1978年12月 - その1 -

1978年11月から12月、次屋の事務所に近畿勢の面々が時々やってきては、雑談して帰っていった。
卒業して数年、みんなまだ独身の頃であり、当時の仕事を続けていくのかどうか、不安定な暗中模索の時代でもあった。




拝啓、友の会会員様。1978年の12月も押し迫り、心底冷え込む毎日でございます。

皆様におかれましては如何お過ごしでございましょうか。

会員の近況を二、三述べさせていただきます。

11月10日頃でしたか、A 氏の結婚式のことで Na 氏 にTELしたんですわ。

「もしもし、……あ、Na さん」

「なんやまた会費の催促……、うん、うん、その件はまかしとって。

ところで、火災報知器買うてくれー。スモークレーダー、10500円、ファミリー火災警報器、5950円、

おひとついかが。手数料いりまへん。割引もしときます。うちの会社も、最近不景気でねぇ。

暇にあかして売らんとあきまへんねん。ノルマもあるんや。

どう、買うてちょうだい。全然売れんわ。セールスはつらいわ。」

「そらそうでしょ。マッチ売りの少女みてみぃ。あんな安いマッチをかわゆい少女が、

おじさん、マッチおひとついかが、ちゅうて売っても売れへんのやで。

それが、ごっついおじさんが、警報器こうてくれー、ちゅうても売れへんで。」

その後、11月24日、Ta 氏 と Na 氏 が当事務所においであそばしましてね。

「あさってのA氏の祝辞考えなならん。何言おうかー。考えてくれー。

祝辞ちゅうの、ほめんならんやろ。ほめる様なこと、全然ないけど、うーん。」

大層お困りの様でした。」

「よし、それは、わしにも責任がある。わしが出られんさかいあんさんが悩まんならん。

日頃何も考えん人間が急に考えれ、言われても難しいの当然や。

いつも、八代亜紀や村田英雄や言うとる人間が、急にピンクレディーになってみいや、

脳みそが癇癪おこしよるで。前文だけでも考えまひょ。」こう思いまして、一応考えましたんです。

「Na さん、これでどないやね。」

「どれ、どれ、どれ、・・・・・、私は大学時代のけなし友人 Na です。・・・・・・・

僭越ながらお祝いの言葉を述べさせていただきます。・・・・・・、

ちょっと、ちょっと、ちょっと、これ、一言ちゅう言葉を入れたほうがいいんやないか。

一言お祝いの言葉を述べさせていただきます。どうな。」

「うーーーん」

ほらほらほら、言わんこちゃない。とうとう癇癪おこしよりましたで。

こういう美的というか、文学的というか、高度な判断、

『推敲する』ちゅう活動を、もう脳みそがはじめよりましたで。

『一言』を付け加えるべきか、付け加えぬべきか、それが問題だ。

俺を悩ますこの憂鬱な問題よ。さあていかが取り計らおうぞ。

みんな、Na さんの文学的感覚、知らんかったやろ。ところで、A さん、Na さんの祝辞、もう覚えてへんやろ。

当時、近畿在は Mo 、Ta 、Be 、No 、Na の5人だったかな?みんなそれぞれの会社勤めが忙しく、
私は月曜から金曜まで泊まり込み出張で家を空けることが多かった。


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