日々の様子やかあちゃんの思いなどを紹介したいと思います。

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2004年10月27日(水)
愚痴るより慣れろ

朝からヘマをかました。
一つ目は愛用のコーヒーカップを割ったこと。
もう一つは、使用済み紙おむつを一緒に洗濯してしまったことである。

洗濯物を干そうとして、びっくりであった。
”げっ”と叫んでしまった。
洗濯物が紙くずにまみれているのである。
幸い使っていた紙おむつはそんなに吸水ポリマーが入っていないタイプだったため、ポリマーまみれにはなっていなかった。
(ポリマーまみれになると、なかなかポリマーはとれないのである、って以前一度やったことあり))
大雑把な私は、洗濯物のにおいをかいで、洗剤のにおいであるのを確認して、そのまま干した。
乾いて紙が自然にとれるのを待つことに。

最近、HPの日記すらかけない日々が続いていた。
てんかん発作、養護学校問題、喘息入院、そして退院と、肉体的にも精神的にもバタバタする日が続いた。
そのときは、目の前のことをやるのに精一杯だったが、ゆーさくが保育園復帰をし元気に通えるようになりもとの生活に戻ったとたん、一気に疲れが来たような感じである。
さらに、10月20日の日記にもかいたのだが、ここのところ、ゆーさくの夜中の吸引がかつてない多さで、寝不足が続いている。
寝つきの悪い私がうとうと寝かけたころに、バリバリと痰の音がしてピーピー機械のアラームがなる。
2時間おきくらいである。
酷いときは吸引の間隔が1時間もない。

それが、夜寝てから朝起きるまでつづくのである。
もう、夜がくるのが怖いくらいである。

今まで、凹むことになっても、結構2,3日で立ち直ったり前向きに考えをかえたりしてきた私だが、さすがに今回はお手上げである。
今日も保育園の先生につい”しんどい〜”と愚痴ってしまった。

しかし、精神的なバタバタで疲れることは過去にも何度かある。
今回はそれに寝不足が加わっているから、こんなに毎日疲れるのだろうと思う。
よって、その寝不足をなんとかしなければ、と私は2,3日前から少し思っていた。
そう思いつつも、今日朝やってしまったカップ割りや紙おむつ洗濯。
私の注意力の低下が原因であるといえるであろう。
寝不足で頭と肩と腰と胃が痛いのであるが、注意力が低下しているのは、さすがにまずい。
壊れたのがコップだから良かったものの車だったら取り返しのつかないことになる。
(数ヶ月前、眠いなあと思いつつ運転してたら車をぶつけてしまったこと、あり)


寝不足をなんとかしよう・・・

世の中には、仕事がとても忙しく睡眠がまともにとれない人はたくさんいる。
また、赤ちゃんを産んだばかりのお母さん、睡眠障害の子供を持つ家族も、夜寝れなくて苦労されている。
だいたい、気管切開すると夜中に数回吸引をしないといけないことは、手術前から聞いていた(しかし、ここのところ呼吸器のおかげで夜中の水分補給はしていたが、吸引はほとんどしなくてすんでいた)。

それを思うと、いい加減、私は寝不足になれないといけないのでは?という考えに至った。
昨日病院で主治医に”なんとかしてほしい!”と愚痴を言ってしまったが、愚痴ったところで状況は変わるわけないのだ。
(一応主治医は呼吸器の圧を上げるという対応をしてくれたけど。気持ち効果はあるような感じではある。)
しかも、私自身の問題ではない。
ゆーさくの問題で私がどうこうできるわけでもなし、ゆーさく自身も夜中に何度か痰が詰まってしんどい思いをするのである。
だから、私が根をあげるわけにはいかないのである。

ゆーさくの夜中の吸引が頻回になってから、もう1週間くらいたつ。
確かに私自身もすこし慣れのようなものはでてきた。
朝一応起きられるようになったし、こうしていまパソコンを触る余裕もでてきた。
頑張るつもりはないし、頑張っているつもりはないが、自分なりにこの寝不足生活になれることができるのではないか、というちょっとした手ごたえはある。
"寝不足生活に慣れよう!”、今のこの状況の中で考えた挙句の私の答えである。

とはいえ、根性のない私は、誰かに相変わらず”しんどい”って愚痴ってしまうであろう。
私の愚痴を聞く羽目になった友達や保育園や病院の方々、本当にご迷惑おかけします。
長い目でみてやってください。
いずれ、寝不足生活が普通の生活と思えるようになってみせます。

って、なれるかなあ・・・。


2004年10月21日(木)
お友達

わけわからん・・・。
台風の日本上陸が今年は多いのも、わけわからないのだが、台風がくるときのゆーさくの様子もわけわからない。

何度も書いているのだが、痰が増えて吸引の回数が増えるのは、別にいつものことなのだが、喘息に関しては台風が近づいているときと台風が過ぎ去り消滅したくらいの2日後に喘息がでそうな(でる)ことが多いのだ。
台風が近くにきたときは何故か、ゆーさくは元気でテンションが高いのである。
ぱっちりお目目で興奮気味なのである。
私の認識範囲での話しだが、今のところ、台風で喘息がでるという現象はたくさんあるものの、医学的な原因解明には至っていないとの事。
だから、ゆーさくのこのわけわからん現象も、私はおろか先生もわかるわけがないのである。

さて、今日は台風直後である。
ゆーさくは、元気一杯でテンションが高いまま、本日保育園復帰となった。

久しぶりの保育園。
とにかく、この数週間で一番元気であった。
てんかん発作の2週間くらい前から、表情に乏しく、保育園にいっても寝ることが多かった。
でも、今日は、以前のゆーさくに復活!であった。
てんかんと喘息という二つの発作を乗り越え、体調がすっきりしたようであった。


午前中はしっかり起きて遊び、お昼の嚥下の時間になると、”あー限界”といった感じで寝てしまう。
昼寝をした後は、またしっかり起きて遊び、夕方帰ってから、”あー遊んだぁ”といった感じで少し寝る。

今年の保育園の同じクラスに、ゆーさくのことを”さくくん”と呼んでくれる、お友達がいる。
去年も今年も、医療的ケアの必要な子で喋ることもままならないゆーさくのような子や、染色体異常でなかなか言葉がでにくい子が多いクラスなのだが、今年はゆーさくと同じ病気を持つが言葉はちゃんとでるようになったお友達がいるのである。
そのお友達から受ける刺激はゆーさくにとっては新鮮で、かなりいいものであるようだ。
ゆーさくはどうやらそのお友達に気に入られている様子である。

久しぶりに保育園に行ったゆーさくは、ひさしぶりにそのお友達に会った。
”にまぁ(^〇^)”とお友達はゆーさくの顔を見て、よろこんでくれた。
それだけでも、私はありがたいのだが、なんと、ゆーさくもその友達の顔を見ると”にまぁ(^◇^)”としたのである。
その光景は、私はとってもうれしかった。
おそらくゆーさくがちゃんと意識した初めての”お気に入りのお友達”であろう。
ゆーさくの世話をする人としてのゆーさくのお気に入りの大人は何人かいる。
同じ目線で遊びあう、ゆーさくお気に入りのお友達、となると、今まではなかなかいなかったように思う。

これからも、そういうお友達が増えるといいね、ゆーさく。
そうやって、精神面や社会性がどんどん、伸びていくといいなぁ。
また、そのお友達には感謝感謝。

さて、今日は本当に元気一杯であった。
あとは、明日辺りから今週末にかけて、台風の反動、また今日のハイテンションぶりの反動がこなければ・・・。

2004年10月20日(水)
台風は我が家の中に

昨晩から我が家は台風がきていた・・・。

昨日夕方からゆーさくの痰はとにかく異常!っていうくらいの多さである。
夜寝ていても、今までは多いときでも一晩に、2.3回くらいの吸引ですんでいた。
しかし、昨夜から今日に掛けて、何回吸引したことだろう・・・。
私が寝て、うとうとしかけたころに、ばりばりという痰が溜まった音がする。
”うーん、吸引しなきゃなあ・・・収まんないかな・・・”と布団の中で私が苦悩していると、ぴーぴーぴーぴーとサチュレーションのアラームがけたたましく鳴り出す。
私は”駄目だこりゃ”と飛び起きる。
サチュレーションは酷いときは85以下になっている(といっても、ゆーさく自身が痰つまりで体に筋緊張がはいり、センサーがうまく作動していなかった可能性も・・・)。
慌てて吸引するのだが、とてつもない量の痰が引ける。
そして、サチュレーションは戻り、私は寝る。
そして、うとうとしたころに、また、ばりばりと音がし、サチュレーションが落ちて・・・の繰り返しの夜であった。
ほとんど、徹夜であった。
私の横で寝ているとうちゃんも朝”本当、今日全然ねれなかったなあ”と言っていた。
(って、とうちゃんの特技は、ドラ○もんののび○くんと同じ。
すぐ寝れる人なのだ。1分で即効いびきをかき始めたりする。
とても羨ましい・・・ときに、例えば今日みたいな日には私にはムカつく特技である)

ゆーさくも、吸引されるたびに起きたようで、あまり寝れていなかったようであった。

私は、たまーに原因不明の偏頭痛に襲われることがある。
昨夜は夜中の3時過ぎくらいの吸引くらいから、頭が痛くなってきていた。
でも、今日あさ、頭が痛かったけど、起きて、とうちゃんと自分の弁当を作る。
今日は、保育園復帰の日の予定であった。
なので、保育園にゆーさくを連れて行き、私は保護者室で寝ようと思っていたのだ。
”なんとか、保育園まで連れて行こう”と思っていたのだ。
また、朝のゆーさくの様子は、あまり寝てないわりには、結構元気なのである。

ところが、朝の吸入を終え、あれだけ夜中に痰がひけたのに、さらに痰がでてきて、ちょっとゆーさくが一段落したのもつかの間・・・。
いきなり”ひゅんひゅん”と喘息のような咳をはじめる。
5分くらいで収まったけど。
そういうあまり長引かない喘息のような咳が、断続的に続くようになってきた。
昨夜から続いた異常な痰の多さはすこし落ち着きつつあったのに、その代わりに喘息のような咳が出始めたのである。

さすがの私は、”ああ、だめだあー”と凹むことに。
なにしろ、先週の水曜日、喘息で入院して、月曜日退院してきたばかりなのである。
今日から、保育園復帰でもあった。
また、私はほとんど徹夜で偏頭痛が痛くてたまらない。

とりあえず、まず、今日の保育園復帰を諦めた。
どちらにしても、台風で保育園に行っても、台風の警報で早く帰らなければならなくなる可能性がとても高い。
保育園に電話をして、休むということを告げた。
その後、念のため、月曜日使ったばかりの入院セットの荷物を整理しなおし、入院にそなえ、荷物を準備した。
咳が吸入に関係なく30分続き、サチュレーションが低いままになり、本人がしんどそうにしていたら、病院に行こうと・・・。

ひととおり、やることをやり、私はゆーさくの横で寝た。
今朝のゆーさくの咳は、まだまだ軽いほうだったので、体位を仰向けから横向けにするだけで、結構楽になるようで咳も長引かない。
なので、ゆーさくを横向けにし、倒れないように抱えるようにして、私は寝る。
何回か、咳いたり、痰がばりばりいっていたが、サチュレーションはそんなにひくくならなかった。
・・・気づいたら12時が着ていた。
ゆーさくは、咳が一段落ついたのか、横でパッチリお目目で私の顔をしきりに手で触ろうとしたり、ふんふん言っている。
”よかったあ”私は安心した。
とりあえず、喘息が超ヤバイ状況はすこしマシになったようである。

そして、私はゆーさくの注入をセットし、弁当を食べ、ゆーさくに薬を入れて、また寝た。
偏頭痛はまだ治っていなかったのである。
このときのゆーさくがどうだったのか・・・私は良く覚えていない。
それくらい、昼からまた爆睡をかましてしまった。
そして、私が起きたのは4時であった。
さすがに偏頭痛がラクになっている。
ゆーさくは元気そうでぷりぷり怒っていた。
喘息の気はなさそうなくらい、元気であった。

と、いう今日の一日。
ゆーさくがどうのこうの、言う前に自分がしんどい一日であった。
こういうときのホームヘルプ制度(看護士さんが家に来てくれてゆーさくを見てくれる制度)なんだけどなあ、と思ったのだが、結局使わずじまい。
病院に連れて行かないといけないかもしれなかったので、あくまで今日は私は体調不良で休息というよりも、入院に備えての休息のように私はとらえていた。
結果的に、ゆーさくのおかげ(?)で、私の休息日となった。
ありがとう、ゆーさく。

しかし、今日の夜もまた寝れないのであろうか・・・。
それは勘弁!
あと、喘息が起こらないよう、お願いします・・・。
(喘息は夜に出やすいので)

2004年10月19日(火)
昨日の退院

昨日退院してきた。
多少、痰はピークに比べたらへったものの、まだ日ごろに比べるとすごく多いため、不安はまだ残っていたが、なにしろ、もうすぐ台風が来る。
昨日退院しなかったら、今週の退院はないような気がしたからだ。
また、夜中から朝の注入がすんで落ち着くまで、痰が大量にでるのだが、そのときに、まだむせ込む、という不安もあった。
しかし、痰さえでてしまえば、むっちゃくちゃゆーさくは元気なのである。
入院前よりもっと前の、てんかん発作が怪しくて1.2週間元気なかった時期と比べても、元気なのである。
ニコニコしていて、でたらめだがよく動いている(正しくうごいていれば寝返りしまくり、みたいな・・・)。
なので、思い切って退院してきた。
また、先生は痰がたくさん出てくるものの、聴診での肺の音が、この数週間の中で一番いいかも、といっていたのもある。

そういうことで退院してきた。

昨日は朝から”退院できそうだよなあ、先生早く回診こないかなあ”と思っていた。
日曜日も昼からはゆーさくはめっちゃくちゃ元気だったので、付き添いをちょっと変ってくれたとうちゃんに車を病院に置いて帰ってもらっていたのだ。
だから、先生さえOKすれば、すぐ帰れる状態にしておいた。
ちなみに、ゆーさくを車に乗せるためには助手席を全開しないと乗せれない。
(なので、障害児スペースか、端っこに止めないといけない。)
人気なのに数が少ないいつも一杯の病院玄関前の駐車場でゆーさくを載せやすい区画に前日の夜から、車を止めっぱなしにしていた。
我が家の車は赤のMPVである。
病室から駐車場を見ると、よく目立っていた。
うちの車を知ってる看護士さんたちの中には”今日おとうさんが着てるのかと思った”と何人かに言われる始末であった。
だから、早く先生に回診してもらって退院しないと、車が・・・とも思っていた。
(退院できなかったら、少し離れたところにある、人気のない駐車場へ移動するつもりであった)

退院の日の流れは、だいたい朝退院の許可がでたら、入院費の計算などで1時間くらいまたされる。
とはいえ、おそくても11時くらいには病院をでることができ、家には丁度ゆーさくの昼の注入時間くらいに着く。
家に帰ると、ゆーさくの注入をしている間に、簡単に入院荷物の片づけをして、お昼ねをする。
そして、夕方からいつもの生活が始まるのだ。
(ちなみに、私が留守の間にめちゃめちゃになった部屋は次の日片付ける。)

しかし、昨日は、先生が忙しかったようだ。
それとも、我が家はゆーさく一人っ子だし、とうちゃんも仕事がわりと忙しくあまり家の事はできない為かえって病院にいるほうが私がラクだったりするので、退院できそうになったら即退院、ってことをあまりせず、長引いた入院のときはとうちゃんの休みまで退院のばしてもらったり、ゆーさくに多少不安があるようならばもう少し様子を見たりするほうである。
なので、先生はそんなうちが急いで退院するなんて考えてなかったのだろうか・・・。
(あらかじめ、この日に退院って決まってたら、その日は朝一で回診にきてくれる)
ん〜でも、やはり、先生が忙しかったと思うのだけど(NICUの看護士さんからの情報もあり)、昨日先生が回診に来てくれたのは昼の12時くらいであった。
それから退院が決まったのだが、なにしろ、もうゆーさくの昼の注入時間であった。
ゆーさくの昼の注入がすんで、病院をでることにした。

ゆーさくが入院した次の日、あるお知り合いの方が同じ病棟に入院してこられていた。
今年の春の長い入院の際、同室だったおばあちゃんである。
そのおばあちゃんは、上品な方であり、またとても明るく前向きに頑張るおばあちゃんであった。
春の入院の時は、体調不良で歩けないくらい寝込んでいたのに、体調が回復したらすぐリハビリを毎日頑張り、すぐ歩けるようになった姿は私は”すごい!”と思っていた。
私みたいな、ちゃらんぽらんで上品さのかけらもないおばちゃんにも、丁寧に話かけてくださるし、話をしだすといろいろな話をしてくれ、その話(子供家族の話など)がまたとてもおもしろかったのである。
また、ゆーさくをとても可愛がってくれていた。
そのおばあちゃんが、今回は病室が違うけど、また入院したときき、びっくりであった。
今回の入院中も何度か話をすることができてうれしかった。

昨日は、ゆーさくの昼の注入がおわり、さ、病院をでようと、いう2時くらいに、そうだそのおばあちゃんに挨拶いかなきゃ、と私は思い、そのおばあちゃんの病室を訪ねた。
ところが、つい、そのおばあちゃんと長話をしてしまったのである。
1時間くらい喋っていたのではなかろうか・・・。
気づいたら3時が来そうなのである。
昨日はおばあちゃんは検査の日で検査時間が迫っていたので、話途中でお別れになってしまったのだけど、もしその検査がなかったら、いつまで喋っていたことだろう。
そして、ナースステーションに行き、”ほな、かえりま〜す!”と挨拶をしたのだが、そこで、また入れ替わり立ち代りでいろんな看護士さんたちと立ち話(といっても10分くらいかな・・・)
そんなこんなで病院をでて、まっすぐ家に帰ったのに、家に着いたのは4時前であった。

さすがに、入院が疲れたというのではなく、家に帰ってくるのが遅くなったという意味で疲れた。
いつもなら、12時くらいには家に帰っているのに、今回は4時間も遅いのだ。

私は夕方に昼寝をしてしまった。
昨日はもう家事はノータッチで、旦那に弁当を夜買って帰ってもらったのでした・・・

2004年10月17日(日)
入院

またまた、入院である。
先週の水曜日の夜中に病院に行き、入院が決まり、病室に着いたときは木曜日が来ていた。

痰の吸引が必要な子供たちにとって、台風は痰が増え、吸引の回数が増えるものらしいのだが、台風が去り、しばらくすると落ち着くみたいである。
また、喘息っ子は台風のときに発作がでやすいのであるが、先々週の台風来日(?)の際、痰はすごい増えたものの喘息発作は起こらなかった(喘息っぽい咳はしてたけど)。
なので、台風が去り、喘息に関しては大丈夫かなあ、と思い始めたけれども、それにしても、痰の量が減らないのは何故だ?ともんもんとした日々を送っていたのである。
呼吸器で空気圧を気道かけることで、痰の量は抑えられ、今まではそれでずいぶん吸引の回数が減り、私はラクをさせてもらっている。
なのに、呼吸器をつけていても、吸引が結構いるのである(朝の一番痰が多いときなど10分おき、とか、痰が気道に詰まりかけサチュレーションが低下したりとか・・・)。
さらに、ゆーさく自身が痰をだそうだそうとして、むせるのだが、うまいこと出せず、何分もむせっぱなしということが多く、こういう時吸引で私が痰を取ろうとすると余計むせ続けるし、挙句の果てには(吸引行為有無に関わらず)ゲボッと大量のラコール(ゆーさくの食事、流動食)を吐く始末であった。
正直、私は”痰がでるから喘息じゃないだろうけど、でも出すぎもちょっと勘弁して欲しいなあ”と思っていた。
なにより、ゆーさく自身が、とても気持ち悪くてしんどくて、嫌であっただろう・・・。

しかし、先々週の土曜日にてんかんの発作のことでの診察や、また、先週の火曜日のリハビリ前の健康チェックのときの診察では、先生は”痰がものすごく多いけど、ぜいぜい(喘息特有の胸の音)はしてないよ”と言ってくれていた。
また、私は、てんかん発作や養護学校の医療ケア児童の通学問題など他に考えることが多かった。
だから、痰がものすごく多く勘弁してくれとは思っていたけど、”ま、喘息じゃないしなあ。去痰(ゆーさくの体を動かしたり、呼吸理学療法という痰をぬきやすくするリハビリなど)して痰が減るのを待つしかないよなあ”と、自然治癒を待つというか様子見で過ごしていたのである。

