第一話 始まりを告げる音 


 




ガタンゴトンと、重い音を重ねながら、東へと進む列車の窓辺にハボックは肘をついて外を眺める。
白い雲がほんの少し浮かんだ青々とした空の下、移り過ぎてゆく景色は色鮮やかで、この目を楽しませる。
列車との摩擦で強いものではあるが、それでもやはり吹き込んでくる風は気持ちのいいものだ。

ふと、相対した座席に目を向ける。
そこに居るのは背の半ばまである黄金の髪を風に遊ばせて瞳を伏せた、旅の同行者である女性。
ハボックと同じ金髪なのだが全く違う色彩を思わせる、彼女の混じりけのない黄金色は、白い肌に見事に映えて女性特有の柔らかな雰囲気を醸しだし、整ってはいるが年よりも幼げに見える容貌は彼女に儚い印象を与えた。

彼女は白いカットシャツと黒いパンツというシンプルな出で立ち。普段纏う青ではない色彩にほんの少し、ハボックは違和感がある。
それでも、本当は、そんな姿がずっと見たいと思っていた。
本当の。真実の意味で、その思いが叶ったわけではないのだけれど。

そんなことを考えていれば、彼女の伏せられていた瞼がゆっくりと持ち上がり、現れる髪と揃いの黄金の瞳。
幾年と見続けてきた、宝石のようなそれに見惚れて目が逸らせない。

「なんだよ」

ハボックの蒼い瞳が長い間向けられていたのが気になったのか、彼女は尋ねてくる。
口調こそ乱暴だが、声音は決してそうではない。
低めの凛とした、けれど穏やかな音。
浮かぶ表情も、柔らかな微笑み。
それらは彼女が身内であると認めた証。
だから、それを目にし、耳に出来ることがうれしい。
 
「なんでもないですよ。そっちこそなに考えていたですか」

眠るわけでもなく、綺麗な金色を隠し、思考の海に沈んでいた原因は。

「別になんにも」

「そうですか?じゃあ、代わりにというか。新しい職場、やりやすいといいですね」

その言葉に笑みは消えて、彼女は黙ったまま、じっとハボックを凝視める。ハボックも彼女の視線から逃れることはしない。蒼い目に、細身の姿を映したまま。
先に視線を外したのは、彼女の方。窓のほうに目を背け、云った。

「つくるよ、望むように。」
 
自分の望むように、お前たちが望むように。せめてもの罪滅ぼしだ。そう云われた気がした。
彼女は部下である者たちに罪悪感がある。部下にすることで、様々な負担を担わせ、普通の軍人以上に危険事を増やしているから。
確かに、命がいくつあっても足りないと、思ったことがある。
何故こんなにも、理不尽な目に合わなくてはいけないのかと、思ったことがある。
 
けれど、と痛切にハボックは思う。ちがうのだと。

「だったら、護りますよ。貴方のすべてを」

地位も、華奢なその身体も。傷つき血を流し続ける、強くけれど脆い、その心を。
貴女に護られるのだから。力が及ぶ限り、この身の限り、自分も貴女を護る。これも等価交換でしょう?
口端を持ち上げてハボックが言えば、呆気に取られたような顔をして振り向く彼女。
等価交換などと云われるとは思っていなかったのだろう。
珍しく一本取ったような気分で、心地いいと思った。
 
「まったく、お前にはかなわないよ」

その顔が苦笑いに変わり、了承の言葉を零す。
けれどそれは、これから共に歩むことを許すものであり、彼女の命を護ることを許したものではない。
いつだって彼女は命が危険に係わるところにいた。そして当然周りにいる部下も巻き込まれる。
今回の異動の辞令を受けた彼女は当初、ただ一人で東部へと向かう気でいた。これ以上危険な目には遭わせられないと、そう云って。ハボックたちが何度一緒に行かせてくれと説得を試みても、首を縦に振ることはないまま。
それでも、諦めることなど出来ずにいた彼女の出発の前日になって、自分たち部下にも異動命令が出た。急なため、彼女と共に列車に乗り込めたのはハボックだけ。ほかの者たちは片付けが終わってから追いかけてくる。
駅で見つけた彼女に事情を説明すると、気に食わなかったのだろう。無言だった。何を云うこともなく、列車に乗り込み、席に着いた途端、付いてきた男の存在を遮断するかのように瞳を伏せてしまった。
先ほどの穏やかな声音は、恐らく諦めたからだろう。
もう、部下たちが自分から離れるチャンスはないと。
再び手放した者たちを手の内に囲うしかないと。
だから、安堵した。たとえそれが、行動の規制をされたものであったとしても。

