1978年9月の近況(その1)

 1978年、学校を卒業して数年。そのまま近畿に居を構えた人、関東に移った人、あるいは故郷に帰った人、
皆、それぞれの考え、思いを抱いて社会に旅立って数年。みんなどうしていたんだろうか。






こんばんは。チョットお邪魔します。あら、嫌な顔なさらないで。

タバコなど一服なさって下さい。ステレオをお聞きになっててもよろしいですわ。

もう遅いからとなりに迷惑にならない様になさっててね。


こんど人が林立する大都会から、一面田んぼの田舎に引っ越しされたTさん。

三食、昼寝付き、晩酌付きの都会の天国、聞くところによると夜のバイト、

バー、キャバレー、クラブなどはそんなんやったらしいが、から一気に田舎の地獄へ落ちられたのです。

『毎度、こちらH建材店、田舎の出張所でございます。はい。

生コン5立方でございますか。A 、B、C 1対2対3のミックス、

それにぐり石と砂粒を練り合わせたもの。ハイ直ぐ手配いたしますでございます。

えっ、私でございますか。私、名うての手配師でございます。

失敗ばかりやらかすんですけどね。どうぞお見知りおきを。毎度おおきに!』

『どうしたこっちゃろか。昼になるといつもの癖で直ぐ眠とうなる。

職業病やろか。眠いのこらえて目え開けとくのしんどいわ。

けど眠るわけにゃいかんし、目え醒める様な可愛い子ちゃんはおらんし。

ま、このまましとこうか、しばらくするとまた失敗してビックリして目え覚ますやろ。

もう、目え覚ますのこれしかない、うん。』

『朝、8時出社、5時退社。けど残業もするんでっせ。

夜遅うてもかまわんけど、朝はしんどいわ。なにせ田舎やし、毎日車で行ってまんね。

わしの車、あんさんも知っての通りぼろでっしゃろ。いつエンコするか思ていつもひやひやしてまんね。

それで夜もろくろく寝られんと、いつも昼寝しまんね。』

彼の生活の一端を示せばこういうことでございます。

彼も今頃になって田舎へ帰るということは、多分親に責められたんでございましょうね。

『これ、Hや、いつまで水商売やるつもりなんじゃ。もうええ加減に家に帰ってこい。

まったくもう、頼りない長男じゃからに。都会で暮らしても食うだけで精一杯じゃろが。

お前の貯金を見てみ。財形貯蓄や、定期や言うとるけど、幾ら貯まったんじゃ。

ちょっと貯まった思たら、居眠り運転でおかましたり、駐禁に引っかかったり、いっこうに貯まりゃせんじゃろが。

それに、聞くところによると、お前、Mさんにお金を借りとるそうじゃのう。

はよ戻してあげんかい。Mさんもええお人やさかい黙っておられるけど、

いつまでも人の行為に甘えとってもいかんぞ。こんど行く時はお土産なぞ持っていってあげなさい。

はよういっちょ前の男になりんしゃいよ。』

『しっかりせにゃあかんぞ。近頃頭のてっぺんもはげてきとるごたるし、

母ちゃん、もう心配じゃ。母ちゃんがお前んためにええ嫁ごみつけたる。

よう気の付く愛嬌のある娘がええじゃろね。早よお母ちゃんに孫の顔ば見せておくれや。

それだけが楽しみじゃからのう。』

とかなんとか言われたんでございましょう。

後から読み返してみるとちょっと過激だったかな、そのまま掲載しようかどうしようかと思いつつ、
考えるの邪魔くさいためある程度当時のまま載せています。


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