その1 学童保育との出会い−1
大学二年生の夏休み、バイトをしようと思って探していたところ、
市役所が「学童保育の臨時アルバイト」を募集していた。
市役所の募集なので確実だろう(?)と応募し、面接を受けた。
特に子どもが好きとか言うわけでは無かったが、面接で
ボーイスカウトに入っていたことやアマチュア無線の話などをしていたら、
ずいぶん喜んでもらい、採用された。
採用され行ってみると、小学校のグランドの片隅に小さな小屋があった。
ぼくは、その小学校の出身だが、ぼくがいた頃から学童保育所があった
かどうか、どうしても思い出せない。
そこには、年配で少し痩せた気の強そうなおばさんと、
ぽっちゃりとしたやさしそうな少し若いおばさんと、
丸いめがねをかけた学生風のおにいさんの3人の大人が居た。
ぼくの仕事は、二人のおばさんの夏休みのお手伝いで、
もう一人のおにいさんは、障害を持った児童のめんどうを見ていた。
(その児童のことを研究テーマにしている。とかなんとか言ってた。
ぼくは、今まで障害児とこんな近くで関わったことがなく、
障害児の心を育てているおにいさんを一ヶ月近く見て、こんな大事な
仕事があるんだ。と知り、すごく感動した。)
年配のおばさんは、何かと自分の娘とぼくとを比べて喋って来たが、
今となっては、なんだかあまり覚えていない。
子ども達からは「がりっちょ先生!」(ガリガリだったので)とあだ名を付けら
れ、毎日ひたすら遊びまくった。
ぼくはもっぱら運動場の担当で、ドッチボールばかりしていた記憶がある。
仲間はずれにしないことを、遊びの中で教えて来たつもり。
プールで、夏の終わりに学童対抗の浮き輪リレーがあるということで、
近くのタイヤ屋からトラックのタイヤチュ−ブをいくつももらって来て、
毎日特訓していた。
成果は、当然優勝! 応援の母親たちも泣いていたが、ぼくも泣いた。
学童のバイトの時間が終わって、友達に車を借りて、小学校に寄ったとき、
まだ運動場に残ってる児童が居たので車に乗せ、グランドの中をタイヤを
滑らせながらクルクル回った。すごく楽しくて、子どもと一緒にケラケラ笑って
いた記憶がある。年配のおばさんにすごく怒られたんだと思うけど、
怒られて当たり前やな。事故しなくて良かった。
そんな楽しい40日は、あっと言う間に過ぎようとしていた。
ぼくは、キディランド(だったか?)へ行って、
もらえるはずのアルバイト料を全てつぎ込んで、児童全員におもちゃを買った。
また、一人づつにお別れの手紙を徹夜で書いた。
最終日、大きな荷物をもって学童に着くと、みんなその荷物を見てソワソワ
している。年配のおばさんには「次のバイトさんの時にまで子どもが期待する
からこんな事は相談してくれないと」みたいに怒られたが、相談してたら絶対
に「気持ちだけで」って事になったのだと思う。
その時のぼくは、バイト料なんてぜんぜん要らないから、
こんな楽しい思い出を造ってくれた子どもたちに、なんとかお返しをしたかった。
辞めた後、誰一人とも連絡を取らなかったし、誰一人として名前も覚えてない。
子ども達も、あれから20年たってるし、「がりっちょ先生」のことは覚えていた
としても、ぼくの名前を覚えている子はいないだろう。
そういう意味での未練は残っていない。
でも、これが、ぼくの学童に関する経験であり、学童に対する考え方の原点。
だから、この話には続きがある。。。