「最高の褒め言葉ですよ、それは」

彼女を護ることは部下であるハボックたち全員の誓いであったから。
 
 
この線路の先には、イーストシティ。そこには、東部に点在する軍支部の要の東方司令部がある。そこが新しい戦場。
彼女、エドワード・エルリックの。そして部下である自分たちの。

誰が敵かも分からない。云うならばすべての人間が敵だ。そんな場所だから、自分たちがそばにいたい。
そこは、やはり危険地帯なのだろうが、かまわない。
 
「貴女は信じてください」

「なにを?」

自分たちは、誰かに強要されて、そばにいるわけではないことを。
どんな目に合ったとしても。極論、死ぬと判っていたとしても。
エドワードのそば近くにいること。それは自分たちの我儘だということを。
邪魔をするならば、貴女であっても許さない。
それをいい加減に、分かってほしい。

「信じて、ください」

そんな切願をこめながら。ハボックは告げた。





「マスタング中佐、東方地開放義団からテロの声明が暗号文で届いております」
秀麗な女性副官の言葉にロイは眉間に皴を作る。
「またか。まったく、いい迷惑だな。今月に入って何度目か最早数えるのも嫌になる」

現在、東方司令部は、東方開放義団と名乗者たちからの爆弾テロに悩まされている。
仕掛ける場所は様々だが、駅や軍関係地、市街と、比較的人が多く集まるところが狙われている。当然死傷者の数は大多数となる。

当日にではあるが、犯行声明は軍に届いている。
そのため市民は対処が遅いと軍を罵る。被害に遭うのはこれまでの例から云っても高確率で市民なのだ。非難も当たり前だろう。
だが、爆発の一時間前や二時間前に犯行声明を突きつけられて何が出来るというのか。しかも、犯行の日時は記載されていても、何処でなにをするのかは暗号化されているのだ。恐らく、日時を記載するのは心理的な圧力を掛けるためだ。今では、暗号の解読もコツを掴んだらしく、時間は短縮されてはいるが、それでもやはり間に合わない。
出来るのはせいぜい避難指示。不審物を見掛けたら不用意に近寄らず通報すること、そんな警告。
テログループの情報を得ようとしても、人通りが多いところでは相当に不自然な行動を取らなければ怪しまれることはない。
おかげでテログループの潜伏場所や、人員等の情報は一切と云っていいほどない。
余程頭の働く参謀がいて注意深く動いているのだろう。

厄介なことこの上ない。
それはロイ自身の思いであり、軍部全体の思いでもあった。

対処の仕様がないということは能無しの軍上層部にも分かる筈だろうに、ここぞと云わんばかり若くして中佐の階級に付く自分を糾弾する。
そうして厭味と皮肉が尽きたあと、内々に出されたものが。

「辞令。東方司令部に以下の者を最高司令官として配属する。
―――エドワード・エルリック准将…か」

手にする上質な紙。権力を誇示するように描かれた獅子と六芒星の紋章。
必ず。例え、どんな犠牲を費やしても必ず叶える。
血に塗れたあの戦場で。歪みを見た瞬間に決意した。
これが描かれた旗の元、ただ一つの椅子に座すことを。
それは夢や願いなどと、生易しくも脆いものでもなく。
云うならば誓いだ。賭けたものは己自身。誓いはあの時奪った命のすべてへ。

「エドワード・エルリック…」
もう一度追ロイはその名を呼ぶ。昔聞いたような気もするが、思い出せないのだからやはり知らないのだろう。
准将という地位に着きながら軍部内で聞いたことのない名前。
だが、この時期来るのだ。年ばかり食い、人を妬み蔑むことしか出来ない老将軍共とは違うだろう。
「使えそうなら、うまく利用させていただこう。私の野望のために」 

それでも手元にある情報は、紙に書かれた名前と階級だけ。
これでは勝負を仕掛けることも出来ない。
此処はロイが二年掛けて漸く築き上げた城だ。中央に召集されるまでは譲る気はない。