ところが、水曜日(養護学校見学の日)、サチュレーションが不安定であった。
でも、痰が多いので吸引すれば、大丈夫だと思っていたのだが、だんだん、どう様子をみても、痰詰まりではなさそうなときまでサチュレーションが下がったりあがったりようになる。
そして、夜になったら、最初は、痰を出そうとしたり、また泣いたときなどにむせ始めるのだが、むせて痰がある程度でたのにまだむせがとまらず、途中から喘息のようなヒュンヒュン空咳をするようになる。
一度20分くらいむせて咳が続きサチュレーションが90切るようになったので臨時の吸入をした。
気管支を広げる薬の吸入でそのときは、それで収まった。
しかし、フラフラ上下を繰り返していたサチュレーションがあがるのに時間がかかるようになってくる。
”次、咳が止まらなくなったら、病院や”と覚悟をした。
旦那に電話して、”ゆーさくやばいわぁ。今、落ち着いてるねんけど、次咳が出だしたら病院行くし、家に帰ってきて。発作中、私一人じゃよう病院に連れて行かれへん”と訴え、早く家に帰ってきてもらった。
そして、旦那に帰ってきてもらい、いそいで晩御飯を食べ、病院に行く準備をしていると、とうとう、再度ゆーさくは咳き始める。
(良妻の(?)私は旦那の帰りをご飯も食べずいつも待っている。
その日も10時を回っていたのだが待っていて、腹がめちゃめちゃ減ってキブンが悪いくらいだったので、ご飯をたべれたのは、とてもよかった・・・。
って、そういう問題じゃない、不謹慎な話ですね・・・。)

病院に行き診察してもらう。
ちなみに、そのときのゆーさくの咳は、酷い喘息発作のときみたいに、何十分も1時間も2時間も咳が止まらない、というわけではなく、断続的な長い咳だった。
しかし、丁度、当直の先生の前で酷く咳く。
”今日、サチュレーションが不安定で・・・”と始めに私がいうだけで、先生はすぐ聴診をした。
”あー、喘鳴音(喘息特有の胸の音)、しますねえ・・・。”
喘鳴音がする、だけで、もう私と先生(当直は主治医ではなかったけれども、かかりつけの病院の小児科の先生は全員わかってくださっている・・・)は、あえてとやかくいうことはなかった。
”入院して早めにソルコーテフ(ステロイド薬で静脈注射で入れる、電解水(水みたいなもの)の点滴をしておきながら、日に何回か点滴の管から入れる)打ちましょう”と、すぐ入院が決まった。
そして、一応レントゲンをとり、点滴を入れる処置をしている最中に、その時は痰も咳が収まっていたが寝ていたゆーさくの顔色が悪くなり、サチュレーションもせいぜい90くらいしかあがらなくなってしまった・・・。

点滴をいれソルコーテフをいれたゆーさくはしばらくしてサチュレーションが90代前半まであがるようになり、また酷く咳き込むこともなく、病室で一夜を過ごした。
ソルコーテフがどういう薬なのかイマイチ私はまだはっきりとわかっていないし、だいたいステロイドという響きがあまりいい印象ではない。
しかし、とりあえず、速攻性がある薬なのでゆーさくの呼吸状態がしばらくして落ち着くことが多い。
今回は、今までの酷い喘息発作のような”痰がでなくなる(今回はですぎ)”"何でもないときに咳き続ける(今回は痰がからんだり泣いたりでむせたときだけ)”という症状はなかったけれど、とりあえず断続的に起こる症状は喘息発作と同じであった。
だからなのか、ソルコーテフ1.2発目で良く効いたようであった。

朝を迎え、その日の木曜は、サチュレーションも落ち着いていつもどおりになった(とはいえ、痰が多いので詰まり掛けるとすぐ低くなるのだけど)。
しかし、その日は、まだ大量の出てくる痰に追われ、ヒュンヒュンはいわなくなったけど、一度むせると咳がなかなか止まらなかった。
主治医が夕方の回診のとき、”入院で暇やし、ぼーっと私ゆーさくの去痰してたんですけど・・・”と私が言うと、聴診をしながら先生は、”それが効いたみたいですよぉ。朝まで、肺の細い奥まで詰まっていた痰が今日、大分太いとこまであがってきたようです”といってくれた。
その言葉のとおり、その次の日の金曜日の朝、また大量の痰でむせてむせて吐いたゆーさくであったが、それで長いこと肺の奥に詰まっていた痰がでたのか、昼から突然元気になった。

そして、昨日、点滴が漏れたのをきっかけに、点滴を抜いた。
(ソルコーテフはいきなり止められない。最初は日に4回注射を2回・・・1回にへらすため、1.2本打って効いたといってもすぐ点滴中止にはならない。)
昨日の朝も、痰で結構むせて咳いたのだが、日に日に、咳く時間、嘔吐があるかないか、は明らかに良くなっていた。
今日にいたっては、朝一の日常的にやっている吸入分とあと少しの去痰だけで、痰がある程度すっきりしたようで、ひどくむせることもなくゆーさくは元気になった。
(写真は今日の朝の様子です)
明日くらいに退院できないかなあ・・・。

以上、入院のいきさつと経過報告でした。

さて、今回、私が失敗したなあ、と思っていることが一つある。
それは、本当は朝私がもっと早く起きて、痰が一番多い朝にゆーさくに呼吸理学療法をおこない去痰をしていてあげれば・・・ということである。
”痰がでる””むせたときだけヒュンヒュン咳続ける”など、いつもの喘息発作と違うのだ。
また、台風以降、痰の多さに格闘していたのだが、じっくりゆっくりゆーさくに去痰をしてあげたのは、実際入院してからで、そのあと、ゆーさくはあっさり元気になったのである。
家ではどうしても、毎朝、家事やゆーさくの世話に追われ、気づいたら、保育園や病院にいく時間となってしまう。
(とはいえ、ゆーさく自身が保育園での遊びや病院でのリハビリで全身を動かすことで、それだけでも去痰となる。)
しかし、実際のところ、私が保育園休んでまでゆっくり家で呼吸理学療法したところで今回のようなことになるかならなかったのかは、よくわからない。
(主治医も同じことをいった。さらに主治医は家にいてゆーさくの気持ちに退屈だと不満がでるのもどうかなあ、といった)
つまり、今回の入院に関しては、あらかじめ具体的な予防策はないのだけれど、なんとなく心の隅で、予防する方法があったのではないか・・・という後悔のような気持ちが少しあるのであった。

それでは、また、病院に戻ります。。。

2004年10月13日(水)
養護学校見学

どうも、先日の発作が最大の山場であり、その後2日くらいしんどい日を送ったあと、またいつものゆーさくに戻りつつあるような様子である。
というのも、今日、久しぶりに保育園にいくときに、”○○(保育園)行くよ!”と声掛けをしたら、一瞬”にまっ”としたような・・・。
昨日のリハビリのこともあるので、少し期待して保育園に連れて行った。
すると、やはり(?)、手遊びの歌に以前のように喜ぶようになったようである。
また、今日夜のゆーさくの大好きなお風呂では、久しぶりにニコニコで入っていた(最近、お風呂に入れても無反応だったので)。
私は少し安心した。
このまま無反応なままのゆーさくだったらどうしよう、という不安が頭の隅からぬぐいきれなかったのだ。
また、保育園に行くのがとても楽しい!、手遊び大好き!なゆーさくに早く戻ってもらいたい。

今日は、養護学校見学の日であった。
子供は保育園で見てもらい、その間に保育園の副園長の先生に親だけ連れて行ってもらったのである。
就学まであと3年あるのだが、ここいらで一度養護学校とはどういうところなのか、一度見ておこう、と思い私は参加した。

ゆーさくは医療ケアの問題があるため、同じ保育園の他の子のように、2,3年今の保育園で過ごした後は、普通の健常児がたくさんいる保育園へ、というのは、難しいようである。
また、大体ゆーさく自身が、体調を崩したり喘息起こしたりで、今の保育園すら、1年通してまともに登園をしたことがないのだから、なおさら普通の保育園は遠い話である。
さらに、過去に今の保育園を卒園した子供たちの中でも重度の障害児は、普通の保育園に行かず就学まで4、5年くらい今の保育園にいた子が多いらしい。
しかし、私の周りにいる鼻注友達のさっちゃんが、昨年普通の保育園に行き、とても楽しそうにしているし、さっちゃん自身が精神面などいろいろ伸びたそうだ。
また、昨年同じ保育園だった気切&レスピ友達(私は一方的に勝手にそう思っているケド。)も今年普通の保育園に行った。
その上に、この時期はみんな進路の話(普通保育園への入所)で持ちきりだ。
昨年のクラスメートで今年も一緒に通っている友達もほとんどが、普通の保育園に行ってしまう・・・。
そういうことであるから、私自身、少し普通の保育園へ行くことに目が向くようになったのである。
”体さえ落ち着けば普通の保育園に行かせてあげたほうがいいのか・・・”結論がでるにはまだまだ先の話だけど、その結論を出すために、保育園の先にある養護学校がどんなものかを知ろうと思ったわけである。

我が家のある学区の養護学校は、一応同じ市町村の中にあるのだが、ほとんど市のはずれにある。
我が家は、市町村の中でも真ん中に近いほうであり、我が家と養護学校はすごく遠く思っていた。
ところが、案外近かった。
といっても、有料道路を使って30分かからないくらいで、一般道だと45分くらいである。
(でも、一般道だとやはり遠いか・・・。)

養護学校につき、学校内の見学や担当の方の説明を受けた。
どのような感じだったか、という説明はさておき、私の感想をここに残しておく。

一番の感想は”子供が少人数で、子供一人一人に合ったペースで子供を育ててくれる学校やな”ということ。
日ごろのゆーさくへの行いは荒っぽいことで有名な(?)私だが、それはあくまでもゆーさくの体調を前提にし、また保育園や病院がゆーさくのペースに対応してくださっている、というベースがあるから。
なので、養護学校の方針でもそのような感じなのはうれしい。
(ゆーさくはゆーさくなりに発達はしているが知能的な遅れは明らかだし、体の機能(呼吸、視覚、食事、運動)面においても、とうてい普通学校の特別学級すらムリだと思っているので、就学後は養護学校しか選択の道がないと私は思っている。)

しかし、最後の質問の際に、医療的ケアの必要な子の通学の実態を質問したところ、なかなか厳しい答えが返ってきた。
経管栄養(鼻注)はいるけれども、気管切開(ゆーさくの場合はさらに酸素療法もしくは呼吸器がある・・・)は前例がないとのこと。
この養護学校では、通園バスに乗れないような体調の不安定な子は、通学ではなく訪問教育をとっているそうで、今毎日保育園に通っているゆーさくを今更家に閉じ込めるわけにはいかない。
でも、その担当の方は”前例がないからといって、駄目というわけではなく、ケースバイケースです。”と言ってくださった。
また、”うちに来られるのならば、就学1年前になってよりも早いうちから子供さんの体験入学などで、ゆーさくの情報を教えて欲しい”ということであった。

そのことを聞き、すこし、"普通の保育園へ”という考えが変った。
普通の保育園にいくよりもなにも、一番家に近くいいと思った養護学校すら通わせてもらえない可能性があるのだ。
(鼻注友達のさっちゃんが住む隣の学区の養護学校には、医療的ケアのいる子が何人かいて、しかも障害児施設(=病院機能あり)が敷地内にあるらしい。
しかし、ここは児童数が多く、また我が家からだとさらに遠く、かかりつけの病院と正反対の方向にあるという問題がある。
これらはすべて、噂話なので、いずれその養護学校に見学には行こうとはおもっている。)
それは、非常に困る。
普通の保育園うんぬんよりも、ゆーさくが通学で受け入れてもらえるよう養護学校へゆーさくをアピールする方が大切なんだな、とそう私は考えを変えた。
普通の保育園へ行き、地域の人たちとの関係をつくることも大事だ。
けれど、医療的ケアという社会的ハンデが養護学校通学という面でもある以上、そのハンデを克服するほうがはるかに大事だと私は思った。

まだ、3年ある。
3年のうちに、医療ケアが何個かあり見た目は重症児だけど、医療ケアさえあれば(と喘息発作がなければ)元気で自分で座ろうとしている意欲もある、さらには精神面では甘えやわがままなどそれなりに幼児として成長しているゆーさくは、養護学校にちゃんと通えるんだよ!と機会があれば養護学校にアピールしなければいけないのだ。

さらに、私たちが住む市町村では、養護学校への看護士(医療行為は先生ではできない)常勤の話が、ボツになったそうだ。
看護士の常勤がなければ、親がずっと付き添うか訪問看護センターと個別で契約を交わし、看護士さんについてもらわなければいけないのである。
常勤の看護士さんがいるだけで、私たち医療的ケアの必要な子の親はどれだけ体力的にも時間的にも金銭的(一応、市町村からは障害児特別児童手当というものを給付してもらっているが、気管切開しているし入院が多い我が家にとっては、ゆーさく関係であっという間になくなるお金である。)にもすくわれることだろう・・・。
そのことに対しても、市町村に何か働きかけをしないといけないわけで、ゆーさくといういろんな医療ケアをしている子供の親として、私たち夫婦は何かしなきゃいけないなあ、とつくづく感じた。

しかし、その前に、ムカついてばかりなくせに肝心なところで文句を言わず穏便な方向に走り、さらには集団行動というのがイマイチ苦手な(なので、〜の会などにはほとんど興味すらなかったりする・・・)私自身の子供じみた性格を早く大人にしなきゃ・・・。

2004年10月12日(火)
脳波、そしてリハ

今日は、ジェットコースターに乗っているような一日であった。

まず、谷の部分から・・・。

今日は脳波検査の日であった。
最近、元気がなく時間に関係なく寝てしまうことが多く、あまり一日機嫌よく過ごすことがなくなったこと、また、先週の金曜日、呼吸が弱くなる(?)てんかん発作のようなものがあり、今日、脳波検査をおこない、白黒はっきりさせようという感じであった。
脳波検査とは、簡単にいえば、人間の脳の活動は電気信号で行なわれていて、その電気信号を観測する検査である。
てんかんなどのなんらかの慢性的な脳の異常があったときは、異常な電気信号が日常的に脳から発せられるので、よって脳波検査により異常がある程度はわかるのである。
また、脳性麻痺児にはてんかんをもっている子が多い。

ところが、ゆーさくは今まで脳波にてんかん特有の異常波がでたことがないのだ。
以前通っていた神経専門の病院では”ゆーさくくんのような脳性麻痺で異常が脳波にでないほうが不思議”というような感じで、ことあるごとに脳波検査を受けていた。
しかし確かに、脳波にでないからてんかんはない、ともいいがたいようで、発作時しか異常波が出ない場合、また異常波が脳の深いところからでてきており脳波検査ではひろうことが出来ない場合もあるらしい。
そこで、定期的に脳波検査をおこなうこと、また発作の有無でゆーさくのてんかんの様子を見ていっていたのである。

今までに、喘息発作が一段落した後、白目を向き異常に体を反りくりかえらしたり、の怪しい場面はあった。
しかし、SPO2(うまく呼吸していなくて酸素が体に入っていないかどうか)があきらかに低下するようなことは、なかったため、”てんかん発作はあるかもしれないけど、呼吸が止まるほどじゃないし・・・”で、結構気にはしていなかった。
ところが、最近元気がない挙句に起こったSPO2低下と意識がとぶ発作で、私のおきらくな気持ちはふっとんだ。

あくまでも、私が認識している範囲での話しだが、てんかんで問題になるのは、意識がとぶことである。
発作が多いと日常生活において、意識がない時間が多くなり、それだけ、知能や体の発達に影響がでる。
また、危ないのは、呼吸まで止まってしまうこと、と認識している。
呼吸が止まることは、すなわち命に関わることである。
それが、ゆーさくの身に起こったわけで、土曜日の日記にも書いたけど、発作が起こってしまったことが、私にはショックであった。

そんな、矢先の脳波検査。
ゆーさくがてんかんを持っている、という事実は受け入れてるつもり。
だからこそ、正直、脳波にはっきりてんかんの異常がでれば、すっきりするのになあ、と私は思っていたのである(根本的にてんかんそのものがないのが一番なのだけど)。
・・・しかし、今回の脳波検査もてんかんにおいては異常なしであった。
主治医に時間を割いて貰い、いろいろ発作時の対応の仕方、ゆーさくのてんかんについてとその影響、等質問などさせてもらったが、その時は、まだ私の中では心の整理がついていなかった。
”はっきりとてんかんという検査結果が出ないのに、発作めいたことが起こる。これから、一体、私はどうゆーさくの異常を見分け、対応すればいいのか・・・”不安でいっぱいであった。

不安のまま、リハビリを受けた。
PT大ちゃん先生にいろいろ愚痴をいってしまって申し訳なかった(というか、いつもいろんな愚痴を聞いてもらっているような・・・。すいません〜ありがとうございます)。
また、脳波検査で睡眠薬を飲んだゆーさくは、リハビリが始まっても、おきてはいるものの、まだ眠そうでうつろであった。

ところが、途中からゆーさくは”ああ・・・寝てしまうぅ”と”いや、起きてガンバル”を繰り返すようになり、やる気が時々でるようになった。
先週金曜日の発作、土日の無反応でぼーっとしている日々をこえ、月曜日からは少ししゃんとしてきたかな、と思っていたのだが、いきなりそのリハビリで元気を取り戻したようであった。

ここから、山の部分が始まる。

やる気が出たときは、座位でちゃんと両手を伸ばし、床に手を付くようになった。
そして、その付こうとする腕には、ちゃんと力が入っている。
その内、大ちゃん先生がゆーさくを支えている手を一瞬離せるようになる(写真左)。
”おおっ!一人で座ってる”
私は感動した。
そして、だんだんそのお座りもどきは、グレードアップしていく。
だんだん、頭をあげたままで、支え無しで座位をとることが出来るようになり、とうとう、15秒くらい支え無しでの座位keepができるようになった。
大ちゃん先生と私は、”すごいすごい”ととても盛り上がった。

私のてんかんによるブルー気持ちは、ふっとんだ。
ゆーさくの座位はちゃんと姿勢が取れてじっとしているからできたのであり、少しでも腕の力の入れ具合の強弱や左右差、また体勢が崩れてきた場合などで、踏ん張ることがまだできず、すぐ崩れてしまうため、おすわりができるようになった、というにはまだまだである。
とはいえ、少しずつおすわりというものはどういうものか、ゆーさく自身がわかるようになってきた兆しが見えたような気がした。
大ちゃん先生は前から”おすわりはできるようになるよ”と言っていたが、現実味をイマイチ私は感じることができなかった。
しかし、今日のリハビリでそれが現実になりつつある最初の一歩を踏み出したようであった。
本当に、うれしかった。

さて、ゆーさくのリハビリに興奮して家に帰り、興奮が少し冷め、改めててんかんに関していろいろ考えた。
考えた末に、私なりにこれからどう発作と付き合うのか、という結論には達することが出来た。
”検査で異常がでないので、呼吸に関する発作らしきものはその都度ちゃんと対応を行なうのみ(ゆーさくに繋げている医療器具のルートの確認、気道確保、意識の確認、意識ない場合は発作を止める座薬の挿入、チアノーゼが続く場合は即近くの病院へ、といった具合)。また、様子が変だと思うときは、早めにかかりつけの病院で診てもらい、喘息や酷い風邪からくる呼吸機能系の異常か、てんかんなどの神経系の異常か、先生に判断してもらい対処してもらわなければいけない。とにかく経験を積まないと・・・”
主治医が検査結果報告時にそのようなことを言っていたが、その時はまだ私の頭の中で整理がついておらず、発作に対応する自信がなく、”そうなのはわかるけど・・・でもなあ”と思っていた。
自分なりに考えがまとまると、発作もちゃんと対応すれば怖くない気がしてきて、主治医の言った事がより理解できた。

しかし、私がそう考えれるようになったのは、リハビリの盛り上がった楽しいひと時という、一休みがあったからかな、という気持ちがする。
ゆーさくの体のことで落ち込み、ゆーさくの気持ちの踏ん張りで元気付けられ、本当に今日は一日ジェットコースターに乗っているような日であった。

2004年10月11日(月)
おでかけ

今日は晴天でキモチがいい。
とはいえ、今日は何も予定のないお休みの日。
よくあるパターンで、昨日の日記を今日書くことに。

ゆーさくの喘息がものすごくあやしい一日であった。
喘息発作はでないけど、痰を出すとき、吸入や泣いたときにむせる咳が、ヒュンヒュンいっていてすぐには止まらない。
しかし、今日はおでかけしようと計画をしていた。
前にも書いたが最近のゆーさくは、不規則に寝ることが多く、あまり元気に笑わないのである。
あれだけ、朝”○○(保育園)いくよ!”と声掛けをするだけで、”にまぁ(^^)”とする子が、最近”○○いくよ”と言っても反応無し。
それどころか、保育園行くと遊ぶ前に、寝てしまうことが続いている。
病気のてんかんが出てきたかも、ということで機嫌がよくないというのもあるのかもしれないけど、とりあえず、何か親としてできることとして、大好き(だった?)お出かけで少しでもゆーさくのキブンてんかんになればなあ、と思ったのである。
しかし、喘息があやしい・・・。
もう、とうちゃんと喧嘩腰で相談した結果、土曜日病院に行ってとりあえずは喘息は大丈夫といわれていたので、お出かけを強行することにして、行ってきた。

