃんかあちゃん共通の友達に会う。
そして、かあちゃんの実家から車で30分くらいのひぃばあちゃんの家に。
ひぃばあちゃんと会うのは2回目。
さすがにゆーさくはひぃばあちゃんを覚えてはいないし、ひぃばあちゃんの家も初めて。
さらに、ひぃばあちゃんの家の裏に住むかあちゃんの従兄弟や叔母などにもあう。
ゆーさくは誰が誰というより、ひぃばあちゃんちという知らない空間に順応しようとするので精一杯だった様子だった。
帰省は2泊3日の予定。
3日目の最終日は、かあちゃんの友達の結婚式の日だった。
朝、あらかじめ大体荷物をまとめ車に乗せておき、かあちゃんは結婚式に行く。
とうちゃんとゆーさくは実家でゆっくりしていて、結婚式の終了時間くらいに迎えに来てもらう。
そしてそのまま自宅へ帰った。
そして、初めての帰省を終え、2日後ゆーさくは熱を出す。
やはり、環境の変化に対応しきれなかったのか・・・ちょっと、帰省したのをいいことに、一気にいろんなところへ連れて回り、さらにはいろんな人に会わせすぎたかな・・・かあちゃんは少し反省する。
しかし、その少しの反省は、後悔へと変わるのであった。
熱をだしたゆーさくは、痰と咳き込みがどんどん酷くなり、挙句の果てに、帰省から数日後、入院することになる。
細気管支炎・・・ゆーさくはまた呼吸困難に陥り意識を失い気管内挿管をする羽目になったのであった。