黒子は物静かなリビングに立ち竦み、ちらちらと周囲を見渡す。この一室の所有者である黄瀬は、黒子に此処で待っていてと告げそのまま寝室の方へ行ってしまった。
何度も訪れているため、黒子は此処の間取りを良く知っている。
黄瀬がいるその部屋へ続く扉を見詰め、其方から足音が響いてこないことを確認し、黒子はソファに投げ出された自分の携帯をカバンに収め、もう一つのそれを取る。
小さな手にも収まるそれは、黄瀬のシルバーの携帯。黒子はこくりと咽喉を鳴らし、もう一度寝室への扉を見た。開くことのない扉から手の中に視線を戻し、震える息を吐き出す。
先程黄瀬が見せた、あの画像を消さなくては。そればかりが黒子の頭を廻る。
画像を消して、自分に繋がる全てを消して、もう二度と彼とは会わない。
黒子は決意して携帯を開いた。そして、真っ二つに折るため、更に携帯に力を加える。ロックを外してデーターを全消去するよりもデーターを破壊したほうが早いからだ。水に漬けようかとも思ったのだが、その方法ではデーターが回復することもあるらしいので止めた。
ミシミシと悲鳴を上げる機械は存外に硬い。踏んだほうが早いか、と黒子が手を緩めた瞬間、脇から手が生えてきた。

「そんなんじゃ、壊れないよ?」

知らぬ間に背後を取られて呆然とする黒子の肩に重みが掛かった。細い肩に顎を乗せた黄瀬が咽喉で笑って、そんなことを囁く。
黄瀬の手が小さな手に重なり、呆気なく携帯を真っ二つにした。

「これでいい?」

力の抜けた四つの手の内から、携帯の残骸が床へと落ちる。
抱き込まれた黒子は耳元でそう問い掛ける黄瀬を顧みようと、緊張した首を動かす。
黒子の脳裏では黄瀬の言った言葉が反芻されている。あのときのことを思い出すたびに冷や汗が出てくる。

『にげないんなら―――』

あのときのように昏い瞳をしているのではないか。早くなった鼓動を抑えるように黒子は心臓に手を当てた。
だが、背後の黄瀬は嘲りもせず、黒子の微笑み、言った。

「別にいいよ。こんなの」

黄瀬はベビーブルーの髪を撫でて黒子を解放した。
ソファへと向かう姿を見詰め、黒子は震える足で後退った。黄瀬は何も言わず、ソファに座ってテレビを点ける。此方には気付いていないのか、気付いていてもどうでもいいのか、黒子には判断がつかない。それでも、一歩、二歩、また一歩と黒子は足を止められなかった。
確実に出口へと向かう足を止めたのは、黄瀬ではなく、切り替わった画面の映像だった。

<いぁ、……っあっあ、き、せくっ……っ>

耳に不快な甘い声、乱れる息遣い、粘着質な水音、黒の上で乱れる色素の薄い青い髪、目元を隠されながら快楽に頬を染めて喘ぐ姿。画面上にいるのは、紛れもなく黒子だった。

「ひっ、な、なんで……」

「携帯に精液塗れの黒子の画像があったからさ、あると思ったんだ。こーいうの。だから昨日探してみたら、大量にあったよ、黒子のAV」

(いつの間に……)
携帯の画像は知っていた。初めて黄瀬に強姦された直後、疲労感にぐったりしているときに態々音を立てて撮られたものだから。
だが、こんな映像は身に覚えのないものだった。黄瀬は好んでよく黒子に目隠しさせて犯していたのだから、それも当然と言えば当然なのだけど。
携帯さえ壊せばそれでいいと思っていた黒子は映像の存在に愕然とした。

<くろこっち、きもちよさそーだね>

黄瀬はソファ越しに振り向き、黒子を手招く。ステレオから流れてくる愉しそうな声が耳障りで恐ろしくて、黒子は歯を鳴らす。画面には映っていなくても、紛れもなくその声の主と同じ顔の男に向かい、黒子は拒絶に頭を振った。
淫らな映像から逃げたい一身で後退りを早めるが行き詰った壁でとうとう腰が抜けた。
その様を見届け、黄瀬が歩み寄ってくる。

「携帯にしろ、パソコンにしろ、ロックのパスはずっと一貫してある。だから携帯のプライベートロックも直ぐに解けた。黒子と会う直前には画像にもメールにも眼を通してた。だから、オレとこーいう関係があったのは分かってたんだ」