行ったのは、高速道路を少し使い、家から1時間くらいのとこにある、農業公園のテーマパークのようなところ。
のんびりとできるし、小動物ともふれあえるところであった。
車の中でのゆーさくは少しご機嫌で、私は少し安心。
しかし、到着し園内に入ると、ゆーさくは寝てしまう・・・。

時間的に注入時間であったので、寝てる間に注入を済ませようと注入を始める。
その間、とうちゃんと私は木工ペイント体験コーナーで、木工プレートを作ることにした。
(本当はソーセージ作り体験をしたかったのだが、休日だったし行くのが遅かったので、満員でできなかった。残念!)
いろんなプレートがあって、それに色を塗ったり文字を貼り付けるもので、我が家のトイレ用のプレートを作った。
一応ゆーさくの為にと思い、プレートは、あ○ぱんマンの下絵が書いてあるプレートの中からばい○んデザインを選び、塗り絵のようにしてプレートに絵の具で色を塗る。
これが、結構ハマルのであった。
ここはこの色!ってあーでもこーでもないととうちゃんと私で話しながら決め、”あーはみだしたらあかんやんか!”と言い合いながら、楽しんだ。
ゆーさくはあと少しというところで起きる。
寝起きに泣くゆーさくに対し、親二人で”ゆーさく、もー少しねとけばいいよ”と片手でなでながら、仕上げた。
ゆーさくにはつまらなかったかもしれないけど、私やとうちゃんは楽しいひとときを過ごすことが出来た。
ゆーさく、すまんね。

その後は、私ととうちゃんが昼ごはんを食べ(ここで、またゆーさくはつまらない時間を送ることに・・・)、その後は、園内を散策した。

その農業公園は、とてものんびりできて楽しくて、また行きたいなあと思うのだけど、少々難がある。
アスファルトのところはいいのだが、歩くところが大体、でこぼこの石畳なのだ。
通路と思われる真ん中には、でこぼこのない石畳なのだが、人がいっぱいでそこばかり通ることができなかった。
車椅子だけならいいのかもしれないけど、医療器具を載せているとなると、歩くたびに機械類ががたがたいう。
ただでさえ、少し目立つのに、音を出したらさらに目立つではないか・・・。
さらに、小動物とのふれあいコーナーに入ろうとしたのだが、入り口は少々狭く、人がたくさんいて車椅子のゆーさくは入りにくく入れなかった。

そういうことで、ゆーさくと動物とのふれあいを目的にいったのだが、それはできなかった。
それどころか、園内を散策中のゆーさくは表情がイマイチなのである。
車椅子からおろしてあげても、無表情(というか、写真左のような様子・・・)。
さらには、ちょこちょこ寝てばかり・・・。
仕方ないので、ひと通り園内を散策した後、かえることにした。

丁度、その日は、コスモスが綺麗に咲いていた。
園内の出口に向かい歩いていると、200円で、コスモス20本いただけるところがあったのでので、コスモスをちゃんと頂く(写真右)。
私はショートブーツを泥まみれにして、必死に、花が少し咲いてるけどつぼみがまだたくさんあるコスモスを取った。
草むらに青虫がいて”ぎゃっ!”となりつつ、また、皮膚アレルギーがあるので湿疹がでた腕をかいかいしながら・・・。

昨日のおでかけは、ゆーさくにとってはイマイチであった。
お出かけ中の喘息は大丈夫だっただけに、どうも、最近の不調は、やはりてんかんの影響なのであろうか・・・。
とはいえ、木工プレートやコスモスなど、とうちゃんや私にとっては、まずまずの休日をすごせたように思う。

次は、ゆーさくが調子いいとき、また行くぞ!
今度は、ゆーさくも楽しもうな!

2004年10月9日(土)
発作は発作だけど・・・。

昨夜、喘息発作もなく、朝を迎えた。
しかし、朝の咳がまだひゅんひゅんいうので、昨日のこともあるし、今日午後から月曜まで連休で主治医が捕まるかあやしいので、今日午前中病院にいった。
(かかりつけの病院は土曜の午前もやっているので。)
最初は、今日のゆーさくの肺の具合を診てもらって、状態が悪いのならば喘息発作時の対応を確認しにいくつもりであったのだが・・・。

ところが、喘息は喘息気味であった。
今後、SPO2(血中酸素濃度)が低くなったり、喘息発作がおこったら、入院セットをもって病院にくるようにという指示をもらった。
ところが、昨日の日記にも書いた、以下の保育園でのできごとを先生にいう。

”レスピを外して酸素で寝ていたら、頻呼吸になり、次第に顔色が悪くなる。
SPO2を測定したら、80から85で、80切ることも・・・。
起こそうとしても、なかなか起きない。
結局レスピに戻したら、SPO2は戻った。”

先生はそれは発作だといった(てんかんの)。
”へッ?”という感じである。
(てんかんとは、いずれ、このHPの病気のところで説明しようと思うのだが、簡単に言ってしまえば、神経の伝達がうまくかなくなり、発作的に痙攣をおこすことである。
痙攣といっても、がたがた体が震えたり、体を異常につっぱらせたり、逆に体がだらーんとしてしまったり(昨日のゆーさくはこれ)、いろいろあるようである。
脳に異常があったら、てんかんを持つことが、多いらしい。)
どうやら、昨日の保育園での出来事は喘息気味で呼吸状態が悪い、というわけではなかったようである。

ゆーさくは今まではっきりとてんかんとは言われていなかった。
てんかんがあるだろうけど・・・という感じである。
怪しいことは何度かあり、かかりつけの病院の小児科には先生が何人かいるけど、先生たちの意見がわかれていた。
でも、日常生活やゆーさくの命を大きく左右するてんかんのような症状は今のところない。
よって、てんかんを予防する薬はとりあえずのんでおけばいいんだ、と正直気持ちでいた。

てんかんの発作で、怖いのは”呼吸が止まる”ことである。
よって、昨日のがてんかんの発作であり、頻呼吸で呼吸していたとはいえ、SPO2が下がって(10分くらいだったかなあ?)中々戻らなかった、というのは、今から考えると怖いことだったのかも・・・。
(とはいえ、本当にてんかんの酷い子は、呼吸がすぐ止まるらしいので、そこまで怖いことではない。)
そういえば、保育園の先生も"呼吸がしんどいというよりも、なんか呼吸を忘れてるような感じやねぇ"と言っていた。
しかし、無呼吸になるほどの脳性麻痺ではないはずやねんけどなあ、とそのときは私は思った。
てんかんなど、全く考えていなかった。
最近はずーっととにかく喘息発作が起こるのが怖く、そのことが私の頭の大部分を占めていたのである。
しかし、発作といわれれば、保育園の先生が言った言葉はそのとおりやなあ、と今更ながら思うのであった

”先生は次からはそういうことがあったら、すぐ病院にきてください。
また、レスピを使ってもSPO2が元に戻らなかったら、すぐ近くの病院に駆け込んでください。”といった。
あちゃー、今回は失敗やったなあ、と私は思った。
最近、私は正直チアノーゼに見慣れていたという恐ろしい親であった。
SPO2がとりあえず回復すれば慌てて病院行かなくても大丈夫かな、と思っていたのである。
おそらく、今回は台風が来てて喘息ぽかったので病院に行ったわけで、台風が来てなくて元気だったら、次の診察(来週の火曜日)まで様子を見ていたところである。
(SPO2が80を切るのが10分以上続くようなら病院へ、という指示は前からもらっているが・・・)。

ここで初心に戻って、怪しいことがあればあまり家で様子を見ずに、すぐに先生のところへ行こう、と心を入れ替え反省した。
確かに、普通の人ならば、チアノーゼが起こった時点で、病院にいくだろう。
考えてみたら、チアノーゼは、命に関わることの初期の状態なわけである。
私のミスでゆーさくに苦しい思いをさせてはいけない、と強く思った。
正直、今日の先生の診断はショックであった。
てんかんがあるかもしれない、というのは前々からわかっていたのに、発作に気づいてあげれなかった、という意味で。
また、喘息発作にびびっているのに、これからはてんかん発作も気にしないといけないのかあ、というやるせないキモチもある。
ゆーさくのてんかんがはっきりしたことがショックというわけではない。
もう、昨年から本当にいろいろあったので、てんかんがはっきりしたということに関しては、”次はそーきたか・・・”って感じであるのだ。

ところで、てんかんの発作は、発作の仕方や、頻度など、いろいろあるようである。
とりあえず、”寝不足”&”体調不良”&”薬をちゃんと飲んでいない(薬が合っていないも含む)”が発作が起こる要因であるらしい。
とはいえ、昨日のゆーさくはどの要因も思い当たらない。
先生は、今までも飲んでいるてんかんの薬の一回量を増やすように指示をしてくれ、また発作が起こったときに入れる座薬を処方してくれた。

最後の方で、先生は”昨日だけで、今後起こらないこともあるし”と言ってくれた。
少し、私は気楽になった。

・・・でも、気楽になりすぎないように、しなきゃなあ。
同じ過ちは繰り返さないように・・・。

2004年10月8日(金)
怖い夜

今日のゆーさくは寝てばかり・・・。
昼に2時間くらい、保育園で手遊びなど楽しむ時間があったから、よしとするか・・・という気になりたいのだが、今日は何故か私自身イマイチそういう気持ちになれない。
午前中、保育園で寝ていたとき、呼吸器のレスピをはずして、酸素で様子をみていたのだが、なんか頻呼吸。
顔色がイマイチになってきたなあ、と思って、SPO2を調べたら、低い(90くらいはあって欲しかったのに、85をふーらふら、80切ることも)。
起こしたらあがるかなと思ったけど、むりやり起こしても、起きないのである。
結局、レスピに切り替えたら一段落したので、様子をみる。
レスピでも低くなるようだったら、病院にいかねば、と思っていた。

また、朝、泣いてむせたときの咳がひゅんひゅんいってて喘息の咳っぽい。
台風が近づいている。
そのせい?
昨日まではとても調子よかったのに、今日朝、雨やなあと思った矢先のことであった。
でも、咳も泣かない限りでないので、大丈夫かな、と思っている。
昼からは泣くこともほとんどなかったので、ひゅんひゅんの咳は聞いていない。

ところが・・・、家でふろにはいるとき、レスピを外して酸素にするのだが、このときもゆーさくは寝ていて、またまた頻呼吸。
やばーっと思って、さっさと風呂をでて、レスピに戻した。
SPO2は低くなく落ち着いていた。

しかし・・・19時35分くらいから、ゆーさくは突然咳をしだす。
痰はそんなにでてなくて、ヒュンヒュンいってるし、素人聴診ではあきらかに胸の音がいつもとちがう・・・。
あー、喘息だあ、私は力がへなへなとなってしまった。
とはいえ、SPO2は全然大丈夫なのである。
なので、10分くらい咳が続いた時点で、吸入をした。
吸入するとすぐ咳がとまったし、なによりゆーさくが楽そうな表情をした。
よかった〜、とわたしは一安心。
軽い喘息発作だったのかな。
念のため、最近止めていた気管支拡張の貼り薬(ホクナリンテープ)も貼っておいた。
その後の素人聴診では少し、ましになっているような・・・(咳がとまってるだけのことなんだろうけど)。


とはいえ、今日の寝てばかりでレスピ無しで寝るとSPO2はさがるというゆーさく・・・やはり、何かあるんだろう。
”こわいなあ”と思うけど、”考えすぎかな”とも思う。
いつものことだが、本当に判断に悩む一日であった。
けれども、喘息は夜がピーク。
しかも、台風はこれからもっと近づくとのコト。
まだまだ私は怖い。

入院は極楽なのだが、生活のリズムが崩れるのが難点。
しかも、明日から3連休でとうちゃんが家にいるので、私は好きなことができる(?)。
来週は、火曜が脳波検査、水曜が養護学校見学、木曜が定期診察(で脳波の結果がきけるはず)、金曜はいつもどおり保育園で・・・とイベント目白おしなのだ。
再来週にいたっては、月曜日に、昨年のクラスメートとの集まり(りす会)があり、おいしいランチを食べに行く予定。
なので、入院は、ちょっと今回は勘弁してほしい・・・。

そういうことで、今日の夜はとても怖い。
できれば、病院に行かなくて済むのがベスト、そうでなくても明日午前中に病院に行くくらいでもよしとしよう。
でも、でも、万が一、夜中病院に行くことを考え、今日は私は早く寝ます。

2004年10月7日(木)
介護

今日は、定期健診と嚥下訓練の日だった。

定期健診では、主治医が新たなシステム導入を提案してきて、私もそれに”やってみます”と話が少し盛り上がる。
といっても、全然たいしたことではない。
外来受診の当日の朝、受診の際もらうカテーテルやガーゼなどの消耗品の請求内容を、あらかじめ病院にFAXしておく、というだけの話である。
毎週決まった数をもらうのなら、別にスムーズに済むのだが、人工鼻なんて1週間で使う量は週によって変るので、毎週病院に行く前に私はいつも家にある医療消耗品の在庫数チェックをし、あらかじめ計算済みの1週間分の必要数との差だけ、病院に言ってもらっている。
外来の診察を受けて”これだけください”というので、それから準備をしてもらったりすると、結構時間がかかることがあるし、滅多にもらわないものを急にくださいというと外来の職員の方も慌てるようである。
そういう中での主治医の提案。大賛成なので、来週から早速実行してみる。
私のほうも、我が家の電話はFAX機能付だけど、一々紙にかくのがめんかどうなので、機械いじりの好きな旦那が趣味で繋げたのはいいけどほとんど活用されていない、パソコンからのFAX機能を使ってみることにする。
そうすれば、あらかじめ、パソコンで送信画面のフォームを作っておいて、後は、病院行く日の朝、パソコンに軽く打ち込んで、送信ボタンをクリックで、病院にFAXが送れるわけだ。
うまくいくかな〜。

さて、肝心のゆーさくの診察、呼吸状態のほうは良好であった。
が、最近、体のつっぱりがまたでてきたし、しゃっくりを短時間とはいえ日に4回も5回もする日があり、また笑うことはあるけれどちょっと前に比べたらあまり笑わなくなったような・・・ということが最近気になり、先生に相談。
”そういえばそろそろ検査時期かな”と言われ、早速、来週、脳波検査と相成りました。
といっても、いつも脳波検査ははっきりとした異常はないけど、正常でもない、という曖昧な結果続きなので、今回もそうかなあ、と思っている。

嚥下訓練のほうは、今日はいつもよくたべるヨーグルトを持参して、食べっぷりをめぐたん先生に観てもらう。
”ホント、ヨーグルトはよう食べますね〜”と褒めてくれるくらい、病院でもヨーグルトをよく食べてくれた。
めぐたん先生、今日の嚥下訓練は、○かな?◎までは行かないですよね。
”ごっくん”するとはいえ、そんなに完璧じゃなかったし・・・吸引もSPO2のアラームも多かったし・・・。

さて、今日は外来の待合で年配の方と話しをした。
その方は旦那さまの介護に追われている方で、リハビリ室でよく会う方である。
入院の時期も重なったことがある。
他のリハビリ室で話かけてくるおばさんは”まー可哀想に・・・”とか一方的にいう方が多く、結構うざったいときがあるのだが、この方は始めからそういうおばさんとは違う感じ、”親子でがんばってるね”という風に話かけてきてくれる方であった。
介護する側ということで、その方との話には結構共通するものがある。
また、ゆーさくもその方の旦那さんも脳が起因で介護状態になっている、という部分では共通している(?)。

最近、その方は”ショートステイ”(何日か施設に預ける)を利用し始めたとのコト。
あまりにも自分がラクになるので、夫婦関係が壊れそうだ、といっていた。
それに関しては、私は答えようがなかったけど。
でも、その方は、ぼそっと”お子さんだったら、まだまだこれから伸びるよね。うちはもう進展はあまり望めないんだけど・・・”とおっしゃった。
それに対し私は”まあ、伸びるっても、脳があかんので、伸びるにも限界があるみたいですわ”と答えたけど、確かにその方の介護はキビシイ世界だなあと感じた。
リハビリ室や病棟で見るその方の姿は、いつも旦那さんについてて頑張っているように私には見えていた。
私でさえとゆーさくへの文句があるのだから、その方ももちろん旦那さまに対する文句はあるようだけれど、でもそれはちゃんと介護している上での文句であることから、本当に旦那さまに一生懸命な方だな、という印象も持っている。
お互い一生懸命介護しているのだが、私の介護は”子供を楽しく育てる”ための先の少しある介護であり、といったところであり、その方の介護は”余生を楽しく送る”ための先の見えない介護である。
この差は、さすがにその方とは分かちあうことはできなかった。

でも、私は、こう反論できないこともない。
”こいつは、生まれてからずーっと一人で好きなところへ行ったり、好きなものを一人で食べたりする、そういう楽しさを経験したことがないですし、これからも一生多分ムリだと言われています”と。
つまり、すごい失礼なことを言うが、人間として普通の生活を送れていた分、羨ましいかな、ということ。
でも、それは言えない。
どちらが羨ましいというの話は、結局”隣の畠は良く見える”(?)みたいなものであるから・・・。
障害ある家族を世話をするということは、どんな障害であれどの程度の障害であれ、それぞれどの家族にとっても、ショックなことである。

でも、その方のおっしゃるとおり、ゆーさくには少しとはいえまだ先があると私は信じている。
だから、改めて、私はこの方の話を通じて、私もとうちゃんも頑張ってゆーさくなりの人生でいろんな経験をさせよう、ゆーさく一人で行けないなら私たちが連れて行こう、と強く思った。
とはいえ、私たち夫婦二人が盲目的にはならないよう、手伝ってもらえる方の協力はなるべく使うようにして・・・。
(でも、さすがにゆーさくが契約しているショートステイの施設は、少し遠いし、全く知らない病院だし、勇気いるなあ・・・。)

2004年10月6日(水)
音楽ネタ

今日の日記ネタは、音楽である。
たまには、私も大好きな音楽を語りたい、といっても語るほどの情熱や知識があるわけではないけれども。

今日、ネット通販で予約していたCDが1枚、とDVDが1枚届いた。
CDはフィンランドの若手のヘビメタのソナタアークティカの最新アルバム。
DVDはアメリカのヘビメタのドリームシアターの先月発売されたばかりのDVD。

CDは明日、車でも聴けるので、DVDのほうから見ている。
5000円くらいで高いと思ったが、全部で3時間以上も過去のビデオクリップやライブでの曲の演奏が入っており、安いと言えば安い・・・。
今日、とうちゃんが出張でいなくて、本当によかった。
じっくり観れる。

ところで、今もDVDを流しているのだが、ゆーさくはどーいうわけかずーっと1時間以上も画面に釘付けになっている。
画面的にはそんなに鮮やかでもないのに・・・。
ましてや、音楽はヘビメタであり、しかも洋楽・・・。
とうちゃんがいたら”ゆーさくに悪影響や。”といやみを言っていたであろう。

いいわけがましいが、ヘビメタも奥深いのだ。
音が厚いということで、クラッシックのオーケストラと根本的には似ていると思っている。
また、私は英語が苦手だが洋楽が好きなのは、結局ボーカルの歌も楽器の一部のようにとらえているからである。
(どうしても日本のポップやロックはボーカルのメロディーラインや歌詞ばかり目立つので、あまり聴かないのである。)
ヘビメタでもきれいに歌を歌うバンドはたくさんあるし、逆に叫ぶように歌うバンドでも実は演奏が本当に上手だったりする。
アップテンポな曲ばかりではなく、綺麗なバラードの曲もたくさんある。
そういうわけで、私自身、ゆーさくには本物の音楽を聞かせているつもり。
ヘビメタならなんでもいいわけでなく、私の中では”演奏力がある”と思ったバンドしか聞かないし、また、ちゃんと、小さいけど5つのスピーカー+ウーハーのサラウンドシステムを独身時代に買っていて、ラジカセをアンプにつないで、サラウンドで音楽が聴けるようにしている。
(ちなみに、あまり聴くことはすくないけど、ヘビメタ以外にも童謡やクラッシックのCDはちゃんと我が家にそろえているし、ゆーさくの友達がくるとそういうCDをかけるようにしている。)

でも、やはりとうちゃんにも私の実母にも、”ヘビメタやロックなんかよりも・・・”と言われる。
”お母さん、素晴らしい!ゆーさくくん、いい環境で育ってますね。”と言ってくれたのは、ゆーさくが使っている医療器具のメーカーの担当の営業さんだけである。
彼もたまたま私と同じ趣味だっただけの話なのだけど。
(ちなみに1年位前に、メタリカというアメリカのバンドのライブに行った時、その営業さんと会った。
その日は午前中はゆーさくが病院の日で、ゆーさくを病院に連れて行っていたのだが、午前中も病院でその営業さんとは会っていたのであった・・・。)


