桜散る中学入学時、真っ先に仲良くなったのは同級で、自分の後ろの席の男子だった。
さらさらしている髪は染めた様子などないのにベビーブルーの色。無関心気な大きな瞳は髪よりも少しだけ濃い色合い。この島国ではまだ珍しい、綺麗な水の色を彼は纏っていた。
入学式、黄瀬は彼とは席が隣同士だった。だが、不思議なことに、黄瀬は彼の存在には気が付かなかった。後の彼の話によると、彼は影が薄いらしく中々人には存在を気付いては貰えないとの事。そのときの黄瀬は、影の薄さに気がつけなかったらしい。今の黄瀬からしたら罵りたくなる様な失態だ。
黄瀬が彼を見つけることが出来たのは、入学してから五日後。黄瀬的に言えば、少しだけ増えた授業時間に慣れ、その時間差が鬱陶しくなってきた頃だった。
その日の朝、黄瀬は何故か早く眼が覚めた。そして、そのまま静まり返った学校へと向かった。
時刻は七時三十分。いつもなら二学年や三学年が部活をしていたが、その日は全国学力試験の為どの部活にも禁止令が出ていた。
気まぐれついでにどんな部活があるか見て周ろうと思っていた黄瀬は正直がっかりした。
どうしようもないと校舎を探索してみるが差して広い間取りではない。十分もすれば見て周れた。黄瀬は溜息を吐きながら自分の教室へと向かった。
静かな校舎では誰とも擦れ違わない。流石に教師は何人かいるだろうが、もしかしたら生徒は自分一人しかいないのかもしれない。そんな考えを持って教室に足を踏み入れれば、黄瀬が座る席の後ろに座っている見覚えのない生徒がいた。他には誰もいなかった。
外国人なのか、ハーフなのか、彼の髪はベビーブルーの色だった。只格好付けのように染めた安い色合いではない、とても美しい色合いだった。それもあったのだろう、ポツリと存在する彼は、後の彼の言葉とは裏腹に厭に惹きつける『何か』があった。
黄瀬はそれに従い、彼の元へと歩み寄った。途中、後ろの壁に貼り付けてある幼稚な同級の生徒全員の名に目を走らせる。始めから終わりまで見てみるが、それらしい名はない。
(オレの次の名前、は、―――)

『くろこ、てつや、で、いいの?君の名前って』

戸を引いた音で誰かが教室に入ってきたことには気付いているだろうに、彼はまったく無反応だった。そして、黄瀬が声を掛けても、大した反応は寄越さなかった。精々、彼の手の内で、黄瀬が見ることの出来ないその瞳を独占する本の頁を捲る指が小さく反応したくらい。

『ちがった?』

自分の席にカバンを下ろした黄瀬が問い掛けても彼は声を聞かせてはくれなかった。当然、未だ奪われたままの目線をあげてもくれない。
お世辞でも性格が良いとは言えない黄瀬は、普段なら此処で彼の机を蹴るなりしただろう。けれど、何故か、その日の気まぐれはまだ続いていた。だから、黄瀬は大人しく自席に着いた。勿論、前の黒板を向いてではない。無言、無反応な彼の方を向いてだ。
黄瀬は顔がいい。加え、小学生の頃から既に百七十間際の高身長故に何度もモデルやらのスカウトを受けていた。風の便りを聞いた者は黄瀬の周囲に群がって嫉妬や憧憬雑じりに自分をちやほやした。いつかは何がしかの恩恵を受けることを願って。この同級でもそうだった。そんな、友人にすら値しないどうでもいい存在は入学して早五日目で同級にも他級にも、上級生にまで腐るほどいた。
だが、だからと言ってちやほやされるのが黄瀬は気持ち良いとは思わない。ならば反対に、自分に反抗的な人間が良いのか、と問われればそれもまた否。
それでも、そのとき目の前にいる彼にだけは好奇心が疼いた。どくりどくりと心臓が脈打ち、髪に隠れたその顔はどんなものなのか、瞳は何の色なのか、その声はどんな甘い音なのだろうか。初めてかもしれないほど、黄瀬の心は騒いだ。綺麗な髪をしているからか、見たことがない同級生だったからだろうか。今の黄瀬でもわからない。でも、そのとき抱いた好奇心を後の黄瀬は肯定する。よくやった、と。

『ね、くろこてつや、じゃ、ないの?』

くろこてつやじゃねぇの、と聞こうとして黄瀬の頭の中で友人の言葉が蘇った。黄瀬の口調は時々喧嘩を売っているように聞こえる、と言う言葉が。
初対面から悪印象は駄目だろう、と黄瀬は口調を半ば無理矢理に変えた。

