ゆーさく誕生1・お産まで編
H14年1月26日 13:04分誕生、処置が終わって・・・
話は少し前に遡る。結婚して初めてのお正月、かあちゃんは妊娠していたが夫婦でとうちゃんの実家に帰省した。
そのちょっと前に産婦人科の先生に許可をもらいかあちゃんは自分の実家に帰省して大丈夫だったのもあって、そのときも普通に帰省した。帰省中、かあちゃんは体がだるく嫁の分際で寝させてもらってばかりいた記憶がある。
しかし、これがすべての始まりで、一生背負うこととなる私たちのゆーさくに対する罪悪感へと繋がることになる。
帰省をすまし、自宅に帰った日の夜中、突然出血が始まった。朝を待って、産婦人科の先生に連絡をとり、家の近くのA総合病院を紹介してもらい、受診。切迫早産といわれ、丁度妊娠22周目であり胎動かと思っていたおなかの違和感は、おなかの張りであることを知る。逆子になっていたゆーさくはもうおなかの中からでてこようとしていた。
その後、そのA病院のPICU(周産期集中治療室)に入院。24時間おなかの張り止めの薬を点滴され絶対安静。トイレと洗面以外ベットの上の生活だった。しかし、出血はなかなかとまらない。
1月25日金曜日夕方、とうちゃんが見舞いに来てくれしゃべっていた。”明日、土曜やけど仕事が入った。行ってもええか?”と言われ、”えー、週末なのに一人か。退屈やなあ”と会話していたら、どうも生理痛のような軽い痛みが30分感覚でくる。心配になってナースコールをしたら、張り止めの抗生物質(?)の点滴が追加された。点滴中、面会時間終了のため、とうちゃんはすこし不安そうな顔をして病院を出る。
ところが、抗生物質の点滴をしても、30分おきの痛みはとまらない。しかも、少し痛みが強くなるような…。急遽、3人部屋だったのだが、個室に移動となり、点滴の種類や濃度が増え、トイレも行っては駄目、起き上がるのも駄目になってしまった。その日の夜は、睡眠薬が処方される。私は痛いながらもぐっすり寝た。
1月26日、朝、とうちゃんの連絡を受け、とうちゃんが仕事で病院に行けないからとかあちゃんの親二人が付き添いにきた。やっぱり、30分おきくらいに生理痛がくるけれども、最初はかあちゃんは親と普通に話をしていた。主治医だった産科先生が様子を見に来たときも、”大丈夫そうです”と話をしていた。ところが、10時すぎに痛みの間隔が10分おきくらいまでに短くなるし、痛みがどんどんひどくなってくる。
…これって、陣痛?、かあちゃん気づくのが遅過ぎ…
当直の先生が、忙しそうにしながら診察にきた。”こりゃあかん。もう胎盤がはがれとる!”…急に病棟中はあわただしくなった。その内、大慌ての形相でO病院での産科の主治医が飛んできた。かあちゃんに説明をはじめる。しかし、えっ!?という内容だった。
"陣痛が起こってしまったら止められません。これから帝王切開でだします。しかし、昨晩この病院のNICUが満床になってしまい、今受け入れ先の病院を探しています。” →ゆーさく誕生・2お産編へ。