今日はドリームシアター漬けの夜となる。
前作のドリームシアターのDVDは音質が2ch(左右、だけのステレオ)しかなかったが、今回のDVDは5ch(中央+左右+後ろ左右、のサラウンド)も選択できるようになっていて、それだけで感激であった。
耳だけはとてもいいゆーさくくん、いつも聞かされる音楽と少し違うのがわかる?ってわかるわけないか・・・。

2004年10月5日(火)
再会

今日は、保育園&病院の日。
とはいえ、とうちゃん出張の為、ゆーさくと私は18時過ぎに家に帰ったが、結構私は時間に余裕がある。
体力的にも結構余裕だ。
なーんてコトを書くと、とうちゃんは悲しそうになるので、ここまでにしておこう。

今日は、病院でとうとう元NICUのゆーさく担当の看護士さん(今は別の病院にいる)との再開を果たした。
とはいえ、年に1.2度は、現在他府県にいるその看護士さんはこっちに遊びに来てくれて、ゆーさくの姿をお見せする機会がなんとか取れているのだが・・・。
久しぶりに会った看護士さんは、全然変っていなかった。
ゆーさくは、人見知りをして泣きはしなかったけど(女の人は大丈夫なので)、やはり誰なのか忘れている様子であった。
せっかく、笑顔や声(呼吸器で肺に送られる余分な空気が口鼻から漏れることによる)を披露したかったのだが、ずーっと無表情だったので残念。
でも、リハビリを頑張っている姿は披露することができた。

今日の病院は、リハビリであった。
みんな(その看護士さんと、もう一方、今もNICUにいらっしゃる看護士さん)でゆーさくのリハビリを見てもらっていた。
ゆーさくの首の据わりように、看護士さんたちは喜んでくれた。
また、たまたまなのだが(本当にたまたま)、10秒くらい誰のささえもなくゆーさくは座位をkeepしたのである。
みんなで”すごーい!”と盛り上がった。
(とはいえ、本当に、”つぼにはまった”という感じのお座り。座位の姿勢をとることはできるのだが、すぐ崩れるし、崩れたら崩れっぱなしで体勢修復を自力でできないので、たまたまゆーさくが動かなかったというだけのことである)
パワーアップしたゆーさくを披露できて、私は一安心した。

こうやって、年に1度会えるか会えない人と会う、ということは、ゆーさくの成長振りを振り返るいい機会だなあ、とつくづく思った。
毎日一緒にいると中々成長振りを感じることはないのだが、たまに会う人に会ったときに”前回この人と会ったときゆーさくはあーだったなあ。それを思うとゆーさくも変ったなあ。”など、思ってしまう。
(結構、私の自己満足が入っているけれども・・・。)

ゆーさくへ。
次、その看護士さんと会うときは、もっとパワーアップして、”俺こんなことすんねん”って披露しような!
笑顔を振りまくとか、お座りを披露するとか・・・。

ところで、その看護士さんに今日、”おかあさんのメールって、医療関係者用語をふつーにつかってて凄いですね”といわれた。
人工呼吸器をレスピ、そのレスピのゆーさくが使っているモードをCPAP,、ゆーさくの脳の病気である脳室周囲白質軟化症をPVL、など・・・。
(確かに、今日保育園でお子さんがゆーさくと同じ脳室周囲白質軟化症であるおかあさんに、PVLってさあ、と話をしたら、え?といわれた。)
別に、私は勉強をしているわけではない。
5ヶ月の付き添い入院をしていたら、レスピなどゆーさくが関わることに関しては自然と素人の口から出てくるようになる。
付き添い入院中はヒマだし、看護士さんや先生方と話す機会が多い(くだらないことで長話しになることも多々あり。病院のみなさま、私の相手をしていただき本当にありがとうございます。)。
先生に教えられることもあるし、自然に覚えられる。

なので、元Nの看護士さん、私は全然凄くないっす。
大体、脳室周囲白質軟化症ー”のうしつしゅういはくしつなんかしょう”なんて、舌足らずで”さしすせそ”の発音が”しゃしぃしゅしぇしょ”になる私には、未だに言いにくいんです。
PVL−”ぴーぶいえる”といったほうが、断然言いやすいですぅ。

2004年10月4日(月)
昨日のこと、ふたつ

昨日は、保育園の昨年のクラスメートたちが我が家に来てくれた。
メンバーはこのHPのお友達コンテンツに登場しているさっちゃんとあやちゃんかずくんなっちゃん親子、ななかな親子、そしてことちゃん親子である。
楽しい様子は、さっちゃんママがさっちゃんのHPにて書いてくださっている。
ので、興味ある方は、リンクからさっちゃんHPに飛んで見てください。
(同じこと書いてもなあ、と思ったので・・・。)
ちなみに、写真は久しぶりのさっちゃんとの2ショット。
お互い笑顔の写真がとれなくてざんねん。

さて、私はゆーさくをとうちゃんに任せて、子供たちとプレステで遊んでいた。
子供たちと遊ぶのは自分自身とても好きで楽しいのだ。
自分がまだまだ子供だからかな。
子供たちのパワーの中に揉まれて一緒になって遊んでいた。
遊んでいる最中はとても楽しいのだが、皆が帰った後、少々疲れが・・・。
ああ、体力的にはもうおばさんなんだ・・・いつまでも、若作りしてちゃ体が持たない・・・とつくづく思った。
とはいえ、またこういう機会があったら、体力を忘れ、私も子供のように遊ぶんだろうなあ・・・。
あやちゃん、かずくん、なっちゃん、ななちゃん、ことちゃん、また遊ぼうな!

旦那は子供(+私?)たちのパワーにビックリしていた。
ここのところのゆーさくは人がたくさんいるところにビックリする傾向があり、ゆーさくもビックリして寝てばかりで起きると泣いていた。
(前は、人がたくさんいるところは、好きそうだったのになあ)
二人とも、皆が帰った後は、即効熟睡していた。

とはいえ、とても我が家は充実した一日だった。
集まってくれた皆に感謝感謝です。
次はどこにあつまろうかな〜。

さて、昨日はもう一つネタがある。
昨日朝、割と近くにすむいとこから電話があった。
”いま○○○ホール(いとこの家の近く)やねん。
今度杉田あ○ひろさんのコンサートがここであって、チケット買いにきてんけど、ゆーさくくんちもどう?”
ということであった。
私は”うそっ!まじ?いくいく〜”と旦那の予定も許可も聞かず、チケットを買ってもらった。
杉田あ○ひろさんは、おかんといっしょの前の歌のおにーさんである。
この方、歌声がとてもきれーだった。
日本の歌手の方をよく私はわからないのだが、なんとなくだけど、童謡などシンプルな歌を上手に歌える人ってとても歌唱力があるように思う。
もちろん、このおにーさんの歌う童謡はぴか一だと思っている。
そのおにーさんのコンサートだ、行くぞぉ。

と、張り切ったものの、そういえばそのホール行ったことないし、バリアフリーになってんのかな、車椅子席あるのかな?と少し疑問に。
でも、いとこは”そういえばそうだね。車椅子席あるか、交渉してくる〜”と一旦電話を切って確認してくれた。
再度電話があり、車椅子席ってのはないけど、端のほうだけど、ちゃんと車椅子でも見れるようにしてくれるとのこと(しかも前から5列目(^^)V)。
そうして、我が家も杉田あ○ひろコンサートのチケットをGETしたのでした。

本当にいとこに感謝感謝です。
なかなか、移動に大荷物で、しかも移動する先々で目立つゆーさくだけど、そんなん関係無しに誘ってくれるいとこに感動した。
私自身もいろいろ出かけようとはしてるけど、こうやって誘ってもらえる機会ってあまりない。
とってもとっても、今回のいとこのお誘いはうれしかった。
これからも、みえこちゃん(みえこちゃん以外の方も)ゆーさくの事など考えず(?)、じゃんじゃん遊びやイベントに誘ってくださいね。

ちなみに、いとこ親子とコンサート関係に行くのは2回目であった。
一回目はおかんといっしょのファミリーコンサート。
そのときは、あまりいい席ではなかった。
ところが、ゆーさくは結局車椅子席に案内され、チケットでとった席よりいい席へ。
ゆーさくは、ゆーさくなりに楽しんでくれていた(ので、終演と同時に寝てしまった)。
かたや、いとこの子供とこぽんは、初めてのコンサート会場にびっくりしておお泣き。
泣き止んでも、ホールに入ろうとするとまた泣き出す始末・
結局、ホールの外で、コンサート関係者の方が見るモニターでコンサートを見たらしい。
なので、コンサートといえば、ゆーさくよりとこぽんのほうが、私も心配だ(笑)。
今度は、とこぽん楽しめるといいね♪。

2004年10月2日(土)
懐かしい人

昨晩、とうちゃんは結局23時前に帰ってきた。
昼ごろ"出張先から会社に寄って、家には21時に帰る”と電話があり、21時に一旦家には帰ってきたのだが、それは荷物を置きに家に寄っただけで、またすぐ会社へ行き、それで23時に帰宅となったのだった。
一応、優しい妻の私は、自分の夕飯もも待ってあげていた。
でも、なんか少しムカつく。
いつも、予定時間ではなくて、とうちゃんは希望予定時間を言うのだ。
なので、いつも30分から2時間遅れる。
昨日も21時といわれた時に、23時帰宅の覚悟は私はできていた。
でも、なんかムカつくのであった。
ま、いつものことなのですが。

今日、夜、珍しい人からメールがあった。
NICUの元看護士さんで、ゆーさくの担当で会った人。
今は違う病院で勤めている。
たまたま、私とその元看護士さんの実家のある県が同じであり、私は結婚で実家を離れ今いる地にきたのだが、入れ替わりゆーさくがNICU退院の1年後に彼女はこの地を離れ実家の地に戻ったのである。
ゆーさくが5ヶ月くらい入院していたし、後遺症を残したこともあるのだろう、彼女はとてもゆーさくのことを退院後も気にしてくれていた。
NICU退院後は、ゆーさくが外来に行くたびに、勤務が重なっていなかったら、彼女は外来まで会いにきてくれていた。
彼女が病院を変っても、半年に一度くらい、こっちに遊びに来るのだが、時間を空けて、会ってくれていた。

NICU時代は、彼女がゆーさくの担当で本当によかった。
若くていつもしゃきしゃき頑張っていた。
ゆーさくが何かあるたび、私たちにすごい気を使ってくれていた。
なにより、ピカ一だったのは彼女の明るさであった。
NICUではいろんなことがあったが、私自身が結構ポジティブで明るい方なので(と自分では思っている)、私と彼女の明るさでゆーさくの保育器やコットの周りはいつもニコニコな雰囲気でいられたように思う。
もちろん、経管栄養で退院することが決まった時の、彼女の私たち夫婦へのフォローはとても厚く丁寧であった。
彼女にはとても感謝している。

今日のメールも、来週火曜日、彼女がこっちに遊びにくるとのこと。
毎週火曜の午後と、木曜の朝からは病院に行っている、ということは、前々から伝えていたのだが、今回も彼女は時間を合わせてくれるみたいだ。
めちゃめちゃうれしい。
来週の火曜日がとても楽しみだ。

とはいえ、ゆーさくは昨日くらいから、たまに咳をする。
昨日よりも今日は咳がすこーし増えている。
痰が絡んでいる咳なので、大丈夫なはずなのだが、いつ空咳になり喘息発作になるかわからないから、咳をするたびにどきどきである。
明日は、友達のさっちゃんとかと会う予定なのに・・・。
でもでも、全然たまーに咳くだけだし、痰もいっぱい出るので大丈夫だとは思う。
なんとか、火曜日、病室でなくて、リハビリ室で彼女と会いたいものだ。

さて、久しぶりに彼女に会って、ゆーさくどういう反応を示すのか、それがとても楽しみだ。
おそらく、”この人だれ?”って、横目でじーっと彼女を観察するのであろう、きっと。
そういう、ゆーさくのしっかりとした反応を、1年ぶりくらいに会う彼女はまだみたことがないはず・・・。
彼女の反応も楽しみである。

2004年10月1日(金)
家族

もうすぐとうちゃんが出張から一旦家に帰ってくる。
ちなみに、とうちゃんがどこへ行きどこのホテルに泊まっているかを把握していない私・・・。
どこへ行くのかは一応聞いているのだが、ちゃんとカレンダーにメモしない限り、すぐ忘れているのである。
また、とうちゃんには何回か”一応、出張先に移動し終えたら、ちゃんと着いたかどうか連絡入れてよ”と言っているのだが、まったく頭にない様子で、今回の出張中は、出張3日目の台風の日に”ゆーさくは喘息なっていないか?”というのと、今日”今日戻るけど、遅くなる”という電話があったのみである。
未婚の友達には”冷めた夫婦関係やね”といわれるが、どこの夫婦もそんなものでは?・・・ちがうかな。

今日、保育園は母子登園であった。
母子登園とはいえ、保育園に行くと基本的に子供とは別行動である。
保護者室という部屋で、行事の準備をしたり勉強会をしたり、何もないときは自主活動といって保護者同士の交流会と称し、おしゃべりして楽しんでいるのである。
今日は、昼から自主活動の日で、保護者室で他のお母さん方とお喋りしていた。
今日のネタの中に、旦那とのこと、というネタがあった。
ディープな話もあったし、個人のプライバシーにかかわるので、中身はいえない。
ただ、その話をしていて、私は、文句はあるけれども結構旦那とうまくやれているんだな、と思ったのであった。

今年の3月くらいに、一度旦那と大喧嘩したことがある。
ゆーさくが入院中で、呼吸器導入をする時期だった。
ゆーさくの障害に対し、二人の考え方が受け止め方がまったく違うのである。
ゆーさくが仮死で産まれ、経管栄養のままNICU退院、酸素療法導入、窒息挿管事件、細気管支炎での挿管事件、気管切開決断手術、喘息の大発作、人工呼吸器導入、と、この3年間の間に、私たち夫婦にはいろんな苦悩や決断を迫られた。
(といっても、難病や脳性麻痺児の親の方はみんなそうであろうけど・・・)
実は、そのたびごとに、夫婦の間の考え方のズレが生じてきていたのであった。
自分たちのことならば、結婚にいたらず、独身のときにすでに別れていたであろう。
お互いが大切に思っている子供のことだけに、最初は話合いのように始まった会話が大喧嘩になったのだ。
お互い譲ることができなかった。
入院中ということで、看護士さんや他の患者さんが回りにいたのに、怒鳴りあう。
結局、そのときは、面会時間切れで喧嘩別れに終わり、数日後、ゆーさくの障害について改めて主治医ととうちゃんが二人で話しあう時間をとって、第3者の意見を聞くことでとうちゃんが少し考え方を見直す感じになり、また、ある障害児を持つ家族に関して書いてある本を読むことで私自身も間違って持っていた夫婦感を変えることで喧嘩は収まった。

そのときのことはまだ私の中で大きく残っている。
それまで、甘ちゃんの私は、男といえば家族の大黒柱でありしっかりとして欲しい、と常に一方的に思っていたのである。
実は、まだ私たち夫婦は、結婚3年すぎたばかりで、まだ本当の夫婦になれていなかったのである。
とうちゃんに、しっかりとしてほしい、という事は、経済面、社会面においてはそれは私に経済力や社会性がない為当然のことだと思っているが、精神面はまた別モノである。
結局夫婦は他人であり、感じ方や考え方が違うのは仕方のないことなのだ
それが私にはわかっていなかった。
その大喧嘩以後、一人一人が精神的に自立した上で、家族として生活を支えあい楽しんでいかないといけないのかな、と私は思うようになったわけである。

私はその喧嘩以後、とうちゃんに”精神的にしっかりして欲しい。私の精神的支えになってほしい”と要求するのをやめた。
そう考えるようになると、とうちゃんともっと仲良くなれ、家族がまとまったような気がした。

そうとはいえ、ゆーさく以外のことでお互い文句はあるけれども・・・。
そんなこんなで、それなりに今の私たち家族は、いろいろ事件は起こるけど、結構それなりにうまくやっていけてるのかなと思う。

とはいえ、今、家族がまとまっているように思えるのは、ゆーさくの状態はそれなりに落ち着きかけているからなのかもしれない。
また、ゆーさくに何かあって、何らかの決断を迫られるようなことがあったときに、また、大喧嘩になるのだろう・・・。
なので、ゆーさく、これ以上とうちゃんとかあちゃんが喧嘩しないようにしてね。

2004年9月30日(木)
(告知)近々、素晴らしいコンテンツが登場する予定です

今日は、通院の日。
台風が過ぎ去った後で本当によかった。
ゆーさくも喘息がでなかったのでよかったよかった。

まず主治医の診察を受ける。
2.3日前から意味不明の筋緊張がたまに入り、元気が少しないので、台風で喘息はでなかったものの体調は少し下降してるかな、ということでした。
ついでに、最近ゆーさくの今後について思うことを先生に愚痴っぽく言ってしまった。
先生はちゃんと聞いてくれて(木曜の午前中は割と込んでいるのにスイマセン)私の考え方と同じようなことを言ってくれたので、やっぱりそうだよな、と少し私は心が落ち着いた。

診察の後は、大ちゃん先生によるリハビリであった。
リハビリはゆーさくは結構頑張っていたのであるが、なによりも今日は大ちゃん先生に、素敵なプレゼント(?)を私はいただいた。

何度かこのHPに名前が出ていて、昨日の日記にも書いたのだが、ゆーさくが受けているリハビリは”認知運動療法”という最近流行ってきたリハビリ方法である。
小児のリハビリではまだまだ無名であるため、他のよくやられているリハビリ方法を受けている方などには、新手の新興宗教のように思われそうなので、私はあえてこのHPでは認知運動療法については書いていない。
この認知運動療法は一人一人にリハビリ方法は異なる為、ここのHPでゆーさくがどういう風にリハビリを受けているかということは書けるけれども、認知運動療法とはどういうものか、となるとなかなか私ではぱっと言葉にまとめて書けないというのもある。
それを大ちゃん先生に以前話をしたのだが、大ちゃん先生は”認知運動療法を説明するのに専門家向けの本や文章はあるけれど、一般向け文章ってないし、いつか僕自身で一般の人に説明できるような文章作りたいと思ってるんですよ”というのである。
そこで”じゃあ、ゆーさくのHPに載せるし、一般向けの文章書いてくださいよ”とお願いすると、快く引き受けてくれていたのである。
しかし、大ちゃん先生は、昨日の日記に書いているように、最近学会の発表などがあり忙しかったのである。
でも、今日”昨日ね、書き始めてみたら、一気に書けたんです”といって、一般の方向けの認知運動用法とはどういうものか、という文章を完成させて、私に原稿をくれたのである。
といっても、私が読むため用の原稿であり、HP用の原稿はPCのデータとしていただくため、今日はまだ頂いていない。
また、データをいただいても私がこのHPのコンテンツの一つとしてまとめなければいけないため、実際このHPに載るのはもう少し時間がかかる。

頂いた原稿を読むと、子供が障害児でリハビリを受けているという親には、おそらくとてもよくわかりそうな文章であった。
ちなみに、私は小児の認知運動療法の専門書を入手し、私なりに読んでいるのだが、その本は1ページ読みそれなりに理解するのにかなり時間がかかったのだが、原稿の文章はすーっと読め、”そうそう、そうなのよね〜”といった感じであった。
(とはいえ、私はすでにある程度認知運動療法がどういうものか、なんとなく理解しているというのもあるかも)

ゆーさく(&最近首がしっかりしてきたさっちゃん)の発達振りに興味ある方、子供が他のリハビリ方法を受けているが伸び悩んでいるという親の方、小児のリハビリに興味ある方、もちろん小児だけでなく大人のリハビリでも認知運動療法はあるので年齢症例関係なくリハビリに興味ある方はぜひ一度読んでみて欲しいと思っている。
ちなみに質問があったとしても、私では返答に困るし、あくまでもゆーさくを始め我が家がメインのHPであるため”ゆーさくが受けてるリハビリってこういうもので、世の中にはこういうリハビリもあるんや〜”って程度に読んでいただけるといいかなと思うし、さらにはまた、認知運動療法を受けたいという方が出てきても、私には病院や大ちゃん先生を紹介したり情報を公開することは一切しないつもりである。

そういうことで、近々このHPで、ゆーさくの先生による特別寄稿がUPされる予定である。
お楽しみに・・・。

2004年9月29日(水)
ビデオ見る

台風がきた。
雨風が強い。
今、TVで丁度ゆーさくが住んでいるところを台風の中心が過ぎ去ったそうである。
ちなみに22時が過ぎたのだが、ゆーさくは起きている。
台風の影響がなさそうで、声までだして、目がらんらんとして、寝かせていたら寝返りしそうな勢いである。
なぜ、今こんなに元気なのだ、こいつは?

