「最初はね、寛大になってみようかな、なんて思ってたんスよ」
突然背後を取って現れた彼はそう言った。


黒子は部活も終わり、マジバーガーのシェイクを片手に人気のない帰路についていた。夕暮れ時、赤く染まる空を見上げて入れば、ふと影が出来た。なんだろうか、疑問に思うと同時に、最初はね、というその言葉が降って来たのだ。
聞き覚えのある声だった。中学のときからずっと、高校が離れた今も、黒子には馴染みのある声だった。
自分よりも低い声だけれど穏やかな音。けれど、今はそこに激情が潜んでいた。
感じたのは、背筋を凍てつかせるような畏怖。
黒子は振り向けないまま、彼を呼んだ。

「き、せ君……」

よくわからない、けれど、黒子には確信があった。今、振り向いてはいけないと。振り返ったら、捕まってしまう。

「黒子っち」

彼特有の黒子への呼称。
振り向け、そう言われているような気がした。けれど、黒子は振り向かない。振り向きたくもなかったが、何より筋という筋が緊張して動くことを拒否したのだ。
黄瀬は黒子の白藍色の髪を梳きながら、始めの言葉を繰り返した。

「最初はね、寛大になってみようかな、なんて思ってたんスよ。だから、黒子っちが誠凛に行くと知ったときも、享受してみたんス」

髪を梳く指は項を撫で、愛撫するように黒子の顔の輪郭を辿る。ゆっくりと、捕らえられる、細い首。黄瀬は小さな咽喉仏を見つけ、それを指先で撫で上げた。

「でもねぇ黒子っち。ホントはねオレは引き摺ってでも黒子っちを海常に連れて行きたかった。だって離れるなんて冗談じゃなかったっス。黒子っちと一緒にバスケしたいし黒子っちと一緒にいたかった。下んない話を一杯して誰よりも黒子っちの傍にいたかった。一分一秒だって黒子っちの傍らは誰にも譲りたくなかった。その綺麗な目が刹那でもオレ以外の誰かを映すなんて冗談でもおぞましいんス」

矢継ぎ早に言いたい事を言う黄瀬の手が首から外れ、黒子の手を取った。そのまま引き摺るように彼は歩き出す。何処へ行く気かと黒子が問おうにも、黄瀬がまた口を開いて言いたい事を言い始めたので叶わない。
それに、出会ってから黄瀬の様子がなんだか変だった。黒子は今自分の手を取るこの男を刺激してはいけないような気がしていた。だからこそ、彼がよくわからない言動を取る意味を理解するために傾聴する為に口を噤んだ。

「ホントオゾマシイッス。黒子っちのことでオレが理解できない知らないことがあるなんて。あっちゃいけないことッスよ。でもあんときのオレって馬鹿で阿呆でどうしようもないやつで好きな子のお願いの一つや二つくらい聞いてやれる男にならなくちゃいけないなんて思ってて。だから黒子が誠凛に行ってもまあいいかなんて思ってた」

「きせくん、きせくん、何処へ」

黄瀬の足は近くの公園を横切り、そのまま深い林のほうへと入っていく。作られた道じゃない、獣道のほうへ、だ。
流石に黒子は慌てて黄瀬を呼称するが、彼は此方の声など聞き入れず話を続ける。
黒子は、背筋を冷や汗で濡らす。背には既に林だけ。公園の景色は遠い。そして、黄瀬の口調が変わってきていた。どう考えても、いい傾向ではない。黒子が足を止めようにも手を引っ張る黄瀬のほうが力が強く何の抵抗にもならない。

「どうせさ、一年経つ前には何が何でも海常へ転校させる心算だったから。一年位だったら、自由にしてもいいかって思ったんだ。―――その一年の間に黒子が理解できりゃ万々歳だったんだけど」

足を止め振り向く黄瀬の顔が見えない。夕方は日が沈むのが早い。しかも此処は林。光なんぞ、届きはしない。黒子には彼が今どんな顔をしているのかわからない。わからないけれど、彼は哂っているような気がした。

「黒子はオレが居ないと駄目なんだって理解させたかった。というかさせるつもりだった。いつもいつもキセキの連中と笑ってやがって今はあの赤髪野郎と笑ってやがるし。だめじゃん。笑うんならオレのそばで笑わなきゃさあ。オレが居ないんだったら笑うな。ほんと黒子はわかってねぇよな。なぁんにもわかってない。黒子を見つけられるのはオレだけなんだよ。他の誰がオレ以上に黒子を理解して必要とするって?なぁ、オレだけだ。黒子、黒子黒子黒子黒子黒子、オレだけなんだよ」