『ね、暇なんだぁ、話しない?』

咽喉が音を出している間も記憶を浚い、黄瀬は人好きのする口調を探す。友人ではない、けれど、小学生の時の同級の口調が一番良いかもしれない。詳細に記憶を浚いながら、黄瀬は彼の顔を覗き込んだ。
陶磁のような肌理の細かい新雪の肌。水の色を湛えた大きな瞳。まだ幼い、だからこその甘い顔立ちだった。
黄瀬は、この瞬間に、心奪われた。とくりとくりと脈打つ、その心臓を震わせ、強く、この存在を渇望した。

『オレは、黄瀬涼太、よろしくっス』

そう言うと、黒子は漸く目線を上げ、溜息を吐いて答えた。

『黒子テツヤです、是非とも、よろしくしないでください』

『え、……えええええええっ、なんでっスかぁ!?』

悲鳴混じりにそんな声を上げる黄瀬を煩いと言わんばかりに黒子は眼を眇め溜息を吐いた。それでも、小さな手に持っていた本は閉ざされた。
出会いはそんなもの。それからもしぶとく黒子に話しかけたお陰で、夏休みには共に遊びに行ける程の友人にまで黄瀬は昇格できた。
黒子はバスケ部に所属していた為、放課後も休日も部活に時間を捧げた。遊びに出た際もストリートのバスケを良く眺めていた。
一緒にいるのに違う方向を向く黒子の意識を奪ってしまいたかったが、『お調子者の黄瀬』がそんな強硬な態度を取るわけにもいかない。だが、黄瀬はどうしても黒子ともっと時間を共有したかった。そして、黒子にも黄瀬との時間を共有させたかった。
ふと、黄瀬の思考を掠めたのが自分もバスケ部に入ってはどうか、と言うことだった。だが、黄瀬が通っていた帝光は中学バスケ界の不動の王者だった。当然その部活の内容はハードなもの。よくこんな練習を細い体躯の黒子がこなせる、などと思う以前に、秋になる今の今まで一度もサボることなく寧ろ好み勇んで部活へ行ける、と黄瀬は血の気が引いた。当然だが、その練習を見て黄瀬はバスケ部に入ることを諦めた。
大抵の事は難なくこなせる程の身体能力に恵まれてはいるが、だからといってあんな練習をしていきたいとも思えなかった。勿論、黒子と一緒にいられるのならそれも耐えられはする。だが、黒子は既にレギュラーを獲得しているらしく、素人の黄瀬が入部しても練習は別で共にいられることはまずないようだった。
黄瀬の考えが変わったのは、春休み中の帝光と他校の親善試合を見物に行ったときだった。
彼女気取りのとある少女が見に行こうと黄瀬を誘ったのだ。黒子と他の人間が親しげにしているところなど見たくはなかった。だから、黄瀬は被り慣れた調子のイイカオで断った。
それでも、黒子がどんなプレイをするのだろうかと考えを巡らせれば、試合中はどんな表情をしているのだろうか、誰にどんな表情を見せているのだろうか、という疑問も湧き出てきた。
一つ一つパズルの隙間をピースで埋めていくように、黒子の一つ一つを知っていく過程が黄瀬は好きだった。この頃には既に黒子テツヤの全てを掌中に収めておきたいという強烈な願望が胎動していた。この時もまた、黄瀬の中でその胎動があった。知りたい、見たい、その思いのまま、黄瀬は彼女気取りの少女にやっぱり行こうか、と持ち掛けた。
唖然とする少女を一人残し、黄瀬は一人で中学へと向かった。途中で追いついてきた少女の歩幅など気に留めずマイペースに歩いた。もしかしたらもう始まっているかもしれない、そう思うと少女のことなどどうでも良かったのだ。
帝光の体育館に行くと既に試合は始まっていた。息を荒げて文句を言う少女を一言で黙らせ、黄瀬は二階席に座った。
既に前半が終わり、後半に差し掛かって間もない時分だった。コート内には目的の姿が見当たらず、ベンチの方へと滑らせた黄瀬の視線の先、黒子がいた。上着は羽織っておらず、既に出番は終わったのかと落胆に黄瀬が溜息を吐くと同時に選手の交代があった。コート内の誰かと黒子が入れ替わる。黄瀬はぱっと顔色を明るくさせた。
見たい、見たいと思っていたバスケ部内の黒子。凝視するように彼だけを見ていたが、黄瀬は途中何度もその姿を見失った。だが、それでも面白かった。黄瀬は満足だった。黒子が入ってからというものの、相手チームのボールが帝光の方へと流れ、その得点は面白いほどに跳ね上がって行った。黒子はパスだけしかしていない。なのに、途中途中で眼に留まる彼の動きはまるで一種のマジックショーのように黄瀬の一瞬を惹きつけた。すごい、と思った。彼と一緒にそのコートを走りたい、そう思った。その為なら、あの過酷な練習も苦ではないと黄瀬は断言できた。有り難い事に、黄瀬は身体能力と記憶力、そして洞察力には自信が有った。一年と経たず、必ずあのコートに黒子と共に立てるという確信があったのだ。
試合が終了後、暖かな日差しを浴びて膨らんだ桜の蕾や僅かに開いた薄桃の花が目に付き、黄瀬はそれを握り潰した。後ろでは少女が何か喧しく言っていたが、黙らせるのも面倒だった。だから、ただ一言、告げた。