今日の今日のゆーさくは朝から元気がなかった。
一日まったり(体に筋緊張がなくリラックスしつつぼーっとしてる状態)としていて生気がないという感じ。
雨や台風の加減か、痰は多いのだが、痰がちゃんとでているし喘息ぽいひゅんひゅんという空咳もないので、体調が酷く悪いわけではなさそう。
また、一日ちょこちょこよく寝てくれた。
台風が近づいてるし、すこし影響を受けてるのかな、と少し心配をしていたのである。
ところが、今のこの元気はなんなんだ!ほんとに・・・。

昨日のことであるが、リハビリに行ったときに、学会の発表を録画したビデオをお借りした。
その学会とは、今ゆーさくが受けているリハビリの学会である。
ゆーさくのPT、大ちゃん先生が発表したのである。
大ちゃん先生の発表をビデオで見せてもらったのである。

脳性麻痺児の定頚(首据わり)のリハビリの方法がテーマであった。
(具体的なリハビリ方法は専門用語が多いのでここでは省く)
発表には具体的症例として実際患者さんを紹介する。
実はその症例の患者の一人としてゆーさくとゆーさくの昨年のクラスメートで鼻注先輩のさっちゃんが写真で登場したのである。

ゆーさくの首は大体据わっている(まだささっと首を旋回することはまれだが、とりあえず抱っこしたりするのに首をささえる必要はなくなった)。
ゆーさく自身の自然な発達もあるのかもしれないけれども、ゆーさくは筋緊張があって肩や首周りに力が入り固くなりやすい。
筋緊張がある限り首が自由に動かせるわけがない。
その首周りの筋緊張が入らないようにし、なおかつ首だけを動かすようにしむけたのは大ちゃん先生のリハビリである。
また、首を動かす大前提として、ゆーさくの周りに何かがあり、ゆーさくがそれに気づき、何だ?とゆーさく自身がその何かに気を向け、首を動かし確認しようとするきっかけをもってもらわないといけない。
いくら首周りの筋緊張がなく、正常に動くとしても、動かすきっかけがないと首は動かさないはずである。
首を動かそうとするようになるにつれて、ゆーさくの首はしっかりしてきて、定頚につながったように思う。
特別に首の運動などしていない。
その首を動かそうと仕向け、ゆーさくが上手に首を動かせるように仕向けた(最初は最低限の介助をし、だんだん介助なしに)のは大ちゃん先生のリハビリである。
よって、ゆーさくの定頚は大ちゃん先生のリハビリの効果であると、私は思っているのである。

なので、ゆーさくを学会の症例で使いたい、と言われたときはうれしかった。
目立ちがりやというわけではない(私を知っている人には信じてもらえないかもしれないが・・・)。
症例で使ってもらえるくらい、ゆーさくが定頚したのはすごいことなのかないう意味でうれしかったのである。
実際ビデオをみたときは、改めて何気ない健常児ではまったく自然なことである首の定頚の奥深さを感じた。
そして、学会の会場の大きなスクリーンに映し出されたゆーさくの写真に、今では定頚は当たり前のことになり気にもあまりしてないのだが、改めて定頚を獲得するのに今までよくゆーさく頑張ったなあ、と思った。
これからも、ゆーさく、大ちゃん先生と共に頑張ろうな。
絶対、寝たきりから脱出しよう!
寝たきりから脱出したら、きっともっと呼吸が楽になるよ!もっと遊びが増えるよ!毎日が楽しくなるよ!

さて、学会で使われた写真なのだが、ゆーさくは場違いな服装であった。
大ちゃん先生は服の色と介助の手の色が同色系になり少し失敗、とは言っていたが、柄などは気にしていないと思うのだが・・・。
写真のゆーさくの服装・・・グレーの龍が何匹か舞っている渋い黄色のアロハシャツに真っ赤な綿ズボン・・・。
ミニチュアのおっさんスタイルだったのである。
一応、親の見栄として、次ゆーさくが使われるようなことがあったとしたら、ちょっとしたブランド服を着せてあげるね。

2004年9月28日(火)
らせん状に・・・

今日は、保育園で朝も昼も寝た様子・・・。
先生に最近こういうペースですね、と言われ、そういわれればそうだなあ、と気づく。
ということは、先日の運動会は、最近のゆーさくの生活ペース通りであったので、別に会場にびびっていたわけではないのかなあ、と少し安心した。
でも、夜もよく寝てるのに・・・涼しくて寝やすい秋になったから???
本当に訳わからない。
親としては、保育園の午前中に遊ぶときは遊び、昼に寝るときは寝てほしいのだが・・・。

今日、保育園でしっかり寝たあとは、夕方リハビリであった。
いつもは火曜日は認知運動療法の日なのであるが、今日は大ちゃん先生が午後OFFだったため、代わりにいつもは木曜日にやるめぐたん先生の嚥下訓練をすることに。

リハビリ室の小児コーナーに行くと、小児リハビリ用に新しい椅子(座位保持装置?)が増えている。
このたび、リハビリの教材として病院で購入したものらしく、丁度、今日昼すぎに届いたばかりらしい。
さっそく、管理人の大ちゃん先生の許可なく、ゆーさくをそれに座らせて嚥下訓練をしてみた。
なかなか、すわり心地がよさそうで、ゆーさくは筋緊張もなくゆったりと座っていた。
しかし、最近抱っこしないと食べない傾向にあり、また今日は保育園でよく寝ていたためか、ゆーさくは”元気いっぱい遊ぶぞ”と言う様子。
食べてるつもりはまったくなさそうで、今日のメニューのピーチの味を味わって遊んでいる状態であった。
味わうだけ、ということで、一応口を動かすのだが、”ごっくん”をまったくしない。
口からでるか、全部気管に流れるのを待っている様子。
一口食べさせては、気管内吸引が必要で、しかもよだれが混じるので、口に入れた量異常のものか気管から引けた(これでよく肺炎をおこさないものだと、半分感心する)。
また、途中写真左のように、おもちゃを見せてしまったら、楽しそうに遊ぶしまつである。
そして、ひととおり遊び終わったら、”椅子から降りたい〜。おろしてくれないとこのまま寝ちゃうぞ”というように、うとうとしだす。
そこで、めぐたん先生が椅子から降ろして抱っこをしてくれた。
抱っこをするとお目目ぱっちり、写真右のようにご機嫌だ。

ああっ、なんてこった・・・。
だから、保育園の午前中はしっかり遊んでほしいのだ。
遊び、お昼ね、リハビリはしっかりけじめつけて欲しいのだ。
というのは、親の一方的な都合の良すぎる思いなのだけど・・・。

そういえば、今年、保育園に復帰したときは、一日の間少しでもいいからゆーさくが楽しみ笑い満足する時間がとれるようになればいいかな、と思っていた。
しかし、実際、復帰してみると予想以上にゆーさくは保育園を楽しんでいるようであった。
(レスピを使うようになり、表情がはっきりするようになり、私もゆーさくの気持ちがわかりやすくなったというのも一つの理由かな・・・)
また、今年の復帰から医療器具が増えて、移動が少し大変に(大変というより、面倒くさいといったほうが正しい)なり、夕方家に帰り家事やらゆーさくの風呂入れなどするとくたくたになる。
だから、夕方家に帰った後は、正直ゆーさくをあまりかまうことができない。
かまう前に、早く家事やらゆーさくの世話を片付けたいのである。
そういうことで、私はだんだん”家ではあまりかまえない分保育園でしっかり遊んで欲しい”と思うようになってしまったのである。
そうすると、私の期待に答えるかのように、ゆーさくは一時期”午前中遊びを楽しみいっぱい笑うようになり、お昼ごはんの時間になるとぱたりとお昼ねし、お昼ね後はまた遊んで、夕方家に帰り私が家事に追われる時間にまた夕方のちょっと寝をしてくれる”という立派な生活をするようになった。
やるじゃん、ゆーさくすごいすごい、と思っていたのだが、長続きせず最近は不規則に寝てばかりの生活になってしまった・・・。
先日の運動会に至っては”今年はしっかり楽しめるかな?”と期待していたのにゆーさくは寝る時間のほうが多く、私には少しショックな一日であった。

ところで、ゆーさくの呼吸器系の調子が落ち着くと、主治医の先生の指示でいっぱい使っていた気管支拡張の薬の種類を徐々に減らすようにしている。
最初に簡単に止めれるホクナリンテープという貼り薬を止めようということになったのだが、止めては1週間くらいで喘息気味になったりして調子が悪くなりやっぱりホクナリンテープ再開、ということを3回ほど繰り返してきた。
今3回目の離脱中なのだが、3回目にしてやっと、ホクナリンテープ離脱が成功できそうである。
主治医の先生はゆーさくの調子や薬の離脱に関し"らせん状に上昇すればいいよ”と言ってくれる。
そうなのだ。回り道があってもじっくり時間かけても最終的によくなればいいのだ。
また、回り道したほうが、基盤はしっかりとしたものができるかもしれない。

・・・ゆーさくの生活パターンの確立も、結局同じことなんだな、と少し思う。
らせん状で上昇し出来上がればいいんだな、と。
また、ゆーさくという子供を育てるということ、そのいろんな面で同じことが言えるような気がする。
そのためには、やはり私がいらいらしたり焦ったりしないようにしないといけないのである。
でも、それを考えると結構、難しい話だなあ、と心の広くない私は思ってしまうのであった。

2004年9月27日(月)
気切っ子集合

今日は、昨日の運動会の振り替え休日で、保育園はお休みであった。
そこで、同じ保育園に行ってる気切友達親子とまだ未就園の気切友達親子と会うことに。
未就園の気切友達親子は、たまたま近所を散歩中偶然出会い声をかけられてからのお付き合いだ。

3人がそろうと、すごい光景であった。
子供がみんな首に紐を巻いて、首の真ん中に白いものをつけているのである。
さらに子供はみんなしゃべらない・・・。
待ち合わせ場所のショッピングセンターは今日はお客さんが少なかったのだが、多かったらどう見られていたのか、ちょっと想像したら笑える(?)気もする。

集合したら、我が家へみんなで着てもらった。
気管切開をしていてても、3人それぞれ病気は違うし、かかりつけの病院もばらばらだ。
いろいろな話が聞けて、おもしろかったし勉強になった。

しかし、つくづく思ったのが、私は本当に主治医任せであり、のん気な親だなあ、ということである。
幸運なことに、ゆーさくは産まれてからずっと主治医は同じ先生で変った事がないし、その主治医もとてもいい先生だ。
(最近に至っては、ゆーさくの調子が悪くなって私の手に負えなくなると心配で病院に行くのだが、主治医の顔を見るだけで診察も受けていないのに安心するというほどである。)
しかし、産まれてからずっと同じ先生でしかも信頼している、となると案外たくさんあることではないようである。
他のお母さん方は、主治医の交代を経験し、だからなのか、私のように主治医任せにしていない。
子供の病気や障害を受け入れた上で、一生懸命子供の病気や障害に関わることをしろうとしていて、さらに子供のことをとても理解している。。
もちろん、その子その子がもっている病気がゆーさくとは違うというのもあると思うけど。

ゆーさくの病気や障害はある意味、一般的であり、肺の弱さと脳性麻痺が併発しているので少しややこしくなっているだけである。
だから、そんな大きな病院や専門の病院に行く必要がないと思っている(もちろん、主治医から離れたくないというのが一番なのだが)。
また、脳性麻痺は重度になると体の成長と共に二次障害が発生し体の機能が衰えてしまうものだと理解している。
よって、脳性麻痺の気管切開は一度したら一生モノ(病気によっては気管切開を止めれる場合もある)と気管切開の話がでてきたときからいわれている。
とはいえ、機能が衰えないように、そして少しでも正常に機能できるようになる可能性があるならその機能を伸ばしてあげるために、リハビリを頑張っているのだけれども。
でも、頑張っているお座りも、正常な発育の一つの段階をマスターするとしてでなく、お座りできたほうが本人の呼吸状態や日々の遊びにも良い影響を与えるし、私の介護も楽になるから、という気持ちから頑張っているのである。
正直、ゆーさくの体の機能の正常な発育を親は諦めている、といっても過言ではないと思う。
(その分、精神面の発育はできるだけ伸ばしてやりたい、と思っているけど)

よって、今日、同じ気管切開をしている子供たちのお母さんの奮闘話は、とても新鮮で尊敬のまなざしであった。
私にはそこまで頑張れないなあ、とつくづく思った(・・・という時点で諦めが入っていることになる)。
でも、なにより、これからも、そういうお母さんがたの姿を励みにしたい。

そういうことで、今日お世話になった、お母さん方、ありがとうございます。
また、いっぱいお話しましょうね。

2004年9月26日(日)
運動会

今日は運動会であった。
会場はいつもの保育園ではなく、市立体育館(我が家から徒歩5分くらいのところなのだが・・・)であった。
先週の運動会予行の時に、保育園の担任の先生に運動会ということを少しでもわかってもらうために声かけをしておいてください、と言われたのもあり、先週中ごろから"日曜日は運動会やで”と言い続けていた。
昨晩と今日朝は”や○びこ(保育園の名称)にはいかへんけど、や○びこ行くねんで!”と何度も声かけをしたつもり・・・。
また、昨日は買い物に少しでたくらいでずっと家にいた。
ゆっくり体力温存のためなのか(?)、ゆーさくは昼間から寝てばかりで、夜も早くに寝てくれた。
そして今朝は7時にぱっちりゆーさくはおきてくれる。
ご機嫌もまずまず・・・。
親として、運動会に向けてのゆーさくの気持ちや体調をばっちり整えることができたと、私は密かに朝のゆーさくの様子をみて満足していた。
朝の注入が終わり次第、ゆーさくを着替えさせる。
ゆーさくは”着替えをする=おでかけ”と考えてるようで、お出かけ好きなゆーさくは着替えをするとニコニコになる。
今日もニコニコになった。
また、車椅子に乗せ出かける前にいつも”これから○○に行くねんで!”というようにしているのだが、最近保育園に行くというとニコッとする。
今日もニコッとした。

ところが、家をでて、会場に歩いていく間にゆーさくは”あれ?”という表情であった。
”車に乗らないで歩いてどこいくのん?”といった感じか。
会場に着くころには”ここどこやねん!”と少しぶりぶりモードであった。
知らない場所に警戒しているみたいである。
でも、会場の建物の入り口で先生たちに会うと、ニコニコしだした。
いつもの場所じゃないけどいつもの人たちがいる、と思ったのかな・・・。
私は少し安心した。

ところが、実際の会場に入ると、ああっ駄目か〜であった。
ニコニコしていたはずのゆーさくが会場に入ってしばらくして泣き出した。
知らない場所で、たくさんの大人がいてたくさんの子供たちが走り回っている。
眠ぐすりで泣いていたのもあるのだろうけど、いつもなら寝る時間ではないし、少しは会場にビックリしたのもあるのかもしれない。
そして、ゆーさくは泣いて泣いて、むせてむせて、痰がいっぱいでたところで寝てしまった。

リハビリのPT大ちゃんに、脳性麻痺児のひきこもりというのを以前教わった。
刺激が強すぎて分けがわからなくなったり、いやなことをされて嫌々がピークになると、寝てしまうことで自己防御に走る子がいるらしい。
寝てしまうことで、周りの世界を完全にシャットアウトする。
そういう寝方をすると、ちょっとやそっとでは起きない。
大きな声で叫んでも体をゆすっても起きないのである。
脳性麻痺児の中にはそういう子がいるらしく、まさしくゆーさくもそうであった。
以前やっていた某小児のリハビリ方では他の子供たちは大泣きで抵抗するのに対しゆーさくは最初イヤー!という感じをだすのだがいつも突然ぱたりと寝てしまい、ほとんどまともに訓練時間40分おきていたことはない。
私はそのひきこもりというのを大ちゃん先生に教わるまでは”酷くぐずらなくてすぐ寝てくれるし楽な子やなあ”と思っていたのである。
しかしそのひきこもりは、ゆーさくの目線がしっかりし、おかれている状況がゆーさくなりにわかるようになり、さらには表情や意思表示が増えるにしたがい、なくなってきた。
最近、昼寝と夕方寝(+朝の2度寝がたまに)くらいしか寝なくなってきた。
しかもちゃんと寝る前に”眠いんだー”という感じで意思表示としての寝ぐずりをするのである。

今日の会場についてすぐ寝てしまったのは、眠いのもあったのかもしれないけど、久しぶりのひきこもりもあったように思えた。
一緒に行ったとうちゃんも”あー今日のは会場の雰囲気がゆーさくの許容範囲を超えたみたいやったな”と言っていた。
結局、ゆーさくの気持ちや体調整え作戦もイマイチの結果であった。

とはいえ、一度寝て、しばらくしてゆーさくは起きる。
その間に、大好きなマット遊びなどの行事は終わってしまっていたが、クラス別の行事はちょうどゆーさくのクラスはゆーさくが起きた後であった。
大好きな”てをたたきましょ♪”の手遊びをしたら、ゆーさくが会場で初めて笑っていた。
それだけできただけでも満足かな、という気に私は少しなった。

そして午前のプログラムがおわり、別室にあった休憩室で吸入やら注入をする。
そのときはすごいゆーさくは元気一杯であった。
とはいえ、注入中はうごけない。
”エンジンかかるの遅いねん!”と言っていたのだが・・・。

そして午後の行事が始まり、また会場に戻る。
・・・が、ゆーさく今度は昼寝のお時間であった。
本来、休憩室にいた時間がいつもの昼寝の時間なのに、今日は午前中一度寝てしまったせいか休憩室では全然寝なかった。
なので昼から寝てしまったのは昼寝もあるだろうし、でも”この会場に戻ったし寝よ”と引きこりもあったのかも。
結局、写真のようにゆーさくは爆睡していて、昼からのプログラムはゆーさくは何も参加できていない。
ずーっと寝ていた。
1時半に終わって1時40分ごろに家に帰ったのだが、帰るまで寝ていた。
家に帰りリビングに着いて車椅子から降ろそうとした直前に、ゆーさくは”あーよく寝た!”という感じで起きた。
大して寝起き後の機嫌の悪さもなかったので、なんとなくゆーさくは"家に帰るまで寝よ”と狸寝入りしていたようにも感じた。

そういうわけで、今年の運動会は、我が家にとって失敗であった。
でも、今年で運動会は2回目。
昨年は、本当に周りがわけわからずにちょこちょこ寝ていた。
それに比べたら、今年はちゃんと周りを理解しようとして、でも受け入れられなかった、という感じ寝ていて、さらには、少しの時間ではあったが、ちゃんとニコニコしながらプログラムに参加する時間があった。
そう考えると、昨年より少し進歩できたということで100%失敗というわけでもないか・・・。

では、来年はどのように目標を持つべきか。
”全部のプログラムに参加する”というのはやはり親の高望みであろう。
やはり、とりあえず、会場に慣れる!というのが来年の(も)目標かな・・・。

2004年9月25日(土)
固定紐つくりをするはずが・・・

今朝、とうちゃんは日帰りで出張に行った。
会社の組合のイベントであり、正確には仕事ではない。
毎年あるらしいのだが、入社して一度も行ったことがなく、ここらあたりで一度行ったほうがいいかな・・・ということで行ったのである。
明日はゆーさくの運動会。
本当なら1泊するくらいのところであるのだが、何とか最終の新幹線に間に合うとのことで、今日中に帰ってくるようである。
とうちゃん、ごくろうごくろう!。

そういうわけで、今日は久しぶりにゆーさくと二人きりの休日。
買い物に行って、昼寝して・・・で終わってしまいそうである。
時間がすごくもったいないような気はする。
気管カニューレの固定紐を作ろうと思いつつも、寝るほうが先であった。

その固定紐なのだが、私は自分で作っている。
気切の手術をしたD病院で最初に教わったのはガーゼを15×2cmくらいに折りたたみ、間に普通の伸びない紐2本をはさみ縫うといった、いたってシンプルなものであった。
紐をカニューレの固定用の穴に通してくくることで固定する。
ところが、紐はよだれやお風呂でぬれてしまうと、固くなりほどけにくくなる。
また、ゆーさくの首は短く皮膚はまだ伸びきっていない。
よって、紐がよく首の皮膚に食い込んで赤くなっていた。

そうこうしている内にB病院に入院。
B病院ではマジックテープ式の固定紐をくれた。
これは強力マジックテープで固定をするのだが、紐の長さが調節できるように首の後ろにもマジックテープがついている。
ところが、これは便利であったものの、固定紐の部分が全部化学繊維でできており、よだれの多いゆーさくの首はよくかぶれた。
さらには、体調を崩すと筋緊張(異常に体に変に力を入れ、首をすくめたり背中方向に首や体を反らしたりする)が強くなるのだが、その筋緊張により固定紐が首を擦り皮膚がめくれ傷だらけ(創辱)になってしまう。
首の後ろの長さ調節のマジックテープの部分にいたっては、特に紐が固くなっており、ひどい創辱である。

