<ハリウッドの宿はアジアンテイスト>
サンフランシスコ滞在中、初めてL.Aへ行ったときの事、
泊まるところは予約して行けとみんなに言われたにもかかわらず、
何だかんだでバタバタしていて、日本から来た友人と、気が付いたらL.Aの空港で車を借りて走りだしていたもんだから、わたしのアメリカ、ホテル捜しの歴史はここから始まったとも言えるでしょう。
それでも一泊めは今思えばリトルトーキョーにほど近いダウンタウン、
ハイウェイを降りてすぐ、近くに大きなホテルがたくさんあるから大丈夫だろうと泊まったところ、
夜暗くなってから到着した私たちに、近くに食事をする店もない。
歩いて出掛けるには人通りもなくて、なんだか危なそうだったので車でぐるっと回ってみたらば、
教会みたいな建物の周りにに食事の配給でも待っているような大勢の怪しげな人々。
なんだか寒々しい雰囲気にそのまま宿に戻り、フロントのお兄ちゃんの助けを借りて、ピザの宅配を頼み(お兄さんは、値引き交渉までしてくれたよ)、向かいのグロッサリーでビールとえびせんをかっておなかをごまかしつつピザを待ちなが朝になったら、絶対チエックアウトしてハリウッドへ向かおうと決めたのでした。
ところが翌朝ガイドブック片手にハリウッド周辺、目星をつけてあたり始めたら、とたんに友達が熱を出し、
結局1軒目にたずねたところで手を打ったので探しまわるというほどのことはなかったのです
そこは例の黄色いガイドブックによると“日本語の通じる親切な中国人経営のモーテル”らしくて、
ハリウッド大通りに近いし、安かったし、映画チャンネルが映るし、まぁまぁの宿だったと思いますが、部屋は狭かったように記憶しています。
そのころはそんなところにあんまり泊まったことがないし、どうだったかはあんまり思い出せないのですが、氷は有料だったなぁ。
その後、L.Aで泊まった宿屋(!?)といったら全米チェーンのモテルでさえもフロントはインド人、韓国人、中国人、シンガポールいや、もしかしたらあの人はインドネシアの人かも・・・
ともかくどこへ行っても我々の泊まるリーズナブルなところは、フロントデスクには“アジアの顔”なのです。
なぜなんでしょうね?
その後も、懲りずに一向にホテルを予約して行かず、L.A宿捜しはわたしの旅の恒例行事になりつつあるのですが、今でもやっぱりL.Aの宿はどこへ行ってもアジアの顔なのです。
安いからいいんだけどね。
<旅の記録;1989年、同行者:S>