『はやく、こんなもん散ってしまえばいいとか思わねぇスか』

はやく、春休みなんて過ぎてしまえばいい。入部申請は新学期が始まらないと受け付けてはくれないのだから。
黄瀬は掌を花汁に濡らしながらうっそりと笑った。
楽しみだったのだ、本当に。新学期が、彼と共に始める新しい新学期が。
ただ一つ、見誤っていた現実に、黄瀬はこれ以上ないほどこれから苦しめられるのだけど。





「くろこっちぃぃいいっ」

盛大な声を上げ、突進するような勢いでこの日もまた黒子は背後から抱きつかれた。一応の配慮はされているのか、黒子が他人や机にぶつかり痛い目にあったことはない。だからといって、この所業を許してやる気にもなれないのだけど。

「くろこっちー」

首筋の辺りでぐりぐりと頭を擦りつける背後の男など今更確認しなくても誰かは分かっていた。だから、黒子は無視をすべきか折檻に出るべきかを無表情に迷っていた。どちらかと言うのなら、折檻する方に天秤は傾いているのだがそうすると、背後の男は喜ぶ。それが黒子は嫌だった。だが、無視をすれば男は余計に煩くなる。
(どうしましょうか)

「黒子っち、会いたかった。五十分って長いよね。黒子っちも寂しかったっスよね?」

休み時間ごとに逢いに来ているくせに何が会いたかった、だ。黒子は無表情であった口唇が引きつった。
(やっぱり無視したほうがこの鬱陶しさは治まるんじゃないですかね。ほら、犬の躾のように、構ってやれば喜ぶだけでしょう。怒っても怒っても聞き入れてくれないのなら、やっぱり放置されるということを覚えるべきでしょう)
真剣なその悩みに気が付いたのか目の前の友人が黒子の頭を撫でてくる。きょとん、と友人を見遣れば彼は苦笑した。

「そういうサディスティックな仕返しはどうかと思うけどねえ」

「彼には、必要だと思います。というか、頭を撫でないでください。子どもではありません。腹立たしいほどに成長する君と同い年です。僕の栄養素まで吸い取っていると思えなくもないその身長では、僕と君が同じ誕生月で同じ誕生日であることも忘れてしまいますか。そうですか、頭に回す栄養素まで君は身長に費やしてしまったんですね。道理で……」

「はい、はいっ、お前は毒舌吐かないの!大丈夫だって、お前は高校で伸びるタイプだから!」

思う存分日頃の不満を数少ない小学校以来の友人にぶつけてみれば彼はいつものように笑って黒子を許してくれる。ぐしゃりぐしゃりと髪を掻き乱されるのを大人しく受け入れていると、ふとその手が退けられた。黒子は目の前で瞠目している友人を見て、その視線の先の背後の男を見ようと顧みた。だが、黒子の双眸はその男の腹に埋められてしまった。

「黒子っちはまだ成長期にも入ってないんっス。頭ぐりぐりしちゃ背ぇ伸びないじゃないっスか。まったく、止めて欲しいっスね」

「そりゃ、悪かったな。っていうか、手ぇ、放してくんねぇかな。骨がぎしぎし言ってんだけど」

「あはは、ごめんね。こんな弱い力で悲鳴上げるとは思わなかった。随分、軟弱な骨なんっスね」

髪を梳かれる心地が幾分好くてそのままであったが、頭上で朗らかな声で応酬される内容に黒子は眉を寄せる。黒子は男の背を叩き、後頭部にある手を退ける様に訴えた。大人しく手は下がるが、名残惜しそうにそれは項を撫でる。黒子はそれを叩き落とし、友人へと振り返る。

「大丈夫ですか」

「ん、平気平気」

ぷらぷらと手を振り、苦笑する友人を見て愁眉を開いた黒子に男は再度圧し掛かってくる。黒子は肩に乗る小奇麗な顔を掌で叩く。

「君、人よりも馬鹿力だという自覚はありますか?君にとって弱い力でも、他の人間には十分な痛みになることを理解できないんですか?」

「だから、謝ったスよ?ごめんって」

「誠意が感じられませんけど」

背後を振り返り、眼を眇めてそう言ってやれば、男は泣き真似てひどいと喚きだす。余計引っ付かれてしまい鬱陶しいとは思うものの、黒子も去年同級だったこの男の過多な接触に慣らされてしまっていた。
どうやってこの男を引っぺがすかを悩んでいると前方で椅子が引かれた音がした。そちらを見遣れば友人が帰り支度をしていた。周りも皆いつの間にか帰途に着いているらしい。教室には黒子達以外誰もいない。