主治医は、かぶれることに関しては、ゆーさくの皮膚が丈夫になるのを待つしかない、創辱に関しては、フィルムドレッシング(通気性はいいけど、水分は通さないという優れもののビニールシート。点滴している人がシャワーを浴びるときに点滴口に貼ったりするのに使われるらしい)を貼り、直接固定紐と皮膚が擦れないようなやり方を考えて下さった。
そうして主治医考案のフィルムドレッシングのおかげで少しゆーさくの首まわりはまともになったのだ。

ところが、マジックテープ式の固定紐は、結構お値段がするらしく、入院中はくれるのだが、外来となるとなかなかもらえない。
退院するときに入院中使いまわしていた(本来使いまわしは禁止なのだが)のを含め何本かもらって退院はするのだが・・・。
また、同じB病院の気管切開の子のおばあちゃんが固定紐を家で作っているという話を、NICUの看護婦さんや主治医に聞き、B病院の別の気管切開友達経由でその作品を少し見せてもらった。
それを見て、私も作れそうだと思い、気管切開固定紐作りの研究(?)が始まった。

自作だとゆーさくサイズで作れるので、長さ調節部分は要らないし、首に食い込まないよう太い紐が作れる。
さらにかぶれないような通気性の良い生地をえらぶことによりそれなりのものはできる。

しかし、縫い目がすぐ弱くなったり、市販のマジックテープでは数回で接着力が弱くなる。
気管カニューレが抜けると呼吸困難、病気の子によってはすぐ死を引き起こす。
とても大切なカニューレを固定するためのものであるから、簡単にぼろくなってはいけないのだ。
縫い方を変えてみたり、マジックテープを探したり(結局、病院でもらったマジックテープ式の紐のマジックテープ部分を切って再利用することに)、まだまだ完璧に完成とはいいがたい。
それなりに出来たものも何個もあるが・・・その内またどこかで披露しようと思う。

その固定紐を作ろうと思っていて、結局今日はしなかった。
まだ、予備はあるのだが、こういうときにしか出来ないしなあ、と思うとやっぱり昼寝の時間がもったいなかった、と少し反省している。

2004年9月24日(金)
はとこ(?)と遊ぶ

ここのところ、日記でさえの更新が遅れ気味である。
やはり、私にはHP管理なんて難しいのかなあ、と少し思い出したこのごろ。
ま、私の大嫌いな宿題というわけでもなし、私なりのペースで行こうと思っている。
今週は、祭日があったりして(とうちゃんの休みの日はPCをとうちゃんも使うし、私自身、気切カニューレの固定紐作りなど他の用事で時間をとられるのであります・・・)、本当になかなかPCを触ることができなかった。
よく考えたら、毎日こんな長い日記でなくて、もう少し簡潔な日記だったらもっと簡単に書けるのではないか・・・と。
ところが私は国語が苦手で文章をまとめるのが不得意。
書き出したら止まらないのがやっかいである。

さて、昨日の祭日、やーっと私のいとことその息子とこぽんと遊べた。
私の親戚の中では一番家が近く、またいとことは幼少の時からすごく仲がよかった。
とこぽんとゆーさくは3ヶ月違い(本当は6ヶ月違いのはずだったんですが)。
ところが、この1年なかなか会う機会に恵まれなかった。
昨年おか○さんといっしょのファミコン(コンサート)で会って以来、ゆーさくが入院が多かったので全然あっていなかった。

前回会ったときのとこぽんは、とにかくすごかった。
何かあると”ぎゃー”泣き喚いていた。
ところが、昨日会ったとこぽんは、立派なおにーちゃんになっていた。
玄関で出迎えたときは、とても恥ずかしそうにいとこの後ろに隠れたりしていたが、短時間で慣れてくれて”これ!”ととこぽんの大好きなおもちゃを持って来た鞄から取り出し、見せてくれる。
なぜか、ゆーさくとうちゃんがいいみたいで、とうちゃんに遊んでもらってはとてもニコニコではしゃいでいた。

”おーすごい!健常児ってこうなんだなあ”とつくづく感心した。
普通に歩き走り、しっかりと大人と会話ができる。
さらにはちゃんとトイレも行くし、お気に入りのヨーグルトをあっというまにたらい挙げ”おかわり!”・・・。
ゆーさくしか子供を育てたことない私はすごいすごいの連発だった。

家にも私やとうちゃんにもなれてきたとこぽんの次なる標的(?)はゆーさくであった。
ゆーさくに顔を近づけて”何歳?”とたずねる。
ゆーさくは突然の質問にびっくりしつつもとこぽんを見ている。
”ごめんね、ゆーさくは声がでないねん”と私は言ったが、ゆーさくが返答しないことに対し、とこぽん少し不満そうであった。
でも、とこぽんはゆーさくにおもちゃを握らそうとしたりして、かまってくれる。
私は横で見ていてとても楽しかった。
また、ゆーさくも遊びたいようで、やたらと体をそらして起き上がろうとしていた。
とても、貴重な経験であったと思う。

昨日、いとこ親子と遊べて本当に楽しかった。
つくづく思ったのは”子供の発達ってめまぐるしい”ということと”ゆーさくに兄弟をつくりたい”ということ。

ゆーさくの発達は本当に少し少しである。
最近になりその少し少しのペース、小さな発達の変化に私自身も気づくようになって、素直に喜べるようになったが、健常児の発達というのは本当にすごい早いと昨日つくづく感じた。
ゆーさくと健常児を比べて悲観するわけではない。
次元が違いすぎる。
ただ、ゆーさくの発達の過程が健常児の発達と同じような過程であれば、それだけで充分である。
(正し、体の機能は不利があるので、やむをえない。精神面の発達において、の話)
健常児はどう発達していくのか、本を読むことだけでなく実際健常児とかかわることが必要と私は思っている。
さらにはゆーさく自身も健常児から得る刺激はとても新鮮であろうと思う。
となると、やっぱり健常児とのふれあいも親子共にたまには必要なんだなあ、と思う。

ところが、私やゆーさくの周りには健常児の子供がとても少ない。
うちは近所付き合いもほとんどないし、とうちゃんかあちゃん双方の地元から離れた核家族だ。
昨日着てもらったいとこ親子や近所にすむ幼馴染ばかりに頼るわけにもいかない。
となると、やはり、早くゆーさくに兄弟が欲しいなあ、ということになる。

しかし、何度もいうが、こればかりは思い通りに行かないもの。
仕方ないのでまた、ヒマがあったらとこぽんに遊んでもらおう。
いとこへ・・・すいません、これからもよろしくお願いします。私たち親子の相手をしてください・・・。


2004年9月21日(火)

3連休の後の久しぶりの保育園。
特に体調を崩さずに登園できてほっとした。
しかも、前日寝るのがいつもより遅く、今日朝起きるのが早かった。
寝ている最中も、なぜかSPO2のアラームが何度かなった。
どう考えても、寝不足のゆーさく(私も寝不足・・・)。
今日、体調を崩すのではないかと私はかなり不安であった。

ところが、今日の保育園、ゆーさくはとても元気一杯であった。
昼寝を50分くらいしたが、それ以外はニコニコであった。
昼ごはんも大きな口を開けてよく食べていたそうだ。
帰り際のお別れの歌のときなどは、大きな口を開けて笑っていた。
レスピ(呼吸器)をつけるようになって、口角を挙げるようなニコニコという笑い方をよく見かけるようになったが、口を開けて”あははは”というような笑い方はあまり見たことがなかった。
その大きな口を開けて笑う様子を見て、”あー心配しなくても大丈夫そうだな”と私は安心した。
とはいえ、今日は寝不足のはず、今日晩しっかり寝てくれればすべてはOKなのだが・・・。

さて、今日はとうちゃんは出張である。
出張はないときは全然ないのだが、あるときは立て続けにあったりする。
ゆーさくの入院みたいな話になるが、たまの出張も私にとってはちょっとした息抜きになったりするものである・・・のだが、とうちゃんはこれを聞くと少し悲しそうな顔をするのであまり頻繁にはいえない。

メリットとしては、保育園なり病院なり外出先から帰って、家事に終われないことだ。
これは、ゆーさくが障害児云々というより、働いているお母さん方も同じことだと思うのだが・・・。
とうちゃんは多少気にしているようだが、とうちゃんが仕事の日は、ゆーさくの世話は私の役目だと思っている。
だから、とうちゃんにはゆーさくを寝室に移動するくらいのこと(ゆーさく+医療器具をすべて載せたワゴンを移動させるため)さえやってもらえば充分だと思っている。
外出や風呂入れなど、全部私一人で今のところ充分である(体力消耗で疲れたりはあるけど)。
その代わり、とうちゃんにはしっかりお金を稼いでいただきたい。
よって、とうちゃんが出張といえど、ゆーさくの世話そのものにはほとんど影響がないのだ。
家事をしなくていいとなると(とうちゃん出張中の私のご飯はビールとおつまみでOK!とはいえ、ゆーさくが体調が悪そうならば病院に行くことを考え飲めないのだが)、残すはゆーさくの世話だけだ。
晩御飯を作る時間が自由な時間となる。
また、とうちゃんが帰ってくるのを待たずして、好きな時間に寝れたりする。
そういうことで、まさしく”亭主元気で留守がいい”である。

デメリットとしては家に帰ると私とゆーさく二人で会話がないということだ。
ゆーさくに話かけたりはするが、”会話して笑いあう”ってことはやはりとうちゃんでないと・・・。
とうちゃんの話すことといえば、くだらないギャグばかりで私は飽き飽きすることが多い。
逆に私の話すことといえば、今日ゆーさくがどうだったとかこういうことがあったとか、そういう話で一方的に私がまくし立て、それに対しとうちゃんはTVを見ながらいい加減に聞いていることが多い。
でも、それが家族なんだなあ、と出張でいないと、家族のありがたみが身にしみる。
ゆーさくの世話の補助うんぬんというよりも、私の精神面でのサポートとしてとうちゃんの存在があったりする。
(でも、とうちゃんを私の全面的な精神的支えとすると、ゆーさくが体調を崩した時とうちゃんがネガティブになることに非常にムカついて大喧嘩になるので、とうちゃん自身には直接”支えになってよ”とは要求できないし期待はしない。)
ゆーさく自身はとうちゃんがいるのといないのとではどう感じているのか、それはまだ私にはわからないけど・・・。

ということで、ちょっと鬼(?)の居ぬ間に・・・。
少しお惚気気味な日記となってしまい、すいませんでした。

2004年9月20日(月)
3連休乗り切る

昨日、久しぶりに家でだらだらごろごろしていた。
当然、ゆーさくは不機嫌そうであった。
今日こそは、と思ったが、今日はとうちゃん&かあちゃんの学生時代の後輩が遊びに来る日、そして、とうちゃんが出張に行く日であった。
結局今日も家ですごす。
ゆーさくごめんよ〜。

さて、今日は後輩が遊びに来たのだが、男の子であり、一応おじさんだ。
ゆーさくが生まれてからは一度も会っていない。
おじさん嫌いのゆーさく、人見知りするかなあ、と思っていたら、まったくしなかった。
しないどころか、そのおじさん、違う、後輩の兄ちゃんにまったく気がむかない。
全然、見向きもしないのだ。
確かに、後輩もまだ独身の身で隠し子などいないので、子ども自体にあまりなれていないのもあり、ゆーさくをかまってくれてはいたが、どこかぎこちない。
最近、ゆーさくはいつも初対面の人には”この人誰?”という表情をしてその人を見上げるのに、今日はまったくそういうそぶりもなかった。
なぜだろう?私は少し気になった。
といっても、ゆーさくの様子は、いつもどおりで私があやすとちゃんと笑うので、心配というわけではないのだが。

この3連休、おじぃちゃん&おばあちゃんに会い、親戚の家に行き親戚の方と会い、最後にとうちゃんかあちゃんの友達に会ったゆーさく。
いつもなら、環境の変化に熱が出たりで体調を崩したりするのだが、今回は大丈夫そうである。
大分、環境の変化を受け入れられる許容範囲が広がってきたのかな、と思っている。
考えてみれば、長い入院の後、一度試験外泊で自宅に帰ってみたときは、大きく体調を崩したが、それ以降は大丈夫で無事退院し家に帰ることができ、またその後の保育園復帰の時は発熱すらなかった。
最近ではどうもゆーさくは人がたくさんいる場所のほうが楽しそうである。
ちょっとずつであり、健常児の何倍も何十倍もかけてであるが、それなりの社会性がゆーさくについてくる兆しが見えた気がして、私は安心した。
とはいえ、まだまだ環境の変化で体調を崩すことはあると思うし、今のゆーさくになるまで”後先考えずに行っちゃえ〜!”というでたらめな私の行動力のせいで何度かゆーさくにしんどい思いをさせてきたかもしれない。
でもこれからも、私は少しどきどきしながらも、"今度○○○にいこう!”とか”誰々と会って遊ぼう”とかいろいろ体験させようと思っている。
ちょっとずつでもまだゆーさくの許容範囲が広がることを信じて・・・。

そのゆーさくの環境に対する許容範囲のボーダーラインは経験しないことにはわからない。
主治医がゆーさくの体調不良を見て、在宅で乗り切るよう指示を私にだすか、入院に踏み切るかを決めるタイミングを悩むのと同じような感じである。
主治医も”経験しないと・・・サンプルが少なすぎる”とよく言う。

もう少し私がもっとゆーさくからのサインを理解できるような親にならないといけないというのもあるのだが・・・。
でも、私はゆーさくではないし、わからないものはわからないのである。
いつまで、この手探り状態は続くのであろう。
しかし私が手探りをしているうちに、一方でそのボーダーラインはゆーさくの成長とともに高くなっていくはずだ。
となると、やっぱりいつまでたっても私は手探り状態なのであろう。
・・・つまり、難しいことは考えないほうがいいってことですね・・・。

2004年9月18日(土)
久しぶりの再会

昨日、夜、とうちゃん方のおじいさん&おばあさんがゆーさくの顔を見に来てくれた。
とうちゃんの実家は割りと遠く、おじいさん&おばあさんとは年に1度くらいしか、会えない。
今回は、昨年夏に会って以来であった。
昨年夏は、まだ気管切開をする前であり、気管切開をしレスピ(呼吸器)までつけているゆーさくの姿にびっくりしないか、私は少し心配であった。

夜9時ごろ、到着。
ゆーさくはまだ起きていた。
久しぶりのご対面。
おじいさん&おばあさんは”ゆーさく元気か?”と声をかけて、可愛がってくれた。
私はほっとした。
ゆーさくは、おばあさんにだっこされ、じーっとおばあさんの顔を見上げ”だれ?”と観察していた。
その後、ゆーさくはいつもと違う夜に、何か感じるものがあるみたいで、なかなか寝ようとしなかった。
夜寝ても、中々ぐっすり眠れなかったようだ。
夜中から朝にかけてSPO2のアラームが何回か、鳴った。
起きて動いて、SPO2のセンサーが数値を拾えなかったみたいで、異常ではないようであった。

今日は、昼に近くのホテルでランチバイキングをし、昼から、車で高速を使い1時間くらいのところにある、とうちゃんの親戚の家にいった。
おじいさん&おばあさんは、今日その親戚の家に泊まる予定である。
ゆーさくは高速を車で走っているのがとても気にいったようだ。
車の窓から空が見える。
近くの風景は高速なのでさまざまに変化するので見ようとせず、遠くにありあまり変化のない空や山を見ていたようだ。
たまに、トンネルに入ったりするので、ある程度変化はあり、とても楽しそうであった。

親戚の家では、ゆーさくはすごく”ここどこ?”という感じで、きょろきょろきょろきょろ。
でも、わたしもとうちゃんもいるし、慣れてきたおじいさん&おばあさんもいるし、その内表情が和らぐ。
和らいだところで、ゆーさくの夕方の注入があったので、そそくさと私たちは家に帰った。

私はその親戚の方に初めて、お会いした。
詳しくはしらないのだが、その親戚の方も、介護のことをよく知っている方のようであった。
医療器具についても、説明はしなくても、どういうものなのかわかっていたみたいで、家にお邪魔したら即効”電源どこにさしとこ?”と言ってくれ、びっくりした。
実際、私たち家族は短時間のお邪魔つもりだったのでゆーさくはレスピを外していたし、吸引機も充電式のヤツなので電源はいらなかったのだけど。
また、私に対し、”大変というより、毎日時間が足りないでしょ?”といってくれた。
そうそう!そうなんですっ!、初対面の方に、そのように私が感じていることそのものズバリを言われることがあまりないので私はとても嬉しかった。
”大変なのは慣れるまでで、慣れたら大変とかそんなん全然思わないよね。”とも言ってくれ、ますます”そうなんです!!!"・・・。

我が家はとうちゃんの実家から遠く、年賀状くらいしか親戚とのお付き合いがない。
結婚4年目に入ったばかりだし、まだこれからだと思っている。
ゆーさくが生まれて初めてお会いした親戚がこのような方で、私は正直ほっとした。

さて、話は少し視点が変る。
今週1週間、私はバテバテであった。
運動会の予行+リハビリというハードな一日を過ごした火曜日から、どうも体が重く朝が起きれない。
先々週、病院でくつろぎすぎ、先週家でだらだら自宅療養をしていたのが、たたったのであろう。
一方で、水曜日にりす会、木曜日にいろんな病院友達に会い、私のテンションの波が激しかったのも原因であろう。
また、久しぶりにおじいさん&おばあさんがくるというので、毎日少しずつ家の大掃除をしていた。
ちなみに、私はこれでも料理を作るのは大好きなのだが、掃除が苦手なのだ。

おじいさん&おばあさん到着後、私は”今週1週間、無事のりきったぞぉ”と思い、ヘナヘナとなった。
あまりにも眠く、一番にゆーさく、その次におじいさんが寝たのだが、その後、”すいません。私も寝ます”と寝させてもらった。
今日の朝にいたっては、私が起きたら、ゆーさくもとうちゃんもおじいさんもおばあさんもみーんな起きていた。
朝ごはんを食べ後片付けをして、ちょっと私は横になったら、気づいたらゆーさくと共に寝てしまい、起きたときにはもう昼のホテルでのバイキングにいく準備をしないといけない時間であった。
ほとんど、おじいさん&おばあさんと私は話をする時間がなく、正直、嫁の立場なのに腹出して義父義母の前で居眠りばかりで・・・ひどい嫁やな・・・と、今になって恥ずかしくなってきた・・・って、今頃恥ずかしくなるってのは遅い!?