影を作る黄瀬を見上げるが、逆光により彼の顔は見えない。ただその口元が嫌に歪んでいるような気がして黒子は恐怖に咽喉を引き攣らせた。
伸ばされる手を恐れた黒子が瞳を閉ざし身体を震わせれば、黄瀬は溜息を落とした。そのまま軽々と抱え上げられ、黒子はソファへと下ろされる。
近くなった耳障りで目障りなテレビを消そうと手を伸ばせば、また背後から抱きすくめられ、黒子の手は届かない。

「オレって何かに固執するような人間じゃないから、黒子を玩具に遊んでるのかな、って思ってたんだ。けど、それにしては黒子を撮ったDVDがあまりにも多すぎるし、果てはアルバムまで作ってるし。しかも、ほら、見て」

耳を塞ぐ手を取り、目を閉ざす黒子の顎を砕くような強さで掴み、黄瀬はテレビを見ろと強要する。震えながらもうっすらと視界を開くが飛び込んでくる映像に黒子はいやいやと泣き出した。画面の中の自分はあまりに汚かった。

「書斎の机も、シーツも、ラグも、ソファも、黒。おまけに倉庫代わりの部屋にあった新品のシーツとラグまで真っ黒。オレってさ、そこまで黒が好きなわけじゃないんだよね。どっちかって言うと、青とか白とかの方が好きなんだ。なのに、真っ黒。まあ、わかんないでもない」

「いやです、やだいや」

呆れたように溜息を吐いた黄瀬は黒子の制服を脱がし始める。黒子はびくりと身体を跳ね付かせて腕の中で暴れるが、両腕を胸元で押さえつけられるように羽交い絞めされ動けなくなった。器用な指先は服を脱がせるのにそう数は入らず、三指だけでも黒子を肌蹴させた。
うっすらとしか割れていない腹筋を指先で撫で上げられ、黒子は背筋を震わせる。

「……ぅあ」

「これだけ肌が白かったら、黒とのコントラストはさぞかし艶やか映っただろうからな。遊びだったらこんなことまでしない。黒子に本気になってなきゃこんなくだらないことしたりしない。記憶をなくす前のオレは相当黒子に惚れてたってことだ。しかも、態々強姦して、その写真をネタに関係を強要するなんて。『オレ』からしてみたら信じられない執着だ。……黒子のように思える存在はいない、これからも、ずっと―――だから、『オレ』も逃がす気はない」

『逃がす気はないっスよ』

そう言った黄瀬を思い出す。
何気のない誘いで訪れたこの一室で、理由も分らずに黒子は襲われた。逃げようともがけば両腕を縛られた。拒絶を口にすれば猿轡を噛まされた。散々に揺さぶられて、漸く終わったと思ったら、無様な写真を撮られた。疲労に負けて動けない黒子に携帯の画像を見せ付け、そう言った黄瀬。

『逃がす気はないっスよ。でも、にげないんなら―――』

あのときと同じように、黄瀬はうっそりと嗤い戦慄く口唇を奪った。
黒子は現実を否定したくて頭を弱弱しくと振る。

「オレの記憶が消えた今なら、携帯壊して、中の画像壊して、アドレスを消したら、それで終われると思った?」

耳障りな喘ぎ声に掻き消されないように耳介へ注ぎ込まれる囁き。音共に侵略してくる湿った熱。黒子は顔を背け逃げを打つが、黄瀬は咽喉で笑ってそれを許さない。

「あんた、かわいいな。よく知らないオレでもそう思えるよ」

そう言って首筋を強く吸われる。二度と付けられることのないと思っていた烙印がまた捺されたのだ。黒子は脆弱な力で黄瀬の腕から逃れようとする。だが、黄瀬に項を噛まれて黒子は動きを止めた。

「ぃ、たいっ」

痛い、と訴えれば黄瀬は項を解放した。
手加減もなく噛まれた項はきっと血が浮き出ているのではないか。そう思わせる痛みの上で火傷しそうな熱が這う。
くつくつと笑う黄瀬の吐息が項にかかりこそばゆくて、患部に痛くて黒子は肩を竦める。