「厄介な方でなければいいのですが」
女の凛とした声に思考に沈んだ意識を拾い上げられた。
ロイが視線を上げると、副官の顔には微かな渋面が張り付いている。
「同時期にテロと将軍を相手にされるのは、さすがに厳しいでしょう」
「確かにな。そのためにも、テログループを早々に潰すぞ」
冷ややかな鋭さを黒い瞳に宿しロイは宣言する。
自分の能力を見せ付けて、非難の言葉を潰す。
上官だからと退くわけにはいかない。
敵になる人物ならば、“彼”にも消えていただく。そのためには。
「ホークアイ中尉。エドワード・エルリック准将について調べ上げろ。ただし、極秘にだ。急げ」
彼がこちらに付く前には、いろいろ把握しておきたいからな。
そう云った上官であるロイに、ホークアイは敬礼の所作を取り、了解の意を口にしようとした瞬間、荒々しく扉が開かれた。
入ってきた太り気味の男は余程慌てているらしく、此処が上官の部屋であることを忘れ、ノックも、敬礼もしない。
「ブレダ少尉、此処は上官の執務室です」
「構わん。その様子では緊急事態だな。なにがあった」
ロイは促しながらも、無意識に眼を剣呑に細める。
張り詰めていく緊張感。
恐らくは例のテログループ。
これ以上事態を悪くするわけにはいかないというのに。
そんな思いの中、ロイはブレダの言葉を待つ。
「それが、例のテログループが…今度は列車をジャックして。中央発特急1947便です」
「例の…って」
嫌な予感にロイとホークアイは顔を顰める。

「東方地開放義団」
二つの声は微かに疑問の音を混ぜて。
一つの音は迷いのない音で。
同じ単語が三つの口から落ちて重なった。

重々しい溜息をロイは零す。そこには苦みも混じって。
「何故、テロのやり方を変えたんだ。爆弾テロのほうが奴らにはまだ安全圏だろう。軍はこれといった尻尾を掴めてはいない」
列車をジャックし大量の人質を取るまではいいが、その後逃走が困難なのは明らかだ。
何処の軍部でも、列車ジャックは検挙率が高い。人質が多すぎては邪魔にしかならず、犯人が手間取っている間に軍部に取り押さえられるからだ。
「それが…」
硬い声で歯切れが悪そうにブレダは一枚の紙をロイに差し出す。
嫌な予感の中それを受け取り、黒い眼が文字を追う。
 
曰く。人質を解放してほしいならば、テログループの指導者をかえせ。
人質は列車の乗客すべて。
そして。―――ハクロ少将。

「抜き打ちで視察にでも来るつもりだったんでしょうかね。まったく、余計な仕事を増やすのはやめてほしいです」
いかにも不満面をするブレダにロイは苦々しげに頷くしかない。
この忙しいときに一体なにを考えているのか。
無能の癖に馬鹿のように己を誇示し、ロイを蔑むハクロという男は、余りにも好ましくなかった。
いっそこのまま、尊く犠牲者にでもなってくれないだろうか。
そうすれば、上のポストも空き、あの図太い声を耳にすることもない。素晴らしく望ましい事態ではないか。
 
「マスタング中佐。そんなことは胸の内だけに慎んでください」
「さすがに口に出しちゃまずいですよ」
ホークアイには呆れられ、ブレダには苦笑された。
内心での言葉のはずが音になっていたらしい。
「仕方ないだろう。邪魔なものは邪魔なんだ」
言い訳と分かっていても、部下に見放されそうで云ってみる。
一方は溜息をつき、もう一方は乾いた笑い声を出す。
そんな二人を見て黒髪の上司は誤魔化す様に次の話に移る。

「中尉が云っていた犯行声明はこれのことか?」
「そうです。中佐にお持ちする前に解読班のほうに渡しました」
「そうか、とにかく乗客名簿の確認だ」
「それでしたら、フュリー曹長がやってますよ」
それまで二人の上官の話を黙って聞いていたブレダは、今司令室の状況を話す。
それに分かったと頷いて、ロイを先頭に部屋を出る。三人は事件解決のため司令室に向かった。





時を遡ること、四十分前。

突如四人の男たちが入ってきた。荒々しい侵入に警告の言葉を口にするよりも先に、車両に一発の銃声が響いた。それは鉄の天井を貫いて外の光を小さな穴から差し込ませた。
リーダー格らしき眼帯の男が羽織った外套から覗いたのは機械鎧。その先からは煙が揺らめいていて、銃器が内蔵されているのは見れば明らかだった。
それを護衛に囲まれた一人の男の顔先に向けられる。

「はじめまして、ハクロ将軍」

ハクロと名指された男の顔がひくりと恐怖に引き攣る。

「我らは東方地開放義団。この列車は占拠した。
さぁ、恐怖の列車旅行の幕開けといこうじゃないか」
終点のイーストシティまで。

そう云って眼帯の男は笑った。





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