その眠気、今日の夜になって少しマシになった。
なので、今日、無事日記の更新ができた。よかった〜。

2004年9月16日(木)
病院にて。

今日は、定期診察と嚥下訓練の日で、朝から病院だった。
病院では、友達と会いまくりで、今日は待ち時間が長かったにもかかわらず、あっという間の待ち時間であった。

まず、最初に会ったのは、今年2月からの入院で知り合った、超未熟児&気切友達の♀の子の親子。
1歳だがまだ小さくて、とてもカワイイ。
お母さんはまだまだ若くカワイイ人なのであるが、かなり自然な人で、いつも会うと彼女の”本来の親子の姿”に感心してしまう。
大変なはずなのに、大変さや子供の病気のことを気にしていない素振りで、とても我が子を可愛がっている。
NICUの看護婦さんにちょろりと聞いたのだが、”病気や障害が子供にあるとなかなか退院に踏み切るのに勇気がいる親が多いのに、あの夫婦はずーっと早く家に連れて帰りたいって言い続けてたよ”というくらいの可愛がりぶりである。
"そのパワーは若さだよ”という人もいるが、私は、ゆーさくの医療的ケアや病気に対し受け入れはしてるつもりだけどたまに”あー健常児やったらなあ”と考えてしまうときがあるせいか、その夫婦の姿は目からうろこであった。

おかあさんと話をしていたら、なんと、数ヶ月ぶりにゆーさくのNICU時代の友達親子に会う。
その友達のお子さん♂は、ゆーさくと誕生日が1週間違いで、出生体重も10gしか変らない、さらにその♂も”ゆーくん”なのである。
NICUでは二人いつも並んでいた。
幸いそのゆーくんは、特に障害もなく健常児で育っており、元気に走り回っているし、久しぶりにあったら、片言のことばをしゃべっていた。
びっくりであった。
さらにびっくりなのが、お母さん二人目を妊娠中という(本当おめでとうございます!)。
やはり、始めからハイリスク妊婦として、毎週診察受けているらしい。
ひぇーであった。
まあ、うちは毎週2日、病院行ってるから大丈夫といえば大丈夫だけど・・・。
私も早くゆーさくに兄弟が欲しいのだが(周りが妊娠ラッシュだというのに私には全然うつらないのは何故だあ!)本当に次こそは早産は避けたいと思っている。
これから、毎週ゆーくん親子には会えそうだ。
ハイリスク妊婦ライフはどうなのか、話を聞けるのがとても楽しみである。
というか、本当に早く私も妊娠したいなぁ、つくづく思った。

その後、診察の順番が来る。
診察は特に問題なし。
気管切開のカニューレ交換をしたのだが、丁度ゆーさくは診察直前から寝てくれていて、スムーズにすんだ。

診察が終わり、また友達のいる待合室にでると、今度は、気切友達♀の親子が来た。
その♀の子は、普通に産まれたのに特殊な病気の為気管切開をしているのだが、最初に会ったのは、ゆーさくと私がNICUに遊びに行ったときであった。
丁度、その子がNICUを退院し家に帰る直前のころで、そのお母さんは結構必死な様子で”家でどうやって生活してるんですか?”と話しかけられ、それからのお付き合いである。
しかし、そのお母さん、子供に必死なのだが、とにかくよく喋る人で、話をしていて子供に必死な様子なのにどこからその明るさがでてくるのだろう、という感じである。
よく喋り話が止まらなくなるので、最近ではかあちゃん同士でお互い”あんた、あほちゃう〜”と馬鹿にし合っていたりするくらい、仲良くなってしまった。
何回か同時に子供が入院したことがあるのだが、病室はなぜかいつも別であった(二人一緒だとうるさいから?)。
本当は駄目なのだが、よく消灯後に”寝られへん”と隣同士や向かいの部屋でメールの交換をしていたりする。
そういうとき、笑いをとるメールを送りあって、お互い次の日”暗くて静かなのに笑わせるな〜”と言いあう。
でも、たまーに、やはり子供の今後のことや介護の大変さでまじめな話をしたりする。
丁度、お互いB病院の気管切開組の中で在宅ケア経験が同じくらいであり、お互いまだ思考錯誤の状態である。
そういう面で、とても心強い友達でもあったりする。

最初にあった♀の子とうちと最後に会った♀の子は、”B病院、気管切開組(もう一人気管切開の子がいるのだが、中々会う機会がないので残念)”ということで、とてもお母さん同士仲良くなった。
というか、3人同時に入院してたり、2人が入院、と入院だらけのメンバーなのである。
入院すると、子供が寝たすきを狙ったりして、誰かのベットで喋り捲っている。
ちなみに主治医は3人とも同じ人である。
3人同時に入院したら、NICUがメインの主治医の先生も小児病棟に行かないと行けないし、行ったら行ったで親は親同士、子供をおいといて盛り上がっていて、実に迷惑であろう。

今日、こんなに一気に友達に会えたのは初めてであった。
私にとっては楽しい一日であったが、ゆーさくはどうだったのかなあ。
ちなみに、ゆーさくは最初に会った超未熟児&気切の♀の子がお気に入りの様子である。
”○○ちゃんだよー”ってゆーさくに♀の子を近づけ、その子がゆーさくの顔をじっと見ると、ゆーさくは”ニマ(^^)”とした。
自分より小さい♀の子って滅多に会わないからかなあ。
ちなみに最後に会った♀の子はまだ10ヶ月なのに、ぷりぷりのむちむちでとても大きい。
ゆーさくはあまり興味がなさそうであった。

話はかわるが、本日鼻のNGチューブの交換日でもあった。
久しぶりにゆーさくの素の顔が写真にとれた(写真のとおり)。
やっぱりチューブがないと少し可愛くみえる。
でもなにより、鼻と口が本当にとうちゃんそっくりで笑える。

2004年9月15日(水)
昨日はニコニコ、今日はプリプリ

昨日は、ヘロヘロな一日であった。
ゆーさくは何故か昨日、朝からニコニコで”あーあーうーうー”喋り捲っていて、それが一日中続いたので、とても満足な一日であっただろうけど・・・。

午前中は運動会の予行ということで、運動会でどういう遊びをするのか実際にやってみたのだが、これが実に親にとってはハードな予行であったのだ。
まず、クラス別に日ごろやっている遊びを他のクラスの子供たちや親に披露した。
ゆーさくのいるクラスは、年齢が小さい子と医療的ケアの必要な寝たきりの子のクラスであり、日ごろの遊びの披露は別にハードではなかった。
しかし、その後は私がゆーさくを抱えて遊ぶ遊びが半分以上を占めており、また、私自身ゆーさくがニコニコであったのでつい半分ゆーさくを放り投げる勢いで遊ばせまくったのであった。
ちなみに、ゆーさくは歌で手遊びや体を思い切り動かしてもらう遊びが好きであり、運動会の予行前は寝かけていたのに、始まったとたん、パッチリお目目。
かなりゆーさくのテンションは高かったようだ。
運動会の予行がすみ、お昼を食べた時点で、私は”あーなんか疲れたなあ”と感じ始めた。

毎週火曜日は、昼過ぎに保育園を早退し、リハビリに行く日である。
運動会の予行の後、ぐっすりお昼寝したこともあり、リハビリもテンションが高かった(写真左)。
大ちゃん先生に”こんなに笑顔なのも滅多にないことやね”とほめられた。
リハビリそのものは私はまったく疲れないのだが、病院から帰ってくると6時を回っていることが多く、帰ってきてからが戦争だ。
家事やゆーさくの世話に追われる。
食事の後の後片付け以外はすべて終わらせ、ビールを飲みながら晩御飯を食べたのだが、昨日はビール一缶でほろ酔いとなってしまった。
一気に疲れを感じる。

しかし、今日は昨年のクラスのお母さんたちの同窓会、(去年のクラス名にちなんでりす会という)であった。
1,2ヶ月に一度集まって、近況報告だの、育児や愚痴、いろんなことをしゃべくりまわる、楽しい会である。
今回は、私がまだゆーさく一人で保育園に預けれる状況でなく、ゆーさくが保育園に登園する日は一緒にいって別室で待機しなければならいので、みんなも保育園に集まってくれた。
私は疲れがまだ残っているように感じたが、はりきって保育園に行った。

ところが今日のゆーさくは朝から”ぷりぷり”モードで機嫌が悪い(写真真ん中)。
体調が悪いというより、何か不満がありそうな顔つき。
保育園に行っても、たまに笑うが、ずっと文句ありげだ。
ゆーさくを預け、別室でりす会をしていて、昼にゆーさくの食事のために(むせたり吐いたり、吸引だの姿勢のとり方だの手間がかかるので保護者同伴なのである)、私はまたゆーさくの元へ行ったのだが、まだぷりぷりモードであった。
食事もほとんど食べない。
保育園の先生は後で”さっきかあちゃんと別れたのに、もう戻ってきたんかいな・・・”という雰囲気かなあ、と言っていたが、”そうかぁ〜最近、自分でやりたがりぃやしなあ〜”と私は思った。

私自身、ゆーさくの発達をできる限り、援助しているつもりだ。
体の機能面に関しては、大ちゃん先生にお任せし、自分はどう扱えばいいのか教わり、教わったとおりゆーさくを扱うよう心がけている。
心身の機能面に関しては、主治医の先生にお任せし、その代わり、週1の診察でちゃんと体調の報告ができるように、客観的にゆーさくを観察するように心がけている。
知能面に関しては、ゆーさくの脳の異常は主に運動面の障害をもたらすということなので、なるべく健常児のつもりでゆーさくに接しようと心がけている。
(といっても、寝たきりのゆーさく自身が自ら得る刺激は少なく、それに慣れてしまったのかまれに大きな環境の変化や刺激についていけなくて体調を崩したりする羽目にも会うことがあり、また視覚も周りを認知はしているとは思うが考察まではできないみたいので、どうしても知能的に遅れてしまうのだが・・・。)
とはいえ、純粋に家でゆーさくと遊んであげる、となると、なかなか難しいものだ。
最低限度の家事はあるし、自分自身好きなCDを聞いたり、友達と連絡を取ったりしたいので、ついゆーさくをほったらかしにしてしまう。
親のエゴで”保育園に連れて行ってあげて、思いっきり遊ぶ時間をつくり、家では大人しくしといてもらいたい”と思っていたりする。

ゆーさくのことを考えてはいるのだが、実はほったらかし、というギャップを私自身は感じており、私の前でゆーさくがぷりぷり不機嫌そうだったら、つい”あー私がかまってないからかな”と思ってしまう。
でも、今日の先生の助言は、私に新しい発見をさせてくれた。
確かに、そうかもなあ、と思った。
最近、自我がでてきて”できもしないのに、わがまま言いおって・・・”と思うことが多いのだが、その”できもしないのに”という私の考えが過保護になっているのかなあ、と少し思った。
もっともっと、私が思っている以上に自我を出しているのかもしれない。

かといって、今日の昼は、遊びの時間が終わり、食べる時間になったわけで、食べるより遊ぶねん!っていうのは、わがままだと思うので、きちんと駄目なことは駄目といわないといけないと思う。
また、私いなくても食べるといったとしても、むせたり吐いたり詰まらせたりしても対応できる人がいないと、ゆーさくの体に影響するのし、やはりこれもわがままだと思う。
(かなり保育園の先生方になれてもらったので、もうすぐすべてをお任せしようと思っているけど・・・)
自我がでてきて意思表示をすることは褒めてあげないといけないが、わがままを言われたら駄目といわないといけない。
その境界線が難しいなあ、と思った。

さて、今日の昼、ほとんど食べなかったので、夕方家に帰って私がヨーグルトを食べさせてみた。
そうすると、食べる食べる。
写真右のように、ベビー用のヨーグルトを1パック完食したのでありました。
また、ヨーグルトを食べている間とお風呂はご機嫌に戻っていたのだが、後はずーっとまだぷりぷりモード。
ん・・・一体、こいつは、何を文句いっているのだぁ!!!かあちゃんにはわからんぞ。

2004年9月13日(月)
保育園復帰

退院後、順調に過ごしていたので、今日から、保育園に復帰した。
今回の入院は2週間くらいで保育園に復帰できたので、上出来であったし、これからもこれくらいのペースで入院⇔在宅+保育園生活を送りたいと思う。

久しぶりの保育園、笑顔がたまにみられるが、午前中はどうも今一歩の様子(体調が、ではなくて)であった。
なんとなく、様子を伺っているような・・・。
でも、今年初めて同じクラスになった友達に”さくくん!”とよってこられると嬉しそうな様子であったから、去年と同じ部屋であるゆーさくがいる教室に場所見知りしているとは思えなかった。
ははーん、と思うようなことはあった。
保育園では言わなかったが、今日、ゆーさくについてくれた先生が、いつもの先生ではなかったのだ。
とはいえ、いつも保育園では同じ空間にいる先生だし、その先生はいつも他の子の世話の間に、こまめこまめにゆーさくを可愛がってくださる先生で、ゆーさくも充分知ってるはず・・・。
でも、昼に先生がなにげにゆーさくにつぶやいたことで私も確信した。
”先生、今日、様子を伺い伺い、やってるのわかる?”
失礼であるが、内心私は笑ってしまった。

そして、昼からお昼寝をしっかりした後、また先生に遊んでもらっていた。
昼からは、私は親子分離でゆーさくから離れ別室で他のお母さん方とくつろいでいており、保育園退園の時間が近づくとまたゆーさくの元へ戻った。
そのときはもう、ゆーさくはいつもの保育園での様子で、様子を伺う様子もなく、楽しそうに先生と遊んでいた。
帰り際、先生に車椅子に乗せられたときは”もっと遊ぶねん!”みたいな雰囲気で少し口がへの字になっていた。

人見知りをするようになりしばらくたち、大分”この人はどういう人で・・・この人は知らない人で・・・”というくらいはゆーさくもわかるようになってきたと思う。
(健常児の発達では月齢6ヶ月くらいから起こることなので、あー精神発達面においては2年かかって6ヶ月くらいを過ぎたんだなあ、と嬉しいような、でも少しため息・・・)
人見知りだけだと、”この人は知ってる人、知らない人”という2パターンでしか人を判断していないということしか、傍から見るとわからない。
少し進んで、最近では抱っこしたら喜ぶとか甘えるとかにより、"この人、好き!”くらいはなんとなく傍から見てわかるようにはなってきた。
とはいえ、その"好き!”になるのは、何日かかけて身近で接することでの繰り返しの結果だと思っていた。
ところが、今日はちょっと違ったように感じた。
何しろ、半日で”この人、どんな人なんやろ?”から"この先生、好き!”という、人を観察して判断するという様子は、初めて見たのだ。
考えてみれば”この人、どんな人なんやろ?”という様子伺っている姿をはっきり見たのも今日が初めてのような気がする。
もちろん、その先生にはいつもちょこちょこ可愛がってもらっている、という下積みがあったからというのもあるかもしれないけど(先生、いつもありがとうございます)。

ほんの少しのことだし、親ばかな発言であるが、ちゃんとゆーさくなりに思考をめぐらせている姿が見れてとてもうれしいことであった。

2004年9月11日(土)
かあちゃん泣く

今日は昼からお買い物。
近くのドラッグストアーのオムツの日替わり特価をあらかじめcheckしていて、昼過ぎに買いに行ったのだが、売り切れていた。
パン○ースやムー○ーの安売りはやはり朝一でいかないといけない、と改めて反省。
いつもはもっと安いのを使うのだが、夜間と入院中(点滴で尿の量がかなり増えるので)はちょっといいやつを使っている。
(といっても、もうすぐ3歳になり、身障手帳によるオムツ補助がでるようになるので、それまでの努力なのだけど・・・)

その後、車のディーラーへ行き、車の半年点検やオイル交換をしてもらった。
その待ち時間(40分くらい)の間の様子が写真である。
最初は私の膝の上にゆーさくを抱っこをしていた。
結構、写真のように机に両手をついたりしていて、おお、リハビリやる気か?と親二人で盛り上がっていた。
ところが、途中で飽きてきたようで、ゆーさくは体をそらしフンフンいうようになった。
そこで一人で椅子に座らせてみる。
もちろん支えはいるのだが、結構ちゃんと座っていた。
最初はぬいぐるみで写真(右)のように遊んでいたが、それも途中で飽きてくるようで、あまり反応しなくなる。
そこで、座位をちゃんと取らせて(手を椅子の座面につかせる)、何回か私が支えの手を離してみたりする。
かなり危険な遊びをさせてみた(人はこれをスパルタ育児というが、PT大ちゃん先生は”倒れる!って感覚をゆーさくにわからせるために積極的に座位を取って倒れる経験をさせないと、と教えてくれた。といっても、一応安全な場所でしないと駄目ですね、やっぱり。)
たまにゆーさくは数秒間倒れずに踏ん張っていた。

親はすごいすごいと興奮気味で、ゆーさく自身は上唇をすこし噛み締めてがんばっているようだった。
でも、なんとなくだが、前よりすぐ倒れなくたような・・・。
リハビリの日も大ちゃん先生の前でこのように頑張って欲しいものだ。

ディーラーでの用事がすむと、その後はいつものショッピングセンターへ行き、夕方家に帰ってきた。
ディーラーでかなり頑張ったせいか、家に帰るとすぐ爆睡。
お風呂の間は起きていたが、その後もいつもより早く寝てしまった。
といっても、ディーラーにいったくらいで、今日もいつもの休日パターンの一日であった。


さて、話はゆーさくから逸れる。
昨夜、恐ろしい出来事があった。

我が家はあまり買い物に行けず、まとめ買いに行ったとしてもゆーさくの荷物が多いので大量の荷物は持って帰られない。
そこで、食料品は某宅配業者を使っている。
一応、有機無農薬を売りにしている業者で、スーパーで普通に安いものを買うよりかは割高だが、スーパーで有機無農薬のものを買い集めるよりかは割安である。
また、やはり有機無農薬の食べ物はかなりおいしかったりするので、その宅配業者は我が家に欠かせなくなってしまった。

昨日の我が家の晩御飯メニューの一つが、セロリとベーコンのスープであった。
その宅配業者からくる野菜は土がついていていることが多い。
(野菜本来の姿であるので、それに関しては私は別になにも思わないのだが)
セロリも結構土がついていたので、洗いおけに水をはり、セロリを3本ちぎって水につけていた。
そして、1本とって、筋をとり、一口サイズにきって、横におく。
そして、2本目を洗いおけからとったのだが、洗いおけの中に大きな土の塊があった。
”こんな大きな土どこについてたんやろか・・・”とよく見てみたら・・・

”ひぇぇぇぇぇぇ!!!!!”
私は、悲鳴声をあげ、涙をだしてしまう。
土の塊かと思っていた、その塊は、大きさ3CMくらいのおおきな茶色い芋虫であった。
水におぼれて死んでいた。
わたしはそのまま、洗いおけから最後の1本のセロリをとり(もったいないので)、芋虫を水をそのまま流しに流した。

野菜に虫がついているのも、考えてみたら自然で当たり前のことである。
虫がまったくつかない野菜というのも、農薬だらけで怖い気がする。
その宅配業者の会誌にも”検無農薬である以上、虫がつきやすい。生産者もこちら(業者)も検品は気をくばっていますが、万が一、虫がついていたら申し訳ございません”とたびたび書いてある。
しかし、私は実は虫が大嫌いなのである。

実家がど田舎で虫がたくさんいた。
家の外壁がバベの木(正式名は知らない・・・)でできており、年に一度イラという毛虫が大発生する。
外壁の外はアスファルトで、その時期はよくイラが車に踏み潰されていた。
それが気持ち悪く私にはとても怖かった。
また、実家の風呂場はとても古く、ナメクジがよく発生した。(私が小学校高学年のときに風呂場を改装してからは大丈夫になった。)
一匹ならともかく、多いとき5匹以上いて、風呂掃除を親に頼まれては”なめくじキモイしいやだ!”と大喧嘩をするが、私は負けてしまい、半泣きで風呂掃除をよくさせられていた。
また、もよりの駅にいくのに、梅雨時期になると赤ちゃんカタツムリが大量発生する道があった。
赤ちゃんカタツムリ、道いっぱいに踏み潰されているのだ。
それらが気持ち悪く私にはとても怖かった
さらに、家が古いのでむかでがよくでる。
高校生のとき、夜中に台所の冷蔵庫のお茶を飲みにいった。
冷蔵庫を開けたとき、冷蔵庫の明かりで、自分の足元に何かいるのに気づく。
その瞬間、わたしは足元にいた何か・・・とても大きなむかで(口の幅が1CMはあった)が私を指したのだ。
とても痛く、高校生にもなって、痛くて30分くらい泣き続けた。
それがとても痛く、私にはとても怖かったのだ。
(ほかにもまだまだ虫に関する話はあるのだが、書いてるだけで怖くなるのでこの辺りでやめておく。)

それらの経験が私にトラウマとなったのか、現在も虫が怖い。
キャベツに青虫がいることは何度かあって、そのたびに”ぎゃっ!”とさけんでは、青虫付のキャベツの葉のところをとって、そのまま捨てていた。
しかし、昨日は青虫の何倍も大きい、しかもグロテスクな芋虫であった。
久しぶりに虫で泣いた。

さて、その芋虫くん、私はあわてて流しに捨ててしまった。
我が家はマンションでディスポーザ(流しに生ゴミをため、流しに蓋をしてスイッチを入れるとカッターが作動し生ゴミを粉砕する。そのままなまごみ水と一緒にマンションの地下にある浄水層に流れるというシステム)なのだ。
芋虫くんはあわれな目にあうことになってしまった。
ちなみに晩御飯の片付け後にディスポーザを回すのだが、その日はとうちゃんが仕事から帰ってくると、”一番に、ディスポーザまわして欲しいねん”とお願いしてまわしてもらう。
私にはディスポーザのスイッチは絶対入れられなかった。

宅配業者に文句をいうつもりはない。
自分が虫に慣れればいいことだ。
でも、怖い思いを繰り返すといつまでたっても慣れる事はできないような気がする。
なんとかならないものか・・・。
ゆーさくが健常児で育っていたら、丁度今頃の年代は”かあちゃん、これ何?”って虫をつまんで見せるような時期だったであろう。
そのたびに、私は泣かされることになっていたのかな、と思う、というかそれは考えたくない。

2004年9月10日(金)
まこちゃんと遊ぶ

今朝、ひさしぶりにゆーさくが少し熱い。
体温を測ったら8.2℃。
あーまた熱がでたか、と朝からため息であった。
でも、朝から元気いっぱいで、気晴らしに軽い散歩でもしようと思った。
ついでに、近所の友達を誘う。

歩いて10分くらいのところに、私の古くからの友達が住んでいる。
彼女は小学校4年のときからの付き合いだ。
お互いの実家は今住んでる0市とは県からかけ離れているど田舎で、家はちゃりんこでで15分くらいの距離のところにあった。
小、中、高と同じ学校で、高校時代は二人で毎日片道40分くらいかけて通学していた。
広大な田んぼの中を雨の日も風邪の日も一緒にちゃりんこで通った(って、ずぼらな私はたまに母親に車で送ってもらってたけど)。
雨風の強い日は、ちゃりんこが中々前に進まない。
お互い必死にちゃりをこいでると、気がついたら私が彼女をほっといて50mほど先に進んでいる、ということがよくあって、懐かしい思い出だ。
というか、もう、あの経験はしたくない。
真面目で秀才肌の彼女(少しドン臭いところあり)とすこしやんちゃな私(音楽体育美術は得意)は、一見タイプが違うが、なぜかよく一緒にいた。
そして、大学に入り、私は地元に残り、彼女は都会へ行った。
そのまま、大学時代を過ごした地でお互い就職したのだが、彼女は3年くらいでとらばーゆしてまた地元に帰ってくる。
ところが、不思議なことに彼女が再就職した会社は、私の勤め先から徒歩5分のところにあった。
また一緒に通勤するようになるのであった。