「かわいいな、ほんと。……あんた、昨日の奴らにマワされんじゃないかって思ってたろ」

車に乗る前の話だろうか。杞憂に終わったが、黒子は確かにそれを案じた。だが、黄瀬に見破られていたとは思ってもおらず、黒子は羞恥に顔を染める。

「まあ、強姦までしたんだ、そう思われても仕方ないかもしれないけどな。でも、そんなことしたりしないよ。絶対だ。オレは独占欲の強い人間だからね。どんなことがあったって、他人にあんたの肌を許すことはない。だから、気をつけたほうがいい。オレは気の長い奴でも、寛容なイイ人間でもない。さっきの赤髪にしろ、昨日の笠松とか言う奴にしろ、無闇にあんなに傍近くに置くのはいただけない。オレは独占欲も、支配欲も人一倍にある。あんたは可愛いからな、ちゃんと忠告してやる」

黄瀬の大きな手に股の付け根を撫でられ、黒子は息を呑む。焦ったように身動げばそこをぎりぎりと握り締められる。腹から走ってくる痺れと痛みに黒子は咽喉を震わせた。

「ぅ、あっ……」

濡れた眦に口付け、黄瀬は手の力を緩める。くったりと沈んでくる細身を抱き締め、黄瀬は言葉を続ける。

「オレの狩猟本能を刺激するな。わかる?間違っても逃げようとするなって言ってるんだ。でないと、戻ってきたオレに監禁されるぜ?まあ、その方がオレにとってはいいんだけど。そうしたら、ずっとあんたといられる。不思議だな。なんで、あんたはオレの檻の中にいないんだろうな。『オレ』だったら即行で檻に鎖してると思うのに。わかんねぇな。あんたをずっと可愛がれるのに。誰にも見せず、あんたにはオレだけを見せて。大事に、大事に甘やかしてやれるのに、なんであんたを外になんて出してんだろ」

黄瀬は拘束していた黒子の両腕を解放した。そのまま、流れるような動作で黒子をソファの上に転がした。上から覆い被さってくるのは最早黒子を食らおうとするときの黄瀬だった。
本当に記憶をなくしたのかといいたくなるほど、この黄瀬は以前と同じ表情ばかりを見せる。しかも、黒子を強姦してから見せ始めた表情ばかりを。

「あんたが逃げずにオレの傍にいるなら、オレは幸せだ。そうしたら、余裕が出てきてあんたにも多少の譲歩をしてやる。だから、逃げるなよ」

同じなのは、表情だけではない。言葉だってそうだ。
黄瀬が不思議がっていた問いの答えはまさにその言葉だ。

『逃がす気はないっスよ。でも、にげないんなら、少しぐらいは譲歩してあげるっス。ほんとはこの部屋に閉じ込めてしまいたいんスけど、でも、黒子っちがバスケする姿、オレも好きだから。譲歩してあげる。土日だけでいいっス。泊まりに来て。それから火神の奴と必要以上に話さないで触らせないで。他の人間も同じっス。それから毎日電話するからちゃんと出て。部活の時間は出れないのが当然だから免除するけど、基本的に一時間以内に電話に出ないようなら、監禁するからね?そうなったら一切の自由なんてあげない。快楽だけしかあげない』

黄瀬は笑って黒子の頬を撫でる。その表情は、黒子を篭絡しようと言葉を重ねた過去の彼の笑みと重なった。どちらも恍惚として、幸せそうな表情だった。

「雁字搦めで愛されたくはないだろう?」

『身動きも許さない蜘蛛の糸の上でずーと愛してあげる』

漸く不快な音が切れた。けれど、代わりのように耳元ではあの歌が流れる。エントランスで黄瀬が口ずさんでいたあの歌。黒子を犯すとき、いつも口ずさんでいたあの歌が。
その歌を聴くと黒子は暗示が掛かったように動けなくなる。
セックスは怖い。でも、目隠しでされるのはもっと怖い。
抵抗したら黄瀬はいつも縛った。眼も、口も、手も。耳だけは塞がれることなく、黒子はあの歌と黄瀬と自分の荒い息遣いを暗闇の中で聞いていた。それがどれほどの恐怖だったか思い出し、黒子の肌は粟立ち、歯が鳴った。
うっそりと笑う男がねっとりと口唇を重ね合わせてくる。力が入らず薄く開いた口唇から進入してくる熱に口腔を荒らされ黒子は涙を零す。
不意に今朝の夢を思い出す。光に手を伸ばし、身動ぎが出来なくなった夢を。
あの光の正体は蜘蛛の巣だった。
引っ掛った黒子を見て目の前で笑ったのは、この男だった。
結局、黒子は逃げられない。
逃げられない。









蜘蛛の糸

囚われたあとは、どうなるの







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