辺りは薄闇に包まれ往く。けれど、黄瀬の目のほうがずっと昏い。
黒子は目の前の男の異常さに後退りするも、右手を掴まれていて思うように距離が取れないことに気付く。黒子の身の内に、脇目も振らずに逃げ出したくなるような恐怖というものが初めて生まれた。
(これは、誰です、か。こんな、黄瀬君、知らない)
確かに、試合のとき、練習のとき、乱暴な所作をするほど苛立ちを見せたことはあったけれどこんなモノではなかった。大体、黒子、だなんて呼ばれたこともない。
がたがたと震える黒子の体躯を、黄瀬は近くの木に押し付ける。

「寒い?なに、どうした?なんで、そんなに目ぇおっきくしてんの、震えてんの、可愛いなぁ」

そう言って黒子の頭を撫で、黄瀬は背を屈め額を合わせて来た。そうして、二、三度瞬き、ああそうか、と頷いた。

「ごめんね。口調がいつの間にか変わってたから驚いたんスね。気を付けるっスよ。なぁんか、オレの口調って感じ悪いらしくって、でも黒子っちと話したくて今の口調にして見たんスよ。ほら、オレ、『マネッコ』っスから。結構お手の物で。でも、こう、苛々したりすると時々剥がれちゃうんスよ。驚かせたのは、謝るッスよ、でも、それとこれとは話が別っス」

黒子はこれ以上額を合わせている男が接近しないようにと腕を突っ張るが、肘の部分が曲がっており意味を成さないものになっていた。黄瀬は黒子の行動を抵抗と受け止めているのか、それ以上接近しようとはせず、がたがた震える黒子の腕を宥める様に摩る。
そんな気遣いも黒子の恐怖を煽るだけなのだけど。

「ねぇ、黒子っち、キセキを、オレを倒すなんて正気じゃあないッスよ。なんで、そんなこと言い出すかなあ。ああ、そうか。うんそうだ、オレから離れたからか、だからそんなこと言い出したんスね?ほら、ほらほらほらほらほらほらっ!やっぱり黒子っちはオレから離れちゃいけないんスよ、駄目なんス!わかるでしょ!?」

(何を、言っているんだこの人は)
黒子は混乱する。黄瀬の言っていることが、上手く理解できない。
満面の、けれど何処か歪んだ笑顔で同意を求められ、黒子は咄嗟に頭を振った。肯定ではなく、否定として。
黄瀬はそのたった一つの動作で、表情を凍らせ、瞠目した。黒子を木に縫い止めていた手からは力が抜けて、そのまま肩を滑り落ちる。そうして、黄瀬は暫し右手を開閉していたが、突如黒子の足の間から覗く木を蹴りつけ怒鳴り声を上げた。

「ワカンダロっ!!!!!?くそっ、くそっ―――ああっ、ああ、うん、ごめんね?うん、うん、大声出しちゃ、ビックリしちゃうよね?ごめんね、でも、わかるっスよね?黒子っちがいるべきはオレの傍らっス。火神でも、他のキセキの奴らでもなくて、オレの傍っス、ね?」

黒子は言葉を忘れ只管に首を振って否定する。
(僕は、火神くんの傍にいたい。彼の影で、ありたい)
振り子のように同じ動作しかしない黒子をあやすように、黄瀬はうっそり笑いかける。大丈夫だと。

「大丈夫、最初は理解できなくっても、ちゃんと理解できるっスよ。大丈夫。時間はたっぷりあるっス。オレがずーっと、一緒にいてあげるっスよ」

そう言って黄瀬は黒子の学ランから携帯を取り出すと、それを二つに割りそのまま地に落とした。そうして、靴で勢いよく踏みしだいた。
ぐしゃり、がしゃり、と何かが壊れていく音が上がる度に黒子は絶望に足を深く取られていくような気がした。

「邪魔はいれないっス。ちょっと寝ててください。次に目が覚めたら、今度はオレと黒子っちだけの世界っスよ」

甘い囁きと共に訪れたのは、腹部への圧迫と痛覚。
そうして、黒子の意識は暗転直下。
(目が覚めたら、そこは地獄ですよ)




黒子っちを一分一秒放さなかったら、よかった。誠凛になんて行かせなきゃ良かった。そうしたら、キセキを倒すだなんて、言わなかったはずだ。
こんな事態を招いたのは、誰だ。決まっている。
だから。








馬鹿は嫌いなんだ

(馬鹿=過去の自分)







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