お互い、20歳になる前後に今の旦那と出会い、それぞれ付き合っていた。
さらに、私の旦那となるとうちゃんは社会人2年目に現在すむ0市に転勤。
彼女も社会人3年目に地元に帰ってきており、お互いが遠距離恋愛を経験していた。

結婚を決め、転勤ができないことから退職し、私が2001年夏に先に0市に引っ越す。
1年後彼女も結婚を決め、2002年夏に引っ越す。
ところが彼女の旦那さまは0市の隣の市で働いており、物価の安さから、彼女ら夫婦も0市に住むことにしたという。
”どーせなら近所に住めばいいのにねえ”と言っていたのだが、本当に条件にあう家を探していたら近所になってしまった。
そのときは、お互い市街地のコーポに住んでいて、実際彼女が引っ越した後によく家の場所を確認すると、お互いの家の間は歩いて3分という近さだったということに気づいて、鳥肌がたったものだ。

その後、お互い、マンションに引越しをするのだが、さすがに同じマンションではなく、徒歩10分くらいの場所で落ち着いている。

彼女との付き合いは本当の"くされ縁”だと自負している。
子供はさすがに思うようにはできないもので、同時期に出産はできなかったし、ゆーさくはこう(?)なってしまったのだが。

ながーい説明になってしまったが、その彼女と彼女の5ヶ月になる女の子まこちゃんと今日、ちょこっと会った。
近くのマ○ドで昼ごはんを買う(朝の新聞の折り込みチラシに、クーポン券が入っていたので)程度の軽い散歩をし、我が家に来てもらった。
帰ってきたらゆーさくは久しぶりの散歩に満足したのかめずらしく1時間半くらい昼寝をする。
せっかく、まこちゃんが来てくれたのに・・・。
ゆーさくが起き始めたころ、まこちゃんが今度はお昼ね。
そして、まこちゃんが起きた後、一緒に遊んでもらった。
ゆーさくはまこちゃんに顔をつつかれ、スタイをひっぱられていたが、ゆーさくは”この子誰だぁ?”みたいにまこちゃんを見ていた。
また、私が”まこちゃん、まこちゃん”とまこちゃんばかりかまっていたせいか、ゆーさくはやきもちを焼いたりもしていた。
結構、ゆーさくにもいい刺激となったようで、友人を誘って大正解だった。
熱もちゃんと下がっている。

ちなみに、友人は結構少女趣味をもっていて女の子が生まれたのを始めはとてもよろこんでいた。
親の意に反して、まこちゃんはとてもたくましくやんちゃに育っている。
その対照的な親子関係の様子が、私にはとても笑えた。
楽しい親子だ。
また、まこちゃんとゆーさくは写真右のように2歳も離れているというのに、大きすぎるまこちゃんと小さいゆーさくはあまりからだの大きさがかわらない。
ちなみに、喃語によるおしゃべりぶりや軽いささえがあればなんとか座位がとれる、という発達振りも二人とも同じくらいであったが、これに関しては、ゆーさくもちゃんと健常児のように発達してんやなあ、と少しうれしく思った。

まこちゃん、やんちゃぶりを発揮してどんどんママを困らせよう!そして、またゆーさくと遊んでやってね!

2004年9月9日(木)
自宅療養

うかつにも今日、ゆーさくとともに昼寝をしてしまった。
自分の時間だったのに、ああ、時間がもったいない。
しかも、月に、1,2回、寝起きに偏頭痛を起こすのだが、まさしく、今日の昼寝でおきてしまった。
だいぶ、軽いけど。
多分、なれない掃除や洗濯をしようとしたので、体が拒否して寝てしまい、さらには頭痛まで起こしたのだろう。
明日こそは片付けたい。

さて、今日は退院後の自宅療養の日。
ゆーさくは熱もとくに高くなく、ぜんぜん保育園にいけそうな雰囲気。
こういう日というのは実に困る。
ゆーさくはとても退屈しているのだ。
とはいえ、私は家の片付けもあるし、つい昼寝なんかしてしまったもんだから、ゆーさくのぶりぶりはさらに加速した。
で、いざ、遊んであげようと私のひざの上に座らせたらゆーさくは寝てしまったんですけどね。

本当は、今日は木曜日で定期診察と嚥下訓練の日である。
昨日退院したばかりだし、今日は主治医は学会に行っていて(重度障害児学会というのが毎年9月9日10日にあるらしい)不在というのもあり、定期診察はお休み。
嚥下訓練に関しては、昨日退院するときに、リハ室に挨拶に行ったら、助手のHさんやOTめぐたんにそれぞれに”明日嚥下の予約入ってるんですけど、モチロン来るんですよね(笑)”といわれてしまった。
”えー、そんなんムリムリ、明日は休まさせてぇ。それやったら明日退院するわあ。”と、私。
病院が歩いていけるくらい近いところなら考えるけど・・・。

でも、今日ゆーさくがぶりぶりしている様子を見てると、嚥下訓練行ったほうがよかったのかな・・・という気が少しする!?
いやいや、やっぱり今日は家でお方付けと休養をとるべき日なんだ。



2004年9月8日(水)

今朝、B病院を退院した。
今日は、とてもいい天気!暑いくらいだ。
前日、とうちゃんに車を病院に持ってきてもらい(昨日とうちゃんは台風の中病院に来て、そのまま台風の中、タクシーで家に帰った)、私が一人で退院するというよくあるパターンだ。
一人で退院するのに、雨が一番困るのだが、暑いのも困る。
汗かきながら荷物を車に載せ病院を出て、汗かきながら荷物を全部車から降ろして家に帰った。
それだけで、私はもうバテバテになっている。

ゆーさくは今朝から、いっぱい声をだすようになった。
(気管切開は普通声がでなくなるのだが、ゆーさくの場合、呼吸器を着けていて肺に送る空気の余分(リーク)が鼻と口からでてくるようになっており、そのリークがうまいこと声帯を震わし、声がでるようである。もちろん、喃語なのだが。)そういえば、入院何日か前からあまり声をだしていなかったなあ、と思う。
医学的にも子供の発達的にも発声のことについてはよくわかっていないのだが、とりあえず、ゆーさくが声を出すときは体調がいいときで何かを要求しているとき、と私は思っている。
しかし、体調が悪い間は、喘息の咳や痰の出具合や発熱という医学的な面からしかゆーさくを判断していなくて、声がでてないなあ、とは気づかない。

何回か、書いていると思うが、いつまでたっても、ゆーさくが機嫌悪いのは、体調不良なのか退屈だから文句いっているのか、さっぱりわからない。
明らかに熱があって(高熱ではない)機嫌が悪くても、案外保育園に連れて行ったら楽しそうに遊んで大満足して昼寝したら熱が下がる、ということがよくあるのだ。
今日も朝、機嫌は悪かった。
先生が診察にくるまでは昨夜台風が過ぎ去ったばかりで肺に影響があったかもしれないと少し考えたが、でも、今日は"退屈だから機嫌が悪し”と判断。
その判断材料が、声だったのである。
(やはり、退院し車に乗っていたらご機嫌になっていた。)

言葉が喋れず、体も動かず、表情も乏しい、となると本当に、親はささいなことでも気づいてあげないと子供とのコミュニケーションがとれない。
今までの障害児とのコミュニケーションやリハビリは大概、親・介護者→子供だったようである。
それは子供に反応がなかったらやむを得ないことであると思う。
でも、私はリハビリのPT.大ちゃん先生に認知運動療法や発達心理学というものを教えていただき、親⇔子供でないといけない、と常に思うようにしている。
ちょっと詳しい本にはかなり前から”障害児に反応がなくても、どんな重症児でも、神経や脳でちゃんと反応しているし、その子自身からの表現もわずかながらもみられるようになる。”という実験データが書かれていた。
ましてや、ゆーさくは一応すこしながら表情がでてきた、発声がでてきた・・・ちゃんと反応して表現してくれているのだ。
さらに、私の好みのミッ○ィーやくまのぷー○ん系のキャラクターのおもちゃを用意していても、ゆーさくはあまり目をくれずアン○ンマンはじっとみるという、好みや自我も少しながらでてくるようになった。
だから、そのゆーさくからの反応を大事に見落とさないようにして、それに対してさらに私も反応をしてあげないといけない、と思っている。
保育園で発達相談員という子供の発達の専門家の先生に私たち親子もお世話になっているが、その先生に”しっかり声かけをしてあげよう”といわれている。
もちろん、そのとおりだ。
でも、その声かけが、私→ゆーさく、で終わらないよう、私→ゆーさく→私・・・となれるよう気をつけようと思っている。
また、ゆーさく→私、ということもあるはずだ。そこはもっと大事な場面だと思っている。
もちろん、親ばかにならないよう、冷静な判断もとても大切なのだが・・・。

ということで、ゆーさくのひさしぶりのおしゃべり、意識的にちゃんと聞いたのは朝だった。
”うーうー、あーあー”と私が寝ている横でゆーさくは一人しゃべっていた。
そこで、私はちゃんと反応を返した。
”あーあーわかったわかった。でも、かあちゃんまだ眠いねん。あんたが起きたのはわかったし、かあちゃんをもう少し寝させてくれ。おやすみ。・・・zzz”
・・・やっぱり、理想はちゃんとわかってても、実践はむずかしいなあ。



2004年9月5日(日)
今日の様子&CD

昨日からゆーさくは高熱も喘息発作も出ていない。
峠は越したのかな、と思っているのだが、今日のゆーさくは高熱がでないだけで微熱は続いてて、発作がないだけで呼吸はまだぜろぜろいっている、と実に中途半端な状態である。
機嫌も悪い。
私がいると常に泣いている。
しんどいのか退屈なのか甘えてるのか、さっぱりわからない。
どーしろ、というのだ!ゆーさく・・・。
でも、おか(あさんと)いつ(しょ)のCDを聞かせて、無理やり手を振って躍らせていたら、たこのうたとネコのうたで機嫌が戻ってきた。
そのときの写真が↑です。
これだけみると、全然元気で今にでも退院できそうだなあ。

ゆーさくは最近、右手右腕がゆっくりだが意図的に動かせるようになった。
点滴を右手に差しているのだが、とても気になるみたいで、ベットのさくにかけてある毛布(さくの間に体を挟まないようにするため)に、やたらと右手をぼんぼんぶつけたりこすりつけていた。
今までの入院でそういう行為をしているのは見たことがなかったので、本当はやめさせないといけないことなのに、私は”おーおー、頑張ってんのか〜、右手がうっといのか〜、そーいうこともできるようになったんやな。”と楽しく観察をしていたのだ。
また、いくら動かしてるったって、そんな点滴ぬけるほど激しく動かしてないしなあ、と思っていた。
ところが、やはり点滴は抜けてしまった。先生、看護士さん、すいません・・・。
今は、あまりまだ動きのすくない左手に点滴をさしている。

昨日、病院で読む本を探しに、本屋へ行った。
あまり大きい本屋ではないので、なかなか専門書はない。
おされ(おしゃれ)もしないし、家事や料理も短時間で最低限のことだけのわたしなので、雑誌類はあまりかわない。
しかし、音楽雑誌は一応読む。
情報収集のために立ち読みだけ。
でも、ゆーさく連れの本屋では音楽雑誌のコーナーは狭くて行けないことが多いのだが。

昨日は私一人で本屋に行ったので久しぶりに音楽雑誌を読んでみた。びっくりした。
今月8日にまたお気に入りバンドがCDをだすではないか!
ブラジルのヘビーメタルバンド、ANGRA(アングラ)でそういえば彼らは前作のCDはだいぶ前だったように思う。
前作は、メンバーが大きく代わり、よりメタルぽくなり、でもちゃんと、昔からのシンフォニック(オーケストラぽい感じ)も残っていていいアルバムだった。
買わなくては!と思った。
さらに来月10日はフィンランドのメロディアスへヴィメタル、SONATA ARCTICA(ソナタアークティカ)もCDをだす。
このバンドは若いのだが、メロディアスな曲が美しく、でもちゃんとヘビメタとしてのパワーがあり、演奏技術もすごいと思っている。
これも買わなくては・・・。
でも、すでに今月、来月ははすでにアメリカのプログレッシヴヘビーメタルのDREAM THEATERが立て続けに高いDVD出すことになっており、それらは家計を握っている旦那に許可をもらいすべて予約注文をしている。

ああ、困るなあ・・・、勝手にかってしまったら音楽に理解のない旦那に”俺は趣味のパソコンとかパーツ買うの我慢してるのに!”と怒られる。
ああ、でも、どれも好きなバンドだけに絶対聴きたいし、買わないと気がすまない・・・。
(お気に入りのバンドのCDはダビングやコピーとかは許されない。ケースもカードもちゃんとないと駄目なのだ。)

いい加減、この子供のような性格をなんとかしたいと思う。
いい年こいて、なおかつ、子供が大変だというのに・・・。
でも、そう思いつつも結局CDはいつも買ってしまうのだ。
おそらくその後、CDを出したバンドってコンサートツアーが始まるわけで、またそれの発表があったら、コンサートに行きたいと私は思うようになるのだろう。
それで、また旦那にいやみを言われる羽目になる。
(でも、仕事が忙しく休めない限りは、散々いやみを言った挙句に行かせてくれる)

でも、言い訳がましいが、自分の精神面においてはCDやコンサートはプラスになるのだ。
そのプラスの一つが、昔のCDを聞くとそのCDを聞き込んでいた当時を思い出し励みになることだ。
例えば、DREAM THEAERの6枚目のアルバムはゆーさく誕生の前に発売され、丁度ゆーさくが生まれ”3日間がヤマです”といわれた日の夜、不安と恐怖とともに聴いていたCDだ。
今でも、そのCDを聴くたび、不安と恐怖が蘇るが、やっぱりたまに聴きなおすことが多いCDの一つである。
今ではそれをとても懐かしく思うし、あの時乗り越えられたのだから・・・という前向きな気持ちもでてくるのだ。
もちろん、そのアルバムの演奏自体がとても素晴らしいものであるからこそ、なのだけど。


ゆーさくが入院しているというのに、すっかり自分の趣味のことで一人で盛り上がってしまった。
決して育児放棄をしているつもりはない。
CDを聴くときは必ずゆーさくも一緒(それはよくないことだろうし私にはプラスでもゆーさくにはマイナスになってるかもしれないけど、でもほっとくわけにはいかない。)。
”ゆーさくが楽しく生きるためには、育てる親も楽しくしなきゃ”という私のモットーどおりにしているつもりだ。
ゆーさくが、今朝おかいつのCDで機嫌を直してくれたように、私もヘビメタでパワーをもらい元気に明るくなれるのだ。

・・・でもやっぱり、親のエゴであり言い訳になるのかな。

2004年9月4日(土)
経過報告&バカンス

9月1日、最近続いていた熱が少し下がったので保育園に行った。
午前中、ゆーさくは楽しそうに遊んでいた。
しかし、昼ごろから痰があまりでなくなり、なんかヤバイなあ、と思っていたら、14時半くらいから咳をしだし、止まらなくなってしまった。
”ああ、喘息発作や!”と、ショックをうけだが、このときは吸入で発作はおさまった。
しかし、夕方、SPO2がいつもより低めで、熱がまた上がる。
次の日定期診察の日だったので、病院に行くのを渋っていたが、発作のように長引かないものの咳がたまにんひゅんひゅんとでるので、一晩家で乗り越えれるのかすごく不安になってしまった。
旦那に電話して早く帰ってきてもらい話をした結果、病院に行き、ゆーさくの今の状態を判断してもらい、もし、発作が起こったらどう対処すべきか、一度先生に聞いておこう、ということになった。
でも、病院にいくと、熱が続いていることを理由にレントゲンと採血検査をすることになり、採血ではそんな異常はなかったものの、レントゲンで肺が少し全体的に白いことが判明。
当直の先生が肺炎になりかけていると判断、入院することになった。

2日詳しい採血検査の結果で、ウィルス(種類は忘れたが、体の抵抗力が落ちたときに発症しやすいウィルスで、うつるものではないらしい)の感染も発見。
熱が1週間くらい続くらしく、といっても熱は入院前からあったし、入院の時点で肺炎で抗生物質の点滴を始めていたので、熱が下がれば退院かなあ、と思っていた。

ところが、3日朝、喘息再発!
午前中SPO2が90前後を行ったりきたり、心拍が200前後を行ったりきたり、でずーっとゆーさくは咳いていた。
喘息は本当に当事者にしんどい辛い思いをさせる悪魔であるが、周りの人にとっても辛い思いをさせる悪魔である。
今回は、早く退院するつもりだったのに、喘息により退院がまたわからなくなってしまった。
でも、主治医の先生が、咳の勢いで食事を全部吐いてしまうことから、早めにステロイドの点滴も追加しましょう、と処置してくれた。
幸いなことに、そのステロイドの点滴が今回は効いたみたいだ。
その日の昼から、喘息は落ち着くようになり、遊んでやると笑顔も出てくる。

以上、9月1日からのゆーさくの近況報告でした。

ところで、今回の入院もいつものB病院なのだが、前回の入院を4ヶ月以上かけて7月頭に終えたばかりであるためか、なんとなく、病院に帰ってきたという雰囲気もある。
とうちゃんは、今回の入院で、こないだ退院したばかりなのにまたかとショックをうけ、肩に神経痛が起こったそうだ。
かあちゃんは逆に一息つけた感じだ。
家事や育児で時間に終われないし、好きな音楽をじっくり聴け、本も読める。
入院中のゆーさくのケアは看護士さんがフォローしてくれるし、私がうかつに朝寝坊してしまってもちゃんとゆーさくの朝の食事の注入をセットしてくれてたりするのだ。

また、入院するとPT大ちゃん先生に小児のリハビリや発達心理学なとの分野に関する本を教えてもらったり借りたりして、勉強させてもらうことができる。
(といっても、退院したらすぐ忘れてしまうんですが・・・)
さらに、なによりも、点滴さえ取れて高熱がなければ抱っこしたり絵本読んだりなどでゆっくりゆーさくと触れ合う時間がたくさん持てる。
それを考えると、付き添い入院はある意味バカンスであるのだ。

といっても、なかなか理解してくれる人は少ない。
ゆーさくが一人っ子だから、私はこんなノー天気な発言ができるのだろう。
また、自分は健康なのに病院という空間にいなきゃならないし、夜は狭いベットで寝なきゃならなくて腰が痛くなったり、相部屋、共同トイレ、共同洗面所で気をつかうこともむかつくこともたくさんある。
そのことで付き添い入院にまいってしまうおかあさんの話もたまに聞く。

入院は、本当はかかわりたくないことだ。
でも、ゆーさくが障害を抱え、病気と闘いつつ、医療器具と共に楽しく生きる為には、病院とゆーさくは切っても切れない関係である。
”健常児の○○くんは体調くずして家で休んで元気になりました”ということが、ゆーさくの場合、”ゆーさくは体調を崩して病院で休んで元気になりました”となるだけの話であるように私は思っている。
健常児の体調崩した状態がゆーさくの日常であるわけだから・・・。
また、家で普通に医療器具を使っている自体がある程度すでに家が病院状態であり、主治医の先生が"家でできることがなくなったり、お母さん一人で手に負えないようになったら入院しましょう”といってくれることからも、入院となる場合は大概、私が家で看るには限界の域になっているわけだ。
現実的な話しとして、それでも病院に行かなかったり入院を拒否することは子供の治療拒否同然の行為であると思う。
つまり、入院はゆーさくにとってかかわりたくないけどかかわらざるをえない関係であるのだ。
ならば、一々入院が決まるたびにショックをうけるよりも、入院が決まると、入院中私もゆっくり休も、と考えたほうがかなりラクになってくる。
また、入院してもゆーさくの状態が落ち着くまでは、寝れないし精神的にもキツイ。
でも、ゆーさくの状態が悪く一人で家で寝れない精神的きつさと、そばに看護士さんや先生がいる状態での寝れない精神的きつさは、断然後者のほうがラクに決まっている。

ただ、そうやって、私が前向きに入院を受け止めることができるのは、B病院の看護士さんたちの配慮や協力があってこそ。
看護士さんには感謝することを忘れてはいけない。

ということで、今、ちょっとしたバカンスに私は行っている。

でも、今回のバカンス、来週から保育園の行事や約束などが待っているので、やっぱり早く家に帰りたいなあ。