「じゃ、俺は塾あるから帰るな。また、月曜な、テツ」

「はい、また月曜に。如月も気をつけて」

ひらりひらりと振られる手。黒子もまた手を上げ友人に別れを告げた。
友人の姿が消え、さて、どうやってこの腕の中から出ようかと黒子が思惟に耽っていると、男の腕の力が増した。ぎりぎりと腕の骨を折られるかと思うほどの力だった。黒子は溜まらず悲鳴を上げるように男の名を呼んだ。

「っせく、痛いです、黄瀬君っ」

「……、っ、うん、ごめんね、黒子っち」

強い拘束はすぐには解けず、黄瀬が小さく舌打ちしてから漸く解けた。
耳に届いた謝辞は友人へ向けられたそれとはまた違い、静かなものだった。だが、やはり誠意は感じられない。何よりも、黒子にはその静かな音が孕んでいるのは、もっと違うもののような気がしてならない。
黒子は首を傾げて黄瀬を仰ぎ、溜息をついた。そして、小奇麗な顔の眉間に寄った皺を解してやる。

「なんて顔してるんですか……ほら、帰りましょう。迎えに来てくれたんでしょう?黄瀬君」

「……、うん、今日は部活ないし、遊んで帰ろ、ね、いいでしょ、黒子っち?あ、でも、どっかでビデオ借りてやっぱり家にいよ」

黄瀬に手を引かれるまま黒子は教室を出て、校舎を出る。途中、部活の後輩や先輩や同学年の人間、小学校が一緒だった人間に手を振られ、黒子は手を振り返した。

「あれ、誰っスか?」

その度に誰何してくる黄瀬に黒子もまた答えて行く。答えないと彼は悲しげに顔を歪ませるのだ。一年前の自分ならどうでもいいと放置しただろうそれが、彼と過ごした一年により心苦しいものへと変化してしまった。
黄瀬は大概の名を興味なさ気に聞いていたが、小学校の友人達には二、三度名前を鸚鵡返しして覚える節を見せた。黒子は首を傾げた。

「毎日毎日、何故こんなことを聞くんですか?」

「そりゃ、気になるからっスよ、黒子っちのオトモダチは誰なのか」

「はあ、そういうもん、ですかね」

「そういうもんっスよ」

校門を出て、黄瀬は眼を眇め校舎を見つめた。黒子も倣うように校舎を見る。

「駄目っスね、やっぱり。ああ、バルサン焚きたいっス」

「は?」

「バルサンっス!害虫うじゃうじゃしてるんっスよ!」

「黄瀬君の、家ですか?」

「違うっス、学校っス!学校でやりたいんス!あそこは、害虫の住処っスよ!寧ろ、家は何処よりも安全なんスよ―――ああ、もう、黒子っち、害虫に食べられないように気を付けてね?あ、でも、一年のときとは違って部活は同じだし、ムカつくことにクラスは違うけど、でもお隣だし、休み時間はちゃんと会いに行くし!害虫もちゃんと少しずつ、駆除していくっス!だから、大丈夫っス。安心して、黒子っち?」

始めは憤懣やるかたない様子で意気揚々と語っていたが、それでも結論に満足したらしい。美しい黄瀬の莞爾眺め、黒子は適当に相槌を打った。言っていることはよくわからないけど、黄瀬が無茶苦茶なことを言うのは今に始まったことではない。そして、酷い被害が出た事もない。だから、特に気に留める必要もないだろうと黒子は歩き出す。

「一匹残らず、駆除してあげるっス。黒子っちが懐いている、一番目障りな、あの害虫から、ね」

背後で黄瀬が嗤っていることになど、気付きもせずに。





「まずは、一匹目」

その夜、白銀の満月の下で一人の少年が車に撥ねられた。救急車を呼んだのは、呆然とする運転手ではなく、偶々其処に居合わせたと言う被害者と同じ年頃の少年。
月の淡い光を背に、少年は横倒わる少年にうっそりと微笑んだ。横倒わる少年は赤黒く鬱血した腕を持ち上げた。二重にぶれる視界の中で、朦朧とする意識に耐え、その少年の服を掴もうとする。だが、手が重く届かない。

「害虫の癖に、あの子に近づいたら、だぁめ」

混濁していく意識の中で、少年はその一言だけを強く脳に留めた。鎖で雁字搦めにするように、その言葉を。
(て、つ……)
横倒わる少年は長年の友を思い浮かべ、意識を手放した。








月といましめ

害虫を親しげになんて呼ばないで。オレだけを見ていてよ







back/top/next